東京プリンスで、30周年記念の小宴を開くこととなって、
そこのオープニングに流すPVを、いつものように社内制作をするということになった。
30年の記憶を3分くらいにまとめるというのも容易ではない。
そしてボクはそのナレーションを書かなければならんのだが、これが実に難しい。
他者のものを聞き取りしながら書くのは、
まだ易しいのだが自分の事となりとホントーに難しい。
良いように書くのもあれだし、へりくだり過ぎて「まことに、粗末ですが・・・」
と書くわけにもいかない。
という事で、どんなものになるのかは、時間とも戦い、
心とも戦わなければならないので、陳腐なものになってても笑わないで。。
本人たちは大まじめなのだから。
30年は過去には「企業の寿命」といわれ、ひとりの人間が就職して定年退職するまでの時間だ。
その入社を夢に見て入った企業(若しくは産業)は、隆盛を極めてるので志望して入社するのだが・・
30年後には見事に斜陽産業になっている。斜陽ならいいのだが存在していない場合も少なくない。
近年は、そのサイクルはさらに短くなり、ひとは人生に何度も職を変えなければならなくなった。
こうして「一生をかけてする仕事」はかなり厳しくなってきた。
それにしたがって人材の流動化もしなければならないので、非正規だとか正規社員だとかという概念も、
さらに大きく変わる。変わらなければ、生き残れない。
石の上にも3年、とはよく言うけれど、3年は長すぎる。
半年か1年で答えの出ないものは、事業としては厳しい。
なのに30年。いささかも長きに過ぎた。
変わらなければ、は強迫観念になってきた。
そうして20年を超えたあたりから「変わろう」「変えよう」の掛け声の日々だった。
つまりそれも、ボク流に言うと「変わろうとしないから変わろうと言ってるにすぎなくて、
変えろ変わろうとはまた、変わらないことの証左にすぎないのだ。」
ともいえる。
ところがいまナレーション原稿を書きながら思う。なんだ30年間くらい。そんなものは変わらなくても良い。
変わろうとするエネルギーよりも陳腐化を受け入れて変わるまいとする意志こそが、実は時代を切り開くのではないかと思っている。
右往左往しているのは、実は「時代」という、まあメディアが作り出している幻影にすぎない。
それに踊らされる若い経営者の群れ。
先月、講演会で聞いたファンドだかの若い経営者の「人生は、変えられる。」
「毎日このままの生活でいいんですか!?」という絶叫めいたアジテーションに感じた
「いいんだよ、それで。」を30年費やしたボクは、いまいちど「それでいいんだよ」と言おう。
その講演者に送るのが、きょうの一枚
http://www.foxmovies.jp/life/
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