「霧島4000からTBIを考える。」- 2014/02/14 (金) – OV

「霧島4000からTBIを考える。」- 2014/02/14 (金) – OV

旅は、つくづく不思議たと思う。
たとえばなぜか「霧島」って聞くだけで、旅愁が湧くではないか。

今日はそんなボクの旅の話を書こう。

「TBI」と書くと、発音は「ティービーアイ」なんだけどなんかジヅラからは
「タビィ」といつも旅を連想する。
そうTBIは旅だ。
と思えば1989年から25年もの長きにわたり、ボクはGWに旅をしなかったことがない。
ティービーアイ、というタビを続けてきた。

試走の距離と本番の距離を合わせると1回4000キロとして
25年で10万キロに達した。クルマはいつもすぐに10万キロになるけどね。

長い距離だ。1キロおきにコマ地図を書いたとしたら5万コマも
書いたことになるなあ。。としみじみ。
で、この旅が面白いのはコマ地図という、不親切なガイドの存在だ。
自らは語らないけど、読み解こうとするとそれは雄弁に語りだす。
まるで密教の世界観だ、と思う。

密なるものの語る声は静か。

梅原猛先生だ。

つまり静かだが雄弁に語りかける声は、実は聞く者の能力に委ねられているのだ。
そしてそのひとコマひとコマは目的地なのである。
つまりひとつの旅には、数百数千もの目的地が記されてる、
そんな経典のようなものがコマ地図だ。

昨年からコマ地図をロール状にして配布を始めた。
旅の前の儀式は少し減ったが、その分なにかほかのことに時間が使える。
なにかほかの事とは、旅の予習とか仲間との情報交換の事だ。
旅をする仲間は要は「旅は道連れ」なのである。

TBIはそんな旅を演出してきたし、参加者だけではなくてスタッフも
長い時間の移動の中でお互いの信頼関係を紡いできた。
だから、モンゴルなどのイベントの開催も可能だったんだと思えば
TBIという旅が築いた信頼関係は、まぎれもなくボクと仲間の旅の成果だったろう。

いよいよ初めての道のりで霧島4000という旅が始まる。
コマ地図のコマ数は平均1.0kmとすると4000コマ。
4000の目的地を順番に楽しみながら、皇居前広場や。
靖国神社前やらをあとに、神話のふるさとまで行く。。。
もう早くGWが来ないかなあ。。。


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「寒い日には、暖かい日の事を。」- 2014/02/10 (月) – OV

「寒い日には、暖かい日の事を。」- 2014/02/10 (月) – OV

「デイ・アフター・トゥモロー」や「不都合な真実」は、間違いなくやって来る。
そうしたことを政治利用しようがせまいが、耳を澄ませば足音が聞こえる。

楽観論も良い。
地球の周期なんだ。
本当は氷河期に向かっていたんだ。
そういう気分でもいい。

悲観論は知識層に多い。
悲観的な未来が、待ち受けている。
でも、間違いなくいずれ人類は滅びる。
恐竜ほども地球上では生息できないに違いない。
栄えたものは滅びる。栄枯盛衰など、昔から誰でも知っていることだ。

いかん、寒い日は悲観論を支持したくなってしまう。
暖かい日の事を考えよう。
今日も東京は43度、熊谷は49度まで気温が上がりました。

また悲観的になる。
暑いのもダメだ。

じゃあ桜の咲くころのことを考えよう。
あの天竜川鉄道のSLと満開の桜並木の事を考えよう。
今年のTDRは、桜がちょうど良いだろうか?
古人のように花の色を気にしながら毎日を過ごそうか。

霧島4000のスタート地の東京プリンスホテルの夜の事を考えよう。
明日がスタートだというのに、
ルートブックがロールになったために、そそくさと部屋にルートブックを巻かなくても良い人々と、やけに眩しい東京タワーのライトアップで顔を赤らめて「早く寝なさい」と怒られるまで夜更かしをしたり、
少し暑いねえ
とかって言いながら
フローズンダイキリなんかを
飲んで過ごしたい。

ああ早く、暖かい日が来ないかなあ。。

 


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「雪の朝、ガストンの事」- 2014/02/08 (土)  – OV

「雪の朝、ガストンの事」- 2014/02/08 (土)  

日本中を真っ白な朝にした、2月8日。
銀世界を予想してた朝は、松山は雨だった。
9年前に受け取った訃報は2月9日の朝だった。

本当に親しい友人だったが、
ふと気がつくと実は偉大なチャンピオンであり伝説の男だった。
それを軽々と忘れるほどに、彼はやんちゃで、子供のようで気さくでフレンドリーなのに、
人のことをとても心配する。
誰かが深刻そうな顔で電話をしてると、とても心配そうに見て「大丈夫なのか?」と聞く。
「いや、問題ないよ。」
と答えると、大げさではなく安堵の歓声をあげる。

もうあの日から9年の時間が流れたのか。
時間は徒に過ぎていく。
10年前、TBIはツールドニッポン いわゆるTDNとして開催した。
TDN3年目だった。
前年は奄美大島スタートだったのだが、2004年はハウステンボスをスタートすることにしたのだ。
問題はエネルギーと原子力、という今ならタイムリーなテーマだったろう。
ガストン・ライエは、友人の息子ミハエルを連れて来日して人生最後のラリーを楽しんだ。
前年のスペイン・バハの125クラスチャンピオンだったミハエルは最後のSSまで秒差でもつれたものの、僅差の総合2位に甘んじた。
ほんとうに、あれから10年も経ったのだろうか。

2014年。TBIはTDNの記憶を辿るように霧島4000とした。
日本は美しい。日本は素晴らしい。何度もそう言い続けたガストンにまたSSERの新しい挑戦を告げたいと思う。


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「シルクロードの道も東京から」- 2014/02/03 (月) – OV

「シルクロードの道も東京から」- 2014/02/03 (月) – OV

土曜日にはTシャツで過ごしていたので、「ひとつ、おちょくってやろう」と思い北海道に電話しました。

「暑いんだ。今日はTシャツで仕事している。」
「・・・」

きっと北海道は寒いんでしょう、おそらく寒さで口が動かないに違いありません。そんな北国の友人は、どーも雪遊びの最中だったことが後の時間のFBで判明しました。そんなこんなで、桜のつぼみも妖しい四国は三寒四温どころか「猛暑の予感」なのでした。

さて、暖かくなるとせかされるのが今シーズンの試走、最近ではあまりに広域での試走が繰り広げられるので、雪のない部分から!ということになります。

そう思って天気予報を見ると明日は東京も雪?マーク。。。まず霧島4000の、東京プリンスHからの計画なのです。

しかしまあ、どういう経路を取ろうかと考えるだけで楽しくて仕方ありません。時間帯やその日の交通状況なども予測しつつ、いつもとは全く違う視点で見る「東京」きっと素敵に見えるに違いありません。

さて、何かメッセージ的な事も書こうと思いますが、最近は中国の事も誠に書きにくい情勢になりましたね。誤解を恐れずに書けば、ボクは中国が好きです。三国志を読み、四書五経などは学ぶべきことばかり、孫子の兵法も最近の企画書にそのまま書いたりしたものです。

ボクの好きな中国とは中国の事で、中国共産党の事ではありません。中国共産党の事を中国と言ってしまうのも、まあ一つの考え方ですが乾隆帝時代の清朝のほうがぼくにとっては中国で、とても好きなんです。いやもちろん、もっと前でもいいのですが。いまの姿は、論ずるに値しません。まだ文治主義の時代のほうがはるかに教養に飛んでいましたもの。「黒いネコでも白いネコでも・・・」という、なんでもいいや稼いだら。という無茶苦茶な話も、そろそろ破綻の時期に来ています。

でも、いまでも憧れるのは、シルクロード。井上靖の描いた「敦煌」。洋の東西を結んだかつての交易路を行き来した人々の姿や、彼らがもたらした新しい価値、芸術や文化。あの時代の旅人の思いや、時間の概念などに強く惹かれ続けています。

またいつか、シルクロードの旅でバザールや屋台を巡りながら異邦人になるあの愉しい日々を、東京プリンスから思いながら走り始めることにします。

じゃあ。


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TBI2015 Information その4

news_20150130_01_tbi全行程3000kmのTBI 東京〜四万十はその名の通り、四万十のそれもほとんど太平洋に流れ込むあたりにゴールする予定です。茫洋たる太平洋を眺めながら旅のフィナーレを。

四万十とは4万10本の支流をもつ川だとか、多くの日本人は「最後の清流」と呼んでいます。いまも川漁で暮らしを立てる漁師がいるというのは、この川が最後ではないかという説もあります。

四万十川。
その美しい川の姿は、ルート上からしばしば見ることになります。そしていくつかの沈下橋を眺めたり渡ったりするのも思いがけない体験でしょう。
ヤマトテナガエビやツガニ、そのほか四万十を代表する、または四万十にしか生息しない珍しい食材の数々もこの地を訪れる楽しみの一つかもしれません。

喧噪の東京をあとに。わずか6日間のあとに巡り合うこの地こそ、修行僧らが求めた補陀落という西国浄土だったかもしれませんね。
わずかな時間で得るかけがえのない時間と体験。たびたび訪れる者にはまた違った顔を、そして初めて訪れる者には大自然の驚きを必ず四万十は感じさせてくれると思います。

 

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「お誕生日のメッセージをたくさんいただきました。」- 2014/01/29 (水)

ひょっとしてこれはSNSのたまものでしょうね。
最近疎んじかけていたFBも、こうしてあたたかい心温まるメッセージを、中には思いがけない方からも頂き感激でした。海外からもたくさん。感激の1月28日でした。

さて、ボクの事です。
SSERの事務所を少し離れた市内のど真ん中にサテライトオフィスを設けて、まもなく2年が経とうとしています。

誠にありがたいことにここには、ありとあらゆる仕事が訪れて来ています。まさに「訪れてくる」という感じです。ほんとうに、さまざまなコトがここには溢れています。

お役にたてることもあれば、全力で取り組みます。全力で取り組むので、やはり疲れます。疲れ方も心地よいモノであれば、やりがいもあろうというものです。

求められる新しい創造的思考は、やはりSSERの30年間で培われたのかなあ?と思いつつ半生を振り返ります。

なぜか?というとですね。
ここではそれらの経験を「DESIGN THINKING」と看板にまで掲げています。
デザインを考えているのではなくてさまざまな発想をデザインの視点で行っているという事です。

いまの人々の心情は、マーケティング的な話ではなくても「何かが欲しい」から「なにが経験できるのか」に変化しています。プロダクツは、それによっていかに新しいエキスペリエンスを生み出せるかにかかっていると言えます。さまざまにコモディティ化し、競争力のなくなった者たち。ジョブスは「腐った魚たちをまだ売るのかね」とまで言いましたよね。デザインの話ではなくて、新しいエキスペリエンスを生む者を新しい価値の創造=マーケットの創造と言い切っていたわけです。

いわゆる単なるモノ志向のある終焉ともいえます。

ここまで書きましたが、ここから先はややこしくなるのでいずれかの機会に記します。
で、TDRから始まる数々のエキスペリエンス。

よろしくです。

きょうの一枚

お誕生日のメッセージ、ガストンの娘さんからも頂きました、もうすぐ命日、そして9年の年月がまさにあっという間でした。


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No.149 「帰国しました」- 菅原さんからの手紙 2014/01/27

No.149 「帰国しました」

今年の完走率は47%だそうです。カミオンクラスで見ると毎年5-6台のリタイヤですが、今年は20台以上がリタイヤしました。

原因は南米大陸に移ってから、毎日のSSが短い設定になっておりましたが、今年は大きく違って昔のダカールラリーのような毎日、リエゾンを含め走行距離がとても長くなっておりました。

景色は昔、アフリカでの難所だったネガの谷やキファを思い出す松林の中のスラロームなど、変化に富んだコースでした。

照が乗った2号車は長年かけて作り上げたバランスの良い車に仕上がっており、私より毎日早くキャンプ地に到着してました。

(もちろん運転技術も数段進歩してます)

私の乗った1号車は照のより100馬力以上のエンジンを載せた車両でしたが、エンジンやミッションなどが重くなり、サスペンションがなかなか決まらづ、リアーはテーパーリーフスプリングでしたが、途中でマルチリーフスプリングに変えたり、硬いので一枚抜いたり、ショックアブゾバーのコンプレッションやリバウンドの数値を入れ替えたりして、やっと最終日に良くなりました。

昨年は私の不注意で最終日のスタートではクラス3位でしたが、終わってみたら54秒の差で4位になってしまいました。

今年は3位の成績を毎日チェックして3時間以上の差をつけて2位になりましたよ。 南米に移ってから初めての日本人ライダーの深草君が挑戦してくれ、とても嬉しかったのですが、怪我をされ残念でした。

写真の説明です。

1番目は日野さんが新しく作ってくれたサポートカミオンです。

2番目はホンダワークスのキャンプです。最初の方は成績もよかったのですが、後半には車両のアンターガードに枯草が詰まり、エキゾーストの熱で発火して燃えたり、転倒があったりで残念な結果になりました。

3枚目の写真は、我々のチームのメカさんは全然寝ないで整備してくれるので、今年は個人用のテントは支給しませんでした。この写真を見て分かるのですが、メカさんも真剣に作業してくれるので我々も頑張りました。応援ありがとうございました。

 

 

菅原 義正


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「普通じゃないことを、やる。」- 2014/01/17 (金)

「普通じゃないことを、やる。」- 2014/01/17 (金)

ボクのテーマ「上質な時間」「丁寧な暮らし」
そんなことから
数年前SSERの事務所にツリーハウスのような茶室を作った。
久万高原の林業家の手許で数十年もストックされていた地松や樅や、
足りないところは杉の足場板とかを使った。
「上質」か否かは、自らが問えば良いだけの話だ。
時間と光を計算して、丸く刳られた窓から差し込む光が
床の間の一輪挿しを照らす時間を計算した。

ほとんど太陽がある時間は森の木々の隙間から一条の光の筋が差す。
我ながら完璧だ。

つまりラリーもこのように作りたいと切に思っている。
時間も予算も限られている。
それならば「心」だ。
イベントの最中は何かと上手く時間が進まないことが多い。
焦ったり、怒ったりするのだが、それはすべて事前の「心」が不足しているのだ。
30周年の今はそれを修養しようと思う。

30年、なにも成長はしなかったとしてもライフワークとしてラリーを続けるという心は
存在し続け、常に上質な「心」を目指していた。
それはそう思う。

さて、春一番のイベントTDRは2日間のラリー形式になった。桜を天竜川沿いに眺めて、
日本人に生まれた喜びを全身で味わいたいと思う。
江戸末期の幕臣たちが拓いた茶畑の上から大河を眺めて、
それに浄化されたような空気の中を行く。

人生とは、このように幸せなものだと思う。

上質であるとはそういう事だと思う。
磐田で、お目にかかりましょうね。

TDR2days 受付はじまりました。>>> [終了しました]

 


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「深草、無念のリタイア」- 2014/01/07 (火)

「深草、無念のリタイア」- 2014/01/07 (火曜日)

ETAP2、この日MOTO部門は25台のリタイアが確認された。
残念なことに一人のモンゴル人ライダーと、深草もその中にいた。
深草は、転倒の際に腰を強打し立ち上がれない。骨折等は無い模様で、
いわゆる全身打撲状態だろうか?本人は元気だそうだ。
電話をしてみたが、時計を気にせずにかけたものだから、
深夜の3時だったのでまたにしようと思って切った。

この手の競技は、いつも不思議だ。どんなに注意していても普段に経験したことの無いようなことを経験する。壊したことの無いような部品を欠損し、したことのないような転倒をする。
慎重な彼の事だから、無理はしなかったんだろうと思うが、周りを見たらみんな自分よりすごいやつばかりに見えて、自分を見失うことが多い。
リザルトを見れば必死で紡ぎだした自分の時間をはるかに上回るタイムで、まるで陽炎のかなたのような位置にトップクラスが存在する。

そんなのは意識することは無い。と、自分にそう言い聞かせるのは残念ながら強く意識して入り証拠だ。
あれだけ頑張って走ったのに、半分もの時間つまり2倍のアベレージで走るやつらがいることに驚き戸惑い自身を見失う原因を抱え込んでしまう。

でもあえて深草に言う。この結果は長年かけてはぐくんできた夢が潰えた瞬間ではないのだ。新聞には「夢を背負って走る」という「???」なことが書かれていたけど、実は夢が現実になった瞬間なのだ。

夢、という曖昧で模糊とした言葉でダカールは語れない。
最近よくサッカー選手が「良く準備をして臨む」というような発言をするけど、その語源はダカールじゃないかと思うほどに執念深い準備が99%、夢だとか運だとかは1%にも満たない。

1988年、石原孝仁がリタイアしたテネレで、翌日は菅原さんのリタイアをテネレで見た。
石原は「直せないのか」と聞くボクにボンネットの上から、「無理だ。」一言そう言った。
菅原さんも、ボンネットの上にいた。
「どーしましたか?」と聞くボクに
「早く行きなさい。」と。

悔しさは男を磨くなあ。あとになってそう感じた。

ダンディズムは、悔しさと失ってきた栄光への道のりの途上の挫折の数で決まるのだ。本当にそう思う。


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「さあ、やるかね。SSER Cafe」- 2014/01/06 (月)- OV

今年は新春そうそうから好天に恵まれています。なにかこう、今年1年の天気占いは「良」じゃないのかなあっと。

まあ愛知あたりに強力な悪の力が存在するので要注意ではありますが。実は昨年の暮れの忘年会の前座で4本の林道を雪の中を走りました。
絶好の天気と雪質・・・そこで心に決めたことがひとつ

イベントのない月の第3日曜日は「SSER Cafe」を。これは林道のどこかでランチ&カフェを開きます。開店時間は11:00から13:00・・・そして発見して訪れた方にはCafe + Lunchのサービス。

どこかの林道のどこかの広場。ヒントは1週間以内のOVやFBに。スタンプカードをお渡ししますので、連続到達の方には年末にモンゴル旅行など豪華プレゼント・・・ムムムこのモンゴル旅行は少し怪しい気がしますが。。。

10月には、いまの予定では30周年記念世界ツアーに行きます。
ですから10月はSSER Cafeはお休みの予定。
愉しく走る1年にしたいかなあ。

きょうの一枚
SSER30周年記念ツアーの目的地の一つ。ここにジムニーを置いて撮影したり?ボクの〇〇〇を置いて撮影したり。。。する予定。。。ここは、どこだ?


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No.148「いよいよスタートです」- 菅原さんからの手紙 2014/01/05 22:00

letter_148_20140105_2200_01今日、4日は夕方からスタートセレモニーがあり、パルクフルメが一時解除になり一台ずつポデュウムで紹介があり、街の一部を走ってパルクフルメ会場に戻ってきます。

明日は180kmのSSの前後にリエゾンが629kmで合計809kmです。今はリエゾンの最高速度がオート、モトが110km/hでカミオンは90/km/hに制限されているので、モトの1番は朝の4:20にスタートです。(今の日の出は06:01で日の入りは20:39)

SSはWRCで使われた難しいコースのようです。

この国はモータースポーツの歴史が古く、フアンジオと言う選手はF-1で1951と1954-7まで5回もチャンピオンを取り、その記録は46年間も破られておりませんでした。

その記録を破った人は今、大変な事になっているミハイル・シーュマッハさんです。

写真1はキャンプ地のレイアウトが発表になりました。このようにすべてのレイアウトが一緒だと、思い出に残りづらいですね。

写真2は地元の新聞の一面に紹介されました。

写真3はトヨタ関係の合同記者会見で日野チーム、トヨタ車体チーム、南アのチーム、アルゼンチンから出場のチームが紹介されました。

私からの手紙はラリー後になるのでラリー中の様子はこちらからご覧ください。

http://www.hino.co.jp/dakar/index.html

では、行ってまいります。 

菅原 義正

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No.147「新年おめでとうございます。」 2014/01/03 15:00 – 菅原さんからの手紙

letter_147_20140103_1500_01私は、今年も海外で新年を迎えてしまいました。ラリーの準備をしていると年越しと元旦とかの気分になれないので、こまった事です。

以前、山田さんが私に、「日本の法律で年越しなどの行事は無くなったよ」と冗談で言われた事があり、一瞬信じそうになった覚えがあります。

今日1月2日は我々チームの車検が14時45分から始まるのですが、こちらに着いたばかりの深草君に電話したら近所のホテルに居て、今日は何も予定が無いとの事なので、我々の整備している工場に来てもらいました。

我々がお借りしている工場はバスの製作工場です。

日本では考えられない工法でバスを作っているので驚いていました。一切、プレスの型が無く、フロント周り、リアー周り、屋根、ダッシュ、ドアーは全部グラスファイバーの女型に張り付けてゆくのです。

我々だけ車検会場に行き、人件と車検を無事に済ませました。

GPSの使い方の講習を受けないとスタンプがもらえないのですが、我々は先生より詳しいことを知っているので、講習無でスタンプをもらいました。

多分、講習無でスタンプをもらえるのは、うちのチームだけです。

写真1は1号車の車検風景です。

写真2は2号車です。

写真3はパルクフルメの入った1号車で後ろに2号車があり、左の遠くにチェコから来たタトラがあり、パルクフルメには3台のトラックしかおりませんでした。

明日は深草君の整備が予定されているのでひやかしに行く予定です。

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

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No.146 「ロサリオに着きました。」- 2013/12/28 15:27 菅原さんからの手紙

ブエノスアイレスから約300kmを北上して、今回のスタート地点であるロサリオに着きました。

この町はアルゼンチンで3番目の都市だそうです。革命家のチェ・ゲバラが生まれた都市であり、有名なサッカー選手もこの町から多く出ているそうです。

街を歩いてみても、昨年の出発地点のリマとは違い、ダカール・ラリーがここからスタートする雰囲気はまだ感じません。

気温はブエノスアイレスと大違いで湿気があり、暑いです。暑いですと言えば日本のヤフー、ニュースを見ていたら2-3日前にロサリオで暑いので近くの川で泳いでいた人がピラニアにかまれて60人が負傷したと出ており、ロサリオに居て知ったので、びっくりです。

写真1は泊まっているホテルのフロントに置いてありました。

写真2はホテルでの会議の様子です。

写真3はお借りしている作業場で最終点検を受けている左から、1号車と2号車です。

主催者手配でルアーブルから輸送された競技車やサポートカーは31日に引き取りなので、我々のサポートトラックとサポートカー2台もその日にしか手元に来ないので、これからが大忙しです。

我々の人検と車検の呼び出しが2日の午後2時45分に決まっております。

菅原 義正

 


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「2013、顧みて」-2013/12/27 (水) – OV

「2013、顧みて」- 2013/12/27 (水)

まことに1年というのは、早いと思う。
歳を重ねるほどに1年を早く感じるのは
いうところの相対性理論であることに異論はない。

あの8月、熱砂のゴビのことも
9月の大草原で初開催となったゴビデザートマラソンも
すべては現実なのだが、いつのまにか遠い日のことのよう
それは、薬のようでもあり
焦燥を生む、毒にも似ている

だから再び、その準備に取り掛かる
そんな時に、ふと夢は現実となってからの、
そのあとの過ごし方が大切だと気づく

具体的な目標を夢と呼ぶならば、それを実現させたあとのありようも設計していなければなるまいと思う。

2013年というのは、ボクが30年前と20年前にそれぞれ設計していたはずの未来の過去だ。
・・・ちょっとボク以外には解釈不能か。。

ちょうど1992年9月パリ-モスクワ-北京で、
新たに独立したばかりの国々を貫き走った。
ベラルーシやウズベキスタン、キルギスやトルクメニスタン、カザフスタンという当時まで名を聞くこともなかった国々だ。
そしてタクラマカン砂漠を越えた。
おまけにその北に広がるゴビ砂漠に強い郷愁を感じたのだから仕方がない。

その時に漠然と持った夢に駆られた20年だったんだろうか
来年でラリーモンゴリアはまさに20年を迎え
SSERは30年を迎えた。

その時から2013年まで、ずっとその地を(なかば仕事と称して)旅をし続けられてる歓びに、感謝の気持ちを深くするようになった。

ずいぶんと澱のような、気負ってたものがスッと取れたようなそんな感じの2013だった。
だから今年の年末、つまりいまの自分はなぜだかとても気持ちが良い。
幸せを感じていると言っていい。

まとめて2013年を顧みて思うのはその幸福感に包まれた1年だったということだろうか。

 


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No.215 2013年回想

  写真1 北海道は雪の季節が4月下旬まで続くので、ぼくのシーズンは、ツールドブルーアイランドから始まりました。大阪をスタート、瀬戸内海をクルーズして宮崎へ、そして大分から再び海を渡って四国へ。2度の船旅を含む、ダイナミックなツアー。ぼくは、宮崎から、ヤマダさんのBMW R1200GS ADVをお借りしてラリーを追いかけたのですが、実に楽しかった。最後のビバークに着いても、このまま終わってしまうのがもったいない思ってしまうほど。日本は美しくて、やさしく、そしてまだまだ未知の風景ばかりです。北海道にいると、どうしても海は、厳しさというか、過酷な自然の象徴のように思ってしまうのですが(もちろん私的な感想ですし、北の海は豊かでもあります)、瀬戸内海、鹿児島の海の、まろやかさ、やさしさはどうでしょう。海路を中心にしたルートは、このTBIならではのものだったと思います。2014年の東京-霧島4000がどのようなルートになるのか、まったく聞かされてはいませんが、旅のダイナミズムはきっと2013年以上のものになるのでしよう。

「素晴らしい!」なんて書いていますが、選手として走ってるライダーや、ラリーのスタッフほどには、その半分も「素晴らしさ」を体験していないことも知っています。ウェブで応援したり、その一部を見物したり、スタートを見送ったり、あとでラリーのルートの一部を走ってみたりすることもできますが、やっぱりつまみぐいではわからない世界があります。7日間なら7日間、10日間なら10日間、ラリーの世界に没入し、そのすべてを食べつくさないとわからないものがあります。またもうひとつ付け加えるなら「いつか出場してみようと思っている」という人は、その考え方を改めるべきです。せっかくそこまで考えているならば、ちょっとだけ文言を変えて「次回は出場することに決めた」としてください。そうしないと越えられない壁があります。「いつか…」という人は、きっとどこからか思いがけない幸運が訪れてきて、右手を引っ張ってくれると、心のどこかで思っているのでしょう。でも、現実には、いつまでたってもそんなことは起こりません。でも「行く」と決めて、壁に一歩近づいてみると、それまで見えなかった手がかり、足がかりが見えてきて、壁を登り始めることができるものです。

2013年はもうひとつ、北海道4デイズの思い出があります。このラリーが初めて走った道東の大地。知床から釧路、それからまた日高へと。そこにはやはり海がありました。みんなも驚いたようですが、ぼくも試走の時には見えなかったので、北方領土の島があんまり近く、大きく見えて驚きました。途中少しだけルートを外れて、ゆでたてのシマエビに舌鼓をうったこと…。来年も、やっぱり道東にしようか? と思ってしまいますが…これはもう少し秘密にしておきたいと思います。とにかく、またみんなで楽しい4日間をやりましょう! いろいろと大変なこともありましたが、2014年もまた、楽しくて希望がいっぱいの年になりそうです。ハイウェイからシングルトラックまであらゆる道の長距離ライディングをこなす、しっかりとした作りの、あまり騒々しずきないモーターサイクルを準備するだけで、こんなに楽しい世界が広がる。みんなで、まだまだやりましょう!

写真はすべて、TBI2013から。撮影、春木久史  

写真1 写真2 写真3 写真4

ビッグタンクマガジン http://www.bigtank.jp (2013/12/26 11:00 )

「忙中の閑に漂う」- OV – 2013/12/25 (水)

こんなに忙しい年末って、あったっけ。

いつもこの季節になると思うのは、やはりパリでのこと。
87年からずっと、冬はもっぱらパリで過ごした。
まあ、と言っても7年くらいか。

シャルル・ドゴールでレンタカーを借りて
いつもルノーエスパス。

みんなで乗り込んでどっさり荷物を積んだら
ホテルニッコーの裏の、いつもの宿。
大きなリビングに3つくらいのベッドルーム。
キッチン。
毎日の食事の買い出し。
洗濯とミーティング。

ラリーカーの引き取り。
地下のガレージで日がな整備。
ドーベルマンを連れたガードマンともいつしか顔なじみに。
もう市内も地図は無くても走り回れる。

そんなころちょうど
プレゼンタシオンがあるので、ペリフェリックで会場へ

冬の夜だというのに21;00スタート
聞くと、夜はそんなもんだと。

巨大なスクリーン。
シャンパン
もう、やられっぱなし。

そして車検会場の下見を兼ねて試走。
2時間もかからないことを確認してホテルに帰る。
車検、リエゾン、パルクフェルメ。

胸が熱くなっていた日々。
ああ、あの頃のパリのなにもかもが懐かしい。

ただの旅行や仕事で行ったとしても
あの空気は味わえないだろう
あの胸騒ぎは過去のものなんだ

あれはなんだったんだろうか。
あの日々は、幻だったのか。

わずかな焦燥感が湧きおこり
それが次へのちいさなエネルギーの導火線に火をつける。
さあ、来年もやるゾウ!となる。


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No.145「日本橋」- 菅原さんからの手紙 2013/12/24 13:19

letter_145_20131224_1319_01ブエノスアイレスでは私の大学の先輩が2軒も日本レストランを経営しております。この日本橋さんは私の1年先輩が経営しており、こちらの大工さんは仕事が遅いし上手じゃないからと言って自分で店内を作ってしまいました。

ラリーがこちらに移ってから、お世話になっており、昨年はスタートがリマでゴールがチリだったので、来てませんがまたお世話になっております。

最初に来た年に拓大に電話して、大学の「のぼり旗」を用意させてスタートで振ってくれました。彼の手配でその年の中間点のサンチャーゴでも拓大のチリ支部の方がゴールで振ってくれました。

言い遅れましたが、私のナビを永く勤めてくれている羽村君も拓大卒なんです。

そんな訳で日本橋さんは我々チームのコーナーを店内に作ってくれました。

写真2は当時、拓殖大学がスポンサーさんだった時のポスターです。

写真3は額に入った写真で、旗を振っている写真とその下の写真が面白いですよ。後列の左がオーナーの中務先輩でその右が片山 右京君(当時はトヨタ車体さんのドライバー)でその右がナビの羽村君。前列は照と私と右側の方はとても有名な高木先輩です。彼は最初に移民に来て、「らぷた報知」新聞の現役の新聞記者です。こちらの日本語放送のアナウンサーを41年もやってたそうで、先月くらいに日本でも彼の事のテレビ報道があったそうです。

写真4はレンジャーのスケールモデルも飾ってくれてます。

この年にサンチャーゴで旗を振ってくれた先輩は日本料理「将軍」のオーナーで昔、三井物産におられて最初に軍隊に日野レンジャーを売った方で、作家の深田 祐介氏が書いた「革命商人」のモデルになった方です。本は上下で出ており、ブリヂストンのオフロードタイヤを売る話とか出てきて、車好きにお奨めの本です。

今年のゴールはバルパライソで近いので来て頂けるとの事でした。

お会いするのが今から楽しみです。良いクリスマスを。。。。。。

菅原 義正

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No.144「こちらで思うこと」- 菅原さんからの手紙 2013/12/20 18:09

letter_144_20131220_1809-01今日、こちらに長く住んでる方が「ケチャップ泥棒」にやられたようです。

この手口はパリなどでも昔からあり、ケチャップを間違えたふりをして相手のお洋服につけて、謝って拭いたりして注意をそらして、他の仲間が後ろから財布を取ったりします。
また、こちらの日本大使館から連絡が入り、国内各地で起きてる略奪は沈静化に向かっているが、フエイスブックには中華系スーパーに20日に略奪すると書き込みがあり、5000人が参加を表明しているそうです。

今夜は夕食に出ていないので、このホテルには夕食用のレストランがついてないので(ほとんどのホテルがそうです)13階の屋上にあるスカイバーに行ってサラダとビールでもと、上がって行ったら、店内はデイスコ状態で係りの人は入れないのでゴメンナサイと謝ってました。うるさいのは嫌いなのでエレベーターで部屋がある4階まで下りてきたのですが、まだ音楽がきこえてきます。表はと思い窓の外を見ると今頃は(23時)人通りが多いのに一人も歩いている人は見当たりません。

本題です。こちらに来て思ったのですが、バイクの置く場所を行政が作ってくれてそれから、駐車を規制すれば良いのに、東京では民間に委託して2組の緑の服を着た人が、即捕まえる方式を取ってます。先日、東京オリンピック招致委員会の都知事もこちらに来ているのに、何を見、何を聞き、何を感じたんでしょうかね?たぶん5000万円の事であたまが一杯だったのでしょうね。

写真1の場所は無料でした。

写真2と3、同じ事ですが、街のあちこちにゴミ箱が用意されております。写真2と3は5メートルと離れてませんし、写真3はアーケイドにも沢山ありました。

写真4ゴミ箱にはブエノスアイレスのマークが入っているので、市が後片付けをしてるのかゴミが一杯になってないのは、担当の人が何時も来てチェックしてます。

駐車場を用意しないで違反キップを切り、ゴミ箱を用意しないで、街を綺麗に、とは一緒の事で、考え方の違いを感じました。

略奪の無い日本も素晴らしいですが。

菅原 義正

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「もうすぐ、ダカール」- OV – 2013/12/17 (火)

本当に久しぶりにダカールに日本人ライダーが参加することになった。熊本の深草君だ。SSER的に言えば、九州4デイズのコースディレクターで、頼りになる男だ。HONDA熊本工場で、比較的要職にある深草君は、社内で多くの信頼を得ていると思う。DAKARを目指して数年間、さまざまな話を彼から聞いたし、何度も同じクルマでTBIや九州4デイズを走った。

彼の勝ちえた社内での信用というものは、やはり彼の持つ真摯さにあると言っていい。それに実はかなり多岐にわたって先進的な思考や、時には高度な分析眼を発揮している。

つまり、クルマで旅をしていると話が弾む。
実はダカールに必要なのは、ひとつには真摯さだ。そしてその対極にあるかに見えるが、確実に求められるのが鷹揚さだ。

しかし、それらに恵まれていたとして、それに裏打ちされた技術と体力だ。
近年のダカールをボクは知らない。知らないから、これ以上語ることはしないが、ラリーモンゴリアやかつてのアフリカ時代のパリ・ダカールを走る者たちのことを語ることは出来る。

モンゴルから3人のライダーが参加する。いずれも強い。そして速い。昨年は慣れない土地で、早々に躓いたが、今年は案外やるだろうと思っている。
実は彼らの存在が深草君にとっては、良きベンチマークになるだろうと思う。
というのも深草君は、モンゴルではいつも彼らの真ん中あたりを走ってるからだ。

モンゴルの3人のライダーと、深草君はみなSSER ORGANISATIONのロゴマークを胸に走るんだ。みんな活躍してほしいなあ。


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No.143 – 菅原さんからの手紙 2013/12/16 17:30

letter_143_20131216_1730_01今日、ホテルのロビーの蔵書の中にギネスワールドのスペイン語の本があったので、何気なく見ており、索引でDAKAR RALLYを引いてみたらビックリで私の名前が載っており、フロントの皆も寄ってきて大騒ぎになりました。

異国で見たのでびっくりです。

写真1は本の表紙です。
写真2はロッシーが写っており、その左側に私の紹介が載ってました。
写真3は私の連続20回連続完走と26年連続出場の事が書いてありました。

街の中心の日本料理店に行ったら現地で働いているアルゼンチンの人が2年前に来た事を覚えてくれて、頑張ってと言って頂きました。

有難い事です。

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菅原 義正


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No.142「ブエノスアイレスに着きました 」- 菅原さんからの手紙 2013/12/13 14:40

letter_142_20131213_1440_01成田を19時10分に出て、夕食を食べて、寝て起きたらダラス空港でした。
まだ明るかったので、朝だと思いきや午後の4時です。3時間とちょっとのトランジットでまた、夕食を頂き、起きたらブエノスアイレスの朝9時です。

ダラスからの隣の席の人は太った20代の女性で、道中よろしくと握手を求めてきました。
とても陽気な人で、日本から乗った隣の人とは大違いで、旅を楽しんでました。
約22時間30分も飛行機に乗らないと着かないので、やはり遠いですね。

早速、1年ぶりにホテルの近くのフロリダ通り(銀座どおりみたいな繁華街)を歩いてみると閉店した店もあり、景気は良くないようでした。そうなると治安も悪くなり困ったもんですね。

写真1はお土産屋さんのショーウインドでアルゼンチンタンゴの物が多いですね。

写真2 は私と新しいレンジャーの様な気がして写しました。これだけのパートナーを上手にリード出来るか?頑張ります。

写真3は孫が喜びそうなTシャツを売ってましたよ。

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[footer-sugawara]

「忙中に見る夢」- OV – 2013/12/12 (木)

忙しい、忙しいで年が暮れようとしています。
そんな中でも、ふと出かけた山に、全く誰も通ったことがないであろう幾つかのトレイルを見つけました。
忘年会を12/29-30と2日間でやろうという事でカレンダーを見たら12/29なんて日曜日。
という事は多くは27か28で仕事納め。。。

じゃあ29日は朝から「まだ誰も走ったことがないだろう林道へのツーリング」を企画しました。先週は雪の中で、スタックしてクルマを置いて帰ったあの場所です。
SSERの事務所からひと山越えて、いつもの林道を2本、そしてほぼ通行不能な短い林道を1本やって、エイドステーション(おにぎりとあったかい汁物)あっ、これは希望ですが・・・そして最後に例の林道、途中からはシングルトラックに倒木がいくつかあります。そんなに長くは無いのですが・・・そして再びひと山越えてSSERの事務所そして近くの温泉、そんでもって忘年会1日目!ということでした。

来年はSSER30年。月日というのは、過ぎていくもので、人を待ってはくれません。
人生を振り返るよりも、来年1年をどう過ごすかに集中するボクは、やっぱり30周年記念の冒険の旅に出たいと思うことしきりであります。
その一歩が、忘年会ツーリングという事かもしれません。

さあ30周年!48時間耐久忘年会はコチラ [HP]


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「PRESANTATION SEOUL」- OV –  2013/12/04 (水)

ソウルで2年ぶりにPRESANTATION、松山空港からSEOUL便に乗った。
東京へ行くより安い航空運賃で、しかも早く異国のキャピタルに降り立つ感覚はとても新鮮。
なにかこうひとつの儀礼を省略したみたいな感じになった。

SEOULの会場はKTM-KOREA 広くて良く整えられた店内。Pitは地下。
良く準備されていて、参加者の方もみなさん熱心で目が輝いている。

興味はモンゴルに限らず、北海道4デイズやTBIにも。
聞けば「ソウル-札幌はとても安いので北4に出たい」とか。

そういえば過去には韓国からはTBIにも参加があり、あの関釜フェリーでは最近バイクも乗れるんだという事のようです。

そんなふうに
彼らの持つモーターサイクルへの熱情や
未知の大地への興味は私たちと同じです。

2013も韓国から9名もの参加者があったラリーモンゴリア。2014はそれを上回る参加者を予定しているそうです。2013年のランタンルージュ(最終完走者)のLeeさんは、「来年はAPIO JIMNYで出たいなあ。」と。小さいのにきびきびと走る姿に、ひときわ感銘を受けたそう。

さて、ラリーモンゴリア2014、20年目のこの大会には、どんなドラマが待っているのでしょう。楽しみですね。


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No.141「モーターショー」- 菅原さんからの手紙 2013/11/25 14:40

letter_141_20131125_1440_01第43回TOKYO MOTOR SHOW 2013が東京ビックサイトで始まりました。

私は取材があったので一般公開前のプレスディに行って来ました。

私の家から会場まで20分くらいで行けるので、千葉の幕張メッセでやっていた時より、すぐに行けるので助かります。

各社、コンセプトカーを出したり、とても積極的に感じました。

日野さんのブースはとても大きくて2011にダカールに出た実車も展示してくれておりました。

写真1は広すぎて全景が入らない日野さんのブースです。

写真2は来場者にドライバー席に乗ってもらう階段が用意されており、当日はテレビの取材が入ってました。

写真3はドライバー席に座るとなんと目の前のスクリーンにラリーレイドモンゴルの映像が現れ、さも自分が走っている感覚になります。

写真4は自分が入って顔をだしました。

写真5は今回、ラリーに行くスタッフの紹介と手前にあるこいのぼりは会場に来たひとにメッセージを書いてもらい、ゴール地点でレンジャーに飾ります。
今日(24日)は会場でトークショーがあるので、行って来ます。

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「SNSの付き合い方」- OV – 2013/11/20 (水)

「しかしSNSの時代なんだそうですな。(落語風に)」
「で、そのSNSってえのは、遭難した時かなんかに使うやつかい?」
「あっそれはSOS?!か・・てえとSNSってのはなんだい?」
そもそも日本人ちゅうのは、恥ずかしがり屋さんなのだ。
ボクの子供のころは、人の前で歌なんか歌うのは、恥ずかしくて恥ずかしくて音楽の時間に綺麗な?音楽の先生のピアノにあわせて!一人で歌うときなんかは、もう穴があったら・・な気分だったでしょ、あなたも。

それが昨今じゃマイクの取り合いで夜も更けていくし、お金まで払って歌を歌うっちゅうじゃないの。で、そのほかに子供のころみんなの苦手なものは何か?というと。思うに作文とマラソンでしたね。

そんなことは無かったかのように、みんなブログだあツイッターだあ、と日本語の作文技術の向上にいそしむ。いや、素晴らしいことです。

子供のころ作文の苦手で、いつもボクが代筆をしていた友人もいまではヘヴィブロガー・・・なぞはまだ続きます。マラソンの時間には必ず腹が痛かったり「先生、私、あの今日は走れないんです」なんて赤い顔して話していたあの彼女も、いまではみんな走っている。皇居の周りは、まーどーいうこと?歩道は歩く道と書いて歩道なのにです。「廊下は走らない!ぶつかるでしょ」といつも怒っていた小学校の時のボクの担任の先生もすっかりおばあちゃんになっていた。

で、思うに「走る」これに税金掛けたほうが良いのと違いますやろか。だってあんなに占有して30万人とか1日に???1日1000円かけても3億ですよ。

さらに登山!ボクが夢中になって登っていた頃(昭和40年代ね)なんて、誰を誘っても「山なんか行けるか!?」「・・・」だった。

「このままだと数年後には石鎚山に人はいなくなるよね」と山小屋のおやじと嘆きあった日もウソのように石鎚山頂も渋滞中!なのです。

こうした現象に加担しているのがSOSじゃなくてSNSではないかというのはぼくならずとも思うところ。そしてこれの最大の弊害は「焦りを生む」構造だという事ですな。

つまりあのお友達が多いほどでしょうが、みんな色々なことしているなあ、いろいろなところへ行っているなあ、それに比べてぼくなんて年に3回くらいモンゴルへ行くだけだのになあ・・・となっちゃう。

それはそうでしょう。何百人かいる友達たちのとっておきの経験を網羅されたら毎日みんなどこかで楽しい思いや旨いモノや、素敵な場所に行ったり新しいマシンを手に入れたり、そうしていることが凝縮されてくるわけですもの。

仕事と政治のことは悪口しか書かなくても、とにかく遊びと食べものと旅行に関しては、みんなすごい!ボクだけ何もしていないのではあるまいかという不安症候群に陥れられる、のではないかということ。これは近い将来には心疾患系のシンドローム化するのは必然。

でも明日SNSが滅んでも、ぼくは今日もFBになにかを書く。
そのココロはなんだろうねえ。

きょうの一枚

今日の一枚はモンゴルから。ここのところ勝ちまくってるBaja FJクルーザー。
速いし、とっても人間が良い。モンゴルではすっかりモータースポーツはスポーツとしての高い評価を受けるようになりました。素晴らしいことです。


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Organisation Voice – 2013/11/13 (水)

先日のこと、赤松カメラマンと二人でヘリで石鎚山系の稜線沿いの撮影を行った。
年間流すプロモーション映像なので、「紅葉はまずい」のだそう。
やっとめぐってきた最後のタイミングで飛んだ。

エアロスペシャル350Bの撮影用の架台にスチールとVをパラレルセット。なんとGPSは搭載していないので、急遽ガーミンに飛行ルートをプロットして上空に。
インカムの調子が良く、ぼくはナビシート(って言うのかなぁ)で、カメラのモニター画面とGPSと地図と、もちろん眼下に広がる山々のスガタカタチを眺めながら。インカムから流れる航空無線を聞きながら、あっちだこっちだと指示をしながら飛んでるうちに、かなりハイな状態になってきた。
もちろんドアは開けっぱなしで2000mの上空で、厳しい北風にあおられながらの素晴らしい旅、もとい撮影フライトでした。

結論
いやー素晴らしい。石鎚山系は、実に見事だ。こんなにこの山々が素晴らしかったとは。稜線の縦走路をトレースするように飛ぶのだが、北斜面の高度感たらそれはもう。
なんかヘリで日本中の山々を飛んだら面白いかなあ!!などと妄想したりする。

いまその編集作業中で、その興奮もまた蘇ってきたりします。

ものにはいろいろな角度で見なければならないというのを今回のフライトが教えてくれます。高空から見下ろせば、いわゆる俯瞰という事ですが「さまざまなことが良くわかる」と言いますが、それは間違いです。概観が分かるにすぎません。

グーグルアースを初めて見たときに、素晴らしいなあ、と感じたのは宇宙から石ころ1個まで自由にズームできるという機能でした。

いまGWの霧島4000に、上空から見ていますが、東京発表会の帰り道ではホテルから想定されたルートを走りながら、まるではじめて走る道のような感覚を覚えるわけです。皇居の佇まいを左手に見ながら北へ。胸踊る旅は、やはり地を這うような旅なのだという事も再認識したわけです。

仙波君が故戸井十月さんの本のことを書いたので少し。
戸井さんとは、銀座のバーで良くご一緒しました。
戸井さんはバイクの旅を「地を這うように走る」と表現していました。
1995年第1回ラリーレイドモンゴルには、NHK-BSの仕事を持ち込んで走ってディレクションして大活躍でした。

ボクも「地の果てるまで」いつまでも旅を続けることをお約束します。

先の発表会では30周年記念の旅のことを発表できませんでしたが、企画はどんどん温まってきていますのでお楽しみに。

きょうの一枚は
ヘリから。


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「東京の熱い夜」 – OV – 2013/11/12 (火)

週末はおなじみ、恵比寿Stylement「7」で、SSER PRESENTATION が行われました。
菅原さんの会社からも歩いて5~6分のところ。
もう何回、いや何年お借りしているのでしょう。そして圧巻はその夜の懇親会。

これまではすぐ前にあるチョモランマ酒場で行っていたのですが入りきらない!という不評をかこっていたので、今回はスタッフが努力!?して素晴らしいお店を見つけていただきました。

さて、本題。
感想。
発表席から見る来場者のみなさまの顔が、ここ数年で、いや顔ぶれは大きくは変化していないのですが・・いつもより視線が熱いのに少し驚き、さらに女性の増えたこと、なにかかなり久しぶりに、なにかこう強く感じるものがありました。

30年。20年。という節目だから頑張る!なんていう事ではないのですが、それでもやはりアニバーサリーは大切にしていきたいと心にそう思います。つまりですね、そのはじまったころの思いに立ち返るわけです。初志貫徹というか初心忘れるべからず、というところのお話です。


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「週末は、発表会場で」- OV 2013/11/05 (火)

気が付けば秋も深まりました。
SSERは年が明ければ30周年の年を迎えます。(これは後述しますが「数え年の概念」ですね、)
第一回大会は1985年でしたから、来年2014年大会は30回目というだけで実は29周年なのではないかと、少し考えることに。標記上 1985-2014 と書いて30Years Anniversaryとは、すこし違和感が残ります。

でも30回大会を30周年と考えるのは、そんなに問題でもないかなあ?なんて考えるのも最近はやりの「偽装」からかもしれません。
伊勢海老をExciteで英訳するとロブスターって出てきます。むかし海外で食べた伊勢海老もロブスターって黒板には書いてあったし。

話がそれました。
そういえば、21世紀も2000年からなのか2001年からなのか!?という議論がありましたね。

生まれた年が0と考える満年齢。生まれた年を1年目として数えるいわゆる「数え」ここにあまり知られてない事実が!!

数えの概念には「0」が存在しないのです。そして、2013年12月31日に生まれでも2012年1月1日には2歳と数えられる。のだそうであります。
古くからは日本はこの考え方が主流で、誕生日で年齢が増えずに1月1日で、ひとつ年を取ってたそうなのでありますな。

まあ、そんなこんなで数えのSSERは登録年齢もその年になる年齢が書かれていた時代は、数々のおしかりを頂きました。そこで年齢標記に意味はないのだろうという事で、年齢を発表することを控えています。

わけのわからないことを書きましたが、1985年からスタートしたSSERは30周年を迎えることにします。

きょうの一枚

奇しくも同い年のBMW R80 G/S Paris-Dakar・・・長いことSSERの守護神として?時代の変遷を眺めてきています。いつものあるべき場所に戻って来ました。


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No.140「来年こそは負けられません」- 菅原さんからの手紙 2013/10/28 12:00

letter_140_20131106_1330_01ダカールの方はレンジャーを積んだ船が4日程遅れているとか、新しく作ったサービス用の大型トラックがモンゴルからルマンの工場にバイラーさんが自走で走っているのですがポーランドの国境で苦労しているとか、毎日難しい情報が飛び交っている中、静かに来年のラリーレイドモンゴルの改造が進められております。

写真1は来年用に長男がデザインしてくれました。今まではベースがシルバーだったのですが今度は白になります。

写真2のラジエーターグリルは今はやりの大きな口にしてみました。

写真3はお約束のマッドガードを付けました。

写真4はナビ席に付けられたテラトリップ、このほかにGPSと別な距離計が取り付けられます。

写真5はフルカーボンのナビ席で、とても軽量なスパルコ製。

写真6はすべり止めを付けたペダル類。

新しい大型サービスカーは、現在3名の社員がルマンの工場に行き同行するハイラックス2台の整備とバイラーさんの到着を待って大型サービストラックの整備をする予定で帰国は11月末で12月中旬にはスタート地点のアルゼンチンに移動するので目が回る忙しさです。

私はと言うと忙しい隙間を見て、来年のTBIの車両を完成させたり、先送りをしないでやるのは「今でしょ」の精神を貫いております。

11月9日は恵比寿で皆様にお会いできるのを楽しみにしております。

菅原 義正

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No.139「レンジャーの船出しが終わりました。」- 菅原さんからの手紙 2013/10/28 12:00

letter_139_20131028_1200_01次回のダカールに向けて2台のレンジャーがアルゼンチンに向かいました。

今回も色々な人たちに助けられて、車両が完成されたのです。

まずはムーンクラフト(由良 拓也さんの会社)さんの協力で初めて風洞実験をしてレンジャーのCD値を調べてもらい、空力を10%も改良されております。

また、写真1のように1号車にはバイクで有名な「ヨシムラ」さんの協力でエキパイの一部を製作してもいました。日野さんのヂーゼルエンジンに「ヨシムラ」の名前が入ったエキゾーストコネクターが付いているのです。このように垣根を越えてコラボをしてくれた日野自動車さんやヨシムラのエンジン屋さんに感謝しております。

今の若い人たちの柔軟な考え方が新しい世界を作っていくと思っており、とても嬉しい気分です。

以前から、お願いされていた、「モータースポーツジャパン」に2号車が皆様の前で走行する姿を見てもらいました。これはお台場で毎年、行われているイベントで2日間で10万人集まります。写真2

20日には日野さんのテストコースで2台揃っての走行テストです。左が私が運転している1号車で右が照仁が運転している2号車で、私のはエンジンが1000ccも大きくなり、600馬力も出ているので、加速が一段と速くなってます。写真3

写真4はオープンコンテナーに載せられた1号車で写真4のように梱包されて船に載せられます。

12月15日頃にアルゼンチンで再会するのがとても楽しみです。

菅原 義正

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「日は、また昇る。」- OV – 2013/10/23 (水)

HRCの先のモロッコの活躍や、YAMAHAのシリル・ヌブーじゃなかったシリス・デプレの獲得!で来年のダカールは見逃せません。

とはいえ王者KTMも、やすやすとその座を譲ることはないでしょう。
しかし、その情熱は維持でき続けてっるのか?は確かに問われます。

でも、あの時代に、本当に勝ちたくて勝ちたくてたまらなかったけど勝てなかったKTMも、いまではビジネスにおいても、砂漠の上においてもゆるぎない風格を醸し出しています。いわば、最小の投資で最大の結果を出しているとも見れます。

ビジネス用語でいうベストプラクティス!こそはこの20年のKTMの歩みそのものです。
とはいえ、厳しいこと言うようですが、王者の座は、安寧であろうはずはありません。
それは、勝つことへの情熱と、勝ち続けることへの情熱は似て異なるものだということです。追うものと追われるもののランチェスターの闘いが展開するのです。
そして、勝ち続けることなんて、ありえないんです。
でも、まだ今回くらいまでは勝てるでしょうか。。。それは勝つことへの習慣化といえばいいでしょう。

では、ひるがえってわが日本。負け癖が付いてしまって、ここまで負け続ければ、なにをやっても、リードしてても「でもやっぱり負けるのではないか?」という不安に襲われて、その思いは負けるための要素のささやかなほころびに含浸していっては、破たんを繰り広げていくはずです。

現に日本人、あのオリンピックの招致活動でも「たぶん負けるだろう」と少なくない人が思ったから、あのガッツポーズや涙や抱擁が生まれたのではありますまいか。
ボクは宝くじは買ってはいけない!と主張し続けます。
負け癖に塗れた人生を形成していきます。

夢を見る→かなわない→当るはずがないと納得する→でもまた買ってしまう。買うときは「買わないと当たらない」という。→また当らない。→当るはずがないと納得する。

これを繰り返していくと、当たることが奇跡で当らないことが日常になるわけです。つまり失敗が日常で、成功は奇跡つまりありえない。という日本人の「何をやってもダメ」だと思う、そういう精神をはぐくんできたわけです。
ゆとり教育を、なにかの言い訳にしてるよりも実はたちが悪いという事に気が付いてなくて、なんと当選金額ばかり上げていく。

「えっ、7億円」
買おうかなあ、今年くらい。

まったくもって話がそれてしまいましたが、
日本人、そろそろ勝ちに行く!に転じなければならないなあ、と思ってたらTOYOTAもWRC復活のニュース。あの屈辱のリストリクター事件も過去のお話。

で「日はまた昇る」という今日のタイトルは、深草君のダカールのライディングウエアのデザインテーマに定めたものです。

ダカールが南米に移ってから、はじめてのプライベーターとして挑むのですが、きっと、思うほどには上手く闘いは展開しないでしょう。きっと、大苦戦をするはずです。つまるところ、ワークスたちの活躍の陰で、陽の目も当らないでしょう。しかし、それこそが望むところです。きっと深草君も上位争いに加わってやろうなんて思ってはいません。(思ってたらごめんなさい。)
男子たるものの、心意気こそ日本再生の鍵であり道であろうと思います。

「紅葉の季節には。」- OV – 2013/10/18 (金)

10月も半ばを過ぎると、いつも思い出すのが「ガストンライエ・ミーティング」
1999年10月の末。ガストンは関西空港に降り立った、ぼくは予算がなかったのでエコノミーのチケットを取ってParisの旅行代理店からガストンのもとに届けさせておいた。

「ごめんなさいね、エコノミーで。。」
と空港から走り出したクルマの中でボクが詫びると。
「ゼンゼン。空港カウンターのスタッフが、あっガストン!日本へ行くんですか、じゃあ」
とビジネスにアップグレードしてくれたんだ。
「・・・」

楽しそうだ。
神戸で最新のBMWのGSを借りて、明石海峡大橋を渡る。
楽しそうだ。
いつも笑いながら話している。
これが神様だ。

新しいGSは1150だった。
それでも剣山スーパー林道では2つ目のコーナーで見えなくなってしまう。
そんな10月末は、数年間ガストンは来日を重ねた。
富士山や諏訪や、そしていつも白馬をゴールにしていた。

彼が最後に日本にやって来たのは2004年のTDN(TBIの変化形)そして陽気に手を振る彼と最後に分かれたのは、東京プリンスホテル。
菅原さんの奥さんの運転するクルマに乗り込んだ姿が、最後だった。

その秋のガストンライエミーティングは紅葉の京都を舞台としたのだが。チケットは送られたもののガストンはベッドから立てなかった。
それでも電話をかけてきてしきりに詫びる彼の声に、フランスに行かなきゃ、という衝動にありながら行きそびれた。

紅葉の季節は、そんなだからいつも悲しい。
でも来年春にはガストンと描いた、東京プリンス以降のルートを走る。

そうそう、ガストンと約束してたタマンラセットに置いてきたDC-3を今度一緒に取りに行かないか?という話は実現しなかったが「DC-3」という名前の事務所は開きました。あの美しいボディの飛行機をどうやって手に入れたか、どうやってサハラに置き去りにしてきたか、身振り手振りで語るガストンのことが今日はやけに身に染みる。

きょうの一枚

冒険、というキーワードを掲げた30Ans SSER。第一弾TBIは、あなたの想像をはるかに超えるダイナミズム。古き良き時代を懐かしがってるのではない。新しいモーターサイクルと人とのかかわりあい方を探検するという冒険をするのだ。

 

「紅葉の季節には。」- 2013/10/18 (金曜日)

10月も半ばを過ぎると、いつも思い出すのが「ガストンライエ・ミーティング」
1999年10月の末。ガストンは関西空港に降り立った、ぼくは予算がなかったのでエコノミーのチケットを取ってParisの旅行代理店からガストンのもとに届けさせておいた。

「ごめんなさいね、エコノミーで。。」
と空港から走り出したクルマの中でボクが詫びると。
「ゼンゼン。空港カウンターのスタッフが、あっガストン!日本へ行くんですか、じゃあ」
とビジネスにアップグレードしてくれたんだ。
「・・・」

楽しそうだ。
神戸で最新のBMWのGSを借りて、明石海峡大橋を渡る。
楽しそうだ。
いつも笑いながら話している。
これが神様だ。

新しいGSは1150だった。
それでも剣山スーパー林道では2つ目のコーナーで見えなくなってしまう。
そんな10月末は、数年間ガストンは来日を重ねた。
富士山や諏訪や、そしていつも白馬をゴールにしていた。

彼が最後に日本にやって来たのは2004年のTDN(TBIの変化形)そして陽気に手を振る彼と最後に分かれたのは、東京プリンスホテル。
菅原さんの奥さんの運転するクルマに乗り込んだ姿が、最後だった。

その秋のガストンライエミーティングは紅葉の京都を舞台としたのだが。チケットは送られたもののガストンはベッドから立てなかった。
それでも電話をかけてきてしきりに詫びる彼の声に、フランスに行かなきゃ、という衝動にありながら行きそびれた。

紅葉の季節は、そんなだからいつも悲しい。
でも来年春にはガストンと描いた、東京プリンス以降のルートを走る。

そうそう、ガストンと約束してたタマンラセットに置いてきたDC-3を今度一緒に取りに行かないか?という話は実現しなかったが「DC-3」という名前の事務所は開きました。あの美しいボディの飛行機をどうやって手に入れたか、どうやってサハラに置き去りにしてきたか、身振り手振りで語るガストンのことが今日はやけに身に染みる。

きょうの一枚

冒険、というキーワードを掲げた30Ans SSER。第一弾TBIは、あなたの想像をはるかに超えるダイナミズム。古き良き時代を懐かしがってるのではない。新しいモーターサイクルと人とのかかわりあい方を探検するという冒険をするのだ。


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「あのTDNから10年。日本のエネルギー政策を問うた2004年」 – 2013/10/08 (火)

写真1

写真2

写真3

もう10年の歳月を失った。それは長崎ハウステンボスをスタートした、「Tour de Nipponは2004」この大会はなにかに衝かれたような渾身のルート制作。秋も深まった頃に北海道を駆け抜け遭難寸前。トムラウシの山中で日没直前ヒグマの赤ちゃんに遭遇して、思わず駆け下りようとする人あり、下北半島では日没後にたずねて行った鄙びた温泉宿で言葉が通じなかったり。でもお風呂が素晴らしかったのに大感激!さらに岩手の山の中では雪に閉じ込められるなど「春を待ってたらまに合わない!」と。。この年で3年計画のTDNも総集編。

それから約半年ののち初夏を思わせる太陽の下。
ハウステンボスに空港から船で(アクセスできるんですね)やって来たガストン・ライエたちの楽しそうな姿。なにか口ずさみながら(彼らの癖ですが)やって来ました。そのご機嫌なこと。

オランダを模したというよりも、そのもののハウステンボスの町並みにガストンは驚き、そして歓び(最後の日本の旅を)心から楽しんでいるようでした。

ラリーは翌日スタート、まず長崎市の平和公園にひとつめのCPを置きました。次に目指したのは島原にある雲仙普賢岳。ここでは参加者たちに「普賢」という一つのキーワードを提示します。
雲仙普賢岳は、1991年神の怒りのような大噴火で大勢の犠牲者を出した山です。
そして岡山人形峠を越えて、若狭湾沿岸の原発銀座へ。
そして北海道でもオホーツク海道沿いの巨大風力発電風車群の中を北上し、宗谷岬へ。本州に帰ると東通村や六ヶ所村、福島の原発群を(わざわざ)見物しながら、光の海の東京にゴールする!というものでした。勝負の行方も非常に面白くて最終のSSが行われた福島までほんの3秒差程度で岩崎と、スペインバハの125ccクラスのチャンピオンのミハエルとのデッドヒート!を岩崎有男が制してこのTDNの有終の美を飾りました。

閉会式で「今大会は実は日本の原子力政策の現場を訪ね歩いて、日本のエネルギーを考えるというサブテーマがあったんです。」と話すと会場は「おーーっ」と。
あれから10年。また壮大な旅がしたくなりました。

きょうの一枚

懐かしい!2004年TDN、車検会場はハウステンボス(写真1)
そして長崎のリエゾンは道の真ん中に並木があるのです。菅原さんも10年前だから62歳!ワカッ!そして後方はゼッケン4、ガストン・ライエ(KTM)(写真2)
そしてガストンがご機嫌で走る日本のリエゾン。心から楽しんでいました。もう没後10年なのか。。。

No.138「新しいエンジンが載りました」- 菅原さんからの手紙 2013/10/07 12:00

letter_138_20131007_1200_01私が今度乗る1号車は9月の末に焼津の工場から日野自動車本社の試作部の工場に移動しました。

この1号車には色々と新しい試みがされており、一番はエンジンでA09と呼ばれており、レースには初めて採用されます。馬力はまだ内緒で10月13日と14日にお台場で行われる「モータースポーツジャパン2013」で発表されます。

写真1は新しくフロントミッドに乗せられたA09のエンジンの前側です。

センターデフも装備されており、常時4駆で普段はフロント30%、リアー70%の駆動がかかっており、砂丘などでは50%、50%に固定も出来ます。更に4輪デフロックにもなり、鬼に金棒ですね。

写真2は後ろから見た荷台で軽量化の為に床がありません。ラリー中は急いで動き回るので、気を付けないと踏み外してしまいます。右の白いタンクは冷却水の補充用の水タンク。右上にあるのはインタークーラー。黒くて丸いのは巨大なエアークリーナで外側と内側とに2つ入っております。

写真3はエアータンクの上に固定されたスコップで、タンクをとめるベルトを利用して固定金具が付いており、ここまで考えられるのは何台もラリー車を作ってないと、このアイデアは出てきません。

写真4は特殊な積載車に後ろ向きに載せられた1号車です。

尚、10月14日の11時30分から12時30分まで上記のイベント会場で日野さんの社長も来られて次回ダカールの出場発表会があります。日野さんのホームページも10月1日から新しくなりましたので見て下さい。

菅原 義正

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「さて、2014年。鬼が笑う思いを巡らせて。」- OV – 2013/10/03 (木)

早いもので、10月。
山々は少しずつ色づき始めました。
季節は、そうはいっても確実に巡っています。
あの真っ赤なナナカマドの紅葉の石鎚北壁とかに思いは募るのであります。

というのも来週は空撮。ヘリで石鎚山系をカメラマンの赤松氏と空から縦走します。
どんな映像が収められるか?タノシミ。
そして地上からも縦走路の撮影がはじまっています。
昨日は「いい天気だから」と出かけた赤松氏。夜は飲みに行く約束だったのに帰ってこれず稜線近くでビバークしたらしいのです。電話がかかってきて「近くの水場はどこ?」なんて、まあ携帯がつながるというのも現代の山なのですね。
「どこそこにあるよ」
と教えたときには、もう真っ暗でしたから、大丈夫かなあ。
そして昨日の夕方には帰っていましたから、まあ一安心。

実はこの仕事、紅葉が始まる前を撮らないといけないので、とにかく大急ぎなのです。

そして翌々週のSSER3DAYSが終われば、まあ言うところのボクのストーブリーグがはじまります。事務所のダルマストーブを抱えて、薪をくべながら2014のあれこれに思いを巡らせるのです。でも考えてみれば11月初旬には発表会!となると写真集も大急ぎ。もちろん詳細な計画も並行して進めなければなりません。漠然としたルートのイメージを、現有戦力で実現可能な高みに持っていかなければなりません。

そんなお話はこれから少しずつ。

きょうの一枚
まだ色づく前のもみじ。紅葉という木は。樹形も葉っぱの形もなにもかもが美しく素晴らしいなあ、しみじみ。

「雨の日は、雨に濡れて。」

「雨の日は、雨に濡れて。」

さてSSER3DAYS 30Years Anniversary-1Year 2013
つまり、来年30周年なわけですが、今年29年目の大会。
そう言えばいいのに「なにが30-1」じゃい!?とボクだってそう思うんですから、
さぞかし皆さんも。
ということで30年の歴史を振り返るとしましょう。

事の発端は、もちろん30有余年前。
寝ても覚めてもバイクのことばかりの日々。
晴れた日には山へ、雨の日も山へ、雪の日だって台風の時でも、山へ行っていたわけです。ですから近隣の林道やらけもの道やらは、まあ知り尽くしてた時代です。もちろんさまざまな通信手段やネットなどのある時代ではないのですが、
林道で知り合った友人らが日増しに増えて行った頃でもありました。

そしてスタートしたSSER、大勢の参加者に恵まれ急速に発展していきました。そして20数年を経て、参加者数は次第に減少をはじめ大会ごとに過去最低を繰り返していました。
もちろんその間にSSER実行委員会は、SSER ORGANISATIONと名称も少し変わりラリーレイドの傾斜していきました。

この本家たるSSER 2DAYSは唯一コースマークを使う大会として、SSER ORGANISATIONの各イベントの中では少々異質になって来ても居ました。
もちろん議論もありました。ラリーとエンデューロの差異についてとか?向かうべき方向性の問題とか?

しかし回答なんてありません。
で、ボクの回答は表題の通り
「雨の日には雨に濡れて」
というわけです。

参加者のニースに応える?のが良いのでしょうが、ボクタチは自分たちの主張をなかなか変えることができないほどの不器用さなので、それを「変わるべきものと変わらざるべきもの」と。 そして収支に左右されず「良い時も悪い時も」終始一貫した「不偏」の態度を、と決め込んでいるのです。

さあ30年まであと1年。それでも目指すのは160km×3つまり100マイル×3=300マイルのハードディスタンス。多分雨も降るでしょう。
だから「雨の日は雨に濡れて」です。
とはいえレインウエアはお忘れなく。
思い気っきりハードでタフな、そんな大会。。です。

さて、一方でRally Mongolia2014
1995年にはじまったこのラリー、年数だけで数えれば20年目のイベントとなります。つまりSSER ORGANISATIONの10周年ではじまったのがモンゴルだった、ちゅうわけです。

思えばこの20年間はボクにとって人生の中で最も悩み苦しんだ日々だったと言えます。でもそのぶん喜びも大きく、振り返るほどに濃厚な歳月でした。

こちらも振り返れば、1995年第1回大会。まだモンゴルが民主化間もないころ。
渋滞なんて考えられない時代。クルマが珍しくボクタチが乗るTOYOTA LC70はどこへ行っても人だかりができるほど。。。
その1年目はまず東へ向かいました。東と言えばロシアと中国が国境を交えるあたり、旧満州も近くもちろんノモンハンもすぐ近くです。

ある町はずれには戦闘機の残骸が山積みされたミグの墓場があり、横を通りながらみんなでコックピットに収まり記念撮影をしたものです。

南に下れば草原の中にロシアの軍需工場が、まるでスターリングラードの撮影現場かな?と思わせるように廃墟として佇み、しばらくその前に立てば身動きも出来ないほどの圧迫感に恐怖を感じたものです。周辺は地雷原。あわてて引き返すとなんと、地雷の上にボクタチのクルマのトレースが・・・とにもかくにも20世紀の遺産をいっぱい見せられたエリアでした。

いまはその方面にもウランバートルからの舗装路も伸び、間もなく北京とも繋がるでしょう。アジアは内陸に向かって資源を求め流通を模索し、巨大な生物の循環系のように血管を伸ばし続けています。

そして2014年、新しい選択肢は実は過去の経験の中に存在していました。これまで「西へ」伸ばしてきたラリーと言う名の探検行は、再び「東へ」または「南へ」というエリアに臨んで行こうと模索を始めました。

30年目のSSER、20年目のRally Mongolia、また地上には未知なる道が長く伸びています。


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No.137 「尾上さんとの勝負に今年は負けました。」- 菅原さんからの手紙

準備の段階はお互いに秘密裏にやっており、私はインタークーラーの効率を良くする為にフロント部分に移動したり、インタークーラーにミストを掛けて冷やすことを考えたり、いざとなったら酸素ボンベを積んでエアークリーナーから酸素を入れたり、色々とテストを繰り返したのですが、それぞれ効果はあったのですが、段々とお金を掛けた車が勝つことになり、最初の趣旨から逸脱してきたので、インタークーラーの移動だけで松山の車検場に車両を持ち込んだら、なんと敵は新車を投入してきました。

私のは2007年式なので7年目の挑戦の車と新車では速さ(特に立ち上がり)で負けてしまいました。

車両の速さだけではなく石原さんのナビ力とさらに尾上さんの運転の上手い事とあのしつこさに負けました。

尾上さんとの勝負はSSでの勝負なので今年は8ステージあり3勝5敗でした。

最終日の148.22KMのSSでは我々に勝機があったのですが、生かすことが出来ずに1分13秒の負けで勝負が付いた事になりました。

考えてみると今年のダカールで私はクラス4位になったのですが2週間戦って54秒差で3位を逃してしまいました。

悔しいのでAPIOさんに新車を一台注文しましたよ。

菅原 義正

写真の説明1は何百キロを走っても付いてくる尾上車
写真の説明2は今年初めて130KM/Hを記録 写真は赤松さん

 


著者紹介 菅原義正氏

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「ワガコト化」- 2013/09/10 (火) – OV

「ワガコト化」- 2013/09/10 (火)

英語で「ありがとう」と言うと時々「マイプレジャー」と答えが返ってくることがあります。先のブエノスアイレスでの中継放送の中でも、一瞬聞こえてきました。
ボクもラリー中に心がけて、英語圏の人からの謝辞には「イッマイプレジャー」と答えるようにしています。
これってかなり日本的な発想がもたらす言葉だと思うわけです。
つまり「とてもありがとう」にたいして
「喜んでいただけるのが私の喜びでもあります。」と言う意味ですから。

そしていま、少しずつですがワガコト化計画を進行しています。
その方の悩み、自分ならどう解決するだろうか?まあそういうことです。
ワガコトの反意語はヒトゴトです。多くのことがヒトゴトの時代に、少なくとも自分の周辺で起きるいくつものことをワガコトトシテ考え行動しようという運動です。

ヒトノイタミヲワガイタミトシテ・・・いうのは簡単ですが実にこれが難しいわけです。昨日は「惻隠の情」について書きましたが、今日はさらにそれを一歩突き進めた思いです。
惻隠の情には若干とも差別意識が潜んでいます。素晴らしい思想のようでもありその実は被支配者と支配者的な微妙なにおいをまといます。

ワガコト化とは、お城を抜け出した王子様が乞食の少年とそっくり立場を入れ替える、というのではありません。立場は立場としてわきまえ、そのおきてる事象や問題、いま目の前にある仕事などなどを自分のこととして向かい合う姿勢のことです。

それが出来ていないのが、まあ政治家です。本当にフクシマをワガコトとしていますか?自身の母親が避難所暮らしをしていて、帰る場所を失っているとしたら・・・

言うは易しで、こんなことを言ってしまいましたが、いま目の前にある仕事の発注者が自分だった場合を考えて、取り組まなければ。。。そうすると赤字になりはするのですが。

 

きょうの一枚

沙漠に咲く花。明後日からはまたモンゴル。コースマーク付け!帰ってきてもSSER3DAYSのコースマーク付け。おそらくモンゴルのコースマークのほうが圧倒的に多いのですが・・・


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「惻隠の情と、東京五輪決定万歳について」- 2013/09/09(月)-OV

「惻隠の情と、東京五輪決定万歳について」-  2013/09/09 (月)

テレビを見てた。東京五輪の招致決定の報に日本中が湧いていた。
本当におめでとう。心からそう思う。

そして今朝は、浜口京子さんが親子で出演していた。この彼女の優しさは、自分の父親に向けるまなざしでも証明される。インタビュアーは「レスリングが五輪競技に残ったのをどう思うか」そんな内容だった。そして「それはとてもうれしいけど、落選した二つの競技のことを考えると素直に喜べない。どうしてすべての競技が五輪で行われないのでしょうか。」と言う発言(だったと思う)。五輪招致とは若干ニュアンスの違う「競技の選択」どのような理論が働くのだろうか?この惻隠の情のようなものがスポーツマンシップだと思った。

東京エリアに野球場ならいくらでもあるし、おそらくだがスカッシュをする場所などいくらでもあるだろう。と考えると物理的な問題ではあるまい。巨大商業サーカスとなった五輪(決して、悪い意味でも皮肉でもなく、むしろ畏怖の意念を持ってそう言ってる。)原則は、いまはどうなってるんだろう。

招致活動も2020が東京で、2024がイスタンブールで、
2028がマドリッドではいけないのだろうか?
たぶん理由は見事にたくさんあるのだろう。
招致活動そのものも大きなショウビジネスになってはいまいか。

TOKYO、
確かに、7年後に向けたアベノミクス第4の矢にはなるだろうと思う。あのコンストラクタブルと悪評の高い、ザハ・ハディの近未来建築も日本の企業ならものにするだろう。日本は古き良きものへのノスタルジーへの傾斜をやや緩め、近未来的または未来的なものにパラダイムの緩やかな変化を遂げるかもしれない。

あの熱狂は、これまでの日本人の日本人的なところのやはりだが・・・変革を示した。
浜口京子の言う「選ばれなかったところに申し訳なくて」ただ素直に喜べない、
というのが正しい。いや喜んでいいのだけど。

むかしラグビーの試合に駆り出されたボクは一人白いスパイクを履いていてひんしゅくを買った。そんないやなやつが・・・パスをインターセプトしてタッチダウンもとい、
トライを挙げた。
ガッツポーズをして、怒られた。
ラグビーは紳士のスポーツだから点をとっても喜んではいかんのだと。
ふーん。
と思った。

惻隠の情をもって、喜ぶべし。

その精神は、在りや否や。


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「29年目のSSER」- 2013/09/04(水) – OV

「29年目のSSER」- 2013/09/04 (水)

あの時も、林道には栗のイガがあちこちに落ちていて、取る人も居ない野生の栗の実の多さに驚いたのは久万高原。それに彼岸花の赤と金色に色づいた稲に、錦絵のようだなあ、と感動したのもあの時の久万高原。

もちろん携帯電話もなければコンビニもない。道すがら畑仕事のおばさんにトマトを分けて頂いたり、房代野(スイマセン、超ローカルで)の湧水に癒され。日が暮れかけると、高原に響く有線放送から流れる、「遠きぃ、山に日は落ちて~」なんていう曲だ?あの「新世界より」の日本版の唱歌。あれが、いかん。
あれがさみしさを誘うんだ。

山の斜面に張り付いた民家からは、夕餉の支度の煙がたなびき、日本の原風景はやはり「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行く とて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などの つらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音、虫の 音など、はたいふべきにあらず。」
と、不完全な記憶の(↑は検索したからね。)枕草子をそらんじてみたりしながら、「明日も来なきゃ」とバイクを走らせたものだ。

その時はボクもまだ29歳だったので、今年29年目と聞くとそれまでの29年と、それからの29年の分水嶺のようなものがSSERのはじまりだったんだと妙にしんみり。

あのころは、トライアルにはまっていたというのにある雑誌の表紙を飾ったISDEの写真・・・ちょうど二人のライダーがカウンターを当てながら古いヨーロッパの、石造りの町並みを駆け抜ける・・・に心を奪われて、そしてさらには始まってそれほど間のないパリダカや、BAJAや、世界のいろいろな土地で開かれるそれぞれ個性的なアドベンチャーなレースに心を奪われていて。。。

SSERは、来年30年。大きな区切りかなあ、とも思うし。複雑な胸の内を抱えて、さあ東京へ行かなくちゃ。そんで帰ったらすぐモンゴルへ再び。
でも、あの企画書も、その見積もりも、山積みの仕事が野ざらしに。怒られるだろうなあ、きっと。

The29th SSER 3DAYS CLASSICS エントリー受付スタートしました [終了しました]

 


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「いまだからこそ考える、競技規則の安全対策」- 2013/09/02(月)-OV

「いまだからこそ考える、競技規則の安全対策」- 2013/09/02 (月)-OV

モータースポーツの光と影は、言うまでもなく栄光と敗北ではなく、
栄光と少なくない事故だろうとおもう。

競技規則や車両規則の多くはいくつもの事故を検証しては突き詰められた
安全への切なる願いと言っていい。だからそれを軽んじる参加者は、
モータースポーツの真のメッセージが理解できていない。
つまり、その大会の競技参加者といえないのだが、
不備の多い人に限っては「自分は大丈夫だ。」と言う。
そんな者でもモータースポーツの光の部分を語ることは出来る。

30年にわたりオーガナイズをしていると、多くの事故現場を目の当たりにする。
それはお互いにとって不幸なことではあるが、
自分には「それは、避けられなかったのか?」という悔しい思いに、
実は相当な時間いや年月を費やしてしまう。
苛まれるというのとは違うが、忘れられないのだ。

SSERではネックブレスの装着やヘルメットリムーバーの装着をかなりの範囲で
義務付けている。ヘルメットも、厳しい検査の基準を設けている。
それらはしばしば、トラブルの原因にさえなっていて悲しい。

ネックブレスで守られた頸椎は、ほかの部分にダメージを与える。たとえば脳だ。
本当ならネックブレスとマウスピースがセットであることが望ましいが、
おそらくマウスピースを咥えて走れというと猛反発だろうか。
またネックブレスは、一方で多くの部位を傷つけながら頸椎を守っていることも解った。
ネックブレスに適応したブレストガードが必要だと思う。

安全対策は、どのように進めても足るを知らない。
素敵な思い出を持って、月曜日に職場に復帰するためには、なによりも一番に考えてほしいことだ。それは競技には限らない。

 


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No.136 「1号車」- 菅原さんからの手紙 2013/08/28 14:35

ラリーレイドモンゴルも無事に終わり(山田さんを始め、お世話をしてくれたオフィシャルの皆様に感謝です)、留守中に進行している日野レンジャー1号車の様子を見に行って来ました。

2014年のダカールに私が乗る1号車ですが、写真1のような状態でフレームにキャブがやっと載った状態です。ラリー前にウランバートルの郊外で日野さんの技術陣と2号車のテスト走行に同行し、私も乗せてもらいましたが、今年、私がダカールで乗った車両がベースとなっているのですがエンジンは更にチューニングされて、とんでもなく速い車になってました。結果は自動車部門の総合3位でした。

次回に私が乗る1号車は更にエンジンの馬力が上がるので、これは大変と運転姿勢を今までと大きく違うポジションにする為にシートポジションとハンドルポジションを変更して来ました。

写真2はショッアブソーバーのブラケットの下塗りの最中です。

写真3は初めて採用する後ろが下がったフレームです。本来は上が水平で使うのですが床面を下げるのに反対に使ってみました。

写真4は照仁がモンゴルでドライブした2号車です。屋根のバイザーを付けただけで 空気抵抗が10パーセントも向上しました。 ある時はRCPに1番で着き、1番でスタートで、後ろはあの有名なボルトバートル選手でした。 1号車は10月12日にテストをする事が決まっているので、これからが大変です。 次回、バイクで出る深草君も予定通りに準備が進んでいるようですよ。 楽しみですね。

菅原 義正

写真5のpdfファイル


著者紹介 菅原義正氏

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No.135「新しいサポートカミオン」– 菅原さんからの手紙 2013/07/31 20:28

letter_135_20130731_2028_01次のダカール用に新しいサポートカミオンの製作をしております。

今までのは6X6と言って6輪駆動車でしたが、今回、新造しているのは6X4と言って6輪の後ろ4輪だけが駆動する車両で、ベースは日野さんが中東向けに輸出している左ハンドル車です。荷台はラリーのサポートを前提にすべてが新規に設計し製作しているので大変です。

写真1で分かるように荷台の前には競技車両のスペアーバンバーが固定されて、屋根に上がるハシゴはワンタッチで棒上になり、施錠もされるので簡単に誰もが屋根に上れない工夫がされてます。タイヤも競技車と共用出来るようにホイールも特別に作ってもらいました。

写真2は夜の作業灯の点灯テスト中で100Vの強力なLEDが両側に4ケづつ付きます。

写真3は両側に付けられた階段ですが、これもワンタッチで荷台下に潜り込みます。今までアルミ製のハシゴでしたが、物を持って乗り降りするのでステップがあるこの方が安全ですね。

写真4は天井に取り付けられたウインチで使うときにはレールで車外に出てきて、物を吊り上げて、室内に運び入れる構造になっており、300KGまで吊り上げ可能です。そばには24V用と100V用のLEDの室内灯が見えます。

写真5は積み込まれた競技車のスペアーのトランスファーとミッションと連絡用のバイクです。

今までのサポートカミオンはアフリカの砂漠地帯も走るのでロールバーや競技用シートや4点式シートベルトなどが必要でしたが南米に移ってからは一般道を走るのでそれらのものは付けなくても良くなりました。

今、製作しているのは焼津にある坪井特殊車体と言って、災害救助用のトラックなど本当に特殊な車ばかり作っている会社で、競技用のレンジャーのボディも毎年お願いしております。

こちらの会社とは45年も前からのお付き合いがあり、私がミニクーパーでレースをしていた時に4トンのアルミバンを改造してもらい発電機やエンジンを降ろすときのクレーンなど付けたレース車を運ぶ専用のトラックを作ってもらいました。当時はワークスでさえ幌付のトラックでサーキットに競技車を運んでいたので日本初の競技車専用の運送トラックを作ってもらって、今もお世話になっております。

この会社の会長は「技術的に困ったら植物を良く観察するとヒントがある」と言ってます。何万年も生きてきた植物の枝の生え方にもヒントがあるようです(強風が吹いてもしなやかに逃がす)。また、今の若い人は、会社を訪ねて来るときに、交差点を曲がる度にに携帯で電話がかかってくると嘆いてました。

我々も気を付けましょうね。

菅原 義正

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「徳は孤ならず。必ず隣あり。」- 2013/07/30 (火曜日)

愛媛県は偉大な建築家を排出する土地柄です。
代表作の一つ日土小学校(愛媛県八幡浜市)は、熱心な建築家らの熱誠な努力で、取り壊しから一転修復保存され国の重要文化財に指定されるという快挙を為しました。建築家は松村正恒(1913-1993)愛媛県大洲市出身 八幡浜市役所勤務時代に多くの小中学校を手がけました。

初期のTBIでは、必ずのようにこの小学校の前を通ることにしていました。25年ほど前なのですが。。。

その松村の遺した書にあったのが論語の「徳は孤ならず・・・」小さな半紙に、ふっと書かれたその墨跡にボクは心をとらえられました。
やはり偉業を為す人のものだなあ、と。

徳を積むということは、容易ではありません。
むしろ不徳のこころのほうが自由で闊達なのかと思う事さえあります。

しかし人生。
この言葉の通りだと感じるのは、
「六十にして耳したがう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。」
の、耳したがう、歳になってきているからなのでしょうか?

つまり60になって初めて人の意見を聞くようになった。と孔子先生は述懐してるのであり、深読み癖のあるボクは60代になってもなお人の意見が聞けない自分を嘆いているのではないか?と思うわけですが、それはさておき。

やはり友を得るには、徳を積まなければならないでしょう。しかし友を得るために積む徳などというのもまた存在はしません。目的と結果はこの場合は結ばれません。
孤を良しとして自らを見つめてこそ、多くの隣があるべきです。

松村は、孤独な製図板に向かって完成した建物で子供たちの弾む声を夢見て、つまりその思いが結実して、そこに子供たちの歓声が実現したのみです。
それが徳を積むという事で、名声を得るだとか、評価を得たいとかという思いでは実現しない高みに登ってこそ、この論語を記したのかと心を打たれました。

子曰、徳不孤、必有鄰。

子曰わく、徳は孤(こ)ならず。必らず隣あり。

Confucius said, “A person of virtue is not isolated. He must have some companions.”

孔子先生はおっしゃいました。
「徳の備わっている人間は孤立する事は無い。必ず仲間がいるものだ。」

来年のTBIでは必ずこの前を通りますから、ちょっと眺めながらでいいので走りすぎてください。そんな素敵な建築物が沢山の四国を巡る旅にしようと思います。
ルートブックには誰それの設計した〇〇銀行〇〇年、とかって書いておきますね。
近代モダニズム建築を巡る旅というのをサブテーマとしておきます。

 


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「ひさびさの、雨のSSER復活!でした。」- 2013/07/29 (月曜日)

なんということでしょう。雨のSSERが戻って来ました。

といっても、実はこれSSERのもう一つの顔であるNPO-SSERの主催するイベント「第3回久万高原ヒルクライム2013」のことです。

土曜日は久万町商店街にある古い酒蔵に、冷酒とビアサーバーを設置してお寿司屋郷土料理が並べられて、表のステージではコンサートとトークショウ。

ステージ越しの背景は古い久万高原町の町並みが山裾に沿って美しく広がっています。西日が当たって、それは美しい数時間。明日はヒルクライムの本番なのに呑む食う!な選手たち。さすがに料理のメニューから「あぶらもの」は外しておきましたが。

そして標高1000mの宿では夜半から雷鳴がとどろき豪雨が!!「これは・・・」ところがボクは、コンナコトモアロウカト今回初めてレースキャンセレーション・ポリシーというのを定めて発表してありました。
こんな内容です。

Race Cancellation Policy
KUMAKOGEN・HILLCLIMB RACE2013 ORGANIZING Committiee

レーススタートの要件

気温気候が安定していてルート上がオフィシャルの手でクリアされていること。また道路分岐、一般民家とルートが交わる地点に役員または警備員によって封鎖の確認が出来ていること。

計時システムが正確に作動することが確認されていること。

スタート時刻の3分前までにスタートしようとする有資格参加者がスターティングゲートより後方位置に待機が完了していること。

レース中止またはスタート遅延、距離の短縮などの条件

大雨洪水警報が発令された場合

警報が発令されていなくとも、局地的な豪雨や雷が確認され大会競技委員長がスタートの中止または遅延またはコースの短縮を大会組織委員会に諮り裁定を得た場合。

スタート地点の気温が34℃を越え湿度が80%を超えた場合その両方またはいずれかの場合は、スタート地点に散水車が到着して冷却用の水を噴霧するなど対策が施されるまでの数分間の遅延。

中間点の気温が30度を超えるまたは湿度が80%を超えた場合その両方またはいずれかの場合は、中間点に散水車が到着して冷却用の水を噴霧するなど対策が講じられるまでの数分間の遅延。

急激な豪雨で、スタート地点までの移動に危険が伴うなどの路面状態。道路上を雨水が流れている場合など、収まるまでの間の遅延、または中止。

ゴール付近に濃霧が発生し、視界が10m以下となった場合はゴール地点の計測線を必要に応じて下げるまでの間の遅延。

ゴール付近が風雨等でゴール選手の下山待機までの間に体温を失うなどの危険が予測できた場合、その時点で中間点でレースは打ち切り山頂からの下山を開始する。中止の裁定までにゴールした選手はリザルトが発せられる。

下山時に豪雨等で路面状況が激変、または濃霧の発生などによる視界不良の場合、下山速度を10㎞/h以下にし競技役員車両の誘導で下山をする。

コース上で多重クラッシュが起き後続競技者の走行が不可能または大きな危険が予見できる場合。

緊急車両が進行する必要が生じ、後続競技者が緊急車両の通行を妨げた場合。

以上の場合は、役員が口頭でその旨を参加者に伝え、30分後に大会本部前の公式掲示板に文書で発表する。これらの裁定に関して抗議は排除する。

というものです。
ところが、あにはからんや愛媛県中予地方に大雨洪水警報が発令されたんです。この指針に従ってレースの中止を発表しようとしたのですが、どうも警報は松山市だけでここは注意報だけだというのです。

そう言えば雨は驚くほどではなく風も大して吹いていません(これは個人的な感想です)
ボクは開会式直前にゴールの山頂まで様子を見に行くことにしました。ゴール付近は視界が極端に悪く南風が吹いていましたから低気圧の中心が北西を東に移動している感じがありました。
「あと1時間ほどだなあ」
そう感じたのですが。

ゴールではゲートも立てられないほどの風が吹き。計測システムのアンテナなどもしっかり固定してはいるのですが。。。ここは標高1500m、気温は18度。。

「果たしてGO!サインを出して良いのか?」
判断は素早いほど、対応も素早くできます。

そうして、さまざまな判断を組み合わせ、スケジュールを30分遅らせ(閉会式は予定通り)レースをスタートさせることとしました。

判断を積み重ね、何とか無事に大会を終えることができたのは、やはり30年に及ぶSSERのキャリアと優秀なオフィシャルスタッフの支えの結果だということです。こうした自然の中でするスポーツは、主催するものに思いがけない負担と判断を強いることが少なくありません。その多くはいずれかにリスクを発生させるものですから。

終わってみればチームUKYOのキャプテン狩野智也選手がコースレコードを3分以上短縮し、つまり2位の選手にも3分以上の差をつけるダントツの強さを見せつけることとなりました。

さあ、次はラリーモンゴリアです。

 


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「命もいらず、名もいらず」 – 2013/07/24 (水曜日)

なかなか、上手く生きるのが難しい昨今。
先の選挙を見てても、このところの世相を見てても、人々がさまざまな主張をし調整がつかず、思いの丈をぶっつけあう。
どうして、もっと人の思いを理解しようとしないのか。
自分ばかりが少しでも話したいとする政治家らが出演するテレビの討論番組からは醜さが耐えられない。つまりこれが彼らだ。

最近のヘイトスピーカー?たちの台頭も、これまた凄まじい。人は自由であるべきだとは思うが、あまりにも他者を平然と罵ったり、悪意に満ちた言葉を積み重ねるのは人間としていかがか。ののしってる相手と同じかそれ以下に落ちているという事に気が付かないのだろうか。つまるところ、これも日本人だ。

先月、飛行機に乗るのに数冊の文庫本を買おーうって、思って書店へ立ち寄って。
山本兼一の「命もいらず、名もいらず」を買った。
ご存じのとおり山岡鉄舟の人生を書いたものだ。

読了のあと、本当にすがすがしい気分で「とても良い本を読んだ。」と満ち足りた。受賞作だった氏の「利休にたずねよ」も、誠に素晴らしかった。
人間の正しい生き方がこうした、作家の手によって明確に発せられているというのに。
たしかに西郷隆盛「命もいらず、名もいらないという人は始末に困ったもんでごわす。」と。

いまの人たちは、始末がしやすい人たちではなかろうかと思う。

きょうの一枚

モンゴルは不思議だ。乾燥が進んでいても草原は豊かで、砂漠もあるが雨も降り砂丘の中を川が流れたり湖が出来たりする。
こんなフィールドで、もう20年近くラリーをしていることに喜びを感じなくて。
ほかに何があるのかいっちゅうオハナシ。

No.134「新しいバイク」– 菅原さんからの手紙 2013/07/23 14:14

letter_134_20130723_1414_01先日行われた北海道4DAYS用に新しいバイクを作ってみました。

乗るのは一向に上達しないのですが、バイクをラリー用に仕上げるのはとても楽しく勉強になりますね。

写真1.ベースはKTM250EXC-F 6DAYSを使い、燃料タンクは11Lに変更、SSERのレギュレーションは厳しくてパンク道具など持ち物がとても多くなるので前回はディバックを背負って走ったのですが、色々と考えて、ストーンガード前にアルミで工具箱を自作しました。

ヘッドランプの光が切れるのでダウンフェンダーに改造し、リアーのテールまではフレームが来てないので、工夫をしてタンクバックを取り付け。もちろん世界の野口シートさんに黄色と黒で作ってもらいました。

写真2.ヘッドランプは大型を使い55WのHIDを採用し、霧対策で黄色のフイルムを張りました。(道東は霧が多いので) ご存知でしたか? 私が最初にフランスに行った時(30年以上前)のヘッドライトは全車黄色に決められていたんですよ。今年のルマン24時間も雨が降ったので黄色のランプが多かったですね。サイドにはHIDのランプが控えてます。

写真3.左側のNシステムさんの距離計には助けられました。モード切替にUターンのスイッチがあり、ミスコースをしたら戻る時に減算をしてくれるので、何回も助けられました。小数点以下2桁まで表示させてるのでピタピタ合うのですが、考え事をしているとついつい曲がる地点を行き過ぎてしまいます。

それにしても今年の4DAYSは天気に無恵まれ、春木コースデレクターの愛を感じる素晴らしいコースでした。 楽しい仲間に囲まれ素晴らしい大会でしたね。

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

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「社説」- 2013/07/19 (金曜日)

とある人に
「FBはともかく、OVはSSERの社説のようなものだからもっと書け」
といわれて
「なるほど、そうだ。」
と急に、こちらもやはりこれまでのように、気持ちを書き続けよう、と思う。

「社説」
とは少々大げさだが、新聞各紙のように立ち位置をある程度鮮明にするという態度が必要だろうという事だろうか。

それはたとえば「ラリー」と「エンデューロ」という、似て非なるものの両立か融合か、あるいは完全な離反か?という事かもしれないと思う。

いやそうでもなかろう。とも思う。
そんな基準のようなものから自由な位置にいればこそ、開放的に夢を見ることができ、多くの手続きを踏まずにすばやく変革なり挑戦なりが実現する。
それがSSERの態度だと思う。

奇しくもERとはEnduro+Rallyの頭文字を取った。
もう30年前のネーミングだ。

当時オートバイでラリーという言葉は存在しなかった。パリダカもはじまってまだ数年目で、ラリーという名称をどうするか?
FIAも喧々諤々だったように思う。毎年のように新しい定義の言葉が生まれSSもスペシャルステージと呼ぶなとか?じゃあなんていうのか?と聞けば
「セレクティブ・セクター」
と呼ぶと、丁寧に分厚いブルテンに書かれている。
ステージやレグというネーミングも、ラリー用語なので使うな。ということになりステージはEtapと呼び、最終的にSSはただスペシャルとのみ呼ぶのだということになった。

このあたりから、気持ち悪さが付きまとった。
もうこれらのスポーツを司る者たちには、そのスポーツを愛するという心よりも、違うもののために動いてるようにしか感じなくなった。

そのように我々が試みるスポーツは、若い。モータースポーツの歴史そのものも、そうは言うほど古くはない。まあ、多くのスポーツだって、数百年の歴史!なんてのもないのだ。

そんな浅い歴史の中で、さまざまな試みが繰り返され、時にはメーカーの販売戦略に翻弄されたり利用されたり、FIAなどの組織は、人々の声を聴かなくてもだれにも管理されることなく短い春を謳歌するかのような存在に変わった。

なぜだろうか?やはりモータースポーツは、あらゆるスポーツの中でも一二を争うほどのリスクのあるものだからか?いな、あらゆるスポーツの中で、巨大産業である自動車メーカーの動向を反映するからだろうか?
いや、それらとは根本に違うなにかを隠し持ってるように感じる。

ロス五輪の前と後では、五輪の招致が変わった。
ロスまではオリンピックの開催には多額の費用が掛かり、収益も見込めないとあまり歓迎されなくなっていた。

それを変えたのはピート・ローズだ。
完全に商業主義で固めた。
儲けるのだ。儲けることこそ正義だ。と。

それ以来オリンピックはエンターテイメントになった。
華々しい開幕のセレモニーに使う金額はいったいなんだろうか?なぜ多くの選手が違法な薬物使用をしてまで勝たなければならなくなったのか?
間違いなくそう遠くなく、この巨大商業サーカスも終焉の時を迎えるだろうが、なにか人類の足跡に寄り添ってるようにも見える。

エンデューロとかラリーなどのような、まるで辺境のスポーツは、いまのままでいいのだろうと思う。自己完結をし、禅問答のように佇み、勝ちと負けの意味を問い、考え、そしてまた月曜日には仕事場に戻る。
うん、これがいいんんだ。


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「美しき北の日々」- 2013/07/17 (水曜日)

まさか、あれほど晴れるとは思いませんでした。
今朝は左腕の日焼けが痛いほどです。
本当に夢のような4日間でした。
春木さんに、閉会式のあと
「主催者冥利に尽きるね」
と、話しました。
それは、参加者の皆さんの、言葉の一つ一つへのボクタチなりの感想でした。

ラリーという競技は、とても不思議で、
「旅だけではさみしいからだ」
と、いつも思います。
春木さんのFBにコメントで
「道がまっすぐで、さみしい。」
山頭火の詩ですが、
書いたことがあります。
たぶん北海道4デイズのコマ地図のコマが少ない
というようなことからだったろうと思うのですが。

2人でリエゾン中に、まるで大喜利のように
「〇〇が〇〇で、さみしい。」
を繰り返していました。

つまるところ、それはラリーのことです。
道がまっすぐで、さみしいからラリーをしてるわけです。

それはまた人生のことのようでもあります。
上手く行くってことは、上手く行かなくなることの前兆なわけで、
まっすぐな道もいつかは曲がり角や分岐点がやって来るのだという事です。

山頭火の言う、まっすぐな道の真意はわかりませんが、きっと大酒を飲んで家に帰る途中で、どこかでもっと飲もうと思いながらも、寄る店または飲ませてくれる知人がいないのでさみしい。というようなことを直接詠んだものと思われますが(イヤコレハワタクシノ勝手なカイシャクデスガ)後世のわれわれは深読みに深読みを重ねて、心の目を開くことを忘れて「人生のことだ」と、分かったような顔をして、話しているだけなのです。

まあ、こんな感想を書こうと思ったわけではないのですが、本当に美しくて素敵な4日間でした。閉会式では皆さんの声を、本当に天の声と聞き、胸にしっかり受け止めて明日からの原動力にしていこう、とそう思いました。

幾重にも御礼を申し上げます。

 


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