No.106「シェイクダウン」- 菅原さんからの手紙 2012/07/18



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14日の土曜日の早朝から終日、日野さんのテストコースで始まりました。午後からは報道の皆様に来て頂き、公開テストとナビ席に乗って頂き、体験同乗会もおこなわれました。

車両は今年のモンゴルで更にテストし、次回のダカールで私が乗る1号車です。この車両は8年ぶりにフレーム、足回り、エンジンが一新されキャブ(運転席)だけが(今年照仁が使用)今年の物を使ってます。

フレームは今後、大きなエンジンの搭載を見据えてサイズの大きい物を使用し足回りのホーシングはハブリダクションシステムを使うことでデフの径が小さくなり、デフの地上高が35ミリ上がりました。

更に、専用のブレンボーのデスクブレーキを4輪に採用し、エンジンは最新のコンピューター制御のコモンレール方式を初採用しました。初のアルミホイールの採用。

おもにテストは照仁がやってくれたのですが、私が乗った感想は加速が良くなった事とブレンボーのブレーキのフイーリングが思った通りの効果でした。

追伸 山田さんへ 北4に出場出来なくなりゴメンナサイ。

写真説明
1 次回のダカールの最高速度は140KM/Hに抑えられたので、デフの減速比を最適化にしての走行テストです。

2 次回のラリーレイドモンゴルでもテストドライブをする照仁と新型のレンジャー。フロントデフにも注目です。

3 リアービュー。荷台の柱の支持にAPIOのパーツが多用されてますよ。

4 テストも無事に終わり日野さんのワーキンググループの皆様と記念撮影。

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2012/06/29 (金曜日) 「忙中の閑」

そうだ、北海道4デイズとモンゴルのコマ地図書きをしないといけない。このころのボクのMy風物詩です。

何かこれを書き始めた途端「悪い人になる。」らしくて、機嫌が悪いのだそうな。決してそんなことはないと思うんだけど、たとえばその時のボクは素粒子レベルでは?モンゴルの分岐に立っていて遠くの山の形やピストのさまを書き写しているというのに、邪魔をする人が居るんです。
いや決してそれは邪魔をしてやろうなどとは、思っていないのは良くわかります。
なぜなら、

「出来た―!書き終わったあ!」

というと、これは昔からなのですが社内では大きな拍手が必ず起こります。見事にあの分厚い気の遠くなるような絵を書き上げたボクへの賛美の拍手だとばかり思っていたのですが、どうやら違っていたようです。それはコマ地図書き中の極度のボクの悪態から解放された、まあ解放軍が首都に入城してきたときの民衆の拍手のようなものだったというわけです。

それはそうでしょう。

そして考えてみれば、ぼくの心情は「たった一つのコマも書き間違えない。」つまり距離が打たれたコマ地図のベースを、極度の緊張で「あっ、間違えた。」を完璧に排除してしまっています。
モンゴルのあのコマ地図を書いていて、ここのところ「あっ、書き間違えた。」は1回あるかないかです。

その間違いを極度になくすのは集中!ではありません。完璧に「ワガコト化」です。そこに立っている自分を想像して、前のコマからの距離感を感じ今向かおうとしている方向や目標物を自分の概念でしっかりととらえる作業です。ひと月前に見た風景を思い起こすのではなく、そこまでもう一度やってきている状況を作るということです。

あらゆることも「ワガコト」としてやれば、そう大きく間違いません。間違いの多くは集中を欠いたから起きるのではなく、所詮は「タニンゴト」ととらえているから起こるのだとボクは思っています。

あとは「心」です。さあ、書こうかな。この行為のためにボクは事務所の中にホテルの1室を再現したり、茶室を作ったりしているのだと言っても大きくは間違っていません。

 

No.105 HOKKAIDO 4 DAYS用の車両完成しました。- 菅原さんからの手紙 2012/06/28

letter_105_20120628_1200_01HOKKAIDO 4 DAYS用の車両完成しました。

最近発売になったHONDA CRF250も検討したのですがこのハスクは約40KGも軽いのです。前のXR230はスターターやハンドルのステムなど軽量なものに交換して、さらにフロントとリアーのアクスルシャフトやナットを中空のチタン製で作ってもらったり、軽量のマフラーにしてたのですが、なかなか40 KGの軽量化は難しいですね。

車両は気に入ったのですが、問題はシート高です。モトワークスの麻生さんに相談したら、特別に菅原仕様にしてくれるとの事で納車はモンゴルラリーの車検会場でした。弊社の高橋が雨の中、東京まで慣らし運転を兼ねて走ってくれました。

昨日、会社から自宅まで走ってみたのですがとても軽く感じました。

北海道も毎日雨が降っても良いように洋服類を用意してますよ。

写真説明
1 弊社に来てから後ろ姿は2気筒になりました。反射板のサイズも大きくしました。

2 ヘッドランプは50WのHIDとさらにLEDの補助灯が2ケついてます。ダウンフエンダー仕様にしました。

3 右側のマフラーは物入れになってます。内容物はカロリーメイト2000カロリー分、5ターのロープエマージェンシーブランケット、サイリュウム2本、北海道ツーリングマップル〔これが重い〕

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No.104「ルマンに行ってきました」- 菅原さんからの手紙 2012/06/13

letter_104_20120613_1200_01私は久しぶりのルマンです。

主催者はフランスのルアーブル港に11月の末に参加者を集めて車検をして船積みをしますが、我々のレンジャー2台は日本で整備して直接、南米に送ります。
サポートカーの6輪駆動車とサポート車両はルマンを拠点にして整備をしており、メカさんは11月に行って事前の整備をしてルアーブルに搬入するのですが、この時期に行くのは珍しい事なのです。

モンゴルからバイラーさんとサンちゃんに来て頂き、6輪駆動車のライニングを貼り替えて交換したりしてもらいました。

この時期は夜の10時過ぎまで明るくて朝の4時過ぎに明るくなります。ルマン24時間は今年で80周年なのですが、必ずこの時期にやっております。

今年は中野選手、トヨタ、ニッサンさんが出るので必見ですよ。

現地時間の16日の午後4時からスタートして翌日の午後4時にゴールです。

トヨタのハイブリットはピットからモーターだけで走りだし、オンコースに出る手前でエンジンが掛ります。(エンジンがかかったらすごい音でした)

写真の説明
1 ルマンの駅です。45年ほど前に三栄書房のオートスポーツ誌から依頼を受けてルマンの駅の写真を写して持ち帰り掲載されました。この頃は現地のレポーターの記事を訳して掲載していたのです。今は、すっかり変わり石造りの駅はそのままですが、ガラスで覆われており、駅前の駐車場は地下になり、広場が出来てました。昨年、行ったストラスブールの駅もガラスで覆われました。

2 入場券です。この入場券は4ケ所の立ち見席で、6/3のテスト走行と6/13と6/14の予選が見れるキップで我々はMULSANNEで見ました。料金は10ユーロ(約1000円) でした。高いのか安いのか?

3 無理を言って中野選手に運転席に入ってもらいました。6/3は彼が良いタイムを出し安心したのか、我が家で夜中の2時まで飲みましたよ。
4 我々が借りて16年にもなる工場です。奥にはバイク専用の部屋もあります。

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Organisation Voice 2012/06

2012/06/28 (木曜日)

「つれづれなるままに・・」

もう10年以上も、まだブログなんて言葉もないころから、思いつくままにこのWebサイトに「OV」なんぞとタイトル付けて書いてきました。

コンセプトは?推敲しない、つまり書きなぐったままの素の文章を載せるということでした。だからあとから読むと実に稚拙な表現や回りくどかったり重複していたりと、まあ人に読んでいただくような文章なんぞではないわけでした。

そして、あのころは(って、どのころだろう・・)書きたい思いが湧き続けて、いや今も思いは湧き続けるのですが、とめどなかったように思います。ところが昨今。人々が良きにつけ悪しきにつけ、書いて書いて書きまくります。

ブログ、ツィッター、FB、あんなに子供のころに作文が苦手だった子供たちも、まるで音楽の授業で歌わされるのが嫌だったくせに今ではカラオケではマイクを離さない大人のように?なんでそれほどまでに「歌うの」じゃなかった「書くの?」と思うほどに、筆がやや重くなってしまいます。

マザーテレサの言葉。
ボクはマリア・テレジアの言葉だとばっかり思っていたのだけど。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

つまり思考や言葉は運命になるということでしょうか。
マーガレット・サッチャーも演説の中で使っていました。
そしてボクも「思考には気をつけなければ」ならないなあ、なんて考えはじめています。政治や時代も混とんとしてきていて未曾有の・・・と書き始めると誰もがそうだそうだと思うでしょうが、いつの時代も太古より人はいさかい殺し合い、為政者は言葉を操るのです。

困難な時代は、ほんとうに歴史の中に常に存在し、というか常に困難は極度に人々に寄り添い続け、それを一時的に振り払うためや人生の青山を求めて旅に出たりしたものです。

さあ、自分の思考、そして言葉を磨き、心を磨いて人生を。

きょうの一枚

エゾジカ。本州でも林道は鹿の宝庫に。いろいろ問題はあるだろうけど、ボクは良いことだと思ってる。ただしダートでのクラッシュは避けたい。あと熊もね。

2012/06/27 (水曜日)

「例によって、時々週刊タクラマカン」

もうすぐ北海道4デイズ。あの(雨さえ降らなければ?)爽やかな、あの北海道!です。今年は少しフォーマットが変更されてA-TECのキャンパスを使わない方向で進めています。そして芦別駅前が特設スタート会場!さあて、心配なお天気のほうは。。。

ところでまったくお天気の心配のない「タクラマカン」いや、一度は年間雨量50mmのロプノールで、おそらくそのほとんどを降らせた?ボクは、砂の海がいかに水を吸わなくてヌタヌタのヌルヌルになるかを、またしてもいやというほど味わったものでした。しかしさすがにそれ以降は完全に「晴れ」パリまでほぼ完ぺきだったというのが自慢!!です。

さて夏の様々なスケジュールをひと段落させれば「タクラマカン」に行くのであります。サイドカーも行くし、GS-Aはすでに3台!そうそうジムニーも。。。目指すは敦煌からトルファン、砂漠公路、米蘭、さらに4000mの峠を越えて。。。で、最近みんなで盛り上がりかけているのは「チョモランマ再挑戦!」といっても登るのではなく、青蔵公路完全走破!!の再現。できれば中尼公路でネパールを超えてムンバイまで。。。ああ、体力は大丈夫かしら。そんな世界地図とにらめっこしているときは自分の体力や、あの恐ろしかった?高山病のことなど完全に忘れてしまっていて。。。

自分の情熱を遮るものは自分の身体なのだ・・・
と。その都度に運動する!とか健康診断に行く!とか言っては、何もしない日々が続いているのであります。

さてタクラマカン!バイクで走れるチャンスは、まあそうありませんから悩んでいないで?ご一緒しませんか。。。

2012/06/21 (木曜日)

「ここにも、さまよえる湖が」

地球の異変は相変わらずのようで、ここモンゴルでもすごいスピードで環境の変化が進んでいます。とりわけ大地の乾燥はニュースで伝えられているとおりかなりなものです。
タクラマカンでは、あの巨大な湖ロプノールが、今では彷徨ってるのではなく完全に消え去ってしまっています。あらゆる川が海へ届かなくなっているとも言います。人口爆発による取水量の急増に乾燥が拍車をかけるわけです。山々は保水しなくなったし、黄土の流出も相当量。

モンゴルに話を戻します。ここでもこの10数年の間に湖は小さくなり、今年エタップ2では、例の左右の湖が時間によって水位が変わるという超常現象のようなものが観測されるところなのですが・・・大きい西側の湖は小さくなってしまっていて、少し小さい東側の湖は影も形もなくなっています。確かに雨でも降れば広大な、そしてどうしようもないほどの泥の海を出現させるのでしょうが、とにかく消滅してしまっています。
数年前は右側の湖の畔を全開でCAP180で走ったのですが、肌に感じる湖の湿度もいまではあまり大したことはなく、乾燥が進んでいることを空気が伝えています。

さて今回のボクの主題のひとつ、砂丘の浮かぶ湖も実は同じような状態になっています。エタップ2のゴールとビバークにここを選んでいたものですから、ありとあらゆる方法でアプローチするのですが、地図にある湖の上にまでやってきているのに湖はありません。
近くの遊牧民に尋ねると
「3年前まではあった、」
「いや30kmばかり後退した。」
「・・・」
30kmも後退するはずはないのですが。

翌日、その村の女性の村長さんを訪ねました。大歓迎!です。
「湖はいま少しずつ水を戻しつつあります。」
「おお!」
「この大会を村を挙げて大歓迎します。」
翌日、車で湖まで行きました。
確かに小さくなっていますが湖は存在していました。

そして湖に浮かぶ砂丘も遠くに見えます。
次の日は、もう一度エタップ2を制作し直すために出かけることにしました。

ボクタチはこの村の子供たちのために、ノートなど文房具やバトミントンなどの遊び道具をたっぷりと積み込みました。
村からビバークまでは50kmばかりありますが、きっと村長さんや子供たちが遊びに来てくれることでしょう。

さて、モンゴルの情報・・・
今年から、さらにアシスタンスの規定について厳しくコントロールしていきますのでご注意ください。もういちどレギュレーションをご熟読ください。

2012/06/19 (火曜日)

「スガワラ峠の雪と氷」

それはモンゴルほどの高緯度にある山塊の3000mの峠。日本の3000mの高山に比べても、空の群青はまるでヒマラヤだ。それにその高緯度の空気も凄絶な感じすらあるのだ。そこに至る道は地元の遊牧民でもあまり通ることはない。おそらく通る必要がないのだがシャルガルジョートというこの国でほぼ唯一の温泉保養地へ、危険だけど近道だということで稀に人が通る。
そして6月の試走の時は2年に1回くらいしか通れない。そして通るときは雪の斜面を奈落の谷に向かってクルマを走らせるのは、暴挙としか言いようがない。

でも今年は、それどころの騒ぎではなく厳冬期の山そのものだ。下手をしたらラリーの本番も雪渓が残っているかもしれない。
そのうえその試走の折は吹雪と新雪という大歓迎ぶりで、ふとSSERのイベントの雨の多さを実感するのだった。

ボクがこの峠に(勝手に)スガワラ峠と名付けたのは、もう12年ほど前だろうか。
試走の時に見つけたこの峠を、本当にルートに加えるか否かをずいぶん悩んだ。
悪天候時にヌルヌルとなった斜面を登ったり下りたりできまい。それに体感温度を奪うほどの風と冷気が支配している。

それでも青空ならば驚くほどの景観と、困難な峠越えの喜びは喩えようがないんだ。
そして、はじめてこの峠をルートにした年に、菅原さんが役員として参加していただいた。しかも最後尾を司るカミオンバレイを担当する。でもそのころには地元の軍用トラックとランクルという組み合わせ。この峠を越えるのに苦労をしたことはうかがえる。それでも「あの峠は素晴らしかった」と。それにその経験が菅原さんをして「この大会にHINOのカミオンを寄付しよう。」という思いに至ったようだった。
いま2台目のFTという4×4のカミオンがラリーの最後尾を守っている。
スガワラテルヒトやシノヅカケンジロウもそのハンドルを握った。
そうした、このラリーへの思いに心よりの敬意をもって「スガワラ峠」と命名したのだ。
どうか心して登り、そして超えていただきたい。
たおやかさと高山特有の厳しさと、驚くべき景観がまるで菅原さんのようだ。

2012/06/18 (月曜日)

「車検も大雨でしたね。」

雨雨雨。。。

「そういえばチョモランマ酒場の時も雨でしたね。」誰かがボクにそう話しかけた。

そうだったのか・・・
なにも雨はラリー本番の時だけじゃないんだ・・
ということで松山の船積み車検も大雨。
雨不足に苦しんでいる松山も、何も土曜日だけ雨が降らなくてもねえ。
さらにAPIOさんに誘われて走りに行った高知も、もちろん雨。

ここまで雨の確率の高いボクは、何かこの特技を社会貢献に利用できまいかと思案中です。

まあそれはさておき、雨のリスクの高い6月の催し物・車検は国際展示場の1/3を仕切って。
すると中にまでトラックなど積載車も入ってこられるので雨なんて、問題ないわけです。
しかしそれにしてもこれだけの確率で雨に当たるのは、相当なものです。

もっと言えば、モンゴルの試走も過去になく雨と風と雪。

そろそろ流れが変わるはずなのですが。
いよいよ次は北海道4デイズ、これこそ今年ばかりは4/4の晴れを目指しているのですが。

そしてモンゴルはまあ大丈夫でしょうから、あとは近場で行くとSSER3DAYS、これも過去の連続晴天記録も今は昔。そのSSER、今年は100マイル×3 まあ160km×3=480kmのラリーを目指して組み立てて参ります。

モンゴルのルートインフォメーションも、このあと取り掛かることにしますね。

2012/06/13 (水曜日)

「ラリーモンゴリア試走レポートその1」

今年のルートに挑むのは、実は参加者たちだけではなく、まずボクタチ試走チームなのだ。5月26日夜にウランバートルにつくや明早朝にはウランバートルを出発する。この早業が、ここのところのボクのウリだ。

そして全長3500km超のルートを、1日300km(これが実に難しい。)約14日間で走破しルートブック(コマ地図)を作成しルートのGPSのログを拾うのが主な仕事になる。これを完璧にこなすのはいくつかの課題がラリーのように絡み合う。

まずはマシンの問題だ。完璧で壊れないマシンとスペアパーツ。マシンは何もクルマのことだけではない。テラトリップやマップツインといった測距器やGPS機器などのことだ。
とりあえずこの3つが最後まで安定していれば、何とかなる。
しかし今回はクルマを3度も取り替えた。
1台目はエンジン不調。2台目は新品のクラッチが、砂の中で滑り始めていた。
やっと3台目のパトロール中東仕様で納得。
2度もウランバートルからクルマを夜のうちに呼んで、朝起きてクルマを乗り換えてスタートするというセレブぶり。ただし補正は厳密にとりましたんで。。。

クルマの次は人間の身体だ。つまり食事と快適な睡眠。そしてチームワークのことだ。
さらに、かなりハードな精神力とサービス精神が要求される。

問題はそのサービス精神で、この山の上の風景を見せてやろう!なんて考えるほどにルートの難易度は上がる。つまりサービス精神の高さは難易度に直結する。

そして最大に必要なものは「情熱」と「表現力」だろうと思っている。
それらの意味を総合しても今大会のルートは、素晴らしい出来栄えだと自画自賛している。何度も何度も出場した参加者らに瞠目の景観をお見せできると断言できるし、思いがけない困難を強いる場面もたびたび出てくるだろう。

ときにふと「ここはタンバクンダか?」と思わせるようなダカールのオールドファンには懐かしい風景が出てくる。約束していた湖に浮かぶ砂丘地帯は、水位が急激に下がってしまったので望めなくなったもののその干上がった湖底のデューンの袋小路を彷徨うことにもなる。

大きな4000m峰を有するボグド山脈はアルタイ山系。狭隘な谷をいくつも詰めることになるが驚きはそこにもある。一つの谷は氷で閉ざされていて、いちかばちかのアタックを試みた。何とか抜けられた。もう一つは谷には氷が張り詰め青い光が満ちていて、氷の底に水が流れていることが確認できた。さすがにここは「行くな」と、迂回路を取った。

平均標高もいつになく高い。ひょっとしたら、2000mを超えているのではないだろうか。
今回は吹雪の中、厚い氷や雪の中を超えて行った。
まさに美しい風景や、20年近いこうした旅の中でも初めて出会う景観やピストに感動しきりだった。

ルートには様々な性格が表れる。
後年「そうか、あの年の大会に出ていたのか・・・」そう言われる大会にしたいと、毎年そう思っているからいまだに進化できているのではあるまいかと自負している。とにかく2012年、これまでになかったルートとそのコーディネイションを楽しみにしていただいてよいと。

きょうの一枚

積雪地帯はピストが良く見なかった。標高2300mに降りてくると、緑のじゅうたんと雪が見事なコントラストだった、今日はこのあたりでキャンプをするか!とクルマを止めた。

No.103 菅原さんからの手紙 – 2012/05/28

letter_103_20120528_1200_01北海道4DAYSや我々が出るイベントで大変お世話になった北日本自動車大学校の元校長、斎木達雄先生の一周忌が5月20日にありました。

あれ程までに、モータースポーツ発展の為に協力してくれた人は見た事がありません。皆で感謝ですね。

さて、我々チームの次回大会の概要が発表になりました。
次回も応援して下さい。

私は次回の用意も兼ねて6/1から6/9までフランスに出張してきます。

菅原 義正

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No.102「Rally Mongoliaの取材がありました」- 菅原さんからの手紙 2012/05/14 12:00

letter_102_20120514_1200_01今年の車の製作のテーマは更なる軽量化とホイルベースの間になるべく多くの重量物を積載する事です。

軽量化の為に快適性を犠牲にしてエアコンの装置全てを外しました。尾上号は昨年からやってました。

昨年、尾上号を苦しめたウオーターポンプは新品に交換です。ミッションも永く使っているのでリビルト品に交換しました。

川渡りの対策も考えてデフ、ミッション、トランスファーのブリーザーをパイプで新作して結構高くまで配管しております。

来月の今頃は松山で車検があるので、御殿場のオフロードで実践さながらのテストを何回も繰り返しております。

まだ、まだ秘密の改造や工夫が入っているのですが、内緒です。

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フロントグリルに埋め込まれた小糸製のLEDのランブの位置にご注目下さい。

写真2
リアーサスのスブリングは1300のを流用しました。

写真3
車載の工具他、必要品(ミニマム)を広げてみました。真ん中にあるタイヤレンチは今年アルゼンチンで見つけた優れものです。

追伸 TBIで転んだ私のホンダXR230のフレームが曲がっており修正の為、入院中です。

菅原 義正

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No.101「フレームが組上がりました」- 菅原さんからの手紙 2012/04/25 12:00

letter_101_20120425_1200_01日野自動車の入社式で社長が言ったのは「夢を持ちなさい、夢は逃げないけど逃げるのは自分だ」とのお話があったそうです。難しいお話ですね。

昔、私が教えてた整備学校(SSERの4DAYSでお世話になっている学校)で、ある学生が「ダカールラリーのメカになるにはどうしたら良いか?」との質問を受けました。

私は日野自動車の販社のメカになり、優秀だったら我々チームのメカさんに成れる可能性があるよ。とお話して10年後にダカールメカの応募に彼の名前がありました。

実はダカールのメカに応募するには日野自動車のHS-1と言うとても難しい資格を取った人だけが応募する権利があります。彼は札幌にある日野自動車に入り、結婚もし、自宅も自分の力で建てて、夢に向かって進んで応募し、ダカールのメカさんの審査に合格したのです。

私は夢に向かっている人、挫折する人を数多く見ているので、日野自動車の社長のお言葉は若い人に向けての素晴らしいお言葉だと思っております。

フレームのお話でしたね。

写真説明

1は弊社に届いたフレームとスプリングです。トラックのスプリングは後ろが太くなってます(荷物を積むので)が我々の競技車は逆で、フロントから凸凹に入るのでフロントが強くなってます。

2は白い塗装中です。

3はフレームになりましたが、借り組で、対角に寸法を測り、水平を出して本組みになります。

4は弊社社長の照がナビパネルのスイッチ類の配線をしております。

私はと言うと、ある部品を作り直して150グラムの軽量化をしましたよ。

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菅原 義正

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No.100「2013ダカール用車両の改造開始」- 菅原さんからの手紙 2012/04/12 12:00

letter_100_20120412_1200_012012で使ったキャブ(運転席部分)が恵比寿の会社に運びこまれ改造が始まりました。室内の内装が全部外されて、掃除した後に塗装がされます。

塗装はクラックの発見や落とした品が分かりやすく白い色で塗装しており、フレームも普通は黒色ですが、我々のチームは白い塗装にしてあります。

各部品を外す事によって、取り付けたネジの強度(軽量化の為にアルミのボルトにした場所が強度不足だった事が判明しました)が適正かどうかも分かります。

人間で言うとマラソンランナーにまでに軽量化をしており、これ以上すると強度的に難しい範中に入っているのですが、人間の知恵は素晴らしく強度に関係無い場所を見つけて、軽量化をしております。

乗員がここまでやっているチームは世界でも珍しい事で、逆に言うとここまてやっているから、ラリー中に何処かが調子が悪くなっても自分達で直してキャンプ地まで戻れるのです。

エアコンの室内のラジェターも埃まみれです。(埃を嫌って外気導内のシステムを殺しています)これでは効率も悪くなり、1年ごとに新品に交換です。

このキャブが新しいフレームに載せられて、モンゴル・ラリーにテストとして出場します。ブレーキもブレンボーで特注のディスクです。

お楽しみに…..

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菅原 義正

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No.099「投石」- 菅原さんからの手紙 2012/04/03 11:51

letter_099_20120403_1151_01ダカールラリーが始まって2日目(2012.1.3)はリエゾン273KM、SS208km、リエゾン3KM、トータル501KMのステージでした。

今年からリエゾンでの最高速度は105KMと新しい決まりが出来たので、リエゾンは約3時間位で走ったのですが、この時の外気温は50℃であいにく、昨日エアコンが壊れて修理が出来て無い状態です。

SSをスタートして37KM地点で投石を受けました。石の大きさは握りこぶし位で当たった場所はドライバーのまん前です。バイクからの飛び石に備えて、フロントガラスには特殊なフイルムを全面に貼ってあるのですが、こぶし大の石が飛んできたのは始めてです。写真でも分かるのですが、一瞬にして合わせガラスの内側部分が粉々になり、顔面に降り注いてきました。我々は今後の開発に備えて4画面の映像をスタートしてからゴールまで動画で記録しております。

1画面はドライバーとナビの動き、そして車からの主観のコース状況、そしてメーターパネルの状態、そしてリアーサスペンションの動きです。(真ん中の黒いのは左後輪の動きを見ています。

最初の写真で分かるようにガラスの破片が顔面に降り注いでも前を見ており、スワンさんから毎年、提供されているポリカーボのサングラスが無ければ、眼球にガラス片が刺さっていたでしょう。

その0.26秒後が写真の2になります。車速は時速90KM/H、エンジン回転は2400RPM、ドライバーは顔を避けてますが、もうガラスは飛んできてませんが、当たった石は跳ねて空中で写ってます。ナビさんはまだ、動きがありませんね。

写真の3は更に0.04秒後の写真で石が下に落ちております。

この前の映像には2名の男性が石を投げる一瞬が写ってました。この後の、464KMはイスの下やあちこちにガラスの破片があり、チクチクの運転でした。

翌日のキャンブ地には521が投石を受けたので、気を付けるようにと書き出しがありましたよ。

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菅原 義正

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No.098「菅原流の自転車完成です」- 菅原さんからの手紙 2012/03/13 12:50

letter_098_20120313_1250_01私は北海道生まれなので、空気の悪い東京(今は大分良くなった)でランニングや自転車でのトレーニングはしない事にしてました。

数年前にはラリーのトレーニングの為に上野から汽車に乗り翌朝の6時に函館に着いて、自転車を組み立てて札幌まで走ったり、ある時は飛行機で先に自転車を千歳空港に送り、そこから芦別経由で帯広(日野のテストコースがあります)まで走りました。

昨年の暮れにはアメリカで自転車に乗ったのですが、寒くてあまり走れなかったので今回は温かくなったら北海道にでも行こうと思ってます。

私の友人で毎日、何百キロも走る人が居りますが(尾上さん)私の自転車はちょっと違ってますよ。

これにSONYの防水のGPSを付けました。

次回のダカールはリマを1月5日にスタートしてゴールはチリになりました。トレーニングの開始です。

写真の説明
1 前にはカバンでは無くカゴにしました。
2 後ろにもサスがあるのでバックが内側に入らないようにアルミでガードを自作。
3 夜間走行に備えてヘッドランプをヘルメットに付けました。

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菅原 義正

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No.097「TBIで使うカールさんの車両完成」- 菅原さんからの手紙 2012/03/13 12:48

letter_097_20120313_1248_01昨年、カイザーさんの工場を見学に行った時には、カイザーさんが忙しくて、カールさんが空港へ迎えにきてくれ、そして帰りも、ホテルから空港までニコニコして送ってくれました。

バイクは何にしようか迷ったのですが体か大きいのでBMW1200GSに決定。タイヤはミィシュランのアナキー2からメッツラーのカルーにしてオフロード性能を上げて、マップケースとICOを付けて、いざ、試走にと思ったらクラッチがスカスカ。

オイルを見たら何も入っていません、驚いて床を見てもオイルがこぼれた跡も無いので、デイラーさんに電話したらレリーズシリンダーからオイルが漏れてクラッチまで廻って、乾式クラッチが湿式になっている可能性があるとの事、早速引きとりに来てもらい入院です。

クラッチのタッチと軽くなるから油圧にしているのだと推察しますが1200GSは道なき道を入るコンセプトが売りになっているのに、山田さんの西安-パリ旅行の時にもイモビが悪さして苦労をしていましたし。あの時も1台で走っていたら旅行は中止でしょう。

冒険を意識したらクラッチはワイヤーにすべきだと思いませんか。ワイヤーが切れたら針金でも作動します。

私が好きなのは水平対向で重心が低く、ドライブシャフトで駆動しているのと、リアーが片持だからです。

実際に作られたコンセプトは軍用でヘッドとシリンダーが両側に出ているので整備性が良いメリットがあります。

我々がやっているカミオンクラスの大きいのはV12気筒で20000ccで1気筒ずつヘッドが独立しているので、修理が簡単に出来るようになっています。

今の1200GSはファッションなんですね。
写真の説明
1はフロントビュー
2はカルーに履き換えた後輪
3はカウル内に収まったICOとマップホルダ

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菅原 義正

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No.096「モンゴル用ジムニー完成です」- 菅原さんからの手紙 2012/03/05 20:33

letter_096_20120305_2033_01御殿場工場の隣のKEN FACTORYさんの協力を受け、3/3日に完成し、昨年末から入院していた隣の工場から我々の工場に入りました。

今年も尾上さんには負けられないので、各所に新しいアイデアが沢山盛り込まれております。

大きな部品ではミッションを新しくしたり、昨年、尾上さんが泣かされたウオーターポンプを新品に交換したり、まだまだ内緒の改造が施されておりますよ。

あまりにも上手に組み込まれており、分かりづらいのですが川渡り対策として左ピラーにシユノーケルが付いてます。

これ以上は超極秘事項なので松山の車検会場までお待ちください。

写真の説明
右後ろに写っているのは新しいナピの高橋くん。
バイクのテールレンズはHONDA SL230。運転席の後ろにシートをかけられているのはウラルサイドカー。401のゼッケンが付いているのは1996年にパリ・ダカに出た日野レンジャーです。

菅原 義正

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No.095「ファビアンさんのバイク完成」- 菅原さんからの手紙 2012/02/19 23:50

letter_095_20120219_2350_01今年のTBIにドイツから来る、ファビアンさんのバイクが本日、完成しました。

ベース車両は照の通勤車両のXR250Rをお借りして作り上げました。あまり手入れをしてなかったのでフロントフォークやリアーサスをオーバーホールしてホイールベアリングなどは新品に組み換えました。
チエーンも変えたのでフロントとリアーのスプロケも新品です。

テストを兼ねて私がこのバイクで3月に行われるTDR2012に参加を予定しております。
一緒に来るカイザーさんの車両は広島のモトワークスで作成中。

カールさんが乗るBMW1200GSは東京のフラットさんでお世話になっております。

この3名の先導は弊社の高橋が担当することになりましたが、高橋が一日目に崖落ちしたらどうしましょう?

揃って山田さんの自慢の「たぬき」で美味しいコーヒーが飲めたら良いですね。

私の乗るXR230Rはとっくに出来ており、今はモンゴル用の車両の整備中です。尾上さんが北海道に行ってる間に整備をします。

写真
1の説明 ライトは純正にしました。彼らは目が良いので明るさは十分です。
2の説明 ICOとマップケース
3の説明 タイヤは前後ミィシュランのT63で固めました。

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菅原 義正

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No.094「トリッキーになったコース」- 菅原さんからの手紙 2012/02/01 12:00

letter_094_20120201_1200_01南米に移ってから、コースの製作は昔、三菱で活躍していたフォントネ氏が現地の人の協力を受けて製作しております。

昨年のカミオンクラスでは70台中15台もひっくり返っておりとても危険なコース設定でした。

ひっくり返ったチームからクレームが出たのか、毎年使っているファインバラの難しかった砂丘越えでは、覚悟して行ったのですが通過しなければならないGPSポイントは以前より優しい所に設定されていたので、フォントネ氏も反省したのだとばかり思っていたら、その後、特に始めてのチリではトラックで実際に試走したのか聞きたくなる位い難しいコースが待ち受けてました。

落差1000メーター位の峠(木が生えて無いので落ちたら一貫の終わり)でトラックがやっと通れる道でコーナーでは2回も切り返しが必要な位きついカーブです。トラックの内側の後輪は道から外れており、3輪でコーナーを走ってます。

!!!!(コーション4)の下り坂では後輪がはねて危うく裏返しになりそうになりました。もしそうなったら1000メーターは裏返しで落ちて行きます。

帰国してからデイリーで放映して頂いたJスポーツの番組を見ていたらバイクで出ていた選手が役員に噛みつき「我々は度胸試しに来てるのではなくモータースポーツをしに来ている」と言ってましたが、私もその通りだと思っております。

砂丘は得意なのですが、高い場所は大嫌い(山田さんと同じで昔は山岳部でヒルクライムもしていたのですが)で後ろの車がすぐに追いついて来てクラクションを鳴らすのですが、そんな場所なので追い越しをさせてあげる場所も無く、走る邪魔者状態です。

来年はペルースタートとも噂されており、いやですね。

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写真の説明
1 砂丘を越える照号
2 急坂を降りる義正号
3 難しいバンク走りをする照号
4 急坂を登る照号

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.093「無事に終わりました」- 菅原さんからの手紙 2012/01/20 16:35

letter_093_20120120_1635_01沢山のスポンサーさんや沢山の仲間に支えられ、今年も無事に完走できました。応援くださった皆様に感謝申し上げます。

今回は、スタートのポデュウムで30回連続出場を祝っていただき記念の盾を頂きました。中止になった大会にもエントリーしていたので、あの大会もカウントしてくれたようです。

スタートして2日目のSSの37km地点でこぶし大の投石を受けました。フロントガラスには特殊なフイルムを張ってあるので、穴こそ開きませんでしたが場所が私の顔の真ん前なので、ガラスの破片が顔面に突き刺さり、血を吹き出しながらの走行です。外気温が60度もあり、クーラーも壊れた日だったのでつらい走行でした。おしりの下にもガラスの破片が沢山あり残り200kmのSSも大変でしたよ。

初めてペルーに入ったのですが、砂が柔らかかったり、風の関係で砂丘の頂上がねじれているのでとても難しく感じました。

びっくりマーク!!!!の下り坂が2回も出てきましよ。

リマの市内は昔のダカールのように各陸橋には溢れんばかりの人たちで歓迎してくれました。

モンゴルに来てくれたジョナストリートさんは早くにリタイアでしたが、レンジローバーで来たステファニーさんは初出場で完走しました。

照も頑張って総合9位、10000cc以下の優勝で私は3位です。

昨日、ペルーから日本と反対側のブエノスアイレスに来て、荷物を整理して明日、日本に向かいます。

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写真の説明
1 我々チームを訪ねてくれたステファニーさん。
2 ペルーでの歓迎ぶり旧市街地です。
3 ホディウム前で表彰される順番を待ってます。
4 自分の仕事を無事に終え食事会場に向かう途中の幸せそうなお方。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.092「人検、車検無事合格」- 菅原さんからの手紙 2012/01/01 11:30

letter_092_20120101_1130_0128日には我々がお世話になっているアルゼンチントヨタさんでトヨタ車で出るチーム(南アフリカから4台のプロトやもちろんトヨタオートボーディさんも)と我々チームの合同の記者発表がありました。

午後2時にレンジャー2台とランクル1台と6輪駆動のFUが1台の4台のコンボイでスタート地点である約500km先のマルデプラタに向かいました。

途中、親切な白バイが我々の前を走ってくれ、高速道路では白バイの指示で料金が無料でした。指定された道路を走るのですが数キロおきにパトカーが置いてあり我々を歓迎してくれてる様子がわかります。

予定より早めの午後8時に指定されたアシスタンスパークに入ったのですが場所が狭く一番遠くの灯台の下に停めました。

29日の人検は2号車が9時15分からなので全員そろって7時30分にはアシスタンスパークに入り準備です。

シートベルトが5点式でないとだめだと言われ、予備のベルトを使い5点式に現場で改造して、無事車検も通過です。

なんと、パルクフルメに入ったら照の2号車がカミオンの一番目で私は2番目でした。

今年大きく変わったことはリエゾンの最高速度です。今まで競技車は150km/hだったのがアルゼンチンとチリでは自動車とバイクは110km/hでカミオンは90km/hでペルは100km/hと80km/hです。

そんな事もあるのか、今年のコースのリエゾンは少な目に設定されてます。でも、1日目のリエゾンの合計は約800kmもあるんですよ。

最初のSSは海岸で高さ40メートルの砂丘越えから始まるようです。

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写真
1 工場でチーム全員での記念撮影
2 どこからともなく現れて先導してくれる白バイ
3 マルデプラタに到着です。
4 車検場に置かれた2台のレンジャー

菅原 義正

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No.091「再会」- 菅原さんからの手紙 2011/12/24 20:00

letter_091_20111224_2000_01今朝8時にブエノスアイレスのホテルを出発して80KM北西にあるサラテのトヨタアルゼンチンさんを訪れました。

4年前からお世話になっているのですが、毎年ハイラックスを増産しており、4日ほど前にお祝いに大統領が訪れたそうです。(綺麗な女性大統領)

こちらのトヨタさんは全面的に我々チームを支援して頂くれ、我々のために工場の照明を高く移動して専用のブースを用意してくれて待っててくれてます。。

レンジャーとは10月18日に分かれて約2ケ月ぶりに再開しました。
先発のメカさん達が一生懸命仕上げてくれてたので、トヨタさんのテストコースをお借りしての走行テストをしました。

何時も以上の仕上がりをメカさん達と確認しあい、少しブレーキが焼けた匂いをコースに残し無事に終了です。

メカさん達にも同乗してもらい最高の仕上がりを共有しました。

次回は南のマルデプラタと言う街を出発します。
噂では海岸に人工的な砂丘をいくつも作ってあり、調子にのって走っていると初日にリタイアする人も出るといってまよ。

罠にはまらないように頑張りますね。

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写真
1 トヨタさんの用意してくれた定位置に置かれたレンジャー2台。
2 アトリエを出る1号車。左には自動車ショーで寄せ書きをして頂いたこいのぼりが見送ってくれてます。
3 テスト中の1号車
4 メカさん達とテストの結果の打ち合わせです。

菅原 義正

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No.090 「サンタモニカに移動しました。」- 菅原さんからの手紙 2011/12/20 18:00

letter_090_20111220_1800_01サンタモニカに移動しました。

20日の早朝にロスからブエノスアイレスに移動するのでロスの空港の近くに移動しました。

ここはビーチか長く伸びいて自転車とランニングの専用のコースが作られております。

来て見て驚いたのですが、ルート66の始発点でもあるそうです。昨日は日曜日のせいもあり、いろいろな種類のバイクが走ってました。

尾上さんのような派手な洋服を着て細いタイヤで集団で走っている人や自作の2建てのような自転車や寝そべって走るバギータイプの3輪など見ているだけでも楽しい場所です。

時差も取れカゼも治り、万全で南米に渡りますので、応援してください。

写真の説明
1 ルート66の始発点のお店です。
2 海岸に作られているサイクリングとランニングコース。
3 市内バスのフロントに自転車のキャリアーが付いてます。
4 私のバイク JAMISのDAKARです。

菅原 義正

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No.089「アリゾナ州から」 – 菅原さんからの手紙 2011/12/15 15:10

letter_089_20111215_1510_0112 月5日に渡米して長男に買っておいてもらったマウンテンバイクを引き取り、トレーニングと時差を治すのにラスベガスに移動してバイクで少し走りました。

ラスベガスには46年ぶりの訪問です。

この町は1941年に最初のホテルが出来て、非合法でカジノをやっていたそうです。なんと私の誕生した年ですよ。 なんでベガスでトレーニングかと言うと日本食のレストランが沢山あるからなのです。調べていると「戸越ラーメン」と言う店があり私の住んでいる戸越と同じ名前なので訪ねていったら、何年も前に店じまいをしたようです。

ベガスでは街が混んでない早朝に走ったのですが、動いてない手が冷たくなりました。

長男のお奨めのアスリートが集まると言うフラッグスタッフに移動したのですが、標高が高く、周りは雪景色でホテルには雪ダルマが作ってあり、一泊だけして南のフェニックスと言う街に来ました。

このあたりは景色が良くきれいな川もあったのでしょう、ホテルの廊下には1927年
に特別に仕立てたキャンピングカーでコックさんも同行してキャンプをしている写真が飾ってます。

明日からはこのホテル推薦の自転車のトレーニングコース図を手に入れたので頑張ります。
部屋にはモノクロの写真が飾ってありキャプションには「Clark Gable and Friends」と書いてあり、4人の友人と一緒にゴルフをしている長身のクラークゲーブルさんが写ってます。

写真の説明
1 長男の会社の受付に飾ってあったバイク(未発売)
2 ラスベガスの有名な噴水
3 あの有名なルート66を少しだけ走りました。
4 フェニックスで訓練中。

菅原 義正

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No.088 – 菅原さんからの手紙 2011/12/01 15:10

letter_088_20111201_1510_01東京モーターショーが今日(11/30)から開催されました。24年ぶりに会場を東京ビックサイトに移しての開催です。

一般公開は12/3から12/11ですが12/2までは報道関係者に向けた発表で、日野さんのブースにはドーンとレンジャーを飾ってくれました。この車両は今年のダカールラリーに出た本物です。

次回大会用の車両はモンゴルでテストした新しい車両と照が乗った2号車をアルゼンチンに送ったので、私の乗った1号車を展示してもらっております。

照と朝から説明員としてレンジャーの傍におりましたが本物の迫力に皆さん驚いてくれております。

ちょっとだけ仕事をさぼって乗用車やバイクのブースを覗いて来ましたが、展示車両も多く勢いを感じる会場でした。

私と照とのトークショーが12/3の14時から14時30分まで日野さんのブースで行われます。

入場者に配られる「東京モーターショーニュース」は何とモンゴルラリーでナビをしてくれた若林 葉子さんの会社で製作しており、表紙は 松本 零士のイラストで毎日、日替わりで印刷されて12日間表紙も違うそうです。

写真の説明
1 ちょっと斜めになって展示されてるレンジャー。
2 インドネシアの鉱山で使われている超大型ダンブ。将来、我々チームのサポートカミオンになったら嬉しいですね。
3 テレビの取材も受けました。
4 尋ねてくれた若林 葉子さんと。彼女から腕を組んでくれるのに3年も掛りましたよ。

菅原 義正

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No.087 – 菅原さんからの手紙 2011/11/15 14:40

letter_087_20111015_1440_01フランスのノレブ社から1/43のモデルが世界一斉に発売されました。毎年、私のカミオンだけ造ってくれるのですが、今回は照が乗るカミオンも作ってくれました。

日野自動車さんがダカール・ラリーに挑戦して20年目になるので2台も作ってくれたのだと思ってます。

今年のパッケージには「義」と「照」の漢字がデザインされて入っおり、「鯉のぼり」もそうですが、漢字が使われてるのがとても嬉しく思っております。

ちょっとでも日本の文化が世界に向けて発信出来るのが嬉しいですね。昨年から車のデザインも歌舞伎の「隈どり」にしたり、スタートの時はフロントバンバーに「しめ縄のお飾り」を付けてます。

次回のゼッケンNO.が決まりました。照の乗る2号車は508  私の1号車は521 です。

来年のカミオンの出場台数が増えて80台近いエントリーです。

私も古希になり、選手としては恥ずかしい年になってますが、日本魂ここにあり、と頑張りますので、応援お願いいたします。

写真の説明513は義正号、526は照仁号です。

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菅原 義正

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No.086 「シェイクダウン」- 菅原さんからの手紙 2011/10/17 14:40

letter_086_20111017_1440_0115日の土曜日に日野さんのテストコースを借り切って、次回大会用の日野レンジャーのシェイクダウンを行いました。

報道の方にも来て頂き、公開テストです。

照仁が運転する2号車は今年のラリー・レイド・モンゴルでデビューしたのですが、フレーム幅を広げたり、新しい試みがあちこちに入っているので、ラリー終了後に補強の追加工事などをして、やっと出来あがりました。

全国の販売会社から選考されたメカさんも1ケ月前から本社の工場に来て頂き、毎日遅くまで作業をして頂きました。

朝から晩までのテストで、途中には報道の方や日野さんの技術の方や販社メカさん達にナビ席に乗ってもらい体験試乗もあり、無事に終了しました。

私の運転する車両は昨年まで照仁が乗っていた2号車の御下がりですが、荷台がカーボンになっていて軽量なせいか、以前の1号車より加速が早く ダートでスライドしてもそのまま加速してくれました。

良くある事ですが、こんな大事な時に転倒したり、壊したりする事があるので(我々のチームは1度もありませんよ)無事に終了して正直ホットしております。

今年のラリーに出た1号車は12月に始まる自動車ショーの日野さんのブースに展示が予定されております。ぜひ現物を見て下さい。
写真の説明です。
1 上から2号車の5月31日の状態です。フレームが組上がりました。その1ケ月後には今の状態まで作りあげて7月7日に同じコースでテストをしてそれからモンゴルに送りだしました。

2 2台が揃い、日野さんの技術屋さんがチェックしてくれてます。キャブ(運転席の長さの違いが判りますか?)

3 バンクを走る2台で、手前は照の2号車で補助灯が違います。2号車は全灯LEDを使い、1号車はHIDです。

4 軽くジャンプをする2号車です。

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菅原 義正

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No.085 – 菅原さんからの手紙 2011/10/06 10:38

letter_085_20111006_1038_019月29日(木)にバイクの世界選手権が行われるモテギに照と行ってきました。

前回の「菅原からの手紙」に写真を載せたペップさんに会う為です。彼とはダカールを通じて知り合い5年間位になります。今年はデュロイのチームのドライバーとして大活躍でカミオンクラス総合7位でした。

以前にもモテギに来てお会いしたのですが、彼はこの世界選手権のロジスティクスの最高責任者です。

今回は300トンの荷物(各チームのタイヤ他機材の全て)を3機のカーゴジャンボを借りて日本に来たのです。1機100トンの荷物を積むのですが、燃料も100トン必要で航続時間は最大9時間だそうですよ。旅客用のジャンボは12時間以上飛ぶので積載量が違うんですね。

初めて彼の経歴を聞きましたら驚きです。125ccのスペインでのエンデューロのチャンピオンを5年取ったそうです。他にISDE(6日間のエンデューロの世界選手権)に9回出て8回完走しているそうです。

SSERで有名なガストンさんも125㏄の世界チャンピンなので交流があったか質問してみたら、ガストンさんが主催する砂の走り方の勉強会がベルギーであり、2回程行ったと言ってました。

やはり、ダカールで活躍している人はとんでもない人達なんですね。

来年のデュロイのチーム体制は以前カミオン部門で総合優勝したスティシーさんとWRCのチャンピオンのミキ・ビアシオンさんとデュロイの息子さんの3台が優勝を狙い、彼は本コースを走るサポートの様です。

やはりダカールの情報を早く掴んでおり、今回のスタート地点のマル・デル・プラタの海岸に人口的な砂山を作り、プロローグをやるとか初のゴールになるペルーの砂丘は砂が柔らかいから注意が必要だとか、色々と教えてもらいました。

彼の自宅はバルセロナにあるのですが、580ヘクタールあり、一周63キロのオフロードコースを持ってるそうですよ。

追伸 先日私がサポート役で行ったウルトラ・トレイル・デュ・モンブランの放映がNHKのBS1で10月10日(体育の日)の午後10時から100分の番組で放映されます。時間があったら見て下さい。

写真1の説明 前回の写真に本人のサインを頂いて来ました。スペイン・バハの写真だそうです。
写真2の説明 コースを案内してくれてるペップさん。
写真3の説明 ピットで一瞬開いたホンダのブースの一枚です。
写真4の説明 バイクの収集の話になり彼は20台位のコレクションがあるとの事なので話をしていたらブルタコの話になり照に買ったコタ25の話題になりました。彼はこの新車を1台持っているそうです。

菅原 義正

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No.084 2012のダカールラリーのメカさんがきまりました – 菅原さんからの手紙 2011/09/28 02:20

letter_084_20110928_0220_01各ディラーの優秀なメカさんが多数応募して頂けるのですが予算の関係もあり、全国から4名の優秀なメカさんを選考させて頂きました。

毎年ダカールは過激な戦いになっており、危険きわまりないのです。

次回の照の乗る車両をモンコルでテストしたのですが、一割位速くなっているのであちこちにクラックが入ったりして問題が発生します。
軽量化を徹底的にやり、300kgの軽量化に成功しました。

昨年は200kgなのでトータル500kg軽量化です。
軽量にすることにより、加速と制動に効果が顕著に表れます。

写真1は昨年の照のジャンプです。

写真2うえの砂丘からを降りるレンジャーです。

写真3は我々の仲間のペップさんジャンプです。

こまったものですね。

菅原 義正

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No.083 KAUFBEUREN (カウフボーレン) – 菅原さんからの手紙 2011/09/21 21:47

letter_083_20110921_2147_01この町は我々チームのバイクのサポートをしてくれているカイザーさんの町の名前です。

彼は10年位前からダカールラリーで我々チームのバイクサポートをしてくれたり、ラリーレイドモンゴルでは私がホンダ パイロット(2サイクル単気筒400cc)で出た年とヤマハ ライノ(4サイクル単気筒650cc)で出た年に専属で私のメカをやってくれ、その後、ドイツの友人を連れて何回かラリーレイドモンゴルに出てくれたのでSSERの関係者は良くご存知ですよね。

実は彼の町を訪ねるのは初めてでした。ミュンヘンの空港に着いたら、彼の手配で空港の近くに住んでいるカールさん(彼もラリーレイドモンゴルに出ております)が迎えに来てくれ、彼のアウディでカウフボーレンまで連れて行ってくれました。空港から西南に1時間程走った所にカイザーさんのショップがありました。

そこから車で1時間も走らない範囲にあの有名な「ノイシュバインシュタイン城」があるのです。彼の手厚い招待を受け、幸せな時間と空間を感じてきました。

写真1 彼の町の名前のビールで後ろにはカイザーさんがぼんやりと写ってます。味は日本のビールを薄くした感じでした。
写真2 彼が予約してくれていたホテルです。花が奇麗でした。
写真3 ホテルの入り口にあった、昔使っていたリヤカーの様な台車です。
写真4 ここからが大変です。足回りとフレームが現在の車と同じにUボルトで固定されてます。この後に横にリーフスプリングが使われてサスペンションが付く事になります。長い事使ったのか、車輪の外側に巻かれた鉄板はすり減ってますね。

菅原 義正

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No.082 ULTRA-TRAIL DU MONT-BLANC 2011 「三好 礼子さん初出場で完走」- 菅原さんからの手紙 2011/08/30 16:09

シャモニー(フランス)をスタートしてイタリアに入り、スイスを走り、シャモニーに戻ると言う超人的な競技でした。

世界中から2300人の選手が参加しており、166kmを46時間以内に走らねば失格です。

礼子さんは26日の23時30分にスタートして27日は丸一日走り、28日の20時に到着です。43時間と言う制限時間内で一睡もしないで2500メーターの山を5つも超えて走って来たのです。

我々サポート隊は事前にサービスポイント(エイドと呼ぶそうです)を廻りGPSに入力していたので、走る場所のすごさを覚えただけに、ゴールに入ってきた礼子ちゃんには感動です。

サポート隊も大変で選手しか走れない山があり、その先のエイドに行くには遠回りして行かなければならないので、43時間で寝たのは全部で2時間くらいで、こちらもウルトラです。

完走した選手とご家族が一緒に走ってゴールするなど感動的なシーンがいっぱいでした。

写真の説明
ゴール直後の礼子ちゃん
大会のロゴ
サポートに使ったハイラックス

菅原 義正

[
著者紹介 菅原義正氏

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No.081 – 菅原さんからの手紙 2011/08/22 21:47

43年ぶりに空路でミュンヘンに入りました。

何と荷物の引き取り所で仰天です。
こんな大きなBMWのラジェターグリルでお迎えされました。

三好 礼子さんが ULTRA-TRAIL DE MONT-BLANCと言う競技に参加されるので、私はサポート員としてのドライバー役です。

シャモニーをスタートして2000メーター以上の山を5つも超え、167kmを走り46時間以内にシャモニーに戻ると言う大変な競技です。

空港にはモンゴル・ラリーに出場したKARL HEINZさんが迎えに来てくれて、礼子さんと130KM程離れたカイザーさんのガレージに向かいました。

ダカールのサポート用に昨年購入したハイラックスの中にはお願いしていた通りのキャンプ用品が新品で用意され、礼子さんはキャーキャー言って喜んでます。

今日は朝5時過ぎにカイザーさんが車で迎えに来てくれ、40分位の処の山へトレーニングに行きました。用意も終わったので明日スタート地点のシャモニーに移動します。

写真の説明
迎えてくれた巨大なグリル。
空港の入り口にあった波乗り
オシャレな空港のカフェ

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.080 – 菅原さんからの手紙 2011/08/16 21:47

無事に到着しました。

8/8にウランバートトルを出発して8/15に無事にウランバートルに戻ってきました。

尾上号は百戦錬磨の石原君をナビに起用し、挑戦してきましたが、私のナビをするのが初体験の若林嬢のしなやかなナビゲーションに、流石の石原君もまいったようです。

私の車はどこも壊れる所が無かったのですが、残念な事に尾上号のウオーターポンプのベアリングが不調になり、見える範囲内でのバトルは3回位でした。

お互いに、相手の車が視界に入ると俄然、元気が出て大人げない走りになってしまうようです。

それにしても「日本の名車ジムニ」ーは660ccなのに良く走ります。

今年は5台のジムニーが出場しましたが、来年はもっと台数が増える事を祈ってます。

ナビの若林 葉子さん ありがとう。

菅原 義正

写真の説明
ゴール後、パトカー先導で恒例の市内パレードの始まりです。
ゴールでの対決の二台の記念撮影。尾上号にはETCも付いており、エンジンを掛ける度に「カードが入ってません」とアナウンスされてるようです。
テストも兼ねての参戦だった日野レンジャーも無事に完走です。


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No.079「モンゴルに着きました」- 菅原さんからの手紙 2011/08/03 23:46

昨日(8/2)日野レンジャーでの参加の照とナビの杉浦君を空港に迎えにいきました。街が混んでおり早めに出たら一時間も早く着いたのですが、携帯の調子が悪いので二階の出発口のテラスに出て携帯をいじっていたら、30代位の若者達が寄ってきて、急に彼たちが持っている携帯を私に渡すのでした。

電話に出てみたら「スガワラサン 私はジャルジャルでーす」と言われびっくりです。私がHINO TEAM SUGAWARAのTシャツを着ていたのでスガワラだと分ったようです。話の内容は会いたいとの事と新しい日野レンジャーを見たいとの事でした。

ジャルジャルさんは以前、ロシアン・ジープで何回もラリーに出ており、ある時に相談を受けました。内容はピストンリングが弱いので、強いのが出来ないか?   との事だったので、その為にはピストンとシリンダーが必要だと言ったら、翌日に4気筒あるシリンダーブロックの1気筒分だけをドリルだけを使って切り離し、ピストンと一緒に持ってきました。

日本に持ち帰り、我々のスポンサーさんでもある日本ピストンリングさんに持ち込み、ご説明をしたら快く、それも無料で10台分のスペシャルなピストンリングセットが出来上がり、彼に早速、送ったら大喜びでオフロードの大会で何回も優勝してました。

お礼にウラルのサイドカーを送ってくれました。古い物なのでレストアをして大切に乗っているのですが、よく壊れるのでモンゴルに来る度に買い物をしているうちにエンジンが3機とミッションが4機になってしまいました。

更に新車も買い、病気が伝染して尾上さんにも移ってしまいました。

菅原 義正

写真はウランバートルに着いた新型の日野レンジャーと街から5KMも離れたらこんな景色が続きます。空港の建物です。

 

No.078 – 菅原さんからの手紙 2011/07/26 12:00

北海道4DAYSは斎木校長先生の居ない寂しいラリーなりましたが、そんな中でも、殆んどが道外の参加者が集まってくれ意味のある大会になりましたね。

4日間むの殆んどが雨で、更に台風が来て、予定通りに帰宅出来ない状況になり、皆さん大変だったでしょう。

私も予約していた苫小牧-大洗のフェリーが欠航になり、表彰式の翌日の朝9時30分に芦別を出発して、青函連絡船を使い、品川の自宅に着いたのが翌日の朝の7時30分でした。

私は北海道の小樽生まれなので、あえて言わせてもらいますが、道内の参加者が居ない事に怒りを感じます。

聞くところによると夕張でエンデューロの大会があり、バッティングしているとの事ですが、ラリーレイドとエンデューロは違うので、要するにオフロードが好きなライダーが居ないと言う事なのです。

その後に更に驚きました。函館のフェリー乗り場に着いて時間があったのでホームセンターで買い物でもしようと、らしき施設に行ったらとんでもない広い駐車場に車がびっしりです。建物に入ったらなんとパチンコ屋さんでした。

パチンコは悪いとは言いませんが、あまりにも小さな賭けで、外人を案内したら信じられないと言われます。

外人だったら、その時間にはもっと意味のある趣味を楽しんでおります。

グギを一本も打てない借家住まいの日本のシステムにも問題がありますね。

北海道は「Boys be ambitious」なんですがね。

菅原 義正

写真は赤松さんです。


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No.077 – 菅原さんからの手紙 2011/07/11 15:11

会社の前で「隈どり」の模様が入れられ、日野さんから技術者の応援も頂き、最終調整も終わり、日野さんのテストコースで走行確認を一日して積載車に乗せられて神戸港に向かいました。

テストコースでは外周路(両側にバンクが付いた舗装路)を最初に走り水温やオイル温度やインタークーラーの入り口と出口の空気温度などを調べながらの走行のようでした。(私は見て居ただけなので)

その後、内側に作られたダートのコースを何周も走ってました。加速が速く、見ているだけで軽量化の効果が表れていました。

水温もインタークーラーを荷台に付けたので安定しており、効果が表れたようです。

テスト走行後には新しく担当になった若い技術者の皆様に助手席に乗って貰い、体験走行会です。

自分達の想像以上の走りだったらしく、皆さんかなりの興奮をしておられました。

モンゴルでの走りをお楽しみに。

菅原 義正


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No.076 「2012ダカール出場車両出来ました。」- 菅原さんからの手紙 2011/07/05 12:54

今回は焼津にある坪井特殊車体さんの工場をお借りして、日野さんの各担当のエンジニアや弊社から社長(照)を始め、モンゴルから2名の応援を得て、焼津に泊りこみでの作業でした。

写真でお分かりのように弊社で製作したベットレスのショートキャブと坪井特殊車体さんの技術で作られた、フレームと新設計のリアーボディ、そして日野さんで更にチューンされたエンジンが合体されております。

次回は改造クラスにエントリーするので、新しい試みが随所に表れております。リアボディの前側が上がっているのは、この中にインタークーラーとエンジンオイル、ミッションオイル、トランスファーオイルのクーラーが収められております。

次回の開催場所はアルゼンチン、チリ、ペルーと発表されており、スタートの1/1は夏休みが始まる時期で、外気温が高いのと高地を走るので沸点が低くなり、オーバーヒート気味になるので、今回はラジエーターの前にあるインタークーラーをリアボディに移動させました。

リアボディの外板は特殊な生地のホロにして、軽量化を図っております。

これから例の歌舞伎の「隈どり」の模様が入れられ、日野さんのテストコースで走行テスト後に船積みされ、モンゴルに向かいます。

どんな走りを見せるか楽しみです。

菅原 義正


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No.075 「古希のお祝い」- 菅原さんからの手紙 2011/06/16 21:19

先日、友人達が集まり古希のお祝いをしてくれました。

すごいポスターと人形を作ってくれましたよ。

10年前の還暦のお祝いでは山田さんから赤いちゃんちゃんこではなく、赤いベストを頂き、その後の10年はあっという間でした。

TBIも11年連続で出場し、だんだん上手(自分なりに)になっているので、70歳と言われ自分でもびっくりしております。

自分のお祝いにマツダロードスターを買いました。
(今までの自分の車はご存じのダイハツ、ハイゼットカーゴ)

昨日、納車になり今日は御殿場まで往復してきましたが、疲れが全然ちがいます。ハイゼットでは130以上出すのですがタイヤが細く、横風を受けるので結構神経を使いますがロードスターの最高は120位でも気分良く走れましたよ。

ポスターと人形には作った人の優しさが表れていますね。
持っているビールにご注目下さい。

ポスターを書いた人は今回、初めてお会いした人で、人形を作った人にはまだお会いしていません。車と台を作ってくれたのは昨年の北海道4DAYSに私と一緒に出た鈴木賢さんです。

明日はジムニーに乗って松山の車検会場に向かいます。

菅原 義正


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No.074 「お別れ」- 菅原さんからの手紙 2011/06/13 14:24

我々のとても大切な仲間の斎木校長先生が亡くなられ、山田さんと葬儀に出席してきました。

先生は平成2年に芦別の北日本工学専門学校の校長として岐阜の本校から赴任されて以来、我々チームのスポンサーもして頂き、モータースボーツ発展の為にとても深いサポートをしていただきました。

SSERのイベントではツールドニッポン、TBI、北海道4DAYS、ラリーレイド・モンゴルなどで競技の参加者だったり、オフィシャルだったり、素晴らしい活躍でした。裏の無い純粋な性格に我々はいつも頭の下がる思いでした。

お病気になり、頑張って治療を続けていたのですが帰らぬ人になりました。

この次の北海道4DAYSには先生は居りませんが、先生に感謝して走り、今後に繋いでいく責任を痛感しております。

先生の遺志をついで末長いイベントを続ける義務を感じました。皆様の応援をお願いいたします。

写真は出棺を終え、学校のサーキットを一周し、後ろからはモンゴルラリーに出たジムニー、フォレスター、バジェロが追走しました。

先生のご冥福を皆様でお祈りしましょう。

菅原 義正

 


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No.073 「合体です。」 – 菅原さんからの手紙 11/06/06 16:12

5月31日に写した写真を送ります。

事前に焼津の坪井特殊車体さん(私とは40年のお付き合いがあり、毎回、レンジャーのリアボディを作ってもらっています。) にお願いしてたフレームと弊社の恵比寿の工場で作っていたキャブ (運転席) が合体しました。

この車両に日野さんでチューニングしたエンジンが載ります。

次回は改造クラスにエントリーするのでインタークーラーはラジエーターの前ではなく、荷台に移動するようです。

今年の車両はケブラーを荷台に貼っていましたが、今度は更に軽量化を図り幌になります。

テストはラリーレイドモンゴルですが、本当に間に合うの? 今日は天気が良かったのでBMW1200GSを引っ張り出し、御殿場の工場に行ってきました。

用件は佐藤薫さんに見てもらうウラルのミッション3ケSSERに送りました。

650cc用のミッションが合計5機もあり、取り敢えず3ケをばらして調子の良い1機にしてもらう作戦です。 イーチのホイールも特注スポークが張られて来たので、こちらのレストアも大変です。 とりあえずはモンゴルデビューの日野レンジャーにご期待下さい。

弊社の御殿場工場の隣では新しくモンゴルに出場する高杉君が全開で車両を作っていましたよ。新しい仲間は大歓迎ですね。

尾上さんと私の戦いにも応援くださいね。

菅原 義正


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No.072 – 菅原さんからの手紙 2011/06/02 14:57

 5月30日の月曜日はアメリカの戦没記念のメモリアルデーで祝日だったそうです。ワシントンDCでは、恒例のローリングサンダーというバイクでのパレード行事があったと、アメリカに赴任した長男から写真が送られてきました。

なんと集まったバイクの数は40万台だそうです。

私、個人的には大の大人が「バカッポイ」事を真剣にする事がとても大切だと常々思っています。

バカサ=若さ=バイタリティです。 日本はバカサが無いからバイタリティも生まれません。

仕事は前倒しでは無く、後送りで、事なかれ主義なので、今では問題が山積していますね。

バイクの運転より人生の操縦の方がとても大切ですが、バイクの運転が出来ないのですから人生もどうなんでしょうね。(極端な発想ですが・・・)

東京はバイクで街に出かけても駐車する場所がありません。

しょうがなく車で歯医者さんに行って治療費が500円で駐車場代が1200円です。こんな国は日本だけですよ。

明るさが無い変な国ですね。

菅原 義正


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No.071 – 菅原さんからの手紙 2011/05/26 14:33

5月20日(金)と21日(土)と22日(日)とで次回のラリーレイドモンゴルに出る有志が集まり、砂の走行練習に行ってきました。

最初はジムニーで出る「まるちゃん」の特訓の予定でしたが、何と集まったのは15名にもなりましたよ。

この場所は私がファラオに出る時に使ったり、地元の許可を取って日野さんの最初のテストやパリダカに出た佐野新世君の練習に、たまたま日本に来ていたガストンさんの指導をうけたり、昨年出た「ahead」の若林ドライバーの特訓をした場所です。

日本にはなかなか走れる砂丘地帯が無いので重宝しています。まるちゃんの希望でスタックした時の脱出方法や砂丘の登坂の練習、タイヤとエアー圧の関係など机上では無く、実際に体験しての勉強会です。

泊った場所はSSERのイベントで使うキャンプ場に負けない位の素晴らしい芝生の場所で、練習が終わったらすぐ近くの温泉に行きそこの食堂でビールで乾杯です。

私にはサプライズがありました。ちょっと早めでしたが、ケーキまで用意してくれ、素晴らしい誕生祝いをして頂きました。写真は兵庫の五百蔵さんが撮影です。

やっと70歳です。有難い事です。

 

 

菅原 義正 


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No.070 – 菅原さんからの手紙 2011/05/19 13:01

山田さんが「海へ」の事を書いたので急に懐かしくなりました。蔵原監督は「海へ」を作る前の年に小さな8ミリカメラを持ってパリダカの取材に来たのです。その時にキャンプ地で何回かお話をしました。

翌年のラリーで「海へ」のクランクインをしたのは知っていましたが、ラリーが終わって日本に居たら急にチュニジアで撮影中の蔵原監督から電話が入り、3日後にはチュニジアに向かいました。

チュニジアのチュニスに着いて、レンタカーを借りて800キロ先のロケ地に一人で向かいましたが、GPSも無い時代なので地図だけでした。

途中のレストランで食事をしていたら、オーナーが「何処に行くの」と尋ねてきたので、ツ・ズールで1ケ月映画の撮影で滞在すると話したら彼は昔、日本人の遠藤さんと仲が良かったので「遠藤さんを知っているか?」と尋ねてきました。日本には遠藤さんはイッパイいますよ。なんて話をしていたら気に入られたのか、彼の奥さんを1ケ月貸すから帰りに返してくれれば良いと言って奥さんを連れてきました。(一夫多妻なので)

丁重にお断りしましたよ。

こんな話をしたら朝までになりますね。写真のシーンはチュニジアで写しました。このシーンに立ち会った人は何人もいないので懐かしくお手紙しました。

追伸 蔵原さんは2002年に亡くなりました。石原裕次郎主演の「栄光の5000キロ」も彼の作品で、その時使った日産のブルバードは小樽の「裕次郎記念館」に飾ってあります。 蔵原さんと私は誕生日が一緒でした。

菅原 義正


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No.069 – 菅原さんからの手紙 2011/05/12 13:17

今年のTBIは適度なお湿りもあり、とても楽しく走らせて頂きました。

初出場の長谷見さんも言っていましたが、あれだけのオフロードが走れるのはSSERのイベントだけですね。改めて山田さん始めオフィシャルの皆様に御礼申し上げます。

帰ってすぐの土日に会社に行き、北海道4DAYSの為の改造に取りかかりました。マップホルダーの位置を少し上に付けてみました。補助灯はとても明るいのですがアメリカ製なのかHIDのシールドされた電球なのに、水滴が中に入りショートしてだめになり、新しく別なタイプをオーダーしました。

今日はチエーンを洗浄しましたよ。

モンゴルでデビューする新しいレンジャーですが、照が毎日、遅くまで作業をしており、かなりのスピードで作業が進んでおります。

別班は焼津の工場でフレームの穴あけ作業が始まっており、急ピッチです。

今日は補助灯のLEDのランプのステーを私が作りました。私は使った事がないのですが、とても明るいそうです。

「欠点はちょっと重い」

室内も色々な計器が付けられてきました。

菅原 義正

 

 

 


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No.068 – 菅原さんからの手紙 2011/04/27 22:36

次回に向けて着々と作業が進んでおります。

ロールバーも更に研究して乗員の安全を考えての補強が入っております。写真では屋根が付いていますが、ロールバーを室内で溶接で組み立てるので一番最後に屋根を付けるのです。

「屋根があると溶接のトーチが入らないからです。」

室内にはダッシュボードやハンドルやシートなどが仮に付けてドライバーとのマッチングをしております。

もう1枚の写真はドアに穴をあけて軽量化をしております。

我々チームは次回から改造クラスにエントリーします、改造範囲の制限が緩やかになるので、かなりの軽量化が出来ます。

連休明けには焼津の工場での作業になり、このキャブ(運転席)も運ばれて、シャシーとドッキングされます。

また、作業の進行状況をご報告します。

追伸 私は明日、新しく塗装された(レンジャーと同じデザイン)ダイナに乗ってTBIのスタート地点に向かいます。このダイナはTBIのカミオンバレーとして使われるそうです。

菅原 義正


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No.067 – 菅原さんからの手紙 2011/04/18 16:36

16日に初めてモンゴル仕様2011モデルの試乗をして来ました。

昨年の車両を良く調べたら、ターボーが良く働いて無かったので新しくしました。

軽量化は写真の様にリヤドアは幌です。給油口は室内にあったのですが、幌の開閉を少なくする為に、ルーフに移動しました。

尾上さんはボンネットをケブラーの軽量の物を付けたと威張っていますが、私のは両サイドのフェンダーが薄いファイバー製です。

ボンネットの穴はインテークマニホールドとターボーに走行風を当てて冷やしています。

御殿場のオフロードを体重90キロの弊社の高橋を乗せて走りましたが、体感出来る程の加速感がありました。

今年も七沢温泉では尾上さんにご馳走になりましょう。

楽しみ、楽しみ。

菅原 義正

 


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No.066 – 菅原さんからの手紙 2011/03/30 18:29

東日本では想像を超えた災害を受け、被災された皆様にかける言葉がありません。

嬉しい事にはSSERの山田さんがすぐに動かれ、同じ気持ちの我々のラリー仲間が多数、現場に行った事です。「じじばばネット」の中島さんが書いているように「民間であれだけの物資とそれを運ぶ機材と人材を持っているのはSSERだけだと」私も同感です。

今回の災害には色々な方がコメントしており、私からはノーコメントにします。

次回のダカールですが、一時はブラジルからスタート? などと言われていましたが、正式に発表がありました、アルゼンチンの首都より少し南の町から、チリを通過してペルーのリマがゴールになるそうです。

2-3年前はチュニジア-リビア-エジプトなどの話もありましたが、ご存じの通りで開催は不可能ですね。

我々チームは次回に向けて車両の改造中で、照が乗る2号車は新しいコンセプトで製作しております。上の写真はフルキャブをショートキャブに変更(29センチ短くなり軽量化を考えての事です)し、下の写真は3/29の夕方に写した物でレギュレーションに基づいたロールバーが入りました。

この写真はFIAの最低元の仕様でまだまだ補強が入ります。

少しずつですが、改造の報告をしますね。

追伸 モンゴル・ラリーの件でAPIOの尾上さんと久しぶりに電話で話しました。次回の私のジムニーはダカールから学んだ全てが注入された車両になっています。尾上さんは心配そうでしたよ。これもお楽しみに。

菅原 義正


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No.0081 Organisation Voice – 2000/03/18(土) 12:00

えっと。今年のSSERのシンボルマークの説明をまだしていなかった。らしい。2000年SSERイベントの運営コンセプトは「SSER、地球を1/2周するほどの、夢」これはね、TBI 100名の参加者が2,000kmに挑みます、すると200,000km。ちょうど地球の1/2周です。じゃあRRMは?50名の参加者が4,000kmに挑みますね。するとこれもやっぱり200,000km。同じです。ちっぽけな四国で生まれた、ちっぽけな夢が、仲間を集め、少しずつ実現してきて、やがて地球を駆けまわる現実にまで発展してきました。ヴァーチャルより体感をエクスペリエンスを、私たちの熱い想いです。そして、そういったスケールで考えて行きたい、という願いがこめられています。

環境問題やそれらも含んだ意味としての社会問題。わたしたちは良きライダーとして良きドライバーとしていつも、それらの問題に深く思いをいたして、自分達の生まれ生きた時代に感謝しつつ次の世代へバトンタッチして行きたいものです。オフロードを、砂漠を、例え近くの林道でも、その走る爽快感は、いつまでも変わらないものであって欲しいものです。

きょうの1枚
これは今年のシンボルマーク。TBIのポスターはさらにこれをイラスト化したイメージ、乞うご期待!! キャラクターの応募、どんどん増えてるようですね。


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No.065 – 菅原さんからの手紙 2011/03/08 15:23

来年に向けての用意が始まりました。

照とバイラーさんとモンゴルの人〔毎年モンゴルで私の車を整備してくれるアンハー君〕 3名が2/23からフランスの工場でサービスに使っている日野FU 6輪駆動車の荷台の改造中です。

タイヤ〔ホイール付きで160KG〕を吊り上げるクレーンを新作したり、前方に荷室を増設して、スペアーミッションを吊り上げて、レールで中に入るようにしたりです。

所変わって恵比寿の本社では新しいキャブ〔運転席〕の屋根と後ろ面を取り外し中にロールバーを入れる準備中です。

こんな事をしているうちにすぐに1年が過ぎてしまいますね。

第一目標は新しく作ったレンジャーをラリーレイドモンゴルでデビューをさせます。コンセプトの違った車両になるのでお楽しみに。

写真は今年の私が乗っている1号車です。

FACE BOOK の映像には照が運転している2号車も出てきます。 1号車は前から見ると大きな補助ランプが付いています。後ろから見ると扉かあります。 2号車は後ろの扉が無く、開放になっています。

6分弱なので、お楽しみ下さい。

菅原 義正

以下、リンク先の映像をお知らせします。(リンク先は終了している事があります)

http://www.facebook.com/video/video.php?v=190272887673716&oid=103241499749690&comments


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No.064 – 菅原さんからの手紙 2011/02/18 12:00

今年のダカールラリー参加者に配られた資料をお知らせしますね。

最初の図はSAGE 5のSSだけの展開を書いているものです。左上は自動車とトラックの走るコースの標高と下には路面の様子が書かれております。今回はバイクと自動車が違う道を使う事が多々ありました。

SSだけのコース長は423km スタートの高度は3000mで3200mまで上がりゴールのイキケには高度1200mから一気に海抜0メーターまで駆け降ります。

下を見るとわかるのですが、アップダウンをしながら94kmの砂丘が続くのです。

約御殿場と東京間くらいですね。
2枚目の図はコピアポオに行く日で砂丘が7kmと92kmと17kmと102kmでTOTAL218kmで図を見るとアップダウンの連続でね。

この場所は昨年、落盤事故があり、33人が無事に生還した有名な場所でキャンプ地には人間を引き上げたカプセルが展示され、皆、記念撮影をしていましたよ。

移動する距離もすごくて、毎日SSを含めて700キロから800キロを走るので持久力も必要ですよ。

菅原 義正


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No.063 – 菅原さんからの手紙 2011/02/10 14:43

先日、facebookを通じて1枚の写真が送られてきました。

1983年(初めて出た年)の1月2日の朝で、場所はニームの近くの軍の演習地を使ってのSSです。とても寒い年でコース内には凍結している場所もありました。

1月1日の朝、8時過ぎにコンコルド広場を出発してパリの近郊でSSが1本あり、更に国道20号線を約1000km南下し、このニームに着いたのが朝の7時頃で、一睡もしないでのスタートでした。

大きな荷物とスペアータイアを持ってないのは、ニームの駅のコインロッカーに預けてきたのですが、このSSを終わった後にニームの駅を探すのが、とても難しく困り果てた記憶があります。なにせコマ図はSSのゴール地点からニームのフェリー乗り場までしか書いてありません。

その話を続けると1週間くらい必要なので、置いておき車両を見て下さい。

ヘッドランプにはガードが付いています。補助灯としてシビエのランプがハンドルの右に付いていますね。そこには盗難防止のワイヤーロックが掛けてあり、ハンドルには風防があり、テールランプはレギュレーションで2ケ必要なので結構大型が付いています。リアーの両サイドには水のタンクが付いています。

私はコンタクトレンズを使用しているので、ゴーグルは必要不可欠なのですが、裸眼で走っているのは、温度差でゴーグルが曇って使えなかったのですね。

一枚の写真ですが、写してくれた人に感謝し、この年でもなんとか頑張ってパソコンと向かい合っている事で、良い意味有難い事です。

 

菅原 義正


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No.062 「曲芸師」- 菅原さんからの手紙 2011/02/02 13:47

写真は昨年の物ですが、今年も同じ場所も通りましたし、更にすごい場所も用意されておりました。

ウエイポイントがとんでもない砂丘の真上に用意されており、その200メートル以内に入らないと車載のGPSの機械が認知しないのでペナルティになります。途中で止まっているバイクのライダーはポイントの真ん中を狙って走っていたんですね。我々はリスクの少ない場所を探し200メーターギリギリを狙って走っています。

今年は68台のカミオンの内、転倒したのが20台以上でした。いやな事に新しいカミオンの屋根には転倒した時に起しやすいように両側に2ケフックが付いていましたよ。

スタートして2日目のSSで前を走っていたカミオンが横倒しになって道を完全に塞いでおり、乗員が起して欲しいと言っているのですが、なにせ我々のレンジャーの2倍くらい大きな車体でした。もたもたしていたら時間がもったいないのでトランスファーをLレンジにして引いたのですが、1回目はだめで2回目に勢いを付けて引いたら、何と起きてしまいましたが、まだ道路を塞いでおり、前輪のタイヤはリム落ちしてパンク状態なので、フロントのフックにロープを付け替えで引っ張りやっとカミオンが通れるスペースをつくってあげました。

その為に時間をロスしたので、書面にして主催者に報告したら、5分を引いてくれて、転倒したドライバーも主催者に報告に来て、スガワラは引き方が上手だったと話したそうです。あまり嬉しくない話ですね。

そんな訳でこれからはドライバーやライダーではなく、曲芸師と呼んで下さい。

追伸 2/13の21時から90分番組(総集編)がJ SPORTS ESPNで放映があります。

菅原 義正


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No.061「パンアメリカンハイウエイ」 – 菅原さんからの手紙 2011/01/24 13:47

ブエノスアイレスの市内もそうですが、我々のSSをする郊外の農道まで四角に区切られております。市内の道のほとんどが一方通行で100メーターの間隔で区画されており、その距離を1クアドラと呼んでおりました。 市外の農道は400メーターで直角右とかで畑なので区画距離が長くなります。

写真の1枚目はとても分かりやすい標識ですね。一番右は最高速度90km/hで最低が60km/hで車線ごとに最高速度を表しているので、初めて走る人にも優しい標識です。

写真の2枚目は走る車種を指定しております。ちなみに我々ラリー車は最高速度(リエゾンもSSも) が140km/hに指定されており、オーバーすると車載のGPSに記録されるので罰則の対象になるのですが、リエゾン中は一番左側を走れます。

この高速道路は混雑がひどくなると料金所がフリー(無料)になります。

この道はパンアメリカンハイウエイと呼ばれ、完成するとカナダまで行けるそうですよ。ちなみに、ペルーのリマまでバスで行けるのですが、72時間もかかるそうです。

その間にアンデス山脈(4700m)を越えるので、酸素が出てくるのかもしれませんね。バスのタイヤにはCTISと言う、我々が使っているのと同じ装置が付いており、高地に行ったら運転席から減圧が出来ます。

日本の感覚だと峠を登ったら、すぐに降りると思うのですが、3500メーターから4700メーターの台地を200キロメートルも走り、その台地に山があり、標高6000メータークラスです。

ラリー中にバイクで旅行中の2人の日本人に合いました。

もっと日本の道路公団は勉強すべきですね。

菅原 義正


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No.060「盛り上がり」- 菅原さんからの手紙 2011/01/19 14:11

1枚目の写真はスタートセレモニーの時でパルクフェルメから出た車両は街の中心街を一周して観客の皆様に見て貰います。

「7月9日大通り」を通行止めにして行われ、先にはこの街の象徴のオリベスコがあり、そこを回ってパルクフルメまで行進しました。20万人も集まったそうです。

2枚目の写真はブエノスアイレスから最初の目的地のビクトリアに向かう途中の写真です。これでは走れません。

各、キャンプ地に到着するとこのような人だかりが出来、何か日本にない盛り上がりと言うか勢いを感じてしまいます。

事前に新聞などで発表されるのか、SSの沿道にテープが張られ、ものすごい数の観客がおりました。

警備にあたった警察官は25,000人だそうです。

日本との違いの大きさに考えさせられます。

菅原 義正


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