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Organisation Voice 2010/03
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2010/03/08 (月曜日)

「年を重ねるということ。」

SSERは25年を迎えたのは昨年。今年はつまり26年目。30歳からスタートしたものだから、ボクは30+25で55歳になっていた。

1992年パリ北京のとき、ボクは37歳だった。菅原さんに歳を聞くと確か「51だよ。」と答えてくれたのが印象深い。

何ほどのことでもないのに自分の歳と、今後のSSERのことをぼんやりと考えることが多くなった。ラリーの準備とその開催運営のリスクと喜びの、いずれが軽重たるかを、理解できなければ続かない。「続けるということは、実に困難が伴う。」その困難のひとつが、歳を重ねることかなあ・・・などと考えていて、先週の日曜日に浜松のホテルで朝日新聞の天声人語を読んでいた。

このような内容だ。
「本紙俳壇の選者金子兜太さん(90)が毎日芸術賞の特別賞を受けた。贈呈式の挨拶で「講評にある句〈男根は落鮎(おちあゆ)のごと垂れにけり〉は自分のことを書いたのであります」。「私のにはまだ落ち鮎程度の実体感がある、と。そのことを申し添えたい」に会場は大笑いとなった。九十翁の悠々たる貫禄である。その金子さんが先ごろの本紙俳壇で選んだ一席に、足立威宏さんの〈里芋といふ極上の土食らふ〉。生かされてある実感は尊い。芋ばかりでなく人も味わいを増す。 」

さりげなく読めば、何のことは無いのだが、金子兜太さんの生き様が、生き生きと伝わってきて、彼の句集を買って読まなければならんと突き動かされる。なんとまあボクなんて若造だわいな。

(おまけ - 参加者大募集中) 

きょうのの二枚

金子兜太さんと自身の歌
夏の山国母いてわれを与太と言う
この句を読むと、ボクはなぜだろうかカオルさんを思い出すのだが・・・


2010/03/05 (金曜日)

「TDR!急接近中!」

これからのSSERを占う?新しいイベント「TDR2010」いったいこれはナニか?かくいうボクも実のところは、どのようにしたら良いのか?分からないのであります。というのも例によってコマ地図を書くのはボクなのですが、ついつい英語表記や漢字表記!「えっと、これ小学生にはわかんないかも・・」そうなんです。

4輪部門には小学校低学年はもちろん3歳の子供だって参加するのです。ボクが頭を抱えるのはそんなところばかりではありません。なんと参加者数は100名になろうとしています。こんなにラリーへの憧憬が、在ったのかというところにも、たじろぎにも似た、ちょっと涙が滲みそうなほどの・・とまあ本日参加の皆様にご案内、公式通知なるものを発送するよう頑張っています。

それにしてもTDR、春の花々の咲き乱れる中、美しい日本の歴史と神話を巡る旅。これを心から楽しみ尽くさない手はありません。菅原義正さんはBMWのバイクで!篠塚建次郎さんも走りますし、菅原照仁さん、尾上茂さん、河野仁さん。もう、バトルロワイヤルな状況でございます。

どうぞお楽しみに。

きょうの一枚

本会場プラザ阪下は1日借り切り!!20日は一日だけの参加も可能ですし、APIOのジムニーフェアへもお越しください。それにしても、篠塚さんジムニードライビングとか、見てみたいと思いませんか?プラザ阪下のグーグルアース画像。いや、広いねえ。

(おまけ - 参加者大募集中)


2010/03/03 (水曜日)

「NAVI、休刊。」

1984年に創刊されたNAVIは、2010年4月号で休刊となったのだという。ボクはなんとなく買わなくなって久しい同誌を駅で見つけて買った。懐かしい。

1984年の創刊当時は、ボクにとっては衝撃的な一冊で、バイク雑誌を買うに紛れて良く買ったものだ。よく読んだか?というと「???」なぜか本屋で立ち読みして「よし、これ読もう。」と買って帰るのだが、結局精読した試がなかったような気がする。あのころボクは、SSERのスタートに向けて、全精力を傾けていた。

PCの無い時代。いや、無くは無かったが、あんなものどうやって使うのか分からない時代だった。レギュレーションひとつ作るのも、今とは比べ物にならないほど大変だった、もとい面白かった。つまるところ雑誌の編集とかも実に大変な作業を強いられていた。ゆえに価値も大きかった。

そしてNAVIは、上手く表現して群れから抜け出した1冊だった。つまり大好きな1冊となった。

しかしある時、モンゴルのラリーを取材したいとウランバートルまでやって来た自動車評論家、巨匠とか言うのだが、ラリーのヘリまでウランバートルに呼んでおきながら、「ラリーのキャンプにホテルが無い!?」と知るとドタキャン!おまけに翌月号のNAVIにコラムにはイラスト入りで「よっ、社長!」とか書いて「日本人も偉くなったものだ、金にあかせてこんなところでラリーをやるようになった。と続けた。まあ本当に取材して、ボクらが金にあかせて、ラリーをやってると知って書くなら許せたのだが・・・ボクはおかげで二玄社の本が買えなくなった、評論家なんてそのレベルで、自動車雑誌もたかが知れてると思った。

クレームをつけると張り切る周囲に、ボクは「バカの相手をすることは無い」とたしなめるといういつもと反対の図式だった。

それでも、創刊号から読んだ?ボクは、休刊と聞くと一抹の寂しさに襲われた。ボクも何度も休刊じゃなくてラリー休止の瀬戸際に立たされた。

止めるのは実は勇気がいるようだが、決めてしまえば簡単なことだ。しかしそれでは断たれてしまうものがある。それは営々と続いたという連続性であり、時代の流れに対応できなかったという、まあ何にでもあることだが悔しさである。

本文の中に「絶望ノススメ」として「モータースポーツ終末論」が展開している。自分たちが休刊するからって、いまさらそんなこと書き捨てないでよ。とぼくはその巨匠の書き捨てたときの苦い味が蘇った。

続けないということはそんなようなことだ。しかも最終刊は1冊1000円もする。「よっ、社長!」一番大切なのは執筆陣ではなく、読者たちなのだぞ。

(おまけ - 参加者大募集中)