「日は、また昇る。」- OV – 2013/10/23 (水)

HRCの先のモロッコの活躍や、YAMAHAのシリル・ヌブーじゃなかったシリス・デプレの獲得!で来年のダカールは見逃せません。

とはいえ王者KTMも、やすやすとその座を譲ることはないでしょう。
しかし、その情熱は維持でき続けてっるのか?は確かに問われます。

でも、あの時代に、本当に勝ちたくて勝ちたくてたまらなかったけど勝てなかったKTMも、いまではビジネスにおいても、砂漠の上においてもゆるぎない風格を醸し出しています。いわば、最小の投資で最大の結果を出しているとも見れます。

ビジネス用語でいうベストプラクティス!こそはこの20年のKTMの歩みそのものです。
とはいえ、厳しいこと言うようですが、王者の座は、安寧であろうはずはありません。
それは、勝つことへの情熱と、勝ち続けることへの情熱は似て異なるものだということです。追うものと追われるもののランチェスターの闘いが展開するのです。
そして、勝ち続けることなんて、ありえないんです。
でも、まだ今回くらいまでは勝てるでしょうか。。。それは勝つことへの習慣化といえばいいでしょう。

では、ひるがえってわが日本。負け癖が付いてしまって、ここまで負け続ければ、なにをやっても、リードしてても「でもやっぱり負けるのではないか?」という不安に襲われて、その思いは負けるための要素のささやかなほころびに含浸していっては、破たんを繰り広げていくはずです。

現に日本人、あのオリンピックの招致活動でも「たぶん負けるだろう」と少なくない人が思ったから、あのガッツポーズや涙や抱擁が生まれたのではありますまいか。
ボクは宝くじは買ってはいけない!と主張し続けます。
負け癖に塗れた人生を形成していきます。

夢を見る→かなわない→当るはずがないと納得する→でもまた買ってしまう。買うときは「買わないと当たらない」という。→また当らない。→当るはずがないと納得する。

これを繰り返していくと、当たることが奇跡で当らないことが日常になるわけです。つまり失敗が日常で、成功は奇跡つまりありえない。という日本人の「何をやってもダメ」だと思う、そういう精神をはぐくんできたわけです。
ゆとり教育を、なにかの言い訳にしてるよりも実はたちが悪いという事に気が付いてなくて、なんと当選金額ばかり上げていく。

「えっ、7億円」
買おうかなあ、今年くらい。

まったくもって話がそれてしまいましたが、
日本人、そろそろ勝ちに行く!に転じなければならないなあ、と思ってたらTOYOTAもWRC復活のニュース。あの屈辱のリストリクター事件も過去のお話。

で「日はまた昇る」という今日のタイトルは、深草君のダカールのライディングウエアのデザインテーマに定めたものです。

ダカールが南米に移ってから、はじめてのプライベーターとして挑むのですが、きっと、思うほどには上手く闘いは展開しないでしょう。きっと、大苦戦をするはずです。つまるところ、ワークスたちの活躍の陰で、陽の目も当らないでしょう。しかし、それこそが望むところです。きっと深草君も上位争いに加わってやろうなんて思ってはいません。(思ってたらごめんなさい。)
男子たるものの、心意気こそ日本再生の鍵であり道であろうと思います。

「紅葉の季節には。」- OV – 2013/10/18 (金)

10月も半ばを過ぎると、いつも思い出すのが「ガストンライエ・ミーティング」
1999年10月の末。ガストンは関西空港に降り立った、ぼくは予算がなかったのでエコノミーのチケットを取ってParisの旅行代理店からガストンのもとに届けさせておいた。

「ごめんなさいね、エコノミーで。。」
と空港から走り出したクルマの中でボクが詫びると。
「ゼンゼン。空港カウンターのスタッフが、あっガストン!日本へ行くんですか、じゃあ」
とビジネスにアップグレードしてくれたんだ。
「・・・」

楽しそうだ。
神戸で最新のBMWのGSを借りて、明石海峡大橋を渡る。
楽しそうだ。
いつも笑いながら話している。
これが神様だ。

新しいGSは1150だった。
それでも剣山スーパー林道では2つ目のコーナーで見えなくなってしまう。
そんな10月末は、数年間ガストンは来日を重ねた。
富士山や諏訪や、そしていつも白馬をゴールにしていた。

彼が最後に日本にやって来たのは2004年のTDN(TBIの変化形)そして陽気に手を振る彼と最後に分かれたのは、東京プリンスホテル。
菅原さんの奥さんの運転するクルマに乗り込んだ姿が、最後だった。

その秋のガストンライエミーティングは紅葉の京都を舞台としたのだが。チケットは送られたもののガストンはベッドから立てなかった。
それでも電話をかけてきてしきりに詫びる彼の声に、フランスに行かなきゃ、という衝動にありながら行きそびれた。

紅葉の季節は、そんなだからいつも悲しい。
でも来年春にはガストンと描いた、東京プリンス以降のルートを走る。

そうそう、ガストンと約束してたタマンラセットに置いてきたDC-3を今度一緒に取りに行かないか?という話は実現しなかったが「DC-3」という名前の事務所は開きました。あの美しいボディの飛行機をどうやって手に入れたか、どうやってサハラに置き去りにしてきたか、身振り手振りで語るガストンのことが今日はやけに身に染みる。

きょうの一枚

冒険、というキーワードを掲げた30Ans SSER。第一弾TBIは、あなたの想像をはるかに超えるダイナミズム。古き良き時代を懐かしがってるのではない。新しいモーターサイクルと人とのかかわりあい方を探検するという冒険をするのだ。

 

「紅葉の季節には。」- 2013/10/18 (金曜日)

10月も半ばを過ぎると、いつも思い出すのが「ガストンライエ・ミーティング」
1999年10月の末。ガストンは関西空港に降り立った、ぼくは予算がなかったのでエコノミーのチケットを取ってParisの旅行代理店からガストンのもとに届けさせておいた。

「ごめんなさいね、エコノミーで。。」
と空港から走り出したクルマの中でボクが詫びると。
「ゼンゼン。空港カウンターのスタッフが、あっガストン!日本へ行くんですか、じゃあ」
とビジネスにアップグレードしてくれたんだ。
「・・・」

楽しそうだ。
神戸で最新のBMWのGSを借りて、明石海峡大橋を渡る。
楽しそうだ。
いつも笑いながら話している。
これが神様だ。

新しいGSは1150だった。
それでも剣山スーパー林道では2つ目のコーナーで見えなくなってしまう。
そんな10月末は、数年間ガストンは来日を重ねた。
富士山や諏訪や、そしていつも白馬をゴールにしていた。

彼が最後に日本にやって来たのは2004年のTDN(TBIの変化形)そして陽気に手を振る彼と最後に分かれたのは、東京プリンスホテル。
菅原さんの奥さんの運転するクルマに乗り込んだ姿が、最後だった。

その秋のガストンライエミーティングは紅葉の京都を舞台としたのだが。チケットは送られたもののガストンはベッドから立てなかった。
それでも電話をかけてきてしきりに詫びる彼の声に、フランスに行かなきゃ、という衝動にありながら行きそびれた。

紅葉の季節は、そんなだからいつも悲しい。
でも来年春にはガストンと描いた、東京プリンス以降のルートを走る。

そうそう、ガストンと約束してたタマンラセットに置いてきたDC-3を今度一緒に取りに行かないか?という話は実現しなかったが「DC-3」という名前の事務所は開きました。あの美しいボディの飛行機をどうやって手に入れたか、どうやってサハラに置き去りにしてきたか、身振り手振りで語るガストンのことが今日はやけに身に染みる。

きょうの一枚

冒険、というキーワードを掲げた30Ans SSER。第一弾TBIは、あなたの想像をはるかに超えるダイナミズム。古き良き時代を懐かしがってるのではない。新しいモーターサイクルと人とのかかわりあい方を探検するという冒険をするのだ。


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「あのTDNから10年。日本のエネルギー政策を問うた2004年」 – 2013/10/08 (火)

写真1

写真2

写真3

もう10年の歳月を失った。それは長崎ハウステンボスをスタートした、「Tour de Nipponは2004」この大会はなにかに衝かれたような渾身のルート制作。秋も深まった頃に北海道を駆け抜け遭難寸前。トムラウシの山中で日没直前ヒグマの赤ちゃんに遭遇して、思わず駆け下りようとする人あり、下北半島では日没後にたずねて行った鄙びた温泉宿で言葉が通じなかったり。でもお風呂が素晴らしかったのに大感激!さらに岩手の山の中では雪に閉じ込められるなど「春を待ってたらまに合わない!」と。。この年で3年計画のTDNも総集編。

それから約半年ののち初夏を思わせる太陽の下。
ハウステンボスに空港から船で(アクセスできるんですね)やって来たガストン・ライエたちの楽しそうな姿。なにか口ずさみながら(彼らの癖ですが)やって来ました。そのご機嫌なこと。

オランダを模したというよりも、そのもののハウステンボスの町並みにガストンは驚き、そして歓び(最後の日本の旅を)心から楽しんでいるようでした。

ラリーは翌日スタート、まず長崎市の平和公園にひとつめのCPを置きました。次に目指したのは島原にある雲仙普賢岳。ここでは参加者たちに「普賢」という一つのキーワードを提示します。
雲仙普賢岳は、1991年神の怒りのような大噴火で大勢の犠牲者を出した山です。
そして岡山人形峠を越えて、若狭湾沿岸の原発銀座へ。
そして北海道でもオホーツク海道沿いの巨大風力発電風車群の中を北上し、宗谷岬へ。本州に帰ると東通村や六ヶ所村、福島の原発群を(わざわざ)見物しながら、光の海の東京にゴールする!というものでした。勝負の行方も非常に面白くて最終のSSが行われた福島までほんの3秒差程度で岩崎と、スペインバハの125ccクラスのチャンピオンのミハエルとのデッドヒート!を岩崎有男が制してこのTDNの有終の美を飾りました。

閉会式で「今大会は実は日本の原子力政策の現場を訪ね歩いて、日本のエネルギーを考えるというサブテーマがあったんです。」と話すと会場は「おーーっ」と。
あれから10年。また壮大な旅がしたくなりました。

きょうの一枚

懐かしい!2004年TDN、車検会場はハウステンボス(写真1)
そして長崎のリエゾンは道の真ん中に並木があるのです。菅原さんも10年前だから62歳!ワカッ!そして後方はゼッケン4、ガストン・ライエ(KTM)(写真2)
そしてガストンがご機嫌で走る日本のリエゾン。心から楽しんでいました。もう没後10年なのか。。。

「さて、2014年。鬼が笑う思いを巡らせて。」- OV – 2013/10/03 (木)

早いもので、10月。
山々は少しずつ色づき始めました。
季節は、そうはいっても確実に巡っています。
あの真っ赤なナナカマドの紅葉の石鎚北壁とかに思いは募るのであります。

というのも来週は空撮。ヘリで石鎚山系をカメラマンの赤松氏と空から縦走します。
どんな映像が収められるか?タノシミ。
そして地上からも縦走路の撮影がはじまっています。
昨日は「いい天気だから」と出かけた赤松氏。夜は飲みに行く約束だったのに帰ってこれず稜線近くでビバークしたらしいのです。電話がかかってきて「近くの水場はどこ?」なんて、まあ携帯がつながるというのも現代の山なのですね。
「どこそこにあるよ」
と教えたときには、もう真っ暗でしたから、大丈夫かなあ。
そして昨日の夕方には帰っていましたから、まあ一安心。

実はこの仕事、紅葉が始まる前を撮らないといけないので、とにかく大急ぎなのです。

そして翌々週のSSER3DAYSが終われば、まあ言うところのボクのストーブリーグがはじまります。事務所のダルマストーブを抱えて、薪をくべながら2014のあれこれに思いを巡らせるのです。でも考えてみれば11月初旬には発表会!となると写真集も大急ぎ。もちろん詳細な計画も並行して進めなければなりません。漠然としたルートのイメージを、現有戦力で実現可能な高みに持っていかなければなりません。

そんなお話はこれから少しずつ。

きょうの一枚
まだ色づく前のもみじ。紅葉という木は。樹形も葉っぱの形もなにもかもが美しく素晴らしいなあ、しみじみ。