No.026 – 2010/03/01 菅原さんからの手紙

チリで地震が起き、驚きました。1ケ月半前には震源地の近くに居たのですから。震源地から北海道の釧路辺りをグーグルアースを使って直線距離を測ってみました。

約17,000kmです。津波の早さは時速600km/hにもなるそうで、震源地からは約28時間位で津波が来るようです。50年前にもチリの大地震があり、三陸海岸に大きな津波が来て大変な被害があったようですが、今は事前に津波の警報が出るようになったので、事前に備えが出来るので少しは安心ですね。

グーグルアースを開けたら震源地などの情報がしっかりと出ていたり、CNNのニュース番組にもグーグルアースの映像が出たりで、いまやグーグルアース様さまです。

来年のダカールですが、こんなに被害が大きいと開催にも影響が出そうなので、こちらも心配です。

自然災害の恐ろしさを再認識させられました。

菅原 義正


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No.025 – 2010/02/05 菅原さんからの手紙

1月20日に帰国して10日も経つのに体内時計が狂ったままです。この年になると完全に直るには1カ月が必要で、南米に1カ月居て体が慣れた頃に帰国しているので、トータル2カ月も時差ぼけと戦っている事になります。

先日、テレビの収録で三橋君とご一緒しましたが、夕方の撮影中に私と一緒に睡魔が襲ってきてたようでした。

ラリーの終了後に次回はチュニジアーリビアーエジプトのコースも考えているとの記者発表があったそうですが、私はアフリカに戻ってもらいたいと願っております。

ダカール用に用意したルマンの工場には2年も行ってません。南米になってからは高低差があり、トラックにはとても難しいコース設定になっており、チリのイキケのゴールでは標高差1キロで36度の急坂をまっすぐ3キロも降りる設定になってました。

ラリーも曲芸に近くなってきており、弱ったものです。

写真はトラックでは走りづらい場所の一枚です。

菅原 義正


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No.024 – 2010/01/21 菅原さんからの手紙

ラリー車の後片付け(日本に持ち帰るレンジャー2台の整理やフランスに持ち帰るランクル2台と日野プロフィアを別々の港へ搬送)やお世話になった皆様を訪ねてのお礼も終わり、今回のラリーの一段落です。

今回のラリーは昨年の反省が沢山改善されておりました。 1日のコースは料理にたとえられます。大きく前菜、メイン、デザートと分けるとするとSSスタート前のリエゾン、メインのSS、キャンプ地までのリエゾン、全てが美しい景色が用意されており、モンゴルにそっくりな風景の中のリエゾンなど、とても素晴らしい演出でした。料理も前菜が不味いとだめですからね。

キャンブ地ですが昨年は昔の汽車の操車場の後で線路の上で整備をしました。保安上、有刺鉄線で囲われた広い場所はそこしか無かったのでしょう。

今年は新たに広い場所に杭を打ち有刺鉄線で囲んだ新しいその為のキャンプ地を何か所が作ってありました。

極めつけは標高差1000m、角度25度位の山をまっすぐ降りてくるとゴールとキャンブ地でした。

アフリカと違い標高の高い所が多いので景色にも変化がでます。山田さんが昨年行かれたチョモランマには負けますが最高地点は4,725mでしよ。

SSのゴールですが計測の赤い旗を通りすぎてから役員の居る場所まで、今回初めて距離を延ばしておりました。その方が安全だし、役員が埃だらけになりませんね。

来年はアフリカに戻る可能性があるようなので楽しみです。

写真はまっさかさまになった競技車です。本当は2台一緒に転んだのですが、手前にあったカミオンは起こした後でした。今年は10台近くのカミオンが転倒しました。

12時間後に日本までの苦しいリエゾンが始まります。 ブエノスアイレスにて

菅原 義正


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No.023「ブエノスアイレスより」- 2009/12/22 菅原さんからの手紙

26時間も飛行機に乗ってブエノスアイレスに着きました。

今回はダラスでのトランジット(昨年はアトランタ)で、ダラスからは少しは、空席があるかと思ってましたが、東京から全席満席です。

日本の真反対にアルゼンチンがあると聞いていたのですが、あまり真剣に考えておりませんでした。

今回、良く考えてみたら緯度のNをS、経度のEをWに置き換えて東京の数値を入れるとブエノスアイレスの近くになり、納得です。

今回のホテルは車好きにはとてもお洒落ですよ。

ロビーにはバイクのエンジンのカバーが貼り付けてあったり、昔のガソリンスタンドの 給油ポンブや古い車関係のポスターなどが飾られております。

写真は真夏の街で見つけたクリスマリツリーです。

菅原 義正


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No.022「ガストンさんと初孫」- 菅原さんからの手紙 2009/11/12

山田さんへ

懐かしい写真を送ります。この年は長崎のハウステンボスを出発して、宗谷岬を経由して東京タワーの下の東京プリンスホテルにゴールでしたね。

ガストンの優しさが写真に写ってます。お鼻が骨折してないので出発前に私の自宅で写した写真ですね。

話は変わりますが、来年のTBIの参加者に共同通信の方が出場するのでヤマハWR250の改造中です。少しづつですが、山田さん主催のイベントが今になってやっと花が咲いてきたようなきがします。 嬉しいですね。

今日の一言 「言い訳がうまくなるほど、向上への道が閉ざされていく。」

菅原 義正


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No.021「いよいよです」- 2009/10/29 菅原さんからの手紙

10月29日に日野自動車さんの本社にて、報道の皆様に集まって頂き、2010ダカール・ラリー出場の発表会が行われます。

今年も全国の販社さんから応募のあったメカニックさんを4名選ばせて頂きました。選ばれた皆様は日野の本社で毎日、車両作りで大忙しです。

何とその中には「北海道4DAYS」でお世話になった「北日本自動車大学校」の卒業生がおります。(同校の卒業生では2人目)

応募資格は日野さんの独自の資格であるHS-1を取った人に限られており、頑張っても入社後10年はかかる難しい資格なのです。

話は変わりますが、今年、ラリーレイドモンゴルにコロンビアから出場されたグスタボさんの御兄弟の会社が次回のダカールに新しいスポンサーさんになって頂きました。

ラリーレイドをやっていると、このような素晴らしい人達との輪が、どんどん広がり嬉しい限りです。

2日前にもカナダから来年のラリーレイドモンゴルにバイクで出たいとテルを訪ねてお客様が来てました。(ローレンスさんの紹介だそうです)

業務連絡です。2009年10月30日の朝の「みのもんたさんの番組」に我々チ−ムの発表会の様子が映るようです。時間があったら見て下さいね。 写真は2009のスタート前です。


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No.020 「篠塚建次郎さんありがとう」- 2009/10/22 菅原さんからの手紙

ラリーが始まる前に山田さんから「篠塚さんにカミオンバレーのドライバーとしてお願い出来ませんか? 」とのお話があり、実現したら素晴らしい事で、私にはそんなアイデアも浮かびませんでした。すっかりご無沙汰しているので携帯の番号すら分からずに友人に聞き、電話するのですが、何度かけても繋がりません。

結構ラリー開催が近づいた頃にやっと繋がりました。彼はフランスに行っていたようです。パリダカの日本人初の総合優勝者にカミオンバレーの運転をお願いするのは勇気のいる事でしたが篠塚さんは考えてみたいとのご返事でした。その旨を元報知新聞の中島さんにお話して、中島さんからもお願いをして頂き、今回の事が実現したのです。

他のラリーレイドを色々と知ってますが、優勝者が最後尾を走るのは聞いたことがありません。最後の決め手は山田さんからのお願いでした。

ラリーを知り尽くしている篠塚さんの活躍には参加者の皆さんも、驚かれたり、安心したりで動揺されたと思います。

最後の表彰式にプレゼンテーターとして、おひとりおひとりに丁寧に声をかけられて賞品をお渡ししている姿に感銘を受けました。お人柄を感じた一瞬です。

若い参加者は感動してました。モンゴルの選手もそうでした。ご苦労様でした。そしてありがとうございました。  


  「衝撃を吸収してくれたホィール」

2006年のラリーレイドモンゴルでの写真です。車両はヤマハライノ。私の不注意で岩に前輪をヒットさせました。この種のタイヤの空気圧は決められており増減出来ません。それにしても結構派手な壊れ方ですね。

スペアータイヤに交換して走り出し、キャンプ地で写した写真です。

ライノの車輪ですが、前輪と後輪のタイヤのサイズ(幅)が違い、後輪が太くなっております。

スペアーを持つと2種類のタイヤが必要です。後軸に掛かる重量を計算して、後ろ側を徹底的に軽量化して前軸と高軸の重量バランスを同じにしましたが、まだ問題がありました。

前輪用のホイールを後輪に付けるとトレッドが狭くなります。スペーサーを製作して前と同じトレッドにするのです。こうすると走行抵抗が少なくなり、スピードが出ますし、スペアータイヤは一種類で済みます。

これだけ壊れたホイールですが、タイヤの空気を抜き、ハンマーで叩いて修理完了。心配なのでフロントの足回りを点検したのですが、衝撃のエネルギーをホイールだけで吸収してくれたので、問題ありませんでした。

2枚目の写真は山田さんが名前を付けてくれた「スガワラ峠」で写しました。まだ生きているのに私の名前を付けてくれた山田さんに感謝、感謝です。

話は違いますが、今回の「北海道4デイズ」で感じたのですが、パンク道具を持っていても虫回しを持ってない人が多く居ました。虫にも凄いメカニズムを感じますよ。

あの場所を回すのには、専用の虫回ししか出来ません。私のバイク、四輪、トラックには全部の車輪に虫回しを付けてます。専用工具も売ってますが、タイヤに直接付けるタイプをお勧めします。

 


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No.019「タイヤの空気圧」- 2009/07/24 菅原さんからの手紙

我々のトラックには、CTIS(セントラル・タイヤ・インフレーター・システム) と言うシステムが付いており、車内から走行中にタイヤ圧の増減が出来ます。

システムとしては1輪づつや、前輪や、後輪と別々にコントロールできるのですが、複雑になるので、我々のは前後輪を同圧にして、圧も車内で確認出来るようにしております。

一枚目の写真で分かるように、接地面の変化を見て下さい。

空気圧を変える事でこんなにも違うのです。見た目には接地面が横に広がるように思いがちですが、実際は縦方向に広がります。

ナビさんがコマ図を見ながらや、状況に応じて1日に何十回も調整してくれます。砂丘地帯でエアーを抜き、適正値になるとスピードが上がってきます。

砂丘などでスタックしたら0.8kg/cmまで落としますが、タイヤが発熱するので最高速と使用時間が制限されます。

2枚目の写真は、何時もお世話になっている北日本自動車大学校でレンジャーを持ち込み生徒さん達に空気圧と接地面の変化を実際に見てもらう授業のシーンです。


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No.018「N 47°53` 24. 67 E 00°16` 07.70」- 2009/07/10 菅原さんからの手紙

久しぶりにグーグルアースで我々TEAMのフランスの工場を見てみました。以前までは、ムルサンヌ位から画面が荒めになり、とても見づらかったのですが、何と更新されておりました。

表題の緯度経度に何と以前「菅原からの手紙」に書いたゲルが写っています。恐ろしい時代になりましたね。工場の前には、ある人からお預かりした4トンの白い幌のトラックがあり、ゲルの右側にはブルーシートで覆われたトラック用のタイヤがあります。南側の工場に面した道路名はRue de Bel-Airという道路で、日本語で「きれいな空気の道」です。

こうして空から見るとフランスの家は縦に長いのが良く判りますね。車を運転しながらでは、こんなに奥が深い事は判りません。

この緯度経度を見ていると色々と考えさせられます。まず、緯度ですが東京の我が家は35°なのでルマンの工場は12°も北にあります。東京と比べると直線で約1300キロも北になるので、サハリンになります。経度で言うと0°なのでグリニッチ天文台のほとんど真下になりますね。

「N 47°56`50.78  E 00°13`24.53」を見て下さい。
ルマンの競馬場の中の碑が見えます。この碑はライト兄弟のお兄さんのウエルバーライトさんがヨーロッパで初めて飛行機を飛ばした記念の碑です。

何と右にある丸い物体は石です。この石をやぐらの上から落として、その勢いを利用してグライダーのように飛び立ったようです。

当時、飛行機を飛ばせる広い場所は競馬場だったのですね。

写真の説明です。 工場の内部とこの写真は工場の奥の部屋にあるバイク専用の整備場で働いてくれてるのは、新しいつなぎを着て頑張ってるカイザーさんです。


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No.017「ホイールのお話です」 2009/07/03 菅原さんからの手紙

まず鉄ホイールの内側を見て下さい。(写真:一枚目)各スタットボルトの外側に2ヶ所触っている痕があります。内側は錆びと汚れで見にくいですが線状に黒く当たっている痕があります。ナットが締まる場所は浮いているのです。

これしか、とまってないのです。鉄ホイール自体にメカニズムを感じますね。そんな訳で私のジムニー(ラリーレイド・モンゴル仕様)はあえて鉄ホイールを使っているのです。

最初にタイヤに衝撃が入り、リムに伝わり、足回りに伝わるのでホイールをヒューズにしている訳です。車の持っている特性以上の入力が入るとリムが変形して教えてくれます。

次はアルミのキャストホイールです。(写真:二枚目)完全に面あたりをしていますね。車両の運動性能を上げるのには良いのですが、昔4輪でのレースでも使用していましたが、ストレスはスタットボルトにくるので定期的に交換が必要でした。(レースではホイールの脱着が多かったので)

次は来年のTBI用にスペアーとして新しく組んだXR230の前輪です。(写真:三枚目)オフを走る事を前提としているのでスポークですね。

こちらにも弾性があり、オフには適しているのですね。

全てに長所と短所があるのですが、プライベートでやるには何処を壊すかが難しい選択になります。車は壊れるのではなく、ドライバーが壊していると思った方が正しい事が多いのです。

 

 


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No.016「ニューヨーク・パリ」 2009/06/25 菅原さんからの手紙

北京‐パリが行われた翌年1908年2月に「ニューヨーク・パリ」が行われました。

講談社発行の20世紀全記録によるとアメリカからはトーマス・フライヤー1台、ドイツからプロスト1台、イタリアからジェスト1台フランスからはド・デイオン・ブートンとシゼール・ノーダンとモトブロックの3台、合計6台が20.000キロ先のパリ向けてタイムズスクエアを出発したそうです。ニョーヨークでは25万人を超えるの群衆であふれかえったようです。風力を利用出来るようにマストと幌を用意している車両や雪原をソリで走れるように用意している車もありました。我々とは違うのは銃の用意もあったようです。

結果は5ヶ月後の7月26日にトーマス・フライヤーの優勝が決まります。前日にドイツのプロストが到着したのですが、アメリカで1.600キロも汽車に乗せたのが判り、15日間のペナルティで2位だそうです。完走したのは前記の他にイタリアのジェストの3台でした。シゼール・ノーダンは1気筒で15馬力だそうで、驚きですね。

10年ほど前に日野自動車さんの本社で私の講演があり、この話をしました。終わったら当時の重役さんが来られて、今日のお話はとても面白かったとほめて頂きました。お話をお聞きしたら、1ケ月前にアメリカでトーマス・フライヤーの運転をしていた方のお孫さんを訪ねてお話を聞いたそうです。上には上があるものですね。

当時の大阪朝日新聞によると、5月12日の夕方に神戸オリエンタルホテルに到着とあります。翌日の朝6時に出発して、午後には京都ホテルに到着。同行しているニューヨークタイムスの記者に取材をするのですが、日本の景色の良い所を自動車で走るのはとても愉快だと言っています。取材の中に「世の中に危険ほど面白いものはない」と話し、極めつけは、ロッキー山脈に到着した時に十数マイルの鉄道の長いトンネルに差し掛かり、「なーに構うものか、やっつけろ」とトンネルに入って行ったそうです。トンネルを抜けて線路を走り、145分後に一般道に合流したら、すぐに汽車が来たそうです。トンネルや線路は単線だったでしょう。

「京都を出て大津街道を東に向かい石山を経て米原に向かひたり」となっており、日本にはその10年前にフランスから初めて自動車が輸入されたそうなので、使用するガソリンなどはどうしたのか心配ですね。

写真はコースの全体図と明治41年5月14日の大阪朝日新聞とトーマス・フライヤー

長男がアメリカのRENO市の博物館で写真を撮ってきてくれました。ヘッドランプはガイ燈の様で、チエーンドライブ、新聞記者と審判員も乗せていたので4人乗りです。優勝トロフィーの大きいのにはビックリです。

パリのゴール地点の写真も写っていますが、何処か、山田さん教えて下さい。

 

 


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No.015「肺気腫」-2009/05/28 菅原さんからの手紙

呼吸器で有名な先生が、私の肺のレントゲンの映像を見て「肺気腫」ですね。と言いました。!!!???

次回のダカール・ラリー参加に日野自動車さんのお許しが出たので、近所の掛かり付けのお医者さんに行き、呼吸器を徹底的に調べて欲しいとお願いしたらお友達で呼吸器専門の良い先生が居るよと言って、紹介状を書いてくれました。更に近くの医師会に行きなさいとの事です。指定の時間に行くと、ヘリカルCT検査と痰を3日連続で取り、提出しなさいとの事です。この結果は2週間後に最初の先生の所に報告が行きます。

別に紹介状を持って大きな病院に行き、レントゲンを撮り、その結果の病名が「肺気腫」です。先生に治りますか?と聞きました。答えは薬を使って進行を止める事ができます。とのお話です。「実は私は現役でラリーをやっているのですが」とお話すると先生はカルテを見直して「ダカールの菅原さん?」「ハイ」と答えました。

先生は別に肺活量と肺の圧力を測ってくるようにと言われ、別な場所に移動して計測です。結果を持って先生に診てもらったら、肺活量と圧力は常人以上にあるので今後、何もしないで今までの生活を続けて下さいとの事でした。薬も不要です。

先生は最近ランサーを買ってラリーに参加するとの事です。

帰宅してすぐに、御礼状と今年のラリーのDVDをお送りしました。

1週間後に先生からお手紙を頂き、内容は「早速、家内(昔ご主人のナビをやっていたようです)と一気に見ました。菅原さんはラリーをやる事で自分からアドレナリンを出しているので、それが医学的にも元気の素だとの説があります。」との事でした。

今日は最初にお邪魔した先生の所へ結果を聞きに行きましたが、ヘリカルCTと痰の検査と紹介頂いた先生の全部の結果は、何も心配がないので、タバコも無理にやめる事は無いとのお話でした。

実はやめる決心をして、禁煙補助薬を買って用意していたのですが、ビールを飲みながらマルボロを吸いながらのお手紙です。

写真は今年のゴールで頑張ってくれたナビの羽村君とのショットです。


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No.014「ビバーク」- 2009/05/18菅原さんからの手紙

写真は2006年の我々チームの陣取りです。

先発しているメカさんを乗せたランクル2台と日野の6輪駆動車のFUが我々選手よりも早くに出発して、陣取りをします。

これが難しいのです。現地での風の向きや、食堂に近いとか、他のチームに場所を取られていたりで、大変なようです。

何せ縦20メーター横30メーターの場所を確保して同じ配置でセッティグをしてくれています。我々は遅れてキャンプ地につくので、到着時刻を前読みしてメカさんがキャンプ地の入り口で待っていてくれています。メカさんを乗せて指定の場所に移動します。

6輪駆動車の左にはレンジャーの1号車と2号車が並んで整備をして頂きます。右側では今年は、青木選手の車両とカイザーさんのお客様の4台が並びます。

夜になると両方に照明が付き、電動工具や、エアーが配置されて、FUの左のテーブルにはお湯が沸かされカップヌードルやごはんが供給されます。メカさんが朝まで仕事をしている時はお夜食も出ます。私はミーティングの後はすぐにグリーンで示されているテントに入り、都はるみの小樽運河などを聞きながら熟睡ですが、ナビの皆さんは予習があるので朝の03時頃にテントに入ってきます。

そんな訳で同じようにセッティグされているキャンプ地に毎日、着くので、何処にいたのか記憶にありません。これは年のせいもあるのでしょうか。?

来年のコースを予想しており、テルから聞いたのですが60パーセントしか理解ができませんでした。こまったものです。

 


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No.013「北京−パリ」- 2009/05/12 菅原さんからの手紙

1907年6月10日にスタートしたと本に載っています。今から102年も前です。本によると翌年行う予定のニューヨーク-パリの予行演習だそうです。(翌年、実際に行われて、神戸から敦賀に抜けて行きます)

各自、自由なコースどりで最も早くパリに着いた者が勝利者になるとの事で、右の写真は出発して11日目、モンゴルのウルガ(今のウランバートル)で地元の高官を乗せた写真です。優勝は1903年にイタリアで創設された自動車会社のイタラ号で60日間掛って8月10日にパリに到着。2位と20日間の差をつけたそうです。

事務局は大変だったでしょうね。

面白いのは、同年の4月に国産初のガソリン自動車「1837cc、12馬力のタクリー号」が完成(プラク以外は国産)し、麹町から多摩川の往復48kmを走ったそうです。

車を作ったのはそんなに遅れを取ってないのに、考え方が島国的で世界に飛び出せなかった様ですね。今もあまり変わってないかもです?

1903年12月17日にライト兄弟が42秒、36メーターを飛び(人類初)、翌年には我々のガレージがあるルマンでお兄さんのウエルバーライト氏がヨーロッパで初の飛行をします。1905年にフランスでスイス人が作った26,400ccの車で時速156.5KM/Hの世界記録を出したそうです。

この時代の人達には脱帽ですね。

山田さんはランクルで私はレンジャーで1992年の9月1日にパリをスタートし、北京に着いたのは9月29日でしたね。その時、NHKのテレビ報道があり、随行してレポートしてくれたのが中島さんで「クローズアップなんだい」を寄稿してくれており、不思議なご縁を感じております。

参考文献「20世紀全記録」より


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No.012「パルクフェルメ」 2009/04/23 菅原さんからの手紙

「閉ざされた駐車場」の空撮です。我々の人検と車検は2008年12月31日の午前10時45分から始まります。

チームはこのブエノスアイレスから80キロ北に行ったサラテと言う小さな町に滞在してトヨタアルゼンチンのご厚意で12月中旬から工場の一角をお借りして、最終整備をしておりました。

車検会場に向けてサラテを午前6時に出発です。日野の6輪駆動車1台とメカさんをお乗せするランドクルーザー2台とレンジャー2台の合計5台のコンボイが動き出します。

ここからラリーは始まっており、指定時間に遅れたら1分毎にペナルティーが付きます。慣れてない町での移動はとても危険が伴います。これを無事にこなさないといけないのです。

我々チームは生れて初めてのブエノスアイレスの空港に着いてすぐに、誰の案内も無く、レンタカーで予約していたホテルまで移動しました。今はグーグルアースと言う便利なソフトがあるので、事前にGPSポイントを入力しての移動ですが、一方通行や交差点の信号の位置や道路標識が各国違うので大変です。

この国はスペイン語なのでパーキングは「E」で示してありましたが、私の記憶ではスペイン本国でも「P」を使ってたと思うのですが………

そんな事を考えながら無事に一発でホテルを見つけました。海外ラリーでは、ここが一番大切な部分なのです。パリダカで何回も優勝したヌブーさんやガストンさんやファラオ・ラリーの主催者のフニイさんも成田からレンタカーで我が家には来ません(来れないのです)。今はレンタカーにはカーナビが付いてますが、たとえ付いていても読めないのです。山田さんが日本語だけのコマ図でラリーをしたら外人は誰もゴールに辿り着けないでしょう。

そう考えていると日本人は凄いと思います。「昔のコマ図は全部フランス語だけでしたね。」人検と車検を無事に終了した順番にパルクフェルメにゼッケンを付けてもらい駐車しました。そんな訳で全ての検査が終わった2009年1月2日の空撮でしょう。

翌日から本格的なラリーが始まり、リエゾン(移動)は196キロ、その後SS(競争区間)は371キロ、その後のリエゾンは166キロ、合計733キロと競技が始まります。

3年程前までは私の事を主催者が認めてくれて、カミオンクラスのゼッケンは1番目の500番をくれてましたが、他の参加者からクレームが付いて、前年の成績準でゼッケンを決めるようになりましたが(バイクや4輪クラスは以前からやってます)、昨年の成績ではテルが上だったのですが私は511番、テルは513番でした。

写真の左側から下の方に向けてゼッケン順番に並んでます。カミオンだけで81台もの参加でした。


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No.011「トムチェックさん」- 2009/04/14 菅原さんからの手紙

我々の仲良しのトムチェックさんの車両です。彼は毎年、チェコからチェコ製のタトラでダカールに出てきます。人柄はとても温厚です。車両のエンジンは純正で空冷ディーゼルのV12気筒で20,000CCもあります。

このエンジンを使っているのはブラジルから出ているアゼベトさんだけて、何時も良い成績で走っているタトラのロプライスさんは別なエンジン〔水冷のV8〕を使ってます。タトラは四輪ともインデベンデントでエアーバックを2つ、Vの字にフレームに固定して、カンチレバでドライブシャフトを支持しており、バネ下重量を軽減しています。タトラの歴史は日本の50年も前からカミオンを作ってます。

4年ほど前にスペインでのSSでブレーキが加熱して、下り坂で効かなくなり、左の山に登ったのですが、そのまま落ちて来て、コースを完全に塞いでしまいました。すぐ後ろに我々が居たので右側のガケを降りていってゴールしたのですが、後続のカミオンは降りることが出来ずに、このステージはキャンセルでした。テルも2号車で出ていたのですが、皆で戻ったとの事です。

今回のアルゼンチンにも出てましたが、運転はとても上手なのですが、頑張りやさんなのですね。初めの頃に轍に取られて転倒してました。その後、挽回をしようと頑張ったようです。後半のSS中に下りに舗装路が出てきました。下り終わった所は右の急カーブです。なんと下を見たら彼の車が真っ直ぐにガケの下に落ちてました。

テルは私より先に居たので現場に遭遇したそうです。テル曰く、最初に救出したのはカマズのカビロフさんでテルも現場で救出のお手伝いをしました。ナビはテルにヘルプアスと言ったそうです。

ドライバーのトムチェックさんはロールバーに挟まれ身動きが出来ません。皆でロールバーをトラックで引きトムチェックさんを救出したようです。

そんな訳で人命救助をしたので、テルやそこにでお手伝いした車両には時間のペナルティが付きません。これもダカールの良いところですね。

下りだったので140km/hで曲がり切れずに転落です。写真で判りますか゛、サイドバーも切ってキャンプ地にナビが運転して帰ってきました。トムチェックさんはヘリで運ばれたようでリタイヤでした。

今回、気が付いたのですがアルゼンチンの砂丘地帯は冬には雪が降ります。アフリカの砂丘は雪や雨が降りません。

考えてみるとモンゴルの砂丘地帯も冬は雪が降るのです。

このあたりをしっかりと頭に入れて次回の大会に望みたいと思ってます。


著者紹介 菅原義正氏

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No.010 「自分に投資」- 2009/04/02 菅原さんからの手紙

写真は1984年のパリダカでの勇姿?です。車両はホンダXL400Rです。

一年前の反省を教訓に改造や改良をしています。ライトを2ケにする為にダウンフェンダー、前年転んで骨折したのでバンパーを付けて、その枠内にオイルクーラーを取り付け、パリからマルセーユまでのリエゾンは約1000kmを走るのですが、真冬の寒さなのでハンドルのカバーやフェイスマスク、ウエアーは「クシタニ」さんが特別に作ってくれました。袖にはタイムカードを入れるポケットも付けて頂きました。

当時はパリダカ以外にラリーレイド方式の競技はなかったので、すっかりハマッテしまいました。エンデューロ形式の競技は何時間走ってもスタートとゴールが同じですが、スケールが違います。

車両の製作や車両の輸送、外国での車両の受け取り、最終チェック、当時はホンダさんのベルギーの工場をお借りしていたので、ベルギーからパリの車検場までの自走、そして車検、今は英語の案内がありますが当時はフランス語だけで困りました。係員がサポートカーのドライバーのライセンスがだめだと言っていたのですが、エッソンス〔ガソリン〕と聞き違い、ノープロブレムと返事をしました。

マルセーユに着いて、同じ係員がライセンスはどうなった? と聞いてきたのでそこでも私の返事はノープロブレムです。係員はこれはだめだと思ったのかそれ以来なにも話しかけてきませんでしたが、良く考えるとライセンスの事だったのでした。そんなこんなの連続で今考えると不要な支出など結構ありました。

今は違います。コマ図の練習もできるTBIや必要以上の手間や出費が抑えられて楽しめるラリーモンゴルリアなどがすぐ手の届く所にあるからです。

費用は掛かりますが、こんな時代だからこそ自分に投資するのも良いと思います。

現地では6ケ国語が飛び交って、面白いですね。


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No.009 「ダカール2010」- 2009/03/27菅原さんからの手紙

先日、主催者から次回の大会もアルゼンチンとチリで行うとの発表がありました。

モータースポーツが大好きな両国の皆さんに見て頂きながらのラリー参加は意義のある事だと思ってますが、有刺鉄線〔写真参照〕に囲まれた場所を走るのはチョットです。今回あまり報道されてませんがキャンプ地の環境の悪さや毎晩の食事のまずさ、無理なコースの設定、毎晩出されるリザルトの遅さ、などなど問題が山積みです。

でも、発表があった以上、こちらも対策をしなければなりません。現在進めているのは、フランスの工場にあるスペアーパーツを日本に向けて発送の準備をしております。1.000点近いパーツの選定とリストの製作、そして港までの搬入など大変な作業でコンテナー1本になるとの連絡が入りました。

今回は2台ともデフレンシャルに問題が出ました。今までには無い問題です。エンジンを後ろに移動したので前後共、プロペラシャフトの長さが変わっていますが、取り付け角には問題が無いと考えてます。他の参加者も同じような問題を抱えているようです。そうなるとタイヤの空気圧も考えられます。

我々の車両にはCTISと言う装置が付いており、走行中にタイヤの空気圧を自在にコントロール出来るのですが、SS〔競争中〕での設定に問題があるかも知れません。アフリカでのデーターがあるのですが、今回は初めての大地でした。

タイヤの空気圧はとても大切で、地面から最初に受ける衝撃などはタイヤから入力が入り、その後にサスペンションに伝わり、車両のフレームに伝わります。

どちらにしても、原因の追究が必要なのですが、まだ出場車両は日本に着いてません。フランスから出た参加車両は2月26日にはルアーブルに着きました。

この辺りも、ハンデです。次回に向けて色々と動いてますので、応援下さいね。

私とスー(鈴木)さんは御殿場の工場でラリーモンゴリアのカミオンバレーを製作中です。バイクは4台積めるように作ってますが、参加者の皆さんはお世話にならないで下さいね。出来上がったら写真をアップします。

ジムニーの作業は止まったままなので、こちらも心配。先日、松山へ行った時のウラル・サイドカーのミッションを外して修理依頼予定ですが、新しいウラルのミッションを外すのも手こずりスイングアームまで外しましたよ。

 


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No.008「コロンビアの新しい仲間」- 20090319菅原さんからの手紙

写真を見て下さい。右から2人目がガスタボさんで左前がアンドレアさんです。

彼達が今度、山田さん主催のモンゴル・ラリーに出場します。ガスタボさんはお兄さんで、アンドレアさんが弟さん、兄弟とも車が大好きです。それにしても良く似ていますね。モンゴルではガスタボさんがドライバーでアンドレアさんがナビをするようですよ。

写真の場所はお兄さんの別荘での昼食です。山の中腹にあり、入り口にはガードマンがおり、そこから何キロも走った所に別荘がありました。コックさんと給仕さんがおり、週末になると奥さんと過ごし、ご主人は隣接しているガレージで旧車のレストアをしているそうです。レストアの終わった車が10台位ありました。

先日、日野さんの社長さんとお話したら奥さんも別に別荘をお持ちで、ご馳走になったそうです。ポルシェ356のエンジンを取り替えるのに奥さんも〔一番右側の方〕お手伝いするそうです。大変でしょうと聞いたら「女遊びをされるより、この方がいいわよ」と言っていました。

我々の廻りに、耳の痛い人がどこかに何人か居そうですね。

山田さんが主催しているラリーにはモンゴル、ドイツ、オランダ、フランス、ベルギー、ロシア、カナダ、そして南米のコロンビアからも続々新しい仲間が集まってきます。

一参加者として、とても嬉しい限りです。

モンゴルのラリーが終わったら、彼のガレージにラリープレートが一枚増える事でしょう。



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No.007 「三脚」- 菅原さんからの手紙 – 2009/03/12

先日、山田さんが書いていたフランスのミトンさんのカーブの写真を添付しますね。この写真はかなり昔の絵葉書です。座って居る椅子に注目して下さい。全部、三脚です。

ミトンさんは私に昔のお話をしてくれました。彼のカーブの入ってすぐの右側に小さな暖炉があります。左側には高さ30センチ位の小さな三脚の椅子がありました。 この椅子は先祖から引き継いで居るのでスガワラ以外は座ってはいけないと言っていました。昔のカーブは女人禁制だったそうです。写真にも女性は写っていません。

畑仕事を終わった男連中が家に帰る前に、カーブで一杯やっていたそうです。結構、下品な話で盛り上がっていたようですよ。暖炉の上には今は使っていないお皿やナイフ、フォークが沢山ありました。お肉やお魚を持ち寄って暖炉で焼きながら白だの赤だのとやっていたのでしょうね。

三脚の椅子の座り心地は下が水平ではないのですが、とても安定していました。昔の人の知恵を感じました。

私の母を連れて行った時の事です。たぶん10名位居たと思いますが、それぞれの生まれ年のワインを開ける事になり、80歳の母の生まれ年のワインが開けられました。何も防腐剤を使っていません。驚きました。

テイストはアルコール分が抜けており、ジュースのような味だったのを覚えています。この事をパリの友人〔ホテルリッツの支配人〕にお話したら、そんなの聞いた事が無いと言っていました。

カーブには今も電気を引いて無く、全部ロウソクです。電磁波を嫌うと言っていました。大きな声を出すとワインの目が覚めるので静かにするようにとも言われましたよ。

前に進む事も大事ですが、昔からの事を大切にする事も必要だと感じました。

ミトンさんの本名は Remy Roguet でチュニジア・ラリーやファラオ・ラリーを立ち上げたフニュイさんの本名は Jean Claude Morellt で小説家でもあります。

世の中判らない事ばかりですね。


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No.006 「あいまいな規則」- 2009/03/05菅原さんからの手紙

ファラオ・ラリーの車検がスペインの近くの港で行われた時です。

この時は2台のパジェロを出場させました。車検は2レーンで行われ、1レーンに並んだパジェロは無事通過、2レーン目の私の車は車検落ちです。理由はフロントバンパーは純正の鉄製でないとだめだと言っています。

同じアルミ製で作ったバンパーを付けた、もう一台は無事に通過しており弱りました。田舎の港町なのでディーラーもありませんし休日です。早速、表の通りに出てパジェロが走ってないか探しに行きました。しばらくしたらパジェロに乗った旅行者が来ました。車を止めて訳を話したらOKとの事、その場でアルミ製バンパーを相手の車に取り付けて、純正の鉄のバンパーをゲットし取り付けて車検をパスさせました。

旅行者は喜んでいたようなので、お礼のつもりで私の名刺を渡しておいたのですが帰国後に請求書が届き、純正バンパーの代金を支払う羽目になりました。

アルミのバンパーは帰って来ませんでしたよ。


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No.005 「鯉のぼり」- 2009/02/26菅原さんからの手紙

 私が4輪に転向した1985年〔第7回大会でパリ・アルジェ・ダカール〕には2台のパジェロと1台のデリカ〔4台のバイクのサポート〕を出場させました。この年は夏木 陽介さんが我々チームに来てくれ、私は彼のナビでの4輪デビューでした。チームの3台がすぐに判るようにとルーフに鯉のぼりを付けたのが最初です。砂漠にはいない魚〔ジョーク〕、日本の文化を知らしめる意味も込めました。

その後、ルーフに鯉のぼりの他にグラスファイバー製のサンドラダーを4枚付けて走ってました。サンドラダーを室内に入れるとスペースが無くなり、使った後は砂だらけになるので、ルーフに取り付けると走行風や振動でセルフクリーニングにもなりグッドアイデアでした。

1990年〔第12回大会、パリ・トリポリ・ダカール〕の車検に行ったら、規則が変更になり、ルーフには一切何も付けてはいけないと車検員から言われ、しぶしぶサンドラダーを室内に入れて、鯉のぼりも外す用意をしていたら、「それはスガワラの象徴だから特別に許す」と言われ、びっくしました。もし、これが日本だったら規則だからと言われ外されるでしょう。フランス人のあいまいさに感謝です。規則にはあいまいな部分が必ずついており、その判断を係員に任せているのも凄いと感じました。

それ以来、プロト以外の車両は生産されたシルエットを守り、何も付けてはいけなく、私だけが許される事になりました。ある年、SS中に広い場所で4輪が数十台止まってました。行く方向が判らないようです。

早速、車から降りてバイクの轍を調べました。バイクの轍を良く見ると進んでいる方向が判ります。たどって見ると近くの森の中に入ってました。

他の参加者にばれないように、自分だけその森に侵入し、ルートを見つけてキャンプに帰ってきたら、フランス人のボカンデさん〔篠塚さんの最初のナビをした人です〕が私の所にお礼に来たのです。

「スガワラありがとう、君のコイノボリが森の入り口の木に引っかかってたので、ルートが見つけられたが時間が無かったので拾って来れたかったのでゴメン」と言ってました。

屋根を見たらコイノボリが付いてませんでした。

高知県高岡郡四万十町では毎年500匹のコイノボリの川渡しが行われます。ちょうどTBIの時期です。川渡しの発祥の地でもあり、今年も見れるか楽しみです。

今回のダカール2009では思った以上にカミオンクラスのテレビ放映があり、コイノボリのメーカーからお祝いに色々と商品を送って頂きました。TシャツもあるのでTBIに着ていきますね。


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No.004 昨年、雑誌「プレジデント」に載りました。- 2009/02/19菅原さんからの手紙

人との出会いがとても大切だと思っております。彼のアイデアで5月人形や皇太子ご夫妻をイメージした、雛人形も商品化しております。日本の文化がリアドロに反映している事が嬉しくて写真のお人形を衝動買いしてしまいました。

当時、フランスには徴兵制度があり、彼は軍に所属したのですが、フランスの有名な宝石店「メラリオ」のお店を日本に展開する使命を受けて、たった一人で来日したのです。当時、フランス語と英語しか話せないのに、北海道から九州まで5店舗をつくりました。もちろん給料は軍からの支払いです。彼は戦いが嫌いなので、その道を選んだのですがそのような選択肢がある、フランス軍には驚かされました。

++++++++++++++++++++++++++++++++++

人間邂逅
ジェローム・シュシャン(リヤドロジャパン社長)
菅原義正(ラリードライバー、日野・チームスガワラ代表)

「ヒッチハイク」

もう25年は経つでしょうか。菅原義正さんと出会ったのは、私がフランスから初めて日本に降り立った日の翌朝、東名高速の入り口でのこと。当時まだ貧乏学生だった私と友人は、ヒッチハイクで旅することにしていました。北陸でお寺修行を体験しようと、「福井」と書いた紙を手に高速道路の入り口に立っていたのです。そこへ現れたのが、キャンピングカーを牽いた菅原さん。御殿場までなら乗っけてやると、いきつけの温泉に案内してくれたり、すき焼きをご馳走してくれました。

その後、北陸を回って東京に戻ってきましたが、帰国の前日は自宅に泊めてくれました。それから数年、社会人になった私が日本に赴任してくると、今度は家が見つかるまでの1、2ヶ月間、合鍵を渡して居候させてくれました。

初めに会ったのが菅原さんだったからこそ、私は日本を好きになったのです。

菅原さんはとことん現場にこだわり抜く人。私はどちらかというと頭の中でいろいろとアイデアを巡らすのが仕事。世代も仕事のやり方もまったく違う二人ですが、唯一共通するのが「チャレンジし続ける心」です。菅原さんはラリーで前人未到の記録を更新し続けていますし、私は日本独自の文化を世界に発信すべく、スペイン本社への提案を続けています。

来年、菅原さんがパリダカールラリー20大会連続完走の偉業を達成した暁には、お互いに家があるフランスでゆっくりお祝いしたいですね。(シュシャン)

PRESIDENT 2008.4.14より

PRESIDENT [HP] 


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No.003 「ジオラマ」- 2009/02/13菅原さんからの手紙

1991年のパリダカの時のことです。フランスの田舎町で行われたプロローグランでスタートを待っていたら日本人の旅行者が声をかけてきました。お話を聞くとパリダカのファンで、日本から見学に来たとの事です。

その年は日野さんが初めて挑戦の時で、弊社ではマネージメントをさせて頂き、私はパジェロでの出場でした。何年か後に、ある模型の雑誌を見ていたら「パリダカのジオラマ」が特集されており、その中のページにガストンさんがパンクをして修理しているシーンが再現されていました。作者の名前も出ていたので、編集部に電話を入れて住所を聞き、サハラの砂をお送りしましたら、その彼はなんとあの時のプロローグに来ていた人でした。その後、彼の友人のジオラマ作りのグループと知り合いになり、毎年我が家で壮行会や報告会と言っては飲み会が始まったのです。

山田さんが「ガストンライエ・ミーティング」を主催していた時にガストンさんが帰りに我が家に宿泊しており、彼が尋ねて来て、そのジオラマを直接プレゼントをしたのです。ガストンさんは大喜びでした。

今回、テレビ出演の依頼があり、何とかジオラマで表現できないかと彼に相談したら、すぐに東急ハンズへ行き、材料を買って家まで飛んで来てくれました。明日の朝7時にはスタジオ入りなので、訳を話したら彼は自宅のアトリエに戻り、徹夜で作り朝の6時に届けてくれました。一回の短い打ち合わせで忠実に作ってくれ、驚きましたし、視聴者の皆さんからも、あれは分かりやすかったとお褒めの言葉を頂きました。

ありがたいことです。

「DAKAR 2009 と Rally MONGOLIA」

DAKAR 2009は舞台をアフリカ大陸から南アメリカの大地に移して開催されましたが、走り終わっての感想は山田さんが主催しているモンゴル・ラリーの方が1000倍楽しいと感じました。

自動車競争の発端は100年以上にもさかのぼります。その時代に行われていたのは今のラリーレイドそのものだったようです。その後、形を変えてサーキットが出来、ツーリングカーや、はてはF-1までに発展するのですが、テリー・サビーネが自動車競技の原点に戻したのだと思っています。

この競技は移動する楽しみ、現地の人との出会い、冒険やロマン、バイクや自動車でしか出来ない深い意味が込められていると思っています。現在サーキットで行われる一番長いレースはルマン・24時間ですが一周13,629kmを24時間で一番長く走った人が優勝を掴みます。スタート地点とゴール地点は同じ場所です。私はこの競技自体にロマンを感じません。〔ルマン24には何回か観戦に行き、マツダが優勝した年も現場に居ました〕

今回のDAKAR 2009 のコースはSSのスタートから有刺鉄線で囲まれた農道を走ります。ある日は狭いくねくねとした山道がスタートでゴールまで景色が変わりません。砂丘とあるのですが、アフリカのと違い、砂山で斜めにしかアプローチが取れないので、横転しているトラックが何台も出ていました。

私がスタックした第5ステージでは、時間内に着いたのは自動車30台位とカミオンが10台位だったそうです。照と私が通過した後で、第2チェクポイントでこの先は大変だからと参加者を迂回させたのです。翌日のステージは第2チェックポイントで終了、故障などで次のビークまでアシスタントルートで行く事も許されたのですが、そちらを選んだ選手は4輪は200時間、カミオンは100時間のペナルティが付きました。

ウエイポイントの設定にも無理がありました。照が言っています。「富士山の頂上のお鉢の真下に行けと言っているのと同じだ」と。

危ないだけで、景色を楽しむ暇はありませんし、ビバーク地は鉄道の操車場の跡で埃だらけで、整備は線路の上でやる日もありました。

それに比べて、モンゴル・ラリーのビバーク地の素晴らしさ、冒険とロマンたっぷりのコース設定、きめの細かいオーガナイズ、などなど、競技ですが楽しく過ごせます。

次回は体験ツアーも企画されているようで、こちらも魅力的です。

一段落してらモンゴルに向けての車両作りが楽しみです。競争相手の尾上さんは用意を始めています。マケナイゾー  


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No.002 「ボゴタで」- 2009/02/05菅原さんからの手紙

「ボゴタで」

ボゴタ市内を走っていると、写真のようなバイクばかりなので、日本で言うバイク便が沢山活躍しているのだと思っていました。運転手さんに聞いてみると驚きです。手榴弾を投げつけるのはバイクに乗った人が多いので、レギュレーションでライダーは全員ナンバープレートと同じナンバーをチョッキとヘルメットに書き入れなければならないのだそうです。BMW1200GSもホンダの中国製コピーの125も同じです。これではBMWのサバンナスーツを着ても様になりませんね。バイクでファッションを楽しむのは難しいお国がらのようですね。しかも後ろに乗る人は家族に限定されており、同じようにチョッキとヘルメットが必要です。

現在は誘拐事件など減っているそうですが、タクシー〔1000ccのヒュンダイ製で大きさは日本の軽自動車と同じサイズ〕には絶対に乗らないように注意されました。理由はどこかに連れて行かれて身包み剥がされるそうで日本は逆ですね。稼動した日野の工場見学をしたのですが。門番は拳銃と、ショットガンで固めていました。それに比べ旧市街に行くと昼からオカマや売春婦が無防備〔オッパイを出していました〕の姿で、我われを誘ってくれています。

次回はSSERのイベントはコロンビアでやると参加者は500人位になりますよ。

「帰国してテレビの収録」

1月29日にJ-SPOTSの収録がありました。呼ばれている選手はトヨタ車体からは監督さんと三橋さん、日野側からは私と照仁とチーフメカの中村氏です。完走した人しか呼ばれないのが現状です。頑張った増岡さんや右京さんや青木さんのお話も聞きたい人も居るでしょうが〔私が一番聞きたいのかも知れません〕現実は甘くないのですね。司会は毎日放映して頂いた独特のお声を持つケリーさん。報道で同行されたトーチュウの田村さんもご一緒です。一昨年はJ-SPORTSのスタジオでの収録で、背景はバーチャルでしたが、今回は何と渋谷近くのアルゼンチン・レストランを借り切っての収録です。バックにはアルゼンチンとチリの国旗も用意されていました。

カメラは3台もあります。料理はアルゼンチン料理で、現地での印象は不味かったので、チョットと思い頂きながらの収録が続きました。食べて見ると、何と美味しいではないですか?「地球の歩き方」のアルゼンチン編を持っていったので予習をしていたら、お肉が柔らかくて美味しいとの事でしたが、我々は安レストランしか行かないので、お肉の硬い事、全然話が違っていました。ラリーが終わってブエノスアイレスの高級レストランに日野さんの副社長にご馳走になりました。その時、私が注文したのはイカスミのスパゲッティです。あまりにも美味しくて一皿全部食べて、3時間後にはアルゼンチン・タンゴの有名なお店にご招待されていたのですが、何と不幸な事に自分のホテルに帰ったらトイレから出られなくなり、折角のご招待をお断りする羽目になってしまいました。

今回、収録したレストランのコックさんのお一人に「とても美味しかったよ」とお話したら彼はコロンビアのカリの出身だそうです。今回、初めてコロンビアを訪れて、首都はボゴタ、太平洋に近い街がカリだと知っていたので、色々と話が通じました。世界は広いので行ってなかったらカリと急に言われても想像もつかなかったと思います。

今回の旅で訪れた国の合計は60ケ国になりました。

このあとの放送予定
2月07日 J-SPORTSでの生番組に出演します。
2月08日 BS-i 21:00−22:00ダカールラリーの放映
2月11日 TV東京12:00−13:00 ダカールラリー
2月11日 J-SPORTS ESPN 21:00−22:30 総集編  


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No.001 「再会」- 2009/01/29 菅原さんの手紙

ラリーのゴールのブエノスアイレスまで日野の副社長さんが飛んできてくれました。その副社長は課長時代に日野創立50周年記念としてパリダカ参戦を決めたメンバーのおひとりです。

ここまで来る間には、色々と問題が起こりますが、困った時には必ず出てきて助けて頂いている、我々にとってはとても大切な方です。

専務時代には札幌日野の役員も兼任しておられ、私が小樽生まれなものですから「いつかは一緒に(北海道に)行こうね」と約束していました。しかしそれも中々実現できないままでした。

2年ほど前に、食事をご一緒している時のことです。「コロンビアで工場を立ち上げる準備でボコダに行ったら、1991年〔日野さんが最初にパリダカに参戦した年〕に出場したミスレンジャーを大切に保管している日野の販売会社の社長がおり、古い車のコレクターで全部自分で整備をして実働する車両を沢山持っているので、機会があったら一緒に行こう。」と誘われていたのですが、なにせ札幌にもご一緒してないのに地球の裏側までは、とても難しいなと思っておりました。

ブエノスアイレスでの食事中に突然、副社長がここまで来たのだから、以前約束したボゴダへ、これから案内すると言い出したのです。私の航空券は安チケットでブエノスアイレスからアトランタ経由で成田行きです。副社長は同行していた本社の中南米営業の方に「すぐに菅原さんのチケットを新たに取るように」とお話になり、急にコロンビア行きが決まったのでした。

副社長と同じ便が取れなかったので、一人でリマ経由でボゴタに向かったのですが困ったことにイミグレの書類はスペイン語。リマでは航空会社が変わるのでバゲージがボゴダに着くようにお願いしたのですが、着いてみると私のバゲージは最後まで出てきません。ボゴダの日野の工場の住所を聞くのを忘れていており、こちらも心配です。

まずは一つづつ解決すべく、荷物の担当の部屋に行ったら、手違いでリマにあるとの事、明日には空港に来るので、引き取りに来るようにと言ってるようでした。インフォメーションに行って日野の住所を調べてタクシーで行こうと、表に出たら副社長が手配で、現地の日野の社長みずからお迎えが来ており、一安心。

そうこうしているうちに2時間、副社長の便が到着する時間になり、連れ立って現地のディラーへ向かうことになりました。

乗った車は完全防弾仕様のランクルです。ガラスは厚さが5センチもあり開閉が出来ません。バッテリーも厚い鉄板で覆われ、床、ドアーも改造して350キロ重くなっているのでサスも強化されています。標高も2500mなので特別にスーパーチャジャー付きです。

訪れた販社は公園のようなところです。日野の車両やダイハツ、トヨタ車が展示され、ど真ん中にはミスレンジャーがありました。折角だから私に運転させるので街を一周しようと言う事になり、約20年ぶりに運転しました。写真のように古くなったステッカーは作り直し現地のナンバーもゼッケンと同じです。この会社のおじいちゃんは1916年にフォード社から販売許可をもらってそうです。T型のセダンが625USドルと書いていましたよ。

写真:菅原さんはコロンビアで20年前のラリーカミオンに再会。


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著者紹介-菅原義正

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菅原 義正 SUGAWARA Yoshimasa [経歴]

パリダカ世界最多連続出場33回の記録を持ち(2016年1月現在)2016年3月に今まで持っていたギネスワールドレコード社の記録を更新しました。1983年に2輪で初参戦以来、4輪(7回)での経験を経て1992年より、日野自動車のトラックで参戦、トラック部門の総合準優勝6回、10.000cc以下クラスのクラス優勝7回。 1989年から2009年まで20年連続完走をしており、この記録もパリダカ史上最多でギネス社からも認定されている。

[菅原義正氏 経歴]

[外部リンク]

日本レーシングマネージメント(株) 取締役会長 http://www.j-r-m.co.jp
日野チームスガワラ http://www.teamsugawara.jp

 

菅原さんからの手紙

2006/12/29 (金曜日)

2006年最後のOVとなりました。本来オーガナイザーの「ぼやき」を書き綴ろうと思ったのですが・・・振り返ってみますと、このサイトができてもう7年と2ヶ月が経ちました。ちょうど故ガストン・ライエさんをはじめて招いたミーティングの直前からスタートしたのでした。今思うに、このOVは自分にとっても貴重な資料になりました。その時ボクはどう考えたか、どう行動したか。「おお、日記をつけるとはこういうことだったのか」と思います。でも時には「こんなことを書くのはよくない」とか恣意的な部分も少しだけあって、公表するということの難しさもいろいろ考えさせられたものです。

この7年間は、こうしたネット社会がもたらす部分も大いに手伝って、実に愉快で、でも苦痛と苦悩にも満ちていて、人生の中でも有意義な時間だったと感じています。

さて、あとわずかとなった2006年。皆様はいかがでしたか?ボクはまさにアチコチを飛び回った1年でした。しかもその果実は2年後3年後にと繋げる長い道のりの始まりを感じさせます。

特にラリーといういまや前近代的になろうとするスポーツの未来、自動車の未来、環境と人間の未来・・・ほんの少しアジアを広く知ろうとするほどに、驚愕を覚えるほどの未来への不安が横たわっています。

2007年、ぼくたちはラリーなどを通じてしか大きなメッセージを発することはできないかもしれませんが、皆さんとさまざまに語らい、次世代が健康的な時代になるように進んで生きたいと思います。SSERオフィシャルスタッフの強化合宿?が明日からあるそうですので、行ってきます。

きょうの一枚
「ボクのMVアグスタとサハラローズ」
世界で一番大きいサハラローズ、その時価は計り知れません。だってバイクより大きいんですもの。でもこのバイクも時価は相当なものです。アルチェロ・マーニさんもこのころはここのレース活動を・・・でボクのこのマシンはアゴスチーニが乗っていたもの。ああ、マイク・ヘイルウッドやジョン・サーティース・・・今のMVアグスタ社はこの時代のアグスタ社とは別物なのだ。なんか文句ある?!


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2006/12/28 (木曜日)

「Peking to Paris大陸横断ラリーin1907」が届いた。よく見ると発刊日は2006年12月20日となっているから、まさに発刊ホヤホヤ・・・発行はマール社・・・デザインなどをなりわいとするわれわれは「ムム聞いたことあるな!」という出版社。しかし何故にこのタイミングで・・・・・表紙周りの帯に書かれている言葉を・・・「人類の歴史を変えた幻のラリー」「1907年、自動車の限界に挑む世界初のラリーが行われた!」

「ガソリン自動車が誕生して20年、フランスの新聞ル・マタン紙が、北京からパリまで走るという前代未聞の長距離ラリーを企画した。エントリーした車は3輪・4輪、会わせて5台。時は折しも鉄道ブーム。輸送手段のほとんどが馬車から鉄道に変わり、使われなくなった道は自然の中に飲み込まれている。橋は朽ち、道は沼と化した。果たしてゴールはできるのか!そして勝つのは誰だ!」

「毎朝、出発のとき、われわれは力がみなぎるのを感じる。なぜなら、前日のつらい記憶をすでに失っているからだ。忘却と希望こそがわれわれの力なのだ。このラリーは、人生と全く良く似ている。」ボク「・・・・・」
優勝・・・イターラ 62日間
完走・・・スパイカー、ド・ディオン・ブートン 2台
リタイア・・・コンタル(ゴビ砂漠にて)運転手は瀕死の状態で救出されたものの、クルマは現在もゴビ砂漠に眠っていると言われている。
ボク「ムムムムム・・・」
ルートも分かるし、リタイアの位置も分かる。そういえば第一次世界大戦時代やノモンハンのころの残骸も草原や砂漠には残っているのだ。さあ、コンタルを探しにいこうか!?

きょうの一枚
事務所の玄関ホールの内照式の写真パネル(正確に言うとカラーコルトン)のフィルムを数年越しの念願かなって変更。新年を迎える準備OK!モデルは任意に写真を選んだのですがなんと尾島さんが2枚!と負傷して現在リハビリに励む西村さん。OVは明日もお届けする予定ですが、いろいろあった2006年もあとわずか。2007年は良い年でありますように。西村さんも2007年はオフィシャルの一員として復帰するのが目標!!みんなでガンバリマショウ!


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2006/12/27 (水曜日)

そういえば2040年には夏の北極海の氷がすべて融ける!そうですね。(まだみんな生きているよ)ことほどさように地球温暖化は深刻度を深めています。で大きな問題はそれらによる海流の変化だそうです。北極海の氷が融ければ地球の大循環である海流がストップするといわれています。南極の氷がすべて融けると(もち氷河やグリーンランド氷床などもね)海水面は確実に70m上昇するそうです。まあ南極の氷がすべて融けるのにはもう少し時間が掛かるでしょうけど。日本で70m海水面が上昇したらどれほどの家屋が水没するのか?そしてどれほどの耕作面積を失うのか?今度うちのスーパーコンピューターで計算してみます。あっいやスーパーで買ってきたパソコンのことです。恐ろしい数字が出てくることでしょうね。いまから30年ローンで家を建てるなら標高100m以上のところが良いでしょうね、ってそんな話かい!

でも海流がストップすると全球凍結に向かうという話もあって・・・すると標高の高いところに住むより・・・ってまだそんな話かい!!?いずれにしてもこれほどの環境変化は人類の制御の速度を超えていることでしょう。すでにデイ・アフター・トゥモロウばかりか多くの科学者が警鐘を鳴らし続けています。食糧の生産は穀物野菜を問わず激減!!最近はその海流の変化からなのでしょうか?エルニーニョだとかラニーニャだとかで気候が大きく変動します。昨晩関東を襲った記録的な豪雨も、こうしたことに起因しているような気がしてなりません。どんどん暖かくなる地球。逆に全球凍結なんて恐ろしいお話もあって、非常にバランスのギリギリのところに人類は、いや生物は生を営んでいるんだなあ、と愛おしくさえ感じます。

さて2007年に向けて年末年始の特集はこうした環境問題が多くなっていることでしょう。良いお年を。ってまだ書くと思うけど。

きょうの一枚
2006年のオフィシャルウエア・・・「印象に残る1年でありますように」と願いをこめたメッセージ。2007年は、どんなテーマで行きますかね!?

2006/12/26 (火曜日)

みんなダカールに出かけちゃいました。ほぼ最終組の池町君も今日のエアでフランスへ。今回も空前の規模となったダカール。このラリーはいったい、どうなっていくのでしょうか。この答えは下段の記述を参照に。

さて三橋選手はゼッケン340、池町選手はゼッケン344、結構お近くです。同世代の二人は数奇な運命の道のりを歩みます。ダカールではMOTOで好成績を獲得。二人ともモンゴルでは総合優勝を遂げています。そして4輪へ転向するや、ニッサン。そして池町はトヨタへ移籍、そして今回はついに念願の?ミツビシへ。三橋は今年からトヨタ。そのことだけを聞けばまるで二人とも順調な道を歩んでるかのように見えますが、なかなかどうして苦難の道、茨の道を歩んでいるのです。自ら常にそういう道を選んでいるのでしょうか?ぼくたちも古くは、この季節はパリにいて、ちょうど近くのスーパー「モノプリ」で毎日買出しをしては自炊の日々を送っていました。で、最近の話題ではそのスーパー「モノプリ」が急成長中!だそうです。そしてその経営コンセプトはやはり「エコ」でした。

日経デザインにはこんな記事がありました。『「On fait quoi pour vous aujourd’hui?」(今日はいかがいたしましょうか?)フランスのスーパーマーケット「モノプリ」の広告はこんな御用聞きのような簡単明瞭なメッセージで身近なスーパーであることを消費者に印象付ける。(中略)商品やストアデザインのコンセプトから運営に至るまで1990年代初頭からサスティナビリティ(持続可能性)に力を注いできた。』・・・と書き始めたのですが中身が濃いけど長くなるのでやめ。で2005年上半期には売り上げを64%アップさせたとも・・・僕がよく使う言葉サスティナビリティ・・・それはいまや世界の標語のようなものであります。地球温暖化、まもなく訪れる食糧危機、いずれにしても地球上では、多くの問題が「それはサスティナビリティか否か?」を問われているように思います。日本の企業がよく言う「持続可能な成長」というのは実は幻想で間違った言葉です。持続するということは持続する可能性の低いものに対して用いられる考え方です。
まあ極論を唱えれば「継続は力なり」、ということは継続させるのには力が必要で、その力は必ず衰えるということではありますまいか。世界は大きなひとつの原理で動いているような気がします。それは「諸行無常」つまり持続可能なものなどはありえないと、古よりそう伝えられてる普遍の原理です。

だからといって決して持続を否定しているということではなく、むしろゆえに続けることが大切で貴重で意義のあることだと考えるのです。長くダカールを戦い続ける男たちに魅力を感じるのは、ひとつはその部分かもしれません。得体の知れない定理への挑戦はまた見えざる敵との戦いのようなものでしょうか。

きょうの一枚
北京にて。実はこれ民族博物館から町並みを見たものです。高いもの、大きいものは権力と富の象徴。世界普遍の原理ですが、はて。

 

Organisation Voice 2006/11/30 (木曜日)

暖かい毎日が続きます。バイクに乗って、フラッと出かけようとするたびに電話か来客・・・早い午後の陽がやわらかに近くの木々を照らしています。

SSER 2DAYSでは見事な紅葉を目にしましたが、もう紅葉は里まで降りてきています。

最近の座右の書?はあろうことかBMW R1200GADVのカタログ。タイトルにはExplore your horizon.「あなたの中にある地平線へ、今旅立つ時」みたいな意味。もちろんこのカタログのことは以前にも書いたけど、こうしてBMWは、1200GSのときは南アフリカ カラハリ砂漠だったり、その前のときはペルーだったのはどのモデルだったか?

しかし今回のは見事にボクには「刺さりましたね」もう何ヶ月もデスクサイドにあって・・・。

扉をを開くと、おそらく新疆ウイグル自治区カシュガルの南、パキスタンに抜ける標高7900mのクンジュラブ峠付近と思しき写真。そこはカラコルム山脈。K2やナンガバルパットのある山域。

本文にはムスタークアタ山(7546m)と書いてある、ならばカラコルムではなく崑崙山脈の中心あたりだろうか?パミール高原だ。そこから北はタリム盆地、崑崙山脈の豊かな雪解け水が、多くの恵みをもたらすはずなのに、なぜだかタクラマカン砂漠が広がっている。雪解け水は伏流しているのではないのかな。このBMWバイク隊は行ってないけど、さまよえる湖ロプノール(ノールまたはヌールは湖のことだ)そしてその東300kmには敦煌・・・・いつかはこの地をラリーで到達するぞ!!・・・話がそれた。

カタログの写真だ。酸素の薄そうな山の空気まで写し取ったような群青色の空、モンゴルでもよく見かける石積みの家、杖を突いた婦人。ウイグル族なのか、遠くをBMWライダーへと歩いている女性はイスラム教徒だろうか、もう旅心を掻き毟られながら、バイクに付けられたナンバープレートが臨時入境と書かれているのを見て、これは新疆だけなのか中国全土で、これの取得が可能なのか?などなど、いろいろと関連して夢を膨らませているのでありました。

そして「千里の道も一歩から」孔子(紀元前551~479)聞き慣れたこの言葉は、なんかこうした写真と共に語られると意味が深い。てな事で、BTOUの前にはTBIおまけに北海道。参加するものにも、主催するわれわれにも負荷は少なくない。要は踏み出すか踏み出さないか・・・のみだ。

きょうの一枚
SSERの工場に突如出現したカフェ?これは長年の夢でもあった倉庫と工場の大清掃と片付け・・・3年がかりですが、の作業中の休憩所?ちなみにやって来られてもまだ実質的なカフェの機能はございませんので。


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2006/11/29 (水曜日)

四国遍路を世界遺産に・・・という運動が熱を帯びてきている。当のユネスコは、どちらかというと認定済みのものも、新規認定も減らす方向にあるということを何かで読んだ。この話、ボクは賛成でもあり、またそうでもない。年々増え続ける巡礼の旅人。世界は巡礼ブームなのだそうな。でも要は、世界遺産にすることによって、どうしたいのか?ということだと思う。建築物や自然遺産ならまだ話はわかりやすい。観光と保護だから・・・。

広島の原爆ドームも人類の負の遺産ながら、まあわかりやすい。保護をしなくても巡礼は残る。現代風に変化しながらも適切なサイズでキッチリと残っている。以前は政教分離だから・・・と腰の引けていた行政も、少しばかり手を入れるようになった。林道と交錯して伸びる遍路道に立つ、今にも自然に帰りそうな木のささやかな看板が、真鍮のプレートをはめ込んで「ワールドヘリテッジ」なんて自慢そうで立派なものになったら、なんか困る。

でもその四国巡礼、何度も書いたがTBIの原型はそこにあったのだ。
巡礼という行為と、無数に伸びるトレイル、そしてそれらでつながれる寺。四国という不思議で快適なサイズの島。険しい山河に伸びたかつての遍路道は、まさに苦難の道だったろう。それを世界遺産にするということは面白いが、不安も残る。こうした文化を遺産にするなら、モンゴルの遊牧民の暮らしも世界遺産にしたらいいと思う。完全にリサイクルされた彼らの生活こそ、大急ぎで守らなければならないかもしれない。余計なお世話かもだが。

というこの二つの話は似ているような気がする。そしてそのどちらもで、その自然にタップリと浸りながら、時にはそこで暮らす人々の手を駆りながらわれわれはラリーをしている。偶然だが、なんか根っこの部分では共通したものを持っている。

世界遺産TBI・・・世界遺産BTOU・・・そんな感じで行くのは、どうすか?ユネスコに怒られちゃうね。

きょうの一枚
てなわけで、TBIとお遍路さん。ここ足摺岬など太平洋側では、初夏。木々も亜熱帯・・・ふだらく渡海伝説によると、千年の昔から足摺岬は、海の彼方にあるという極楽浄土「ふだらくへ」の東門。この地からは、そんな浄土に向けて小船で漕ぎ出していく僧が多かったらしい。高知出身の直木賞作家、坂東真砂子の「桃色浄土」ではそんな哀しい物語が。2007TBIは、そんな遍路の旅を少し色濃く・・・。


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2006/11/28 (火曜日)

資料請求の皆様へお知らせ。

BTOU2007インフォメーションは、まず第1弾は本日午後に発射!いたしました。んで、一両日中に到着することと思います。結構な数量!!で、着弾しなかった方は第2弾ということで、12月6日ころの予定!でございます。パリダカなどですでに出発してしまった方には、申し訳ありません!?

今日は久しぶりに青空!なんとも暖かくて、撮影現場のボクは半袖のオークリーのTシャツ!!そのあとはあわててスーツに着替えて走り回ることしきり。忙しいのだ。

きょうの一枚
ムッホと将棋!子供のころは強かったボク!でムッホは覚えてまだ10局くらいしかやってないのに強い強い!!来年の試走のときは毎晩やろうぜ!と約束。結構危ないかも・・・暇があればパソコンで対戦型の将棋をやってる。対戦成績はなんと50%の勝率。

 

2006/11/27 (月曜日)

資料請求について・・・

本当にたくさんの資料請求・・・ありがとうございます。第1便の送りだし予定日までに製造可能なDVDの数量をオーバー!してしまいまして、第2便での資料発送は12月6日ころの予定となります。今のところ資料請求到着順に送り出す予定です。

デザインのことなど雑感。

ここのところ、ボクの携帯を「もういい加減に買い換えれば?!」「えっ、これってアンテナ伸びるタイプですよね。」「うそっ、アンテナって伸びないの??」「ええーっ、そんなの今やもう無いですよ。カメラもついてないでしょ?」「ついてない付いてない。次ぎ買うときもカメラ無いのにするんだー!」「なあに言っているんすか、カメラの無い携帯なんて、ありませんよ!」本当なのだろうか?ついこの前、アンちゃんが携帯で花の写真を撮って驚かせてくれたばかりだというのに・・・あっ、でも5年くらいたっている?で、その時はJ-PHONE・・・一人勝ちで、史上最高益!とかって、やっていたのに。

話がそれた。確かにボクの携帯は新しくはない。でも古くて仕方がないというほどのものでもない。なぜにこんなにも新しいものばかりに踊らされて、デザイン最先端!でもみんな持っている!没個性な道具を、悲しい日本人は9000万台も買って、買い換えて、また買い換えて!を繰り返すの?!こんな商品って、歴史的にも存在したの?!そんなことに何の意味があるの?(なんか井上陽水風に)
携帯の端末の買い替え需要というか、みんなの買い換え方は絶対に変!だとボクは思う。しかし、そこにある機能はともかく、デザインに関して言えば急速に変化をしている。これこそは時代を映し出す鏡のようだとも思う。残念なほどにマーケティングし尽くされている。つまり、チミたちが望むものなんて、ゼーンブお見通しなのよ。

もともとプロダクツで、ここまでデザインを重視しなければならないものは、なかった。いや、無かったというのは言い過ぎた。すべてのプロダクツにはデザインありきで、ボクなんかよくデザインオリエンテッドなんて言葉を操る。向こうの人はけむに巻かれてしまって、話を聞く気分が半減してしまっていると気づかずにだ。

また携帯はデザインばかりか、その広告も闘いが厳しい。キャメロン・ディアスが歩いてくだけでメッセージなCM・・・確かスリム?だということが言いたかったのか?携帯と呼応するまでも無く家電のデザインも相当に進んできた。かつてはSONYがデザインを引っ張ってきたが、いまでは韓国メーカーあたりに「おおっ」と思わされる。SAMSUNGやLGなんて、世界レベルのデザインをとっくに果たしている。

韓国には政府系機関としてデザイン振興院なる役所がある。院長はLG電子のデザインを手がけて名を成した金哲浩。今では韓国の産業界へのデザイン支援をしている。政府系がデザインを重要に考えている・・・というところにこの国の次代の戦闘力を見て取れる。でも携帯のデザインはまだ日本のほうがはるかに優秀かもだ。ちょっと心配なのは液晶ハイビジョンなど、これから10年の産業の目玉になるだろう薄型大画面のTVのデザインと価格だろうか。とここまで書いてデジタルハイビジョン放送は何なのか?!と書こうと思ったけど今日はデザインの話に終始しなければならんて。

長くなりすぎたのでまとめる。

もっとも真似しやすいものはデザインだと思う。しかし精神や思想、場合によっては歴史や文化、そうしたものまでデザインとして真似てしまう傾向がある。少ない人生、手に出来るものの量なんてたかが知れている。本当に手にしたいもの、を手に入れる。気の遠くなるような作業に?ボクは今日も邁進している。・・・なんだ、そんなオチかよぉ。

きょうの一枚

スガワラ峠で菅原さんのワンスナップ。次は看板を作って掲げますか?

2006/11/24 (金曜日)

BTOU2007資料請求クリスマスキャンペーン実施中!!

いまBTOU2007の資料請求の方に、もれなくDVDをプレゼント!!というかそのDVDこそが今回の資料なのであります。いや資料というかプロモーションDVDなのですが、そいつときたら、グーグルと契約までして!作った衛星画像。ウブス湖の岸辺を上空数百メートルで飛んでいます?!「ヒャーッ」て感じです。そのうちリアルタイムで衛星画像が入手できる時代もそう遠くないように思います。するともっと面白い中継が出来るかもですね。さらにそのDVDには2006年の映像や写真が付録しています。といっても付録のほうがボリウムが大きい!まるで昔の小学館の「小学3年生」みたいな中身になっています。ぜひ資料請求を!詳しくはコチラ

地図を眺めることが日課のボクは、ところどころにも書きましたが、アルタイ山脈の主峰友誼山(モンゴル名フィティン山)にちょっと興味が湧いてきています。子供のころは健脚を誇っていたのですが、最近はそれどころではないくらいの体力低下!で登頂というわけには行かないでしょうが・・・とまれ、2007の目標は定まりました。とりあえずモンゴルの事実上の最西端、友誼山山麓まで果てしない旅に出ることにします。

きょうの一枚
盗撮?されたボクのプランニング用のモンゴル地図。ONCマップを貼り合わせ1.2m×2.0mあるモンゴル全土の地図。このくらいのサイズだと緯度線は東西で大きくRを描き地球なんてそんなに言うほど大きくない!といってる。アクリルをはめ込んで、自由にホワイトボードマーカーで書いたり消したりして、楽しい旅の夢を見る。

2006/11/21 (火曜日)

町にはクリスマスイルミネーション!と、もちろんクリスマスソングが流れる季節になりました。クリスマスはパリダカのころを思い起こさせます。クリスマスは一生パリで過ごすもの!と決めていたのです。でもそのときも思ったのですが1年がたつというのは、実に早い。気がついたら、いつも明日は車検日!みたいなぁ!(バカです)さらに最近どんどん早くなっていって・・・ひょっとしたら地球の自転も公転も恐ろしいくらい早くなっているのに、実は誰も気がついていないのではあるまいか?と、かんぐりたくなるような有様です。機械式の時計は、多少遅れたり進んだりはしますが、地球の自転が早くなってないことは、どうやらそいつが教えてくれています。

「地球は、人類は、」と常々から稀有壮大に物事を考える?ボクには、この時間というわけのわからない概念の存在がどうも疎ましくなってきました。腕にはめた時計はアクセサリーだったらいいのに、と。つまり物事を考えつくすのには時間が足りないのではあるまいか?ということ。少年老い易く・・・みたいな感じです。ボクは、もっと勉強?がしたいと考えるようになりました。子供のころからそう考えられたら幸せ!だったかもしれませんが、残念ながらあのころは、その正反対の思いで、今頃そんな風に考えても「遅い」のかもしれません。これから相対する中国!と考えるだけで膨大な時間の壁に眩暈さえ覚えるではありませんか?!悠久の時・・・はるか数千年の彼方。そーか、やはり旅にでるしかないのか。今日は意味不明の支離滅裂!!

きょうの一枚
テレビ朝日のスペシャル、チンギス・ハーン・・・見ました?ボクはDVDに撮っててもらったのを見ました。で、マルコポーロの東方見聞録!!そうそう、ナショナルジオグラフィック版のそれ、まだよく読んでないのでした。

 

2006/11/20 (月曜日)

名古屋・神戸と周遊?をした週末。久しぶりにひとり新幹線に乗りました。羽田にはエアバスA380が実証飛行とやらで飛んできていたようで、世の航空ファンは大挙して押し寄せたことでしょう。ジャンボ機よりも一回り大きいその機体を飛ばすための燃料は???諸元を見ても記述がありません。で747のタンク容量は?というと24万リットル・・・

TOTALが発表した2005年ダカールの燃料消費量はモロッコステージでスーパー37000L、ヘリ用燃料57000L、アブガス20000L、エアポートでカミオンやサポートカーなどへの給油量が180000L、ガソリンスタンドでのラリーカーなどへの給油量が28000L・・・モロッコの総給油量322000L・・・全行程では115万リットル。1L=150円計算で1億7千万円!!すごいのか?そうでもないのか?と書いたところで打ち合わせの来客到着で今日はここまで・・・

きょうの一枚

今日はモンゴル情報局でおなじみのムッホさんの誕生日です。
日本で迎えるのは今年で何度目でしょうね?
お誕生日おめでとう!

 

2006/11/17 (金曜日)

西安・・・北京から南西の方向に高速道で1200km。日本で言うところの京都、古都なのである。唐の時代には多くの僧侶たちや遣唐使で賑わった。空海もこの地で学んでいるのだから日本との縁は少なくない。もちろん城砦都市である。西門ははるかシルクロードに延びる。要はシルクロードのスタート地点でありゴール地点でもある。なにかこうプッチーニのトゥーランドットを思い出したり三蔵法師の西遊記を思い出したりしていた。なぜ、今こんな話かというと、答えはいずれまた。ということになろうかと思いますが「西安」そんな話もあったなあ!?という風に覚えておいてください。

さて、TBIとBTOUさらにHOKKAIDO4デイズと2007年の濃度に今から手抜かりのない準備をしておこう!と日々に精進。ダカール組も、もうすぐ出発なのかな?今年も多忙な年の瀬になりそうな予感。

きょうの一枚
マイケルキャストリー君と彼のレポート(英文だけど)これをぜひもう一度、読んでみてください。マイケルはこのたび無事に帰化。黒鉄(クロガネ)さんというお名前になりました。なんか坂本竜馬を思い出したのはぼくだけ??キャストリーさんのレポートはこちら

 

2006/11/16 (木曜日)

ワケアッテ、パソコンが新しくなりました。初打ちでこのOVを書いています。ナゼダカCIAの陰謀のように、社内の様々な電子機器?がリースアップだとか、次々と壊れたりとか・・・で、PA屋さんまがいの仕事をしている部署?は新しい機材が必要だったりとか、一気に新しくしなければならない局面になってきて、厳しい限りであります。やはり陰謀説が濃厚です。

古いものの良さを楽しむ、などということはさすがにこの世界では希薄です。そのうち「ヒストリックコンピューターがにわかにブームに!」なんてことはなさそうです。でも、あのCDが登場したとき、レコードのコレクションをどうしたのでしょう?デジカメ全盛期の今、フィルムカメラはどーなるのでしょうか?CD化のおかげですべてのレコードを廃棄した?ぼくは、いまアナログつまりレコードの愛聴家になってしまったという教訓から、古い一眼レフは捨てずに置いておこう!ということにしました。デジタルの素晴らしさは、まるで最新のエンデューロマシンのようですが、古い鉄のマシンの味わいも魅力的なものです。1か0かで判断できない部分、たとえば0.0034・・・みたいな割り切れない人間の表現力や音の連続性。不必要だと切り捨てられる、行間の味わい。

といいつつも、新しいというのは素晴らしい。画面は大きく美しい。友人のカメラマンがやってきて「デザインチームのパソコンを先に新しくすれば?」だって。彼もまたデジタルとアナログのハザマに漂流していますがな。

さて昨日発表したBTOU2007・・・早々に多くの資料請求が届いています。ありがとうございます。昨日もご案内のとおり11月28日発送予定です。クリスマスまで有効な、素敵?なプレゼントが同封されています!!ぜひお申し込みはお早めに!!

きょうの一枚
こんなの買いました。

2006/11/15 (水曜日)

BTOUのツール制作の巻
今年は写真集の制作が電光石火だった割に、BTOU2007インフォメーションのためのツール制作が遅くなってしまった。もちろん開催の有無の検討にも1ヶ月費やしたし、懸案の4デイズのこともあったのだが、そんなことよりも「凝ったモノを作りたい」という、当初のころからあるボクの変わった願望のためでもある。そして制作のラフ案を出すと、見積を取らなければならない。もちろん、こういったものにコストをかけるボクはバランス感覚がないのではないか!と叱責を受けることも無いわけではない。でもボクの夢やロマンはみんな理解してくれている。それにしても最終的にはフツーのものに落ち着くけど、当初案はいつも変わったものだ。

変わっている!といえばダカールのインビテーションもデザイン的にも優れているばかりか、かなり金がかかったものだ。それもそこにギッシリと詰まった夢やロマンを具現したい!という主催者の願望なのかもしれない。さて、こんなこと書いたら、資料請求したみなさまに出来上がって届くモノに多大な期待を持たせるのもあれなので・・・このくらいにしておきます。

さてSSER 2DAYS CLASSICの総評の巻
3ステージ制は、過去に梼原大会で1度採用したものだが、115kmのルートを3周するというのは、かなりハードになることが予想されていた。350kmという距離はアベ35km/hなら10時間というもの・・・実際このアベはキツイ!!さらに冬の雨、低温、久万には必ずつきものの濃霧。相当にタフなものになった。

1ステから2ステへ。2ステのスタート時刻に60%を超える選手が間に合わなかった。我々は30分間のボーナスを用意した。2ステの夜の闇に向かって発進するための装備などの見直しや、降雨による消耗を考慮した結果だ。それでも何人かにはペナルティが課された。3ステージは気温が4℃まで下がったエリアがあったが、それでも後半には星が見え始めていた。

ここまで順調に競技を進めてきたのは、森田昌和、夜の闇も味方につけ追いすがるトップグループにSS毎にマージンを広げてゆく。ゼッケン1をつける池田秀仁はモンゴルのハードなライディングに、どうも四国の繊細なライディング感覚を忘れたと笑いながら、3位に甘んじた。3ステージは青空が広がり、エキスペリエンス・ランの参加者は、気持ち良さそうにSSER2SAYSのルートを駆け抜けた。
タフだが充実したエンデューロなウイークエンドだった。

きょうの一枚
FREERIDE MAGAZINE Vol.007を見ましたか?!ボクは本日やっと入手して読みました。ハルキさんの文章・・・ボクの望む全てが書いてあります。彼とはよく話をしますが、ラリーの話はあまりしないのに、何でここまでと思うようなくだりもたくさん!今ISDE参戦中の彼、こちらも是非にもがんばって・・これだけ書けて走れて、若くて・・・・・ウラヤマシイ。ぜひご購入の上一読して永久保存版にしてください。僕は大量購入して、近隣やスポンサー様に配布します。ICE-BARご一緒した○堀さん、また届けますよ!!

2006/11/14 (火曜日)

一雨ごとに寒さの募る今日この頃。先のSSER 2DAYSは、大変お疲れ様でした。ご参加の皆様にもまた役員のみなさまにも、この場をお借りして深く御礼を申し上げます。また、久万高原町のみなさまには、降雨などで予定時間を随分遅くなり、多大なご迷惑をおかけいたしましたことをお詫び申し上げます。これからも、さまざまに配慮した運営を心がけてまいりたいと思います。

今年のイベントも全戦が終了しました。GWのTBI、夏のモンゴル・・・タフな日々が続きましたが、これから年末に向けては本来の業務に追われつつ、来年の計画のために飛び回る予定であります。

西に向かうBTOU、濃密に走る北海道、春には陽光のTBI・・・SSERシリーズ。イベント過多?な感じがしますが、とにかく力いっぱい!!行きますけん。でも体力限界説も・・・。

2006/11/08 (水曜日)

カーグラフィックの12月号、チームACPの記事が掲載されています。是非ご覧下さい。ホンダの社内広報誌の表2ページにスーパーカブの特集なんですが、ひめぎんチームの写真がバーン!と。社内広報誌と侮る無かれ、内容は濃いものがあります。2008年発売予定のFCXも紹介されているけど・・・燃料電池車ね。すこしプリウス似なのが気になりますが、かなりカッコ良し。スタック(ネーミングに???)と呼ばれる燃料電池本体はセンタートンネルに設置して、容積で20%重量で30%の小型化!!なり。最高速160km/hで航続距離570kmらって。2012年にはカリフォルニア州でゼロエミッション法が強化される。マスキー法に対してCVCCで答えを出したホンダ・・・あれから30年。世界のホンダはさらに飛躍できるか??

さて、モンゴル人はいいよな。ッてオハナシ。

「海の汚染や乱獲をこのままの状態で放置しておくと、約40年後には食卓から海産物がなくなってしまうかもしれない。そんな調査結果をカナダや米国などの国際研究チームがまとめ、3日発行の米科学誌サイエンスに発表した。ただ、漁獲制限など必要な対策を今すぐに始めれば、こうした事態が避けられる可能性が高いこともわかったとしている。 研究チームは日本海や東シナ海といった日本近海を含む世界64カ所の海域で得られた漁獲データなどを利用し、海から得られた魚や貝類などの種類や量がどのように変化しているかを解析した。その結果、03年の時点で、捕獲されている魚や貝などのうち29%の種が、漁獲量が最盛期の1割以下に減ってしまっていることがわかった。水質の悪化や乱獲などの影響とみられる。この傾向が続けば、48年にはすべての種が同様の運命をたどることになるとチームは警告している。ただし、厳しい漁獲制限を課した海域で生態系の回復もみられることなどから、今すぐ抜本的な対策に着手すればこのようなことは避けられると、チームはみている。」(アサヒコム)

でも思うことあり。この前、北海道でナマコの密漁をしている連中が、愛媛県人!ということでボクはイヤーナ感じを受けたのですが・・・それはさておき密漁の範囲。北海道のとある海岸で、ひょこっと海を覗くと丸々とした大きな海栗。取って食べたら密漁!になるんだそうな。

「・・・」

松山辺りでは、子供のころから素もぐりで、サザエやなんかを獲っていた。潜水具を着けて獲るとダメなんだそうで、これも「どうなんだろうか?」でも春の山では、この近年に大量に発生する山菜獲りのみなさん・・・まるで悪意は無いのですが、地元の人にすれば「万引き!」と同じ!だそうで、ぱっと見ると山菜取り=善人。オフロードライダー=悪人。見たいな感じがするのは何故だろう?ともかく、自然と人間のかかわり方。食糧問題。ルール、マナー・・・さまざまに難しいこととなりました。美しく豊かな地球を・・・ね。

きょうの一枚

帰ってきた?モンテッサH-7・・・のお尻。
ヒストリック&エキスペリエンスランに参加のシーナ先生のマシンが到着。珠玉の往年のレゴラリータ達のコレクター・・・・いいなぁ

 

2006/11/07 (火曜日)

昨日のニュースでは、GM社が中国に燃料電池車を投入する計画!!

「世界最大の自動車メーカー、米ゼネラル・モーターズ(GM)のリチャード・ワゴナー会長は6日午前、中国・上海市で読売新聞などのインタビューに応じ、水素と酸素の化学反応で走る燃料電池車を、中国などアジア市場に投入する検討に入ったことを明らかにした。中国政府や上海市当局などと、燃料電池車の普及に必要な水素ステーションなどインフラの整備について協議を進める方針だ。ワゴナー会長は、「アジアは人口も増加し、経済も成長しており、(自動車メーカーにとって)非常に重要な市場だ。ただ成長が持続可能かどうかが大きな問題だ」と述べ、環境にやさしい車の必要性を強調した。そのうえで、「いろんな技術がある中で、一番有力なのは燃料電池車だ」と述べた。ワゴナー会長は6日午後に上海市長と会談し、GMの燃料電池技術を説明するとともに、インフラ整備について協議する。GMが、アメリカ以外での燃料電池車の普及に関して検討状況を明らかにしたのは初めてだ。(2006年11月6日15時25分 読売新聞)・・・」

一方では、「トヨタ自動車は7日、2006年9月中間連結決算(米国会計基準)を発表し、営業利益は前年同期比35.1%増の1兆934億円と中間決算で初めて1兆円の大台に乗せた。売上高は前年同期比15.3%増の11兆4,718億円、税引き後利益は36.2%増の7,772億円で、いずれも中間決算の過去最高を更新した。欧米での販売増や円安傾向を背景に07年3月期連結決算の業績予想も上方修正し、営業利益は5月時点の当初予想より3,000億円多い2兆2,000億円になる見通しだ。営業利益の2兆円突破は日本企業で初めてとなる。(2006年11月7日20時20分 読売新聞)・・・」

と、ここのところOVの嵩上げのために新聞記事を使う!という姑息な手段にでていますが、今日はもう疲れ果てて、会社に帰りついたのは夜半。今日から急に寒くなって、さすがは立冬。やはり歳時記は大切にしたいもの。でも、美しい日本の四季をきちんと愛でながらくらしていきたいものなのです。

きょうの一枚
ボクの30年前のプレーヤーの進化版・・・音、聞きに来てね。

2006/11/06 (月曜日)

NEWS・・・CROSS COUNTRY HOKKAIDO 4DAYS 2007日程が決定いたしました。7月13日(金)スタート。7月16日(月・祝日)がゴールの4日間。TDN-NWってご存知ですか?あれをもっと濃縮ウランじゃなくて、濃縮した4日間。ハードだけどめくるめくような日々。今回はSSERとA-TEC、BTMのネットワークと各地のみなさまのご協力で開催いたします。BTOUは8月5日スタート8月14日ゴールの10日間の日程。テーマは「西の果てへ。」かつて、一度その近くまでルートが延びて、あの長谷見さんをして「どうしてここでRCPをしないんだ?」とかって言わしめたところ。さらにおくまでルートが延びて。カザフスタン、ロシア国境まで行きます。もちエコ部門も開催されます。北海道とモンゴル・・・この極めて厳しいスケジュールですが、ボクはやります。北海道に関しては、遠くない将来には運営部門を北海道に渡せれば・・・と考えています。また北京にもSSER事務所を開設していく予定?で、近々中国そして北海道に出没予定です。

さて立冬が明日。ボクもそろそろ秋もののスーツに衣替え!をしようかなあ、と思っていますが、今日も半袖のポロシャツで出勤!これから打ち合わせがあるので着替えるのはペラペラの夏物のスーツ・・・・・地球温暖化に関するニュースがひとつあります。核廃棄物を地層処理するって話は、最近TVCMなんかで目にしますが、二酸化炭素を地中深く処理をするという技術が、かなり現実味を帯びてきています。油井などに処理をすると原油が良く出るようになる!?という効果も報告され、処理可能な量は、現在の排出量の100年分以上!!という話。

また温暖化効果ガスのひとつメタンの大気中濃度は2000年を境に「なぜだか?」減少に転じているというニュース。折、奇しくもナイロビで今日から「地球温暖化を防ぐための京都議定書第2回締約国会議(COP・MOP2)」

ヨミウリオンライン・・・・・
京都議定書の見直しが初めて議論され、温室効果ガスを減らすための将来の枠組みについて、進展を図れるかどうかが注目される。会議は、約190か国から7000人が参加し、12日間の日程で開かれる。親条約である気候変動枠組み条約第12回締約国会議(COP12)も兼ねている。議定書は、2008~12年の温室効果ガスの平均排出量を、先進国全体で1990年のレベルより5.2%、日本は6%削減することを義務付けている。13年以降の「ポスト京都」では、途上国を含めた幅広い国が参加する道筋を模索する先進国に対して、途上国は反対している。最大排出国の米国が議定書を離脱していることが格好の口実になっている。先進国の新たな削減義務の議論を進めることについては日本もEUも消極的だ。世界の温室効果ガス排出量のうち、議定書で削減義務を負う先進国の割合は3割に過ぎない。全体の4分の1に迫る最大排出国の米国、途上国で排出量が急増している中国やインドは削減義務を負っておらず、「3割の国だけで努力しても意味がない」(環境省幹部)というのが本音だ。・・・・・・・ということで、なんともはやだが、小さな力でも継続して行くことの価値があるのではあるが。中国やアメリカを条約締結国にしないと・・・これも地球上の安全保障問題としては、何よりも脅威なのですが。

さて長くなったついでに。最近、我が家から発掘?されたワーグナーの全集、もちレコードですが・・・ヒットラーもこよなく愛し、また小泉純一郎も日本ワーグナー協会の顧問を務めるほどの・・・ドイツが生んだ作曲家ですが、ほぼ無傷な状態で未開封で発見されました。歴史的な(我が家にとってですが・・・)快挙で録音は71年。古いプレーヤーを完璧再生して、新しいオルトフォンのMCカートリッジにSOUND製のフォノイコライザーがLinnのアンプでB&Wのノーチラスを高らかに鳴らしています。デジタルでは忘れていた細やかな音!!(お詫び、オーディオの組み合わせには、一部希望的な部分が、まことしやかに書かれています。)まだまだ古いクラシックの名盤がざくざく出て来そうです。タノシミタノシミ。

きょうの一枚
事務所の近くのお店で見つけた恐竜「なんで・・・」

2006/11/01 (水曜日)

えっと・・・BTOUはRRMの時代から永山竜叶賞というのが有るのはご存知の通り・・・これは今はランタンルージュがこれに当たるのだが。で、かれを追悼するサイトなるものが有志の手で作られていた・・・知らなかった。彼のバイクは1台SSERのガレージに鎮座している。彼との忘れら得ない思い出も枚挙にいとまがない。で↓↓

http://www.geocities.jp/zenepro_gareki_fictional_manual/index.html
とりあえずタイトルには???となるのだが、彼の特有の豊富な知識が見て取れる。三角ビートルを操縦してみませんか?なんてのには全く驚かされますが、まあ希代のヲタクだったというのは一目瞭然。そこに年譜のページに行ってみてく ださい。まあ、以前発行されたものなのだが1人で腹を抱えて笑いながら涙が出た。

ボクは出張でお江戸に滞在中です。でもまたすぐに帰って2DAYSの準備なのです!!永山君が異常に大好きだった「いもたき」これは四国の表現かも?大洲の肱川の河原で、これまた大洲産の芋でするのが良いのですね。むかしはなにかと鍋釜の豊富なSSERは、さまざまなシチュエーションで「食い物」を作っていました。今度のモンゴルの夕べは、ムッホとSSERの女性陣が腕を振るうです。ボクは高みの見物!!
さてエキスペリエンス・ランという新しいスタイル。まあ封鎖された林道を走れる!なのに時間計測はされない。何かあればすぐ後ろにはピックアップが!もちコースマークで走るというもの。こんなうまい話には気をつけろ!じゃなかった、こんなうまい話はめったにありませんぜ、だんな。

という事で、日曜の朝は熱くなりそう!!今からでも特別にこのクラスのみ参加可能?かどうか、問い合わせてみてください。

きょうの一枚
チームスガワラHINOレンジャーのダイカストモデルが発売される!!というお知らせが・・・レーシングオンに掲載!!

 

2006/10/31 (火曜日)

あるパンフレットのあいさつ文の原稿に「錦秋の候」と書いたら、「錦秋は10月で、11月は晩秋では?」「・・・・・」確かに手紙の作法はそうかもしれない。でもまだ松山は紅葉なんて数週間先つまり11月半ばだし。なによりに錦(にしき)のあでやかさのほうが、晩秋の暗さよりも良いのではないか!?と反論しようと思ったけど、やめました。で、なにが言いたいのかと言うと、温暖化に伴う季節の変化には対応するべきじゃないのか?ということ。まだまだ残暑厳しい松山からでした。10月31日。

さてボクはある不信感をソフトバンクモバイルに持っている。あのシステムダウン騒動は、マスコミの恰好の標的となった。ドコモの社長が「憤懣やるかたない!」という顔で「¥0」と書かれた新聞の全面広告を全国のテレビにさらす。今の若者の心理を読みきっていない。

「そろそろ流れるだろうなあ」と思っていた松下の石油ファンヒーターの回収のCM・・・流れはじめましたね。イメージアップ広告はマイナスイメージからでも形成出来るという新たな広報手法。大体ソフトバンクモバイルなんて社名誰も知らなかった。タダのソフトバンクとしかね。ダウンしたシステムはやがて回復する。残るのは「通話料¥0」というイメージ。広告効果は数百億円規模になった。つまりボクの持っている不信感というのは、そこまで読み切っていたのではないかという事だ。大胆で危険な広告手法は、それすら物語っていて、やけに大仕掛けだなあ!?という疑念は晴れず・・・今度は公取が待っていたかのように調査開始。まあこうして携帯の通話料がどんどん安くなれば、高校生達のお財布負担も軽くなって、消費に回る金額も爆発的になって、景気回復はさらに加速する。・・・ってわけにはいかないぞ。

きょうの一枚
ボクの携帯。ナンバーポータビリティなんかとか・・とは無縁の超ロングユース!!音質は悪く、人ごみの中ではまず聞き取れない。しかも一昔前は回りはみんな同じモデルだったのに、いまではボクだけ・・・「えーっ。これって衛星携帯すか?」「すかだあ?」「・・・」


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Organisation Voice 2006/10

 

2006/10/30 (月曜日)

みなさんの町はどうですか?松山は朝夕の渋滞がひどくて、今くらいの時間(って分からんか)ヨーイドンで事務所を出たら、一台が空港に行くまでにもう一台は岡山まで行けます。まあそのくらい混む!という事が言いたいわけです。行政も腐心していることは分かりますが、渋滞はまた温暖化効果ガスの発生原因でもあり経済損失は少なくありませんね。なんとか効果的な対策を・・・ボクは良いアイデアが有るんですけどねえ。
ところで中国北京の渋滞はその中でも僕の知る限り世界一!です。1週間の渋滞とかって知っていますか?冬と夏、電力事情が悪化するころは北京に向かう石炭を積んだトラックの列が数百キロ!!続きます。そんな温暖化効果ガスの排出抑制プロジェクトを買って、排出権獲得ビジネスがヒートアップ中!!今ちょうど北京で(上海だったかも・・・)排出権ビジネスの見本市が開催中!日本は思いっきり出遅れているようす。
さて、ボクはSSERが終わるや北海道!!カニのシーズンでありますな。北海道、四国、モンゴル、さあ気合を入れてやるぞー!な前向きな気分。
きょうの一枚
ヒストリック・エンデューロもぼちぼちと・・・スガワラサンはXL125S-パリ・ダカールの博物館レベルのマシンを一台。「スガワラサン、バイク部屋に置くようになっちゃだめですよ」なんていいながら僕のバイクは部屋の中だ。ちなみにスガワラサンチの壁にかかってる写真はご自身がXLでパリダカを走った時のもの、でその写真がそのままカタログになったのでした。

2006/10/27 (金曜日)

最近連日のようにクマ出没のニュースがにぎやかです。もう動物と人間が生存圏を明確に線引きして生きてはいけないのだと思います。
原発やプルサーマルの問題になると必ず引き合いに出てくる、ラブロックのガイア理論「ガイアの復讐」を思い起こさなくても「なんかかなりヤバいんじゃないか?」という黒々とした不安は少なくありませんね。
でも最近は植物の繁茂ぶりに、得体の知れない調和のためのエネルギーが働いているようにも感じます。木陰を作れるほどの大きな木は、1本で冷暖房費を最大で40%削減できるのだそうですね。やっぱ久万の森にはツリーハウス村?を作ろう!といって昨晩はみんなで大騒ぎして不用意に二酸化炭素を排出してしまいました。
というほどに久万高原、まあ梼原もそうですが、林業が衰退してきて多くの林道が森に帰り始めています。良いことでもあり、また問題でもあって・・・ってなにが言いたいか?は11月10日「モンゴルの夕べ」でその長い夜を。
きょうの一枚
モンゴルでは「緑の長城」計画や、ボクの友人が立ち上げようとしてる「緑の絨毯爆撃」・・・もちろん国家レベルのものも含めたくさんの緑化プロジェクトが進行しています。ここはラリーのビバーク「もうひとつのゾーモット」と呼ばれるソクトオボーの涸れ川です。まだ何か地球に対して、できることがたくさんあるように感じます。

2006/10/26 (木曜日)

ダカールラリーの試走隊のレポートが発表された。本当ならもっと格好良く書いてサハラへのロマンを掻き立てるべきだろうけど、非常に人間的で柔らかくて好感が持てる。と同時にこの壮大なラリーも、その実はこんなにも人間くさく作られているのかと親近感を覚える。ひとたびラリーが始まるとまあ別物になっちゃうんだけどね。
ボクたちもゴビ砂漠では10年にわたる試走を繰り返してきたし、国内にいたってはTBIやTDNなんて、もう20年近く試走をやっている。試走は、まあハプニングの連続であり、我慢と自己抑制と、まあ鍛錬の場でもある。コンビニなんか狂おしくなるほど恋しくなるしね。まあダカールはカミオンを連れているし、でもシーズンが早すぎて虫の大軍に悩まされているみたい。きっと西日の美しいデューンで、糊の効いた白いテーブルクロスで、シャトー・ラトゥールなんかをワイングラスで飲みながら・・・なんてのは大方幻想に近い!というのは僕だって知っている。
それに彼らも「村」を通らなくて進めるルートを懸命に探しているようだ。いずれにしても道は、人々の暮らしを繋いで作られてきたわけだし、深い知恵と長い時間の経験がそれを作ってきたので、そうではない道を探す!というのは砂の中に落としたスプロケット??を探すようなものだ。つまり大変だけど、何とかなるものだということが言いたい。日本の地方都市だってそうだ。バイパスを作れば良いのに、いちいち町の中に道が入ってきてやがて出て行く。これは古い時代の交通が、町に物を運んだり宿場や補給を必要としたところから始まったのだから仕方がない。そんな一方でバイパスや高速道が出来てしまって、商いが立ち行かなくなったものも少なくない。交通が社会生活や、まあ経済の基盤であることに異論はない。
いずれにしても道は地球上に網の目のようにある。大体舗装された道なんてのは詳しくは知らないけど10%に満たないはずだ。舗装することは環境破壊とは誰も言わないのはなぜだろう。そんで舗装路しか走れないクルマの窓から、河川敷をチョコット走っているオフロードバイクに目くじらを立てるのもいかがなものかだ。埃がいやなら、中国北東部の砂漠化に関して立ち上がんなさいって。
ダカール試走レポートのアドレス
http://www.paridaka-info.com/2007/D…….(リンク先はPDF)>>
きょうの一枚
チームスガワラ2007ダカールへ向けてマシン完成!!テルの2号車も速くなった
らしい!これで2-1号車の順で1-2フィニッシュしてもらいたいのだが・・・。

2006/10/25 (水曜日)

石油の高騰は一段落したんでしょうか?いずれにしても限りある資源ですから、ジャブジャブと出ていなければ、やはり希少で高額なものになるのは経済原則どおりでしょう。代替エネルギー技術開発がまだひと世紀くらいかかると考えれば、石油は使い方を検討しつつも、100年は持たなければならないでしょう。
で、チョッと調べてみることにしました。と、Newton11月号に特集が組まれていました。「ほほお、タイムリーな」しかもメインの特集は「第2の産業革命・・・燃料電池!」まあそのタイトルにつられて買ったのは事実です・・・コクハクすると。
それによると、2004年に世界が消費した石油の総量は4兆7000億リットル!日本はアメリカ、中国に次ぐ世界第3位の消費国で、世界の消費量の6.5%を使っている!国民一人当たり1日6.6リットル使ったことになるそうな。多いか少ないかの議論は、まあ別としましょう。で、驚いたことに実は石油成因にはさまざまな説があるんだそうですな!?無機起源説と有機起源説。さらにその中からもいくつかの説があって「なーんだ、もう全部使ってしまおうか!!てな勢いなのに、成因が分かってないとは・・・」なんですね。で実は75%は未採掘で残されている!・・・とか。
次世代の石油は「固体」という部分にも興味が・・・オイルシェール、オイルサンド。オイルシェールとは熱が加わって石油になる前の岩、頁岩(けつがん)のことのようです。アメリカを中心に発見されておりその究極埋蔵量は、556兆5000億リットル!と見積もられている!だって。「ナーンダ、今世紀中持つじゃん」と思いつつも「アメリカを中心に!!??」という部分に愕然としないわけには行きません。石油は戦略物質なんです。「あーあ21世紀後半もアメリカの時代?というか、いまよりもひどくなりそう。早く次世代環境エネルギーを開発して、頁岩から石油を精製しても絶対にコストが合わない」という風にしなきゃ。そのためにもやっぱ、石油は大切に!とくにアメリカと中国には使ってもらわなきゃ。
きょうの一枚
チームACPのスポンサーでもありますグッドイヤー社から4枚組みのポスターが届きましたのでご紹介します。

2006/10/24 (火曜日)

10月の最終週といえば、例年ならガストン・ライエを迎えに関空に行くころ。そこから2週間ばかり滞在するので、それ以外の仕事を片付けておくのも愉しかった。昨年からは、なにかポッカリと穴が開いて埋めがたい思いの・・・10月末。そんな気分は今年で2年目、その前の年も急遽来れなくなったのでもう3年になるのかあ、と感慨深い。このOVというかHPは初めてガストンを迎えるころから書き始めたのだ。結構いろんなところへ行ったなあ・・・と思う。
こうして秋は人一倍メランコリックになる。しかしそんなヒマも無いくらいに今年は忙しい!!BTOU2007の開催準備!プレゼンテーション!となかなか息つく暇もない。こーしていまだに前世紀のワーカホリックぶりを引きずっている。
で、今度のモンゴルの夕べ+2DAYS・・・楽しみにしておいてください。映像、写真、プレゼンビデオ、さらにひめぎんのテレビ放送分も見せちゃおうかな?!エキスペリエンス・ランもゾクゾク申し込み到着中。お気楽な晩秋の日曜日のダートツーリング!だと思えばOK!!なのだ。
きょうの一枚
もともとボクの80はガストンのシグネチャーモデルだったんですが、全部一つ一つ手書きしたんだそうでありますな1000個を。でガストンが消えかかってるので書き直そう!といって大きく書き直してくれました。そのマシンは今事務所のコピーの前にあって、結構みんなの通行の邪魔になってますが、誰も文句を言いません。

2006/10/23 (月曜日)

新しいパジェロって良くない?ちゃんと5MTもあるし。とカタログを眺めていたら、なんとなくパリダカの時代を思い出していた。暑い夏にマシン作製が始まって、送り出しをするころにはストーブが欲しくなるころ、そうちょうど10月の終わりくらいだったか?毎日毎日、朝までマシン作り。ホントに、どうやって食べていたのか、いま考えても不思議でならない。そうやって夢中になるものがあるというのは素晴らしい。素晴らしいのだが、アットいう間に歳を取ってしまうのも事実。人生にはあれもこれも・・・となかなかたくさんのことが出来ないのだ。
BTOUのことを思いながら考えた。いろんなことをしなくても、自分が天職だと思えるもののために働こう!と。アジアのパリダカールを!の夢はまだまだ道半ばだし。そうしてたった1冊のカタログからもさまざまなことを思う。池町クンもついにミツビシのシートを手に入れた。これから大変なことは多いと思うけど、自分の信念に基づいてしっかりと歩を進めている姿は、ただただ見事だ。きっと大輪の花が咲くとボクは信じる。
ひめぎんチームのテレビ番組が出来上がった。1時間の番組を作り上げるのは大変なことだ。これにもなかなか苦労をした。いずれどこかの(って、あそこのだけど)ブロードバンドで皆さんにも見ていただけられるようにしようと思っている。
さて、とりあえずは近々のSSER 2DAYSでお目にかかりましょうね。来年のBTOUも期待しつつ準備を始めてください!!
きょうの一枚
NEW-PAJEROのカタログ・・・かつての4X4ブームの立役者パジェロ!頑張ってまたガンガンと売れる日を!僕は期待していますよん。

2006/10/20 (金曜日)

ひめ○んラリーチームの戦い!テレビになります。是非見てください!とはいうものの愛媛県だけの放送ですんでごめんなさい。
実はこれを書いてる横に「さ、飲み行こう!」と待機中。今日の一枚はそんなこんなで、テレビ放送のフライヤーでした。では、行ってきます。
(以下OVのスペースを利用して耳よりニュース!)
The 22nd SSER 2DAYS-CLASSICS 受付中!!
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2006年11月11日(土)~11月12日(日)
「闘う、ライディングスピリット、錦秋の久万高原に集う。」ルートは3ステージに決定!給油は各自でお祭る広場の上にあるグランドのサービスパークで!SSは合計21本の過去最大!2ステはライトが必要になるだろう!!てなことで、きっちりとコンペティティヴな装いをまとって、ハードボイルドにお越し下さい。
SSER 2DAYS-CLASSICS には、数社のテントが出る予定。KTM広島からは
KTM540SMR・・・モタード(ナンバーなし・公道走行不可)
KTM450EXC-R・・・BTOUで前田さんが乗ったバイク(ナンバーあり・試乗OK)
KTM250EXC-F・・・今回2DAYSで前田さんが乗るバイク(大会後であれば試乗OK)の3台!
YAMAHA からはXP250が試乗OK、WR250(07モデル)の展示を考えているそうなのですが、バイクが間に合うかどーか?!というところ。BMWからも数台。HP2はモタード仕様が1台アーンド80G/Sが1台、ってそれは誰かさんのバイクじゃないんだろーか?
詳しくはコチラ
http://www.sser.org/06_2days/
初体験の招待券!・・・SSER 2DAYS-エキスペリエンス・ラン
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それはたとえば、はじめてのダートランであったりもしていいし、いつの日にか競技に出たい!という者たちでもいい。3ステージの朝、ラリーのスタートしたあとをガイドと共にツーリング。ルートはもちオンコース。コースマークで走行!SSも走っちゃう。後ろからはコースマーク回収用のSSERのピックアップが・・・途中でリタイアして救援を待つライダーにもあえるかも・・・本人は会いたくないかもだけど。一緒に記念写真なんか撮ったりしながら?SSER 2DAYSのルートを走ってみる。対向車もなく、愉しいこと請け合い。でも参加数には限りがあります。
詳しくはコチラ
http://www.sser.org/06_2days/touring_index.htm
モンゴルの夕べ ご案内 2006年11月10日(金)18:00→22:00
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2000枚のスライドショウ・2時間の映像ショウさまざまなドラマに彩られたBTOU2006。その思い出をふりかえる大量のPhoto&VIDEOのプレゼンテーション。夜が更けるほどに冷え込み?盛り上がる!
どうぞオタノシミニ。
詳しくはコチラ
http://www.sser.org/06_2days/index_yuube.htm
モンゴルの夕べ お食事メニュー
草原を思い出させる秋のふるさと村のお祭り広場。ムッホ・アムガランがモンゴル料理を作って皆さんに振舞います。もち羊は・・・という方も大丈夫。日本の秋のメニューも忘れてはいません。食欲も手伝ってモンゴルの夕べにも急ぎ駆けつけてください!
詳しくはコチラ
http://www.sser.org/06_2days/index_yuube_dinner.htm
 
サイレンサー公認リストを更新しました
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環境への配慮は、騒音の抑制から!
長距離のライディングでは、音量の小さなサイレンサーほど疲れません!
音量管理は社会人としてのモラルです。
詳しくはコチラ
http://www.sser.org/sairenser/sairensoer_index.htm

2006/10/19 (木曜日)

天気は良いけど、毎日が秋晴れじゃない。春霞のような毎日。秋じゃない!感じ。さて、まもなくムッホもやって来る!次のスタートに向けて、すばやく取り組んでいる!つもりの今回。ここんとこの連チャンの東京出張も、そーんなボクの意欲の現れ?!だと取っていただければ幸いです。
97年、第3回ラリーレイドモンゴルでは、エタップ3でガルンツルンという町へ。そこからデューンを回り込んで、美しい谷・・・砂丘の中から水が湧き出して川になってウブス湖に流れ出しているところ!まさにボクタチは感動しっぱなし。翌日のエタップ5では、そんな湖を右手に見 ながら「大きい湖だねえ」なんて言っていたら、それは湾だったのでした。その向こうに瀬戸内海よりも大きい海?がすがたを見せました。もち生活廃水はゼロ。そのラリーでは湖に近づくでもなく南下して湖から遠ざかりました。この国境を一部またぐ湖とその西に広がる湖沼群が世界遺産に登録されたと聞くのは、その随分あとのことでした。
モンゴルの首都移転計画を聞いたときに、ボクはウブス湖畔が良い!と提案したほどです。世界一クリーンなキャピタルタウンと、東西を繋ぐハブの役目を持たした巨大空港。世界の貨物ターミナル。中国にもヨーロッパにも同距離?数100キロ四方に広がる大平原と豊富な水。発電に必要な風はたっぷりと吹いている。
来年はたっぷりとこの世界の秘境中の秘境を旅してみよーかと思っている。それにしても果てしないなあ、って感じ。
きょうの一枚
そういえば、97年はTFMと共同でラリーのビデオを作った。今見ても懐かしいし、だいいち若い。それもそうだ10年前だもの。

2006/10/18 (水曜日)

暑い日が続きます。昨日までのスーツを脱いで今日から夏物のスーツに戻りました。おまけに事務所にはエアコンが「冷房」もーど・・・笑い事じゃない地球温暖化なのでしょうか?と思っていたら昨年度の温暖化効果ガスの排出量が発表されました。
「05年国内温室効果ガス排出量、速報値で13.64億トン=環境省」
これはもう京都議定書は批准してない!というのと同じくらいのことです。そんなの批准できない!と早々に離脱を決め込んだアメリカのほうがエライ!!と言ったら言いすぎ?!この記事を続けて読みますと・・・2005年度に国内で排出された温室効果ガスの総量が二酸化炭素(CO2)換算で13億6400万トン(速報値)だった、と発表した。前年度に比べて0.6%増加、京都議定書が基準とする1990年と比較しても8.1%上回った。・・・のです。
「気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書」いわゆる京都議定書で定められた地球温暖化効果ガスの日本の削減目標はと言うと1990年度の二酸化炭素排出量から6%削減!しなくてはいけないのです。その1990年度の排出量は12億6000万トン!そこから6%マイナスが目標ですからそれを6%減らすと11億8000万トン!まあ言うは易しの典型のような・・・で排出権売買みたいなビジネスが台頭するわけです。ボクは二酸化炭素吸収量が2倍のマングローブの森を育てて、排出権ビジネスに参入しよっかな?
でもまあさまざまにダウンサイジングしなきゃいかんという事です。
きょうの一枚
ガントルガの後姿。10年目にして初のリタイア!!王座奪還に既に今から本気モード!?

2006/10/17 (火曜日)

今年で10回目となるラフェスタ・ミッレミリアが今日ゴールする。14日の朝「間に合いますから見ていきませんか?」と誘われていたのですが、飛行機の時間を動かせなくて残念ながら、明治神宮の南門11時のスタートには行けなかったのでした。でもプレスリリースキットを貰った。重くて宅急便で送ろうかと思ったほど。で、中身はなんとほとんどがスポンサーのカタログばっか。肝心のプレス関係は5枚程度だ。エントリーリストの中にジャッキー・イクスの名前があったのに少し驚かされました。
「えっ、ファラオって何日がゴールだっけ?」
「あんたみたいに後始末なんてせんでも良いんじゃないの・・」
「・・・」
とにかくタフな人であることには間違いない。(出走したかどうかは確認してないけど)この日本版のミッレミリアというイベントは実は非常に興味があって、参加してみたいと言うのもあるのですが、四国を2輪で同様なジロ・デ・シコク・・・なんてのが出来ないか研究中なのです。文化の日あたりの数日間、439や197、192・・・ってたって国道のナンバーだけど。これを走りきるというの、面白いかな。
さて2007のBTOU・・・スポンサー獲得活動や新しい試みへの胎動が始まりました。例年になく早い動きに、リアクションも出てきました。もう少しすると本格的に決定事項から順に発表!していきますのでオタノシミニ!!
きょうの一枚
ラフェスタ・ミッレミリアのプレスリリースキット!!

2006/10/16 (月曜日)

SSER 2DAYS急接近中!!ボクときたら先週出張の際に「ちょっと行って見ようよ」と誘われた六本木のアイスバーで・・・どうも風邪をひいたみたい。でだらしない週末を送ってしまいました。「なんでアイスバーなん?」という疑問はともかく「冬はやっていけるの?」「大丈夫です。でも今年の春オープンしたばかりですから?」と店員さん。お店の人も1時間交代ですって。外に出たらメガネ曇って困ってしまいました。
さて、いよいよBTOU2007が発表されることとなりました。詳細はまだ少し先ですが、さまざまに劇的に変わるかと思います。なぜなら・・・今年で10回の大会を終わり、ひとまずの目標には到達したので、次のステージへ!と思っているからです。
初期のころの非常にハードなラリー。中期のころのように地理的模索の時代のラリー。そしてここのところの政治的な挑戦のラリー!!これからは、中国奥地を通っていくラリーの創出を近い将来に目指して、これまでのさまざまな要素を満たした世界で最も美しい草原と砂漠アジアのクロスカントリーラリーを目指すことと致します。
中国スタートはしかし本格的に北京に「SSER-BEIJING」を設立してからの取り組みとしましょう!ということになり、この部分では環境技術などさまざまな多方面におよぶ企業の協賛などを求めていくことになります。
今回の2007の主たる目標はウブス。西の果て。地理的には北京よりモスクワのほうが近いのでは?近年世界自然遺産に登録された湖とその西に広がる希少な湖沼群。湖の一部はロシア、近くにはバイコヌール宇宙基地もある(はず)むかしこの国境地帯を通った時には、数台のクルマで移動したのだが、無線にはノイズが多く、そのうち通話が出来なくなった記憶がある。東西冷戦後間もないころでした。まあいずれにせよこの辺りも秘境中の秘境です。また氷河を抱く山もあって、今回はその麓の道を行くことにしたいと思っています。続きはまた。
きょうの一枚
秋深まる久万高原町で見つけた、ひと足もふた足も早い桜の姿。また春に咲くらしい。すばらしい生命力です。2006年10月15日撮影

2006/10/13 (金曜日)

先日OVでお伝えしました新企画、初めての方に新企画「初体験の招待券!・・・SSER 2DAYS-エキスペリエンス・ラン」いつか競技に出たい!という者たちでもいい。3ステージの朝、ラリーのスタートしたあとをガイドと共にツーリング。ルートはもちオンコース。コースマークで走行!SSも走っちゃう。詳しくはコチラをご覧ください

2006/10/11 (水曜日)

やっぱりボクは水曜日だと思う。なにがって、この水曜日を充実させないことには1週間が「アッ!」という間に過ぎてしまうことを発見した。水曜日は1週間で最も大切にしたい日!だ。
で、話は突然変わるのだが、国際社会はどこへ向かうのか?というお話。たとえば中国とインドが日本並みのモータリゼーションを迎えるには地球が4個いる!という話は以前書いた。同じく世界が保有する核は、地球を何度も絶滅させるほど。環境問題と核の問題・・・どこか根っこでは同じかも。北朝鮮が「核実験」だったかどうかそれほど大きな問題ではなく(いや、ごめんなさい)なんちゃって核実験(ウソのね)であっても、抑止力でしか使えない核なら「持っている」という宣言するだけで良いんじゃないか。持っているふりをしておけば良いのだ。実はここだけの話だが、僕はカクを持ってないけど・・・高知の池○さんは持っていてBTOUのあと、爆発させて長く入院したらしい。この核も結構ヘンなことをするときの抑止力になるかもしれない。
まあ、いずれにせよ議論騒然。東アジア核のドミノ?なんて話で俄然日本や台湾も保有に走るのではないか?とウワサされているのだと言う。
日本はプルトニウムが大量に溜まっていて、六ヶ所村再処理工場からフランスまで持っていって何トンかたまりに溜まっているはず。そいつを愛媛では伊方原発で燃やすのだ。MOX燃料、プルサーマルという。まあこれはこれで大騒ぎ。でもある意味日本ほど技術的に簡単に転用出来る国もそうはないので、持たない国と持っている国の中間的に見えるかもしれない。H2ロケットなんてスーパーロングディスタンスミサイル!もあるし・・・でも液体燃料なんで、この前まであった個体燃料のμ-5なんて最適で・・・ってボクはなにを言っているのだろう?まあボクも含めて、人類とは、どーしてこうも非常識で哀れな存在なのかな。
ラリーの話も忘れてはイカン。ファラオラリーも終わり、北アフリカも少しずつ秋の気配が?桐島ローランドさんの完走の報を嬉しく受け取りました。かなり早いステップで、彼はダカールにでることに。なんだかクロスカントリーラリーが盛り上がりつつあるように思います。
僕たちも継続開催に強い意欲を見せて、準備に取り掛かっているところです。それにしてもこちらはこちらで厳しい東アジア!西サハラや湾岸とはまた一味違った難局が待ち受けているねえ。
きょうの一枚
本日お越しのモト○ークス外車クラブ?のご一行様・・・トラ、ドカ。R80という組み合わせ。日帰り水曜ツーリングの帰路・・・日曜日に休めない人と走るための企画で年に1回?やるそうです。

2006/10/10 (火曜日)

すいません!更新をサボっていました。金曜日は目の回るような忙しさで、3連休もそのまま仕事に突入!!でもHP2の17インチのホイールが届いていると言うので、「どーせ林道なんか行く暇ないし!誰も誘ってくれんし」と、打ち合わせお出かけエクスプレスにと、ちょこっと組んでみたら、これがすこぶる!!でした。コンチネンタルのロードアタック?とかって勇ましいタイヤが着いていて「ウーンむかしのファントムみたいだ」と言っても誰もわかってくれない。それにしても最近のタイヤはスバラシイの一言。途中で止まってフロントのダンピングを少し固めに直し、リアのエアサスに空気入れ足して、久しぶりに気持ちの良い街中ライディングを楽しんだりしている!交差点なんかもやけに面白い。E46M3くらい面白い!?
SSER 2DAYSにはユニークな話題がぽつぽつと・・・もうすぐ発表することになると思いますが、オタノシミニ。日曜日はラリーの最後尾からツーリングをする「エキスペリエンス・ラン」を企画中!これは、いったいどんなコースを走るのか?コースマークを見ながらガイド役と共に走行。後ろからはコースマーク撤収のカミオンバレイ?がやってくる。ひょっとしたらリタイアして救援を待っているライダーに会えるかも・・・それはたとえば誰か?ってお話はなしね。
それにSSERではポットキャスティングを始めるという模様。ポット・・・って?な人もいるでしょうけど、新しいことに貪欲なあの気分が帰って来たなあ、って感じがします。
きょうの一枚
間抜けなくらいフロントタイヤが小さい。どーせならフェンダーもモタード用をセットで出すべきだ!でもロードバイクが欲しくなくなってちょうどいいや。

2006/10/05 (木曜日)

クロスカントリーラリー・・・なんとも心を揺さぶられる言葉です。ラリーレイドという表現は妙にハードなイメージなのですが、クロスカントリーとなったとたんに、なにかたおやかな丘陵地帯をイメージするのはボクだけ?でしょうか。んで北海道4デイズのネーミングは「CROSS COUNTRY HOKKAIDO 4DAYS」にしようと関係先に打診中!日程も間もなく決まりそうです。夏の「北の島」のたっぷり感!TDN-NEよりも濃密な北海道。詳細の決定は間もなく!です。あーあ、早く行きたい。
9月末に答えを出すと言い放っていた2007年のモンゴルも開催に向けた調整に入りました。隔年開催のほうが参加者数の確保には効果的だという意見と北海道との両立開催は?という疑問の声も、ないわけではありません。
しかし、なんというか呼ぶ声があるのです。なんかこう天の声みたいな、というと笑止でしょうが。まあ、自身の限界への挑戦みたいになってしまいますが、2007年はTBI、北海道、BTOU・・・クロスカントリー三昧の年になりそうです。どうぞよろしくお付き合い下さい。
現在ファラオラリー開催中!!またこのタイミングでミツビシやVWが2007ダカールの体制を発表しています。ミツビシのニュウウエポンは2台、アルファンとペテランセルにゆだねられます。増岡とロマは現行のパジェロエボ。VWレーストゥアレグはバタネン、サインツらが。
きょうの一枚
X-1トラックと呼ばれるカマズ・・・参加者のダッフルバッグを運ぶビバークエクスプレス!「次はこれを飛行機にしたら?」と提案しました。でも空港がないところはどうするのか?という問題が残ります。

2006/10/04 (水曜日)

そういえば9月末に世界で4人目の宇宙旅行者?がカザフスタンの草原に還ってきたというニュース。女性ね。本当はライブドアの元役員が行く予定でしたが、健康診断でひっかかったらしいですね。で、いったいこの商業宇宙旅行の正体とはいったい?これは実は国際宇宙ステーション!世界の数カ国が協力して2010年に完成予定の・・・むかしは2006年完成予定!と言っていたのに。なのですが、宇宙ステーションに滞在するクルーとソユーズの交換に行かなくてはならないのです。緊急帰還用にステーションには常時往復用宇宙船ソユーズを繋留?(とは言わんだろ)しておくのですが、このマシンの宇宙での賞味期限(正式には軌道上運用寿命)が200日。つまり新しいソユーズに乗ってステーション長期滞在滞在クルーと交代して、180日あまり滞在していた2人と有償の旅行者が古いソユーズで帰ってくるというもの。
つまり国際的なミッションに、ひとつだけ席を民間に空けているという不思議なもの。かなり無理があるのではないか?と。そしてその旅行者は宇宙ステーションに1週間あまり滞在して帰還!!というわけなのですが、その間は何をするのでしょう?400kmの上空から飽くことなく地球を眺め続けていたのでしようか。でもやっぱ、仕事を持って出かけないと面白くないのでは?とボクは思います。90分間で地球を1周するわけですから1日16周!9日間の滞在だったので144周!!時間の概念はどのようになったのでしょうか?てなことを考えていると「そーだ!試走の冒険の旅にも、一般の有償での参加枠を作ったらどーだろか?」なんて。
きょうの一枚
10年も前の試走風景。ここはモンゴルの最西部。カザフスタン!にほど近いところ。言葉もカザフ語で住んでる人もカザフ族。国境はどういう意味を持つのでしょうかねえ?高知との県境に棲んでる愛媛県人は、言葉は伊予弁なんだけどね。

2006/10/03 (火曜日)

いよいよ10月。下期のスタート!衣替えも終わってみんな秋冬の服装に・・・と思いきやまだ半袖。日中はまだまだ8月のウランバートルより暖かい!ウランバートルは・・・そういえば情報局はどーなったのだろーか?このHPも新執筆陣を迎えて、衣替えをしようかなあ?と思っている下期のスタートなきょうこのごろ・・・・・。
最近のボクの地理的な興味は、モンゴルとロシア国境にまたがる、西の果ての湖ウブス湖。近年世界遺産に登録されたこともあって、一度だけラリーで最接近したあの時に、もっとしっかりと探検しておけば良かったと思うこと仕切りです。それにしても遥か遠くて氷河を頂く高山と砂漠に囲まれた不思議な自然環境を作り上げているから驚きです。モンゴル最大の湖ウブス湖のお話の続きはまた今度。
きのう10月2日月曜日の日経新聞は、各社の全面広告で埋め尽くされていました。新聞の使命とはなにか?と考えさせられるほどにです。それほど多くの企業が経営統合をしたり、新しい展開を立ち上げるこの下期のスタートとなった!のであります。時、おりしも新内閣が発足し「美しい日本」を標榜し船出したときであります。賛否や野党の批判は当然あるでしょう、抽象的かもしれません。さらに肩を持つつもりなどありませんが「美しい日本」良いではないですか?!審美眼や美意識は、相当にまちまちでしょうが、それでも美しさに対する一定のアイデンティティは醸成されつつあるのではないか?と思います。
2007年、多くの団塊の世代がリタイアします。そのシルバーマーケット?を目指して各企業もあの手この手だそうです。しかしなにか違和感を感じるのはボクだけではないでしょう?リタイアした連中が、みんな豪華客船クルーズに出かけたり、温泉旅行三昧とか・・全くありえないと思うのですがいかがか。彼らはおそらく安倍さんの言うところの「再チャレンジ」いや初めてのチャレンジかもしれませんが、チャレンジするはずです。知識と経験と、比較的安い固定費、子育てや住宅ローンなどの重たい家計の負担のない彼らこそは、日本の新しい起業家達たりえるのではないかと思っています。
われわれもチャレンジをしなければなりますまいて。

きょうの一枚
ボクのオフィスの部屋にかかる超特大のモンゴル全体図からウブス湖をアップで!!世界自然遺産に登録され、多様な生態系と自然環境はすばらしいものです。

2006/10/02 (月曜日)

「その後、マングローブはどうなったか?」
3月28日のOVの「今日の一枚」と比べてみてください(写真)ひと夏をすくすくと過ごして倍くらいの大きさになりました。このくらいの小さな鉢では、もうこれ以上大きくなるのは限界かなと。トイレの洗面台に放置されていたガジュマルもまるで梅の枝のように自由に大きくなっていてビックリ「やっぱり熱帯の木々は育つ!」と実感を強める今日この頃。となれば、この熱帯化を積極的に使おう!というコトは、自明の理。今度はゴムの木を入手!これは秘密ですが県の試験場にゴムの木を植えてもらいました。天然ゴム・・・タイやインドネシア、ベトナムなどのプランテーションから四国の段々畑にその主生産地は移ることは間違いありません??次はコーヒー豆「最近コロンビア産より四国産のほうが旨いよ!」とかなるはず、きっと。こういうシフトをすること、で福○にあるとあるバイク店の主人は、所有する畑に「まずはマングローブを植える!」そうであります。「温暖化を嘆きつつも愉しむ会」をつくろうかなあ?なんて思ったりしています。
話は変わります。YS-11が退役!しました。戦後日本に航空機の生産をさせなかったアメリカですが、いまでは日本のカーボン技術なくして航空機の生産が出来ないまでになっては来ていますが、いずれにしても世界の航空機市場は、アメリカのボーイングとEUのエアバスと2分化された感はありますが、実はここにきて中小型機の需要見込みが高まってきています。カナダのボンバルディアとブラジルのナンだったっけ?のふたつ。がしかし三菱重工のMJ(70人乗り、90人乗り)の2モデル・・高いカーボンテクノロジーで、もうすぐ初フライト?大量ハブ間輸送から、最終目的地間の中小量輸送で新しい時代を迎えることは間違いありません。だいいち燃費が20%以上も良いらしいですものね。

きょうの一枚
3月28日のマングローブと今日のマングローブとSSER熱帯植物園!まだみんな半そでTシャツ・・・。

 


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2001年 | 01 : 02 : 03 : 04 : 05 : 06 : 07 : 08 : 09 : 10 : 11 : 12
2000年 | 01 : 02 : 03 : 04 : 05 : 06 : 07 : 08 : 09 : 10 : 11 : 12
1999年 | 10 : 11 : 12月
旧Organisation Voiceはこちらからご覧いただけます。

2006/09/29 (金曜日)

9月末になった。2007年のBTOU開催に関しては、9月中に結論を出すと公表している手前もあって悩んでいる。モンゴルやロシアからのオファーや、これまで参加者リストに見なかった名前の国内の方々からのメールも少なくない。2003、2004と2年間休止した時点で、組織も装備も相当にリニューアルが必要となって随分と骨が折れたことも記憶に新しい。政治的なまだまだ解決しなければならない大きな問題もある。そう考えたときには我々は随分と非力ではある、とも思う。

いったい、自分を突き動かすモチベーションはなにか?そのことにも悩む。それは尽きぬチャレンジ精神か?それとも漂泊の思いか?知的なまたは地理的な好奇心か、と。そんな容易には出ない答えにも悩む。とにかく考える、悩む、そこから導き出される答えを求めて。そうすれば、あとは迷うことなく進むのみである。

仕事の関係で、昨年の夏制作されてズッコケタ映画を見た。友人が勤める四国のある大学が舞台の「サマータイムマシンブルース」本広克行監督作品・・・まず見ることのないカテゴリーの映画なのだが、面白かった。そして映画のセットのSF研究会の部室は、そのまま大学内に残っている。いや、でもほんとに面白かったんだ。

DVDのお求めは平井商店街で

Organisation Voice 2006/09

 

2006/09/27 (水曜日)

なぜだかボクは日経産業新聞を取っている。んでもってこの新聞、なかなか充実しつつある。下手な社会面のない新聞は、なかなか宜しい。他の業界のことなど整理された情報が役に立つ。でも実際には、この新聞に書かれた程度の情報は、既にネット上でいくらでも手に入れることが出来る。しかしその大量にある情報を必要に応じて収集し、取捨選択することが「編集」なのだとも言える。取材はほとんどネット上で事足りるのではなかろうかとさえ思ってしまう。この数年間トレンドセッターだったLEONの編集長がドタバタ劇の末に交代した。ヘンなコピーを世にはびこらせた功罪はともかく、オヤジたちがこんなにも涸れていなかったのか・・・・・と驚く。
むかし書いたけど早朝のTV番組が盛り上がっています。一昔前はCMも入れ歯接着剤とか?高齢者向けのものばかりが少し・・・だったのに、今では結構オシャレなものがたんまり・・・早朝番組といえば「明るい農村」だったのだが、早起きオヤジたちのおかげで、ワイドショウも変わったね。という事を知っている僕も早起き?!かもしれません。
まあ情報は取捨選択して、また疑ってかからないとね。
きょうの一枚
夜霧に包まれたSSER2DAYSのパルクフェルメ、ナトリウムのオレンジ色の明かりがナイトランをメインステージとしたSSERの郷愁を感じさせます。

2006/09/26 (火曜日)

秋ですねえ。秋たけなわ。街は秋祭りの飾り付けが始まり、もう気もそぞろのお祭り好きは、はっぴ姿で歩いています。朝夕はめっきりと涼しくなって・・・で話は変わりますが、なっちゃいましたねえ官房長官に塩崎さん。古いSSERの参加者の皆さんは覚えていますでしょうか?SSERスタート前のふるさと村で、ごあいさつを頂いたりバイクにまたがってふざけていた、当時の大会名誉会長は塩崎さんの父君でした。あの当時、困難な許可関係を強力に推し進めていただいたものでした。これからの困難な局面に、官房長官にはぜひとも頑張ってほしいものだと思います。
さて、そんなことよりSSER 2DAYSの日々が始まりました。今年もやるですよ!!もう。
きょうの一枚
SSER2DAYSより・・・朝のスタート風景。緊張感が伝わってきますね。今年は少しばかり寒いかもです。

2006/09/25 (月曜日)

おまたせ!SSER2DAYS・・・間もなく詳細がこちらのHPからご覧いただけるようになります。たぶん今日か明日・・・少し寒いシーズンになってしまいましたが、相変わらず久万高原のダート三昧は愉しいこと請け合いです。前夜は「モンゴルの夕べ」なんか特別のサイトも出来て動画が見られるんですね。しかも「続きは・・・・」と、いいところでCMの入るテレビ番組のよう。久万高原の寒い夜、もち屋外!鍋とかおでんに焼酎で・・・たっぷりの映像を・・・わいわいとやりましょう。ま、とりあえずはHPでご確認下さい。かおるさん!焼酎!!
で、もうひとつの問題はデイステージなのか?ナイトステージなのか?ということ。答えは、デイ70%ナイト30%くらい。2日目は完全に明るくなってしまうでしょう。ヒストリックは問題なく明るい!!でヒストリックのSSは2本で10km!!そして近年問題の騒音問題をどうするか?特に輸入車の・・・ちょっとアタマ痛いです・・・でも近年になくタノシミタノシミ

2006/09/22 (金曜日)

地元の新聞やテレビで「ひめぎんチーム完走報告会」が報じられました。壇上にはボクのほかはみんな30代、女性は20代・・・新聞を見て?ボクに寄せられるコメントは「髪を染めなさい・・・」「・・・・・」いつまでも若いつもりでしたが、いけません。ところであの安倍さんは染めてるんだろうかね?
さて、これより横浜に向けて出発!!なのですが途中1件の仕事の打ち合わせで、寄り道をしてから行きます。大勢の方が荷物の引き取り?もそうですが懇親会が楽しみの様子・・・なにも出し物を考えてなかった・・・どーしよ。
さて、最近友人らがファンドを立ち上げて、収益金を環境・・・特に温暖化対策や砂漠の緑化に使う!という壮大な・・・利益を上げるための目的を明確にしたもの・・・内容もメンバーも凄い!のであります。が、そんなこんなでふと目にとまったニュース。
『バージングループのリチャード・ブランソン会長は21日、グループのうち航空、鉄道会社の全利益を向こう10年間、地球温暖化防止のための代替燃料開発事業などに投資すると発表した。世界の気候変動、健康、貧困、紛争の問題に取り組むためにクリントン前米大統領が呼びかけた「クリントン・グローバル・イニシアチブ」のニューヨークでの年次総会で打ち上げたもので、投資総額は30億ドル(約3500億円)になるとしている。ブランソン会長は「私たちは美しい地球を親の代から受け継いだ。我々の代で取り返しのつかない環境破壊をしてはならない」と述べた。 利益を度外視した投資なのかどうか尋ねられ、「利益をもたらす投資もあれば、もたらさないものもあるだろう」と述べた。 クリントン氏は「石炭石油エネルギーの寿命は今後35年とも100年とも言われるが、今行動を起こすことが重要だ」と述べ、他企業の追随に期待を寄せた。』アサヒコムより
さすがリチャード・ブランソン、だが世界中の代替燃料開発の投資額はそれぞれ相当なものだろうから、これは彼一流のメディア戦略かとも思うけど、まあ説得力はあります。いや、こうした企業経営のスタイルが新しいトレンドになってきてます。目的が明確なのは宜しい!!うちもそーかも?
きょうの一枚
ヤク・・・はじめてこれを見たテルクンは大きな犬!だと思ったそうな。ヒマラヤやモンゴルの高地で遊牧され時にはキャラバンを組んで・・・ともかくなかなか面白いヤツです。

2006/09/21 (木曜日)

新総裁誕生!ボクの同級生が新総裁に!あっ、いや同級生といっても学校が同じとかじゃなくて、まあ同い年ということですかね。昨日の議員の投票には無効票が1つ、それには「安倍晋太郎」と書かれたそうでありますな。これを、マスコミはさまざまにメッセージと読み取るわけですが、なかなか奥行きがあって宜しい。単純に老議員が書き間違えた!という事にしてしまわないところが面白うございます。
まあいずれにしてもボクは明日から出かけて、北京飯店に行くわけですが、いや横浜へ貨物の引取りにいくのですが、この北京飯店・・・懐かしいような。みなさん!中華街でお目にかかりましょう!・・その前に保税倉庫で・・・。
きょうの一枚
お間違えなく!これは北京市にある北京飯店。そうこの夏のあの・・・で、今回の北京飯店は横浜中華街の入り口だよん。

2006/09/20 (水曜日)

最近書きましたが、どうもこの数年、秋の虫の音に異変が!?と思っていたら今日の地方紙「愛媛新聞」には特集が掲載されていました。どーもうちの事務所の前の山桜の古木を占拠して、人が近くを通っても鳴きやまないのは、ヤッパ外来種?!そー思いつつ夜の街に出てみれば木の種類によるようですが、そいつが鳴いている木は、それは凄い音量!もう風情とか情緒とかじゃあないです。その音たるや騒音。日本の秋も、こうして亜熱帯化してきたおかげで、・・・そうそう庭の生垣にハイビスカスの花が咲いている家を見かけました・・・考え方や暮らし方を熱帯風にかえればいいのか・・・やっぱマングローブの植林計画!などを推進しようかな。
昨晩はひめぎんの完走報告会!1000人収容のホールは超満員!!??立ち見まであわせると1200人以上!の来場者!で熱気ムンムン!!映像もプロジェクターも、これ以上ない!ものを投入!!さらに懇親会!2次会!と松山の夜は更けていったのでありました。遠路お越しいただいた皆様!ありがとうございました。さて、次の仕事!!に取り掛かりましょう。
きょうの一枚
でけました。写真集2006年版・・・ホントはもっと良い紙、良い印刷をしたいのですがお許し下さい。でも昨年よりも楽しさはUP!してますよってオタノシミニ

2006/09/15 (金曜日)

レクサスからLSの内覧会の案内が届いた。その機械・・・素晴らしいプロダクツであることは間違いない。贅を尽くした封筒は、素晴らしいデザインこの上なく良質の紙、特色バッチリの印刷と、掛け放題のコスト。さて、自動車の将来は、明るいのだろうか?ついにその封筒を開けなかった。アウディからもRSだかSだかの案内が届いた。こっちはそそくさと開いて「うーん」とうなっている。アウディは多分(あくまでも多分)ディーゼルで勝負してくるだろうと思う。あの中国はアウディ天国、A8、A6・・・なぜか全部「黒」だけど。間もなくはじまることは火を見るより明らかな、中国国内の環境対応車の販売競争!アウディのディーゼルがスタートダッシュ!をきめるかも?日本勢のハイブリッドは?なんか近年に起きる自動車業界の天下分け目の中国の戦い・・・あまりにも違うソースで闘う!というのが興味深いのですが、ディーゼル大好きなボクも、ここはひとつ日本のお家芸ブシドーじゃなかった、ハイブリッドで勝ってほしいものです。でもアウディ恐るべし・・・ではあります。
で21世紀の最適なシティコミューターは、バイクだって。
古いバイク友達がやってきた。55歳だった。「長くバイクに乗ってないけん、バイク買いたいなあ」「買ってどーするの?」「昔みたいに、ケモノ道に行こうや」ボク「人生のケモノ道?」「おお、それはずっと走っとる」そーいえばけだものみたいな人でした。
「えっ、ボクも?」
「こんな人たちが絶対似合わないのが、レクサスやなあ!?」
「えっ、ボクって結構ソフィスティケイトされてないすか?」
「あると思う?!」
「・・・・・・・」
きょうの一枚
北京の町からリンタク?の姿が随分減ってしまった。92年にはホテルから天安門までリンタクに乗って川のような自転車の流れに乗って!でかけたものです。でもこんなリンタク?が・・・冬でもOKなんでしょうが夏はどーすかね?え、人は運ばないの?お店?キャストホイールが悲しい・・・。

2006/09/14 (木曜日)

「電気自動車みたい・・・」新政権のことを誰かがテレビでそう評していた。こういったたとえ話するのうまい人いますよね。本論そっちのけで洒落や比喩に情熱を燃やす・・・んで、その新政権って安倍政権のことかなあ?、電気自動車つまりクリーンでゼロエミッション時代が待望した・・・のでありますがパワーがない。というたとえ話。そんなさなかバイオエタノールやバイオディーゼルの話が盛んになってきていますね。どこかのベンチャーが立ち上げたら業界が死ぬほど目くじら立てて反対して、潰してしまった?んだったっけ?確かガソリン税に絡む問題で捻りつぶされたんだったというのに・・・で、なおかつ植物起源の燃料なら燃焼して大気中に放出されるCO2は、もともと植物が大気中から取り込んだもので、京都議定書からは免除される?!んだそうで、環境問題とくに温暖化効果ガスは京都議定書が全てなわけではなく。。。ってもうすぐ期限切れるんじゃなかったでしたっけね。
とにかく自転車、スーパーカブ、軽四、ハイブリッド・・・なんて時代。それにしてもスーパーカブねえ(しみじみ)
きょうの一枚
環境問題・・・とはかけ離れたゾーモット。ところがこのあたりは非常に良質な炭鉱脈があって、中国が狙ってる!のであります。鉄道を引く計画まであって、万が一のことになればとんでもないことになるかもです。恐るべし中国!その貪欲な消費を押しとどめる技術と啓蒙を!!そうだ「啓蒙」という言葉・・・続きはまただ。

2006/09/13 (水曜日)

今日も秋雨。でもすっかり気持ちのよいシーズンになってきました。ボクタチの地方では秋祭り=地方祭のお囃子の音が聞こえ始めるのもこのころです。そういえばこの地方祭のころがボクのバイクシーズンだったです。山々の棚田の稲刈りが始まるころ、SSER 2DAYSが行われていました。無尽とも思えた体力で、来る日も来る日も山に出かけていたのは、遠き日の思い出。
そういえば事務所の奥に押し込めてある80G/SとHP-2は、どちらもピカピカ・・・HP-2はまだ400kmくらいしか走ってない!し80G/Sもいまや車検と車検の間に2回乗れば良いほう。実は恥ずかしながらG/Sの走行距離は20年なのに10.000km台・・・どうもスイマセン。いつからこんなにバイクで出かけなくなったのか?いつもいつも旅に出る!とか言って着ないバイクウエアを山のように買って、ツーリング用品なんか痛む暇も無く、寂しい限りです。そんなこんな寂しさを感じるのもまた秋ならでは・・・いやでも弁解をすると、プロシードはバイクの代わりで年におそらく30日も乗らないでしょうが20万キロ!4駆は何を買ってもすぐ20万キロになってしまう・・・で次期戦闘車両の購入計画が上がってきてます。もち小回りの効くピックアップ、もち4駆、ガソリンでMT・・・ツイントリップGPSはもちろん、通信機材やカーナビまでつけてラリールート制作仕様モデル!なんか良いのはありませんか?環境性能も良いヤツが良いです!!ハイブリッドのピックアップとかって良いかもですね。やっぱ秋はTBIのルートセイサクで美しい山道を静かに駆け巡りたいもんです。
きょうの一枚
BTOU2006のナビゲーションテスト・・・ナビゲーションとはまた数学のようなものでもあるわけです。で、ナビとは自分がどこにいるのかを知ることでもあります。自分の位置を知らなければ行く方向もわからないのです。広大な大地でルートブックに頼らないナビ?をしながらルートを作って行ってるのです。写真提供:藤井健司

2006/09/12 (火曜日)

「世界が変わった」といわれる9.11/2001・・・ボクはその「文明の衝突」が書いた世界・・・とここまで書いて自分ちのHP内検索で「文明の衝突」ってググったら・・・書いてる書いてる、いっぱい書いている。サミュエル・ハンチントンの予言を次々と証明する事件が起き続けて・・・21世紀はイデオロギーの衝突ではもう戦争は起きないわけで、文明間の衝突が・・・もうやめよー。全ては変わるのは当然のこと、変わらないものはないのですから。
さてスペシャルなご案内
ひめぎんチームのBTOU完走報告会が、9月19日火曜日午後7時から愛媛県民文化会館サブホールで行われます。ゲストに池町選手と山田さん(ボクのことだ)・・・いかに彼らは闘ったのか?それはラリーの現場だけでなく、スタートラインに立つまでも戦いであったわけです。そんなこんなで、SSER関係の皆様で参加希望の方はご一報下さい。ひめぎんチームの戦いぶりもたっぷりと映像で・・・ってその編集で死にそー!になっているのですが。写真集も入稿(印刷に行きました)19日にご来場の方には記念品セットに入っている!!ので参加はちょっとオトクかもです。遠路やって来ても・・・です。
きょうの一枚
ラクダは不思議な動物だ。姿も可笑しければ表情も宇宙人的だ。被写体としては、この上なく面白い。特に冬毛の時が良いのであるが、なかなか冬に見る機会はすくない。撮影:小澤いずみさん

2006/09/11 (月曜日)

先週はOVをお休みしてしまいました。もちろん病に臥せっていたわけではありません。元気良く東京出張!赤坂の料亭で鱧と松茸に舌鼓を打ち!!(ホントってば)夜の銀座ではバブルの時代を彷彿とし・・・(これもホント)ラリージャパンのマシンのピックアップに関東まで出てきていた池○君とご飯を食べ、某自動車メーカーにプレゼン(ナンノ?)に行き・・・さらに凄い顔ぶれの方々と朝からミーティング!「ビルゲイツ財団との打ち合わせがどーの」とか、「ムーディズの格付けがどーの!」とかってのは、世間話でするもので、仕事で真剣に話してるのは「ボクは初めて!」中国の自動車と環境負荷、ラリー、エコチャレンジ・・・と自分の土俵の上だけで勝負!スルシカナイのも情けなかったり。帰りの飛行機の中では飛んだのも着いたのも知らないほど・・・なのに!帰って来た日も日曜も深夜業。写真集の最終の作業やら番組の制作やら・・・この多忙さはナニ?
でね、(少し暗く・・・)やっぱり思うんですが人には天分。天から与えられた役目というかポジショニングがあるとです。一抱えほどの自分の両の腕に、抱えられるものって、そんなに多くはないとです。
ここまで10回ラリーレイドモンゴル~BTOUをやってきて、大変だったけど充実していたし面白かったです。で、これが天命なのかなあ・・と思うことはしきりです。じゃあそれもホントウに完成域に達しているのか?その使命を果たしているのか?という問いかけには、まだまだ伸び代(しろ)はあるんじゃないかと・・・喧騒と異様なほどに進化を続ける東京に、背筋の寒くなる思いをしながらも、あの夏の日々のことを遠い過去のシーンのようにしか感じられなくなった自分を少し疎みながら、ボクがやるべきことはなんなのか・・・自問自答のこの数日間なのでありました。
きょうの一枚
池町くんとスーパーカブ(尾崎さん撮影)そんな池町クンだって、陽気で能天気なわけじゃありません・・・スーパーカブにまたがって、喜んでいるのですが?彼も先を見つめて自分の可能性に大いなる自信と、その同じ量の不安を感じつつも、ちょこっとふざけていたりします。

2006/09/06 (水曜日)

秋が確実に深まっています。我々の事務所はかなり郊外!なので、虫の音が凄まじい!!の大合唱。ドアが閉まっているのに虫の音は室内まで届きます。「いったい何事か?」と、さまざまな事象を自然界からの何がしかのメッセージ!と感じる傾向の強い僕は、年々大きくなる虫の音にも、異変を嗅ぎ取ろうとするところがあります。
BTOUの映像を編集していて驚いたのは異口同音に聞いた「今年はお花がたくさん咲いてきれいだったよ」というコト。実のところボクは「そーですね???」な状態だったのです。試走のときに咲き乱れていた花々は枯れているのですが、また違う花々が違う土地に咲き乱れている映像がたくさん。ヘリからは良く見えなかったんですが、なるほど納得。「今年のモンゴルはお花畑だったんだ!」と。しかも乾いた南ゴビの大地も妙に緑が多くて、砂漠のイメージが随分変わりました。で、これも自然界からの良いメッセージなら良いのになあ?と思うことしきり。
自然の力は侮れません。留守中のマングローブは元気で生育中。四国にマングローブの森を!というのもあながち夢ではないかもしれませんぞ。
きょうの一枚
お花畑とプリウス・・・環境を語るにはバッチシの一枚はチームACPの西條さんの写真です。

2006/09/04 (月曜日)

なんと事務所ではBTOU写真集と映像の編集がダブルで進んでいる。それはそれはとても大変なことです。ボクはVの編集前素材を数十時間分を見ては船酔い状態・・・写真集も9/20アップ(印刷上がりの)予定ですので、それまでにお申し込みいただいた方には送料無料!でお届け予定。お値段1200円!!申し込みはまもなくこちらのサイトから可能!なようにしておきます。
ところでライブドアのホリエサンの公判が始まりましたが見ましたか?ボクはこんな遅い時間まで事務所にいるんでテレビは見えませんが・・・・・なんか巨悪とか戦後最大級の経済事件とあおった割には、その実は世間や権力機関の悪意?だったのではないのか?という擁護的な意見も当然出てくる展開。あれくらいのことで(スイマセン)ここまでひどいことになるのなら、社会保険庁や巨額の税金を湯水のように無駄に使ってきた官僚とかはどーなん?という感じがします。もちろんボクはどちらも擁護するつもりはありませんが、どちらもツケは国民に回るのですね。
ボクは最近某お役所で叱られましたが「叱る立場にあるのは我々で、あなた達は国民を叱る立場には無い」と、叱っておきました。まあ、ホントに教育のあり方などを真から議論しなければなりませんね。でもって人間はやっぱ品格です。ホリエモンって今日はスーツにネクタイ姿だったそーですが「なぜ?」と思う人は少なくないでしょうね。どっちでもいいけど・・・。
きょうの一枚
今年のBTOUのMVPはX-1カミオン・カマズかもです。参加者より早くビバークに到着する日もあって・・・ヘリで運んでる10kgバッグって・・・と思うことしきり。まさかオンコースで追い越された人・・・いないでしょうね?

2006/09/01 (金曜日)

朝のニュースで、オシム?ジャパンっていうの?サッカーか何かの日本チーム?海外遠征に行くのに、朝発表があってその日のうちに出発!!ってエアチケットとかビザとかはどーするんだろーか?なんて考えていたら「どうもこれってメディア向けのキャンペーンじゃないのかなあ?」なんて思えなくも無いね。一方では高校球児たちは、2学期始まっているのにアメリカを満喫している姿がテレビで大写し・・・というか追っかけ状態。誰の口からも文句が出ないのだね。費用は誰が負担しているのだろうか?
とまあ下衆のかんぐりみたいなことはヤメ!でせっかくの秋晴れ・・・HP2に乗ってお出かけ・・・なんて出来るはずも無 くお仕事。80G/Sも最近整備済みなのだムフフフ・・・さあ、秋晴れの毎日!来て頂戴ね。ボクは旅に出るのでごわす。
さてBTOU2006参加の皆さんならびに関係者の皆さん!次のご案内の連絡がまだのようですが、これまでになく超特急で制作されている写真集が9月20日過ぎには出来上がるよって送り出しします。役員の皆さんとは打ち上げを!?参加者の皆さんとは横浜ナイト?!を、予定しています。いや、これから予定します。オタノシミニ。仕事の速いSSER・・・ジブリー???も早いやんか!?

きょうの一枚
エタップ5の朝、ビバークを出発。ビバークにある砂丘を朝の光を浴びながら飛ぶ。この朝、いくつかのアクシデントがあった。ゾーモットに向かいながら祈った。ホントウに祈るような気持ちで過ごした1日となった。このあとは砂嵐で視界が悪くなってオンコースが飛べなくなった。