いま南米ではダカールの熱い闘いが終盤戦だ。
さまざまな思いが、さまざまなカタチで幕を閉じる。
それはダカールに限ったことじゃないけど。
年末年始に繰り広げられた、あまたのスポーツ。
頂点に立つのは、わずかに1チームのみだ。
その針の穴ほどもない歓喜の経験をする者は、そのスポーツに恐るべき情熱を費やした者の、本当に限られたわずかだ。数万分の一か、それ以上の確率だろうと思う。
常勝のシリル・デプレもペタランセルも、新しいプジョーで苦しんでる。
あれほどの経験をもってしても、上手く行かない。
そう、スポーツの現場はダカールに限らず「上手く行かないことの経験の場」だ。
上手く行かないことは、良いことなのだ。
人生なんて、そう上手く行くことは無い。
確率的に見て、そうだということが判る。
少しむかしばなし。
パリダカの時代。
GPSのない時代のことだ。
つまり、特に上手く行かない時代のことだ。
主催するティエリー・サビーネは「冒険の扉を指し示すのみだ。望むなら連れて行こう。」そう言った。
そのティエリーの死後2年。88年の第10回大会がそのピークだったろう。100名にも及ぶ日本人参加者と、大勢のプレスがいた。ボクもその年に初出場を果たした。
ベルサイユ宮殿のポディウムは、幾万の観衆で埋め尽くされテェリーの好きだった?サーチライトが夜空を切り裂いていた。フランス語で選手を紹介する絶叫が、まるでサーチライトのビームに乗せられて世界中に響き渡っていた。
そこには熱狂があり興奮があったが、参加者の胸の奥には黒々とした不安もあった。まあ、それが冒険というものの特性だ。
出場していたとはいえボクタチはその様子をベルサイユの上手く予約のとれたホテルの部屋のテレビで眺めていた。歩けばパルクフェルメに3分と掛からない。
いずれにしてもボクのスタート時間はまだまだずっと先のことだ。
それは別世界の出来事を、遠くテレビ中継を見るようだったが音声はテレビの中からと窓の外から微妙にズレて耳に届いていた。
心地よさと、不安と。その数時間は、得難い体験だった。それ以降の大会でももちろん緊張はしたものの、この1988年1月1日の未明から続くスタートの興奮は、ボクの人生の中でも特別なものとなった。
しかし、あれはいったいなんだったのだろう。
スタート台に着くまでの1年間の熱狂の日々は。
あれから随分と歳月が流れた。
ボクは1992年のパリ-ルカップ、同年のパリ-北京で、一度マシンを降りてモンゴルのゴビ砂漠で、1988年の熱狂を糧にラリーの開催に取り組んだ。
ラリーモンゴリアだ。
確か2年目の1996年。
一人の少年がラリーに参加したいと、関係者を通じて話があった。少年の名はボルドバートル17歳。レギュレーションの出場資格は18歳以上だったので随分と議論が交わされた。ボクは終始「NO」を突き付けていたのだが。
さてそのラリーモンゴリアでは3人の日本人の総合優勝者名が刻まれている。
それは、博田 巌、三橋 淳、池町 佳生。。
同時代に生まれた、ライバルというか数奇な巡り合わせに生きた男の子3人だ。
やがて彼らは、ダカールへと巣立った。
彼等は初出場の時点で、その力を発揮した。
過去の記録を軽く塗り替え、ヨーロッパ勢に対して非力な体制ながら3名が3名とも互角以上に戦いあった。
ひとつ不思議なのは、同時代に生きながら3人とも、いずれも同じ大会に出場していないのである。モンゴルでも、パリダカでもバイク時代には一戦も交えていないのではなかろうか。
今モンゴルで敵なしのボルドバートルはといえばダカールでは苦戦続きだ。前出の3人と比べればマシンそのものはヨーロッパ勢と互角だし、ラリーの経験は充分でモンゴルでは勝利をほしいままにしているしダカールは3度目だ。
しかし彼らのように実力が出し切れていない。
上手く行かないのだ。
上手く行く、と上手く行かないの違いはどこにあるのだろうか、と考える。
きっと勝つことへの執念は、3人に劣らない。
準備の進め方も、彼ら以上に慎重で丁寧だと思う。
技術やスピードも互角だ。
しかしうまくレースを運べていない。
「ダカールとは、いったいなんなのだろう?」
と、考えさせられる。
前出の3名の日本人は初出場以来2度ずつだろうか、必ず15位前後で極めて非力な体制で走り切っている。
いっぽう3度目のボルトバートルは、やはり苦戦している。
ダカールとは、ほかの競技と同じくメンタルの闘いなのだ。しかもダカールは多くのものに「その人生」を賭けろ!と強要する。
年に1度のイベントに人生を賭けると、浦島太郎の玉手箱の中に入り込むほどの時間の犠牲を強いる。そして、気がつけば体力も気力も衰えている自分に慄然とする。
こうしてメンタルとは、精神力のことととらえられがちだが、ダカールで言うメンタルは1年間費やした非情さのことだとボクは考えている。
非情、とは言葉が悪いけど、大きくは間違っていない。それは膨大な時間の量の逸失のようなものかとも思う。
そしてさらに加えると、ボクは3人の奇跡のようなラッキーを何度か目にしている。
エンジントラブルで辿りついたビバークにのみ届いていたたスペアエンジン。とか、優勝を手からこぼしたと思った瞬間に、遊牧民のポケットにあった探しても見つからなかった同サイズのボルトとか。
結論を言うと、結果をもたらすのは、やはり女神の存在かもしれない。
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