REPORT of Raid Trek Taklamakan – 2012/11/24 (土曜日)

REPORT of Raid Trek Taklamakan 24Nov

「河西回廊を東に。」

青海省を経て敦煌に行くルートをあきらめた我々は、再びトルファンまで戻ってきた。本来なら今日は敦煌の1日だった。氷点下10℃を下回る極寒のルートに強烈な北風。まっすぐ進むにはバイクを左つまり北に向かってリーンさせる。GSは巨大なスクリーンとグリップヒーターがライダーを守ってくれるが、URALはスクリーンがない。尾上さんはそれでも「いやあ、こうじゃなくちゃ面白くないよ。」と笑顔でサイドカーを走らせるから驚きだ。毎晩毎晩1本近いパイチュウ(白酒50度くらいだ)を一人で飲み続ける。いやみんなもご相伴にあずかるのだが、その飲みっぷりはさすがに「酒POWER」を自称するほどのものだ。とにかく今回のメンバーのタフネスには驚かされる。

思いがけず変更になったため1日の走行距離は伸び、休日は返上となりそれでも明日には予定通り嘉峪関に着くことだろう。そうそう今日はハミ、パリ北京でもビバークとなったオアシス都市だが、巨大都市に変貌しそうな感じだ。


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「タクラマカンに戻ってきた。」- REPORT of Raid Trek Taklamakan

2012/11/23 (金曜日) REPORT of Raid Trek Taklamakan
「タクラマカンに戻ってきた。」

昨日から緊急事態で大幅にルート変更を余儀なくされた。いまコルラとトルファンの間にある和蹟という町のホテルに宿をとった。本来なら明日は敦煌の休日のはずだが。

昨日はチャルクリクから花土溝に向かい崑崙山脈の裾に向かった。標高2000mを越えたあたりで積雪とアイスバーン、大型トラックたちが道を塞ぎ前進は困難なばかりか、花土溝は標高2700m、さらに翌日は敦煌に向かう3600mの峠も待ち受けていた。

しばし考えた。そしてただちに全車にUターンしてチャルクリクに帰ろうという指示を出した。このまま越えていくことも考えたが脱出不能になることもあるし完全に往復路とも抜き差しならなくなった場合のリスクも考えた。

チャルクリクからはコルラに向かうタクラマカンの東縁の国道218号がある。もう1泊チャルクリクで過ごして今日はコルラに向かうことにした。ただしこの道が通行不能なら予定の帰国は困難になる。

とは言うもののこのルートは通りたかったところでもある。ロプノールに流れ込むはずのタリム川の流路に沿って北上するのだ。チャルクリクのあと50㎞位であたりは湖のようになってきた。洪水でもあったのか道路が冠水して流された跡を工事が続きダートライディングが続いたが工事の道の埃はうれしくない。

ここはタリム川からロプノールに流れ込むはずの水が灌漑用に南に水路を設けたものが氾濫したのではないかと推測すると、夏のモンゴルの60年ぶりの大雨もここにもこうした水をもたらせたのかもしれない。とにかく灌漑用水路を築かなければロプノールは水を湛えていたはずだ。

少し行くとタリム川と孔雀川(おそらくコルラ川)の分岐あたりに差し掛かった。このあたりでロプノールに流れ込む川が堆積によって流路を変えて「彷徨える湖」となった分岐あたりだろうか。タマリスクの林とデューンを時々見ながら、雪で阻まれたおかげでもう一度タクラマカンに戻れたし、沙漠公路とこの218号で砂漠を見事に半周できたのだと思うと、まんざら悪くはないなあと思う。やたらレアアースの工場みたいなのが林立し急速に発展する砂漠の町や高速道を走って、またまた人間にとっての真の豊かさは何かなあ、と考えることしきりだった。

 


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REPORT of Raid Trek Taklamakan – 2012/11/22 (木曜日)

REPORT of Raid Trek Taklamakan 21 Nov
「米蘭故城の砂嵐」

楼蘭賓館は広い中庭に高いガラスの天井が設けられていて、その中は熱帯の植物が元気に育っていて中ほどには鯉の泳ぐ池と小川もある。ここを通ってロビーへ行くときには柔らかな暖かさが心地よい。それに今朝は朝から太陽が昇り、気温は上昇するだろうと思われた。

さあ出発だ。チャルクリクをあとに東に向かう。タクラマカンの地平線に伸びる道でパリダカの時代のアルジェリアのリエゾンを髣髴とさせる。
70kmほど行くと左に米蘭の小さな看板を見つけ、細い道を辿る。そして綿畑の小さなダートを走ると米蘭だ。急に一面は広々とした砂漠のようになり砂嵐が襲ってきた。
まず仏塔。そして宮殿跡に行く。この遺跡はまことにわずかな遺構が残るに過ぎない。しかし見事に保存されたものにはない強いイマジネーションに彩られていた。
西域南道、ここに栄えたいくつかの王国。その興亡にロマンを感じてここまでやってきたのだ。ウルムチで楼蘭の美女を見て、彼女らが生きた4000年前にこの地で営まれたであろう様々な出来事を想像してみる。
砂嵐が吹き荒れ、まるでその中に大スペクタクルを見ているような気分にさせられる。

明日は崑崙山脈の支線アルキン山沿いに青海省に入り花土溝まで行く。地図にない街だが石油が出てホテルまでできて街区が形成されたばかりの新しいところらしい。
さあ旅も終盤。あと2行程で敦煌にたどり着く。まるで征西から帰還するような気分かもしれないと思う。

 


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2012/11/20 (火曜日) REPORT of Raid Trek Taklamakan

REPORT of Raid Trek Taklamakan
20 Nov night
「チャルクリクで。」

ここは楼蘭賓館という名前のホテル。ここに2泊する予定だ。チャルチャンからは、新しい道がまっすぐにこの町まで伸びていてこれまでタクラマカンの南縁を通っていた315号はかなりタクラマカンのデューンの裾まで入り込んでいた。おかげで太陽の出ない寒い一日だが、早い午後にこの町のホテルに着いたというわけだ。

そのうえ胡楊の森を眺めながら、砂漠の道路を駆け抜けたのはこの上もないことだ。
昼食を済ませたらみんなバザールへ出かけたので、昨晩よく寝られなかったぼくは昼寝をしたり井上靖を読んだりしながら、はるか過去からのこのあたりの出来事を夢想していた。

楼蘭国の中心は確かにロプノールに栄えた楼蘭の町だが、ここ米蘭もまたその機能を補完し合っていたのだろう。やはりその理由は水だ。曇っていてよく望めないが崑崙山脈は背後にあるものの、流れる川はみな砂の川で水はまず無い。この地に水があるのか、ロプノールにあるのかが極めて重要だった。

楼蘭から出土した楼蘭美女の木乃伊は白人のアーリア人だったし、この米蘭の仏塔の壁画からは有翼天使の姿が発見され、その姿はヘレニズムの様式であり顔はギリシャあたりのようだ。

いずれにしても先に東へ旅をしたモンゴロイドが緩やかに進化して文明を築き始めたころ、北に旅をしていたコーカソイドらが、後を追って中央アジアに進出してきたということだ、それぞれ異文化として進化したそれらは戦いあったり混ざり合ったりしながら、いまも我々の中に存在する過去となっている。

旅はもう後半だ。この旅に思い切って出て、よかった、しみじみそう思うしみんなもそういっている。明日は米蘭往復、砂をかぶったダートが待っている。その後は敦煌まで2日の行程で標高が高く低温が心配だがそれはすごい景観が待っているだろう。つまり新疆から青海省に少しだけだが入るのだ。

 


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2012/11/20 (火曜日) REPORT of Raid Trek Taklamakan

REPORT of Raid Trek Taklamakan
20 Nov 5:00
「征哉、死亡の海」

まあぶっそうなタイトルになったけど、チャルチャンの真新しいホテルで真っ暗なうちから起きてこれを書き始めた。昨日は輪台から今回の旅のハイライトでもある沙漠公路縦断に挑戦した。まだ薄暗い中ホテルを出ると。氷点下2度。「案外暖かいねえ。」という山口さん。走り出してしばらくすると気温は下がり続け、氷点下10度!!

ヘディンが筏で下り始めただろう場所、つまりタリム川に架かる橋の上でしばし陶然とするのはぼくと山口さん。あたりはバオバブのようなタマリスクの林が続く。

ヘディンの記述には、特にこの木のことがよく出てくる。中国名は胡楊(こよう)。この木で筏を作り、たき火にもあうる。とにかくこの地を象徴するものだ。樹齢は1000年を超えるものも少なくなさそうだ。案外ゾーモットの木にも似ている。

石原さんと「まるでバオバブ!タンバクンダあたりみたいだねえ。」と話す。
実は「彷徨える湖ロプノール」に唯一水を供給した川がこれなのだ。天山山脈の大量の雪解け水を砂漠の中を運び。湖のほとりに楼蘭王国を栄えさせた。自らが発見した古代都市遺跡。それを実証するためにヘディンはこの川を下った。記憶が正しければ1934年だと思う。ヘディンは今のぼくの歳を越えていただろうか。自らの説を自らの行為で実証する。どれほど高揚した気分だったのかは、容易に想像がつく。
しかし世界は不穏な戦争の足音のさなかだった。国威発揚のためのヒトラーに支援されていたヘディンは、それゆえに戦後も評価されることはなかった。

太陽が上がり気温がプラスになった。砂丘が現れはじめる。この日本列島がすっぽりと3つも入るだろうタクラマカンは、まさに広大無辺なる砂のうねりだった。世界にこれほど広い砂丘群は存在しない。それは延々と砂のうねりの中を走り続ける。このような体験も、ここでしかできない。
太陽が大きく傾き地平線まで続く砂のうねりにかかるころ、砂丘で最後の撮影をした。
誰もがこの圧巻の景観に感動をしていた。

そうそう、入り口のアーチには「征哉、死亡の海」と書かれていた。「おまえ、ほんとうにこのタクラマカンを行くのか」となかばあきれたような、なかば自慢げなその看板をくぐった。油井がいくつかあるというだけでこうした舗装路がこの砂漠を真っ二つに切り、道路端には防砂林を育てようと懸命の散水用のラインが伸びている。送電線もだ。

河野さんが運転するジムニーの横でぼくが「油井や原発に電気を送るなんて言うのは、料理屋がまかないに仕出しを取るようなものだ。」と言う。そして二人で大笑いをした。

二人の主題のひとつがジムニーネタだ。
ぼくが「1.4ディーゼルターボ・シェラを作ろう。燃費は25km/リッター!で50Lタンク。航続距離1000km。ボディはこのサイズだけど前後のホイールをもう少しずつ伸ばして広げて・・・ブリスターフェンダーでちょいランチアデルタ風味で、足はこうしてあーしてショックはWPかドネアか。。トラベルは35mmで・・」と。

そんな話もこんな話も大量にできる。そしてこの無限の距離に敷かれた石油の副産物アスファルトが引かれた道路を、原油と綿花のトラックが行き交う。なぜ北にも南にも向かう綿花を積むトラックがいてすれ違うのか?なぜエネルギーを生むためにこんなところで人びとはエネルギーを費やすのか。

人の営みの逞しさやら、あほらしさやら。そんな複雑な思いもまたこうした過酷な地を行くときには感じることはしばしばだ。

そして完全に走り切るとチョモランマに行ったときに走ったカシュガルからホータンを経て西寧へ向かう西域南道に乗るとチャルチャンはすぐだった。ポプラ並木のたたずまいが、古いシルクロードの面影を強く残していてあまり発展していないことを望むわれわれには程よい雰囲気だ。しかしホテルは出来たばかりのとても快適で最先端なもので、嬉しいと残念なのが相半ばする。

明日は、いや今日はこれからチャルクリクへ向かう短い行程なので少し出発を遅らせることにした。明日は米蘭遺跡に行く。

 


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2012/11/17 (土曜日) REPORT of Raid Trek Taklamakan

REPORT of Raid Trek Taklamakan
17 Nov. 北京時間 PM19:00
「トルファンの1日」

ここトルファンは唐の時代には「火州」と呼ばれた盆地で、まさに世界的にも熱い土地だ。死海に続く世界で2番目の低地の湖もある。そこの海抜はマイナス150m。

その盆地では、まさに鍋の底のような炎熱の夏をしのぐため天山の地下水を網の目のようにめぐらせたカレーズという冷房給水システムが紀元前より営々と続いている。カレーズを掘るのは大変な労働で、それを維持管理するのも同じだ。その清冽な水で育てられるブドウたちはこの土地にいくばくかの恵みをもたらせた。日干し煉瓦を網目のように積んだ干しブドウ場が目につく。この地域の風物でもある。

そんな家並を眺めながら、高昌故城に出かけた。ここは玄奘三蔵も訪れ2か月も滞在した高昌国のことだ。城というのは日本と少し概念を異にして、城塞都市のことをいう。周囲を壁で囲み、ほぼすべての都市機能が城内にあるのだ。最盛期にこの城内には3万6千の民が暮らしその1割は僧侶だったというから、まさに仏教王国だ。天竺に向かう三蔵法師はこの城で過ごし、帰路で立ち寄った時にはすでにこの国は滅んでいたという。

日中は50度にもなる夏の炎暑も、日干し煉瓦の断熱性と極度の乾燥に加えカレーズの冷水で、案外この地でも悪くないんじゃなかったのか?なんて尾上さんと話しながらロバ車に揺られていた。

そして昨日ウルムチの博物館で見た木乃伊の保存されていたアスタナ古墳群を覗き、トルファンの市民の台所「バザール」を彷徨って異邦人の気分を味わう。

とにかくありとあらゆる品物がうず高く積み上げられている。色とりどりの果物、野菜、ドライフルーツの種類もただ事ではない。もちろん衣料品もあれば、本物か偽物かはともかくi-phoneだって雑踏に晒されている。

しかし今回の買い物の目玉は乾燥イチジク。いくつも並ぶ露店で値踏みをしながら(というか、つまみ食いをしながら)尾上さんは大粒の高級品を3㎏も買ったので、ボクは小粒のものを1㎏買った。さて、帰り着くまでもって土産になるのだろうか。さっそく今夜はこれを持ち出して、トルファンの名産ワインを愉しもうかということになった。

こうして異民族らが暮らし様々な文化や熱情が交錯し、人びとが生き生きと暮らす姿を見るのこそがシルクロードの旅だ。

ぼくの旅のテーマソング異邦人の歌詞「市場へ行く人の波に身体を預け、石畳の街角をふらふらと彷徨う、祈りの声、ひづめの音・・・」を遠くで聞きながら本当に時間旅行が始まった気がした。

明日はいよいよスタートだ。わずかに高速道でコルラ迄行きタリム川をヘディンのようにいかだで渡る夢を見ながら砂漠の入り口の小さな町「論台」まで走る。ぼくはこの旅にヘディンの「彷徨える湖」を携えてきた。帰ったらこの翻訳本を書きたいなあ、ていうかこれをベースにもっと生き生きとしたシルクロードの人びとのことを書こう、なんて気分だ。気温は大丈夫そうだしマシンもみな順調そうだ。ウラルのみ少しオーバークールだとかで熱いエアをクリーナーボックスまで導風する?スペシャルな改造をしたようだ。

さあ元気に出発できそうだということを報告しておきます。

 


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「ウルムチ未明」- 2012/11/16 (金曜日) REPORT of Raid Trek Taklamakan

時計は午前7時30分を指している。これは北京時間だ。
ここは北京からさらに2時 間の時差があり、
現地時間は5時30分である。まだ街は闇の中で夜の気配。
時差からも感じられるとおり、日本から随分と西に移動した。

北京空港では新疆とチベット行は全く別のセキュリティ検査を通らなければなら ない。
その物々しさときたら。。。。

ウルムチはもう完全な冬だ。
先週降った雪は道路端に残り所々でアイスバーンに なっている。
この地は北に天山山脈を抱える標高でも1000mに近い土地だ。

今日はこれからみんなで、この地としては早い朝食、そして新疆ウイグル博物館 を訪ね、
これからの旅で出会う遺跡から出土した品々などを先に見ておくことにした。

そしてウルムチより1000m以上も低い、(つまり海抜はマイナスなのだ)トルファ ンの町へ行く。
ここはウルムチが漢族が多いのに比べ、ウイグル族の多いイスラムの町だし、
高昌古城などに代表されるシルクロードの名だたる遺跡が残る。

バイクやクルマはすでにこの町のホテルに着いている。
思いがけず予定変更が続 いて船積みから数か月がたってしまったので、
マシンのコンディションも心配だ。明日もう1日トルファンに留まり、
いよいよタクラマカン縦断に出かける。

寒いのが心配


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2012/11/16 (金曜日) REPORT of Raid Trek Taklamakan

REPORT of Raid Trek Taklamakan
16 Nov. 北京時間 PM10:00
「トルファンのホテルでマシンに再会」

ウルムチで博物館に寄った後は一路トルファンへ。
道はすべて下りで、標高900mから200kmで標高マイナスまで一気に降下する。
厳冬のウルムチからなんとなく暖かな初冬のトルファンに着いた。
途中で人気のうどん店で、トルファン産の小麦で作るこしの強いうどんに驚く。
そしてホテルで数か月ぶりにマシンに再会。長い道のりを物語る汚れはひどく、
それでも松山で別れてこのような地の果てで出会うのは感激でもある。
明日は予備日なのだが出発準備さえ整えば休息日となり、
名だたる遺跡にも心置きなく足が伸ばせるのだが、
1台だけどうしてもエンジンがかからない。なんとか始動可能になり一安心。

明日はまず燃料を入れ洗車して、それから高昌故城、アスタナ古墳群。
あと交河故城にも足を運ぼうと思う。
トルファンのブドウも房をつけるのは10月の終わりまでで、葡萄棚をそよぐ風に、
とはいかなかったけれどこのシルクロードの要衝三蔵法師もとどまった
高昌国に出向いてこれからの旅を占いたいもんだ。

photo by : APIO Kohno

 


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No.111「2013モンゴルの用意」- 菅原さんからの手紙 2012/11/14 15:27

letter_111_20121114_1200_0110月末にダカールラリー参戦の2台のレンジャーが出発地のペルーに向けて船出し、ホットした束の間に2名の社員がルマンの工場に向かいました。

彼達はサポートカミオンの6輪駆動車の荷室の改造やサポート用のハイラックスの整備をして23日ルアーブルの車検と船出をして帰国します。

私は10月末から御殿場の工場へ通い、ジムニーの整備をしており、今年は初めての水没を経験したので慎重に作業を進めております。
水没を予測してたのでは無いのですが、今年から、床下にある前後デフ、トランスファー、ミッションなどのブリーザーは純正品ではなくホースで室内まで上げておりました。

先ずフロントデフオイルを抜いたら殆んど汚れや金属粉も入っておりませんでしたが、トランスファーはオイルが白濁して完全に水が入っておりました。

ミッションは奇麗なオイルが出て来たので、トランスファーのブリーザーを調べてみたら高さがシフトレバーの位置までしか上がってませんでした。

水は座った位置でひざ上まで来てたので長さが足りなかったようで、今度は室内の上まであげました。

ペルー出発まで一カ月しかないので、それまでに何とか整備を終わらせたいですね。

鬼の居ぬ間に(尾上さん)

追伸 TDR2013とTBI2013の用意は終わってますよ。

菅原 義正

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写真
1 作業中の一枚

2 予備燃料タンクからのコックを移動して操作性を良くしました。{オレンジ色のレバーの付いてる部分} 右側の丸いスイッチは完全なOFF(+)と2ケのバッテリーのどちらかを選べるのと両方を並列で繋げるスイッチです。(バッテリーは2ケ積んでます)

3 リアードアーは操作性を選び、幌からファイバーのドアーに戻しました。スペアーの燃料タンクを下に移動して重心を低下させてます。今年からスペアータイヤの搭載位置を変更、重心を中心に移動。

4 水没したのでスペアーに持って行ったボルト類が御覧のように錆だらけです。

[footer-sugawara]

「タクラマカンへ行ってきます!!」- 2012/11/12 (月曜日)

毎年のこと11月は一度、寒くなって「ええ、こんなに寒くなるのが早いのか」と
思うのですが、一転そのあとは思わず半袖でも過ごせるような小春日和な日々がやってきます。
でもボクは今日も半袖。明日からは、寒い予想の中国奥地へ行きます。
ところが気をつけないといけないのはインナーを厚くしないこと。
とにかく暖房の利かせ方が半端じゃありません。北海道もそうですよね。

年と共に、体温の調節能力が落ちてきていることに気づかされます。
さあて、タクラマカンの旅がどのくらいの気温になるのか!
ボクは温度計を2つ買いました。
2007年のカザフスタンは9月に氷点下7度を記録。
しかしグリップヒーターとスクリーンの威力!!GSならではの長い旅ができました。

きょうの一枚

これね、トルファンのうどん。はじめて食べたのは1992年9月、パリ-北京。菅原さんと、
横田さんとタイムラグはあったのですが。。まったく、讃岐うどん。
一説によると空海が持ち帰ったとか・・・

 


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「タクラマカンへ行きますよ。」- 2012/11/09 (金曜日)

とにかくなにかと問題の多かった今年、Raid trek Taklamakan も
ついに許可もそろい出発の日が近づいてきました。
愉しみのひとつは「何を持っていくか?」と「バッグは、どれで行くか?」
ということでしょうか・・・
コーノさんはグレゴリーを買ったみたいだし。。。ボクは比類なき?
バッグコレクションのなかから、
いくつかに絞っているのですが、候補はやはりSSER の20kgバッグ。
そもそも風袋が4.5とか5.0kgもあれば内容物は、すくなくともその重さ分は減量
しなくちゃならない。ということで開発された(大げさ!)SSERのモンゴル仕様
のバッグは、まことに優れている。
しかしBMWのジャイアントバッグも捨てがたいなあ。重くて大きいけど
収納性や仕分け性が良い。重いけど。
いや待てよ、いっそRIMOWAかZeroはどうだろう。というのも映像機材があるし。
でも車の中での安定性はダッフル系にはかなわないしなあ。。。

なんて出発までの数日間を密かに楽しんでいるのでした。
でも最近の傾向としては、どのバッグで行っても
「しまった、あれで来ていたら良かった。」
ということに。つまり超万能なバッグは存在しないということなのですね。

では、行ってきます!!

きょうの一枚

サハラローズじゃなくてタクラマカンローズ。嘉峪関のお土産物屋とか、結構あちこちで売ってる。


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No.110「菅原さんからの手紙」- 菅原さんからの手紙 2012/10/25

OLYMPUS DIGITAL CAMERA10月20日と21日に日野さんのテストコースで最終のテスト走行が行われました。私が乗る1号車のエンジンは新しく電子制御式が採用されてます。この車両は照仁が運転してラリーレイドモンゴルに出場して、走って出た問題点を改善されております。

この1号車には初めてブレンボーに特注したデイスクブーキが4輪に採用されており、フィーリングはドラムブレーキとは別物に感じました。

照仁が乗る2号車は今までどおりの仕様ですが色々と熟成されており、安定した走りを見せてました。

この2台のレンジャーは22日に港に運ばれ通関を終えて29日にペルーに向けて出発です。

サポートの6輪駆動のプロフィア1台とハイラックス2台はフランスのルアーブル港で11月22と23日に車検があり、弊社から3名のメカさんが11月7日にルマンの工場行きそちらの用意が始まります。

次回はペルーを1月5日に出発してアルゼンチンを通りチリのサンチァゴにゴールです。応援願いますね。

写真説明
1 直線のダートを走る1号車
2 アスファルトのコースを走る2台
3 フラットな広場での旋回テスト
注 フォッグランプの大きい方が1号車です。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

letter_110_20121025_1200_03

菅原 義正

[footer-sugawara]

No.109「CRF450 RALLY」- 菅原さんからの手紙 2012/10/10

letter_109_20121010_1200_01ホンダが次回のダカールラリーにワークスとして参戦する車両を見て来ました。

そのバイクは本社のショールームのウインドウに飾られており、なんとシートは野口製で前後のサスはショウワ製でMADE IN JAPANを感じ、とても嬉しい気分です。

24年振りの参加になるそうで、市販車(外国で)のCRF450Xをベースに開発されたそうです。

ライダーはポルトガル、ブラジル、イギリス、アルゼンチンからの4名が決まっており日本人が居ないのが残念ですね。

新たにアメリカからの選手が決まったとの事、その選手は「Baja 1000」で11回も優勝しているそうで役者が違い過ぎます。

日本人の選手を育てる環境が進まない限り、海外での活躍は無理ですね。たとえ私財を使っても限度があり、無理をして行っても空振りに終わるでしょう。

先輩として何とかしなくてはと思った次第です。

菅原 義正

写真の説明
1 九州4DAYSが終わった翌日です。
2 毎日のキャンプ地がディスブレーされてました。
3 燃料タンクは後ろの両側の他にエンジンを囲むように両サイドにも付いてました。

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No.108「自主トレ中」- 菅原さんからの手紙 2012/09/26 12:00

letter_108_20120926_1200_01北海道4DAYS用に芦別に送っておいたXR230を引き取りがてら自主トレーニングの旅を続けております。

芦別を出て留萌経由で南下の予定でしたが、またもや雨に降られ急遽予定を変更して、新札幌駅近くのホテルに家内と孫が泊まって居るのを知っていたので逃げ込みました。

留萌のあたりはツールドニッポンで使ったコースの逆走でしたが、懐かしく当時を思い出しながら走りました。

翌日は小樽へ行き、高校生の頃、山岳部でロッククライミングをしていた赤岩に寄り、函館に着いたのが17時、タイミング良く予約もしてなかったのに17時30分発のフェリーに乗れました。自動車だったら満車で乗れなかったのにバイクは3台だけでした。

今日は宮古市にある「浄土ケ浜」に行ったら地震の影響で地盤が沈下して遊歩道が使えないとの事、展望台まで歩いていたら、思い出しました。SSERのイベントで歩いて山の上のチェックポイントまで行かされた事を・・・ バイクのブーツを履いてリュックを背負っての登山はとてもつらいものがありますが、これもトレーニングの内ですね。

知人に絵葉書を書き、カーナビで最寄りの郵便局を入力して行ったら何もありません。近所の人に聞いて行きましたが、全然違う場所で仮設の建物で営業してました。

今夜の宿は釜石です。

写真は展望台から見た「浄土ケ浜」です。

菅原 義正

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No.107「水没」- 菅原さんからの手紙 2012/08/31 12:00

letter_107_20120831_1200_01場所は8月18日のETAP-7の239.71Km地点です。

この日のスタートは尾上さんの7分前にスタートし、途中後ろを何回も気にしていたのですが尾上車はフロントハブに問題を抱えており2駆の状態なので追いかけて来ないと思い、ナビの高橋と世間話をしながら走っていたら、227.61Km地点に用意されたRCPの手前で追い越されて、殆んど同時にRCPに滑り込みです。

これで尾上さんに7分負けた事になります。

1時間後に2台並んでカウントダウンでのスタートです。(これで2回目)

私の車両は尾上車より軽いのでスタートで前に出て12Km走ったら、この川が出て来ました。結構深そうでしたがバイクが渡った跡を見つけて入ったらこの有様です。そうこうしている内に尾上車が来て、私の水没を横目に見て右側の浅い所を上手に渡って行くのでした。

焦ったのがあだになりました。

地元の人が長いスチールワイヤーを引きずって来てくれ対岸に居たランクルにひっかけて引きずりだしてくれました。

その後が大変でインタークーラーを外し、カバーや配線のカプラーを外しプラグを抜いてセルを回して水抜きをしたのですが、驚くほどの水がエンジンから吹き出て来ました。エアークリーナーも水切りをして走りだしましたが、全てが乾くまで本調子が出ないのでゆっくり走り、43Km先の村でエンジンオイルを買い交換しました。その後は夜になり雷と大雨と霧が出て4輪でも大変なのに私の後ろを走るバイクの人はヒョウにも降られ大変な一日でした。

尾上さんにやられた1日でした。写真はゼッケン21番の黒田さんが写してくれました。

菅原 義正

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「さあ、モンゴルへ行きますよ。」 – 2012/07/31 (火) – OV

とにかくバタバタなこの季節。北海道が無事に終わり先週末のイベントも無事に終了。日曜日はさすがSSER、降水確率0%でもイベントの一番肝心なところで豪雨を実現!もはや雨乞いの呪術師のごとし!!アメリカあたりに行けば需要はあるかも・・・とまれ暑い日本の夏もあと2日!!!!でモンゴルに旅立ちます。ルートブックもラリータイミングチャートも様々な制作物もほぼ完成!見事なSSERのスタッフの仕事ぶりを手前みそながら評価をしないわけにはいきません。

こうしたリスクの高いスポーツイベントは、もちろん大組織で対応できれば、それはそれでよいのでしょうがなんといってもHQの能力が大きくものを言います。すべてを司る!というわけにはいきませんが、時に俯瞰してルート全体で起きていることを頭の中に描く力です。

実はボク、ミラーニューロンをこの数年研究(というほどではありませんが・・)しています。ミラーニューロンとは、まあ脳のニューロンのうちの10%くらいに与えられた機能で模倣とか共感のメカニズムです。また人の意図の理解とか、そうそう例えばテレビで綱渡りをしている画像を見て、見てる自分も○ンタマあたりがゾクゾクってするのもこの作用だと思うし、飼い主と犬が似てくるのもこれで説明が付くそうな。

ボクがこのことを意識し始めたのは、モンゴルでのラリーの創始時期に発明されたこの知見が、見えないラリーの細部をどう感じ取るかの材料になるのではなかろうかと思ったりしたわけです。

オリンピックで今活躍中の体操の内村選手を分析した番組、ウルトラボディ?で彼の持つシミュレーションの能力を、このミラーニューロンでなら説明がつくのになあ・・・なんて考えながら見ていました。

見えないものが見える、そんな能力ですが、その能力を発達させると面白いことができるような気がしますね。最近のサッカー選手たちも「後ろに目がある」なんて評価されるようになりましたものね。

ただ残念なことにこれは予知能力ではなくて。ピストの先にある穴を察知するのは別の能力のようです。


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「モンゴルへの賛歌」 – 2012/07/22 (月曜日)

早いものです。北海道から帰って週末は名古屋経由横浜東京とクルマを飛ばして回ってきました。もうこのタイミングしか時間がないのですが、東京で驚いたのは、なんと「寒い!」くらいの気温。四国につくまで車の外気温計は23.0度それが四国に着くや28.0度!深夜ですよ、それが。

さて、そういうわけでモンゴルが最接近、ボクは8月3日の便でウランバートル入りします。通関という年々難しく厳しくなる問題!

これはいくつかのヨーロッパなどからのツーリングイベントを「モンゴルラリー」というタイトルで一回のみの開催で多くの車を持ち込み、国内で販売して帰るということがたびたび起きて「ラリーという名でスポーツを装ってビジネスをしている。」というようなことから、スポーツイベントとしての関税特例などが数年前に廃止されてしまったからにほかなりません。

たしかに「ラリー」という名称を使うことには何ら規制はないのですが。。。

でも面白いことに地方の夏祭りの山車に「頑張れ!日本!」と表示しようという話になった時に「まさかJOCが、とってないだろうな?」・・・あっ、「とる」とは登録商標ですが、「絶対そんなことはない。そんなのがとれるのなら、おはようやこんにちはもとってしまえるぞ・・・」
誰かが検索
「ダメです。全類でとっています。」
全類とは、あらゆるカテゴリーです。
「・・・・・」
オリンピックもロス大会以降商業主義で守られ成長してきたことに異論も異存もありはしません。しかし「頑張れ!ニッポン」の言葉を普通に日本人が使えないのは・・・
くそっ、ボクも何か登録しておこうかな。
「原発再稼働反対」とかも気をつけないと登録されているかもよ。

タイトルが「モンゴルへの賛歌」だったのにとんでもないお話になりました。
さあただいまモンゴルに向けた最後の作業中!!ボグドのビバークを夢見て。


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「君知るや、北海道の夏。」- 2012/07/18 (火曜日)

四国に帰ってモンゴルのコマ図の最終を、せかされながら書いていて先ほど完成!それにしても、この暑さはただ事ではありません。やっぱり節電の夏を過ごすのなら北海道です。「北海道を世界の工場に!」なんて話をしながら春木競技長と二人でラリーを先行しながら。。。

あの広大な大地をもっと有効に使って、TAX HEAVEN 税金特区にして世界に分散した工場を集約させる!土地と水は一定の環境規制をクリアしていれば無償!その分を人件費負担に回せば競争力はおのずとついてくる!そうだそんな政策提言をしよう!!と。

いやそれにしても暑い。
この暑さは、もう人間の生存をおびやかすものになってきています。
夏は標高600m以上のところで暮らさなければなりません。または北海道かね。エアコンの必要のない高原で、1か月過ごす。または北海道かね。

北海道の地方都市は人口密度が低く、市街地でクルマを見かけることもまれでした。・・・スンマセンウソデシタ。見かけることは見かけるのですが、とにかく少ない!!のであります。

とまあ雑談はこのくらいにして「北海道4デイズの総評」を書くことにします。

とにかくラリーは面白いことが起こるものです。前半は優勝候補の一角の挙げられた福岡選手、深草選手ら二人のHONDA勢がマシントラブルで続けてリタイア。一気にHasqvarnaが上位に躍り出てきました。おなじみの当麻のSSはガスと小雨に視界を遮られはしましたが、緩やかなアンジュレーションと濃い緑の森は、特に印象的なものでした。

2日目の朝のSSで一番時計を出した深草選手を中心にラリーは中盤戦に突入すると誰もがそう思っていました。その2日目は初めて訪れる道東の景観。なだたる湖を巡りやってきたのはWRCでも有名になった陸別。ここでのSSは地元主催「陸別XC」の協力で、そのラリーの前日に彼らの手によって整備された、それはそれはとっておきの林道で開催されました。

こうしたことも一重に北海道の関係者の大変な努力と調整によって実現したものです。森の中に敷かれたクマ以外に全く遮るもののない、ひたすら続く直線の林道。競技責任者の春木競技長はいくつもの鍵をもって林道を閉じるゲートやチェーンを次々と開放していったり閉じていったりをしています。
まことにルート制作以降の調整や許可関係の作業には頭が下がります。

さて後半にはさらにおもしろいことが起きました。
最後の最後のSS。トップで飛び出して行ったのは昨日まで総合首位を1分以上のマージンでキープする大内田選手。2位は真田選手、優勝を狙うどころか3位には1秒差で原選手が迫っています。
このところ僅差の戦いが繰り広げられる北海道4デイズ。問題は2位争いだと誰もがそう感じていたのです。

しかしこの最後のSSで驚異的な爆発力を見せたのが、真田選手。この大きいタイム差をはねのけて大内田選手に1秒差をつけてラリーを終えました。
大会本部もこの逆転劇に驚き、集計途中では数々の検証が行われました。はたして10kmのSSで1分以上差をつけることができるのかという検証です。つまり、ありえないことですが集計システムの問題にまで言及したのです。
しかしこのSSを10番手でスタートした真田選手は、途中で先行する3台のマシンをパスしていたことが決定的なものとなりました。つまり1分30秒前にスタートしていたトップグループの選手をとらえていたのです。
原選手も大きく詰めてきていました。
讃えられるべきは優勝した真田選手です。

この逆転劇は、さまざまに憶測を呼んだようですが、それは勝負に対するもしくはこの大会に対するいわれなき中傷であるばかりか勝者を穢すものにほかなりません。抗議があれば文書で抗議をしなければなりません。

最後に本大会は本当に大勢の方々の熱意、そして努力また多くの参加者の愛情によって支えられ開催を続けられております。
この大会を立ち上げられた故齋木達雄氏の名を冠した齋木達雄杯が、輝かしいものであることを宣言してこの総評を締めくくります。

なお途中事故で負傷リタイアした選手の情報は個人情報の範囲内として、SSERのプライバシーポリシーに準じ、可能な範囲の情報を閉会式でお伝えした通りです。「いつものことながら負傷者の情報を公開しない」というご意見は、様々な見地から受け入れがたいものです。

ともかく皆様方と共有できた夏の北海道。素晴らしい日々でした。また来年もお目にかかることをお約束いたします。


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No.106「シェイクダウン」- 菅原さんからの手紙 2012/07/18



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14日の土曜日の早朝から終日、日野さんのテストコースで始まりました。午後からは報道の皆様に来て頂き、公開テストとナビ席に乗って頂き、体験同乗会もおこなわれました。

車両は今年のモンゴルで更にテストし、次回のダカールで私が乗る1号車です。この車両は8年ぶりにフレーム、足回り、エンジンが一新されキャブ(運転席)だけが(今年照仁が使用)今年の物を使ってます。

フレームは今後、大きなエンジンの搭載を見据えてサイズの大きい物を使用し足回りのホーシングはハブリダクションシステムを使うことでデフの径が小さくなり、デフの地上高が35ミリ上がりました。

更に、専用のブレンボーのデスクブレーキを4輪に採用し、エンジンは最新のコンピューター制御のコモンレール方式を初採用しました。初のアルミホイールの採用。

おもにテストは照仁がやってくれたのですが、私が乗った感想は加速が良くなった事とブレンボーのブレーキのフイーリングが思った通りの効果でした。

追伸 山田さんへ 北4に出場出来なくなりゴメンナサイ。

写真説明
1 次回のダカールの最高速度は140KM/Hに抑えられたので、デフの減速比を最適化にしての走行テストです。

2 次回のラリーレイドモンゴルでもテストドライブをする照仁と新型のレンジャー。フロントデフにも注目です。

3 リアービュー。荷台の柱の支持にAPIOのパーツが多用されてますよ。

4 テストも無事に終わり日野さんのワーキンググループの皆様と記念撮影。

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2012/06/29 (金曜日) 「忙中の閑」

そうだ、北海道4デイズとモンゴルのコマ地図書きをしないといけない。このころのボクのMy風物詩です。

何かこれを書き始めた途端「悪い人になる。」らしくて、機嫌が悪いのだそうな。決してそんなことはないと思うんだけど、たとえばその時のボクは素粒子レベルでは?モンゴルの分岐に立っていて遠くの山の形やピストのさまを書き写しているというのに、邪魔をする人が居るんです。
いや決してそれは邪魔をしてやろうなどとは、思っていないのは良くわかります。
なぜなら、

「出来た―!書き終わったあ!」

というと、これは昔からなのですが社内では大きな拍手が必ず起こります。見事にあの分厚い気の遠くなるような絵を書き上げたボクへの賛美の拍手だとばかり思っていたのですが、どうやら違っていたようです。それはコマ地図書き中の極度のボクの悪態から解放された、まあ解放軍が首都に入城してきたときの民衆の拍手のようなものだったというわけです。

それはそうでしょう。

そして考えてみれば、ぼくの心情は「たった一つのコマも書き間違えない。」つまり距離が打たれたコマ地図のベースを、極度の緊張で「あっ、間違えた。」を完璧に排除してしまっています。
モンゴルのあのコマ地図を書いていて、ここのところ「あっ、書き間違えた。」は1回あるかないかです。

その間違いを極度になくすのは集中!ではありません。完璧に「ワガコト化」です。そこに立っている自分を想像して、前のコマからの距離感を感じ今向かおうとしている方向や目標物を自分の概念でしっかりととらえる作業です。ひと月前に見た風景を思い起こすのではなく、そこまでもう一度やってきている状況を作るということです。

あらゆることも「ワガコト」としてやれば、そう大きく間違いません。間違いの多くは集中を欠いたから起きるのではなく、所詮は「タニンゴト」ととらえているから起こるのだとボクは思っています。

あとは「心」です。さあ、書こうかな。この行為のためにボクは事務所の中にホテルの1室を再現したり、茶室を作ったりしているのだと言っても大きくは間違っていません。

 

No.105 HOKKAIDO 4 DAYS用の車両完成しました。- 菅原さんからの手紙 2012/06/28

letter_105_20120628_1200_01HOKKAIDO 4 DAYS用の車両完成しました。

最近発売になったHONDA CRF250も検討したのですがこのハスクは約40KGも軽いのです。前のXR230はスターターやハンドルのステムなど軽量なものに交換して、さらにフロントとリアーのアクスルシャフトやナットを中空のチタン製で作ってもらったり、軽量のマフラーにしてたのですが、なかなか40 KGの軽量化は難しいですね。

車両は気に入ったのですが、問題はシート高です。モトワークスの麻生さんに相談したら、特別に菅原仕様にしてくれるとの事で納車はモンゴルラリーの車検会場でした。弊社の高橋が雨の中、東京まで慣らし運転を兼ねて走ってくれました。

昨日、会社から自宅まで走ってみたのですがとても軽く感じました。

北海道も毎日雨が降っても良いように洋服類を用意してますよ。

写真説明
1 弊社に来てから後ろ姿は2気筒になりました。反射板のサイズも大きくしました。

2 ヘッドランプは50WのHIDとさらにLEDの補助灯が2ケついてます。ダウンフエンダー仕様にしました。

3 右側のマフラーは物入れになってます。内容物はカロリーメイト2000カロリー分、5ターのロープエマージェンシーブランケット、サイリュウム2本、北海道ツーリングマップル〔これが重い〕

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No.104「ルマンに行ってきました」- 菅原さんからの手紙 2012/06/13

letter_104_20120613_1200_01私は久しぶりのルマンです。

主催者はフランスのルアーブル港に11月の末に参加者を集めて車検をして船積みをしますが、我々のレンジャー2台は日本で整備して直接、南米に送ります。
サポートカーの6輪駆動車とサポート車両はルマンを拠点にして整備をしており、メカさんは11月に行って事前の整備をしてルアーブルに搬入するのですが、この時期に行くのは珍しい事なのです。

モンゴルからバイラーさんとサンちゃんに来て頂き、6輪駆動車のライニングを貼り替えて交換したりしてもらいました。

この時期は夜の10時過ぎまで明るくて朝の4時過ぎに明るくなります。ルマン24時間は今年で80周年なのですが、必ずこの時期にやっております。

今年は中野選手、トヨタ、ニッサンさんが出るので必見ですよ。

現地時間の16日の午後4時からスタートして翌日の午後4時にゴールです。

トヨタのハイブリットはピットからモーターだけで走りだし、オンコースに出る手前でエンジンが掛ります。(エンジンがかかったらすごい音でした)

写真の説明
1 ルマンの駅です。45年ほど前に三栄書房のオートスポーツ誌から依頼を受けてルマンの駅の写真を写して持ち帰り掲載されました。この頃は現地のレポーターの記事を訳して掲載していたのです。今は、すっかり変わり石造りの駅はそのままですが、ガラスで覆われており、駅前の駐車場は地下になり、広場が出来てました。昨年、行ったストラスブールの駅もガラスで覆われました。

2 入場券です。この入場券は4ケ所の立ち見席で、6/3のテスト走行と6/13と6/14の予選が見れるキップで我々はMULSANNEで見ました。料金は10ユーロ(約1000円) でした。高いのか安いのか?

3 無理を言って中野選手に運転席に入ってもらいました。6/3は彼が良いタイムを出し安心したのか、我が家で夜中の2時まで飲みましたよ。
4 我々が借りて16年にもなる工場です。奥にはバイク専用の部屋もあります。

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Organisation Voice 2012/06

2012/06/28 (木曜日)

「つれづれなるままに・・」

もう10年以上も、まだブログなんて言葉もないころから、思いつくままにこのWebサイトに「OV」なんぞとタイトル付けて書いてきました。

コンセプトは?推敲しない、つまり書きなぐったままの素の文章を載せるということでした。だからあとから読むと実に稚拙な表現や回りくどかったり重複していたりと、まあ人に読んでいただくような文章なんぞではないわけでした。

そして、あのころは(って、どのころだろう・・)書きたい思いが湧き続けて、いや今も思いは湧き続けるのですが、とめどなかったように思います。ところが昨今。人々が良きにつけ悪しきにつけ、書いて書いて書きまくります。

ブログ、ツィッター、FB、あんなに子供のころに作文が苦手だった子供たちも、まるで音楽の授業で歌わされるのが嫌だったくせに今ではカラオケではマイクを離さない大人のように?なんでそれほどまでに「歌うの」じゃなかった「書くの?」と思うほどに、筆がやや重くなってしまいます。

マザーテレサの言葉。
ボクはマリア・テレジアの言葉だとばっかり思っていたのだけど。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

つまり思考や言葉は運命になるということでしょうか。
マーガレット・サッチャーも演説の中で使っていました。
そしてボクも「思考には気をつけなければ」ならないなあ、なんて考えはじめています。政治や時代も混とんとしてきていて未曾有の・・・と書き始めると誰もがそうだそうだと思うでしょうが、いつの時代も太古より人はいさかい殺し合い、為政者は言葉を操るのです。

困難な時代は、ほんとうに歴史の中に常に存在し、というか常に困難は極度に人々に寄り添い続け、それを一時的に振り払うためや人生の青山を求めて旅に出たりしたものです。

さあ、自分の思考、そして言葉を磨き、心を磨いて人生を。

きょうの一枚

エゾジカ。本州でも林道は鹿の宝庫に。いろいろ問題はあるだろうけど、ボクは良いことだと思ってる。ただしダートでのクラッシュは避けたい。あと熊もね。

2012/06/27 (水曜日)

「例によって、時々週刊タクラマカン」

もうすぐ北海道4デイズ。あの(雨さえ降らなければ?)爽やかな、あの北海道!です。今年は少しフォーマットが変更されてA-TECのキャンパスを使わない方向で進めています。そして芦別駅前が特設スタート会場!さあて、心配なお天気のほうは。。。

ところでまったくお天気の心配のない「タクラマカン」いや、一度は年間雨量50mmのロプノールで、おそらくそのほとんどを降らせた?ボクは、砂の海がいかに水を吸わなくてヌタヌタのヌルヌルになるかを、またしてもいやというほど味わったものでした。しかしさすがにそれ以降は完全に「晴れ」パリまでほぼ完ぺきだったというのが自慢!!です。

さて夏の様々なスケジュールをひと段落させれば「タクラマカン」に行くのであります。サイドカーも行くし、GS-Aはすでに3台!そうそうジムニーも。。。目指すは敦煌からトルファン、砂漠公路、米蘭、さらに4000mの峠を越えて。。。で、最近みんなで盛り上がりかけているのは「チョモランマ再挑戦!」といっても登るのではなく、青蔵公路完全走破!!の再現。できれば中尼公路でネパールを超えてムンバイまで。。。ああ、体力は大丈夫かしら。そんな世界地図とにらめっこしているときは自分の体力や、あの恐ろしかった?高山病のことなど完全に忘れてしまっていて。。。

自分の情熱を遮るものは自分の身体なのだ・・・
と。その都度に運動する!とか健康診断に行く!とか言っては、何もしない日々が続いているのであります。

さてタクラマカン!バイクで走れるチャンスは、まあそうありませんから悩んでいないで?ご一緒しませんか。。。

2012/06/21 (木曜日)

「ここにも、さまよえる湖が」

地球の異変は相変わらずのようで、ここモンゴルでもすごいスピードで環境の変化が進んでいます。とりわけ大地の乾燥はニュースで伝えられているとおりかなりなものです。
タクラマカンでは、あの巨大な湖ロプノールが、今では彷徨ってるのではなく完全に消え去ってしまっています。あらゆる川が海へ届かなくなっているとも言います。人口爆発による取水量の急増に乾燥が拍車をかけるわけです。山々は保水しなくなったし、黄土の流出も相当量。

モンゴルに話を戻します。ここでもこの10数年の間に湖は小さくなり、今年エタップ2では、例の左右の湖が時間によって水位が変わるという超常現象のようなものが観測されるところなのですが・・・大きい西側の湖は小さくなってしまっていて、少し小さい東側の湖は影も形もなくなっています。確かに雨でも降れば広大な、そしてどうしようもないほどの泥の海を出現させるのでしょうが、とにかく消滅してしまっています。
数年前は右側の湖の畔を全開でCAP180で走ったのですが、肌に感じる湖の湿度もいまではあまり大したことはなく、乾燥が進んでいることを空気が伝えています。

さて今回のボクの主題のひとつ、砂丘の浮かぶ湖も実は同じような状態になっています。エタップ2のゴールとビバークにここを選んでいたものですから、ありとあらゆる方法でアプローチするのですが、地図にある湖の上にまでやってきているのに湖はありません。
近くの遊牧民に尋ねると
「3年前まではあった、」
「いや30kmばかり後退した。」
「・・・」
30kmも後退するはずはないのですが。

翌日、その村の女性の村長さんを訪ねました。大歓迎!です。
「湖はいま少しずつ水を戻しつつあります。」
「おお!」
「この大会を村を挙げて大歓迎します。」
翌日、車で湖まで行きました。
確かに小さくなっていますが湖は存在していました。

そして湖に浮かぶ砂丘も遠くに見えます。
次の日は、もう一度エタップ2を制作し直すために出かけることにしました。

ボクタチはこの村の子供たちのために、ノートなど文房具やバトミントンなどの遊び道具をたっぷりと積み込みました。
村からビバークまでは50kmばかりありますが、きっと村長さんや子供たちが遊びに来てくれることでしょう。

さて、モンゴルの情報・・・
今年から、さらにアシスタンスの規定について厳しくコントロールしていきますのでご注意ください。もういちどレギュレーションをご熟読ください。

2012/06/19 (火曜日)

「スガワラ峠の雪と氷」

それはモンゴルほどの高緯度にある山塊の3000mの峠。日本の3000mの高山に比べても、空の群青はまるでヒマラヤだ。それにその高緯度の空気も凄絶な感じすらあるのだ。そこに至る道は地元の遊牧民でもあまり通ることはない。おそらく通る必要がないのだがシャルガルジョートというこの国でほぼ唯一の温泉保養地へ、危険だけど近道だということで稀に人が通る。
そして6月の試走の時は2年に1回くらいしか通れない。そして通るときは雪の斜面を奈落の谷に向かってクルマを走らせるのは、暴挙としか言いようがない。

でも今年は、それどころの騒ぎではなく厳冬期の山そのものだ。下手をしたらラリーの本番も雪渓が残っているかもしれない。
そのうえその試走の折は吹雪と新雪という大歓迎ぶりで、ふとSSERのイベントの雨の多さを実感するのだった。

ボクがこの峠に(勝手に)スガワラ峠と名付けたのは、もう12年ほど前だろうか。
試走の時に見つけたこの峠を、本当にルートに加えるか否かをずいぶん悩んだ。
悪天候時にヌルヌルとなった斜面を登ったり下りたりできまい。それに体感温度を奪うほどの風と冷気が支配している。

それでも青空ならば驚くほどの景観と、困難な峠越えの喜びは喩えようがないんだ。
そして、はじめてこの峠をルートにした年に、菅原さんが役員として参加していただいた。しかも最後尾を司るカミオンバレイを担当する。でもそのころには地元の軍用トラックとランクルという組み合わせ。この峠を越えるのに苦労をしたことはうかがえる。それでも「あの峠は素晴らしかった」と。それにその経験が菅原さんをして「この大会にHINOのカミオンを寄付しよう。」という思いに至ったようだった。
いま2台目のFTという4×4のカミオンがラリーの最後尾を守っている。
スガワラテルヒトやシノヅカケンジロウもそのハンドルを握った。
そうした、このラリーへの思いに心よりの敬意をもって「スガワラ峠」と命名したのだ。
どうか心して登り、そして超えていただきたい。
たおやかさと高山特有の厳しさと、驚くべき景観がまるで菅原さんのようだ。

2012/06/18 (月曜日)

「車検も大雨でしたね。」

雨雨雨。。。

「そういえばチョモランマ酒場の時も雨でしたね。」誰かがボクにそう話しかけた。

そうだったのか・・・
なにも雨はラリー本番の時だけじゃないんだ・・
ということで松山の船積み車検も大雨。
雨不足に苦しんでいる松山も、何も土曜日だけ雨が降らなくてもねえ。
さらにAPIOさんに誘われて走りに行った高知も、もちろん雨。

ここまで雨の確率の高いボクは、何かこの特技を社会貢献に利用できまいかと思案中です。

まあそれはさておき、雨のリスクの高い6月の催し物・車検は国際展示場の1/3を仕切って。
すると中にまでトラックなど積載車も入ってこられるので雨なんて、問題ないわけです。
しかしそれにしてもこれだけの確率で雨に当たるのは、相当なものです。

もっと言えば、モンゴルの試走も過去になく雨と風と雪。

そろそろ流れが変わるはずなのですが。
いよいよ次は北海道4デイズ、これこそ今年ばかりは4/4の晴れを目指しているのですが。

そしてモンゴルはまあ大丈夫でしょうから、あとは近場で行くとSSER3DAYS、これも過去の連続晴天記録も今は昔。そのSSER、今年は100マイル×3 まあ160km×3=480kmのラリーを目指して組み立てて参ります。

モンゴルのルートインフォメーションも、このあと取り掛かることにしますね。

2012/06/13 (水曜日)

「ラリーモンゴリア試走レポートその1」

今年のルートに挑むのは、実は参加者たちだけではなく、まずボクタチ試走チームなのだ。5月26日夜にウランバートルにつくや明早朝にはウランバートルを出発する。この早業が、ここのところのボクのウリだ。

そして全長3500km超のルートを、1日300km(これが実に難しい。)約14日間で走破しルートブック(コマ地図)を作成しルートのGPSのログを拾うのが主な仕事になる。これを完璧にこなすのはいくつかの課題がラリーのように絡み合う。

まずはマシンの問題だ。完璧で壊れないマシンとスペアパーツ。マシンは何もクルマのことだけではない。テラトリップやマップツインといった測距器やGPS機器などのことだ。
とりあえずこの3つが最後まで安定していれば、何とかなる。
しかし今回はクルマを3度も取り替えた。
1台目はエンジン不調。2台目は新品のクラッチが、砂の中で滑り始めていた。
やっと3台目のパトロール中東仕様で納得。
2度もウランバートルからクルマを夜のうちに呼んで、朝起きてクルマを乗り換えてスタートするというセレブぶり。ただし補正は厳密にとりましたんで。。。

クルマの次は人間の身体だ。つまり食事と快適な睡眠。そしてチームワークのことだ。
さらに、かなりハードな精神力とサービス精神が要求される。

問題はそのサービス精神で、この山の上の風景を見せてやろう!なんて考えるほどにルートの難易度は上がる。つまりサービス精神の高さは難易度に直結する。

そして最大に必要なものは「情熱」と「表現力」だろうと思っている。
それらの意味を総合しても今大会のルートは、素晴らしい出来栄えだと自画自賛している。何度も何度も出場した参加者らに瞠目の景観をお見せできると断言できるし、思いがけない困難を強いる場面もたびたび出てくるだろう。

ときにふと「ここはタンバクンダか?」と思わせるようなダカールのオールドファンには懐かしい風景が出てくる。約束していた湖に浮かぶ砂丘地帯は、水位が急激に下がってしまったので望めなくなったもののその干上がった湖底のデューンの袋小路を彷徨うことにもなる。

大きな4000m峰を有するボグド山脈はアルタイ山系。狭隘な谷をいくつも詰めることになるが驚きはそこにもある。一つの谷は氷で閉ざされていて、いちかばちかのアタックを試みた。何とか抜けられた。もう一つは谷には氷が張り詰め青い光が満ちていて、氷の底に水が流れていることが確認できた。さすがにここは「行くな」と、迂回路を取った。

平均標高もいつになく高い。ひょっとしたら、2000mを超えているのではないだろうか。
今回は吹雪の中、厚い氷や雪の中を超えて行った。
まさに美しい風景や、20年近いこうした旅の中でも初めて出会う景観やピストに感動しきりだった。

ルートには様々な性格が表れる。
後年「そうか、あの年の大会に出ていたのか・・・」そう言われる大会にしたいと、毎年そう思っているからいまだに進化できているのではあるまいかと自負している。とにかく2012年、これまでになかったルートとそのコーディネイションを楽しみにしていただいてよいと。

きょうの一枚

積雪地帯はピストが良く見なかった。標高2300mに降りてくると、緑のじゅうたんと雪が見事なコントラストだった、今日はこのあたりでキャンプをするか!とクルマを止めた。

No.103 菅原さんからの手紙 – 2012/05/28

letter_103_20120528_1200_01北海道4DAYSや我々が出るイベントで大変お世話になった北日本自動車大学校の元校長、斎木達雄先生の一周忌が5月20日にありました。

あれ程までに、モータースポーツ発展の為に協力してくれた人は見た事がありません。皆で感謝ですね。

さて、我々チームの次回大会の概要が発表になりました。
次回も応援して下さい。

私は次回の用意も兼ねて6/1から6/9までフランスに出張してきます。

菅原 義正

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No.102「Rally Mongoliaの取材がありました」- 菅原さんからの手紙 2012/05/14 12:00

letter_102_20120514_1200_01今年の車の製作のテーマは更なる軽量化とホイルベースの間になるべく多くの重量物を積載する事です。

軽量化の為に快適性を犠牲にしてエアコンの装置全てを外しました。尾上号は昨年からやってました。

昨年、尾上号を苦しめたウオーターポンプは新品に交換です。ミッションも永く使っているのでリビルト品に交換しました。

川渡りの対策も考えてデフ、ミッション、トランスファーのブリーザーをパイプで新作して結構高くまで配管しております。

来月の今頃は松山で車検があるので、御殿場のオフロードで実践さながらのテストを何回も繰り返しております。

まだ、まだ秘密の改造や工夫が入っているのですが、内緒です。

写真1
フロントグリルに埋め込まれた小糸製のLEDのランブの位置にご注目下さい。

写真2
リアーサスのスブリングは1300のを流用しました。

写真3
車載の工具他、必要品(ミニマム)を広げてみました。真ん中にあるタイヤレンチは今年アルゼンチンで見つけた優れものです。

追伸 TBIで転んだ私のホンダXR230のフレームが曲がっており修正の為、入院中です。

菅原 義正

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No.101「フレームが組上がりました」- 菅原さんからの手紙 2012/04/25 12:00

letter_101_20120425_1200_01日野自動車の入社式で社長が言ったのは「夢を持ちなさい、夢は逃げないけど逃げるのは自分だ」とのお話があったそうです。難しいお話ですね。

昔、私が教えてた整備学校(SSERの4DAYSでお世話になっている学校)で、ある学生が「ダカールラリーのメカになるにはどうしたら良いか?」との質問を受けました。

私は日野自動車の販社のメカになり、優秀だったら我々チームのメカさんに成れる可能性があるよ。とお話して10年後にダカールメカの応募に彼の名前がありました。

実はダカールのメカに応募するには日野自動車のHS-1と言うとても難しい資格を取った人だけが応募する権利があります。彼は札幌にある日野自動車に入り、結婚もし、自宅も自分の力で建てて、夢に向かって進んで応募し、ダカールのメカさんの審査に合格したのです。

私は夢に向かっている人、挫折する人を数多く見ているので、日野自動車の社長のお言葉は若い人に向けての素晴らしいお言葉だと思っております。

フレームのお話でしたね。

写真説明

1は弊社に届いたフレームとスプリングです。トラックのスプリングは後ろが太くなってます(荷物を積むので)が我々の競技車は逆で、フロントから凸凹に入るのでフロントが強くなってます。

2は白い塗装中です。

3はフレームになりましたが、借り組で、対角に寸法を測り、水平を出して本組みになります。

4は弊社社長の照がナビパネルのスイッチ類の配線をしております。

私はと言うと、ある部品を作り直して150グラムの軽量化をしましたよ。

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菅原 義正

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No.100「2013ダカール用車両の改造開始」- 菅原さんからの手紙 2012/04/12 12:00

letter_100_20120412_1200_012012で使ったキャブ(運転席部分)が恵比寿の会社に運びこまれ改造が始まりました。室内の内装が全部外されて、掃除した後に塗装がされます。

塗装はクラックの発見や落とした品が分かりやすく白い色で塗装しており、フレームも普通は黒色ですが、我々のチームは白い塗装にしてあります。

各部品を外す事によって、取り付けたネジの強度(軽量化の為にアルミのボルトにした場所が強度不足だった事が判明しました)が適正かどうかも分かります。

人間で言うとマラソンランナーにまでに軽量化をしており、これ以上すると強度的に難しい範中に入っているのですが、人間の知恵は素晴らしく強度に関係無い場所を見つけて、軽量化をしております。

乗員がここまでやっているチームは世界でも珍しい事で、逆に言うとここまてやっているから、ラリー中に何処かが調子が悪くなっても自分達で直してキャンプ地まで戻れるのです。

エアコンの室内のラジェターも埃まみれです。(埃を嫌って外気導内のシステムを殺しています)これでは効率も悪くなり、1年ごとに新品に交換です。

このキャブが新しいフレームに載せられて、モンゴル・ラリーにテストとして出場します。ブレーキもブレンボーで特注のディスクです。

お楽しみに…..

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菅原 義正

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No.099「投石」- 菅原さんからの手紙 2012/04/03 11:51

letter_099_20120403_1151_01ダカールラリーが始まって2日目(2012.1.3)はリエゾン273KM、SS208km、リエゾン3KM、トータル501KMのステージでした。

今年からリエゾンでの最高速度は105KMと新しい決まりが出来たので、リエゾンは約3時間位で走ったのですが、この時の外気温は50℃であいにく、昨日エアコンが壊れて修理が出来て無い状態です。

SSをスタートして37KM地点で投石を受けました。石の大きさは握りこぶし位で当たった場所はドライバーのまん前です。バイクからの飛び石に備えて、フロントガラスには特殊なフイルムを全面に貼ってあるのですが、こぶし大の石が飛んできたのは始めてです。写真でも分かるのですが、一瞬にして合わせガラスの内側部分が粉々になり、顔面に降り注いてきました。我々は今後の開発に備えて4画面の映像をスタートしてからゴールまで動画で記録しております。

1画面はドライバーとナビの動き、そして車からの主観のコース状況、そしてメーターパネルの状態、そしてリアーサスペンションの動きです。(真ん中の黒いのは左後輪の動きを見ています。

最初の写真で分かるようにガラスの破片が顔面に降り注いでも前を見ており、スワンさんから毎年、提供されているポリカーボのサングラスが無ければ、眼球にガラス片が刺さっていたでしょう。

その0.26秒後が写真の2になります。車速は時速90KM/H、エンジン回転は2400RPM、ドライバーは顔を避けてますが、もうガラスは飛んできてませんが、当たった石は跳ねて空中で写ってます。ナビさんはまだ、動きがありませんね。

写真の3は更に0.04秒後の写真で石が下に落ちております。

この前の映像には2名の男性が石を投げる一瞬が写ってました。この後の、464KMはイスの下やあちこちにガラスの破片があり、チクチクの運転でした。

翌日のキャンブ地には521が投石を受けたので、気を付けるようにと書き出しがありましたよ。

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菅原 義正

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No.098「菅原流の自転車完成です」- 菅原さんからの手紙 2012/03/13 12:50

letter_098_20120313_1250_01私は北海道生まれなので、空気の悪い東京(今は大分良くなった)でランニングや自転車でのトレーニングはしない事にしてました。

数年前にはラリーのトレーニングの為に上野から汽車に乗り翌朝の6時に函館に着いて、自転車を組み立てて札幌まで走ったり、ある時は飛行機で先に自転車を千歳空港に送り、そこから芦別経由で帯広(日野のテストコースがあります)まで走りました。

昨年の暮れにはアメリカで自転車に乗ったのですが、寒くてあまり走れなかったので今回は温かくなったら北海道にでも行こうと思ってます。

私の友人で毎日、何百キロも走る人が居りますが(尾上さん)私の自転車はちょっと違ってますよ。

これにSONYの防水のGPSを付けました。

次回のダカールはリマを1月5日にスタートしてゴールはチリになりました。トレーニングの開始です。

写真の説明
1 前にはカバンでは無くカゴにしました。
2 後ろにもサスがあるのでバックが内側に入らないようにアルミでガードを自作。
3 夜間走行に備えてヘッドランプをヘルメットに付けました。

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菅原 義正

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No.097「TBIで使うカールさんの車両完成」- 菅原さんからの手紙 2012/03/13 12:48

letter_097_20120313_1248_01昨年、カイザーさんの工場を見学に行った時には、カイザーさんが忙しくて、カールさんが空港へ迎えにきてくれ、そして帰りも、ホテルから空港までニコニコして送ってくれました。

バイクは何にしようか迷ったのですが体か大きいのでBMW1200GSに決定。タイヤはミィシュランのアナキー2からメッツラーのカルーにしてオフロード性能を上げて、マップケースとICOを付けて、いざ、試走にと思ったらクラッチがスカスカ。

オイルを見たら何も入っていません、驚いて床を見てもオイルがこぼれた跡も無いので、デイラーさんに電話したらレリーズシリンダーからオイルが漏れてクラッチまで廻って、乾式クラッチが湿式になっている可能性があるとの事、早速引きとりに来てもらい入院です。

クラッチのタッチと軽くなるから油圧にしているのだと推察しますが1200GSは道なき道を入るコンセプトが売りになっているのに、山田さんの西安-パリ旅行の時にもイモビが悪さして苦労をしていましたし。あの時も1台で走っていたら旅行は中止でしょう。

冒険を意識したらクラッチはワイヤーにすべきだと思いませんか。ワイヤーが切れたら針金でも作動します。

私が好きなのは水平対向で重心が低く、ドライブシャフトで駆動しているのと、リアーが片持だからです。

実際に作られたコンセプトは軍用でヘッドとシリンダーが両側に出ているので整備性が良いメリットがあります。

我々がやっているカミオンクラスの大きいのはV12気筒で20000ccで1気筒ずつヘッドが独立しているので、修理が簡単に出来るようになっています。

今の1200GSはファッションなんですね。
写真の説明
1はフロントビュー
2はカルーに履き換えた後輪
3はカウル内に収まったICOとマップホルダ

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菅原 義正

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No.096「モンゴル用ジムニー完成です」- 菅原さんからの手紙 2012/03/05 20:33

letter_096_20120305_2033_01御殿場工場の隣のKEN FACTORYさんの協力を受け、3/3日に完成し、昨年末から入院していた隣の工場から我々の工場に入りました。

今年も尾上さんには負けられないので、各所に新しいアイデアが沢山盛り込まれております。

大きな部品ではミッションを新しくしたり、昨年、尾上さんが泣かされたウオーターポンプを新品に交換したり、まだまだ内緒の改造が施されておりますよ。

あまりにも上手に組み込まれており、分かりづらいのですが川渡り対策として左ピラーにシユノーケルが付いてます。

これ以上は超極秘事項なので松山の車検会場までお待ちください。

写真の説明
右後ろに写っているのは新しいナピの高橋くん。
バイクのテールレンズはHONDA SL230。運転席の後ろにシートをかけられているのはウラルサイドカー。401のゼッケンが付いているのは1996年にパリ・ダカに出た日野レンジャーです。

菅原 義正

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No.095「ファビアンさんのバイク完成」- 菅原さんからの手紙 2012/02/19 23:50

letter_095_20120219_2350_01今年のTBIにドイツから来る、ファビアンさんのバイクが本日、完成しました。

ベース車両は照の通勤車両のXR250Rをお借りして作り上げました。あまり手入れをしてなかったのでフロントフォークやリアーサスをオーバーホールしてホイールベアリングなどは新品に組み換えました。
チエーンも変えたのでフロントとリアーのスプロケも新品です。

テストを兼ねて私がこのバイクで3月に行われるTDR2012に参加を予定しております。
一緒に来るカイザーさんの車両は広島のモトワークスで作成中。

カールさんが乗るBMW1200GSは東京のフラットさんでお世話になっております。

この3名の先導は弊社の高橋が担当することになりましたが、高橋が一日目に崖落ちしたらどうしましょう?

揃って山田さんの自慢の「たぬき」で美味しいコーヒーが飲めたら良いですね。

私の乗るXR230Rはとっくに出来ており、今はモンゴル用の車両の整備中です。尾上さんが北海道に行ってる間に整備をします。

写真
1の説明 ライトは純正にしました。彼らは目が良いので明るさは十分です。
2の説明 ICOとマップケース
3の説明 タイヤは前後ミィシュランのT63で固めました。

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菅原 義正

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No.094「トリッキーになったコース」- 菅原さんからの手紙 2012/02/01 12:00

letter_094_20120201_1200_01南米に移ってから、コースの製作は昔、三菱で活躍していたフォントネ氏が現地の人の協力を受けて製作しております。

昨年のカミオンクラスでは70台中15台もひっくり返っておりとても危険なコース設定でした。

ひっくり返ったチームからクレームが出たのか、毎年使っているファインバラの難しかった砂丘越えでは、覚悟して行ったのですが通過しなければならないGPSポイントは以前より優しい所に設定されていたので、フォントネ氏も反省したのだとばかり思っていたら、その後、特に始めてのチリではトラックで実際に試走したのか聞きたくなる位い難しいコースが待ち受けてました。

落差1000メーター位の峠(木が生えて無いので落ちたら一貫の終わり)でトラックがやっと通れる道でコーナーでは2回も切り返しが必要な位きついカーブです。トラックの内側の後輪は道から外れており、3輪でコーナーを走ってます。

!!!!(コーション4)の下り坂では後輪がはねて危うく裏返しになりそうになりました。もしそうなったら1000メーターは裏返しで落ちて行きます。

帰国してからデイリーで放映して頂いたJスポーツの番組を見ていたらバイクで出ていた選手が役員に噛みつき「我々は度胸試しに来てるのではなくモータースポーツをしに来ている」と言ってましたが、私もその通りだと思っております。

砂丘は得意なのですが、高い場所は大嫌い(山田さんと同じで昔は山岳部でヒルクライムもしていたのですが)で後ろの車がすぐに追いついて来てクラクションを鳴らすのですが、そんな場所なので追い越しをさせてあげる場所も無く、走る邪魔者状態です。

来年はペルースタートとも噂されており、いやですね。

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写真の説明
1 砂丘を越える照号
2 急坂を降りる義正号
3 難しいバンク走りをする照号
4 急坂を登る照号

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.093「無事に終わりました」- 菅原さんからの手紙 2012/01/20 16:35

letter_093_20120120_1635_01沢山のスポンサーさんや沢山の仲間に支えられ、今年も無事に完走できました。応援くださった皆様に感謝申し上げます。

今回は、スタートのポデュウムで30回連続出場を祝っていただき記念の盾を頂きました。中止になった大会にもエントリーしていたので、あの大会もカウントしてくれたようです。

スタートして2日目のSSの37km地点でこぶし大の投石を受けました。フロントガラスには特殊なフイルムを張ってあるので、穴こそ開きませんでしたが場所が私の顔の真ん前なので、ガラスの破片が顔面に突き刺さり、血を吹き出しながらの走行です。外気温が60度もあり、クーラーも壊れた日だったのでつらい走行でした。おしりの下にもガラスの破片が沢山あり残り200kmのSSも大変でしたよ。

初めてペルーに入ったのですが、砂が柔らかかったり、風の関係で砂丘の頂上がねじれているのでとても難しく感じました。

びっくりマーク!!!!の下り坂が2回も出てきましよ。

リマの市内は昔のダカールのように各陸橋には溢れんばかりの人たちで歓迎してくれました。

モンゴルに来てくれたジョナストリートさんは早くにリタイアでしたが、レンジローバーで来たステファニーさんは初出場で完走しました。

照も頑張って総合9位、10000cc以下の優勝で私は3位です。

昨日、ペルーから日本と反対側のブエノスアイレスに来て、荷物を整理して明日、日本に向かいます。

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写真の説明
1 我々チームを訪ねてくれたステファニーさん。
2 ペルーでの歓迎ぶり旧市街地です。
3 ホディウム前で表彰される順番を待ってます。
4 自分の仕事を無事に終え食事会場に向かう途中の幸せそうなお方。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.092「人検、車検無事合格」- 菅原さんからの手紙 2012/01/01 11:30

letter_092_20120101_1130_0128日には我々がお世話になっているアルゼンチントヨタさんでトヨタ車で出るチーム(南アフリカから4台のプロトやもちろんトヨタオートボーディさんも)と我々チームの合同の記者発表がありました。

午後2時にレンジャー2台とランクル1台と6輪駆動のFUが1台の4台のコンボイでスタート地点である約500km先のマルデプラタに向かいました。

途中、親切な白バイが我々の前を走ってくれ、高速道路では白バイの指示で料金が無料でした。指定された道路を走るのですが数キロおきにパトカーが置いてあり我々を歓迎してくれてる様子がわかります。

予定より早めの午後8時に指定されたアシスタンスパークに入ったのですが場所が狭く一番遠くの灯台の下に停めました。

29日の人検は2号車が9時15分からなので全員そろって7時30分にはアシスタンスパークに入り準備です。

シートベルトが5点式でないとだめだと言われ、予備のベルトを使い5点式に現場で改造して、無事車検も通過です。

なんと、パルクフルメに入ったら照の2号車がカミオンの一番目で私は2番目でした。

今年大きく変わったことはリエゾンの最高速度です。今まで競技車は150km/hだったのがアルゼンチンとチリでは自動車とバイクは110km/hでカミオンは90km/hでペルは100km/hと80km/hです。

そんな事もあるのか、今年のコースのリエゾンは少な目に設定されてます。でも、1日目のリエゾンの合計は約800kmもあるんですよ。

最初のSSは海岸で高さ40メートルの砂丘越えから始まるようです。

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写真
1 工場でチーム全員での記念撮影
2 どこからともなく現れて先導してくれる白バイ
3 マルデプラタに到着です。
4 車検場に置かれた2台のレンジャー

菅原 義正

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No.091「再会」- 菅原さんからの手紙 2011/12/24 20:00

letter_091_20111224_2000_01今朝8時にブエノスアイレスのホテルを出発して80KM北西にあるサラテのトヨタアルゼンチンさんを訪れました。

4年前からお世話になっているのですが、毎年ハイラックスを増産しており、4日ほど前にお祝いに大統領が訪れたそうです。(綺麗な女性大統領)

こちらのトヨタさんは全面的に我々チームを支援して頂くれ、我々のために工場の照明を高く移動して専用のブースを用意してくれて待っててくれてます。。

レンジャーとは10月18日に分かれて約2ケ月ぶりに再開しました。
先発のメカさん達が一生懸命仕上げてくれてたので、トヨタさんのテストコースをお借りしての走行テストをしました。

何時も以上の仕上がりをメカさん達と確認しあい、少しブレーキが焼けた匂いをコースに残し無事に終了です。

メカさん達にも同乗してもらい最高の仕上がりを共有しました。

次回は南のマルデプラタと言う街を出発します。
噂では海岸に人工的な砂丘をいくつも作ってあり、調子にのって走っていると初日にリタイアする人も出るといってまよ。

罠にはまらないように頑張りますね。

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写真
1 トヨタさんの用意してくれた定位置に置かれたレンジャー2台。
2 アトリエを出る1号車。左には自動車ショーで寄せ書きをして頂いたこいのぼりが見送ってくれてます。
3 テスト中の1号車
4 メカさん達とテストの結果の打ち合わせです。

菅原 義正

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No.090 「サンタモニカに移動しました。」- 菅原さんからの手紙 2011/12/20 18:00

letter_090_20111220_1800_01サンタモニカに移動しました。

20日の早朝にロスからブエノスアイレスに移動するのでロスの空港の近くに移動しました。

ここはビーチか長く伸びいて自転車とランニングの専用のコースが作られております。

来て見て驚いたのですが、ルート66の始発点でもあるそうです。昨日は日曜日のせいもあり、いろいろな種類のバイクが走ってました。

尾上さんのような派手な洋服を着て細いタイヤで集団で走っている人や自作の2建てのような自転車や寝そべって走るバギータイプの3輪など見ているだけでも楽しい場所です。

時差も取れカゼも治り、万全で南米に渡りますので、応援してください。

写真の説明
1 ルート66の始発点のお店です。
2 海岸に作られているサイクリングとランニングコース。
3 市内バスのフロントに自転車のキャリアーが付いてます。
4 私のバイク JAMISのDAKARです。

菅原 義正

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No.089「アリゾナ州から」 – 菅原さんからの手紙 2011/12/15 15:10

letter_089_20111215_1510_0112 月5日に渡米して長男に買っておいてもらったマウンテンバイクを引き取り、トレーニングと時差を治すのにラスベガスに移動してバイクで少し走りました。

ラスベガスには46年ぶりの訪問です。

この町は1941年に最初のホテルが出来て、非合法でカジノをやっていたそうです。なんと私の誕生した年ですよ。 なんでベガスでトレーニングかと言うと日本食のレストランが沢山あるからなのです。調べていると「戸越ラーメン」と言う店があり私の住んでいる戸越と同じ名前なので訪ねていったら、何年も前に店じまいをしたようです。

ベガスでは街が混んでない早朝に走ったのですが、動いてない手が冷たくなりました。

長男のお奨めのアスリートが集まると言うフラッグスタッフに移動したのですが、標高が高く、周りは雪景色でホテルには雪ダルマが作ってあり、一泊だけして南のフェニックスと言う街に来ました。

このあたりは景色が良くきれいな川もあったのでしょう、ホテルの廊下には1927年
に特別に仕立てたキャンピングカーでコックさんも同行してキャンプをしている写真が飾ってます。

明日からはこのホテル推薦の自転車のトレーニングコース図を手に入れたので頑張ります。
部屋にはモノクロの写真が飾ってありキャプションには「Clark Gable and Friends」と書いてあり、4人の友人と一緒にゴルフをしている長身のクラークゲーブルさんが写ってます。

写真の説明
1 長男の会社の受付に飾ってあったバイク(未発売)
2 ラスベガスの有名な噴水
3 あの有名なルート66を少しだけ走りました。
4 フェニックスで訓練中。

菅原 義正

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No.088 – 菅原さんからの手紙 2011/12/01 15:10

letter_088_20111201_1510_01東京モーターショーが今日(11/30)から開催されました。24年ぶりに会場を東京ビックサイトに移しての開催です。

一般公開は12/3から12/11ですが12/2までは報道関係者に向けた発表で、日野さんのブースにはドーンとレンジャーを飾ってくれました。この車両は今年のダカールラリーに出た本物です。

次回大会用の車両はモンゴルでテストした新しい車両と照が乗った2号車をアルゼンチンに送ったので、私の乗った1号車を展示してもらっております。

照と朝から説明員としてレンジャーの傍におりましたが本物の迫力に皆さん驚いてくれております。

ちょっとだけ仕事をさぼって乗用車やバイクのブースを覗いて来ましたが、展示車両も多く勢いを感じる会場でした。

私と照とのトークショーが12/3の14時から14時30分まで日野さんのブースで行われます。

入場者に配られる「東京モーターショーニュース」は何とモンゴルラリーでナビをしてくれた若林 葉子さんの会社で製作しており、表紙は 松本 零士のイラストで毎日、日替わりで印刷されて12日間表紙も違うそうです。

写真の説明
1 ちょっと斜めになって展示されてるレンジャー。
2 インドネシアの鉱山で使われている超大型ダンブ。将来、我々チームのサポートカミオンになったら嬉しいですね。
3 テレビの取材も受けました。
4 尋ねてくれた若林 葉子さんと。彼女から腕を組んでくれるのに3年も掛りましたよ。

菅原 義正

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No.087 – 菅原さんからの手紙 2011/11/15 14:40

letter_087_20111015_1440_01フランスのノレブ社から1/43のモデルが世界一斉に発売されました。毎年、私のカミオンだけ造ってくれるのですが、今回は照が乗るカミオンも作ってくれました。

日野自動車さんがダカール・ラリーに挑戦して20年目になるので2台も作ってくれたのだと思ってます。

今年のパッケージには「義」と「照」の漢字がデザインされて入っおり、「鯉のぼり」もそうですが、漢字が使われてるのがとても嬉しく思っております。

ちょっとでも日本の文化が世界に向けて発信出来るのが嬉しいですね。昨年から車のデザインも歌舞伎の「隈どり」にしたり、スタートの時はフロントバンバーに「しめ縄のお飾り」を付けてます。

次回のゼッケンNO.が決まりました。照の乗る2号車は508  私の1号車は521 です。

来年のカミオンの出場台数が増えて80台近いエントリーです。

私も古希になり、選手としては恥ずかしい年になってますが、日本魂ここにあり、と頑張りますので、応援お願いいたします。

写真の説明513は義正号、526は照仁号です。

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菅原 義正

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No.086 「シェイクダウン」- 菅原さんからの手紙 2011/10/17 14:40

letter_086_20111017_1440_0115日の土曜日に日野さんのテストコースを借り切って、次回大会用の日野レンジャーのシェイクダウンを行いました。

報道の方にも来て頂き、公開テストです。

照仁が運転する2号車は今年のラリー・レイド・モンゴルでデビューしたのですが、フレーム幅を広げたり、新しい試みがあちこちに入っているので、ラリー終了後に補強の追加工事などをして、やっと出来あがりました。

全国の販売会社から選考されたメカさんも1ケ月前から本社の工場に来て頂き、毎日遅くまで作業をして頂きました。

朝から晩までのテストで、途中には報道の方や日野さんの技術の方や販社メカさん達にナビ席に乗ってもらい体験試乗もあり、無事に終了しました。

私の運転する車両は昨年まで照仁が乗っていた2号車の御下がりですが、荷台がカーボンになっていて軽量なせいか、以前の1号車より加速が早く ダートでスライドしてもそのまま加速してくれました。

良くある事ですが、こんな大事な時に転倒したり、壊したりする事があるので(我々のチームは1度もありませんよ)無事に終了して正直ホットしております。

今年のラリーに出た1号車は12月に始まる自動車ショーの日野さんのブースに展示が予定されております。ぜひ現物を見て下さい。
写真の説明です。
1 上から2号車の5月31日の状態です。フレームが組上がりました。その1ケ月後には今の状態まで作りあげて7月7日に同じコースでテストをしてそれからモンゴルに送りだしました。

2 2台が揃い、日野さんの技術屋さんがチェックしてくれてます。キャブ(運転席の長さの違いが判りますか?)

3 バンクを走る2台で、手前は照の2号車で補助灯が違います。2号車は全灯LEDを使い、1号車はHIDです。

4 軽くジャンプをする2号車です。

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菅原 義正

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No.085 – 菅原さんからの手紙 2011/10/06 10:38

letter_085_20111006_1038_019月29日(木)にバイクの世界選手権が行われるモテギに照と行ってきました。

前回の「菅原からの手紙」に写真を載せたペップさんに会う為です。彼とはダカールを通じて知り合い5年間位になります。今年はデュロイのチームのドライバーとして大活躍でカミオンクラス総合7位でした。

以前にもモテギに来てお会いしたのですが、彼はこの世界選手権のロジスティクスの最高責任者です。

今回は300トンの荷物(各チームのタイヤ他機材の全て)を3機のカーゴジャンボを借りて日本に来たのです。1機100トンの荷物を積むのですが、燃料も100トン必要で航続時間は最大9時間だそうですよ。旅客用のジャンボは12時間以上飛ぶので積載量が違うんですね。

初めて彼の経歴を聞きましたら驚きです。125ccのスペインでのエンデューロのチャンピオンを5年取ったそうです。他にISDE(6日間のエンデューロの世界選手権)に9回出て8回完走しているそうです。

SSERで有名なガストンさんも125㏄の世界チャンピンなので交流があったか質問してみたら、ガストンさんが主催する砂の走り方の勉強会がベルギーであり、2回程行ったと言ってました。

やはり、ダカールで活躍している人はとんでもない人達なんですね。

来年のデュロイのチーム体制は以前カミオン部門で総合優勝したスティシーさんとWRCのチャンピオンのミキ・ビアシオンさんとデュロイの息子さんの3台が優勝を狙い、彼は本コースを走るサポートの様です。

やはりダカールの情報を早く掴んでおり、今回のスタート地点のマル・デル・プラタの海岸に人口的な砂山を作り、プロローグをやるとか初のゴールになるペルーの砂丘は砂が柔らかいから注意が必要だとか、色々と教えてもらいました。

彼の自宅はバルセロナにあるのですが、580ヘクタールあり、一周63キロのオフロードコースを持ってるそうですよ。

追伸 先日私がサポート役で行ったウルトラ・トレイル・デュ・モンブランの放映がNHKのBS1で10月10日(体育の日)の午後10時から100分の番組で放映されます。時間があったら見て下さい。

写真1の説明 前回の写真に本人のサインを頂いて来ました。スペイン・バハの写真だそうです。
写真2の説明 コースを案内してくれてるペップさん。
写真3の説明 ピットで一瞬開いたホンダのブースの一枚です。
写真4の説明 バイクの収集の話になり彼は20台位のコレクションがあるとの事なので話をしていたらブルタコの話になり照に買ったコタ25の話題になりました。彼はこの新車を1台持っているそうです。

菅原 義正

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No.084 2012のダカールラリーのメカさんがきまりました – 菅原さんからの手紙 2011/09/28 02:20

letter_084_20110928_0220_01各ディラーの優秀なメカさんが多数応募して頂けるのですが予算の関係もあり、全国から4名の優秀なメカさんを選考させて頂きました。

毎年ダカールは過激な戦いになっており、危険きわまりないのです。

次回の照の乗る車両をモンコルでテストしたのですが、一割位速くなっているのであちこちにクラックが入ったりして問題が発生します。
軽量化を徹底的にやり、300kgの軽量化に成功しました。

昨年は200kgなのでトータル500kg軽量化です。
軽量にすることにより、加速と制動に効果が顕著に表れます。

写真1は昨年の照のジャンプです。

写真2うえの砂丘からを降りるレンジャーです。

写真3は我々の仲間のペップさんジャンプです。

こまったものですね。

菅原 義正

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No.083 KAUFBEUREN (カウフボーレン) – 菅原さんからの手紙 2011/09/21 21:47

letter_083_20110921_2147_01この町は我々チームのバイクのサポートをしてくれているカイザーさんの町の名前です。

彼は10年位前からダカールラリーで我々チームのバイクサポートをしてくれたり、ラリーレイドモンゴルでは私がホンダ パイロット(2サイクル単気筒400cc)で出た年とヤマハ ライノ(4サイクル単気筒650cc)で出た年に専属で私のメカをやってくれ、その後、ドイツの友人を連れて何回かラリーレイドモンゴルに出てくれたのでSSERの関係者は良くご存知ですよね。

実は彼の町を訪ねるのは初めてでした。ミュンヘンの空港に着いたら、彼の手配で空港の近くに住んでいるカールさん(彼もラリーレイドモンゴルに出ております)が迎えに来てくれ、彼のアウディでカウフボーレンまで連れて行ってくれました。空港から西南に1時間程走った所にカイザーさんのショップがありました。

そこから車で1時間も走らない範囲にあの有名な「ノイシュバインシュタイン城」があるのです。彼の手厚い招待を受け、幸せな時間と空間を感じてきました。

写真1 彼の町の名前のビールで後ろにはカイザーさんがぼんやりと写ってます。味は日本のビールを薄くした感じでした。
写真2 彼が予約してくれていたホテルです。花が奇麗でした。
写真3 ホテルの入り口にあった、昔使っていたリヤカーの様な台車です。
写真4 ここからが大変です。足回りとフレームが現在の車と同じにUボルトで固定されてます。この後に横にリーフスプリングが使われてサスペンションが付く事になります。長い事使ったのか、車輪の外側に巻かれた鉄板はすり減ってますね。

菅原 義正

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No.082 ULTRA-TRAIL DU MONT-BLANC 2011 「三好 礼子さん初出場で完走」- 菅原さんからの手紙 2011/08/30 16:09

シャモニー(フランス)をスタートしてイタリアに入り、スイスを走り、シャモニーに戻ると言う超人的な競技でした。

世界中から2300人の選手が参加しており、166kmを46時間以内に走らねば失格です。

礼子さんは26日の23時30分にスタートして27日は丸一日走り、28日の20時に到着です。43時間と言う制限時間内で一睡もしないで2500メーターの山を5つも超えて走って来たのです。

我々サポート隊は事前にサービスポイント(エイドと呼ぶそうです)を廻りGPSに入力していたので、走る場所のすごさを覚えただけに、ゴールに入ってきた礼子ちゃんには感動です。

サポート隊も大変で選手しか走れない山があり、その先のエイドに行くには遠回りして行かなければならないので、43時間で寝たのは全部で2時間くらいで、こちらもウルトラです。

完走した選手とご家族が一緒に走ってゴールするなど感動的なシーンがいっぱいでした。

写真の説明
ゴール直後の礼子ちゃん
大会のロゴ
サポートに使ったハイラックス

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

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No.081 – 菅原さんからの手紙 2011/08/22 21:47

43年ぶりに空路でミュンヘンに入りました。

何と荷物の引き取り所で仰天です。
こんな大きなBMWのラジェターグリルでお迎えされました。

三好 礼子さんが ULTRA-TRAIL DE MONT-BLANCと言う競技に参加されるので、私はサポート員としてのドライバー役です。

シャモニーをスタートして2000メーター以上の山を5つも超え、167kmを走り46時間以内にシャモニーに戻ると言う大変な競技です。

空港にはモンゴル・ラリーに出場したKARL HEINZさんが迎えに来てくれて、礼子さんと130KM程離れたカイザーさんのガレージに向かいました。

ダカールのサポート用に昨年購入したハイラックスの中にはお願いしていた通りのキャンプ用品が新品で用意され、礼子さんはキャーキャー言って喜んでます。

今日は朝5時過ぎにカイザーさんが車で迎えに来てくれ、40分位の処の山へトレーニングに行きました。用意も終わったので明日スタート地点のシャモニーに移動します。

写真の説明
迎えてくれた巨大なグリル。
空港の入り口にあった波乗り
オシャレな空港のカフェ

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.080 – 菅原さんからの手紙 2011/08/16 21:47

無事に到着しました。

8/8にウランバートトルを出発して8/15に無事にウランバートルに戻ってきました。

尾上号は百戦錬磨の石原君をナビに起用し、挑戦してきましたが、私のナビをするのが初体験の若林嬢のしなやかなナビゲーションに、流石の石原君もまいったようです。

私の車はどこも壊れる所が無かったのですが、残念な事に尾上号のウオーターポンプのベアリングが不調になり、見える範囲内でのバトルは3回位でした。

お互いに、相手の車が視界に入ると俄然、元気が出て大人げない走りになってしまうようです。

それにしても「日本の名車ジムニ」ーは660ccなのに良く走ります。

今年は5台のジムニーが出場しましたが、来年はもっと台数が増える事を祈ってます。

ナビの若林 葉子さん ありがとう。

菅原 義正

写真の説明
ゴール後、パトカー先導で恒例の市内パレードの始まりです。
ゴールでの対決の二台の記念撮影。尾上号にはETCも付いており、エンジンを掛ける度に「カードが入ってません」とアナウンスされてるようです。
テストも兼ねての参戦だった日野レンジャーも無事に完走です。


著者紹介 菅原義正氏

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No.079「モンゴルに着きました」- 菅原さんからの手紙 2011/08/03 23:46

昨日(8/2)日野レンジャーでの参加の照とナビの杉浦君を空港に迎えにいきました。街が混んでおり早めに出たら一時間も早く着いたのですが、携帯の調子が悪いので二階の出発口のテラスに出て携帯をいじっていたら、30代位の若者達が寄ってきて、急に彼たちが持っている携帯を私に渡すのでした。

電話に出てみたら「スガワラサン 私はジャルジャルでーす」と言われびっくりです。私がHINO TEAM SUGAWARAのTシャツを着ていたのでスガワラだと分ったようです。話の内容は会いたいとの事と新しい日野レンジャーを見たいとの事でした。

ジャルジャルさんは以前、ロシアン・ジープで何回もラリーに出ており、ある時に相談を受けました。内容はピストンリングが弱いので、強いのが出来ないか?   との事だったので、その為にはピストンとシリンダーが必要だと言ったら、翌日に4気筒あるシリンダーブロックの1気筒分だけをドリルだけを使って切り離し、ピストンと一緒に持ってきました。

日本に持ち帰り、我々のスポンサーさんでもある日本ピストンリングさんに持ち込み、ご説明をしたら快く、それも無料で10台分のスペシャルなピストンリングセットが出来上がり、彼に早速、送ったら大喜びでオフロードの大会で何回も優勝してました。

お礼にウラルのサイドカーを送ってくれました。古い物なのでレストアをして大切に乗っているのですが、よく壊れるのでモンゴルに来る度に買い物をしているうちにエンジンが3機とミッションが4機になってしまいました。

更に新車も買い、病気が伝染して尾上さんにも移ってしまいました。

菅原 義正

写真はウランバートルに着いた新型の日野レンジャーと街から5KMも離れたらこんな景色が続きます。空港の建物です。

 

No.078 – 菅原さんからの手紙 2011/07/26 12:00

北海道4DAYSは斎木校長先生の居ない寂しいラリーなりましたが、そんな中でも、殆んどが道外の参加者が集まってくれ意味のある大会になりましたね。

4日間むの殆んどが雨で、更に台風が来て、予定通りに帰宅出来ない状況になり、皆さん大変だったでしょう。

私も予約していた苫小牧-大洗のフェリーが欠航になり、表彰式の翌日の朝9時30分に芦別を出発して、青函連絡船を使い、品川の自宅に着いたのが翌日の朝の7時30分でした。

私は北海道の小樽生まれなので、あえて言わせてもらいますが、道内の参加者が居ない事に怒りを感じます。

聞くところによると夕張でエンデューロの大会があり、バッティングしているとの事ですが、ラリーレイドとエンデューロは違うので、要するにオフロードが好きなライダーが居ないと言う事なのです。

その後に更に驚きました。函館のフェリー乗り場に着いて時間があったのでホームセンターで買い物でもしようと、らしき施設に行ったらとんでもない広い駐車場に車がびっしりです。建物に入ったらなんとパチンコ屋さんでした。

パチンコは悪いとは言いませんが、あまりにも小さな賭けで、外人を案内したら信じられないと言われます。

外人だったら、その時間にはもっと意味のある趣味を楽しんでおります。

グギを一本も打てない借家住まいの日本のシステムにも問題がありますね。

北海道は「Boys be ambitious」なんですがね。

菅原 義正

写真は赤松さんです。


著者紹介 菅原義正氏

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No.077 – 菅原さんからの手紙 2011/07/11 15:11

会社の前で「隈どり」の模様が入れられ、日野さんから技術者の応援も頂き、最終調整も終わり、日野さんのテストコースで走行確認を一日して積載車に乗せられて神戸港に向かいました。

テストコースでは外周路(両側にバンクが付いた舗装路)を最初に走り水温やオイル温度やインタークーラーの入り口と出口の空気温度などを調べながらの走行のようでした。(私は見て居ただけなので)

その後、内側に作られたダートのコースを何周も走ってました。加速が速く、見ているだけで軽量化の効果が表れていました。

水温もインタークーラーを荷台に付けたので安定しており、効果が表れたようです。

テスト走行後には新しく担当になった若い技術者の皆様に助手席に乗って貰い、体験走行会です。

自分達の想像以上の走りだったらしく、皆さんかなりの興奮をしておられました。

モンゴルでの走りをお楽しみに。

菅原 義正


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No.076 「2012ダカール出場車両出来ました。」- 菅原さんからの手紙 2011/07/05 12:54

今回は焼津にある坪井特殊車体さんの工場をお借りして、日野さんの各担当のエンジニアや弊社から社長(照)を始め、モンゴルから2名の応援を得て、焼津に泊りこみでの作業でした。

写真でお分かりのように弊社で製作したベットレスのショートキャブと坪井特殊車体さんの技術で作られた、フレームと新設計のリアーボディ、そして日野さんで更にチューンされたエンジンが合体されております。

次回は改造クラスにエントリーするので、新しい試みが随所に表れております。リアボディの前側が上がっているのは、この中にインタークーラーとエンジンオイル、ミッションオイル、トランスファーオイルのクーラーが収められております。

次回の開催場所はアルゼンチン、チリ、ペルーと発表されており、スタートの1/1は夏休みが始まる時期で、外気温が高いのと高地を走るので沸点が低くなり、オーバーヒート気味になるので、今回はラジエーターの前にあるインタークーラーをリアボディに移動させました。

リアボディの外板は特殊な生地のホロにして、軽量化を図っております。

これから例の歌舞伎の「隈どり」の模様が入れられ、日野さんのテストコースで走行テスト後に船積みされ、モンゴルに向かいます。

どんな走りを見せるか楽しみです。

菅原 義正


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No.075 「古希のお祝い」- 菅原さんからの手紙 2011/06/16 21:19

先日、友人達が集まり古希のお祝いをしてくれました。

すごいポスターと人形を作ってくれましたよ。

10年前の還暦のお祝いでは山田さんから赤いちゃんちゃんこではなく、赤いベストを頂き、その後の10年はあっという間でした。

TBIも11年連続で出場し、だんだん上手(自分なりに)になっているので、70歳と言われ自分でもびっくりしております。

自分のお祝いにマツダロードスターを買いました。
(今までの自分の車はご存じのダイハツ、ハイゼットカーゴ)

昨日、納車になり今日は御殿場まで往復してきましたが、疲れが全然ちがいます。ハイゼットでは130以上出すのですがタイヤが細く、横風を受けるので結構神経を使いますがロードスターの最高は120位でも気分良く走れましたよ。

ポスターと人形には作った人の優しさが表れていますね。
持っているビールにご注目下さい。

ポスターを書いた人は今回、初めてお会いした人で、人形を作った人にはまだお会いしていません。車と台を作ってくれたのは昨年の北海道4DAYSに私と一緒に出た鈴木賢さんです。

明日はジムニーに乗って松山の車検会場に向かいます。

菅原 義正


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