「今日もボクは考える、ゆえにボクあり。」- OV – 2014/12/08 (月)

四国に大雪がやって来て1週間前に駆け抜けた剣山周辺は、すっぽりと雪に覆われてしまい孤立が続いています。走りながらも、道は立派になりつつあるけどこの辺りは、この1本の道しかなくて、しかもあの険しい峠を越えないと往還できない秘境中の秘境だよなあ。。なんて思ってましたから、その数日後に起きた大雪被害に驚かされてしまします。
被害が小さいことを祈ります。

そうしたルートを走るツールドブルーアイランド
思わず四国の秘境を目にします。
その第1回大会は1989年でした。

昭和天皇が崩御され元号が「平成」と改められた年の4月のこと。
いまだ瀬戸大橋もなく、四国には高速道路もありませんでした。
まさに未開の島、つまり秘境を旅するブルーアイランドでした。
ボクもまだ若かったものですから、さまざまな会に呼ばれます。
特に観光のシンポジウムのようなもの

そこではみなが異口同音に
四国は道が悪いから。
四国はアクセスが悪いから。
四国は、四国は。。。

そこでボク
「いえなに、橋や高速なんて、無いほうが良いんです。」
一同唖然
「アクセスの悪い、大きな島、って魅力ありますよ。道が悪ければ、その悪い道はそれなりの愉しみ方をすればいい。時間で地図を書けば四国は北海道より大きくて広いんです。」
皆ふたたび唖然。
TBIは、ボクのそうした考えから、四国は広い。鳴門から足摺岬まではあの当時で10時間かかりました。
いま?いまは5時間くらいでしょうか。

そして、そのころは林道だけは無限とも思えるほどに存在しました。
事務所から、裏の土手を通れば往復200km以上を繋ぐ、いやもちろんごく部分的には舗装も挟みますが、長大なダートルートが容易に完成してたのです。
やっぱりすべての道は舗装しなければならないのだろうか?
本当にそれが環境に良く、人々の暮らしを向上させてきたのだろうか。と良くそう思います。

山間の舗装路の幾つもが、仮にそれが県道であれ、稀には国道であれ道路中央部分には苔が生していて、人の往来も途絶えた道も少なくありません。

ボクが高校生のころには「四国の山を守る会」というのがあって、石鎚スカイラインの建設の反対運動に参加してたことがあります。しかし、道路が完成するやバスを仕立てて、そのバスに乗ってスカイラインを走り、ところどころに停まっては道路の左右で生態系が変わってしまった!などとやるわけです。
その頃から天邪鬼なボクはポツリと
「この道路に反対なら、使わずに歩けばどうだろう」そう言いました。一人のお年寄りが
「歩いたら君、登れないじゃないか」と。
ボクは「反対運動とは何か?」しばらく悩まされました。

なにをしても反対する人がいます。
それはそうでしょう。
行為には、必ず利益を得るものと不利益を蒙る者がいます。不利益を被る人の中には攻撃的になる人も居ますが、それをたきつける不利益になっていないけど、なんでも気に入らない!という人がいます。
近年そうした人たちが増えてきています。

誰かが言いましたが「不機嫌な時代」だと。
不機嫌な時代とは、自分の知らないところで色々なことが決まって進んでいく時代のことのようです。
「一言、言ってくれていれば良かったのに・・・」
これもまた良く聞く言葉です。
「知らされていなかったから許せない。」
知ってさえいれば協力したのに?というわけです。
既知か不知かの差は、それほど大きなことになっています。

松山には「坊っちゃん列車」という電車が走っています。
ある観光の関係者の会議で、これを東京駅とかどこかにポスターを貼ったり観光キャンペーンをやる!と言っていました。

ボクは「止めたほうが良い」
というと、やはり皆が色めき立ちます。
「どうして」
「知らないほうが良いんです、知ってそれを見に来た人は、がっかりする。本物ではないし、電気で走ってるし。それよりも、そんなことを知らずに松山に来た人が、これが走ってるのを見ればそれはびっくりする。そちらの方が価値は高いのです。」
「でもそれでは人が来ない。」
「そんなことは無いし、そんなもので切る人はたかが知れてますよ。」
二度とボクはその会議には呼ばれなくなった。

どうも本当のこと言うと、ダメらしいんです。
「うちにポスター作らせてください。」
とでも言える人にならなければならないのですが、さすがに遅きに失しました。

でもボクは考えるんです。
無駄だと思うものにかけるエネルギーと、無駄だと思うものネルギーをかけないことの差は何か?
その「無駄だと思うこと」の価値観を決定づけるものは何か?
ここらあたりを来年あたり解き明かしたいなあと思うんです。

きょうの一枚
「価値観の相違」という簡単な言葉でくくられること。つまり無駄だと思うことにかける情熱の違い。無駄だと思って、価値があるはずのものを見切れるのもまた情熱のようなものが必要。今日もボクは、また訳が分からなくなる。


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「R439チャレンジとは?!」- OV – 2014/12/03 (水)

この土日の2日間、R439チャレンジを敢行しました。
「それはなに?」
「秘密です。」
ということでしたが少しだけリークします。

R439は四国をまるでたすき掛けのように走る国道です。TBIの主要なリエゾンルートとして知られ、いや畏れられて、巷間では「酷道」とか「与作国道」とか、愛情と悪意に満ち満ちたそれはもう愛すべき道です。しかし少しだけ残念なこと?に近年は2車線化なども進み、あの酷道部分の比率は下がってしまいました。またいくつかの国道と重複して表示されて、まるで与作の看板を出来る限り表示したくないというような悪意?まで感じます。そしていくつもの3ケタ国道が交わり197いくな酷道!も、存在感はたっぷりです。いやそれでもいまだR439のスペシャル感というか巡礼の旅感は健在です。

しかしこれをモダンなモーターサイクルで走破するのは、もはや未舗装部分もなくなり対向車の恐怖から身を守るディスクブレーキでも着いていればSSERを知る諸兄には造作のないことでしょう。
ところが、ここに60年代から70年代のマシンを持ってくると、350kmの道のりは全く違った表情をみせます。
ボクタチは鳴門にある大塚美術館をスタート地点にして(前泊はホテルルネッサンスリゾート)ですが・・・
しばらくは主要国道を走ります。
徳島市の手前から右折して県道12号線で吉野川北岸の歴史街道をひた走ります。ボクは74年製のDUCATI Regoralita125、40歳のマシンです。混合気が合わずしばらくはスモークを吐きながら走行。さらにギアの噛み合わせに難ありでコツを要して難渋、さらにタイトな道でのブレーキングに苦労しながら前へ進みます。

すると、なんということでしょう!(サザエさんの声で)急にスイッチが入ったように楽しくなってきました。止まっては笑い、走っては笑う。ああ、なんという自由!なんという解放感。しかしそれにしても操ることの難しさゆえの楽しさなんて、忘れてました。足の甲では絶対入らないシフトは、常に踵でするのですから左足はすぐにパンパンに。マシンから降りると左足はもうボクの足では無いような感じです。

道は剣山に向かってタイトターンのきつい登りが続きます。標高もずいぶんですから本番では難渋すること間違いありません。「えっ、なんの本番かって?」京柱峠は相変わらず落ち葉の絨毯が良く濡れて美しくもスリッピーなタイトワインディング。

とまあこれ以上書くのもいやらしいのでこのくらいで少し結論。

実は、来年の11月には、「MOTOGIRO Del GIAPPONE 2015」Classics Motercycle Raid & TTの開催をイタリアの主催団体Terni Moto Clubと調整をしています。レギュレーションの共通化という難点がありますが、それでも日本の事情に合わせたものにできると思います。

本家モトジロ・デ・イタリアは長い中断がありはしましたが。2014年の今年100周年。イタリアの友人のコモ湖の別荘に、大量に並ぶキラ星たちの「どれでも乗っていいから一緒に出場しようよ。」という甘い誘惑を我慢してのR439チャレンジ!充分満たされました。次は春に再チャレンジ。TBIにもヒストリック部門を用意しましょうね。

この大会の運営と企画には、椎名泰三さんと桐島ローランドさんも参画していただいています。

では。

 


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「初心に、還るべし」- OV – 2014/11/25 (火)

何事にせよ、取り組もうと決意した時のあの思いを忘れてしまっていることがある。
あの頃の思いこそが、夢だったはずだ。
言うところの「初心、忘るべからず。」だ。

しかし、時にこれを忘れる。
独立して業を起こそうと思った時の思い。
その思いは毎日毎夜の徹夜さえ厭わなかったではないか。

パリダカに行こうと決めたころの思い。
その思いは大量の企画書を背負って、真夏のアスファルトに揺らぐ陽炎の中を、
来る日も来る日も、スポンサー獲得に駆け回ったではないか。

そんなことならいっぱいある。
いっぱい新しいことに取り組んできた。
「そんなの無理だ」
と言われるほどに燃え上がった。

新しいことはやがて、普通のことになり
普通のことは退屈なことになるのだ。
しかし、本当にそうか。
こんなに豊かで刺激に満ちた人生もそうないのではないのか?
そう思いながら今朝は事務所の鍵を開けた。
ボクが一番早いのだ。

NHKの朝の連ドラなんて観ないのだが、
モンゴルにいるとNHKのワールドプレミアムで、見るようになるのだ。
そして今朝、ぼくはドキッとした。
「日本人にはできない・・・」
なんだとお。

20年もその少し前
「日本人で初めての砂漠のラリー(いわゆるラリーレイド)を作るんだ。」
と言ってた頃。
パリでは
「日本人がラリーをするらしい」
というわさが流れた。それはFIMに申請を挙げたからだ。
「それは無理だろ」「日本人にそれは出来ない。」
そういうふうに言われていた。

さらにその前は、ボクは四国からパリダカに出ると言った時。
TBIをやろう!と言った時。
出来ない理由なら、いくらでもあった。
「どうやって1週間のコマ地図を作る?まあいい、仮に作ってマップホルダーがない!!」
「無ければ作ればいい。」

そうだカーボンホイールにも情熱を注いだ。
炭素繊維の自動車部品研究会を産官学で作った。
もう15年以上前なのか?東レのドアを叩いた。
何度も断られた。
ボクは「10年後日常を走るクルマは、軽かハイブリッドかディーゼルだけになる!
その時には軽量化は最大の課題になっている。」と。
予言は当たらなかったけど遠くもない。
「中国に日本と同じモータリゼーションが来たら地球はあと2個はいる。」
そんなに急激な発展は無いよ。とも言われた。
まあ、頁岩があるから100年は大丈夫。。
「では二酸化炭素はどうなのか?」

議論は熱かったし、面白かった。2020年研究会なんてのも作った。
2020年の全地球的な食糧難問題をどうするか!?などという、
とんでもない議論が交わされていた。オマエハセイジカカ?

ボクたちのカーボンの研究は、そののちに違うカタチとなって世に出始めたようだ。
でもこうしたレーシングなイメージの高価なものではなくて、短繊維の熱可塑で
1分で1本、重さ1kgで単価1,000円でできるものを!目指していたはずだ。
カーボンを意匠で使うのは、もういい加減にしないといけない。
と15年前に言い放っていた。

なんて考えるうちに熱くなって、初心に戻りつつある今日。。

きょうの一枚
ネットで拾ってきたカーボンホイール。。。うーん。

 

No.168 「2015ラリーレイドモンゴルに向けて」 – 菅原さんからの手紙

11月17日にやっと新しいジムニーがAPIOさんから納車されました。9月頃にオーダーしたのですが、スズキさんは忙しくで、私の分は11月始めに生産されたそうです。

早速、電車でAPIOさんに向かい、新しいジムニーに乗って、御殿場の工場に向かいました。写真1はナンバーを100にしてもらった新しいジムニーです。

工場では弊社から2名の応援を得て、8時間後には写真2の様に、内装を剥がしリミテットスリップデフとリアーのライニングをAPIO製に交換し、フロント周りは写真2のようにAPIO仕様になっております。

写真3は新しくなったメーターです。LEDを使っているので耐久性と電力の消費も少なくなりますね。

2台のレンジャーは船に乗ってアルゼンチンに向かっており、バイラーさんはモンゴルに置いてあった日野さんの新しいサービストラックに乗って自走で無事にフランスの工場に着き、会社から2名が渡仏してルマンの工場でメカさんを乗せて走るハイラックスの整備とルアーブル港で行われる車検に向かっており、ダカール・ラリーの事は一段落したので、この隙間を縫ってジムニーの改造に入っております。

ジムニーをラリー用に改造していると、レンジャーの改造に生かされるヒントがあったり、その逆だったりして、勉強になります。

明日からは4日間、御殿場の工場でじっくり改造に入ります。お楽しみにね。

菅原 義正

NEWS
菅原義正さんが、J-SPORTSの人気番組「世界、頂!ニッポン代表応援TV」に出演することになりました。
放送スケジュールなどはリンク先をご覧下さい。

 

 

 

 


著者紹介 菅原義正氏

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「イタリアからの手紙」- OV- 2014/11/19 (水)

もうすぐ師走。
ほんとうだろうか?1年は、こんなにも早く過ぎ去っていたのか。。こんなことなら人生なんて、居眠りしてたら終わっちゃう。
特に最近は眠たいから、起きてる時間なんて、もうそう残されてないぞ。。
高倉健も鬼籍に入った。
1988年の時のパリダカで撮影中の姿を見かけた。
考えてみれば、あの役回りが実は菅原さんの今の姿かもしれないなあ、と考えていまさらながらに菅原さんに敬意を表してるボク。

健さんは、日本人の唯一頼れるカミオンのドライバー、そんな役だった。ということは、実は菅原さんは(あの時はエキストラのドライバーとして出演していたらしい)あの高倉健を目指して生きていたのか?とさえ思う。
カッコ良すぎる。

で、まあ短い人生だから先を急ごう。
2015年。31年以降の第3世代のSSER ORGANISATION、どういう性分か!?またぞろ不可解な活動を始めている。断片的にしか語れないのは残念だけど、あの30年前の夜の闇に潜む不思議な昂揚感に挑んだ時の感覚に似ているから驚きだが・・・

その一つは、ここのところのイタリアのイベント主催団体とのメールのやり取り。
これは1987年の春にTSOにレターを送った時の気分に似ていた。
あの時SNSやメールなどがあったなら、なんとも儀式的な部分が欠落していたかもしれない。

いまはもう「ポチリ」という、一瞬の手続きでものを決するのだそう。ボクは、自分の書いたつたない英文を何度も読み返し、何度も住所を見直して、自分の足で郵便局へ行って、さらに浮世絵か何かの切手を選んで、拝むように係のおばさんに手紙を差し出した。

ボクの人生の大きな挑戦のひとつは、そんな儀式的な心の動きからはじまった。
1か月もしたら、レギュレーションの入った分厚い封筒が届いた。
鼻に近づけて、その郵便物の匂いを嗅いで、
パリのオフィスでボクの宛名を書いたであろう女の子のことを想像したりした。

さて、それはともかくいくつかのNew Eventがいよいよ本格稼働期に入った。
忙しくなるぞー!!っと。

間もなく発表できそうなので、このくらいでお許しください。
えっタイトルのイタリアからの手紙とはなんのことか?答えはまた今度。

きょうの一枚
昨日は天空のトレイルに居ました。素晴らしい時間。霧氷がいっぱいだったので、
よしあとで撮ろうと思って忘れてたら、まさに霧散してましたがな。

 

「たしかに、小人は閑居しては不全を為すなあ。。」- OV – 2014/11/07 (金)

ボクはいわゆる論語のファンではないんだけど、いつの時からか
「われ十有五にして学に志し 
三十にして立ち 
四十にして惑わず 
五十にして天命を知る 
六十にして耳順い 
七十にして 心の欲する所に従いて矩を踰えず」

というのを、とても意識してきた。
15の時に学を志し、というのは全くなくて「岳」を志したときに15歳だったから勝手に「われ、15にして岳に志し」と、山に登る日々に明け暮れた。時間がない時は家の近くにある岩場のゲレンデを登ったり下りたり。。

まあその話はいい。
30歳にして、会社を辞めて独立した。なるほど「立つ」とは独立のことだったか?
と不全な事を「立つ」と考えていたボクはここで少し大人になった。
40歳の時にモンゴルでのラリーをスタートさせた。
当時、仕事は広告業とラリーの主催とが、二足のわらじのようになっていた。

広告業を本業と呼び、ラリーなどの活動は趣味の延長だが、仕事として取り組まなければ存立しまい。と考えたのだ。そしてある日のこと、本業の大勝負!これが決まればラリーなんてやってられない!という日の決定的な朝。

ふと
「40にして惑わず」というフレーズが降りてきた。

「自分は迷ってるのではないか?」

その思いが、葛藤から解放された一瞬だった。生活苦はここが分水嶺であろうか??
不惑の歳ならぬ、不惑の時だった。

広告業なんて、みんなやってるし、コンペで負けても勝っても、完成してくるものなんか「あれ、落ちたはずのうちの案?」なんてことに嫌気がさして「コンペはしません」「じゃあ、なんでグローブコンペティションなんて社名なんだ!?」

「あっ、いやそれは。。。」

で10年も経った50歳のころ。
モンゴルも10年目の2005年ころかな?
「北京をスタートにする多国間をまたぐラリーにする!」
とか息巻いて、北京やら内モンゴル周辺に不毛で困難な交渉を展開する。
がぜんパスポートは中国のハンコだらけになった。

悩んでた。あるべき理想が遠かった。
2007年は、1907年の北京-パリの100周年だというのに。。。

そして、やがて北京からパリやローマに行く旅に出る。仕事をほったらかして。
ロプノールやアラル海や、チョモランマのBCやらで
「やっぱりこれがボクの天命たる仕事だろうなあ」
とつくづく考えた。
孔子は、ともかくだけど・・・

そして迎える還暦、、もう2か月ばかりだけど
それは「耳したがう」つまりやっとこの歳になって人の言うことに耳を傾けるようになるのだという。なるほど「少しは、みんなの意見も聞いてみるか」と、そう思うに至ってるもの。

で、あと10年後の70になれば、どんなに好き勝手をしても則を越えないという。
菅原さんを見てると、案外そうでもないようなそうでもあるような。
迷惑をかけるのはただただ、記憶力の不確かさで
「そんな話は聞いてない!」
で、結構逃げられる。
まさに小人閑居状態の本日は暇なり。

きょうの一枚

ブルーアイランドの海、夕景。

2014/10/30(木)「アチャー、来年も時間が取れないかもだ。」- OV

12月13日の発表会(おしゃれなことに、プレゼンテーション2015というのだ。・・・本当にボクはいつからこんなに横文字ばっか使うような人になってしまったんだろ・・)業界が悪いのかなあ?

「コアコンピタンスが、ダイバシティで、コンプライアンスの問題で、コンシュマーリレーションマネジメントが破たんして、デザインシンキングがディ-シースリーなんです。・・・」ほとんどバカです。かと思えば「CRMがCSRの問題で・・」と書きはじめたけどやめた。

で、話を戻すと、実は来年は壮大な旅を計画しているのでありました。名付けて「還暦記念赤いちゃんちゃんこで行く、中国奥地大縦断!ジムニーとカブの旅」まあ赤いちゃんちゃんこは、おしゃれなダウンベストにしてもらうくらいのことは簡単で、って、今日の一枚参照!を着て、でもモンクレールは嫌い!!なんの話をしてるのか意味不明ですが、あと中国産の125のバイク買って走るのもありかもなあ。。

で・・・還暦の人たちと言えば赤松カメラマンや石原孝仁(いやひょっとしたら彼はまだかもしれない)たちと、西安から敦煌、さらに南下して四川、雲南省の少数民族の村と、あの気の遠くなる棚田を背景に少数民族の女の子の絵を撮って、、。チベットへ抜けて中尼道路でカトマンドゥ。。。

「許可はOKです。」
と連絡あり。。
「うーん。いつ行く?」

と悩んでるところにコーノさんたら、スコットランドの湖水地方をクルマで巡る・・・と言うし。で、来年は9月、10月、11月にもそれぞれイベント(うちふたつはBrandnew。。)8月はモンゴル、7月は北海道とヒルクライム。6月はモンゴルの試走、5月はTBI、4月は・・・おお!四月がいいんじゃない!!

なんてはしゃいでるボクですが、海の向こうではFRBが量的緩和の打ち切りを宣言!えっ、ということはアメリカは利上げ。するとみんなドル買いに走り円安ドル高は恐ろしいことに。なるやもしれないという前夜。。

ああ日本経済はともかく、ボクの海外への冒険の(と言う名の実は、ラグジーな旅は・・・・)どうなるのでしようか。。

つづく

 


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「2015始動」- OV – 2014/10/28 (火)

例年になく早い紅葉。そして木枯らし。。冬のパリが急に懐かしくなる季節。
となると急かされるように、2015年の準備!!

12月13日(土曜日)18:30より、東京・恵比寿にあります「7」にてPRESENTATION 2015が開催されます。そのあとの懇親会も、まあすごい!ので是非お誘いあわせの上お越しください。

来年はNEW EVENT が2本!!「一歩下がって。二歩すすむ」の歌詞の通り?でも、こう書きながらも誰もその2つのイベントのうちまあ一つは進みかけてるので知っているのですが、その二つ目はまだ僕の胸の内。。フフフフッ。。

新しいシュラフを買って、出かけることにします。

新しいことに取り組むには、勇気と知恵と、さらに言えば「無謀さ」が必要です。
無謀。。ああ、なんという男らしい?響き。。
「そんな無謀な事を・・」
と、どれほど諫められたことか。

ボクの場合はこの諫言とはまた甘言のようにも聞こえます。
耳もとで 「やっちゃいな、やればいいんだよ。」
そんな言葉に、突き動かされた30代。
でも、2015は60代。。。
最近はシュラフに潜り込んでも体がなかなか温まらずに寝るのに一苦労なほど、体内の発熱量が低下してきています。

でもまあ、そこでその勇気と知恵を温かく包む、良いシュラフとマット。。それにさらにその上からエマージェンシーヴィヴィというのをゲットしましたから、ぼくにはもう怖いものがありません。 

No.167「壮行会」- 菅原さんからの手紙 – 2014/10/22 15:00

letter_167_20141022_1500_01先日、日野さんの本社で報道の方とスポンサーさんに集まって頂き盛大な、壮行会をして頂きました。

来年は日野自動車さんにとって連続25年の挑戦になり、私に取っても33年目の節目の年にもなるのです。

写真で分かりますが照仁が乗る⒉号車は、ナローキャブと言って車幅の狭い運転席を使い、初めて左ハンドル仕様にしてあります。

更に1号車よりトレッドとホイルベースが長くなり、操縦安定性が良くなっております。私の1号車にはSSERのイベントにも出ている、若林 葉子さんがナビの一員として乗車し、6つの目で前を見る事になります。

写真は日野自動車さんのパリダカワーキンググループの皆様との記念撮影です。(都合が付かない方もいて、もっともっとおります。)

最初はバイクで出場した私ですが、32年後にはこんな素晴らしいチームに発展しました。これも日野自動さんの暖かさとスポンサーさん他皆さんが支えてくれてる証拠なので、頑張って来ますので、応援宜しくお願いいたします。

菅原 義正

「31年目のシーズンに向けて」- OV – 2014/10/20(月)

SSER3DAYSも終わり、今年のシーズンを終えました。
終える、という言葉に何か新しいものが生まれる予感を感じるか否かは、持ち合わせる感受性によるものでしょうか?

「終わる=はじまる」
ということかもしれません。

またSSERのことだから、やめる!とか言いながら看板を掛けかえてやる「閉店セール」ではないのか!?と多くの憶測を呼ぶのは、まあこれまでのSSERへの良くも悪くもオマージュ!というところでしょうか。

実はSSERを運営する、グローブコンペティションという会社ですが、まあ名前の由来は「地球上で闘う」というような、ウルトラマンのような思いから、ちょうどパリダカールへ参戦を続ける真っ最中の平成元年11月1日に、それまでの会社から独立させる形で設立しました。

仕事中に趣味の極みのようなものをやる!ことへの正当性を担保するための・・・(汗)だったと言えます。仕事もすごくて走り回ってたあの時代・(遠い目)ですから11/1は創立25周年記念ということになります。

なにせ、そんな周年行事がラッシュするSSERですから、この25周年は年末の大忘年会とセットで、じゎっと開催する予定です。

しかしアニバーサリーイベント好きのボクはとある計画を・・・
「R439を、モンテッサとドカティ・レゴラリータで走る!」という、まあ無理でしょ。な計画を実施します。2台のマシンはその準備に向けて整備中!!

たぶん11月の半ば以降だと思いますが・・・徳島-四万十市350kmです。ビックリハードかもです。

R439って、考えてみれば剣山も登りますから、70年代のマシンには酷かもしれません。あの崖を想像してみてくださいな。最高到達点はボクの記憶が正しければ1480m!!全長は350kmで10時間はかかると思われます。(2000年ころのイメージ)今は相当な改良工事が進んでいますが、それでもアベ35km/hは困難でしょうね、

とまあこれが自分への25周年記念イベント!!というわけです。見かけたらよろしく。  

 

「30年。ボクの人生のきっちり半分の軌跡」- OV – 2014/10/14 (火)

「30年。ボクの人生のきっちり半分の軌跡」

The30th.SSER、無事に終了しました。
終わることはもっと、寂しさを引きずるかと思っていましたが、むしろ何か新しいワクワクのような気分に驚いています。

しかしそれにしても、この30年間の多くの時間を共に過ごした選手関係者の皆様には、この場を借りて、幾重にも深く深く御礼申し上げます。

閉会式も終わりかけのころ、外はまるで早い冬の訪れを告げるような強い風が吹き荒れていました。
「以上を持ちまして、30回のこの大会のすべてを終了します。」
と告げたあと、誰もがその時間を惜しむようにスタンディングオベーション、すこし眩暈のようなものを覚えました。そとの嵐が、それを一層ひきたてるかのよう。

はじまりがあれば終わりがある、とはこの1年間言い聞かせ続けてきた言葉です。
そして、始めることよりも終わることのほうが何倍も勇気がいるのだなあとも。

人生に掲げられる夢は、それほど多くはありません。ですから夢を持ち続けたいと思います。「夢」とはなにかという議論もしなくてはなりませんが、今日は少し違う角度の検証をします。

ひとたび「夢」を、実現に向けたプログラムを描いた瞬間に「夢」は「目的」に変わります。
たとえば「いつかは行ってみたいなあ」と思う場所があるでしょ。それがひとつの「夢」だとします。(夢の表現と解釈は自由です)ても、それを「よし行くぞ」と決めた瞬間に「夢」が「目的地」に変わります。
夢が現実になる、ということは着手した瞬間からはじまります。

するとその目的地までの道のりを真剣に考え始めます。また目的地のことをさらに深く知ろうと調べ始めます。
そこで「はて、あんなに行きたいと思ってた場所なのに、調べてみるとこんなものか?」とか「案外簡単に行けるのだなあ。」などということが持ち上がります。
夢が目的になると、案外大したことは無いんですが、それを大きな感動でおわらせるためにも、大きく夢を膨らませておくことです。

「敦煌」へ行こうと誘った友人に井上靖の小説「敦煌」を読むように奨めました。
それを読んだ彼は、敦煌について「あの本を読んでいなかったら感動は無かったかもしれない。」と語りました。つまりかれは感動したのです。

さて、感動がすべてでは無いのですが夢を実現した暁には「感動」が無いのなら、それはやはり夢じゃなかったということかもしれません。

話しは変わります。夢の実現の道のりで言う「目標」と「目的」はなんだろうか?というオハナシ。

人生の目的
人生の目標

なんとなく混濁して使ってきた感があるので整理してみます。

目的・・・いわゆる的(まと)ですね。目で見える的のことでしょうか?それとも目指すべき的のことでしょうか、いずれにしても最終到達地点のような気がします。まあ山頂です。ボクだけの意見ですが・・・
目標・・・標(みちしるべ)のようなもの。つまり目的地にたどり着くための道標とか標識のことではなかろうか?ということです。コマ地図やコースマークのようなものかもしれません。これは山頂ではなくC-3とかC-4とか山頂へ向かうための前進キャンプのようなものでしょうか?しかし彼の目的が7サミッツなら一つの山頂は目標で良いでしょう。最後の山頂も目標で、振り返った時に7サミッツという目的を達した、ということですね。

たとえば面接で「あなたの人生の目標はなんですか?」と聞かれたとします。
正しい答えは「目標とは目的を達成するための、正しい位置を指し示すものです。」から、この場では「そのために今この会社に入ることです。」が正解なのでしょうが、それを言うと、はねられますから日本語は難しいものです。

正しい答えじゃなくても採用されるための答えは「人間を磨いて、人の役に立つ信頼される立派な社会人になることです。」ということでしょうか?しかしそう書きながらも、それこそが実は立派な目標であり、そうであればなお「目的」の到達の実現へは近づくのかと。
まあ反省。

つまりSSER3DAYSは多くのみなさんの目標であり続けたと思うということです。
ここを、ひとつの道しるべとして、大きな目的に向かっていただけたのであれば、この30年間は価値のあるものとして輝きます。
そして一方でこの大会を、オフロードバイクの生活の目的地として頑張った皆様には、また新たな目的地が現れたはずです。

人生はこうして、終わったコトなくしたモノを振り返り惜しみつつ前に進むものではないか、とそう考えています。SSER3DAYSは終わりました。しかし新しい萌芽は、いくつも散見出来て、さてどの芽が大きく育ち美しい花を咲かせてくれるのだろうかと、夕暮れに佇みながら、明日の朝を思うのでありました。

そうそう、前田啓介君、おめでとう。


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2014/10/09 (木) 「ボクはなんと。今日ラリーモンゴリア2015のルートを考えていた。」- OV

今世紀最大ともいわれる巨大な台風がやってくるらしいです。SSER3DAYS FINALにふさわしいビッグゲスト!!にしても対策は入念に。
長靴!”ヨシッ”
雨具!OK!
とかって準備じゃなくて、とにかく台風の接近に伴い1日早く荒れ始めるだろう、 標高1000mを越える大会エリアのこと。

でも慎重に検討して対策は当日のSSER PRESSでご紹介します。
そして、この忙しいさなかにボクは地図とにらめっこ!!
なにをしてるのかというと来年のラリーモンゴリアのルート考察!!
試走に持ち込むマシンをどうするか?なんて話をしたものだから、
あの辺りを走りたいなあ!と思ってた気持ちがピクピクし始めて没頭。。。
実はこうした姿もボクガ昔から望んでいたもの。。
「???」
かもしれませんね。
答えは、大会の直前は「なにもすることがない!」状態を作る。ということ。 そして目の前の大会への思いを通じて、近未来の大会のイメージを描くこと。

さあ、日も暮れたのでおうちに帰ろう・・・
でもその陰でみんなが悪戦苦闘をしているのも知らないわけではありません。
脱帽。あっ、雨用の帽子も持っていこう・・・ 

 

「現状を把握しなければ、未来は語れない。」-2014/10/07(火)-OV

「現状を把握しなければ、未来は語れない。」

日本では宝くじを「夢」と呼ぶようです。
普通、夢は買わないんですね。夢は売ってないんです。夢は見るもので、それが未来のあるべき姿なら追求するべきものです。

「夢を買う」のであれば「夢」という商品にはプライスタグがついてるはずです。
小さな投資で大きなものを得ることが日本人にとって「夢」を叶えるということのようになってしまいました。いわゆる一攫千金とか、あぶく銭を手にするとか。
ああ、バブルのころが懐かしい。。

宝くじはいくらですか?300円で3億円?
100万倍になるんですね。
なんと射幸性の高いこと。
これが違法でない、根拠が知りたいほどです。

「お前の夢は、金で買えるのか?」といったヤナギバさんも実は買っていた、というCMに、どれほど日本人の多くは苦笑いしたか。
しかし、これは夢を買う=宝くじを買うことなのか?宝くじで当たった大金が夢を買う原資になるのかが暗にぼかされています。

昔の流行語ですが「宝くじが当たったらパリダカに行く」というのがありましたが最近は、その手の常套句をあまり聞かなくなりました。
どうも宝くじが当たってパリダカに行った人はいませんでしたから、そのことから導き出される答えは明瞭ですね。当らないんです。それにそう思った人は宝くじを買う努力以外の努力はしないんです。所詮パリダカなんて夢ではなかったんです。いやだから夢だったのか。。。

どうも日本人、到達の確率が極めて少なく、かつ自身の努力では成しえることのできないものを「夢」としてしまったようです。
全くこんなことを書くつもりじゃなかったのに書いたついでに、もう少し書いていいですか。

ボクの主張は、宝くじが人間をダメにする壮大な装置であるということです。
たとえば民主党政権は宝くじを買う感覚で投票しなかったですか?
「ひょっとしたら?」
でも
「やっぱりなあ。そりゃあそうだ。旨い話には気をつけろと言われてたもんなあ。」
小さな子供が何人もいて「勝ち組だ!」などとうそぶいていた友人も、そんなふうに。(あっ、これは子供手当がひとり28,000円で3人いるから84,000円/月入ってくる!と言う夢のようなお話が手に届きそうだったと言うオハナシデシタ)

つまり、その負けるとか騙されたとか、上手く行かないこととかにだんだん日本人は慣らされてきたのです。
社会に出ても、思うようには行きません。それはなぜか?自分で未来を計画して今日から取り組まないからです。

ドラッカーはこうも言っています。「計画とは、未来に関する現在の決定である。」
そして「全力を注がなければ、あなたに未来は無い」と続きます。
計画があったとしても全力を注がなければ、「やはり未来は無い」と言っているのです。

表題の「現状を・・・」は、やはりドラッカーの言葉です。
ボクが書こうと思ったのは、
未来は突然やって来ない。目的を持ってそれを日々積み重ねた物だけに、その目的と努力に応じた未来がやって来る。のだといまも信じて日々を送っているからぼくはきっと幸せな部類に入るのでしょう。

さあ、週末はSSER3DAYS。一つの夢の完成。


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「秋には、来年の秋の旅の計画を。」- 2014/09/29 (月) – OV

「秋には、来年の秋の旅の計画を。」 – 2014/09/29 (月)

本当は、今年SSER30年記念の旅を計画しとったんです。
構想は、いつも素晴らしいんです。
テーマは「ロンドン-パリ」
なんだ、近いじゃん。

そうなんですが、ロンドンを出て、徒歩や自転車やクルマで?大ブリテン島を反時計回りに一周。徒歩で1日ってのはクルマだと2時間くらいなので、クルマのチームはゆっくり出て早く着く。というもの。スコットランドの湖水地方や、ウイスキーのふるさとをテクテク。
そしてフランスにわたって、これまた反時計回りに。
地中海を回って、アルプスを越えて最後にはパリ。。。

案外面白がってたのですが、どうもさまざまな行事が目白押しのこの秋。旅に出るというのは、人には何時も仕事より旅が優先!みたいなこと言いながらも、さすがに今年は勇気がなかった。。

でも、スコットランドの独立運動などがテレビで流れるほどに、スコットランドの紹介もされて。なんとテレビの朝ドラでもスコットランドやウイスキーが。。

ここのところ人気復活中のウイスキーが、さらにブレイクするかも。
そうだ、そんなこともそうだけどバランタイン30年を飲む会を企画しなくっちゃ。。

来年の旅は、タクラマカン周辺の予想。

 

きょうの一枚

タクラマカン砂漠のど真ん中。
塔中にあったガソリンスタンドで。
オジサンたちコーフン!!
雛にも稀な美少女。沙漠のど真ん中のないのもないところなのに・・・


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「そうそう、No-GPS Dayの顛末記」- 2014/09/25 (木) – OV

「そうそう、No-GPS Dayの顛末記」- 2014/09/25 (木) – OV

ラリーモンゴリア2014。。。20年目のモンゴルで、ボクはさまざまな腹案を採用してもらった。もらった?ってあなた、あなたの好きなようにしてるんじゃない!
と言われそうだが主催者側の総意でなければならない。。。と思ってる。
まあその初めて取り組んだいくつかのことを報告しておくのを忘れていた。

まずはマラソンエタップ。言葉がいつの間にかイメージを形成してきてるので、なにをすることかの説明は手短にする。

これは二つのエタップをまるで一つのエタップのような概念で実施するもので、
500km+500km=1000km・・・最初の500kmを走ってゴールした瞬間に、まるでネズミ取りで捕まった人のように「はい、こっちこっち」というあんばいに、おまわりさんのじゃなかったオフィシャルのコントロールエリアに入り、「すぐ人間だけでなさい」と、マップホルダーにさえ触れないというもの。

むろんメカニックたちはビバークにやって来れない。整備することがチェック・カードの無い時間帯には出来ないのだ。今考えればどこでどーしてたんだろ。。でも安静な夜が、彼らにも訪れたことでしょう。。

選手たちはというと、整備も時間を削りながらオンコース上でしなければならない。つまり微細なトラブルも起こさないように走る。

オフィシャルは必然的に「心を鬼に」しなければならないし、オンコース上の不正なアシスタンス(つまり隠れサポート)に目を光らせなければならないのだ。
これまではビバークに到着すれば何とかなったことの多くが「なんともならないことに」なってしまうというわけ。

2日間のステージが終わりほっとした翌日には、全くGPSポイントが発表されない日がやってきた。これがNo-GPS Dayというわけ。。

選手たちは緊張したが、同じように運営側も緊張していた。

いつのまにかGPSはラリーの三種の神器になっている。GPSの功罪はよく語られる。
GPS走行なる単語も出来上がっている。

さあGPSポイントが完全に秘匿されればどのようなことが起きるか。。
起きるんです。CP不通過。ゴールしてないのにビバークには帰ってるとかね。
でもとにかく行方不明対応にハラハラしたのは大会本部だったということ。悠々で帰って来た参加者にはまあ好評。。
でもまあここだけの話だけど、捜索も考えた150km四方の(って四国より広いか
も)エリアの中で行っていたのだ。
結論!GPSがなければゴールできない人の割合、5%・・・これをどう見るか??

次は全参加者にデータロガーを。。なんて考えてます。
さあて、ガジェットとの闘いは終わらないかもしれません。


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2014/09/22 (月)「メンタリティ」- OV

昔の話ばかりで恐縮だが、パリ・ダカールは恐ろしかった。
スタート時にリラックスできるようになったのは、もうずっと後になってからだ。

なにが恐ろしかったのかと考えると、自身の身体的な問題などではなかった。非常に恐ろしかったのは、この競技への参加の継続性の断裂、とでもいえばいいだろうか?

リタイアよりも怖いのは、自身がこの競技への参加意欲を損なうことだろうと考えた。しかし加えて、周囲が「もうやめとけ!」と言わない環境の確保だ。金銭的な問題が、それに輪をかけて心を苛む。

その対応策としては「目標」を明確に立てて、かつ公言する事に尽きる。

公言した目標は、絶対に達成するための道筋を描き、それも公表してその進捗さえも発表する必要があった。

なぜなら我々の挑戦は、個人のそれではなかったからだ。多くのスポンサーや支援者・友人らに支えられていたから。そして「言ったことはやる」という有言実行が、人生の価値を決定的にした。

つまり信頼を裏切れば、よほどのお金持ちでもない限り再度の挑戦の機会は乏しい、ということだ。

1年かけて準備するには、資金調達を含めて莫大なモチベーションを必要とされた。後年になって思うのは、あのエネルギーがあればどのようなことにでも挑戦することが出来たろう。という事を思う。 おそらく支援していただいた多くも、ボクタチの場合は結果よりもその莫大なモチベーションが生み出したエネルギーの放つ熱量に「しゃーないなあ」と同調していただいたのだろうと思う。

エネルギーは、なにをするにおいても重大で必要なものだ。人を包み、人を勇気づける。歩みをたゆまぬようにするのもそれだ。
つまるところ、エネルギーをゴールまで絶やさないことが良き人生だろうと思う。

新たな目標に、新たなエネルギー。
もうすぐSSER3DAYS、これも莫大なモチベーションとエネルギーの集合体だ。

メンタルを強くし、新たな次代のエネルギーはメンタルから生まれるのだと、そう再認識した今日の午後。。  

No.166 「おやじ対決の勝者の祝勝会」-菅原さんからの手紙 2014/09/19 13:01

letter_166_140919今夜はラリーレイドモンゴルのジムニークラスの優勝者である尾上さんの祝勝会がありました。

場所は厚木の近くの七沢温泉で、ここを使っての祝勝会は今年で5年目になります。

毎年、負けた人がご招待する事になっているので、今年は負けた私が主催するハメになった訳です。

私の真ん前に座った尾上さんの嬉しそうなお顔をお見せできないのが残念です。

主催者の山田さんやスポンサーの松野さんや皆様が遠くから駆け付けてくれてこんな素晴らしい会は他には無いと思います。

そうそう、先日、ソーラーカーの世界最高速度記録を作り、ギネスにも認定された、篠塚 健次郎さんも来てくれました。

私の愛車のダイハツアトレーで弊社から温泉まで、篠塚さんと山田さんと乗り、世界記録を作った思いや、経緯を聞いてるうちに、アット言う間に温泉に着いてしまいました。

この旅館はとても古くで一人一人御膳で料理が出るのですが、雰囲気があり私の大好きな旅館です。

蟹工船を書いた小林多喜二さんを昔、かくまっており、この旅館を出て築地に用足しに行って、特高警察に捕まり、撲殺されました。

彼が隠れていた部屋も今は改装されて、公開されているので、興味のある方は行かれたら良いと思います。旅館名は福元館と言います。

私が狙っていた小樽商大を出た人ですよ。

APIOの社長に聞いたら昨年買ったジムニーをおしやかにしたのでまた新車を注文したら2年連続ジムニーを買った人は私だけだそうです。

来年こそは尾上さんをギャフンと言わせる予定ですが、中々手ごわいので注意が必要です。

尾上さんへ 今年は完敗です。貴方は凄い。でも悔しい。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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「レギュレーション考。その2」- 2014/09/02 (火)

「レギュレーション考。その2」

ほんとうは、どのくらいの厳しさが良いのか。
これはボクの長きにわたるテーマだ。

「厳しい」を構成する要素は、ルートや天候にありそうだが、
やっぱりその多くはレギュレーションにある。
それはそうだ。

はるか昔、まだGPSの無い時代。
携帯電話も、もちろんない。
コンパスとか六分儀とかで、砂漠を越えていた時代のことだ。
つまり、まだまだ地球上のどこからでもどこにでも連絡がつくなんていうのは
夢のような時代のことだ。
ひとたび世界へ旅立てば、どこでどうしてるのかなんて、
心配してもしょうがない時代だった。

そんな背景も手伝ってか1979年に産声を上げたパリ-ダカールは、人々を熱狂させた。
80年代。国際社会は束の間の安定期を過ごしていた。
それは通信手段などが未発達だったということも挙げられる。
メッセージを発することが困難だから、内面的に向かうか本でも書くしかないが、
その本も宣伝仕様もなかった。

だから、男たちは(いや女性もだが)心の奥にある未知なるものへの探求と、
自己の持つ潜在的能力を確かめたいと心に小さな火を灯もした。
ボクもそうだったから、良くわかる。

アルジェリアからニジェールに。ホッガー山脈やタマンラセット、アガデスそしてテネレ沙漠やビルマ灯台やらと、いちいちその固有名詞にさえ心が震えた時代があった。モーリタニアなんて聞くと、今ではスーパーでもモーリタニア産のタコなんて書いてあるから・・・なのだが、確実にめまいがした。モーリタニアかあ。。。

いま、そんな強い憧れが地球上に残っているだろうか。
地名を聞いただけで、身震いするようなそんな冒険の大地のことだ。

そのラリーでは、リタイヤしたら、もしくは翌朝のスタートの30分前にゴールしていなければ失格になるのだ。つまり失格になったら、ラリーから完全に除外される。近づくことさえ許されなかった。もちろんビバークに入ることも許されない。水ももらえなければ食事ももらえない。
なんて理不尽だ。エントリー費を払ってるのに。
そう考えた。

しかし、こうも考えた。
リタイアは敗北であり、主催者から屈辱的な扱いを受けたからと言って、それはレギュレーションの定めであり、そうなるのが嫌ならリタイアや失格にならないようにしなければならない。
そういうことだ。

退場を命じられたサッカー選手が、駄々をこねてフィールドに残っててはいけないのだ。
だからあの時代は、完走は勝利だ。とされていたのだろうと思う。

時代は変わる。小学校ではかけっこに順位を付けてはいけないという。
敗者が居てはならないのだそうな。

今日リタイアしても良いですよ。明日はまた走れますよ。
本当にそれでよいのだろうか?
そうしたら完走するということには意味はないのではないか?

レギュレーションの運用を、書いてある通りにしたら烈火のごとく抗議が来る。
イエローカード2枚で退場させたら、怒鳴り込まれる。
それと戦わなければならない。
闘わないのは簡単だし、とても楽だ。

悩みは続くが、ボクの心は決まっている。
レギュレーションは、厳しくなるばかりではいけないが、緩くなることはもうな
いかもしれない。


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2014/08/27 (水)「レギュレーション考察」- OV

今年のモンゴルのラリーが終わった。
さまざまな思いがよぎる。
そりゃあ、そうだ20年も(それまでは地の果てだと思ってた)モンゴルに通いに通ったのだ。 記憶を辿りながら
「何回、来たのかなあ。」
調べてみた。
どうも63か64回だ。

すごい。

SSER3DAYSは、30回大会。
1回大会の直前の試走中に日航機の事故があったなあ。
帰り道の食堂で、何人もの仲間と見て驚いたものだ。
それにしてもよく続いたものだ。
あまり変化のないレギュレーションと、変化のない環境で開催を続けてきた。

そう、レギュレーション。

そうそう、ボクはレギュレーションを振りかざして「ペナルティだ」「失格だ!」
と騒いでるという印象を持たれてるのだそうだ。

実は、そうだ。
特に今年のモンゴルは、その戦いに憑かれていた。
しかし、それは守らなければならない約束事だし、まあいいやってしてしまうならレギュレーションなんていらない。
ラリーモンゴリア2014、ある朝のブリーフィング
ボクはこう言い放った。

「わたしはこの競技をスポーツにしたいのだ。純粋なスポーツマンシップが闘いあう、スポーツにしたいんだ。早ければいい、なにをやっても良い、分からなければ良いなんて思う者は、ここに居てはならない。暴走大会にはしたくないのだ。」
と朝から、どうしたものかヒートしまくってた。

排除しても排除してもウンカのごとく現れる隠れサポート。未登録のメカニック。
ゴール地点を隠すということをしても、いつの間にかやってくる。
「何やってるんだ?」と聞くと
「通りがかりだ。見てるだけで何が悪い?」
「昨日も通りがかりか?」
「うるさい!」
こんなことを、誰にでもやらせるわけにはいかないが、競技者を失格にするとレギュレーションには書いている。
その対象者を失格にしないなら、すでにそのレギュレーションは存在しないものになる。

しかしこのレギュレーションというものは
なにも参加者にのみ突きつけられた課題ではない。

時に主催者はそれに苦しめられる。
つまりレギュレーションとは両者に課せられた、重たい約束事だ。

だってそうだろう?
レギュレーションには〇月〇日〇時に、どこそこで受け付け車検をする!と書いたら、なにがあっても、そうしないといけない。
「忘れてた」とか「都合で・・」とかってわけにはいかない。
ここには給油が用意してあると書けば、どんなに苦労しても砂漠を渡って数千キロリットルのガソリンや軽油を運ばないといけない。

そんな約束事は、参加者よりも実は主催者のほうが多い。それも守るのが厳しい約束事の多くは主催者側にある。
レギュレーションというバレーボールのネットのようなもので対峙してる2チームの片方が主宰者で、もう片方が参加者かも知れないと思うときもある。

レギュレーションは主催者の都合で作られている!?
そんなことはない。
とにかく多角的に検討を重ねて、競技としての存立性と安全性とを、付け加えれば「楽しさ」を加味して、吟味して練って練って、そして不要な字句をそぎ落として作ってる。

さて。
つづきはまた。  

 


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2014/08/25 (月)「モンゴルより帰還。」- OV

旅立てば帰る日も来るもので、まだ夏の盛りに向かう前の日本を飛び立ち快適な気温のウランバートルでラリーの準備をしていました。これまでは困難だった輸送も税関の問題は、カルネやおそらく日本モンゴル間のEPAの連携などの話が進んでいるからか、全く問題なく、あっけないほどにスムース!帰り便も今日の時点ですでにウランバートルを出発してるようで、過去最速の帰国便が実現するかもです。いや、かもです、あくまで。

こうして毎年毎年事情が変化するというのは、国際政治がごく普通に影響しているのです。普通に日本で暮らしているだけならわかりにくいのですが、この20年間の北東アジア情勢は、特に複雑怪奇で単なるラリーのオーガナイザーなどよるすべのない頼りない存在だったことでしょうね。しかし時代の変遷を油断できないものになってしまったとだけ見るのもつまらないではないか。

変化に乗るか?忌避するか?いわゆる 「のるかそるか」の判断は、それぞれに委ねられます。

変化を困難とみるか?変化を迎え入れるかで人のありようも様変わりします。
なににしても、変化の多い現代で21年目を迎えるラリーモンゴリアを、どのように組み立てていくか?またまた長考に入らざるを得ません。

まるでテネレ沙漠のようなハイスピードピスト、そうあの当時そこはテネレハイウェイと呼ばれていました。

そして20年も前にゴビのハイスピードをバイクで走った時に、そのテネレの思いが鮮明に。で、その時思わず「ゴビ、ハイウェイ?」と言った言葉が今日まで生きているというわけです。

いずれにしても間もなく早い冬が、草原を閉ざしてしまうことでしょう。
そしてまたまた新しい課題に向き合おうと考えています。  


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2014/08/07 (木)「”♪闇をぬけ、朝日に向え♪、おれの相棒アイアンホース!”はもう聞かれない。」- OV

1985年から続く名曲「SSER!」キック一発で♪・・・

この曲はどれほど、長い時間をライダーたちに親しまれたろう。スタートの電子音のカウントダウンとともにかかるこの曲のイントロ。

ブリーフィングなどのスケジュールが始まる前に流れる、フルコーラス。

「今年も会えたねあなたの笑顔・・・」

80年代のテイストというか空気に包まれた優しさ。

ということで、SSERの原点ともいえる久万高原でのShikoku Super Enduro Rallyが最終回を迎える。

もう、あの曲は聞かれない!のなら、大会の前夜祭ではなく途中夜祭・・・

つまり1ステが終わった夜にやりますか!?

そういえば霧島4000の閉会式でも、聞けましたねえ。。

シミジミ・・・・

この秋で、ひとつの時代が終わります。

毎回、収容人員と集計と渋滞とで悩みに悩んでた80年代末から90年代初頭。。。

パリダカと、TBIとSSERで1年間は瞬く間に過ぎて行った日々。

そして、モンゴル。途中では肥大化に伴いグループNやスーパーNと呼ぶ大会も開催していました。

そして、迎えた30年。

本当に長い間、皆さんに支えられ親しまれ、また地域の方々にも深いご理解を頂き開催を重ねてきました。

この秋は、久しぶりのその曲をおなかいっぱい聞く事にしますね。


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2014/08/07 (木)「”♪闇をぬけ、朝日に向え♪、おれの相棒アイアンホース!”はもう聞かれない。」- OV

1985年から続く名曲「SSER!」キック一発で♪・・・ この曲はどれほど、長い時間をライダーたちに親しまれたろう。スタートの電子音のカウントダウンとともにかかるこの曲のイントロ。 ブリーフィングなどのスケジュールが始まる前に流れる、フルコーラス。 「今年も会えたねあなたの笑顔・・・」 80年代のテイストというか空気に包まれた優しさ。 ということで、SSERの原点ともいえる久万高原でのShikoku Super Enduro Rallyが最終回を迎える。 もう、あの曲は聞かれない!のなら、大会の前夜祭ではなく途中夜祭・・・ つまり1ステが終わった夜にやりますか!? そういえば霧島4000の閉会式でも、聞けましたねえ。。 シミジミ・・・・ この秋で、ひとつの時代が終わります。 毎回、収容人員と集計と渋滞とで悩みに悩んでた80年代末から90年代初頭。。。 パリダカと、TBIとSSERで1年間は瞬く間に過ぎて行った日々。 そして、モンゴル。途中では肥大化に伴いグループNやスーパーNと呼ぶ大会も開催していました。 そして、迎えた30年。 本当に長い間、皆さんに支えられ親しまれ、また地域の方々にも深いご理解を頂き開催を重ねてきました。 この秋は、久しぶりのその曲をおなかいっぱい聞く事にしますね。 [3DAYS CLASSICS HP]   ov20140807_01

No.165 「コイルオーバーショックアブソーの採用」-菅原さんからの手紙 2014/08/04 22:21

letter_165_20140804_01新しいレンジャーのバネの方式をマルチ式からテーパーリーフ方式に変更しました。前の「菅原からの手紙」にも書いたのですが、どちらもメリットとデメリットがあり、難しい選択なのですが、トラック用にもコイルオーバーのショックアブソーバーを作ってくれるメーカーが出来たりして、細かいチューニングが出来るので、軽量なテーパーリーフ方式を採用し、表記のショックを採用した訳です。

車輪の動きを敏感に感じるようにホーシング側の取り付けも外側一杯に取り付け位置も変更しております。

車両は現在、ウランバートルに到着しており、日野さんの開発担当の方が5名、明日(8/4)から現地に行き、最終チェックをする予定です。

次回のダカールを見据えての参加なので、日野さんの研究所からおひとりラリー中、帯同します。

私も明日(8/4)から出発します。レンジャーとジムニーの活躍にご期待ください。

写真1 で分かるように斜めにショックアブソーバーが取り付けられております。白く塗られたフレームの下側にはトレーリングアームの取り付けが見えてます。その上に見えてるのはフロントスプリングの前側の部分です。
写真2 2本並んで付けられているショックアブソーバーです。右上のは運転席のスプリングとショックです。
写真3 日野さんのテストコースでのテスト風景です。
写真4 ラリーレイドモンゴルのゼッケンを付けてのテストです。

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著者紹介 菅原義正氏

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「ノモンハン75周年、ラリー20周年」- 2014/07/28(月) – OV

ラリーモンゴリア2014のエントリーリストが発表になりました。
実は、過去最高の参加者数であり参加台数なのです。
少し、身の引き締まる(まったくその実は引き締まってはいませんが・・・)思いです。
本当に大きく成長したものだと深い感慨に浸っていたのですが、大問題がッ!
実はノモンハン75周年。さまざまなイベントが用意されているようです。
日本モンゴル間で共同研究されたシンポジウムや式典などもほぼラリーのスタートと時を同じくします。それは良いのですが、軍のヘリもみんなノモンハンに行く!ンダソーデ、、コマッてるんです。

飛行機も全てのものが混みあうようですよ。

さて、ノモンハン。現地ではハルハ川大戦争とよび、20年ばかり前まではウランバートルのエンフタイワン(平和)通り、スフバートル広場前の通りです。そこには当時の写真が飾られ、対日戦争勝利はまさについ最近のことのように伝えられていました。

いずれにしても、戦後の日本は奇跡の成長を遂げつつも何か欠落した部分を併せ持ってきたように思います。
日本国内の北東アジアのイメージは、正しいとは思えないんですが、伝える側にも誤謬が多かったのではとも思います。

世界が平和で、安全でやがて国境などの無い時代が21世紀中には来ると思っていたのですが。

きょうの一枚
今年はさらに速くなったHINOレンジャー。。。タノシミは募るばかりです。


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「北海道、最高でした。」- 2014/07/23 (水)

このところお天気の女神に愛されてるSSER。この北海道4デイズもところどころに降った夕立のような雨のおかげで、青空や山を巻くような霧の動きなどまで演出されたようで、まことに最高のロケーションの中をラリーは無事に進んでいきました。

オホーツクの海沿いのダートは、かなり砂が深く右手には汽水湖があって、シジミやホタテ漁の漁具がことさら最果ての地の感を演出していました。まだ知らない北海道と、もうすっかり知ってるけど天気によって姿をかえるそれのいずれもが素晴らしく心にしみる風景ばかりでした。

北の海岸線は辺境の地です。不確定な国境がそこにあり、先に読んだ浅田次郎「終わらざる夏」の舞台となる占守島は、この島伝いに行けばカムチャッカ半島の少し手前にあるんだなあ、としみじみ。ちなみにグーグルアースでこの島を見てみてください。千島列島には珍しい草原の島で、いたるところに旧日本軍の戦車の姿が草生しつつも妙にくっきりと見ることが出来ます。

彼等守備隊の物語はぜひ読んでほしい1冊です。

ボクの知り合いの女性は、音楽家なんですがさらに先のアリューシャン列島の中ほどのウナリスクという島にご主人と子供たちと住んでいます。ときどきアップされる写真には度肝を抜かれるほどの、大自然の真っただ中に暮らす凄さが伝わります。そこで音楽を作るという活動をしているんですね。

さてハルキさんのいう「北の島」。。英雄たちの歴史や、不幸な歴史、遥か先人たちの息吹を感じながら、濃密な自然と対峙する人間の営みの豊穣さを感じずにはいられません。

北海道4デイズ、それは単にラリーと呼ぶより、日本人には深く、感じいって息をひそめたくなるような、そんな歴史を垣間見る「旅」なのだということでしょうか。


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「北海道4デイズと故齋木校長」- 2014/07/14(月)

間もなく北海道に向けてSSERのコンボイがスタートする。
機材をいっぱい詰め込んで。
この北海道4デイズが8回目になったのだが、その3年ばかり前はツールドニッポンとして、芦別をスタートして宗谷岬から大隅半島までとかそう言ったスケールのラリーを開催していた。

だからSSERが本格的に北海道にお邪魔して10年の歳月を越えちゃったのだ。

その原動力は、当時のA-TECの校長だった故齋木達雄氏だ。彼は自身もモンゴルのラリーに参加するなど、ラリーが大好きだった。またその学校には1周800mのオーバルのサーキットがある。
学生たちをそうしたモータースポーツイベントに触れさせて、クルマの本当の楽しみ方、付き合い方を学ばせたかったのだ。
いや実はそんなことよりも、学生たちにもっともっと魅力的な大人たちに触れさせたいと思っていたのだろうと思う。

北海道4デイズはもちろん、はるばるTBIまでも学生を連れてスタッフとしての応援に駆け付けてくれた。
学生はスタッフと車に乗り込んで、しばらくの日数の寝食を共にしていく。
誰に指示をされなくとも役割をこなすシステムがSSERには存在するので、役割と規律というのはおのずと身につくはずなのだ。リスクのあるところに規律がある。

北海道4デイズの開催に置いても困難は少なくなかった。そんな複雑でデリケートな問題の解決には、常に先頭に立っていただいた。
そして、今年からラリープレートにもその名前を刻むこととした。

齋木校長を喪ってからは、わけあってA-TECとは関係が無くなってしまったが、それでも芦別には先生の思いが残っていて、今年もまたその地に行けることが歓びだ。
ボクは本当に故斎木校長には心より感謝している。
不思議なことにときおりブルーのウイザードを見かけるし、
その都度、ドライバーの顔を凝視する。
昨年のTBI中に県道脇の小高い広場に停まっているのを見かけて、思わず近寄ってみたものだ。いつも最後尾から温泉を覗いては「おーい、早く行けよ!」と、まるで学校の先生のように、あっそうだけど、声を掛けていた姿は忘れられない。

さあ、あれから3年か。今年も北海道でお目にかかりましょう。。
さあ出発!!

 


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「モンゴル!モンゴル!モンゴル!」- 2014/07/10(木) – OV

モンゴルのコマ地図も入稿を終えて、ボク的にはいまが数少ないホッとしてる時期なんだけど、周りの人たちは大忙しそうで。。。DC-3の出力機は延々と稼働をしてるし、バイトの女の子は、これまた延々と作業をしてる。

「忙しい?」

と聞くと、みんなが呆れたような顔をしてボクを見るんです。
まるで「お前が忙しくさせてるんじゃ!」
とでも言いたげです。
じゃあボクは何をしてるか?というと、まあ読書中なわけです。
なぜかドラッカーの古い本を出してきては、読み耽っています。

そう、企業は「利益」の追及が最終目標であってはならない!と言うあたりを詳しく読み直しては自らの来しかたを、改めて問うているのです。

たしかに21世紀になるや否やのころに出版されたドラッカーの本は、出版直ぐに買に行っても第10刷とかで「へええ・・」なほど日本中で読まれたとです。

企業は利益の追及が最終目標であってはならないはずなんですが、なんのことはない、そんな話をしたら「バカか?」と、言われるようになってしまった昨今。
いまドラッカーの予言はどうなったかを、ひとりで検証しひとりで突っ込んでるわけです。

「自己実現」とか「企業の寿命は、いまや労働者の寿命よりも短い」だとか、良く使われる台詞回しの多くはドラッカーに源を発するものが多く、やっぱみんな読んだんだね。と感慨にふける日々でした。

ボクはモンゴルのラリーを続ける理由をドラッカーに聞きたくて、あの頃手にしたわけですが、彼のおかげで続いていたのかもしれません。
組織は存在理由を最大化すること。だったかな。

 

きょうの一枚
試走のメンバー、、腰の痛そうな厚主君、ムッホ、カミオンバレイを今年から担当する石原孝仁、なかなかのチームワークで困難な仕事をこなしましたよ、

 


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「草原からの使者」- 2014/07/07 (月) – OV

なぜだか試走に持っていく本の中に浅田次郎「草原からの使者」というのが混ざっていた。
浅田次郎は、「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」「中元の虹」と「終わらざる夏」を読んだ。清朝末期の動乱が面白く興味深い。これを読んでなければNスペの「故宮」に彼が登場してくる意味が分からない人が多いかもしれない。

ともかく、間違いなく面白かった。
「終わらざる夏」は終戦に向かう千島列島の最北端に残された帝国陸軍の最精鋭部隊の姿を、さまざまな問題を通して描いたこれまた大作だ。

だから「草原からの。。」は短編集。ボクは試走中の本は軽妙なものではなくてガッツリ系(普段読めないような)のがいいなあとガルシア・マルケスなどを携えていたというのに。以前はカフカやカミュなんかを読んでたから、余計にややこしく(ルートがね)なってたんだ、

昭和48年。ボクは18歳。その年の日本ダービーで歴史的な大番狂わせがあったのは知っている。全く競馬などに興味がなくても当時はハイセイコーの名前を知らないものはいなかった。松田聖子と掛けているのかと思ってた人も多いだろう。
ボクもそうだもの。
1973年5月27日。東京競馬場が揺れた。のだそうだ。
(ボクは競馬に全く無知であるからしてこのあとの間違いは許して)

勝負ごとに絶対はない!という言葉がこのあとのニュースで語られていたが、圧倒的一番人気のハイセイコーが、9番とか12番人気の馬に敗れるというだけの事だ。だからまあ日本がW杯で優勝する!ということだってあるだろうと日本人は思ったのだし。

この「草原からの使者」という短編集に収められた1篇としての「草原からの使者」を読んでみると良い。ボクはそれを偶然モンゴルで読んだ。

モンゴルから来た、ひとりの老人がその朝の出走前の馬の姿を見て、(9番人気の)馬を指をさして「ネグ」、そして(12番人気)の馬を指して「ホイル」と呼んだ。
いわゆるモンゴル語での1-2のことだ。

主人公は、それを買って億の馬券を当てたという話だが。モンゴルの草原のテントの中でそれを読んだぼくは飛び上がりそうになるくらい驚いた。いましがたまで、遊牧民の老人がテントにやって来て長い時間ムッホと話し込んでたからだ。

ムッホに
「なんの話してた?」
と聞くと
「別に、馬の話かな。。」
なんて言ってた。数千年も馬と暮らしてきた遊牧民には、おそらく馬に対する思いは違うんだろうなあ、なんてシュラフに潜り込んで読み始めたからだった。

それではモンゴルの草原で。
その前に北海道があったね。

きょうの一枚
1973年といえばBMW R90Sが発売されて話題を呼んだ。。後年これを手に入れてしばらく乗っていたころがあるなあ。

 


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「バイクの旅を考えた」- OV – 2014/07/01 (火)

仙波君が久しぶりにうちのHPのコラム(あざーす、仙波です。)を更新した。
いつも彼の発言には、言い切れていない、表現しきれてない、つまり至らないけど伝わる何かがあるのがボクをくすぐる。
言いようを変えるとモノの見方考え方とその表現のストレートさかなあ。
時には(いつもだけど)稚拙と思える言いたい事へのアプローチも新鮮だし。

まあそれにしても、数日前に一緒に飲みに行ったのが効果があったのか?
特有の相変わらずのナルシズムと、面妖だが面白い思考回路は健在のままというか磨きがかけられ、不思議ちゃん度はいや増すばかりだ。

さらに言えばバイクに乗ることについて、妙にバイク屋らしからぬ素人くさいモチベーションを語る。周囲は「熱い」とかって片づけているけど、いまに彼のような男の存在は、見直されてくるだろうと思う。
まあそれがHPにコラムを依頼して、辛抱強く次作を待つということなのだけど。

で、ボクも対抗して書こうと思う。。

ボクの場合はバイクは常に旅の道具と定義している。ボクとはSSERと読み替えてもらっいても良い。おりしも今、ちょうどサハリンを巡るラリーという形式の旅が行われている最中だ。それまでコマ地図などを知らなかった者も、目的地やその行程の面白さや新鮮さに惹かれて旅に出たのだろうと思う。

まだ見ぬ土地を目指す。
それは紛れもなくDNAに組み込まれた、人類の共通する行動形態だと思う。
ネット上に居れば、世界のどことでもつながりグーグルアースを覗けば世界のどんな街の津々浦々まで訪れることができる。

誰かが言った
「グーグルアースで現地に行かなくてもコマ地図が作れますよね。」
「・・・」
ボクは、コマ地図を作りに行ってるのではないんだ。と言いたかったけど、まあ厳密に言えばコマ地図を作りに行ってるんだから仕方がない。でも、そこの空気や草の香りや、恐ろしいほど魅惑的な夕陽や、地元の遊牧の民との出会いや、そんな単純にコマ地図ではわからない歴々たる世界を感じに行くのだ。
それを一コマ一コマに封じ込めていく。
そこに行けば、それがわかる。
そこに行けばコマ地図を書いた、その時のボクの情念が分かる。

ボクはコマ地図を、まるでマルコポーロの東方見聞録を書くような気分で書いているのだ。

仙波君。旅とはそうした情念の発露であり、その行きつく先の道筋のようなものだよ。

きょうの一枚
こいつは旅の道具にはなるまいなあ。MVアグスタ。3気筒で178kg 。。。。。

 


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No.164「トレーリングアームを新採用」- 菅原さんからの手紙 2014/06/30 18:30

letter_164_20140630_1830_01今年のラリーからスプリングをマルチ式からテーパーロング式に変更しました。2台共、リアーだけに採用したのですが、私の乗った1号車はA09Cと言う、約1リッターも大きいエンジンを採用しましたので、馬力がすごくなり、ミッションや副変速機やプロペラシャフトなど動力を伝える部分を強くするために、結局、重い部品になってしまい、全体的には重量増になってしまいました。

我々は車に積むトイレットペーパーの中芯を抜いている位グラム単位で軽量化をしているので、とても辛い選択なのです。

1号車は車重が重すぎたので、現地で予備に持って行ったマルチ式に変更したのですが、このスピリングは硬すぎで下から2枚目の板バネを現場で抜いてもらう、離れ業をやってもらいました。

そんな経緯もあったので、次回は前後共、テーパーロングを前後に採用して、ホーシングの位置をしっかりと固定する為に、トレーリングアームを付けました。

このあたりの話は難しくなるので、日野自動車さんのホームページに入り、ダカールをクリックしてニュースを開けて見て頂くと、分かりやすく解説されてます。

写真1は6月10日に写しました。

写真2はリアーの左側から写した写真です。スプリングの側にトレーリングアームが写ってます。

写真3は6月25日に写しました。フロントの左側からの写真です。2本のショックの左の棒状の物はストークセンサーで絶えず動きを記録しております。右奥のスプリングは運転席のサスペンションです。

写真4はもう少しで完成します。日野さんのテストコースを走ってからモンゴルに運び込まれます。

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

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No.163「158話の続きです」- 菅原さんからの手紙 2014/06/24 15:57

letter_163_20140624_1557_01帰国して、早速、会社にジャン・ピエール・ジュッソーさんのコーナーを作りました。額に入った絵は、彼が60才の誕生日(1997年)の日の様子です。

1997年の夏に照とルマンの家におりましたら、ジュッソーさんの息子さんからお父さんの誕生祝いを彼に内緒でするから、ぜひ出席して欲しいとの連絡が入りました。

内容は、ルマンの自動車博物館に飾ってある、1978年に優勝したルノー・アルピーヌ(前回はアルバインと書き間違い)と昔、乗ったF-3などをサーキットに運び出し、彼に走ってもらおうと言う企画でした。私は予定されていた日には帰国しなければならなかったので代わりに照に出席してもらいました。ちゃんと走れる状態にするのは大変な事ですね。

コーナーの左側に写っているのは1980年に優勝した車両で、ロンドーM379のモデルと絵葉書です。私のナビをやってくれていた尚子さんがフランスから送ってくれました。この車はジャン・ロンドーさんがデザインして造り、彼とジュッソーさんがドライブして優勝したんです。自分の名前を付け、自分も運転して優勝したのはこのロンドー車だけですよ。

先日頂いたメダルはこの時の物です。

もう一枚の写真は、絵の下に書いてくれたメッセージです。

追伸 昔、一人でエントリーして23時間目にシフトミス(バックに入れたようです)してリタイヤした人がおり、それから一人での参加は認められなくなったようです。

ロンドーさんは1985年の暮れに列車事故で39才で亡くなりました。

菅原 義正

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「祝 シルクロード世界文化遺産登録」- 2014/06/23 (月) – OV

どうも世界遺産というのはその実に反して、その言葉の響きが特に素晴らしい。人類共通の遺産でありその価値は全世界の人々が共有できることが出来る、とそんなふうに響く。

その実は、というといつも多くの問題をはらんでいるということだろうか?登録申請の是非についても、さまざまな意見があるし批判を重ねる人も居る。

まあそれはさておいてシルクロード、西安から中央アジアに至る天山回廊の道路群が、世界文化遺産に登録された。無類のシルクロードファンのボクタチは、ただただうれしく「おめでたい」からおめでたい?

この世界史にも例を見ないほどの、文化的遺産はこれまで真っ先にも登録されているべきものだ。でもまあ、いまからでも遅くない。新疆ウイグルに広がる世界的な遺産が、見直される機会になればそれは素晴らしいけど文化大革命で切り落とされた仏像の頭部が転がってたりもする。

もう何度この地に行ったんだろう。行くたびに、激しいデジャヴュに襲われ西安の碑林地区には「住んでいたような気がする」し、玄宗や楊貴妃の物語は教わらなくてもなぜか知っていたし。
玄奘三蔵の足跡は、もちろん一部だがオートバイで辿ってみもした。
もう少し関係が正常化したならば、まだ夢の途中の古いロプノールの川床を辿ってタマリスクの枝で骨を作ったテントで、とapioのコーノさんと夢を語り合った。

少年の日に抱いた夢を、どれだけ大切に確実に歩んできたかは、年老いたときにおそらく、その人の個人文化遺産となるだろうと思う。
シルクロードの夜、タクラマカン砂漠でうすいテントに潜り込んで見あげた星空は、いつまでも仲間内での酒の肴のままだ。

 


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No.162「関谷選手の手形」- 菅原さんからの手紙 2014/06/20 13:41

letter_162_20140620_1341_01ルマンの中心地にルマン24時間レースのモニュメントがあります。

広場の真ん中にはレースのモニュメントがあり、タイヤの外側にはコースを模した形がありました。レースの最大の直線はユノディールの直線と呼ばれているのですが、何年か前に2ケ所のシケインが作られており、その通りに出来てるので、上のモニュメントは新しい物です。(15年位は経ったかも)

このモニュメント(写真1)の裏側にはジャッキーイクスさんの手形(写真2)があり、勝った年数も入っており、彼の偉大さを表してます。

そのモニュメントを囲むように、今までの優勝車をドライブした選手の手形が路上にあります。(写真3)

関谷選手は1995年に優勝しており、日本人で初めての手形でしたが、2004年には荒選手が優勝しておりますが、見つけられませんでした。

ミスター・ルマンと言われている寺田選手は長いことエントリーしており、予選のタイムは免除になっており、必ず決勝に出られると聞いてます。彼に聞いたら今でもACO(オートモービルクラブウエスト、世界で一番古い自動車連盟のクラブでこのクラブが24時間レースを運営しております)の幹事をしているそうで、日本人の誇りですね。

24時間で約5000kmを走るので、単純に計算して平均時速208km/hにもなるんですね。

毎年、夏至の時期に行われるのには、深い訳があります。昔の自動車のヘッドランプはカーバイトと言うガスを燃やして点灯していたので、暗くなるのは夜の10時過ぎで4時には明るくなるからです。

以前、SSERのイベントに良く出ていた長谷見さんに(彼は実際に出場しております)、色々と聞いてみました。彼は独特の優しい語り口で「菅原さん、夜が一番スピードが乗るんだよ」と教えてくれました。

そういえば空気の密度は冷えると濃くなるので、納得です。今はスピードも半端ではないので、昔と同じ恐ろしさだと思いました。

私の場合ここの所、毎年4700M-4900Mのあたりを走っているので空気の密度に関しては敏感になっております。

何せナビさんが意識を失ってしまうからです。年寄は細胞が少ないので高山病になりにくいとナビは言ってます。

ルマンに行くときにはN48 0 324 E0 11 909をお忘れなく。

広場に行けますよ。

菅原 義正

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「草原とゴビハイウェイが奏でる交響詩」- 2014/06/20 (金) – OV

モンゴルの試走とは、なにかこうさまざまな要素を組み合わせ、不要なものをそぎ落とし組み上げていく交響詩を作曲しているのに似ている。またはそれが現代の冒険行にも通じているのかと思う。

日々の暮らしは、なんとも複雑なのに、自身の身を守るという観念は他人に委ねている。だからすぐに文句を言うし、それで済む。道路に穴でも開いてて落ちでもすれば、言っていく先はいくつもありそうだ。しかしここでは、それに気がつかないとか、察知できないのは敗北に近い。

そんな試走の旅オデッセイは都市生活の余分なものは何一ついらない。
最近では1か月かけなくなったけど、必要なものは少ない。

なにが必要かというと

なんとかゴールまで持ちそうなクルマとそのスペアタイヤ、あと少しのパーツと工具。テラトリップとそのスペアパーツ、最低限のキャンプ用具。(その辺りのオートキャンパーのほうが装備は遥かにボクタチをしのいでいる。)
そしてGPS2台と、コマ地図のベース用紙に、シャーペンと消しゴム。
これは絶対に譲れない。鉛筆と消しゴムだ。
そして、心の中でいつも占う。
このシャーペン、最後まで無くならずにずっとあった時は、良いルートが出来る!!・・・ちなみに今年は最後まで1本のペンで(途中シートの下に1日くらいはありましたが・・・)書き終えた。だからまあまあの良いルートが出来上がってるはずだ。

写真のように、左側のような手書きのルートブックがシャーペンと消しゴムで出来上がる。
1ETAPで1冊出来る。
それを書き写して清書したのが右の一群。
これはETAP3だから、ボクは少なくとも3日目までは書き終えてるというのが分かるね。
(清書は1日1エタップで進んでいて・・・)

そして叙事詩に憑かれたボクは、なんとコマ地図の上の段。本来なら出発地と目
的地を書くところに地名の表記を止めてしまった。

ちなみにこのETAP3にはなんて書いたかというと
「Gobi High Way Mirage Express」
陽炎を全速力で追っかけてた!という意味だ。(と思ってもらえればいい)
久しぶりに大平原に広がる陽炎と遊んだ。さらに次の日は、ゴビハイウェイももっと広がる。

緑なす草原と、これらのハイスピードのピストを行き来するのが今回のルートの特徴だ。

話は変わる。

試走をしながら、韻文のオデュッセイアを考えていた。
なかなか難しいけど、面白い。

昔は漢詩を考えていたなあ。
篠ちゃんと良く、試走中に漢詩を作ってた。

カミオンを見ていると、やっぱ漢詩よりは叙事詩が似合うなあ。
と考えて、コマ地図の紙にメモがしてあった。

遥か彼方から、土を逆巻き、もうもうたる煙を上げて押し寄せるチンギスハーンの大群をカミオンからイメージしたのか。

みはるかす 果てよりかかる 黒雲のごと 風を呼び いま襲い来る
雷鳴は とどろきわたれ 陽もかしぎ 天地(あめつち)叫び 闇に覆われよ
神々は 4つの輪を抱き 雲と陽と 草原におり 咆哮を巻く

このあたりから先は読めないけど。
試走中は、こうしてなんか考えるんだなあ。
旅が人に必要なのは、こうした考える機会を得るからなんだろうと思うだなあ。

可愛い子には旅をさせ、ではなく、自分が可愛ければ旅に出ろ。だなあ。

 


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「いよいよ週末はBBQ] – 2014/06/16 (月曜日)

間違えました。週末は松山船積み車検+BBQということのようです。
どうせなら神戸牛のBBQをしよう!と申し出はしてありますが・・・
ということで6月21日の夜はSSERの事務所で賑やかに。。。

「ラリーモンゴリア 20years Anniversaryについて」

ということで、ただいま試走されたルートの整理作業中です。
いくつか新しい試みが加わります。
少し非公式にご紹介。

※現時点では計画段階です。詳報は調整後公式通知に拠ります。

(1) ETAP7はNO-GPS ETAP・・・まったくGPSの座標が表示されません。ルートブックナビゲーションに集中してください。ルート図や地名も非公開です。

(2) ETAP5-6は完全マラソンステージ1000kmです。ビバークの手前80kmでSSはフィニッシュ、GPSの表示されないナビゲーションの困難なルートのリエゾンを持ち時間1時間で走行(全員がペナルティがつくものと思われますが・・・)ゴールフラッグ(コントロール)はそのままパルクフェルメです。ルートブックの巻き替え時間も与えられません。給油はSSフィニッシュ後に用意されているローリーで行いますが、これもリエゾンの時間に含まれます。(現時点では計画段階です詳報は調整後公式通知に拠ります。)翌日のパルクフェルメ解除時間は与えられたスタートタイムの10分前です。
この日はメカニックは来ることが出来ません。
エアメカのみ来れますが、作業をすることは出来ません。

(3) 翌日のGPSの座標の発表は、午後7時に大会本部掲示板に掲出されます。ルートブック上にはGPS座標は表示されません。ただし発表予定のGPS座標のコマは明示します。また地図は発表されませんし、地名を特定できる要素は発表されません。

と、いうような方向で実施案が検討されております。また上位スタート選手(6から10名)にはGPSデータロガーを取り付けビバークで回収します。

今回はゴビステージが50%、とてもハイスピード。
残る半分が一部には砂丘も存在しますが、美しい草原のステージ。

 

きょうの一枚
試走車のボクの作業場。ここに座り続けること約300時間。野口シート製の座布団を忘れて辛かった。あとマナチュラスプレーも忘れて。いつも車内に散布して静電気と埃を抑えていましたのに・・・

そして遠くからは「象の岩」かな?と思って、寄ってみたらピザハット岩。

 


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No.161「ルマンの自動車博物館、その2」- 菅原さんからの手紙 2014/06/05 22:46

この博物館はサルト県の県立の博物館で、館長とは20年以上の友人です。

受付で館長用に用意したお土産を渡したら、受付の女性が大きな声で「フランシス!!」と呼んだら裏側から出て来て「TON TON」と抱き付いてきました。

私のフランスでのあだ名はトントンなんです。

letter_161_20140605_2246_01何時もは何人かを連れて行っても、私の分の入場料は取らないのですが、今回は6ユーロ取られました。後で他の人に聞いたら、今は館長ではなく、アドバイザー的な役割だと聞いて納得しました。売店ではここでしか売ってないエルメスのネクタイを扱っていたのですが、今は売ってませんでした。ゴメンネ山田さん。

博物館は2つに分かれていて、最初に出来た蒸気機関の車から現代までと、24時間レースに出た、歴代の車が飾られており、日野さんがルノーと提携して作ったルノー4CVもレース部門に飾られております。

国産では、マツダが優勝したロータリーのプロトタイプやホンダのエンデューロ(ロード)で年間優勝したバイクがあります。このバイクに乗ったチャンピオンのライダー、ジャン・クロード・シュマラン氏は1991年の日野さんの2号車のドライバーになってもらいました。

写真の1と2は今回初めて見たド派手な車です。マーシャルのデモカーなんですね。ヘッドランプはラリーで許されているのは8灯まですよ。

写真3と4はマックイーンのコーナーもありました。

彼は映画を撮るのにルマンで走りましたが、実際のレースには出ておりません。

彼はセブリング12時間耐久レースでポルシェに乗って完走しており、その時の写真を、弊社で日本初のレースカレンダーを作った時の表紙に使いました。

写真を撮ってくれた人は、後でとんでもなく有名になる二村 保さんです。

マツダさんが総合優勝した年に、偶然、ルマンで観戦してましたよ。当時、パジェロに乗っていたので、三菱さんがお客様用に用意したピットの2階で24時間、食事や飲み物のサービスがフリーで綺麗なお姉さまのサービスが付いてました。

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No.160「ルマンの自動車博物館」- 菅原さんからの手紙 2014/06/04 17:37

letter_160_20140604_1737_01不思議な事があるものですね。写真1の小説「ル・マン自動車レース」と言う本は、写真2にあるように、私が23歳で学生の頃に買って読んだ本です。この歳に鈴鹿サーキットが出来ました。

写真3は筆者のグレゴワールさんで、写真4は1929年に彼が発明したフロントドライブ車で自らル・マンのレースで走っております。(彼の特許をシトロエンが買い現在に至ってます)

写真5は私が以前買った絵葉書で、本の内容はグレゴワールさんが作ったタービンエンジン車でルマン・24時間を戦うというお話です。文中にはアルゼンチン人のゴンザレスさんもフェラリーの4号車で出場してます。(彼の運転しているフェラリーは彼の為にアルゼンチンの国で買ってくれた車両です。本当の話)

写真6は現在も博物館に飾られているグレゴワールさんが作ったタービンエンジン車です。空力も良く考えて、流線的ですね。

30年程前に行った時には、自分が読んだ本との繋がりが分からなかったのですが、ルマンに工場を持つようになってから、繋がり自分でもびっくりです。

今のダカールはアルゼンチンをスタートするので、モータースポーツの勉強をしていたらゴンザレスさんも文中に出て来るので、更に驚きました。

写真の6は博物館で写した写真で7は説明パネルです。

追伸 翻訳者の桶谷 繁雄さんは私が初めてパリ・ダカに出た1983年の2月に亡くなりました。

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No.159「良友」- 菅原さんからの手紙 2014/05/29 15:34

letter_159_20140529_1534_01シャルルドゴール空港の近くに住む、良友のスミルビッチさんに会ってきました。彼の家を訪ねるのは20数年ぶりです。

彼とは古く、1985年に私が初めて4輪に転向し、夏木 陽介さんのナビで乗っており、車両は三菱パジェロで、スミルビッチさんもパジェロでフランスで有名なレイモンド・コパ(サッカーの選手)をナビにして出場しておりました。

ある夜、彼が砂漠のど真ん中で止まっておりました。彼の顔はヂーゼルオイルで真っ黒でした。訳を聞くとエンジンオイルが出てしまい、これ以上走れないと言うのです。「入れるオイルはあるのか?」と聞くと友達がジェリー缶(20L)で置いていってくれたとのこと。

原因を探るべく私はエンジンの下にもぐってみると、オイルプレッシャーを取る所に市販で売っているオイル温度を測るのやら、何やらで3段も重ねて使っており、振動でブロックに入っているネジが折れており、そこからオイルが流失してました。

時間がないので、彼にハンマーを出してもらい、木の柄を丸く切って、その木をその穴にハンマーでたたき込み、栓をして「あとは大丈夫だからオイルを入れて走って良いよ」と告げて別れました。栓をした木が熱で緩んで、またオイルが流失しないか心配でしたが、翌朝キャンプ地に居たのでホッとしました。

それから何日かして、慌てて「エンジンがかからない」と私の所に来たので、彼のハンマーでスターターを叩いたら、エンジンがかかり、彼はこのハンマーはマジックハンマーなので、次回から首に下げてくると言ってました。

まだまだ書ききれないほど、彼とは共通の話題があります。

これがラリーの良さですね。

写真1は2人のショット
写真2は菅原がダカールに挑戦したのは1983年だったのでと言いカーブで1983年のワインを出してくれ振る舞ってくれました。
写真3はリタイヤしたときの原因となったパーツを額に入れて飾ってました。
写真4は最初の年に出たときの絵がかざってありました。
写真5は私の玄関に飾ってある最初に4輪で出たときの絵で夏木陽介さんがかきました。

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No.158「22年ぶりの再会」- 菅原さんからの手紙 2014/05/23 18:58

letter_158_20140526_1534_01ノルマンディ上陸作戦で有名な町、カーンに住んでいるジャン・ピエール・ジュッソーさんに会って来ました。22年ぶりの再会になります。

彼は日野さんがパリ・タカール・ラリーに最初に出た年(1991年)と翌年の2年間、1号車のドライバーをしてくれた人です。

彼は1978年と1980年にルマン24時間で優勝しており、特に1978年に優勝した時は、「フランスが泣いた日」とも言われております。1975年と’76と’77の3年間はジャッキー・イクスが3連勝しており、写真3の時はイクス(ベルギー人)がポルシェ(ドイツ製)に乗って4連覇を狙っていたのをフランス人のジュッソーさんがフランス製のルノー・アルパインで勝ったのです。彼は表彰台の上で泣き出してしまい、それを見ていた観客が嬉しくて泣いていたそうです。もちろんTV放送もされておりました。

彼が泣いてる写真を雑誌で見た事があります。

そんな彼が別れ際に、私にくれたのが1980年に優勝した時のメダルです。 フランスの友人にこのメダルを見せたら、とんでもない贈り物で、オリンピックの金メダルよりも貴重なものですね!!と言ってくれました。

私、個人で持っていてももったいないので帰国したら会社で保存をしますので見に来て下さい。

菅原 義正

写真1はカーンのホテル前での記念撮影
写真2は1991年のパリ・トリポリ・ダカールでの記事
写真3は1978年に6番のイクスをインから抜いてます。
写真4はメダルの表
写真5はメダルの裏
写真6はメダルのサイドに刻印されている彼の名前と 1980.14-15 Juin (6月)


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「30年目のSSER、20年目のラリーモンゴリア」 – 2014/05/23(金) – OV

試走に行きます。
行くんだけど、ここのところ力が入り過ぎていて毎日がハードな旅の試走。

月曜日の直行便で成田を出て、夜はウランバートルに1泊するや、なんと翌朝から出かけちゃいます。
水やら食料やらキャンプ用具やらのすべては、驚くほど完璧にコンプリートされていて、予備の燃料も大量に積み込まれ、いざ出発。です。

思えば以前は、出発まで1か月近くかかってたものです。。。
この準備の良さは、もう20年も試走と本番を共にしているモンゴルスタッフのムッホが居ればこそです。

ウランバートルもモノが豊かになってきましたしね。それも助かってるんですけど・・
そういう意味では嬉しいような、どこか寂しいような、異邦人というのはわがままで困ります。

実は、お知らせがあります。
無理を言って今年からオフィシャルに加わっていただいた石原孝仁さんも試走に参加します。新しい意見がラリーに反映されていくことでしょう。

本番ではカミオンバレイをお願いしようと思っていて、同カミオンで本番のコースを完全にトレースしておきます。

石原さんはTVディレクター時代に、テレビ番組を制作しながら共にモンゴルの試走をしたことがありました。
その時の車両の数やメンバーの数と言ったら・・・ビバークはちょっとしたキャンプ村になってましたから。
そうそう、忘れもしません。その時の事です。オリアスタイの砂丘を抜ける風の通り道のようなルートも、いまではラリーの中継地として有名なゾーモットも、恐竜の谷も、すべてその年に見つけたものです。

本当にラクダの足跡しか無いようなプリミティヴな大地でしたが。。。

今年のルートプランをここで書くことは少しはばかられますが、やはりいくつかの思いがあります。早く帰ってその案内を書くのが今から楽しみです。

ルートは今年も厳しく困難な戦いになるでしょう。
ホテル泊じゃないとラリーが出来ない向きには、このラリーには全くおよびではありません。

現代のように多様化し、自由な選択肢の多い時代こそ、自らの魂の求めるモノを探して参加するべきだと思います。それが30年のSSERの、20年のモンゴルでの結論です。

 


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No.157「カーブ」- 菅原さんからの手紙 2014/05/21 17:05

letter_157_20140521_1705_01友人の誕生日のお祝いにツールの近くの小さな村に来ております。本人には完全に内緒でお祝いが始まりました。

ご主人は誕生日を迎える奥さんと私を車に乗せて自宅を出て、何処か遠くに行くふりをして走りだし、「そうだ、カーブ(ワイン蔵) に鍵をかけるのを忘れていた」と言い出しカーブに向かったら、友人のご夫妻が自分のカーブの前に二人だけで居て、「菅原も来ているので美味しいワインを一杯飲んでいかない」と言われカーブに入ったら、中にはテーブルがセットされ20人位の友人達がハッピバースディの歌を歌って迎えてくれました。

本人は嬉しくて泣いてました。フランス人の仕掛けはすごいですね。

ひと段落したら隠してあった車がいっぱい出てきて、その中には電気動力のスマートの新車も来てました。

この後もびっくりするお話があるのでね、お楽しみに。。。。。。。。。。

写真1は、パーティ会場のカーブの中にあったぶどうの絞り機です。

写真2は、ネジの部分のアッブで今の持ち主のおじいちゃんがノミでネジを作ったそうです。びっくりですね。

写真3は、3メーターもある丸棒でこの棒の先を差し込んで、二人から三人で回して、ブドウを絞ったそうです。

菅原義正


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「モンゴル試走の弁当について考える。」-2014/05/19 (月)-OV 

「モンゴル試走の弁当について考える。」

だんだん暑くなってきた日本列島!
「もっと、暑くなるが良い(料理の鉄人風に)」
ボクは、日本をエクソダス!(ボブ・マーレイ風に)
この調子で6月遅くまで、帰るや北海道、帰るや否やモンゴル、そしてラリーが終わってもまたすぐにモンゴル(ゴビマラソン)
このくらい暑い日本に居ない夏。。

カナダからやってくるローレンスさんたちは、なんと8月の東京見物をして、つまりしばらく東京に滞在してからモンゴルに行くんだそうで、まことに「怖いもの見たさ」ではあるまいかと思う。

そんな食欲のなくなる季節に、在ろうことかボクタチは湧き上がる食欲(マチガエナイデ)に悩まされる日々だ。
とにかく試走は腹が減る。
昔は昼飯は抜きだった。

数年前から弁当を作るようになった。
毎日19:00になるとピタッと試走をやめてテントを張って晩ごはんを作る。
ついでに翌朝の分と、お弁当の分も作る。
そしてお昼は12:00きっかりにクルマを止める。

素晴らしい風景の中で、毎日毎日お弁当を食べる。
これが実に幸せである。
お弁当に凝ってれば凝ってるほど、楽しみだ。

たとえば、なにを作ってるか?
モンゴルは小麦粉が旨いし塩が旨い。
小麦粉を水で溶いて焼くだけで旨いのだが、玉ねぎなどでかき揚げを作る。

熱いのが旨いが、弁当に入れて冷えてもまた美味い。
ツユを別に持っていて、お弁当のかき揚げにかけてかき揚げどんなどを作る。

まさかだれも、あの広大無辺なモンゴルの砂漠で
SSERの試走隊が、かき揚げどんのお昼ご飯なんて食べてるとは思うまい。。

では、行ってきます。
まだいるけど。


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No.156「パリに来ております」- 菅原さんからの手紙 2014/05/16 18:48

letter_156_20140516_1848_01124年前の6月10日に世界最初のレースがパリ、ボルドー往復の1200キロを制限時間100時間で行われたそうです。

座席は4座席以上で定員は乗ってなくてはいけなかったそうです。この時代に、蒸気、電気、ガソリンを原動力にした車両が出ていて、今後、どれが主流になるかわからない時代だったそうでよ。

ミシュラン兄弟が初めて空気いりのタイヤを履いていたそうです。

コースはベルサイユを出て、ゴールはポルト・マイヨーだったそうで最速タイムを出したのがパナール・エ・ルバッソール氏で記念にゴール地点のポルト・マイヨーに記念碑が建っているので、見てきました。

ドライバーの真剣な顔と、その偉業を讃える観衆の顔がリアルに表現されてました。残念なのはクランク棒が折られてました。

彼が作った車が数年後、日本に輸入され、日本人が初めて目にする車になるのも、不思議ですね。

今週末、ルマンではロードバイクの世界選手権が開かれるのでコースの近くのあちこちにテントが立てられ、観戦の準備をしており、あちこちからバイクに乗ったフアンが集まってきております。

モータースポーツの好きな国に居ると、心地良いですね。

参考文献は私が尊敬する高斎 正さんです。

アビアントー

菅原 義正


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「さあ、北海道。それにモンゴルの試走」- 2014/05/15 (木) – OV

歳のせいかもしれないけど、
ここのところ目が覚めたときに
「えっと、ここはどこだっけ・・」
としばらく考えることが増えた。

まあそのくらい旅から旅への旅カラス人生だという事か?
というわけで、霧島4000が終わったあとも出かけっぱなしのボクは
事務所の椅子を温める間もなく
モンゴルの試走に旅立つ。

思い返すに、20年前。
1994年はTBIが終わるやモンゴルにいた。送り出したコンテナはロシア経由で、
毎日毎日コンテナヤードに到着の確認に行った。
今のように、コンピューターで貨物の位置がわかるなんてことは無いし
ロシア経由の貨物の当時の不着率は保険屋にして
「ありえない」
のだそうで、保険も受け付けてもらえない。

やっとの思いで、1か月かかってコンテナから引き出したランクル70は、
すでに黒山の人だかり。どこに行っても、人だかりが出来た。
いま?
いまは「その汚いクルマ?」扱い。

まあそれから20年経った。
世のなかは確かに大きく変化した。

でも人の心は、さほど大きくは変わらない。
新しいもの、には慣れてしまえば、当たり前のものに過ぎない。
古くから続くもの、それこそが真実かもしれないと思う。
ウランバートルを一歩離れたモンゴルの風景も、さほどは変わらない。
金儲けをたくらむ企業や人々の轍こそ増えたが
それも時間とともに風化していくだろ。

さあ、モンゴルと対話する夢のような日々が始まる。

 


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「続き」- 2014/05/08 (木) – OV

東京プリンスホテルは、実は徳川家霊廟あとだ。
その隣の増上寺は、ご存じその徳川の菩提寺で葵の御紋があしらわれている。
霧島までのルートに、日光を入れたのもそういう事。
歴代将軍が増上寺に祀られているが、家康公のみは日光東照宮にいる。
遺言からだが家康公は神になられた。。神仏習合である。
とまれ、いまの東京の基礎を築いたのは徳川将軍家ではある。
そして明治政府の事も覗きながら走ろうかと考えた。

そのプリンスホテルは東京オリンピックの年に開業してる。
多くの都内のホテルがそうだが、このホテル実はあまり進化というか改装をしなかった。
ボクはそれが好きで、2004年TDNの時に総支配人に
「このミッドセンチュリーな感じは、素晴らしいですね。」と申し上げて
「・・・」な顔をされたことがあった。

まあ墓の上のホテル!?と言えばそれまでだが、最近のボクには
パレスホテルとここが定宿だ。特に車があるときはここがよろしい。
カトランの大きな絵がロビーにかかってるが、
絵そのものは悪くがもっと違うチョイスがあるだろうと思う。
もっと東京を主張してほしいし、もっとミッドセンチュリーな東京をプンプンさせて欲しい。

その2004年とはガストン・ライエが、生涯の最後にバイクに乗ったツールドニッポンだ。
長崎ハウステンボス日航ホテルを出発して「日本のエネルギー」をテーマに旅をした。たとえば長崎平和祈念公園に行ったり、雲仙の「普賢」岳もルートだった。
普賢・文殊などと原子力施設にそのような名前を付けた怒りを普賢岳の大噴火に感じてみれば!?とかって思った。
そして人形峠を越え若狭湾の原発銀座やくだんの「もんじゅ」も眺めた。
フェリーで北海道に向かった。宗谷岬に向かう途中の風力発電群に驚き、
北の大地から南下して青森では恐山を越えた。
六ヶ所村の各施設群を抜け、三沢基地に行く。

福島の二つの原発を眺めて「日本は原発だらけだね」とかって言いながら、
まさに光の洪水の東京にゴールした。
東京タワーの光が、いまも瞼にあって負傷リタイアしたガストンと声を上げて
「すごいね」と言った。
「東京以外全部独立」なんて言った。この都市のために日本があるんじゃない。
東京は全国を必要としてるけど、全国は東京を必要としていない。
それがSSERの20周年記念だった。

さて霧島に向かうぼくらのラリーは、日光を越えて浅間山に向かった。
1955年。ボクの生まれた年に始まった浅間火山レース跡地だ。
日本のモーターサイクルスポーツの発祥の地といっていい。
まだ舗装されたサーキットのない時代だ。
メイカーはマン島TTを目指していた。

そこが1日目のSS会場だ。いまは嬬恋村によって丁寧に管理されている。
いわば徳川霊廟あとならぬ、日本のモーターサイクルスポーツ霊廟跡だ。
こうして、いくつもの不思議な糸を手繰ったり俯瞰したりしながら、
霧島4000とに生命を吹き込ませた。
土佐で長州で、薩摩で、思う事もたくさんあった。征韓論に端を発した?西南戦争のことまで考えた。最後の最後のCPは、西南戦争激戦の地の標識が立っていた。
時代は変わるたびに出来事生んだ。日本のあちこちに「思い」が燃え盛っていた。

ただ4,000kmの道のりを走るだけなら、砂漠でいい。日本の深遠なる文化や歴史を感じながら走るからこそ、得られるものの質が高まる。

「走る」という行為は、純粋で単純なものであっても良い。しかし「旅」である以上は、もしくは主催者がいる以上は、いくつものクエストを参加者に求める。
その密かに語りかける声に気づく者には、また違う驚きや共感を得ることが出来るのである。つまりSSERのいうラリーとは「旅」と不可分であるだけではなく、そういうものだ。

きょうの一枚
1枚目は、江戸時代の増上寺だからその手前が、いまの東京プリンスホテルあたりでしょうか。
2枚目は、ムカデの家紋。菅原さんと、そんな話になったので「百足紋は軍神毘沙門天の象徴として知られているムカデの威力にあやかりたく紋柄に採用されたものと考えられる。また出足の多いことの縁起からとも言われている。」のだそう。

 

「東京霧島4千粁米2014のこと」- 2014/05/07 (水) – OV

いまから約50年も前。
東京オリンピックとともに迎える日本の高度成長。
日本のモータースポーツというか、モータリゼーションの幕開け。
ボクタチは将来に何の不安も感じず、

輝かしい未来は誰の上にも等しい光をもたらすと感じていた。

ボクはまだ子供だった。やっと中学生になるころだったろうか。
「東京-霧島4000km」というラリーが開催された。

スポンサーは創刊間もない週刊プレイボーイだから、
危険で隠微なものだ。子供たちの手には入らない。
そこに記録されたそれは全く破天荒で、鷹揚なラリーだ。
証拠に、ラリーは1度きりだった。

後年ボクは「栄光の5000km」などのように
やはり距離こそはタイトルなんだと深く心に刻んだ。
その数字が見せる得も言われぬボリウムというかトリップが1キロごとに刻んだ
4000回だか5000回という、
当時からは信じられないほどの気の遠くなる時間。
つまり時間と距離は、複雑な関係を持つことに気がつかされた。

その栄光の5000kmは1969年に石原裕次郎主演で公開された。
日本の自動車メーカーが世界に比肩したいと
サファリやモンテへの強いあこがれが透けて見えた。
モンテで石原裕次郎が乗ってたのがフィアット124。

さて霧島4000(当時の)は、こうした時代背景に登場する。
羽田スタート~霧島を折り返し富士にゴールする4日間。
それはほとんどキャノンボールのようで、
しばらくは伝説のように語れつつもいつの間にか忘れ去られてしまっていた。
文献などまったく残っていないものの、
唯一当時の週刊プレイボーイに、その走行シーンが掲載されていた。

実はその前年、つまりプレイボーイが創刊された年にフランスでは
映画「男と女」がヒットしていた。シャバダシャバダバダ。。で有名なあれだ。
ヒットメイカーのフランシス・レイの音楽、憂鬱な雨のドービル。
フランス映画暗いなあ・・の象徴の一つだが。
男はジャンルイ・トランティニアン。場面はモンテカルロラリーとルマン。
マシンはFORD、ラリーカーはマスタングでルマンはGT40
まさに黄金比のような。。

おそらく相当影響を受けたに違いない日本のオーガナイザーは、
誰だったかはもう少し調べないとわからない。

その男と女は20年後にパリ・ダカールを舞台にIIが作られた。
テリー・サビーヌが出演していたのは有名な話だ。

長くなったから続きはまた書こう。

 


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