「あのTDNから10年。日本のエネルギー政策を問うた2004年」 – 2013/10/08 (火)

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もう10年の歳月を失った。それは長崎ハウステンボスをスタートした、「Tour de Nipponは2004」この大会はなにかに衝かれたような渾身のルート制作。秋も深まった頃に北海道を駆け抜け遭難寸前。トムラウシの山中で日没直前ヒグマの赤ちゃんに遭遇して、思わず駆け下りようとする人あり、下北半島では日没後にたずねて行った鄙びた温泉宿で言葉が通じなかったり。でもお風呂が素晴らしかったのに大感激!さらに岩手の山の中では雪に閉じ込められるなど「春を待ってたらまに合わない!」と。。この年で3年計画のTDNも総集編。

それから約半年ののち初夏を思わせる太陽の下。
ハウステンボスに空港から船で(アクセスできるんですね)やって来たガストン・ライエたちの楽しそうな姿。なにか口ずさみながら(彼らの癖ですが)やって来ました。そのご機嫌なこと。

オランダを模したというよりも、そのもののハウステンボスの町並みにガストンは驚き、そして歓び(最後の日本の旅を)心から楽しんでいるようでした。

ラリーは翌日スタート、まず長崎市の平和公園にひとつめのCPを置きました。次に目指したのは島原にある雲仙普賢岳。ここでは参加者たちに「普賢」という一つのキーワードを提示します。
雲仙普賢岳は、1991年神の怒りのような大噴火で大勢の犠牲者を出した山です。
そして岡山人形峠を越えて、若狭湾沿岸の原発銀座へ。
そして北海道でもオホーツク海道沿いの巨大風力発電風車群の中を北上し、宗谷岬へ。本州に帰ると東通村や六ヶ所村、福島の原発群を(わざわざ)見物しながら、光の海の東京にゴールする!というものでした。勝負の行方も非常に面白くて最終のSSが行われた福島までほんの3秒差程度で岩崎と、スペインバハの125ccクラスのチャンピオンのミハエルとのデッドヒート!を岩崎有男が制してこのTDNの有終の美を飾りました。

閉会式で「今大会は実は日本の原子力政策の現場を訪ね歩いて、日本のエネルギーを考えるというサブテーマがあったんです。」と話すと会場は「おーーっ」と。
あれから10年。また壮大な旅がしたくなりました。

きょうの一枚

懐かしい!2004年TDN、車検会場はハウステンボス(写真1)
そして長崎のリエゾンは道の真ん中に並木があるのです。菅原さんも10年前だから62歳!ワカッ!そして後方はゼッケン4、ガストン・ライエ(KTM)(写真2)
そしてガストンがご機嫌で走る日本のリエゾン。心から楽しんでいました。もう没後10年なのか。。。

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