No.100「2013ダカール用車両の改造開始」- 菅原さんからの手紙 2012/04/12 12:00

letter_100_20120412_1200_012012で使ったキャブ(運転席部分)が恵比寿の会社に運びこまれ改造が始まりました。室内の内装が全部外されて、掃除した後に塗装がされます。

塗装はクラックの発見や落とした品が分かりやすく白い色で塗装しており、フレームも普通は黒色ですが、我々のチームは白い塗装にしてあります。

各部品を外す事によって、取り付けたネジの強度(軽量化の為にアルミのボルトにした場所が強度不足だった事が判明しました)が適正かどうかも分かります。

人間で言うとマラソンランナーにまでに軽量化をしており、これ以上すると強度的に難しい範中に入っているのですが、人間の知恵は素晴らしく強度に関係無い場所を見つけて、軽量化をしております。

乗員がここまでやっているチームは世界でも珍しい事で、逆に言うとここまてやっているから、ラリー中に何処かが調子が悪くなっても自分達で直してキャンプ地まで戻れるのです。

エアコンの室内のラジェターも埃まみれです。(埃を嫌って外気導内のシステムを殺しています)これでは効率も悪くなり、1年ごとに新品に交換です。

このキャブが新しいフレームに載せられて、モンゴル・ラリーにテストとして出場します。ブレーキもブレンボーで特注のディスクです。

お楽しみに…..

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菅原 義正

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No.099「投石」- 菅原さんからの手紙 2012/04/03 11:51

letter_099_20120403_1151_01ダカールラリーが始まって2日目(2012.1.3)はリエゾン273KM、SS208km、リエゾン3KM、トータル501KMのステージでした。

今年からリエゾンでの最高速度は105KMと新しい決まりが出来たので、リエゾンは約3時間位で走ったのですが、この時の外気温は50℃であいにく、昨日エアコンが壊れて修理が出来て無い状態です。

SSをスタートして37KM地点で投石を受けました。石の大きさは握りこぶし位で当たった場所はドライバーのまん前です。バイクからの飛び石に備えて、フロントガラスには特殊なフイルムを全面に貼ってあるのですが、こぶし大の石が飛んできたのは始めてです。写真でも分かるのですが、一瞬にして合わせガラスの内側部分が粉々になり、顔面に降り注いてきました。我々は今後の開発に備えて4画面の映像をスタートしてからゴールまで動画で記録しております。

1画面はドライバーとナビの動き、そして車からの主観のコース状況、そしてメーターパネルの状態、そしてリアーサスペンションの動きです。(真ん中の黒いのは左後輪の動きを見ています。

最初の写真で分かるようにガラスの破片が顔面に降り注いでも前を見ており、スワンさんから毎年、提供されているポリカーボのサングラスが無ければ、眼球にガラス片が刺さっていたでしょう。

その0.26秒後が写真の2になります。車速は時速90KM/H、エンジン回転は2400RPM、ドライバーは顔を避けてますが、もうガラスは飛んできてませんが、当たった石は跳ねて空中で写ってます。ナビさんはまだ、動きがありませんね。

写真の3は更に0.04秒後の写真で石が下に落ちております。

この前の映像には2名の男性が石を投げる一瞬が写ってました。この後の、464KMはイスの下やあちこちにガラスの破片があり、チクチクの運転でした。

翌日のキャンブ地には521が投石を受けたので、気を付けるようにと書き出しがありましたよ。

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菅原 義正

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No.098「菅原流の自転車完成です」- 菅原さんからの手紙 2012/03/13 12:50

letter_098_20120313_1250_01私は北海道生まれなので、空気の悪い東京(今は大分良くなった)でランニングや自転車でのトレーニングはしない事にしてました。

数年前にはラリーのトレーニングの為に上野から汽車に乗り翌朝の6時に函館に着いて、自転車を組み立てて札幌まで走ったり、ある時は飛行機で先に自転車を千歳空港に送り、そこから芦別経由で帯広(日野のテストコースがあります)まで走りました。

昨年の暮れにはアメリカで自転車に乗ったのですが、寒くてあまり走れなかったので今回は温かくなったら北海道にでも行こうと思ってます。

私の友人で毎日、何百キロも走る人が居りますが(尾上さん)私の自転車はちょっと違ってますよ。

これにSONYの防水のGPSを付けました。

次回のダカールはリマを1月5日にスタートしてゴールはチリになりました。トレーニングの開始です。

写真の説明
1 前にはカバンでは無くカゴにしました。
2 後ろにもサスがあるのでバックが内側に入らないようにアルミでガードを自作。
3 夜間走行に備えてヘッドランプをヘルメットに付けました。

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菅原 義正

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No.097「TBIで使うカールさんの車両完成」- 菅原さんからの手紙 2012/03/13 12:48

letter_097_20120313_1248_01昨年、カイザーさんの工場を見学に行った時には、カイザーさんが忙しくて、カールさんが空港へ迎えにきてくれ、そして帰りも、ホテルから空港までニコニコして送ってくれました。

バイクは何にしようか迷ったのですが体か大きいのでBMW1200GSに決定。タイヤはミィシュランのアナキー2からメッツラーのカルーにしてオフロード性能を上げて、マップケースとICOを付けて、いざ、試走にと思ったらクラッチがスカスカ。

オイルを見たら何も入っていません、驚いて床を見てもオイルがこぼれた跡も無いので、デイラーさんに電話したらレリーズシリンダーからオイルが漏れてクラッチまで廻って、乾式クラッチが湿式になっている可能性があるとの事、早速引きとりに来てもらい入院です。

クラッチのタッチと軽くなるから油圧にしているのだと推察しますが1200GSは道なき道を入るコンセプトが売りになっているのに、山田さんの西安-パリ旅行の時にもイモビが悪さして苦労をしていましたし。あの時も1台で走っていたら旅行は中止でしょう。

冒険を意識したらクラッチはワイヤーにすべきだと思いませんか。ワイヤーが切れたら針金でも作動します。

私が好きなのは水平対向で重心が低く、ドライブシャフトで駆動しているのと、リアーが片持だからです。

実際に作られたコンセプトは軍用でヘッドとシリンダーが両側に出ているので整備性が良いメリットがあります。

我々がやっているカミオンクラスの大きいのはV12気筒で20000ccで1気筒ずつヘッドが独立しているので、修理が簡単に出来るようになっています。

今の1200GSはファッションなんですね。
写真の説明
1はフロントビュー
2はカルーに履き換えた後輪
3はカウル内に収まったICOとマップホルダ

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菅原 義正

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No.096「モンゴル用ジムニー完成です」- 菅原さんからの手紙 2012/03/05 20:33

letter_096_20120305_2033_01御殿場工場の隣のKEN FACTORYさんの協力を受け、3/3日に完成し、昨年末から入院していた隣の工場から我々の工場に入りました。

今年も尾上さんには負けられないので、各所に新しいアイデアが沢山盛り込まれております。

大きな部品ではミッションを新しくしたり、昨年、尾上さんが泣かされたウオーターポンプを新品に交換したり、まだまだ内緒の改造が施されておりますよ。

あまりにも上手に組み込まれており、分かりづらいのですが川渡り対策として左ピラーにシユノーケルが付いてます。

これ以上は超極秘事項なので松山の車検会場までお待ちください。

写真の説明
右後ろに写っているのは新しいナピの高橋くん。
バイクのテールレンズはHONDA SL230。運転席の後ろにシートをかけられているのはウラルサイドカー。401のゼッケンが付いているのは1996年にパリ・ダカに出た日野レンジャーです。

菅原 義正

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No.095「ファビアンさんのバイク完成」- 菅原さんからの手紙 2012/02/19 23:50

letter_095_20120219_2350_01今年のTBIにドイツから来る、ファビアンさんのバイクが本日、完成しました。

ベース車両は照の通勤車両のXR250Rをお借りして作り上げました。あまり手入れをしてなかったのでフロントフォークやリアーサスをオーバーホールしてホイールベアリングなどは新品に組み換えました。
チエーンも変えたのでフロントとリアーのスプロケも新品です。

テストを兼ねて私がこのバイクで3月に行われるTDR2012に参加を予定しております。
一緒に来るカイザーさんの車両は広島のモトワークスで作成中。

カールさんが乗るBMW1200GSは東京のフラットさんでお世話になっております。

この3名の先導は弊社の高橋が担当することになりましたが、高橋が一日目に崖落ちしたらどうしましょう?

揃って山田さんの自慢の「たぬき」で美味しいコーヒーが飲めたら良いですね。

私の乗るXR230Rはとっくに出来ており、今はモンゴル用の車両の整備中です。尾上さんが北海道に行ってる間に整備をします。

写真
1の説明 ライトは純正にしました。彼らは目が良いので明るさは十分です。
2の説明 ICOとマップケース
3の説明 タイヤは前後ミィシュランのT63で固めました。

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菅原 義正

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No.094「トリッキーになったコース」- 菅原さんからの手紙 2012/02/01 12:00

letter_094_20120201_1200_01南米に移ってから、コースの製作は昔、三菱で活躍していたフォントネ氏が現地の人の協力を受けて製作しております。

昨年のカミオンクラスでは70台中15台もひっくり返っておりとても危険なコース設定でした。

ひっくり返ったチームからクレームが出たのか、毎年使っているファインバラの難しかった砂丘越えでは、覚悟して行ったのですが通過しなければならないGPSポイントは以前より優しい所に設定されていたので、フォントネ氏も反省したのだとばかり思っていたら、その後、特に始めてのチリではトラックで実際に試走したのか聞きたくなる位い難しいコースが待ち受けてました。

落差1000メーター位の峠(木が生えて無いので落ちたら一貫の終わり)でトラックがやっと通れる道でコーナーでは2回も切り返しが必要な位きついカーブです。トラックの内側の後輪は道から外れており、3輪でコーナーを走ってます。

!!!!(コーション4)の下り坂では後輪がはねて危うく裏返しになりそうになりました。もしそうなったら1000メーターは裏返しで落ちて行きます。

帰国してからデイリーで放映して頂いたJスポーツの番組を見ていたらバイクで出ていた選手が役員に噛みつき「我々は度胸試しに来てるのではなくモータースポーツをしに来ている」と言ってましたが、私もその通りだと思っております。

砂丘は得意なのですが、高い場所は大嫌い(山田さんと同じで昔は山岳部でヒルクライムもしていたのですが)で後ろの車がすぐに追いついて来てクラクションを鳴らすのですが、そんな場所なので追い越しをさせてあげる場所も無く、走る邪魔者状態です。

来年はペルースタートとも噂されており、いやですね。

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写真の説明
1 砂丘を越える照号
2 急坂を降りる義正号
3 難しいバンク走りをする照号
4 急坂を登る照号

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.093「無事に終わりました」- 菅原さんからの手紙 2012/01/20 16:35

letter_093_20120120_1635_01沢山のスポンサーさんや沢山の仲間に支えられ、今年も無事に完走できました。応援くださった皆様に感謝申し上げます。

今回は、スタートのポデュウムで30回連続出場を祝っていただき記念の盾を頂きました。中止になった大会にもエントリーしていたので、あの大会もカウントしてくれたようです。

スタートして2日目のSSの37km地点でこぶし大の投石を受けました。フロントガラスには特殊なフイルムを張ってあるので、穴こそ開きませんでしたが場所が私の顔の真ん前なので、ガラスの破片が顔面に突き刺さり、血を吹き出しながらの走行です。外気温が60度もあり、クーラーも壊れた日だったのでつらい走行でした。おしりの下にもガラスの破片が沢山あり残り200kmのSSも大変でしたよ。

初めてペルーに入ったのですが、砂が柔らかかったり、風の関係で砂丘の頂上がねじれているのでとても難しく感じました。

びっくりマーク!!!!の下り坂が2回も出てきましよ。

リマの市内は昔のダカールのように各陸橋には溢れんばかりの人たちで歓迎してくれました。

モンゴルに来てくれたジョナストリートさんは早くにリタイアでしたが、レンジローバーで来たステファニーさんは初出場で完走しました。

照も頑張って総合9位、10000cc以下の優勝で私は3位です。

昨日、ペルーから日本と反対側のブエノスアイレスに来て、荷物を整理して明日、日本に向かいます。

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写真の説明
1 我々チームを訪ねてくれたステファニーさん。
2 ペルーでの歓迎ぶり旧市街地です。
3 ホディウム前で表彰される順番を待ってます。
4 自分の仕事を無事に終え食事会場に向かう途中の幸せそうなお方。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.092「人検、車検無事合格」- 菅原さんからの手紙 2012/01/01 11:30

letter_092_20120101_1130_0128日には我々がお世話になっているアルゼンチントヨタさんでトヨタ車で出るチーム(南アフリカから4台のプロトやもちろんトヨタオートボーディさんも)と我々チームの合同の記者発表がありました。

午後2時にレンジャー2台とランクル1台と6輪駆動のFUが1台の4台のコンボイでスタート地点である約500km先のマルデプラタに向かいました。

途中、親切な白バイが我々の前を走ってくれ、高速道路では白バイの指示で料金が無料でした。指定された道路を走るのですが数キロおきにパトカーが置いてあり我々を歓迎してくれてる様子がわかります。

予定より早めの午後8時に指定されたアシスタンスパークに入ったのですが場所が狭く一番遠くの灯台の下に停めました。

29日の人検は2号車が9時15分からなので全員そろって7時30分にはアシスタンスパークに入り準備です。

シートベルトが5点式でないとだめだと言われ、予備のベルトを使い5点式に現場で改造して、無事車検も通過です。

なんと、パルクフルメに入ったら照の2号車がカミオンの一番目で私は2番目でした。

今年大きく変わったことはリエゾンの最高速度です。今まで競技車は150km/hだったのがアルゼンチンとチリでは自動車とバイクは110km/hでカミオンは90km/hでペルは100km/hと80km/hです。

そんな事もあるのか、今年のコースのリエゾンは少な目に設定されてます。でも、1日目のリエゾンの合計は約800kmもあるんですよ。

最初のSSは海岸で高さ40メートルの砂丘越えから始まるようです。

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写真
1 工場でチーム全員での記念撮影
2 どこからともなく現れて先導してくれる白バイ
3 マルデプラタに到着です。
4 車検場に置かれた2台のレンジャー

菅原 義正

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No.091「再会」- 菅原さんからの手紙 2011/12/24 20:00

letter_091_20111224_2000_01今朝8時にブエノスアイレスのホテルを出発して80KM北西にあるサラテのトヨタアルゼンチンさんを訪れました。

4年前からお世話になっているのですが、毎年ハイラックスを増産しており、4日ほど前にお祝いに大統領が訪れたそうです。(綺麗な女性大統領)

こちらのトヨタさんは全面的に我々チームを支援して頂くれ、我々のために工場の照明を高く移動して専用のブースを用意してくれて待っててくれてます。。

レンジャーとは10月18日に分かれて約2ケ月ぶりに再開しました。
先発のメカさん達が一生懸命仕上げてくれてたので、トヨタさんのテストコースをお借りしての走行テストをしました。

何時も以上の仕上がりをメカさん達と確認しあい、少しブレーキが焼けた匂いをコースに残し無事に終了です。

メカさん達にも同乗してもらい最高の仕上がりを共有しました。

次回は南のマルデプラタと言う街を出発します。
噂では海岸に人工的な砂丘をいくつも作ってあり、調子にのって走っていると初日にリタイアする人も出るといってまよ。

罠にはまらないように頑張りますね。

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写真
1 トヨタさんの用意してくれた定位置に置かれたレンジャー2台。
2 アトリエを出る1号車。左には自動車ショーで寄せ書きをして頂いたこいのぼりが見送ってくれてます。
3 テスト中の1号車
4 メカさん達とテストの結果の打ち合わせです。

菅原 義正

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No.090 「サンタモニカに移動しました。」- 菅原さんからの手紙 2011/12/20 18:00

letter_090_20111220_1800_01サンタモニカに移動しました。

20日の早朝にロスからブエノスアイレスに移動するのでロスの空港の近くに移動しました。

ここはビーチか長く伸びいて自転車とランニングの専用のコースが作られております。

来て見て驚いたのですが、ルート66の始発点でもあるそうです。昨日は日曜日のせいもあり、いろいろな種類のバイクが走ってました。

尾上さんのような派手な洋服を着て細いタイヤで集団で走っている人や自作の2建てのような自転車や寝そべって走るバギータイプの3輪など見ているだけでも楽しい場所です。

時差も取れカゼも治り、万全で南米に渡りますので、応援してください。

写真の説明
1 ルート66の始発点のお店です。
2 海岸に作られているサイクリングとランニングコース。
3 市内バスのフロントに自転車のキャリアーが付いてます。
4 私のバイク JAMISのDAKARです。

菅原 義正

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No.089「アリゾナ州から」 – 菅原さんからの手紙 2011/12/15 15:10

letter_089_20111215_1510_0112 月5日に渡米して長男に買っておいてもらったマウンテンバイクを引き取り、トレーニングと時差を治すのにラスベガスに移動してバイクで少し走りました。

ラスベガスには46年ぶりの訪問です。

この町は1941年に最初のホテルが出来て、非合法でカジノをやっていたそうです。なんと私の誕生した年ですよ。 なんでベガスでトレーニングかと言うと日本食のレストランが沢山あるからなのです。調べていると「戸越ラーメン」と言う店があり私の住んでいる戸越と同じ名前なので訪ねていったら、何年も前に店じまいをしたようです。

ベガスでは街が混んでない早朝に走ったのですが、動いてない手が冷たくなりました。

長男のお奨めのアスリートが集まると言うフラッグスタッフに移動したのですが、標高が高く、周りは雪景色でホテルには雪ダルマが作ってあり、一泊だけして南のフェニックスと言う街に来ました。

このあたりは景色が良くきれいな川もあったのでしょう、ホテルの廊下には1927年
に特別に仕立てたキャンピングカーでコックさんも同行してキャンプをしている写真が飾ってます。

明日からはこのホテル推薦の自転車のトレーニングコース図を手に入れたので頑張ります。
部屋にはモノクロの写真が飾ってありキャプションには「Clark Gable and Friends」と書いてあり、4人の友人と一緒にゴルフをしている長身のクラークゲーブルさんが写ってます。

写真の説明
1 長男の会社の受付に飾ってあったバイク(未発売)
2 ラスベガスの有名な噴水
3 あの有名なルート66を少しだけ走りました。
4 フェニックスで訓練中。

菅原 義正

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No.088 – 菅原さんからの手紙 2011/12/01 15:10

letter_088_20111201_1510_01東京モーターショーが今日(11/30)から開催されました。24年ぶりに会場を東京ビックサイトに移しての開催です。

一般公開は12/3から12/11ですが12/2までは報道関係者に向けた発表で、日野さんのブースにはドーンとレンジャーを飾ってくれました。この車両は今年のダカールラリーに出た本物です。

次回大会用の車両はモンゴルでテストした新しい車両と照が乗った2号車をアルゼンチンに送ったので、私の乗った1号車を展示してもらっております。

照と朝から説明員としてレンジャーの傍におりましたが本物の迫力に皆さん驚いてくれております。

ちょっとだけ仕事をさぼって乗用車やバイクのブースを覗いて来ましたが、展示車両も多く勢いを感じる会場でした。

私と照とのトークショーが12/3の14時から14時30分まで日野さんのブースで行われます。

入場者に配られる「東京モーターショーニュース」は何とモンゴルラリーでナビをしてくれた若林 葉子さんの会社で製作しており、表紙は 松本 零士のイラストで毎日、日替わりで印刷されて12日間表紙も違うそうです。

写真の説明
1 ちょっと斜めになって展示されてるレンジャー。
2 インドネシアの鉱山で使われている超大型ダンブ。将来、我々チームのサポートカミオンになったら嬉しいですね。
3 テレビの取材も受けました。
4 尋ねてくれた若林 葉子さんと。彼女から腕を組んでくれるのに3年も掛りましたよ。

菅原 義正

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No.087 – 菅原さんからの手紙 2011/11/15 14:40

letter_087_20111015_1440_01フランスのノレブ社から1/43のモデルが世界一斉に発売されました。毎年、私のカミオンだけ造ってくれるのですが、今回は照が乗るカミオンも作ってくれました。

日野自動車さんがダカール・ラリーに挑戦して20年目になるので2台も作ってくれたのだと思ってます。

今年のパッケージには「義」と「照」の漢字がデザインされて入っおり、「鯉のぼり」もそうですが、漢字が使われてるのがとても嬉しく思っております。

ちょっとでも日本の文化が世界に向けて発信出来るのが嬉しいですね。昨年から車のデザインも歌舞伎の「隈どり」にしたり、スタートの時はフロントバンバーに「しめ縄のお飾り」を付けてます。

次回のゼッケンNO.が決まりました。照の乗る2号車は508  私の1号車は521 です。

来年のカミオンの出場台数が増えて80台近いエントリーです。

私も古希になり、選手としては恥ずかしい年になってますが、日本魂ここにあり、と頑張りますので、応援お願いいたします。

写真の説明513は義正号、526は照仁号です。

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菅原 義正

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No.086 「シェイクダウン」- 菅原さんからの手紙 2011/10/17 14:40

letter_086_20111017_1440_0115日の土曜日に日野さんのテストコースを借り切って、次回大会用の日野レンジャーのシェイクダウンを行いました。

報道の方にも来て頂き、公開テストです。

照仁が運転する2号車は今年のラリー・レイド・モンゴルでデビューしたのですが、フレーム幅を広げたり、新しい試みがあちこちに入っているので、ラリー終了後に補強の追加工事などをして、やっと出来あがりました。

全国の販売会社から選考されたメカさんも1ケ月前から本社の工場に来て頂き、毎日遅くまで作業をして頂きました。

朝から晩までのテストで、途中には報道の方や日野さんの技術の方や販社メカさん達にナビ席に乗ってもらい体験試乗もあり、無事に終了しました。

私の運転する車両は昨年まで照仁が乗っていた2号車の御下がりですが、荷台がカーボンになっていて軽量なせいか、以前の1号車より加速が早く ダートでスライドしてもそのまま加速してくれました。

良くある事ですが、こんな大事な時に転倒したり、壊したりする事があるので(我々のチームは1度もありませんよ)無事に終了して正直ホットしております。

今年のラリーに出た1号車は12月に始まる自動車ショーの日野さんのブースに展示が予定されております。ぜひ現物を見て下さい。
写真の説明です。
1 上から2号車の5月31日の状態です。フレームが組上がりました。その1ケ月後には今の状態まで作りあげて7月7日に同じコースでテストをしてそれからモンゴルに送りだしました。

2 2台が揃い、日野さんの技術屋さんがチェックしてくれてます。キャブ(運転席の長さの違いが判りますか?)

3 バンクを走る2台で、手前は照の2号車で補助灯が違います。2号車は全灯LEDを使い、1号車はHIDです。

4 軽くジャンプをする2号車です。

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菅原 義正

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No.085 – 菅原さんからの手紙 2011/10/06 10:38

letter_085_20111006_1038_019月29日(木)にバイクの世界選手権が行われるモテギに照と行ってきました。

前回の「菅原からの手紙」に写真を載せたペップさんに会う為です。彼とはダカールを通じて知り合い5年間位になります。今年はデュロイのチームのドライバーとして大活躍でカミオンクラス総合7位でした。

以前にもモテギに来てお会いしたのですが、彼はこの世界選手権のロジスティクスの最高責任者です。

今回は300トンの荷物(各チームのタイヤ他機材の全て)を3機のカーゴジャンボを借りて日本に来たのです。1機100トンの荷物を積むのですが、燃料も100トン必要で航続時間は最大9時間だそうですよ。旅客用のジャンボは12時間以上飛ぶので積載量が違うんですね。

初めて彼の経歴を聞きましたら驚きです。125ccのスペインでのエンデューロのチャンピオンを5年取ったそうです。他にISDE(6日間のエンデューロの世界選手権)に9回出て8回完走しているそうです。

SSERで有名なガストンさんも125㏄の世界チャンピンなので交流があったか質問してみたら、ガストンさんが主催する砂の走り方の勉強会がベルギーであり、2回程行ったと言ってました。

やはり、ダカールで活躍している人はとんでもない人達なんですね。

来年のデュロイのチーム体制は以前カミオン部門で総合優勝したスティシーさんとWRCのチャンピオンのミキ・ビアシオンさんとデュロイの息子さんの3台が優勝を狙い、彼は本コースを走るサポートの様です。

やはりダカールの情報を早く掴んでおり、今回のスタート地点のマル・デル・プラタの海岸に人口的な砂山を作り、プロローグをやるとか初のゴールになるペルーの砂丘は砂が柔らかいから注意が必要だとか、色々と教えてもらいました。

彼の自宅はバルセロナにあるのですが、580ヘクタールあり、一周63キロのオフロードコースを持ってるそうですよ。

追伸 先日私がサポート役で行ったウルトラ・トレイル・デュ・モンブランの放映がNHKのBS1で10月10日(体育の日)の午後10時から100分の番組で放映されます。時間があったら見て下さい。

写真1の説明 前回の写真に本人のサインを頂いて来ました。スペイン・バハの写真だそうです。
写真2の説明 コースを案内してくれてるペップさん。
写真3の説明 ピットで一瞬開いたホンダのブースの一枚です。
写真4の説明 バイクの収集の話になり彼は20台位のコレクションがあるとの事なので話をしていたらブルタコの話になり照に買ったコタ25の話題になりました。彼はこの新車を1台持っているそうです。

菅原 義正

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No.084 2012のダカールラリーのメカさんがきまりました – 菅原さんからの手紙 2011/09/28 02:20

letter_084_20110928_0220_01各ディラーの優秀なメカさんが多数応募して頂けるのですが予算の関係もあり、全国から4名の優秀なメカさんを選考させて頂きました。

毎年ダカールは過激な戦いになっており、危険きわまりないのです。

次回の照の乗る車両をモンコルでテストしたのですが、一割位速くなっているのであちこちにクラックが入ったりして問題が発生します。
軽量化を徹底的にやり、300kgの軽量化に成功しました。

昨年は200kgなのでトータル500kg軽量化です。
軽量にすることにより、加速と制動に効果が顕著に表れます。

写真1は昨年の照のジャンプです。

写真2うえの砂丘からを降りるレンジャーです。

写真3は我々の仲間のペップさんジャンプです。

こまったものですね。

菅原 義正

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No.083 KAUFBEUREN (カウフボーレン) – 菅原さんからの手紙 2011/09/21 21:47

letter_083_20110921_2147_01この町は我々チームのバイクのサポートをしてくれているカイザーさんの町の名前です。

彼は10年位前からダカールラリーで我々チームのバイクサポートをしてくれたり、ラリーレイドモンゴルでは私がホンダ パイロット(2サイクル単気筒400cc)で出た年とヤマハ ライノ(4サイクル単気筒650cc)で出た年に専属で私のメカをやってくれ、その後、ドイツの友人を連れて何回かラリーレイドモンゴルに出てくれたのでSSERの関係者は良くご存知ですよね。

実は彼の町を訪ねるのは初めてでした。ミュンヘンの空港に着いたら、彼の手配で空港の近くに住んでいるカールさん(彼もラリーレイドモンゴルに出ております)が迎えに来てくれ、彼のアウディでカウフボーレンまで連れて行ってくれました。空港から西南に1時間程走った所にカイザーさんのショップがありました。

そこから車で1時間も走らない範囲にあの有名な「ノイシュバインシュタイン城」があるのです。彼の手厚い招待を受け、幸せな時間と空間を感じてきました。

写真1 彼の町の名前のビールで後ろにはカイザーさんがぼんやりと写ってます。味は日本のビールを薄くした感じでした。
写真2 彼が予約してくれていたホテルです。花が奇麗でした。
写真3 ホテルの入り口にあった、昔使っていたリヤカーの様な台車です。
写真4 ここからが大変です。足回りとフレームが現在の車と同じにUボルトで固定されてます。この後に横にリーフスプリングが使われてサスペンションが付く事になります。長い事使ったのか、車輪の外側に巻かれた鉄板はすり減ってますね。

菅原 義正

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No.082 ULTRA-TRAIL DU MONT-BLANC 2011 「三好 礼子さん初出場で完走」- 菅原さんからの手紙 2011/08/30 16:09

シャモニー(フランス)をスタートしてイタリアに入り、スイスを走り、シャモニーに戻ると言う超人的な競技でした。

世界中から2300人の選手が参加しており、166kmを46時間以内に走らねば失格です。

礼子さんは26日の23時30分にスタートして27日は丸一日走り、28日の20時に到着です。43時間と言う制限時間内で一睡もしないで2500メーターの山を5つも超えて走って来たのです。

我々サポート隊は事前にサービスポイント(エイドと呼ぶそうです)を廻りGPSに入力していたので、走る場所のすごさを覚えただけに、ゴールに入ってきた礼子ちゃんには感動です。

サポート隊も大変で選手しか走れない山があり、その先のエイドに行くには遠回りして行かなければならないので、43時間で寝たのは全部で2時間くらいで、こちらもウルトラです。

完走した選手とご家族が一緒に走ってゴールするなど感動的なシーンがいっぱいでした。

写真の説明
ゴール直後の礼子ちゃん
大会のロゴ
サポートに使ったハイラックス

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

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No.081 – 菅原さんからの手紙 2011/08/22 21:47

43年ぶりに空路でミュンヘンに入りました。

何と荷物の引き取り所で仰天です。
こんな大きなBMWのラジェターグリルでお迎えされました。

三好 礼子さんが ULTRA-TRAIL DE MONT-BLANCと言う競技に参加されるので、私はサポート員としてのドライバー役です。

シャモニーをスタートして2000メーター以上の山を5つも超え、167kmを走り46時間以内にシャモニーに戻ると言う大変な競技です。

空港にはモンゴル・ラリーに出場したKARL HEINZさんが迎えに来てくれて、礼子さんと130KM程離れたカイザーさんのガレージに向かいました。

ダカールのサポート用に昨年購入したハイラックスの中にはお願いしていた通りのキャンプ用品が新品で用意され、礼子さんはキャーキャー言って喜んでます。

今日は朝5時過ぎにカイザーさんが車で迎えに来てくれ、40分位の処の山へトレーニングに行きました。用意も終わったので明日スタート地点のシャモニーに移動します。

写真の説明
迎えてくれた巨大なグリル。
空港の入り口にあった波乗り
オシャレな空港のカフェ

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.080 – 菅原さんからの手紙 2011/08/16 21:47

無事に到着しました。

8/8にウランバートトルを出発して8/15に無事にウランバートルに戻ってきました。

尾上号は百戦錬磨の石原君をナビに起用し、挑戦してきましたが、私のナビをするのが初体験の若林嬢のしなやかなナビゲーションに、流石の石原君もまいったようです。

私の車はどこも壊れる所が無かったのですが、残念な事に尾上号のウオーターポンプのベアリングが不調になり、見える範囲内でのバトルは3回位でした。

お互いに、相手の車が視界に入ると俄然、元気が出て大人げない走りになってしまうようです。

それにしても「日本の名車ジムニ」ーは660ccなのに良く走ります。

今年は5台のジムニーが出場しましたが、来年はもっと台数が増える事を祈ってます。

ナビの若林 葉子さん ありがとう。

菅原 義正

写真の説明
ゴール後、パトカー先導で恒例の市内パレードの始まりです。
ゴールでの対決の二台の記念撮影。尾上号にはETCも付いており、エンジンを掛ける度に「カードが入ってません」とアナウンスされてるようです。
テストも兼ねての参戦だった日野レンジャーも無事に完走です。


著者紹介 菅原義正氏

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No.079「モンゴルに着きました」- 菅原さんからの手紙 2011/08/03 23:46

昨日(8/2)日野レンジャーでの参加の照とナビの杉浦君を空港に迎えにいきました。街が混んでおり早めに出たら一時間も早く着いたのですが、携帯の調子が悪いので二階の出発口のテラスに出て携帯をいじっていたら、30代位の若者達が寄ってきて、急に彼たちが持っている携帯を私に渡すのでした。

電話に出てみたら「スガワラサン 私はジャルジャルでーす」と言われびっくりです。私がHINO TEAM SUGAWARAのTシャツを着ていたのでスガワラだと分ったようです。話の内容は会いたいとの事と新しい日野レンジャーを見たいとの事でした。

ジャルジャルさんは以前、ロシアン・ジープで何回もラリーに出ており、ある時に相談を受けました。内容はピストンリングが弱いので、強いのが出来ないか?   との事だったので、その為にはピストンとシリンダーが必要だと言ったら、翌日に4気筒あるシリンダーブロックの1気筒分だけをドリルだけを使って切り離し、ピストンと一緒に持ってきました。

日本に持ち帰り、我々のスポンサーさんでもある日本ピストンリングさんに持ち込み、ご説明をしたら快く、それも無料で10台分のスペシャルなピストンリングセットが出来上がり、彼に早速、送ったら大喜びでオフロードの大会で何回も優勝してました。

お礼にウラルのサイドカーを送ってくれました。古い物なのでレストアをして大切に乗っているのですが、よく壊れるのでモンゴルに来る度に買い物をしているうちにエンジンが3機とミッションが4機になってしまいました。

更に新車も買い、病気が伝染して尾上さんにも移ってしまいました。

菅原 義正

写真はウランバートルに着いた新型の日野レンジャーと街から5KMも離れたらこんな景色が続きます。空港の建物です。

 

No.078 – 菅原さんからの手紙 2011/07/26 12:00

北海道4DAYSは斎木校長先生の居ない寂しいラリーなりましたが、そんな中でも、殆んどが道外の参加者が集まってくれ意味のある大会になりましたね。

4日間むの殆んどが雨で、更に台風が来て、予定通りに帰宅出来ない状況になり、皆さん大変だったでしょう。

私も予約していた苫小牧-大洗のフェリーが欠航になり、表彰式の翌日の朝9時30分に芦別を出発して、青函連絡船を使い、品川の自宅に着いたのが翌日の朝の7時30分でした。

私は北海道の小樽生まれなので、あえて言わせてもらいますが、道内の参加者が居ない事に怒りを感じます。

聞くところによると夕張でエンデューロの大会があり、バッティングしているとの事ですが、ラリーレイドとエンデューロは違うので、要するにオフロードが好きなライダーが居ないと言う事なのです。

その後に更に驚きました。函館のフェリー乗り場に着いて時間があったのでホームセンターで買い物でもしようと、らしき施設に行ったらとんでもない広い駐車場に車がびっしりです。建物に入ったらなんとパチンコ屋さんでした。

パチンコは悪いとは言いませんが、あまりにも小さな賭けで、外人を案内したら信じられないと言われます。

外人だったら、その時間にはもっと意味のある趣味を楽しんでおります。

グギを一本も打てない借家住まいの日本のシステムにも問題がありますね。

北海道は「Boys be ambitious」なんですがね。

菅原 義正

写真は赤松さんです。


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No.077 – 菅原さんからの手紙 2011/07/11 15:11

会社の前で「隈どり」の模様が入れられ、日野さんから技術者の応援も頂き、最終調整も終わり、日野さんのテストコースで走行確認を一日して積載車に乗せられて神戸港に向かいました。

テストコースでは外周路(両側にバンクが付いた舗装路)を最初に走り水温やオイル温度やインタークーラーの入り口と出口の空気温度などを調べながらの走行のようでした。(私は見て居ただけなので)

その後、内側に作られたダートのコースを何周も走ってました。加速が速く、見ているだけで軽量化の効果が表れていました。

水温もインタークーラーを荷台に付けたので安定しており、効果が表れたようです。

テスト走行後には新しく担当になった若い技術者の皆様に助手席に乗って貰い、体験走行会です。

自分達の想像以上の走りだったらしく、皆さんかなりの興奮をしておられました。

モンゴルでの走りをお楽しみに。

菅原 義正


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No.076 「2012ダカール出場車両出来ました。」- 菅原さんからの手紙 2011/07/05 12:54

今回は焼津にある坪井特殊車体さんの工場をお借りして、日野さんの各担当のエンジニアや弊社から社長(照)を始め、モンゴルから2名の応援を得て、焼津に泊りこみでの作業でした。

写真でお分かりのように弊社で製作したベットレスのショートキャブと坪井特殊車体さんの技術で作られた、フレームと新設計のリアーボディ、そして日野さんで更にチューンされたエンジンが合体されております。

次回は改造クラスにエントリーするので、新しい試みが随所に表れております。リアボディの前側が上がっているのは、この中にインタークーラーとエンジンオイル、ミッションオイル、トランスファーオイルのクーラーが収められております。

次回の開催場所はアルゼンチン、チリ、ペルーと発表されており、スタートの1/1は夏休みが始まる時期で、外気温が高いのと高地を走るので沸点が低くなり、オーバーヒート気味になるので、今回はラジエーターの前にあるインタークーラーをリアボディに移動させました。

リアボディの外板は特殊な生地のホロにして、軽量化を図っております。

これから例の歌舞伎の「隈どり」の模様が入れられ、日野さんのテストコースで走行テスト後に船積みされ、モンゴルに向かいます。

どんな走りを見せるか楽しみです。

菅原 義正


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No.075 「古希のお祝い」- 菅原さんからの手紙 2011/06/16 21:19

先日、友人達が集まり古希のお祝いをしてくれました。

すごいポスターと人形を作ってくれましたよ。

10年前の還暦のお祝いでは山田さんから赤いちゃんちゃんこではなく、赤いベストを頂き、その後の10年はあっという間でした。

TBIも11年連続で出場し、だんだん上手(自分なりに)になっているので、70歳と言われ自分でもびっくりしております。

自分のお祝いにマツダロードスターを買いました。
(今までの自分の車はご存じのダイハツ、ハイゼットカーゴ)

昨日、納車になり今日は御殿場まで往復してきましたが、疲れが全然ちがいます。ハイゼットでは130以上出すのですがタイヤが細く、横風を受けるので結構神経を使いますがロードスターの最高は120位でも気分良く走れましたよ。

ポスターと人形には作った人の優しさが表れていますね。
持っているビールにご注目下さい。

ポスターを書いた人は今回、初めてお会いした人で、人形を作った人にはまだお会いしていません。車と台を作ってくれたのは昨年の北海道4DAYSに私と一緒に出た鈴木賢さんです。

明日はジムニーに乗って松山の車検会場に向かいます。

菅原 義正


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No.074 「お別れ」- 菅原さんからの手紙 2011/06/13 14:24

我々のとても大切な仲間の斎木校長先生が亡くなられ、山田さんと葬儀に出席してきました。

先生は平成2年に芦別の北日本工学専門学校の校長として岐阜の本校から赴任されて以来、我々チームのスポンサーもして頂き、モータースボーツ発展の為にとても深いサポートをしていただきました。

SSERのイベントではツールドニッポン、TBI、北海道4DAYS、ラリーレイド・モンゴルなどで競技の参加者だったり、オフィシャルだったり、素晴らしい活躍でした。裏の無い純粋な性格に我々はいつも頭の下がる思いでした。

お病気になり、頑張って治療を続けていたのですが帰らぬ人になりました。

この次の北海道4DAYSには先生は居りませんが、先生に感謝して走り、今後に繋いでいく責任を痛感しております。

先生の遺志をついで末長いイベントを続ける義務を感じました。皆様の応援をお願いいたします。

写真は出棺を終え、学校のサーキットを一周し、後ろからはモンゴルラリーに出たジムニー、フォレスター、バジェロが追走しました。

先生のご冥福を皆様でお祈りしましょう。

菅原 義正

 


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No.073 「合体です。」 – 菅原さんからの手紙 11/06/06 16:12

5月31日に写した写真を送ります。

事前に焼津の坪井特殊車体さん(私とは40年のお付き合いがあり、毎回、レンジャーのリアボディを作ってもらっています。) にお願いしてたフレームと弊社の恵比寿の工場で作っていたキャブ (運転席) が合体しました。

この車両に日野さんでチューニングしたエンジンが載ります。

次回は改造クラスにエントリーするのでインタークーラーはラジエーターの前ではなく、荷台に移動するようです。

今年の車両はケブラーを荷台に貼っていましたが、今度は更に軽量化を図り幌になります。

テストはラリーレイドモンゴルですが、本当に間に合うの? 今日は天気が良かったのでBMW1200GSを引っ張り出し、御殿場の工場に行ってきました。

用件は佐藤薫さんに見てもらうウラルのミッション3ケSSERに送りました。

650cc用のミッションが合計5機もあり、取り敢えず3ケをばらして調子の良い1機にしてもらう作戦です。 イーチのホイールも特注スポークが張られて来たので、こちらのレストアも大変です。 とりあえずはモンゴルデビューの日野レンジャーにご期待下さい。

弊社の御殿場工場の隣では新しくモンゴルに出場する高杉君が全開で車両を作っていましたよ。新しい仲間は大歓迎ですね。

尾上さんと私の戦いにも応援くださいね。

菅原 義正


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No.072 – 菅原さんからの手紙 2011/06/02 14:57

 5月30日の月曜日はアメリカの戦没記念のメモリアルデーで祝日だったそうです。ワシントンDCでは、恒例のローリングサンダーというバイクでのパレード行事があったと、アメリカに赴任した長男から写真が送られてきました。

なんと集まったバイクの数は40万台だそうです。

私、個人的には大の大人が「バカッポイ」事を真剣にする事がとても大切だと常々思っています。

バカサ=若さ=バイタリティです。 日本はバカサが無いからバイタリティも生まれません。

仕事は前倒しでは無く、後送りで、事なかれ主義なので、今では問題が山積していますね。

バイクの運転より人生の操縦の方がとても大切ですが、バイクの運転が出来ないのですから人生もどうなんでしょうね。(極端な発想ですが・・・)

東京はバイクで街に出かけても駐車する場所がありません。

しょうがなく車で歯医者さんに行って治療費が500円で駐車場代が1200円です。こんな国は日本だけですよ。

明るさが無い変な国ですね。

菅原 義正


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No.071 – 菅原さんからの手紙 2011/05/26 14:33

5月20日(金)と21日(土)と22日(日)とで次回のラリーレイドモンゴルに出る有志が集まり、砂の走行練習に行ってきました。

最初はジムニーで出る「まるちゃん」の特訓の予定でしたが、何と集まったのは15名にもなりましたよ。

この場所は私がファラオに出る時に使ったり、地元の許可を取って日野さんの最初のテストやパリダカに出た佐野新世君の練習に、たまたま日本に来ていたガストンさんの指導をうけたり、昨年出た「ahead」の若林ドライバーの特訓をした場所です。

日本にはなかなか走れる砂丘地帯が無いので重宝しています。まるちゃんの希望でスタックした時の脱出方法や砂丘の登坂の練習、タイヤとエアー圧の関係など机上では無く、実際に体験しての勉強会です。

泊った場所はSSERのイベントで使うキャンプ場に負けない位の素晴らしい芝生の場所で、練習が終わったらすぐ近くの温泉に行きそこの食堂でビールで乾杯です。

私にはサプライズがありました。ちょっと早めでしたが、ケーキまで用意してくれ、素晴らしい誕生祝いをして頂きました。写真は兵庫の五百蔵さんが撮影です。

やっと70歳です。有難い事です。

 

 

菅原 義正 


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No.070 – 菅原さんからの手紙 2011/05/19 13:01

山田さんが「海へ」の事を書いたので急に懐かしくなりました。蔵原監督は「海へ」を作る前の年に小さな8ミリカメラを持ってパリダカの取材に来たのです。その時にキャンプ地で何回かお話をしました。

翌年のラリーで「海へ」のクランクインをしたのは知っていましたが、ラリーが終わって日本に居たら急にチュニジアで撮影中の蔵原監督から電話が入り、3日後にはチュニジアに向かいました。

チュニジアのチュニスに着いて、レンタカーを借りて800キロ先のロケ地に一人で向かいましたが、GPSも無い時代なので地図だけでした。

途中のレストランで食事をしていたら、オーナーが「何処に行くの」と尋ねてきたので、ツ・ズールで1ケ月映画の撮影で滞在すると話したら彼は昔、日本人の遠藤さんと仲が良かったので「遠藤さんを知っているか?」と尋ねてきました。日本には遠藤さんはイッパイいますよ。なんて話をしていたら気に入られたのか、彼の奥さんを1ケ月貸すから帰りに返してくれれば良いと言って奥さんを連れてきました。(一夫多妻なので)

丁重にお断りしましたよ。

こんな話をしたら朝までになりますね。写真のシーンはチュニジアで写しました。このシーンに立ち会った人は何人もいないので懐かしくお手紙しました。

追伸 蔵原さんは2002年に亡くなりました。石原裕次郎主演の「栄光の5000キロ」も彼の作品で、その時使った日産のブルバードは小樽の「裕次郎記念館」に飾ってあります。 蔵原さんと私は誕生日が一緒でした。

菅原 義正


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No.069 – 菅原さんからの手紙 2011/05/12 13:17

今年のTBIは適度なお湿りもあり、とても楽しく走らせて頂きました。

初出場の長谷見さんも言っていましたが、あれだけのオフロードが走れるのはSSERのイベントだけですね。改めて山田さん始めオフィシャルの皆様に御礼申し上げます。

帰ってすぐの土日に会社に行き、北海道4DAYSの為の改造に取りかかりました。マップホルダーの位置を少し上に付けてみました。補助灯はとても明るいのですがアメリカ製なのかHIDのシールドされた電球なのに、水滴が中に入りショートしてだめになり、新しく別なタイプをオーダーしました。

今日はチエーンを洗浄しましたよ。

モンゴルでデビューする新しいレンジャーですが、照が毎日、遅くまで作業をしており、かなりのスピードで作業が進んでおります。

別班は焼津の工場でフレームの穴あけ作業が始まっており、急ピッチです。

今日は補助灯のLEDのランプのステーを私が作りました。私は使った事がないのですが、とても明るいそうです。

「欠点はちょっと重い」

室内も色々な計器が付けられてきました。

菅原 義正

 

 

 


著者紹介 菅原義正氏

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No.068 – 菅原さんからの手紙 2011/04/27 22:36

次回に向けて着々と作業が進んでおります。

ロールバーも更に研究して乗員の安全を考えての補強が入っております。写真では屋根が付いていますが、ロールバーを室内で溶接で組み立てるので一番最後に屋根を付けるのです。

「屋根があると溶接のトーチが入らないからです。」

室内にはダッシュボードやハンドルやシートなどが仮に付けてドライバーとのマッチングをしております。

もう1枚の写真はドアに穴をあけて軽量化をしております。

我々チームは次回から改造クラスにエントリーします、改造範囲の制限が緩やかになるので、かなりの軽量化が出来ます。

連休明けには焼津の工場での作業になり、このキャブ(運転席)も運ばれて、シャシーとドッキングされます。

また、作業の進行状況をご報告します。

追伸 私は明日、新しく塗装された(レンジャーと同じデザイン)ダイナに乗ってTBIのスタート地点に向かいます。このダイナはTBIのカミオンバレーとして使われるそうです。

菅原 義正


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No.067 – 菅原さんからの手紙 2011/04/18 16:36

16日に初めてモンゴル仕様2011モデルの試乗をして来ました。

昨年の車両を良く調べたら、ターボーが良く働いて無かったので新しくしました。

軽量化は写真の様にリヤドアは幌です。給油口は室内にあったのですが、幌の開閉を少なくする為に、ルーフに移動しました。

尾上さんはボンネットをケブラーの軽量の物を付けたと威張っていますが、私のは両サイドのフェンダーが薄いファイバー製です。

ボンネットの穴はインテークマニホールドとターボーに走行風を当てて冷やしています。

御殿場のオフロードを体重90キロの弊社の高橋を乗せて走りましたが、体感出来る程の加速感がありました。

今年も七沢温泉では尾上さんにご馳走になりましょう。

楽しみ、楽しみ。

菅原 義正

 


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No.066 – 菅原さんからの手紙 2011/03/30 18:29

東日本では想像を超えた災害を受け、被災された皆様にかける言葉がありません。

嬉しい事にはSSERの山田さんがすぐに動かれ、同じ気持ちの我々のラリー仲間が多数、現場に行った事です。「じじばばネット」の中島さんが書いているように「民間であれだけの物資とそれを運ぶ機材と人材を持っているのはSSERだけだと」私も同感です。

今回の災害には色々な方がコメントしており、私からはノーコメントにします。

次回のダカールですが、一時はブラジルからスタート? などと言われていましたが、正式に発表がありました、アルゼンチンの首都より少し南の町から、チリを通過してペルーのリマがゴールになるそうです。

2-3年前はチュニジア-リビア-エジプトなどの話もありましたが、ご存じの通りで開催は不可能ですね。

我々チームは次回に向けて車両の改造中で、照が乗る2号車は新しいコンセプトで製作しております。上の写真はフルキャブをショートキャブに変更(29センチ短くなり軽量化を考えての事です)し、下の写真は3/29の夕方に写した物でレギュレーションに基づいたロールバーが入りました。

この写真はFIAの最低元の仕様でまだまだ補強が入ります。

少しずつですが、改造の報告をしますね。

追伸 モンゴル・ラリーの件でAPIOの尾上さんと久しぶりに電話で話しました。次回の私のジムニーはダカールから学んだ全てが注入された車両になっています。尾上さんは心配そうでしたよ。これもお楽しみに。

菅原 義正


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No.065 – 菅原さんからの手紙 2011/03/08 15:23

来年に向けての用意が始まりました。

照とバイラーさんとモンゴルの人〔毎年モンゴルで私の車を整備してくれるアンハー君〕 3名が2/23からフランスの工場でサービスに使っている日野FU 6輪駆動車の荷台の改造中です。

タイヤ〔ホイール付きで160KG〕を吊り上げるクレーンを新作したり、前方に荷室を増設して、スペアーミッションを吊り上げて、レールで中に入るようにしたりです。

所変わって恵比寿の本社では新しいキャブ〔運転席〕の屋根と後ろ面を取り外し中にロールバーを入れる準備中です。

こんな事をしているうちにすぐに1年が過ぎてしまいますね。

第一目標は新しく作ったレンジャーをラリーレイドモンゴルでデビューをさせます。コンセプトの違った車両になるのでお楽しみに。

写真は今年の私が乗っている1号車です。

FACE BOOK の映像には照が運転している2号車も出てきます。 1号車は前から見ると大きな補助ランプが付いています。後ろから見ると扉かあります。 2号車は後ろの扉が無く、開放になっています。

6分弱なので、お楽しみ下さい。

菅原 義正

以下、リンク先の映像をお知らせします。(リンク先は終了している事があります)

http://www.facebook.com/video/video.php?v=190272887673716&oid=103241499749690&comments


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No.064 – 菅原さんからの手紙 2011/02/18 12:00

今年のダカールラリー参加者に配られた資料をお知らせしますね。

最初の図はSAGE 5のSSだけの展開を書いているものです。左上は自動車とトラックの走るコースの標高と下には路面の様子が書かれております。今回はバイクと自動車が違う道を使う事が多々ありました。

SSだけのコース長は423km スタートの高度は3000mで3200mまで上がりゴールのイキケには高度1200mから一気に海抜0メーターまで駆け降ります。

下を見るとわかるのですが、アップダウンをしながら94kmの砂丘が続くのです。

約御殿場と東京間くらいですね。
2枚目の図はコピアポオに行く日で砂丘が7kmと92kmと17kmと102kmでTOTAL218kmで図を見るとアップダウンの連続でね。

この場所は昨年、落盤事故があり、33人が無事に生還した有名な場所でキャンプ地には人間を引き上げたカプセルが展示され、皆、記念撮影をしていましたよ。

移動する距離もすごくて、毎日SSを含めて700キロから800キロを走るので持久力も必要ですよ。

菅原 義正


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No.063 – 菅原さんからの手紙 2011/02/10 14:43

先日、facebookを通じて1枚の写真が送られてきました。

1983年(初めて出た年)の1月2日の朝で、場所はニームの近くの軍の演習地を使ってのSSです。とても寒い年でコース内には凍結している場所もありました。

1月1日の朝、8時過ぎにコンコルド広場を出発してパリの近郊でSSが1本あり、更に国道20号線を約1000km南下し、このニームに着いたのが朝の7時頃で、一睡もしないでのスタートでした。

大きな荷物とスペアータイアを持ってないのは、ニームの駅のコインロッカーに預けてきたのですが、このSSを終わった後にニームの駅を探すのが、とても難しく困り果てた記憶があります。なにせコマ図はSSのゴール地点からニームのフェリー乗り場までしか書いてありません。

その話を続けると1週間くらい必要なので、置いておき車両を見て下さい。

ヘッドランプにはガードが付いています。補助灯としてシビエのランプがハンドルの右に付いていますね。そこには盗難防止のワイヤーロックが掛けてあり、ハンドルには風防があり、テールランプはレギュレーションで2ケ必要なので結構大型が付いています。リアーの両サイドには水のタンクが付いています。

私はコンタクトレンズを使用しているので、ゴーグルは必要不可欠なのですが、裸眼で走っているのは、温度差でゴーグルが曇って使えなかったのですね。

一枚の写真ですが、写してくれた人に感謝し、この年でもなんとか頑張ってパソコンと向かい合っている事で、良い意味有難い事です。

 

菅原 義正


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No.062 「曲芸師」- 菅原さんからの手紙 2011/02/02 13:47

写真は昨年の物ですが、今年も同じ場所も通りましたし、更にすごい場所も用意されておりました。

ウエイポイントがとんでもない砂丘の真上に用意されており、その200メートル以内に入らないと車載のGPSの機械が認知しないのでペナルティになります。途中で止まっているバイクのライダーはポイントの真ん中を狙って走っていたんですね。我々はリスクの少ない場所を探し200メーターギリギリを狙って走っています。

今年は68台のカミオンの内、転倒したのが20台以上でした。いやな事に新しいカミオンの屋根には転倒した時に起しやすいように両側に2ケフックが付いていましたよ。

スタートして2日目のSSで前を走っていたカミオンが横倒しになって道を完全に塞いでおり、乗員が起して欲しいと言っているのですが、なにせ我々のレンジャーの2倍くらい大きな車体でした。もたもたしていたら時間がもったいないのでトランスファーをLレンジにして引いたのですが、1回目はだめで2回目に勢いを付けて引いたら、何と起きてしまいましたが、まだ道路を塞いでおり、前輪のタイヤはリム落ちしてパンク状態なので、フロントのフックにロープを付け替えで引っ張りやっとカミオンが通れるスペースをつくってあげました。

その為に時間をロスしたので、書面にして主催者に報告したら、5分を引いてくれて、転倒したドライバーも主催者に報告に来て、スガワラは引き方が上手だったと話したそうです。あまり嬉しくない話ですね。

そんな訳でこれからはドライバーやライダーではなく、曲芸師と呼んで下さい。

追伸 2/13の21時から90分番組(総集編)がJ SPORTS ESPNで放映があります。

菅原 義正


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No.061「パンアメリカンハイウエイ」 – 菅原さんからの手紙 2011/01/24 13:47

ブエノスアイレスの市内もそうですが、我々のSSをする郊外の農道まで四角に区切られております。市内の道のほとんどが一方通行で100メーターの間隔で区画されており、その距離を1クアドラと呼んでおりました。 市外の農道は400メーターで直角右とかで畑なので区画距離が長くなります。

写真の1枚目はとても分かりやすい標識ですね。一番右は最高速度90km/hで最低が60km/hで車線ごとに最高速度を表しているので、初めて走る人にも優しい標識です。

写真の2枚目は走る車種を指定しております。ちなみに我々ラリー車は最高速度(リエゾンもSSも) が140km/hに指定されており、オーバーすると車載のGPSに記録されるので罰則の対象になるのですが、リエゾン中は一番左側を走れます。

この高速道路は混雑がひどくなると料金所がフリー(無料)になります。

この道はパンアメリカンハイウエイと呼ばれ、完成するとカナダまで行けるそうですよ。ちなみに、ペルーのリマまでバスで行けるのですが、72時間もかかるそうです。

その間にアンデス山脈(4700m)を越えるので、酸素が出てくるのかもしれませんね。バスのタイヤにはCTISと言う、我々が使っているのと同じ装置が付いており、高地に行ったら運転席から減圧が出来ます。

日本の感覚だと峠を登ったら、すぐに降りると思うのですが、3500メーターから4700メーターの台地を200キロメートルも走り、その台地に山があり、標高6000メータークラスです。

ラリー中にバイクで旅行中の2人の日本人に合いました。

もっと日本の道路公団は勉強すべきですね。

菅原 義正


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No.060「盛り上がり」- 菅原さんからの手紙 2011/01/19 14:11

1枚目の写真はスタートセレモニーの時でパルクフェルメから出た車両は街の中心街を一周して観客の皆様に見て貰います。

「7月9日大通り」を通行止めにして行われ、先にはこの街の象徴のオリベスコがあり、そこを回ってパルクフルメまで行進しました。20万人も集まったそうです。

2枚目の写真はブエノスアイレスから最初の目的地のビクトリアに向かう途中の写真です。これでは走れません。

各、キャンプ地に到着するとこのような人だかりが出来、何か日本にない盛り上がりと言うか勢いを感じてしまいます。

事前に新聞などで発表されるのか、SSの沿道にテープが張られ、ものすごい数の観客がおりました。

警備にあたった警察官は25,000人だそうです。

日本との違いの大きさに考えさせられます。

菅原 義正


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No.059「再会」- 菅原さんからの手紙 2011/01/11 13:10

今日はアリカでの休息日です。

ラリーは「再び集う」と言う意味もあるそうですが、ダカール・ラリーを30年ちかくもやっていると、世代が変わり顔見知りが少なくなってきました。

今日、我々のキャンプにフランスの新聞記者を連れてエッチエヌ・スミルビッチさんが訪ねてきました。彼とは1985年に一緒のスポンサーさんの協賛を頂き、お互いにパジェロでの出場でした。彼のナビゲーターは昔、サッカーで有名なレイモンド・コパさんです。

私はナビゲーターでドライバーは俳優で有名な夏木 陽介さんです。

ある夜に走っていたら、彼の車が止っていて我々に助けを求めてきました。 よく調べてみたらオイルプレッシャーゲージが根元から折れてエンジンオイルがもれており、私は早速、彼のハンマーの柄の一部を削り、オイルの漏れている穴に栓をしてあげました。その何日か後に今度はセルモーターの調子が悪くなりエンジンが始動しないとの事なので、先日使ったハンマーを出してもらい、セルモーターを叩いたらなおり、彼は驚いて、これはマジックハンマーなので次に出るときはネックレスとしてこのハンマーを首からさげてくると言っていました。 そんな思い出話を記事にするようでしたが、最後にスガワラは何回目?と聞いてきたので28回目と言ったら、彼は29回目だと言うのです。

それはおかしいといったら、主催者に確認を取ったら中止になった2008年もエントリーしているので出場回数に入れて良いと言われてそうです。

そんな訳で私も29回の出場になりました。

明日の情報が入りました。昨日と一昨日のステージが厳しすぎて、明日はカミオンクラスだけSSのCP3で終わりになるようです。明日は208kmのリエゾンと611kmのSSでしたが我々のSSは192km地点で終了です。

写真はダカール最多出場回数の二人です。

菅原 義正


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No.058「あけましておめでとうございます。」2011/01/02 19:52

2010のSSERのイベントは盛りだくさんになり、ほとんどのイベントに参加させて頂きました。杉村くんのお手伝いもあり、すそ野の広がるイベントも企画されとても楽しい一年でした。

2011のイベントも更に楽しくなりそうなので、今からとても楽しみにしております。

こちらは車検も無事に通過してパルクフルメ中で、カミオンクラスは1日の午後8時頃にスタートして約380KM先の最初のキャンプ地であるビクトリアと言う町までリエゾンです。予想到着時間は12時を過ぎそうです。

皆様、良いお正月をお迎えください。

追伸:オフィシャルの皆様へ
2010もお世話になり、ありがとうございました。
では、行ってきます。
ラリー中の様子はwww.j-r-m.co,jpでお楽しみ下さい。

菅原 義正


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No.057「情けない」 菅原さんからの手紙 2010/12/30 22:30

日野自動車さんがダカール挑戦20周年の記念として車体のデザインを日本の伝統である「歌舞伎の隈取り」をイメージしたデザインにして頂きましたが、文化を継承しなければならない大事なお人が世の中を悪い方に騒がせております。

我々は日本の文化を世界に示すことも大切なことだと思い28年もやってきました。とても残念なことです。

30日は午前4時20分にホテルをチェックアウトして車検会場に向かいます。

添付写真はカードにしてラリーの途中でファンの皆様に配るように大量に日野さんが用意してくれました。

菅原 義正

 


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No.056 「全てが逆?」- 菅原さんからの手紙 2010/12/29 17:48

letter_056_20101229_01今日はこちらで磁石(コンパス)を買いました。キャンプ用品屋さんはあるのでしょうが、中々そのお店が見つかりません。散々探して、ジェスチャーや筆記でNとSを書いてコンパスを分って貰いましたよ。

写真を見て下さい。左はこちらで買ったコンパスで矢印は南を指しています。右は日本から持ってきたコンパスで北と南は逆に指していますね。

早速、麻生さんの開店のパーティが始まる寸前に山田さんに電話しました。彼曰く、お風呂の水を抜くと抜ける時の廻り方が日本と逆なので、やって撮影してみて下さいとの事です。

このホテルはシャワーだけなので、洗面台でやりましたが、水だけだと良く分からないのでトイレットペーパを小さく切って流したら左巻きで流れるのですが、時として右にうずを巻きます。

日本の流れ方を教えて下さい。ちなみにおしっこは真っすぐに出ますよ。

(山田 注: 台風などの渦は北半球では左回り(反時計回り)南半球は右回りです。これは地球の自転のなせる業ですが、洗面台などはその形状による渦で、判別は不能です。しかし菅原さんのいうとおり、かなりな部分で違いがあることは事実ですね。)

やはりこんな環境なのでチーム員の一人は倒れまた。

ラリーとは競技以外に戦う事が多すぎですね。

自画自賛ですが我々チーム員はこのラリーで28年間一回も人身事故を起こしていません。

菅原 義正

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No.055「すごい時代になりました」- 菅原さんからの手紙 2010/12/28 17:11

添付写真は2009のダカールでの3日目位のキャンプ地で、写真で後ろに写っているのは私のテントです。

今日、メールをチェックしていたらface book でIVO KASTAN(チェコの人)さんからのメッセージと共に、この添付写真が送られてきました。

彼はこのバイクで挑戦して、3日目位でSSを途中から外れて、我々チームのアシスタントカミオン(日野プロフィア6輪駆動車)にくっついてキャンプ地を目指して走って来たそうです。

偶然にも私のテントの傍に居たので、声をかけ、彼のカメラで写真を撮ってもらいました。 タンクはホンダ125のパリダカタンクです。

後で分かるのですが、彼は猛烈なガストン・ファンだそうです。あの時に分っていれば、私のカミオンにガストンさんの写真を貼っているので、お見せすれば喜んだのにと思っていました。

そんな彼からアルゼンチンでメールと写真が届いたので驚きました。

この後に彼は一人でエンジンアッシーを一交換するのですが、翌日のキャンプ地には来ませんでした。

彼は2007のダカールを完走し、ボンネビルでこのような小さいバイクで最高スピートの挑戦をしているとは知りませんでした。

こんなすごい人からの連絡に驚きです。

菅原 義正


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No.054「自衛」- 菅原さんからの手紙 2010/12/27

一枚目の写真ですが牢屋ではありませんよ。

我々が泊まっているホテルです。昼間でも鉄格子には鍵がかかっており、フロントの人が確認してから電気的に解錠します。その後、更にドアに鍵が掛っており、フロントの人がドアまで来て、手動で開けてくれます。

フロントのお姉さんが言っていました。この国では2ペソ「日本円で約50円」欲しさで拳銃で撃たれて殺されると。それを一緒に聞いていた弊社の高橋は「拳銃の弾の方が高そうですね。」

また、こうも言っていました。掃除をしたくなければ鍵を開けて外出する事だそうです。帰宅したら家の中の物は全部無くなっているから・・・だそうです。モデルさんのように綺麗なお姉さんですが、2回も拳銃を向けられたそうですよ。

どちらも、たとえ話でしょうが、日本とは大違いですね。

2枚目の写真は開店前のお店です。3枚目はドアを含めて5つの鍵が付いています。更にこの鉄柵を外して開店するのですが、外した鉄柵にも持って行かれないように鍵を掛けます。

考えてみたらコロンブスが来た頃から略奪を繰り返されてきた歴史が物語っているのかもしれませんね。

おまけ2010
ブラジルで聞いたのですが赤ちゃんに蒙古斑点が出るのが多いそうです。原住民は、アジアからアラスカを渡り、パナマを超えて南下してきたのですね。

菅原 義正

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No.053 -「菅原さんからの手紙」2010/12/24

競技用の日野レンジャー2台は3年前からアルゼンチントヨタさんのご厚意で我々の為に用意して頂いている、専用の場所におさまりました。

車高の高いレンジャーが入れるようにと天井からの照明を上に移動してくれています。

次回の大会からカミオンのドライバーとナビゲーターにも安全装備が更に多く義務づけられました。昔はTシャツで良く、ヘルメットだけうるさく言われたのですが、今後はヘルメットはもちろん、下着の上下と靴下とマスクと手袋とレーシングスーツと首を守るハンスを付けます。

ラリーレイドはF-1と違って、上下左右、頭を動かして走るので今日は車両の最終走行テストと安全装備を付けた状態でのテスト走行を行いました。

ハンスが曲者でヘルメットの前後と左右の動きが規制されるので、まずは工場内のテストコース(舗装路)を3周程しましたが、そんなには邪魔にはなりませんでした。

今度は工場の外周にあるダートでのテストをしたのですが、想像していた通り、ハンスとヘルメットを止めているベルトが動きを規制し、このままでは難しい事が判明しました。

どうにかしなければなりません。

写真の説明です。工場に入つた日野レンジャーで左が1号車、右が2号車です。違いは補助灯の位置とブッシュガードの色です。

ハンスを付けた後姿の私です。

ハンスとマスクを付けて新しいデザインのアライヘルメットを被っています。

走行テストを待つ私の全身像。サンタさんではありませんよ。

良いクリスマスを

菅原 義正

追伸 モトワークス改装開店おめでとう。


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No.052 – 「菅原さんからの手紙」 2010/12/20

待ちに待った日野レンジャー2台がお世話になっているトヨタアルゼンチンの工場に運ばれて来ました。

写真01 最初の写真のように大型のトレーラーでコンテナーごと低床の積載車に乗せられてきます。この車両の前には注意を促すための黄色の回転灯を付けた前走車もおりました。
昨年は大丈夫だったのですが、今年からレギュレーションが変わり、高速道路の走行許可が出ないので、ブエノスアイレスの街を大きく外回りして、走って来たそうです。

 

写真02 二枚目の写真ですが日本で積み込んだ状態がそのままになっているオープンコンテナーで長さは40フィートだと思います。

 

写真03 三枚目はブルーシートも外されて、コンテナーに固定している車止めやテープ類を外しています。 ここまで来るのには、2週間も前からブラジルから川崎汽船の方がこちらに来て手続きに奔走してくれました。更にこちらの豊田通商の皆様にお世話になっており、ラリーをやる前の大仕事が皆様のご協力があり、出来るのだと改めて感謝しております。

昨夜はラリーで転倒した夢を見ました。気をつけます。

菅原 義正


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No.051 -「菅原さんからの手紙」2010/12/16

letter_051_20101216_01 昨日は昨年GPSで押さえていた緯度経度をハンデイの60に入れて、自動車関係が集合している街まで運動を兼ね4時間かけて歩いて行きました。

入れた数値は S 34-35-56-00 W 058-27-06-00暇なときにでもグーグルアースで見て下さい。

昔、東京の両国の近くにタテカワと言う場所に同じような街がありました。
古い車も走っているので機械式のメーター類を修理するお店やプロペラシャフトの修理専門店などがありますが、広くて全部見切れずに帰りはタクシーのお世話になりました。

写真のようにこちらではバイクにタンクカバーを付けているのが多くみられたのでタンクをキズから守るものだとばかり思っていましたが、Tシャツを掛けているのを見て理解できました。直射日光が強いのでタンクの温度を上げない工夫なんですね。

もう一枚の写真はリアヘスプリングのダストカバーです。

今日はレンジャーの通関が終わりそうなので、市内のホテルをチェックアウトして工場に向かうので日本食のレストランとはしばらくおさらばです。

菅原 義正

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