このコンプレッサーを見ていると、色々な事が思い出されます。
初期のパリダカールラリーはサービストラックも同じコースを走らなければいけませんでした。
車両には競技車と同じく、ロールバーが必要で、乗員もメカさんなのに競技用ライセンスが必要です。
ガストンさんが出場していた時です。彼は私の車にエアーコンプレッサーが付いてる事を知っていて。毎晩、私の車のそばで自分一人でバイクの整備をするのです。彼のサービストラックは6輪駆動車で到着がとても遅くなるので彼は明るい内に整備を終わらせてました。彼のバイクはBMWですが、エアークリーナーは乾式を使っているので、高圧のエアーを吹きかけるだけで掃除は完了です。重整備が必要だったり、部品が必要な時は後から来るサービスカーが整備をします。
当時の給油は事前に申し込んでおき、キャンプ地でドラム缶で渡されます。
その時もエアーコンブレツサーが活躍します。ドラム缶にエアーを送りその圧で給油できる装置を作り、持っていきました。
パジェロで出たある年、キャンプ地にタンクローリーが一台しかいない時があり、私は18時頃キャンプ地に着き、すぐ給油が終わったのですが、同じチームの2号車は21時頃到着したので、給油に長い列が出来て、終わったのは翌朝の8時頃で9時にスタートしていきました。
車を作っていると、昔の事がよみがえってきます。
ジムニーはポリカーボネートのウインドガラスが付くと、外観はほとんど完成です。
菅原 義正
著者紹介 菅原義正氏
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