「みをつくし」-  2011/11/29 (火曜日)

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ボクはなぜか全国にあまたある、この手の記章の中でも大阪府章も大阪市章も好きなのだ。変わってる!って言われるか知れんけど。
大阪弁になっちゅう・・・
その昭和43年に制定された大阪府章は、当時のデザインとしては群を抜いていてイマっぽい。っていうか今世紀に入ってデザインされたのかと思うほどだ。そしてそれは秀吉の千成瓢箪を図案化したというが、案外ボクは大阪市章の「ミヲツクシ」をモチーフにしてると勘ぐっている。
子供のころに聞いた
「みをつくしても、あわんとぞ思う。」
百人一首に収められたその下の句。
「わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」
まあ解釈によれば開き直ってるような歌だが、(ばれたものは仕方がないから、リスクを犯しても今晩会いに行くぞ)みたいな。
しかしまあ、ここから難波とかみをつくし、とかが始まったのなら魅力的だなあ。。。と子供心に思ったもので、ある部分で相当にマセてたのかもだ。
「みおつくし」とはご存知のとおり航路標識で漢字では「澪標」と書く。
源氏物語にも「澪標」という帖があった。
光源氏と明石(光源氏の明石時代の愛人)が交わした歌
「みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな」
「数ならでなにはのこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ」
恋焦がれてこの身を捨てても、という意味なのだが維新の会の圧勝と深夜にも及んだ橋下会見に敬意を表してこんなことを書いたのだが。
どうか「みをつくし」て素晴らしい大阪を築き上げていただきたいと思う。
きょうの一枚
100年間続いたフシアワセ。上は大阪府、下は大阪市のマーク。いずれもボクは良いと思う。都構想では、どう変わる?

 

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