「五足の靴」

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1907年。まだ清朝の末期。この年にフランスの新聞社の呼びかけで、北京からパリまでの自動車レースがあったというのは、やたら書きました。
輸送手段が馬車から鉄道に変わり、馬車道が廃れていきはじめたころに自動車が誕生します。100年後の今では、北京とパリはほんの一部を除けば、ほぼ舗装路で繋がっています。中国ルートでカザフ経由で入れば道を迷わない限り全て舗装路で行けます。モンゴルルートで行くと、中国モンゴル国境からウランバートルの手前までが未舗装ですが、まああとは舗装路で行けます。100年の時とは、そういったボリュウムです。
そんな1907年。与謝野鉄幹は、北原白秋らと5人で九州を旅し表題の紀行文を表しました。特に今回の九州4デイズではこの思いを鮮明に辿ってみます。つまり1907年、日本はそういう若々しい?時代だったと胸を張ることができます。
鉄幹らは隠れキリシタンらの足跡に興味を持ち白秋の実家などを基点に天草を尋ねます。思いがけない場所に立つ天主堂を訪ね、当時日本のキリスト教の布教に命をかけたフランス人のガルニエ神父に会います。
彼らがそうであったように、わたしたちも、この地を丹念に走らなければ感じることの出来ない、不穏な迫害の足跡を見つけることになります。その気分がなんとも不思議な浮遊感を与えてくれます。
旅の終盤には天草から阿蘇に向かい、そういえば昨年のプレラリーではクイズにも出題された垂玉温泉の山口旅館にも泊まります。
あの時代のこの地はどうだったのかなどを考えても仕方ありませんが、丹念にルーティングされた天草の細い道を走っていると度々「ハッ」とさせられ、日本を考えてしまいます。
さあ、ともかく九州4デイズ。
ぜひお越しください。
つぶやきBLOGにも詳しいお話を掲載しています。
きょうの一枚
外輪山から降りる「天空の道」驚きです。

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