No.013「北京−パリ」- 2009/05/12 菅原さんからの手紙

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1907年6月10日にスタートしたと本に載っています。今から102年も前です。本によると翌年行う予定のニューヨーク-パリの予行演習だそうです。(翌年、実際に行われて、神戸から敦賀に抜けて行きます)

各自、自由なコースどりで最も早くパリに着いた者が勝利者になるとの事で、右の写真は出発して11日目、モンゴルのウルガ(今のウランバートル)で地元の高官を乗せた写真です。優勝は1903年にイタリアで創設された自動車会社のイタラ号で60日間掛って8月10日にパリに到着。2位と20日間の差をつけたそうです。

事務局は大変だったでしょうね。

面白いのは、同年の4月に国産初のガソリン自動車「1837cc、12馬力のタクリー号」が完成(プラク以外は国産)し、麹町から多摩川の往復48kmを走ったそうです。

車を作ったのはそんなに遅れを取ってないのに、考え方が島国的で世界に飛び出せなかった様ですね。今もあまり変わってないかもです?

1903年12月17日にライト兄弟が42秒、36メーターを飛び(人類初)、翌年には我々のガレージがあるルマンでお兄さんのウエルバーライト氏がヨーロッパで初の飛行をします。1905年にフランスでスイス人が作った26,400ccの車で時速156.5KM/Hの世界記録を出したそうです。

この時代の人達には脱帽ですね。

山田さんはランクルで私はレンジャーで1992年の9月1日にパリをスタートし、北京に着いたのは9月29日でしたね。その時、NHKのテレビ報道があり、随行してレポートしてくれたのが中島さんで「クローズアップなんだい」を寄稿してくれており、不思議なご縁を感じております。

参考文献「20世紀全記録」より


著者紹介 菅原義正氏

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