2011/02/28 (月曜日)
「試走、また試走。試走を思想する。」
TDRの試走、TBIの試走。GWが終わればモンゴルの試走と続きます。その合間を縫って新しいビバーク候補地の交渉に向かいます。新しいビバークを使うと、まったく新しいルートの概念が誕生します。これはもちろんモンゴルも同じですが、それぞれのイベントによって、その性格は大きく変わります。
変わるというとチョモランマや、今年のレイドトレック・タクラマカン。これらは、どこにでも宿泊施設があるというわけではありません。また、どこででもテントを張って泊っても良い、というわけではありません。
ロシアなどを旅した経験のある方なら、最初に提出した計画書どおりに行かないと、大変な問題が起きるコトを経験するでしょう。ですから決められたホテルに決められた日に泊まり証明書を貰わなければなりませんね。カザフスタンでは、滞在にも届けが必要で警察へ登録に行かなければなりません。
つまり旅の計画は、そのように行くべきものである・・・という不自由な面白く無い考え方ですね。スターリン主義に逆戻りをはじめたロシアを旅するのは、考えものですね。ちょっと飛躍しすぎましたか。
そんな話を書くつもりじゃなかったんですが・・・そうそう試走です。試走とパソコンを打つと「思想」と変換されるでしょ?そのたびにボクは嬉しくなって、なにか試走に哲学的な趣を感じるのであります。
ときにはツァラトゥストラのごとき、となって説き、思索にこもり山に潜む。ああ、なんとも楽しくも不可解な魅力を持つ試走という修験の旅。実はこうしたボクのややこしい精神の往来は、25年にも及ぶ試走の旅で形成して行ったかもしれないと思う時があります。
無機的な地図とGPSの座標。次々と目の前に現れる実風景。そこにいる自分と、数日後にそこに挑む人々への創造力。まるで30日後に発表される入試の受験生のごとくだったり、30日後の授業のために。予習をする教師のようであったりではあります。
その試走の成果物であるコマ地図を頼りに、30日後に闘う人たちは、その約30日前のボクの精神と時空を、越えて交感するのだという不思議な時間の概念とか。ちょっと意味不明になりました。思いを伝えたいすれば、哲学者は文学者で無ければならないというのも、またボクの思うところでもあります。
ささやかな哲学的な興奮と思索を、タクラマカンやモンゴルで。もちそれはTDRにもTBIにも同じように流れているのでありますな。
きょうの一枚
レイドトレック・タクラマカン2011の概要がまとまりました。参加が可能なのはオートバイ、サイドカー、アンド4X4・・・つまりなんでもOK!です。参加費もこれまでよりググッとお安く!!というのは航空機と宿泊費のみは旅行代理店への直接のお申し込みとお支払いになりますので。でも、それを含めても、これまでになく参加しやすい設定!!になりました。SSERが提案するのは、シルクロードの探検行。今回はチョモランマの厳しさはありませんから。なんなりとお問い合わせ下さい。今日の一枚は、そんなレイドトレック・タクラマカンのInformationの表紙!!
2011/02/25 (金曜日)
「じゃあ、今日はモンゴルのことを、チックと話をしようか。」
昨日はなぜTBIというイベント開催したかというお話を書きました。では今日は、なぜモンゴルなのか?というお話。もうあちこちに書きましたので、少し違う角度から検証したいと思います。
「SSER10年の契機に」
SSERは1985年にスタートします。1988年にはパリダカに出場し、それが大きな引き金となってTBIに進みます。TBIとパリダカ、このふたつのバランスを取りながら5年くらい経つと、いくつかの議論が持ち上がりました。やがて組織以来、10年目を迎えようとしていました。
「ダートがどんどん無くなる!」
黒尊林道が舗装された!次は剣山スーパー林道の舗装化の話が上がっている!地元の新聞社がなぜかボクのところに取材に来ました。「困るでしょ?」と。
ボク「いえ、ボクは決して舗装化に反対ではありません。ボクタチはオフロードは好きですが、また一般の方やお年寄りが普通に高山の空気を感じることが出来るのは、道路が舗装されればこそです。」ボクは高校生の頃から愛媛の山を守る会の会員として、石鎚スカイラインの建設反対運動などをしていた過去があります。
ボクタチは、少なくなっても、走ることの許されたエリアを楽しむことで良い、と思うにつけ、その実はもっと広く自由で、美しい大地を疾走してみたいという衝動が目覚め始めていました。それはパリダカのような、それをアジアで、と。
その衝動の発芽は、おそらく92年のパリ-北京でしょうか、酒泉だか武威だかで確信のようなものを得ます。やがて「お前がやらなければならないんだ。」という強迫観念のようなものを感じるに至りました。体よく言えば「天の時」を得たのだと思いました。それをそう思わなければ、第1回大会の開催にこぎつけることすらできなかったでしょう。とにかく障害が多すぎました。
兵法で言えば、あと必要なのは「地の利」「人の輪」で揃います。
以前「継続は力なり」というお話しをこのコラムに書きました。
「念願は人格を決定す。 継続は力なり。真の強さは正しい念願を貫くにある。」と感じました。目標を強く持てば、実現に向けて真剣に取り組みます。問題点にも真摯に向き合うことが出来ます。つまりこの発芽した思いを「念願」に置き換えなければなりませんでした。
なんとなく、出来れば良いなあ。と思う程度のことは、絶対に出来ないことだという実感がありました。またその頃はそうした言葉に支えられました。
何度も言いますが、言葉の力は偉大です。言葉で考え、言葉で励まされ、勇気付けられ、また悲しい思いもその言葉によってもたらされるのだと。
ボクは今年はこうして言葉と共に、人間性を磨く!と決意して、言わなきゃいいのに社内では公言しています。
「うりゃー!」
なんて言っていたら注意してください。
どうもモンゴルの時に、そうした傾向があるかのように聞いています。
ではみなさん、モンゴルで。
2011/02/24 (木曜日)
「TBIについて、お話します。」
なんと1989年スタートというのは、パリダカが1979年スタートなので、10年遅れでスタートしたのがTBIです。実はこの数年前にも開催が企画されていたのは、知る人ぞ知る、というところでしょうか・・・
なぜか借り物のバイクで試走していたボクは、崖からバイクを川に落として「こりゃ大変だわ」と。1988年に初めてパリダカに行ったときに、やっぱ日本のライダーに走る+ビバーク+走る・・・しかも走ることにはナビゲーションの技術の習得などを、と考えて「やっぱりブルーアイランドを開催する!」という思いに、再び至ったのでした。
当時は、携帯電話もコンビニもありません。ガソリンスタンドはオイルショック以降土日休業!!大きな町でこそ順番で営業しているくらいでした。いうなればまあ今のモンゴルのような事情の四国。
ガソリンの供給を何とかしなければ!ということで日本石油に掛け合ったところ、そのままメインスポンサーに!なって頂きさまざまな支援を頂きました。昼食のために、オリジナルのランチパックを詰めあわさなければなりません。これも大変な作業でしたが、モンゴルへ繋がる大きな経験となりました。何よりこの壮大な空間を管理するオフィシャルスタッフをどうするか?そもそも存在しない(ヨーロッパにはある)マップホルダーをどうするのか?ケイタリングをどうするのか?緊急対策をどうするのか?
大変だった!と言っているのではありません。その大きな負荷がボクタチを成長させたと言えます。
TBIは参加者にとって海外に繋がる、か細いけど確実なステップになったと同時に、そこに集ったSSERのメンバーたちに。試練と根性と人間性を磨かせてくれたと思います。その人間性は、いまだ不十分ですが、これからも必死のパッチ(本日のブログ参照)でやっていきます。
そんなことで、どうぞ安心してTBIやTDRへお出かけ下さい。
そしてモンゴルやタクラマカンと言った夢の大地へも道筋を延ばして行こうではありませんか。
2011/02/23 (水曜日)
「デザインの骨格」
NIKKEI DESIGN 3月号が届いたので、ぱらぱらと読んでいると新刊紹介に「デザインの骨格」1680円が・・・ボクはこの著者 山中俊治のブログ「デザインの骨格」を最近のこと見ていたので「ああ、あれが書籍になったのだ。」と思ったものです。
http://lleedd.com/blog/
この山中さんは松山市の出身で、いまは慶応大学の教授をされていますが、日産にも在籍していた時代があってインフイニティQ45のデザインも担当されています。てか、ボクとほぼ同年代。どこかでニアミスをしていたかもしれないくらいです。
とにかく文章も上手いし、とにかく絵がすばらしい。実は漫画家志望だったといいます。日産の面接の際も、なにもポートフォリオを持っていかずに学生時代に書いたマンガのラフを持って行ったら採用された・・・これもブログで読みました。
ぜひブログを見ていただいて、興味があれば本も買って見てください・・・ってボクがなぜ・・・
きょうの一枚
「デザインの骨格」山中俊治 著 A5版280ページ、定価1.680円
2011/02/22 (火曜日)
「モンゴルとタクラマカン」
この2つのイベントのポスターを作ろう!そしてパートナーショップとフューチャーショップに貼りだして頂こう!ということでさっそくラフ作業に入りました。
印象的でメッセージ性の高いポスターを作りたい!
と、常々他者からの依頼にはそう語るボクなのですが。
たとえばこんなふう
ボク 「写真とか使っても、それほど心をつかめる写真なんてありませんし、賞味期限が短いですよ。」
クライアント 「じゃあ、どのようなものを提案してくれるのですか?」
ボク 「なんていうか、グラフィカルでタイポを効かした、もうアヴァンギャルドで、あっというやっつですよ。」
クライアント 「?????」
ボク 「そして、あーがこーで、こーがあーで。」
クライアント 「もう、いいよ。」
なんだか訳のわからないものが作りたいんです、多分。そんな気分。
ところが自分のところのとなると
「あの写真もこの写真も、あの情報もこのコピーも。おおそうだラリープレートも入れよう。そうだあれも、これもだ。」ということになって、初めて知るのですが・・・クライアントの気分と制作者の気分とは、かくも違うものなのか・・・と今になって思うのでありました。
さて、どんなポスターが出来てくるのでしょうかしら・・・おおこわ。
って、これはOVじゃなくて、ブログに書くべきだったかも。
きょうの一枚
F1開幕戦バーレーンGP・・・中止になりました。早く世界に平和と安定が訪れますように。写真はバーレーン国際サーキットの夕景。砂漠と海とくれば、夕陽は美しいのですが。
2011/02/21 (月曜日)
「砂漠の狂信者」
1991年1月。ボクタチは発売されたばかりのトヨタランクル80を2台仕立てて、パリダカに臨んでいた。パリダカは13回大会だったのだが、この年に限っては全ての記述が13eではなく、1991、だったから余計に記憶している。ヨーロッパも混乱していた。東側諸国が雪崩を打って民主化した。東西冷戦の終末期だった。その原動力となったのは国境を越えたBS放送だったと分析された。
ラリーには不穏な噂が流れ始めていた。
フランス国内を縦断してマルセイユの港に着いた。街外れの、いま思えば素敵なホテルに宿を取った。そしてパリダカ名物の地中海のフェリーは、急遽キャンセルされてチャーター機になったのだ。つまり湾岸戦争が会戦の火蓋が切られるという情報だった。地中海の東海域も戦略的なエリアになっていた。
向かう先はリビアの首都トリポリ。そうその時はパリ-トリポリ-ダカール。人間は航空機で、マシンはフェリーで、この頃からTSO(当時)は、極度のリスクコントロールを強いられるようになった、と感じたはずだ。単なる強盗団などへの警戒レベルではないのだ。
それにしてもラリーの経由地がリビアとは驚いた。砂漠の狂信者カダフィ・・・多分これは落合信彦のせいだ。しかし一国を統治するには、狂信的なだけでは難しいのではないだろうか??はるか過去に読んだカダフィが描かれた本の中身は、すっかり忘れてしまったし、また呼んでみようとは思わないのだが・・・
ともかくラリーは湾岸戦争に揺れた。リビアはかつてのイタリアの植民地というか、ローマ帝国の一部だし、ナチスの北アフリカ戦線もこのリビアだ。トリポリのビバークの横には古代ローマ帝国の遺跡が、なんと瓦礫のままで横たわっている。しかも誰かさんはその影で用を足しているし・・・
つまり1991年から20年。何かの符号のように北アフリカで民主化が始まった。もっとも気になるのは、やはりリビアだ。リビアの砂漠は素晴らしかった。阿蘇山のような外輪山を持つ大きな火山が砂漠の中にある。美しいし、魅力的な土地だ。ああいう場所へも簡単に旅が出来る日は来ないものか?
きょうの一枚
カダフィを描いた一冊。さらにもう一枚は、こんなに恐い世界がまだあるのね、って感じ。
2011/02/18 (金曜日)
「こちらも、動き始めた。」
なんと啓蟄のごとく、SSERの2011が動き始めました。昨日からの事務所の慌しさったらありません。
たとえばモンゴル!!朝食のパンにするためには、大量のホームベーカリーが必要ですね。夜を徹してパンを焼き続けるには電力量がそこそこ。ならば他のものをLED化するなどして、電気量をセーブして現行の発電量で・・・でもまあそれもエココンシャスな行為だよね。そしてあの膨大なコードを取り回さなくても良いようにする工夫に・・・
たとえばツールド・ニッポンシリーズ・・・詳しくはコチラ
新しい価値への再挑戦が始まったわけです。
たとえば「タクラマカン大横断」プロモーション用の映像を製作開始!!さまざまな問題を起した旅行業の件。いくつかの旅行代理店と交渉は纏まりつつあります。参加される皆様の役に立つ!を大前提に進めていきます。
FUTURE!2011年度は4刊にして180分に。。。つまり180×3刊=720分、昨年は5刊×90分=450分・・・
大幅UPの予定でしたが「やはり季刊に!」
つまり年間4号に!という要望が多くて!!「よっしゃ!」で合計720分昨年比160%増・・・最近の日本では聞いたことの無いような昨年比!で、無茶苦茶頑張る!ということに。
だからみんな、お願い!TDRとTBIにエントリーしてくれないかなあ?バッチリ動画でFUTURE掲載は確実!!ですものね。
じゃ4月2日にね。
きょうの一枚
あの頃のバイクを時々思い出して、自分の心を揺さぶっては試してみる。
2011/02/17 (木曜日)
トピックス1「ツールド・ニッポン再始動?」
実は、そうなんです。今日は終日SSER2011の運営ミーティング!!その中ではさまざまなことが決まって行きます。
まず表記の「ツールド・ニッポン・シリーズ」の開催です。2011のSSERのクロスカントリーラリーの国内版は、TBI、北海道4デイズ、九州4デイズの3本。総走行距離は14日間=5000kmもあるのです。しかしこの3本を全て参加するのは、さまざまに困難だろう・・・ということで、さまざまな対応が話し合われました。
そこで「ツールド・ニッポン・シリーズ」としてこの3つのイベントを、シリーズ化しようということになりました。
もちろん一つ一つのイベントが独立していて価値があることは間違いありませんが、3つのイベント全てに参加される方に、サポートできる仕組みを検討することになりました。全戦エントリーをされる方に、エントリー費の大幅な減免をしようというものです。
3イベントの順位をポイント化して、シリーズ表彰を、11月末に東京・恵比寿で行われるSSER PRESANTATIONで行います。シリーズチャンピオンには、相応のプライズを用意して、低迷をするモータースポーツの認知度の向上を目指します。
もちろん2つのイベントでポイントを稼げば、シリーズポイントの上位を獲得できるというもの。チャンピオンらには翌年のモンゴルに招待!!(詳細は未定ですが・・・)出来ればその勢いで、他のラリーにも・・・と夢が膨らみますよね。
*シリーズは個人総合のみとしますので、イベントごとに車両が違っても問題ありません。
トピックス2「ツールド・ニッポン・シリーズ3戦に、4×4エキスペリエンス部門発生!!」
昨年の北海道で好評の、4×4エキスペリエンス!!コマ地図を追いながら、所定の通過時間内にCPを通過してゴールを目指すというもの。モンゴルに4輪で初参加される方などを対象に、開催が決定!!もちろんCP通過・不通過などの減点で争われますが、原則としてSSなどの時間測定は行われません。
まずはTBIから!すでに、もうエントリーが届きそうな勢いです。そうは言ってもハードでならすそれぞれの3イベント!完走するのも、かなりの力量が求められるかもですね。
しかし条件は1300cc以下の車両。4×4であることなどです。
楽しい冒険旅行が楽しめるはずです。
詳細は明日更新予定!!
きょうの一枚
敦煌の手前20km。こうした狼煙台あとの土塁は農民の倉庫のように使われていたりするけど、ぼくたちが見たら歴史的文化財だと思うんだけどなあ。だから万里の長城は、もっと西まで・・・カシュガルまで延びていた・・・という意見には賛成なのだ。タクラマカンのベースキャンプはもうすぐのところだ。これは2007年9月。思い出しても素晴らしいエキスペリエンスだった。今年も行きたい。
2011/02/16 (水曜日)
「春が来た。」
最高に気持ちの良い朝です。
「新しいTBI、ビックリするTBI」を合言葉に。厚主君は朝から海へ。ボクは今から山へ山ちゃんと?打ち合わせに行きます。新しいビバーク。新しいSS。とてもラクチンな日。とてもハードな日。新しいエントラントを大勢お迎えして、新時代のTBIがスタートします。でもエントリーはもう少し枠が!?皆さんいそいでプレエントリーをお願いいたします。本エントリー費も、大幅値下げ。コチラ
続いてTDR!遅くなりましたが、ただいまエントリー受付中!!面白そうですよ。桜と、琵琶湖と、信長の野望?との物語。まあミステリーツアーですから。
さらにただいま急ピッチで詰めているのは「タクラマカン大横断」来週にはこのHPでPVをUPします。タクラマカンの縦断ルート、敦煌にベースキャンプを置いてループをします。どなたでも参加できるようにしましたから・・・お気軽にお問い合わせ下さい。3月には中国からスタッフも打ち合わせにやってくるようです。お楽しみに。
そうそうモンゴルからはムッホたちが来週にもやってくる予定、モンゴルのラリールートが決定していますので、その打ち合わせ。
とにかく春ですねえ。全てが動き出しました。問題のあった旅行部分は、いくつかの旅行代理店と契約をすすめていますから、ご安心下さい。
きょうの一枚
ベースをおく敦煌。宿は敦煌山荘。そして夜のバザール、莫高窟などなど
2011/02/15 (火曜日)
「3番じゃ、だめなんですか?」
というタイトルでGDPがどーの、ODA二国間援助がどーの、老子の「足るを知る」がどーの。。とOVを珍しく昨晩のうちに書いてあったのですが、今朝の晴れ晴れとした雪と青空を見ていると、そんな瑣末なことなんかどうでも良いや!という気分になっちゃいました。
それにさっき、仙波君から届いた「あざーす、最新版」を読むとボクに「もう、そんな話ばっかしなくても」と語りかけているようでした。
そもそもボクに天が与えた使命があるのだとすれば、あるのだとすれば、ですが。どーも、政治や経済を云々とすることではないかもしれません。
そのOVを、読み返さずにスカッと削除しちゃいました。でも「今日の一枚」は昨日のうちにセットアップした4枚の写真。キャプションの冒頭部分にボクの昨日の気分が分かって、自分でも可笑しい感じです。
昨晩はミーティングが終わると、「黒森峠へ行く」といって、元全日本ラリードライバーと厚主クンは2人でラリー使用のチョイ古エボリューション(ランサーのね)で、スコップを2個持って、出かけていきました。遭難した時のため、とボクのバレンタインのチョコレートを持って・・・
その、ドライバーもSSERのオフィシャルです・・・が、このところこうしたおじ様たちの「若気」が、あまりにも露骨になって来ています。雪の中をキャンプに行くのも、深夜の雪道を全開で走りに行くのも・・・OJISANたち。
リスクは考えないのかい!?そのリスクヘッジが2本のスコップだったり、テントを溶かしそうな薪ストーブだったりするのかい?!そう考えると、ちょっぴり嬉しくなってSSERもまだ捨てたもんじゃないなあ、とニヤニヤしていました。
でも、ちょっと前なら「ボクも行くう!」と言っていたのに。
自分はどうしたんだろう。とかね。
でも「なにかあったら電話して!」
と4駆で帰っとこー!
とか思う自分もまたそこにいるわけで。
リスクなのか?
ファンなのか?
そうした分水嶺を、今の時代は下げてしまったのかもしれませんね。
「コトなかれ主義」つまり「コンプライアンス」という言葉のマジックによってね。
きょうの一枚
足るを知ると人生は豊かなのでしょうか?かつて成長し隆盛を極めたものは、葬り去れるだけだと思っていた20世紀のパラダイム。再生され復活されていくことがルネサンスならば、今はその時代なの?そんなルネサンスを感じさせる・・・つまりおじさんの心と現代の気分を繋げる、そんな古くて新しいバイクを4つ。
1.Norton commando復活。心穏やかではありません。子供ころの分厚い「オートバイ誌」忘れられません。
2.W800・・・お値段が揺さぶります。なぜオフの世界ではこのようなことが起きないんでしょうか?
3.トライアンフも、言わずもがな。ルネサンス第1号店の赴き。黒がいいすよね。あの時買えなかった切なさが募ります。
4.元グッチじゃなくてモトグッチ。何度も言いますが、こんなオフロードマシンも何とかしてください。
あの時代の憧憬を、現代の方程式で甦らせるのは、良いのか悪いのか、単なるマーケティングの悪魔の技か?
ってなことは、どーでも良いけど、今あるバイクに乗りなさいよ。
2011/02/14 (月曜日)
「Norton Commando 復活」
実はこのオハナシは明日のこのコラムに書くのですが、GDPが世界3位になったというニュースとNorton Commando」は何の関係があるのかについて。
今日は触り部分。ノートンと聞くと今ではインターネットのセキュリティだと思う人はいても、あのイギリスの名車と懐かしむ人も少ないかもしれない。
そもそも、あの頃は日本と英国のオートバイメーカーは、激烈な競争送り返していた。英国を範としていたのに、強欲に英国メーカーを駆逐しようともしていた。いつかはそのしっぺ返しが来るだろうに。
このノートンコマンドは、1969年に発売された、ボクはまだ厚顔じゃなくて紅顔の14歳。授業中に描いた絵のほとんどがノートンコマンド。そのあとはトライアンフやBSAとの合併を繰り返したのだけど、1977年に倒産、姿を消してしまった。
日本がGDPで西ドイツを追い抜いて世界2位になったのが、1970年かな1969年かもしれない。要は大阪万博の頃だ。日本が再び3位に落ちたという報道、そしてノートンの復活。復活といえばMVアグスタやトライアンフなど・・・さまざまなブランドの再生物語があるが、日本のブランドはいまや風前の灯だ。でもって、これからが面白いかもしれない。
明日に続く・・・
きょうの一枚
若い頃のボク。じゃなくて、キアヌ・リーブス。彼も良く手の入ったノートンを数台所有している。ううむ。桐島ローランドも、すごいのを1台持ってたのに最近手放したんだそう。
2011/02/10 (木曜日)
「正しくある、という事について、思うこと。パリダカ篇」
メディアは連日のごと、八百長騒動。見るに耐えられません。てか見ない。ネット上でも議論かまびすしいでしょうから、ボクも参戦!というわけではありませんが。
そもそも「闘いとその結果」について考えてみましょう。てか、告白です。
昔ボクはパリダカ(またパリダカか?)1988年1月12日、ETAP11…アリット-アガデス間、これは舗装で2時間で行けます。ところがオンルートはループ状の500kmを越える砂のステージで難所と前評判の高いステージ。アリットのスタートフラッグの下、明け方にゴールしたボクタチは、その日…ズルをしました。
スタートして、真っ直ぐアガデスに向かったのです。ラリーカーですから2人乗っています。クルマの中で2人は、引き返そう、いや休もう。いやオンコースに行こうと何度ハンドルを切ったか解りません。翌日は休息日でした。その日の午後にさえ、やっぱり戻ろうと何度となく言い争いをしました。その思いが今でも胸を締め付けます。
仲間の1台は、アガデスの休息日の午後に頭から足先まで真っ白になって帰ってきました。プレスカーのカメラマンも「いやあ、エスケープして正解だよ。何台も帰ってこられないよ。」ボクは帰ってこられないうちの1台になっていたほうがいいや・・・そんなふうに思えたのは、ぐっすり寝たあと、乾いたアガデスの空気。懐かしさに胸が締め付けられます。それも、もう23年も前の話です。
そんな過去のお話ですが、そのことがボクのたくさんある?一生の悔い!のうちの一つです。いまもこうしたラリーを開催し続けているのは、ひょっとしたらその自分への贖罪じゃないかと思うこともありますが、それは少し違うでしょうが、でも似てもいます。
モンゴルで、時々ループのエタップに行こうとする、疲れ果てているライダーを制止することがあります、いや毎年のようにあります。そのときボクは、名状しがたい気分になります。「行くな」というのは果たして、彼らのために言っているのだろうか?それを覚悟で来ている彼らに、ボクがそれを言えるのか。そんなに立派な奴なのか、お前は。と。
いや、本当に深刻なトラブルを抱えていて、それを何とかするために、というのなら良く解ります。でも、あの時のボクはただただ、疲れていただけです。はじめて出たパリダカのあまりもの厳しさに、打ちのめされていました。もう1週間もほとんど寝ていないという状態だったのです。しかし、なんとか完走をしたのですが、それは自分の中では完走ではありません。
だからそのことが再びパリダカに戻る、というきっかけになりました。2回目に出るまでのボクの苦悩は言葉にすることは不可能です。
あれから14年後、2002年の大会・・・の時です。ボクタチは前半戦のマシントラブルで、もう勝負がついていましたから、モーリタニアをゆっくりと完走狙いで走っていました。いわば無気力相撲です。思い切ったショートカットをして、大きくルートをはずしました。そんなところで、ミッショントラブルで身動きが取れなくなってしまいました。
「もう、いいや」ボクはそう思いました。
そこへ、なぜか砂の中からフランコ・ピコがやってきて、助けてくれました。
「さあ、行くぞ。」
とフランコ・ピコがボクの気持ちを見透かしたように、背中を叩いてウインクをしました。
「ありがとうピコさん」
って言うと、片言の日本語で
「知ってた?ピコさんだよ。」
ボクは噴出しそうになりましたが、なぜかは解りませんがとてもすがすがしい気分に見舞われて、でもしっかり叱られた様な気がしました。
ピコさんは、ボクタチより後ろにいるわけですから、決して順位争いをしているわけではありません。ぼくたちと同じような立場だったわけです。
バークレイキャピタルズのTVCMじゃないですが、ミケルソンが木の影から出てきて「見ているよ」と、そう、そのあれです。
人生とは、そういうものです。
だから、大相撲のそれもマスコミや他人がどうこう言う問題ではなくて、人間としての自分の弱さに対する自身の中にある大きな問題であり、それが自己であり、人に突き詰められる必要はありません。それこそが人を決めることです。
それをそう思わないのだとしたら、その人はそれだけの人間でしかないわけです。別に探し出して糾弾しなくても、必ず淘汰されます。ほっとけば良いのです。
そんなこんなで、ボクの座右の銘は、沢山ある!と笑われるのですが
「仰ぎて、天に愧じず。」です。あれ以来、インチキは1度もしていません。
闘うことは簡単ですが、「能く闘う」ことが一番難しいのです。能く闘うということは、正しく勝つために努力をすることで、手段を選ぶということではありません。そして今も、ボクは闘っています、正々堂々と。
きょうの一枚
ピコさんのことを考えていたら、テネレが懐かしくて。そんなYAMAHAの最新のPV発見!日本では見ることは無いかもですね。
そしてその中で、砂漠にある廃墟のようなホテルてか、廃墟。そこに泊った者はいくばくかのお金を置いていきます。盗って行く人があるだろうと思うのが当然です。そこに彼は、一夜の宿賃を置いていきます。砂に埋もれた1軒屋ですが、壁に掛けられた芸術品のようなお面、それらが見ているとでも言うのでしょうか?制作者の意図がボクの胸を射すくめます。そこには、人が見ていないところにも公正である!!というスポーツマンシップがオフロードライダーの姿を通して貫かれています。なんか今日のOVと通じる偶然にビックリ、思わず涙が。。。
一瞬覗く白髭白髪のおじいさんは、きっとあなたの空想の人物、たとえばミケルソンか、ボクにとっては、フランコ・ピコかもですね。
正しい闘争心を持たせてくれる、あなたにも大切な人がいるはずです。
2011/02/09 (水曜日)
「やっぱ、なにか違う。」
やっぱ違う、何が違うのか?と聞かれると良くわからないけど、何かが違う、そんな違和感を感じ始めた。
「えっ、遅い?」
みんな、とっくに感じているんだ、そう?
その違和感というのは、全てのシーンで感じる。仕事でも、酒を飲んでいても、まるで世界が違ってしまったSF映画の中にいるような・・・そう感じることが増え続けていき、やがてはアイデンティティを見失いそうになる、つてかもう失っているのかも。ひょっとしたら地球も人類も消滅していて、その直前に購入した「記憶」のようなものの中に生かされているのかもしれない・・・と思うと、確かにそんな映画があったよね。
とまあ、話を日常レベルに戻そう。
ここのところ毎日のように「自動車がどうの!?」って言っているけど、やはり80年代にしても「夢があった」訳ではなく、企業の論理(シェア争いとか売上向上のための拡大戦略)の中にぼくたちが勝手に「夢だとかロマンだとか」って夢を見ていただけなのかもしれない。つまりぼくたちは彼らの巧妙なマーケッティングの、「まいどありぃ!」だったのかもしれない。
と考えると少し寂しいので、やっぱあの頃は「夢があった」と思いたい!!というノスタルジア(浜田麻里、詳しくはコチラ)に耽溺する。
スイマセン、わけがわからなくなってしまって。
じゃあ話を変えよう。
仙波君の「あざーす。仙波です」の今回の主張にボクは物言いをつける。だってBMWのあのスクーター・・・彼ら(BMW)の仕事ではない!!それに中国のあの映像はなんだ。完全に中国の巨大市場への、アプローチのための変身としか思えない!!変身なら良いけど媚だとか、そう見える。
違う、BMWが担わなければならない使命は、そんなものではないんだ!!
と思うボクが実は、古き洗脳者なのかもしれんなあ・・・・・ボクタチのようなユーザーが足を引っ張っているのかもなあ。
そんなこんなで今日の一枚はパリダカに見るモーターサイクルの変遷だ。
確かにモーターサイクルは21世紀のシティコミューターの座を回復すると思う。それも時間の問題としてだけど。その一石を投じたという意味で、価値がなくは無いよ。
しかし、もっと新しい価値が必要だと思う。
それを担うべきがBMWや、もうひとつ(頑張って)言えばHONDAなのだ。まったく新しい価値とはなんだろうか?20世紀の価値観でいくと、便利だとか、早いだとか・・・カッコイイだろうか。しかし新しい価値はきっと違う。
ボクは知ってる。でも、教えないことにしてる。
だってここは仮想現実なのだから。
かなりアブナクナッテ来てるボク。
2011/02/08 (火曜日)
「もう一度、あのころに」
今日はガストンの命日だ、とブログ(コチラ)には書きました。いったいあの時代・・・ボクが言うのは70から80年代は・・・どんなだったんだろう、とたんに懐かしむだけでなく、ジックリと振り返ってみました。
ニュルブルクリンク84時間なんていう耐久レースがあったのを知っていますか。MAZDAのワークスが、ロータリークーペでアルピナ3.0CSLで死闘を演じた・・・ガストンの記録を探していると、そんなところへも行き着きました。ボクの先輩の武智俊憲氏もロータリーのハンドルを握っていました。その激しさは今では想像もつかないでしょう。それが68年のはずですから、ボクタチの熱い日々はどうも、この辺りから始まるのですね。
最近のマーケティング用語でいうコモディティ化やフラット化、つまりモノに対する憧れがなくなった時代。モノが悪いのではなくて。。。高付加価値なんて叫んでいた企業は、単能化の前に立ち尽くしています。いまではBOPマーケティングといって、三角形の底ベースオブピラミッドをマーケットとした戦略が台頭。つまりインドのタタ自動車みたく、最低必要なものだけで価格を落としてという手法、これからは日本にも?
しかし、ぼくたちが求めるのは新しい価値です。付加価値じゃなくて深い価値だと思います。まあたとえばAppleのように、世界を変えるかと思うような価値だと思います。以前の日本はそれがありましたよね。後述するカップヌードルなどがそうです。
その新しい価値はどのように醸成されるのでしょうか。またそれを阻害するものは・・・今の時代は情報が多すぎます、今では価値だと思われた情報とその流通にさえ価値はなくなったようです。モノも情報も供給過多で価値を失って来るのは自明の理。
再び問います。残るのはなにでしょう。もちろん残るものは沢山ありますが、ボクが信じるのは、やっぱあの渇望の皮膚感覚。ひりつくような、あの陽炎立つ砂漠を駆け抜ける姿。
ガストンの1985年の映像を見ていたからかもしれません。(ブログにリンクした)ボクに新しい価値を与えたのは、実は日清のパリダカをモチーフにしたCMでした。もちろんこの商品そのものが、当時新しい価値だった。小さくても「世界を変えた」のですね。
きっと2本目はTSOとの交渉に難儀したのでしょうか、パリダカの意匠ははずされて、なんとなくBajaのイメージに寄せましたね。まあそれでも良かったんです。しかし、それ以外もカップヌードルのCMは、すごい。YOUTUBEでたっぷりと見てください。カップヌードルは、過去の新しい価値を?普遍のものにするための挑戦を続けているように見えます。
そんな企業姿勢を見ていても、てか映像を見たからですが、こうして、今の時代にも無くしていた冒険心や勇気が蘇ってきますよね。
「挑戦なくして、なんの人生か」なんて思っちゃいます。
きょうの一枚
MAZDAの挑戦も70年代80年代がピークだったことがわかります。68年頃にMaratonde la route 84hr.4位なんて記載がありますね。これがニュルかな。翌年にスパ24時間。日本の自動車メーカーは、自分たちのことも忘れかけています。
2011/02/07 (月曜日)
「4×4ブーム再来。ってかマイブームかも。」
SSERのオフィシャルメンバーの耐寒キャンプじゃダカールの映像。やっぱ冒険の旅は楽しい。その夜ボクは砂にまみれてのた打ち回る夢を見た。朝起きたら背中が痛いくらい「あー、よく砂を掘ったなあ。」な感じ。どうもそれは試走で砂丘が登れなくなった非力なオフィシャルカーの苦労を案じさせててる。クルマ、何とかしなきゃなあ。
とまれ、これからSSERのオフィシャルを目指す方は(そんな人はいるのか!)まず必要な3種の神器。1.アマチュア無線の免許、2.4×4、3.テント&シュラフだ。これを用意しはじめてください。もちろん相応の運転技術も。それとキャンプなどの技術と経験も必要ですぞ。そんなことを考えていたら、今日のタイトルの「4×4ブームの再来」もちろん80年代のあのブームのパワーは無いまでも、新しい4×4ブームの予感。
ボクが感じる4×4ブーム再来の予言の根拠について
1.だいたいボクが欲しいなあ・・・と思っていたものは流行る。
2.おじさんたちの乗るクルマがなくなった。
3.レース・トゥアレグがメチャカッコイイ!
4.クリーンディーゼルが、いい感じじゃん。
5.FJクルーザーが安い!!
上記の5つのいい加減な観点から、ここ10年も良く堪えに堪えていただいた4駆ショップの皆さん!お待たせしました!って感じなのです。ついでのバイクブームもまたやって来ます。いや、もうそこまで来ています!!あとは爆発的な!!そのタイミングを待つのみです。
なぜか?だって自転車の大ブーム!でしょ。多くはあのメカニカルな造形美が好きなのですが、それならモーターサイクルには敵いません。さらに100kmの行動範囲は、ちょっと寂しくなります。最近はバイク(自転車ね)をバイク(オートバイね)で追い抜く時、これまでは感じなかった「羨望の視線」を感じるようになったこと無いですか?
「あー、オートバイって、いいかも」彼らは絶対そう思っていますって。
だから次のマシンはピナレロにしようか、モトグッチ(なんでー)にしようか悩みはじめているひとが多くなって来ているはず。さらに国産はともかく、イタリアン・バイクや、その周辺のファッションが本当に素晴らしい!!のであります。
ちなみに4輪もですね、「今、レクサスに乗っているんだけど、BMWにしようかジムニーにしようか迷っているんだよね。」とかって人が、今全国に15万人くらいいると思います。いやそんなにはいないかもだけど、5万人はいますよ。でね「ノーマルだとねえ?」で思考停止になっているわけですよ。
そこでお勧めAPIOのコンプリートジムニー・・・って、なんの宣伝しているわけ!?
いや、これからSSERのオフィシャルで参加したいなあ!?って考えているあなたも、クルマはコンプリートジムニーですよ。あれに無線機つけて、ベッドもあるのですぞ。
きょうの一枚
そのコンプリートジムニーはこちら。アフィリエイトではござらん。その実力はモンゴルの活躍が証明しております。 [URL]
これにしたらー」とメールが届いたのは、もち垂涎の78と76どちらもクリーンではないけど4.6Lのディーゼル。どちらもホイールが素晴らしい。たたずまいが、オフィシャルカー然としています。80年代後半のパリダカールのオフィシャルカーはランクル75でした。オーストラリアにも沢山いますね。
2011/02/04 (金曜日)
「CLEAN DIESEL」
数日前にメルセデスのCDIに乗って以来、あのクリーンディーゼルの乗り味が忘れられない。もっといろいろなクリーンディーゼルに乗ってみたい。特にクロカン4×4.なにがあるのか?これから自動車メーカーは、どのように動くのか?と、いろいろ考え中だ。すくなくとも燃費だけでも、20から30%は向上する。昨日書いた50年で50%の削減なら、1年間で1%ずつ削減すれば良いことだ。大きい車もクリーンディーゼルに。ついでに事務所のライトもLED化する。断熱を良くして、高効率な室内環境を作る。そんな話は本日のブログに書いた。
ボクは1988年のダカール以来、パリ北京やパリルカップを含めると、7度のクロスカントリーラリーに出たことがある。持ち込んだ車は12台かな?全てランクルで、すべてディーゼルだった。モンゴルのオフィシャルカーもディーゼルが大半だ。
いつも「いつかはガソリンで闘いたいなあ」なんて言っていた。もうひとつ言えば「1度で良いから4独でやりたいなあ」って思っていた。でもいまや主戦場はディーゼルになった。
つまり一時はリストリクターの規制が、ディーゼルに有利だったというのはあったけど、それもこうした環境施策の一手だったのかもしれないと思うと、FIAももう少し評価されてもいいかもしれない。
新しい時代のディーゼル!!手に入れてみようかな。
きょうの一枚
新型パジェロ GR 3.2Lコモンレールクリーンディーゼル・・・おっとATしかないか。360万円也。トルクは45kgmを2000回転で獲得するんだね。で重量は2.2t。うーん、これでは売れないような気がするなあ。それにエンブレム大きすぎ!!もっと軽くて、なんちゅうかな、もっと・・・。
2011/02/03 (木曜日)
「環境レギュレーションの続き」
特にラリーモンゴリア創成期(当時ラリーレイドモンゴル)より、環境問題には真剣に取り組んで来ていた。どうもこうした自然環境をフィールドとするスポーツは、環境問題に対して弱いまたは悪いと思われる立場にある。さまざまな取り組みも、ときに単なるエクスキューズだと、自問することもある。
たとえば燃費をテーマに、エコチャレンジ部門の創設もあった。これの運営は我々の実力では厳しかった。ラリーと同じ距離で競うのだから、1日の行程を朝までかかるというのは自明のことだ。それはオフィシャルの消耗を強いた。確かにスーパーカブが完走すれば、どんなに時間がかかってもエコチャレンジという競技ではプリウスをしのぐことが出来たろう。しかし走り続けることは、困難を極めた。省エネルギーを競う裏方は、はるかなエネルギーを消費していた。誰も指摘はしないけど、全く本末転倒な話である。
こうしたことも踏まえて環境レギュレーション作りをしていこうと思う。つまり主催者も参加者も共に考え、同じように規制を受けるべき環境レギュレーションだ。
養老孟司先生のあまたある文献を読むまでもなく、温暖化の原因は石油の消費である。50年後に50%のCO2削減を唱えるのなら、簡単なことだ「年に1%ずつ蛇口を絞れば良い」のである。新興国がどうの?とかはともかく、まず、ぼくたちも考えてやってみようと思う。早くからプリウスに乗られている方は、本当に見事だと言おう。
ラリーモンゴリアでも、ヘリの飛行計画や、全体の行程を考えながら総エネルギー使用量を検討してもいいように思う。また、燃費の問題も各自の問題として捉えようかと思う。今回は無理でも、航続距離をkmだけではなく、燃料量で考えるという方法もある。おのずとタンクを大きくするという考え方から、燃料消費の良いエンジンへの置き換えが進むだろう。ラリーなどこそはそれが必要なのだろうと思う。
急いで取り組めること、時間をかけて取り組むこと、さまざまに考えようと思う。環境問題におけるタイムペナルティも、取り組もうと思う。たとえばそれは「抗議を受け付けない」として、ビバークで自車の5m以内に投棄物があれば、10分のペナルティとか・・・えっ重い?誰かがいたずらをする?まあ、いろんな意見もあるでしょうから弾力的には考えようと思います。
この話の続きはまた。
きょうの一枚
モンゴル、この美しい環境は、今その前に立つボクタチだけのものではありません。しかしまたその地に立つことも、大切なことです。知ることは、それを愛することのはじまりです。
2011/02/01 (火曜日)
「環境レギュレーション」
ラリーモンゴリア2011も、間もなく本格的な準備が始まります。今回は新たに環境レギュレーションを設けようかと思っています。あの美しい大地をいかにローインパクトに使うか?大会の創成期より求められていたもので、常に検討をしていました。
しかし近年増大ずる一方のゴミの問題。いかにこれを低減させ、いかに合理的な処理をするべきか。ばかりか、多くの行為そのものを、どのように環境コンシャスにしてゆくのかを、今年の大きなテーマとして考えを深めていき、かつ行動を起していくかを考えてまいります。
私たちの規模のラリーでも、本当に驚くほどのゴミなど・・・出ます。昔のパリダカでも驚いたものですが、いったいいまのダカールは、どのようにしているのか・・・もう一度しっかりと勉強させていただきたいものです。
イベントというのは確かに非日常です。アジアカップの表彰式にも紙ふぶきが舞い、華やかさは絶頂を迎えるのですが、その影には大掃除が待っています。あらゆる祭りのあと・・・つまり「あとのまつり」ですが、さまざまなものを多くの会場で見てまいりました。一人ひとりが持ち込んだものを持ち帰れば、掃除なんて不要です。
大観客が立ち去った跡のスタジアムは、いったい・・・中にはサポーターたちでゴミを掃除して帰るというケースもあるようですが、それが美談となることにも問題があるようにも思います。
いまだに散らばる道路の空き缶。日本人の品格は、言うほどではないかもしれません。大阪の高速道の高架下を見て、唖然としたのはそう古い話ではありません。ボクたちの田舎でも植え込みに突き刺さる空き缶は、山のようにあります。林道脇には不法投棄されたゴミの山・・・いっぽうで語られる「美しい日本」とか。
さあ、行動を起さなければなりませんね。日本がスラム化しないように。そして多くのイベントが美しい環境の中で営々と続けられるように。
「もっと、美しく」
かつてSSERが掲げたテーマです。今年ももう一度この精神をかみ締めて、身も心も環境も「もっと、美しく」であります。
きょうの一枚
http://www.eic.or.jp/library/gomi/top.html
Organisation Voice 2011/01
2011/01/31 (月曜日)
「時代を読み解くと、やはり大人が悪いかも」
まず大雪被害、さらに新燃岳噴火被害にお見舞いを申し上げます。とくに霧島連山は先の九州4デイズツーリングで、近くを通りました。都城からお手伝いにお越し頂いた皆さまには、本当にありがとうございました。ちょっと変ですが、この場を借りて御礼とお見舞いを申し上げます。被害が最小に終わりますように念じております。
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サッカー日本代表のザッケローニさんは、ボクと同年代だ。日本ではこの世代は団塊の世代の直下、まあ団塊の世代子分世代とでも言うのか。その時代、まあ就職する時もかなりな確率で志望が叶った時代だし、何かと上手く行った。世の中が大きく成長していたからだ。それにすぐ上の世代が広く歩きやすい道路を造ってくれていたからなのだが。それに気づきもせずにボクタチの青春は、まさにいまの中国のように?「ブイブイ言わせていた。」すこし狂気の時代でもあったはずだ。
企業も多額の交際費を使い、若造にも夢を見せてくれた。帰りのタクシーの心配を(今ではタクシー代の心配)していた。まあそれを「勘違い」とも言うんだけど。「あの頃が正しいのではなく、今の時代が正しいのだ。」なんて言葉も聞くけど、あの時代も正しかったなんて思ってはいない。ただ何か構造的には少し違う。
いつの時代も大人は「最近の若い者は・・・」と嘆く。自分の若い頃は、もっとちゃんとしていたと思うのだろうか?
あの監督は、このしばらくは多くのメディアから嵐のような絶賛を得るだろうと思う。その最たるものは、いまの若者から理解されるリーダーシップだ。いつの時代にも、どの組織にも良きリーダーはたくさんいると思う。しかし実力と強い運だけで頂点はつかめない。プラス「なにか」が絶対に必要だ。いまの時代は、日本に足りないその「何か」が求められているのだろう。
多くの国民はスポーツに「なにを見るのだろうか」と考えると、それは「夢」を見るんだろうと思う。力を感じるのだろうと思う。それがその「なにか」をひも解く鍵かもしれない。
さて、ぼくたち大人は若い人のことは嘆いても、あの監督のように抱き合ったか?心を配ったか?信じたか?任せたか?・・・なぜか、ぼくたちが若かった時代は、今にして思えば、そうしてもらっていたような気がする。
きょうの一枚
あまたのブログにこうした記事がかかれるだろうけど、ちょっとトライしてみたので写真もこんな感じ。
2011/01/28 (金曜日)
「ガンバレ!ニッポン」
なんか日本の国債の格付けが下がったとか、首相が「疎い」発言をしたとか・・・もうそんなことはどうでも良いよ。だいいち格付け会社だって、逆にこちらが格付けしたらいい!!そんなことでマスコミも騒ぐことは無い。だいいち、今の日本格付けが下げられたくらいで驚かなきゃいかんほどの経済状況じゃないだろー。
モンゴルに行くと、思うことがある。人口は愛媛県くらいだ。最近は少し増えたけど愛媛県に高知県を足したほどは無い。ウランバートルの人口は、松山市くらいだ。広さもだ。最近は少し増えたけど松山市に高松市を足したほどは無い。まあ、四国のほうが大きいというわけだ。GDPもおそらく四国くらいだろうか。調べるのは簡単だけどまあいいや。
しかし、違う。
ウランバートルには、各国の大使館があり一国連加盟国のキャピタルとしての機能があるし、それはプライドだ。松山の中心街に行くと、だんだん寂れていく姿がそこにある。それでもまだウランバートルよりは、経済的には大きいかもしれない。しかし決定的な何かが違う。それは街を行く人たちの表情だ。
これから日本は経済的には大きく発展しないかもしれないが、それでも良いと思う。ただ「夢」や「希望」が持てる、そんな風にはなってほしいと思う。アジアカップに投影された日本は、「結局上手く行かないよ」という諦めにも似た負け犬根性が「やや、やれるじゃん!」と思わせたことだとすれば、スポーツの功績は大きい。同点に追いつかれた日本経済!もう頑張っても、政治が悪いからどーのこーの、って言う今の日本。
ちょっとガツーンとやろうじゃないですか。
きょうの一枚
郊外から見たウランバートル
2011/01/27 (木曜日)
「タクラマカン横断のこと」
この秋にはタクラマカン横断に行きます。まもなくご案内をしますのでお楽しみに。というのも、刺激を受けたのはやっぱNHKの「WONDER×WONDER」どーしても、冒険の地図は胸に持っていないわけには行きません。特に今回は、取って置きの計画があります。ひとつは、これまで万里の長城の西の果てとされていた嘉峪関。最近の説では、万里の長城はカシュガルまであったのではないかという学説と新聞報道・・・
2005年9月22日に書いた「彼方へ」最終章はこんな内容だった。
「地図上の旅」
ラリーレイドモンゴルという名のラリーは、これで全ての幕を下ろした。悲劇的な終わり方だが、とにかく、終わった。開放感と喪失感が交互に訪れ、心を揺さぶる。何から開放されたのか。何を失ったのか。それをハッキリさせることも必要だった。
サラリーマンの生活を終えて20年。いったいどれほどの距離と時間を、ラリーに捧げたのだろうか。虚しさだけを感じていては立ち直れない。ケジメをつけなければならない。やめると決めたのは自分だが、そのことを決定付けたのは、今回の事故だったかもしれない。しばらくは、モノをいうのも億劫だったし、帰ると忙しい日々が待っていると思うと、めまいさえ覚えた。
帰国便は、ゴビの上空に差し掛かった。窓ガラスに額をつけて、二度と帰らぬゴビのことを思った。遠くに草原が見え始めた。内蒙古だ。やがて中国の領域に入る。赤茶けた大地が見える、黄土高原だ。その下に見えたのは黄河だろうか。膨大な時間をさかのぼって、黄河文明のことを思った。
「そうだ、今度ゆっくり中国を旅しよう。楼蘭だ、楼蘭に行ってみよう。自分で運転していけるかなあ。」
頭の中にある世界地図を広げた。タクラマカン砂漠が広がる。そうだ、あのパリ-北京から今まさに10年だ。なにかが、そこに在るかもしれない。そう思うことで心の均衡を保った。
機内のアナウンスは、日本がすでに秋の気配を纏っていることを告げた。気温は低く、急激に秋の訪れを感じたモンゴルのそれと、さほど変わらないではないか。
成田に降りた。思い疲れを引きずって四国に向かう。
「そうだ、タクラマカンだ。」
事務所に帰るや、デスクの上に貼られたメモを全てゴミ箱に投げ込んで地図を広げた。
万里の長城は、嘉峪関までだ。ここはパリ-北京のビバークだ。9月の下旬で寒かった。そしてその西にタリム盆地、幻の湖といわれたロプノールさえ地図に書かれている。そしてそれらを取り巻く地名。もう眩暈を覚えるばかりだ。「トルファン、ウルムチ、いや待てよ。ウルムチから北に延びている道がある。カザフスタンと中国そしてモンゴルの国境が接する。そこに友誼山というのがあるぞ。4374mだ。山頂近くで3つの国が国境を接している。右に行くとホブドからループを描いた忘れることのないラリールートがある。ああ、行ってみたいものだ。」
こうしてまた地図上の旅がはじまった。 (第76回 終わり)
これは2002年の事故のあと帰国する飛行機の中と、帰りついた松山での僕の感傷というか思いを書きなぐったものだった。こうしてOVとか「彼方へ」とかに書いたものが、実は実現し続けていることに時々驚く。
そしてきょうの一枚は2007年10月12日のOVの写真のキャプションこんな記述が添えられていました。
「これがその有名な?嘉峪関故城です。西の果て万里の長城の尽きるところ。ここから西には魔物くらいしか棲んでいないと思っていたから西遊記は面白いのですねえ。でもまだここから先にも玉門関とか長城の跡らしきものもあるのですがねえ。」
つまり今年のタクラマカン縦断の旅のテーマが見えてきましたね。果たして万里の長城はタクラマカンを越えたのか?というところです。これに関するボクのOVの記述は2010年12月6日付け添付の地図は検討中の敦煌から天山南路、西域南道の行程計画!!
「中国からの便りは、タクラマカンへのお誘い」
中国のSSERのコレスポンダントのひとつ(主にSSERのシルクロードやチベット・チョモランマ辺りを担当している)上海のイベントでRally Mongolia 2011 のプレゼンテーションを行いました!というメールが届きました。彼らは、なんと1992年のパリ北京の時に、まだ若い頃だったのでしょうが、当時の勤務先でコーディネイトをしていたのだそう。じゃあ、ボクとも会っていたかも!?なんて話で盛り上がったのも数年も前!!最近もヨーロッパから北京を目指したヨーロッパの自動車メーカーのイベントをコーディネイトしたり・・・とにかく途方も無く難しい許可を取ることをやってのける人たちです。
そこから「レイド・トレック・タクラマカン2011」のボクのリクエストに応えてルート図が送られてきました。
スタートは何度かお話している通り、甘粛省の嘉峪関です。
実はここが万里の長城の西の果てだと言われてきていたのですが、ボクにはずっと異存がありました。だって敦煌の西にある玉門関など、どうみても長城に繋がるものではないかと・・・その周辺にも峰台のような土塁が多く見受けられます。そうこう考えているうちに数年前に「漢代長城は新疆から黒龍江上流まで」という記事。つまり甘粛省が西の果てではなく新疆まで延びていたのだという学説が発表されたのです。それも21世紀になってのお話。
当時の記事では「新疆にも長城は存在していた。漢代には、長城は玉門関からその西方の塩澤(羅布泊)地区まで続いていた」との見解を明らかにした。「古代に新疆に長城が築かれたのは(中略)漢の武帝が張騫(ちょうけん)を西域に派遣したことにより西へ向うルート=シルクロードが開かれた。シルクロードの開通後、通商団の往来の安全を守るため、新疆に長城が築かれた」と説明している。羅布泊・・・ロプノールのことです。塩澤とは干上がって膨大な塩の海となった今の姿を表しています。
そのほかにもこんな記事が「万里の長城の西端はこれまで考えられていた甘粛省の嘉峪関ではなく、新疆ウイグル自治区のロプノールまで続いていたことが最近の考古学調査で明らかになった。この発見で、長城の長さは500km長くなったことになる。さらに西のカシュガルにまで続いているとの推測もある。」
まあ、なんとも壮大な話で6500kmと言われた長城の総延長は、「中国政府国家文物局と国家測量局の調査(2007-2008)によると明代の長城の総延長は、8851.8kmうち煉瓦などで造った「人工壁」は6259.6kmで、残りはがけなどの天然の地形を利用した壁と発表した。」(2009.4.20 朝日新聞 )
これらを総合すると、ボクの描いたとおりタクラマカンを行く隊商を支えたサライは、もっとたくさんあって繋がっていたのではないか?と考えることが出来るのでありますね。
今回のルートは、
1. 北京から嘉峪関までは航空機で。これは時間を短縮するために。中国国内免許は天津で取得します。約30分くらいの講習で受けられるように特別に計らって・・・
2. 嘉峪関の周辺を探訪します。ここらはマイクロバスで。黄河と長城が交わる辺り。
3. 嘉峪関スタート敦煌へ・・・1日の行程です。天候は100%晴天です。濃いブルーの空。井上靖の小説「敦煌」の世界へ。夜のバザールで食べるシシカバブーも。
4. 敦煌出発して玉門関経由で、善善(ゼンゼン)・・・ここは南にタクラマカンの巨大砂丘群を見るのですが、敦煌からダンダンウイリク、それに繋がる無くしたピストがあるのではないかと・・・睨んでいるのですが。
あー、書き出したらキリが無いので。地図は日本語のものに置き換えて見てください。ボクは昨年の尾上さんに挑戦!でサイドカーで行こー!!と思っていますよ。またTV番組を作りたいけど、いいやFUTUREもあるし。石原さんは何で行く?
すいません古い文書やOVで・・・でもボクの思いを積み重ねてきたプロセスとしてお読みくださった方には感謝・・・でもここまで読む人はいないかもですね。
2011/01/26 (水曜日)
「やっぱ、尖がっていることだね。」
NEWS POST SEVENにこのような記事がありました。
「・・・アメリカのコンサルティング会社インターブランドが発表した世界の企業ブランド価値ランキング(2010年)によると、日本勢はトヨタ11位(2009年8位)、ホンダ20位(同18位)、キヤノン33位(同33位)、ソニー34位(同29位)と、トップクラスの下降傾向が顕著だ。日経BPコンサルティングが中国の北京と上海で行なったブランドイメージ調査でも、日本勢は北京でソニーの54位、上海でキヤノンの34位が最高という結果だった。
アメリカが衰退したといってもトップブランドは少しも衰えていないことを考えると、ブランド価値・ブランドイメージの低下は、日本企業にとって実に由々しき問題である。今から20年ぐらい前の日本企業は、AV機器をはじめとする多くの分野で、世界のどこに行っても強かった。
自動車も同様だ。日本の自動車メーカーは世界最大のアメリカ市場を攻略するため、その特徴を徹底的に研究して新車開発に取り組み、華々しい成果を上げた。日産自動車が1969年にアメリカ向けのスポーツカーとして投入した「フェアレディZ」は、爆発的に売れてポルシェのシェアを大きく奪った。トヨタ自動車がアメリカ市場でメルセデス・ベンツと戦うために1989年から展開した高級車ブランド「レクサス」も、数年でアメリカにおけるベンツ全体の売り上げを抜いた。そうした成功体験があるにもかかわらず、近年は日本企業の多くが海外本部を縮小したり、現地事務所をたたむなど、“本土撤収”“本土防衛”の方向に動いているため、かつてのような国別対応が難しくなっている。しかも経営陣が、コストダウンのために機種を絞り込まねばならない、という“縮み思考”になっている。
その結果、いま何が起きているかといえば、エレクトロニクス製品の場合は、すべての主要国のニーズに対応できるよう本社のエンジニアが多様な機能を一機種に詰め込むあまり、過剰スペックで容易に使いこなせない複雑な製品を量産している。
自動車の場合は、どの国でも売れるように世界の平均値を取ったモデルが増えている。だが、そういう車は1970~80年代にGM(ゼネラルモーターズ)が失敗した「Tカー」「Jカー」のグローバルカー構想(※注)と同じで、実際はどの国にもぴったりとはフィットしていない。
【※注】グローバルカー構想/基本的プラットフォームを共有することで開発費を削減しながら各国の国情に合わせた製品を派生させるという構想。・・・・・」
日本はモノづくり先進国だったけど、ブランドをしっかり生み守れなかったという点では、やはり価値を創造できなかったということでしょう。それにしてもまさかの日本ブランドの失墜。このままでは日本は部品製造業のみのモノづくりになってしまいます。テレビでも、小さな部品の世界シェアがどーのこーに・・・モノづくりの古き良き時代のパラダイムにドップリ。世界のパラダイムは、全く別方向に向かっています。
たとえばアップル。いま彼らが生み出しているのはモノではなくて、新しい価値であり、大仰に言えば新しい世界の現出を目指しているように思えてなりません。
大きな企業である必要はありません。上場企業であるとかベンチャー企業であるとかは、これまた関係ない様な気がします。やるべき尖がった事が、見つかっていて、それを新しい価値として産み出せる力があるか否かが問われているように思います。
きょうの一枚
これはギャグ?そーいや、ちょっと前に関空で手裏剣所持で騒動を起していた大の日本ファンのジョブス。こんなiPod Ninja star・・・が発売されるとかという記事がずっと前にあったので探してみた。あった。多分これを所持していたに違いない・・・そんなことはないか。
2011/01/25 (火曜日)
「欲しいものばかり。ブツヨク回復中のボク」
そーそー、昔から仲間内には必ず1人はモトグッチ乗りがいて、まあルマンIIとかだけど。そいつは決まって「グッチ使い」という風に形容される。いいじゃんグッチって・・・そしてボクも、ふらふらとグッチを手に入れた。いや随分前のことだけどね。マーニ・アルチューロ。野口君にシートを何とかしてもらい、「ああ、懐かしい」という感覚で、こっそり高速道で高知なんかに行ったりすると翌日はひどい肩こり・・・やっぱりこのポジションはおじさんには無理なのか・・・どーしても売って欲しい・・・という人が現れて手放してしまったんだ。
この写真2002年10月10日のOVのヒトコマ・・・今日の一枚から「マーニ・アルチューロとBMW-R80G/S-P/D。この2台が事務所のロビーに停まっているのは初めてのことです。興味のある方はお早めにお越しください?このマーニ・アルチューロは89年製モトグッツイの1000cc Vツインにパラレログラモにオーリンズが奢ってあります。フロントはフォルセラのフォーク、キャブはケイヒンのFCR、当時の主流のモディファイがなされてます。シートは野口君に再成型してもらい、黒のバックスキンに赤糸で縫い上げてもらってます。素晴らしい乗り味が楽しめます。とBMWのフラットツイン。これはパラレバーになる前のモノレバー時代のもの。軽さがウリですが、まもなく博物館行き寸前。こちらは WPが!そういえば GSベーシックがWPを純正装着してリリースされたときには、少なからずショックを受けたものです。この2台もちろんフィールドも違えば、個性は違いますが不思議と共通点も少なくありません。で、このGS、果たしてガストンライエミーティングで走るのか?」
ねっ。なんかちゃんとバイクと対峙してるボク、ようし。と気になってたV7Racer・・・ダメだ、また限定だ。いけない気持ちが抑えきれないけど・・・価格は未発表?だけどV7Cafe Classicはリーズナブルだし・・・でもサイドカー計画もあるし・・・わーーどーしよ!?コーノサン!!
きょうの一枚
ということで今日は2枚。ボクは今日も元気です。
2011/01/24 (月曜日)
「夢は、いっぱいあるよ。」
「北京-パリ2010」のテレビ放送のことはブログに書きました。45分にまとめられたそれは、きっとNHKはBBCからでも買ったのだろう、と思っていました。エンドロールをしっかり眺めてみると、どうも取材チームが同行しているようです。それはさぞ、大変な取材だったろうと思うのと同時に、その費用をかけて45分はないだろうという思いです。もちろん事前取材にイギリスの2人組みの主婦の元を訪ねています。まだ船積みするよりはるか前のタイミングですから、相当な取材の企画。それならばもっと参加車両に着いて、詳しくリポートしたり、ルートの情報とか、もっと伝えなきゃいかん事が沢山あるはずだと思うんです。
でもまあ、ありがたいなと思うのは土曜日の夜8時の総合で、こうしたものが放送されるということです。
モンゴルの走行シーンが多かったのですが、驚いたことにボクは、どのシーンも「おお、あそこだ」とか「スーパーの日本語が違うなあ」とかって、思うほど。2007年の大会は、昨年と同じようにモンゴルの西部から北上しましたが、ロシアで大きく進路を変えていました。2007年は6月でしたからシベリア大平原を抜けていくには好適ダッタデショウ。エカテリンブルグやカザンを抜けて、モスクワ、サンクトペテルブルグとまるでボクタチの2007年の「西安-パリ」と見紛うほどでしたもの。そして10月に開催された2010はカザフスタンを南下し、カスピ海を南回りで抜けていきます。そしてトルコを横断・・・2008年にボクが何とかしたかったけど、なんとも出来なかったルート・・・いや、リスクを顧みなければ良かったかもですが。
こうして地球上には、沢山のロマンが残されているということです。ボクタチの知っている地球なんて、僅かに隅っこの一部分にしか過ぎません。もっと見たいし、もっと知りたい。ボクタチの好奇心は、ますます盛んです。尾上さんのブログには、ついにタクラマカンに行く尾上さんのサイドカーが、登場しています。「やっぱ右かあ・・」とボクの悩みも解消。
きょうの一枚
尾上さんのブログから頂いてきた写真。尾上さんちのガレージに収まるウラルだ。ということは、菅原さんのウラル(2台あるの・・・)は、この秋は空いているのだろうか?ボクは間もなく制作スタートの予定。忙しくて??持っていく暇が無いんだ。
2011/01/21 (金曜日)
「エモーションに舵を切るトヨタデザイン」
事務所に届く書籍は、もうこの1冊になりました。それは日経BP社「NIKKEI DESIGN」2月号の特集は表記の「エモーションに舵を・・・」実は、ボクもここのところ、そう感じていたんです。トヨタデザインが舵を切ったって。章男社長のイニシアティヴが発揮され始めたのだと。
これまでは合理性が高く、エモーショナルな部分を苦手にしていたトヨタ。しかも「j-factor」という、クルマという商品に対しては(しかも多種多様な展開をするフルクラスターのトヨタには)すこしばかり括りきれないデザインフィロソフィーを掲げていたように思います。ちょっと偉そうですいません。
世界で求められるものが「デザイン」になって久しい気がします。車台や部品の共有化の時にも感じた、1卵生双生児化現象の一抹の寂しさ。あのクルマの商品としての「夢」の放棄。さらに設計がコンピューターで行われる今の時代、最適を求めると究極的には同じようなモノになるといわれています。排気量を入力して、価格を入力して、座席数や基本的な方向性(スタイル)を入力すると、どのメーカーも大同小異の絵が出てくるといいます。違うところはエンブレムだけ、だからエンブレムを大きくするのだというのです。
しかし、数値化できない部分は幾つもありませんが、感覚や感情の部分、つまり完成領域。これが価値を決めていくというのもまた事実です。ラショナルなトヨタが、そうであるが上に苦手としてきたのではなく、最適としていた(昔から言い続けられた)大衆迎合主義から、大きく舵を切ったというのが、この時代の戦略でしょう。
2008年には2兆円を越える最高益を出し、世界の王座に君臨したとたん巨額赤字に転落したのは、日本国民にとっても背筋の凍る思いでしたね。その後プリウスの健闘などもあり、緩やかに回復基調の道を歩みつつも、大きな変化の時代に、どのようにこのクルマって商品を再構築していくのか。
大いなるトヨタの挑戦は、一大スペクタクルのように目が離せませんね。サッカー日本代表をあれほど応援する日本国民の皆さん!世界で最も戦っている日本代表トヨタも応援しようではないですかって、自分がランクル70を手に入れたから言っているんではありませんぞ!キッパリ。
きょうの一枚
そんなNIKKEI DESIGN 2月号・・・第2特集デザインを「買う」ことと「売る」こと・・・というのも見逃せません。じゃまた。
あっ、TDR2011、おまたせしました。沢山のお問い合わせ!!Blogも見てね、コチラ
2011/01/20 (木曜日)
「継続は力なり」
大寒ですってね。
「おおさむ」って読んだほうが、寒さも一層!なんですが「ダイカン」て読むと、なんかカッコ良くない?
近くの友人の事務所に遊びに行ったので、ブログ(コチラ)にちょっと書いてみたので見てください。ボクの事務所もそうですが、その友人の事務所は、さらに自然の中に溶け込んでいますね。
さて、今日は菅原さんにみる「継続は力なり」について考えました。ただただ続けることは力をつけることだとか、力があることを証明するためには続けなければならないとか、微妙に解釈は出来ますが。
「いやー、継続は力なり。ですなあ。」
とかって言われて
「どういう意味ですか?」
とは聞けないし。
この慣用句、いったい真の意味はなんでしょうか?そして出典はいずこや?孔子や孫子ではない様な気がしますよね。
ボクは徳島池田高校の故蔦監督の言葉だとばかり思っていましたが「???」
ちょっと他人のブログから拝借してきましたので、正誤のほどはお許し下さい。
それによると
「大正から昭和初期に広島で活動した住岡夜晃(すみおかやこう)と言う宗教家の詩から生まれたようです。広島の山村で生まれ、小学校教員を9年間勤めた後、職をなげうって親鸞の教えを説くことにその54年の生涯を捧げたそうです。
彼のその詩とは、「讃嘆の詩(さんだんのうた)」で、その上巻第一章の「若人よ一道にあれ」の中の、終盤七項目の二番目に詠っている次の詩にあります。
青年よ強くなれ。
牛のごとく、象のごとく、強くなれ。 真に強いとは、一道を生きぬくことである。
性格の弱さ悲しむなかれ。 性格の強さ必ずしも誇るに足らず。
「念願は人格を決定す。 継続は力なり。」
真の強さは正しい念願を貫くにある。
怒って腕力をふるうがごときは弱者の至れるものである。
悪友の誘惑によって堕落するがごときは弱者の標本である。
青年よ強くなれ。 大きくなれ。
以上」
素晴らしい言葉と、その溢れるばかり言葉の力。「真に強いとは一道を生き抜くことである。」
と、そこに菅原さんに通じる「継続は力なり」の本質が掲げられている様な気がします。紆余曲折はあったでしょうが、いやあるべきだし、なければおかしいのですが日野自動車の20年にわたるパリダカへの継続参戦と、これを区切りとせずにさらに継続し、日本の自動車メーカーの体質に問いかけるほどの、一道を貫くという姿勢を示していただくことを、心から念じております。
悪友の誘惑というのは、想像がつきますよね。日本の自動車メーカーが夢をなくした最大の原因は良い奴ぶった悪友の誘惑にあるのではないでしょうかね。
きょうの一枚
ラリーモンゴリア、スタート前の余裕の菅原さん、自らが丹念に作り上げたラリー・ジムニーです。赤いTシャツにグリーンのTAKATAのシートベルト。なかなか素晴らしいです。カミオンとジムニー、その双極にあるものですが貫かれてる精神は同じかもですね。
2011/01/19 (水曜日)
「試走ツールを進化させる計画」
そもそも25年の長きに渡り「試走=コマ地図書き」をしているのですが、使っているツールは、この4半世紀ほとんど変化無しです。まあ初期のころにGPSが誕生して、モンゴルは第1回大会の試走ですから1994年より、もちGPSは使用しているのですが・・・
最近の試走の悩み、それはデジタルデバイスを使えばどーにでもなるのでしょうが、ボクは実にこれらに懐疑的。とくにモンゴルの奥地でのトラブルは・・・
そのためマップツインも、多い時は2連装+スペア×2台以上の試走用計測車両!という念の入れよう。さらにGPSのデータロガーもマウントして走行していますが。機械的なツイントリップで、ふっと気がついたら止まっていたりします。さらにはカウンターの動きが遅くなっていて、1kmを走っても500mくらいしかカウントしてない!なんてことも。どこから狂い始めたのかが分からなくて・・・全て走り直さなきゃなんてことも、過去には何度も。そうしていると、前を見ているよりもツイントリップ(またはマップツイン)のカウンターを、いつも見ている自分が・・・時には「60km/hキープで走って」と言って、1分間にちゃんと1km走っているのか?常にチェックする癖がついてしまっています。
それでも沢山のコマ地図の中には、帰国して清書する時に「???」というものがあります。こんな時には2号車のコマ地図を頼るわけです。書き上げたコマ地図を2台の車のコマ地図と見比べて、距離や図を突き詰めていく作業をするのですが・・・これがSSERのコマ地図の精度の高さを誇っているのですが・・・まれに、距離やCAPなど数字が全く違う。または図の左右の方角が全く違う・・・などの場合があります。いやほんとうにあるんです。これを解決するには、ひとつのコマのために数日を費やすことや、最悪は現地の確認(まあこれはTBI程度です)に行くことも。最近ではいかんと思いながらも、グーグルアースで解決したことも。そんなことでグーグルアースとはプロユース契約で、年間使用料を払っているんです。
これに対応するために、GPSポイントのデータと、ツイントリップのデータを取り込んで前方の風景を撮影するデジタルカメラを探そう!というプロジェクト。イギリスのBrantzというトリップカウンターには、ビデオに取り込める端子が付いたものがあったりします。もう少し研究をして見ますが、どなたか良いアイデアがあれば教えてください。
でもコマ地図の図は手書きのままで行きますよ。
きょうの一枚
これはサーブマスター。基本的には道路の保守点検用の記録のために開発されたのかな?下のほうは、まるでマップツインだね。SSERではもう少しこれらの研究をして、商品化?を計画しようかという声も。
2011/01/18 (火曜日)
「やっぱ、夢を語らなきゃ。」
菅原さんたちの活躍は、多くの国民にどのように映るのでしょう?自動車メーカーの方には?政治家たちには?確かにメディアが弱いので、どこまでの方々にその姿が到達しているかは、はなはだ疑問ですが。明るいニュースの少ない日本で、こうした記事にもっと一般紙も地上波も、スペースを割いて欲しいものです。
ところでメディアの批判ばかりもあれなので、少しは持ち上げるとします。ここのところ「どうすれば日本を元気にさせれるか?」そういう意思で企画している番組も増えています。まあ悪い意味ではなく危機感が透けて見えますよね。いやいやメディアも、なかなか考えています、いや立派です。メディアの人間も消費者であり一国民でもあるわけですから。
ところで元気な日本を取り戻す企画も多くは「儲けの仕組み」ではありませんか。
もちろん「儲け」は必要なものでしょう。でも「何を儲けるか?」もまた必要です。
アップルの営業利益率は28.9%と発表されて、でもジョブスは病気休養!!「夏には帰って来る」と宣言しましたが、心配ですね。彼もまた大きな何かを得て、大きな何かを失っていることが分かります。アップルがこの調子なら・・・と調べてみたら、DELLは4.1%まで落ち込んでいます。もちろん日本のハードメーカーも。じゃあこのアップルの恐ろしいほどの利益率だとインテルはどうなったのか?(あーー、やっぱボクも下世話だわ。)2007年をピークに急速に業績を悪化させていたインテル、この2010期は、なんと売上で84%増!!と驚かせます。でもスマートフォンやタブレツトPCに後れを取ったインテルが・・・ああ、政治も企業も現代は「一瞬先は闇」ということではありませんか。その速度は、どんどん加速していっていますね。
まあ政治の話は、避けて通りたいのですが・・・「伊達直人は子供たちにランドセルを背負わせた。菅直人は子供たちに借金を背負わせた。」なんてギャグが、語られるようになっています。子供たちの肩に必要なのはやはり「夢」だろうと思います。バブルでわが世の春を謳歌した世代も、そろそろ年金受給者になる頃。新しい時代の新しい夢は描けないものでしょうか?
ボクタチには明確にまだ夢が見えています。遠くの陽炎のようですが。菅原さんの見果てぬ夢も、また我々には大きな轍となって、まるで砂の中に残った1本のトレースが、徐々に濃くなってやがて道になっていくさまのようにも見えます。
きょうの一枚
「そのピストは、やがて砂の中に消える」
これはRally Mongolia 2011のプロモーションビデオの一コマ。仮に消えたとしてもそのピストは再び砂の中から現れるはずです。夢を追って今年もモンゴルに新しいルートを開きます。
2011/01/17 (月曜日)
「好奇心は、お変わりありませんか?」
ダカール無事にゴールしました。熱い戦いでしたね。ダイジェストにして「FUTURE」で紹介できれば良いのですが・・・あとで相談してみよ。そのダカール主催者ASO(麻生さんはダカールに行ったときに、偉そうにできたかも・・・)昔うちのチームに「布袋」というのがいて、スペルはHOTEI・・・どう見てもホテルで、TSO(当時はね)のおねえさんは笑ってた。・・・すいません話がそれました、そのASOのサイトを見ても、このところのセキュリティの強化・徹底ぶりや環境問題への意欲的な取り組み、またそれらを広くPRするなど、こうしたイベントの持続的な発展に積極的なことが窺われます。
持続的な発展、と書いた時に少しだけ背筋に冷たいものを感じるのは、何もボクだけではないでしょう・・・その持続的発展というのは、持続的でない可能性が高いからそう呼ぶのでありまして・・・「以前は受け入れられていたのに、最近はさっぱりです。」とは4輪ラリーなどの関係者もボクタチと異口同音。そうかと思えば道路工事関係者たちも同じ悩み「以前は、家の前を工事していてもご苦労様、ありがとうございます。と皆さんにそう言っていただいていましたが、もうここのところは、何やっているんだ!うるさい!迷惑だ!ばかりです。」こうして恩恵を受けるにしても、怒るというのは今までの日本人にはありませんでしたよね。鄙びた県道を午後の6時30分に50台ばかりのバイクが通るのさえ、「気に入らない」という方が増えています。すいません話が大きくそれて、ボクの愚痴のようになりましたが・・・
つまりダカールにしても、持続的発展に大切なのは、その国(場合によっては地域)の人々のウエルカム度合いでしょう。そう考えるとチリもアルゼンチンも、素晴らしい開催地であることに論を挟むことはないでしょう。アフリカへ回帰するという憧憬は捨てがたいのですが、なにも南米であっても問題はないのだということが分かります。
ただここのところの気候変動による、不気味さはどの地であっても変らない主催リスクをはらんでいます。来年のダカールはブラジルもルートの予定ですが、今回のダカールの期間中のブラジル南部の豪雨被害も、深刻です。今日のニュースでは600人を越える死者を出しています。
さてそのラリーも、北へ行くほうが商業的には良いかもしれませんがボク的には南へ、つまりパタゴニアに下るのが興味深いなあ・・・と思います。パタゴニアに行ってサンタクルス州のクエバ・デ・ラス・マノス(手の洞窟)世界遺産、を見に行きたいなあ。これが9000年前のものらしくて、ネガになっているのは、鉱物系の塗料をスプレーで吹き付けたんだそう。モンゴルにも壁画がいくつかあって、全く同じものがカザフスタンにもある。あれはいつのものだったのだろう。
と、冒険の旅はこうして好奇心を満たす旅でなければならないとも思っているんです。ボクは。
きょうの一枚
これはブラジル、リオの豪雨被害を伝えるニュースから。2枚目はパタゴニアのサンタクルス州にある世界遺産「手の洞窟」
2011/01/14 (金曜日)
「昨日は友人らと、バイクの話をした。」
かつて輝いていた日本のバイクメーカー。今その輝きは失われてしまったのだろうか?なにかこう、海外勢に席巻された姿は、70~80年代のヨーロッパに日本車旋風が吹き荒れた時の、あの姿を反対の立場で見ている様な気がしてならない。あの時のイギリス人の心境はこうだったのかもしれないなあ。「今に見ていろ」と彼らが思ったかどうかはともかく、必ず時代はこのように巡る。
はるか昔、1960年代初頭だろうか。マン島で日本のメーカーが活躍するや「遠い極東の島国にバイクメーカーが興った」ことをヨーロッパの人々は、少しずつ知って行ったはずだ。その日本メーカーが勃興した1960年代、にしても日本はまだ貧しかった。労働者の賃金も驚くほど安かったから、競争力のある価格でプロダクツできるのである。
あとは技術力と表現力さえあれば、瞬く間に世界を制圧できるのだ。日本のメーカーたちは大きな追うべき夢を見出した。それは多分、血が滾ったろうと思う。
だから、だと思うんだけどボクタチも実に「あっけらかーん」として、なんの躊躇もなく、なんだか分からないけど成長を重ねるほどに、バイクは希望に満ちているように感じた。情報が少なかったからと言えばそれまでだけど。
じゃあ現代はどうか。この覆い尽くすばかりの閉塞感はどこから来ているのだろう?やっぱり「希望」がないからなのだと思う。じゃあ「希望」とは一帯どこからやってくるのか?それはやっぱ「未来=FUTURE」からやって来るんだと思う。
良い時は危うい。その世界に覇を唱えていた時代(高度成長時代)に、過度な設備投資や、人件費の高騰、つまり超高コスト体質が出来上がったのだろう。
ほんとうは、そうなった企業から脱出して行って、自宅のガレージで起業するなんていう、新しいバイクメーカーが出来なきゃ、いかんかったのだが。
これも起業するのに掛かる規制やコストは、いまの日本では尋常ならざるものがあるんだろうと思う。つまるところ膠着状態なのである。
とかって、昨日はそんな話だっけ。
でも、バイクってどんな存在なのだろうか?どんな風にその楽しさを伝えればいいんだろうか?おそらくハードが高度に進化していた時代に、われわれのようにそのソフト・・・遊び方とかを・・伝える力が不足していたように思うのだ。
まだまだ存分な資源は残っていると思う。日本車だ輸入車とかというカテゴリーの話ではなくて。やっぱ乗って楽しいバイクのある生活を、1人ずつで実践してその声を大きくしていくことだろうと思う。やっぱりバイクに乗るのは楽しいからね。
んで「FUTURE」今年も頑張って・・・って、これはこれで苦しいのではありますが、堪えると未来=希望が見えてくるのでありましょう。ガンバレ-ニッポン!!
きょうの一枚
Honda RC181 500 1966-1967年マイク・ヘイルウッドのマシン。ボクは小学校の美術の時間(小学校でも美術って言った?中学かな?)このマシンの絵を書いて、何にかに入選した記憶が。
2011/01/13 (木曜日)
「ダカール、後半戦へ。」
どうも南米開催になってからというもの、ダカールの写真を見るたびに「水平は合っているのだろうか?」と思うほど、極端にカメラが傾いている、いや大地が傾いているのかもしれない。そもそも写真は、傾斜などが分かり難い。だから、スキーなどもそうだけど、実際の傾斜を表現するのには真横から撮らなければならない。ただしそこでカメラが傾いていては、ならないけど。
さてアタカマに戻って再びアルゼンチンに戻る後半戦。
昨日はジョナ・ストリートがステージウインを果たした!と聞いて、とても嬉しくなった。アメリカの友人からもメールがあって、ボクもとても嬉しいし、日本の多くの仲間やモンゴルのライダーたちも、大喜びをしているだろう!って送っておいた。
でもまあ、KTMの牙城は堅固だ。デプレ(TVではドウスプリっていっているけど・・)が数日前のSSのスタートで、グローブを忘れてコントロールゾーンの違反で10分のペナルティが着いたのも響くけど、まあ安泰だ。
そのペナルティの状況は良く分からないし、伝わってこないけど、拙い情報収集によると、グローブを忘れたままスタートしてコントロールゾーンの終わりを示すフラッグの手前で、コントロールゾーンを出てビバークサイトへグローブを取りに帰ったのだろうか?そうすると10分のペナルティというのは過小だし、コントロールゾーンに関するレギュレーションは、もっと厳しく堅持されなければならないはずだ。
またTVで言う様に「グローブをせずにスタートしたから10分のペナルティ」という表現も、なんとも介せない。グローブをしないなんて選択はないから、レギュレーションに義務付けられていない(と思う)
とまあそんなことでここまで考えなくても良いけど、トップのライダーについた10分のペナルティというのは、なにかと後々面倒なことにならなければ良いと願う・・・なんてのは主催者根性が発露だね。
きょうの一枚
そのデプレ。ライディングフォームから見ると、やはりカメラが気持ち右上がりで水平が出ていない様な気がするのですが・・・まあ表現は自由ですから。
2011/01/12 (水曜日)
「アントファガスタから。」
ダカールのビバークから1枚の写真が届きました。一昨日は休息日のスミルビッチさんとの写真・・・彼はパリ-北京の時にMITSUBISHI-PX33ていうクラシックな、まあボディ以外はパジェロですが4駆で参加していて、ボクと良く一緒に走りました。
さて、そのアントファガスタのビバークでは、ジョナ・ストリートさんがスガワラさんのところにやってきたそうです。ジョナは、すごくシャイで、こうしたラリー・ライダー特有のオーラを出しません。ライディングもどちらかと言えば地味で、なにかこう日本的な美学のようなものを感じさせます。その速さは、そういった立ち居振る舞いから、一層軽やかなものに見えてとても好感が持てます。
今回のダカールではマシントラブルで大きく順位を落としましたが(と言っても15位くらいかな)後半には、彼特有の粘りとクレバーさで挽回することでしょう。モンゴルでもジョナは、ほかの参加者たちのベンチマークになります。現代のダカールでステージウインを取ったり、ベスト5くらいに絡むライダーなので、そのライディングは、ほかの参加者たちが基準と出来るものです。
つまるところジョナは、日本人とモンゴル人にしか優勝者がいなかったモンゴルのラリーを大きく動かしたのかもしれません。またモンゴル人ライダーたちに、新たな目標をもたらしたと言っても良いでしょう。
ジョナとその周辺から2011のモンゴルに行く!という話は、何度か聞いていましたので、ダカールの最中にそんな話をしていると言うのを聞いて、ボクも感激です。
また今日はアメリカのチームからRider×10、4X4×1、サポート×4…なんてオファーもあり輸送や通関について打ち合わせをしました。もちろん、皆さんの良く知っている人でもあります。かなり大掛かりなプロジェクトになりますが、これはかならず実現させるべく努力をします。
きょうの一枚
そんなスガワラさんとジョナ・ストリート。ラリーの友達の輪!は広がり続けます。
2011/01/11 (火曜日)
「考えてみた。」
やっぱ「政治とメディアの役割」を感じさせる年はじめ、菅さんは報道ステーションに生出演!でも視聴率は6.9%、返す刀で(と言えばカッコ良いのですが)7日には、USTREAMにも出演。「まあ!」あのようなサブカルチャー的だと思っていたネット動画というメディアも、一国の首相が生出演なさるとは・・・って、ネットがメディアとしての存在感を大きくしたものだと思う。
小沢さんは既に、テレビよりもネットが好きだと公言している。時間的な制約の大きいテレビよりネットで自由に時間が使えたほうが言いたいことが言えるに決まっている。そもそもテレビなど既存のメディアで、菅さんは参院選前の消費税発言でやられ、小沢さんは政治と金の問題でやられ、誰が言うたか、この国の最大権力者はメディアだ!と。そもそもメディアというのは、媒体であるはずで、そこであまりバイアスを掛けるのはいかがか?という基本的な話もある。メディアの思惑というものが、あっても良いのだろうかとも思う。
話は関連するようだけど、ラリーなど主催者も一種のメディアだとボクは思っていた。いや、今も大小はそう思っている。参加者と大自然の間に立った媒体だと思っている。さまざまなことを大小は斟酌することがあっても、大原則である公平であるとか平等であるとかを常に考えなければならないと思っている。そこが既存のメディアより高邁なくらいだと思っている。
そこには自浄機能も必要だし、さまざまに耳を傾けることも必要だと思っている。強くもなくちゃならないし、優しくもなくちゃならない。そして通常のメディアと同じように、その存在の要不要は、常に問われていると覚悟しなければならない。レゾンテートルである。
大きなメディアは、誤ると国を危うくする。それは政治を超えた力があるからだ。危うくするということは考えを変えれば、良くすることも出来るということだ。それもメディアの存在意義を問われることなのだが・・・そういう努力をすることは止めたようだ。
ボクタチのいうラリーでも、ささやかだけれども変えられない存在意義は確実に感じている。国境を越えたスポーツの交流の場、ってことを言葉で言うのは簡単だけど、その場を提供し続けるのは困難も伴う。辛いこともある。
今日は、ボクタチの役割、とか存在意義からSSER ORGANISATION のリニューアルを考えてみようかと沈思黙考の1日となった。
きょうの一枚
「空海」
「虚しく往きて実ちて帰る」 これは遣唐使として唐の都に無名の僧として訪れ、そして帰国した時の空海の言葉。日本に多くの文化を持ち帰ることに。四国に生まれ育つと、なにかしら空海のことを良く知るようになる。四国巡礼の旅も、そして西安に行くようになるなんて・・・さらにTBI2011は、高野山にも行くかもしれない。そんななにかの不思議さを感じるなあ。
2011/01/07 (金曜日)
「DUNE、DUNE&DUNE」
「DUNE&DUNE」は、ラリーモンゴリア2011のテーマって、もちろん知っていますよね。そして今年はマスターオブゴビ・アウォードは、2つまたは3つの砂丘ステージの、合計で贈られる予定です。
さらに、「なに3つ目のDUNEってなんですか?」
「はい。もうひとつのDUNEは、タクラマカン砂丘地帯大横断レイドのこと。」正式名称は、「レイドトレック・タクラマカン2011」です。ボクはBMW R1200GS Adv.+サイドカーで参加する予定です。
大砂丘の合間を縫って「踏み入れると2度と出てこられない」という意味のタクラマカン800kmを大砂丘を眺めながら、大横断いや縦断ていうのかなぁ・・・を行います。大きな波間を漂う小舟のような感覚!!巨大砂丘群の中で地球を感じる・・・今年お届けする冒険の大傑作・・・になるはず。
もち参加するのは、それぞれ自分のバイクやクルマ・・・誰かは、電気自動車で挑戦!という計画書を作っております。間もなく参加案内の資料をお届けします。飛行機とホテル代などは、直接旅行代理店にお支払い頂くことになりますが、そうした旅行代理店と提携もほぼ整いました。
タクラマカンのど真ん中、すごい冒険のようでもありますが、そんなに困難なものではありません。まあバスも走っていると言えば走ったりはしていますから。ただ自分のクルマを持ち込んでとなると・・そして名だたるシルクロードのオアシスの街や遺跡を巡る敦煌出発敦煌ゴールの・・正しくはカヨクカン出発、敦煌経由敦煌ゴールです。自分のマシンを持ち込んで、ちょっと許可の難しいエリアのも完璧な許可を取って・・これこそがSSERの独壇場!!自分の足で走ってこそ・・・ということでルートの詳細はお楽しみに。
参加に関して興味のある方はメールをくださいね。
きょうの一枚
ウイキペディアより(写真・文とも) タクラマカン砂漠(塔克拉瑪干沙漠)とは中央アジア、中国の新疆ウイグル自治区にある砂漠である。語源は、ウイグル語の「タッキリ(死)」「マカン(無限)」の合成語と言われ、「死の場所」「死の世界」といったニュアンスとされる。「生きては戻れぬ死の砂漠」という意味が有る。サハラ砂漠に次ぐ世界2位の面積を持つ砂漠であり、タリム盆地の270,000km2をしめる。北に天山山脈、南に崑崙山脈と6000~7000m級の大山脈に挟まれているため非常に乾燥しており、降水量は年に数ミリ程度。過去は海または湖だったとみられ、標高は非常に低く標高がマイナスの地域もあり、最低海抜はマイナス130メートル。天山南路はタクラマカン砂漠を南北に迂回するように分岐し、北が西域北道、南が西域南道と呼ばれた。
周辺にはタリム河、ホータン河などの河川があるが、いずれも内陸河川である。なお、ホータン河は崑崙山脈の雪解け水が増える夏季のみタクラマカン砂漠を縦断し、タリム川と合流する季節河川として知られる。
2011/01/06 (木曜日)
「遊び人のブログ」
SSERのオフィシャルの古参のひとり、ヤマチャン。知らなかったんだけどブログをやっているらしいので、覗きに行くと [ヤマチャンBLOGはこちら]なにやらいきなりダカールのHINOレンジャー!!そして「ヌヌヌ!」ボクの写真。1998年。忘れもしません、このシチュエーション。あん時のマシンは、実はターボ、インタークーラー、VVSがついていました。それもモンゴルの試走チームで同じ仕様のものを持ち込んでテスト!本番でもテスト!すいません、若気のいたりでした。
でも「んー、ムチャッ速!!」でも排気ガスは真っ黒!やりすぎちゃったかも。で、意気揚々と乗り込んだまでは良かったのですが、1日目のシャトー・ラトゥールのプロローグ、あの超有名シャトー・・・フランス人参加者たちはワイン飲んでいるしー乾いた路面、気持ちのいい風。マシンは速いし、ときたら・・・ボクはマシンをヒット、ほうほうの体でゴール。
次のSS、つまりこの写真は、グラナダ郊外。でも35kmくらいあって、当然ボクは最後尾からのスタート・・・と思いきや、前が友川さんで後ろが増岡さん。見事に日本人が後ろから3台。ちょっと燃えましたね。ボクが友川さんを抜くのが先か、増岡さんがボクを抜くのが先か・・・でもこのSS、かなり成績が良かった様な気が・・・次のSS、つまりアフリカの1日目で、ボクはさらにマシンをヒットさせ、昇天!!なんだい!
さて、そんなこと考えていたらモンゴルの試走チームの装備計画をそろそろ。ということで、さまざまに高機能の大きなテントを検討中!!これならモンゴルの本番でもタクラマカンでも本部機能があるよな。というしろもの。まあこれは2つのテントとそれを繋ぐトンネル・・・試走の時の激しい天候と、寝る時の快適性などを考えるとこれかな。この状態なら10mもあるから、10坪以上あるのだね。
こちらのTHE NORTH FACE も良いかもね。ドッキングしまくると巨大空間が生れる。
2011/01/05 (火曜日)
「ボクの初夢は、ベルサイユ宮殿前のスタート」
珍しくパリダカの夢を見た。しかも初夢に。だいたい夢なんて見ても、覚えてなんか無いのにリアルな夢だったけど、いま考えてみれば良く分からない夢だった。昨晩は、チリのビバークの菅原さんから電話が掛かってきて、何かしら不思議な夢は、やや真実味を増した。
夢の内容はこうだ。
パリダカの車検会場。ボクはその日、急にラリーに出場することになった。何故だかは忘れた。でもクルマはどうするの?ということで、友達の車を借りて車検場に行った。クルマがラリー仕様だったかどうか?は、どうでも良かった。夢なのだから。それでゼッケンが貼られた。車検のあと歩いてると、友達がやってきてホテルまで積んでいくよ、という。乗ろうとするとロールバーが邪魔で乗れないけど、リアの部分はお座敷カーだった。
まあ夢なんてそんなものだ。でもその夢では、スタート会場はベルサイユ宮殿前だった。そこは初めて参加した1988年の10回大会。そして1998年の20回大会の2回だけ使われたと記憶している。ボクはその2回ともその地をスタートした。あっ、これは夢じゃなくてね。もうひとつ不思議なことに、なぜかその2回だけはランクル70だった。ホテルのテレビでスタート風景を眺めながら、自分のスタートを待つという不思議な感覚も味わった。
ダカールもさまざまな紆余曲折を観ながら、新しくなり続ける。この進化させる力は何も経済力だけではあるまいと思う。いつの時代にも「夢」を求める、ということに他ならないのだ、と思う。それが経済力を損なわない唯一の原則かのようじゃないか。
あの、胸を焦がした88年も98年も、もう遥か過去の事となった。ついつい新しいことに挑戦することにネガティヴな自分がいる。コンプライアンス、なんて言葉が悪魔の囁きをする。
でも、今年は新しいことをすることにしよう!!と思う。長く続いてきたことだって、全ーーー部!新しくしてやる。新しい道、新しい試み。新しい方法。そうしなきゃ、やっぱ、つまんない。
初夢を思い出しながら、新しい企みをまたひとつ、思いついた。
きょうの一枚
HINOさんのサイトから。3日目のステージを走る1号車。にしても、このふかふかの轍・・・厳しいねえ。タフだねえ。
ところでエントリーリストを見てると中国人のカミオンドライバーがいますねえ。ラリーモンゴリアにも、4名の韓国人選手が正式にエントリーをしてきましたよ。アジアにもクロスカントリーの熱が伝播し始めたというのに・・日本は。
2011/01/02 (日曜日)
「明けまして、おめでとうございます。」
なにかとたくさんの夢を描いて、日々を暮らすボクにとって、この年の改まった時のモチベーションはただ事ではありません。特に刺激を受けるダカール。その場に立ち続けた1988年からの日々。そして、ここへ来てボクの周辺に再び起こるダカールなど未知のルート、未知の風景など大陸への冒険への憧憬。それもこれも重く圧し掛かっていた90年代以降の景気後退から来る無気力な世界。そろそろ自分の力で立上らなければ、一度きりの人生に悔いを残す!というところでしょう。
今年は、新しいTBIに、向き合う。新しく魅力的な Rally Mongolia に、さらなる未知なるルートを広げていくこと。北海道&九州、ふたつの4デイズがコネクティングすること。SSER 3Daysという新しいフォーマット。美川スキー場のこれからのイベントの開発や誘致に全力を挙げること。
大変な多くの課題を掲げた2011。その課題の一つ一つが、夢の実現そのものです。どうか皆さんの熱いご支援をお願いいたします。
MOTOWORKSの店舗改装の模様はこちらGLOBE COMPETITIONのサイトからご覧いただけます。[URL]
きょうの一枚
大晦日の持ちつき大会でカオルサンが1番につき上がったお餅で作った雪兎ならぬモチウサギ。こんな子供のような心を持ったカオルサンも、もう還暦を過ぎたんですねえ。
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