「石巻から。」

2011/03/19
「石巻から。」

石巻商業高校のグランドは、完全に水没していてヘドロの海で、踏み込むこともためらわれます。覆い尽くしてるのは海底のヘドロでしようか。アサリのにおいがします。あの津波の色が真っ黒なのは、きっとこれでしょうか?ここには昨日もお伝えしましたが、ここから北に少しいったところにある女川の被災者が非難しています。まだここも10000人くらいの安否不明者がいるそうです。昨日は市役所で安否確認中の人々を見て、射すくめられました。小学校が、まるまる1個無くなってたりします。

この石巻は、被害状況を確認するのがなぜか遅れたそうです。美しい松島の景観と風情をとどめ、この町は本当に美しい町だったんだろうということがわかります。いやでも町の中央部はその面影をとどめてはいません。

われわれの本拠地は自衛隊の本部の横にあります。ものすごい数の自衛隊の車両が町の野球場を埋め尽くし野営用の体制は、さすがにものすごい物量です。常にヘリが頭上を舞っていて、さまざまな方角から飛んできたかと思うと、すぐさま飛び立ちます。1万人を超える行方不明者を探しているのですから。

この自衛隊の例をとるのはいかがかとは思いますが、自律的な支援が出来る者が必要です。今はプロの出番だから、ボランティアに来られても?!と自衛隊や警察消防、海外のチームが初動すのは当然ですが、その次のボランティアとプロの間に立つ支援組織が必要でしょう。ここにも中国の若者のボランティアがやってきましたが、どうするのでしようか?食事なども我々のテントに並ぶのでしょうか?本当に難しい問題を知らされることとなります。

女川地区へも行けないか?という相談を受けて隊を2分出来る装備が僕たちにはありません。しかし何とか明日には女川の被災状況を見て、われわれが出来ることを考えようと思っています。

そんなことを考えてると「さてTDR・・・」
中止にするつもりでしたが、
ここの被災の方と話しをしてるうちに
規模を縮小してでもTDRを開催したい、というふうに思い始めました。
時間は足りるでしょうか?
皆さん参加は可能でしょうか?

こういうイベントは、実は遊びの中からたくさんの事を学んでいるのだということに気がつきました。

たかがラリーですが、そのラリーに参加する人(たとえばオフロードライダーや4駆乗りのことです)やラリーを主催するスタッフは、常人にはない数々の能力を身に着けていきます。この能力は自分たちのためだけのものではありません。広く使うことが可能です。

最後に、どこでもそうなのですがこの学校の若い先生方も、地震と津波が授業中だったこともあり助かっていますが、家に残した家族を失ったという方が何人もいます。

ここも町も、悲痛で沈鬱な空気が横溢しているか?と言えばけしてそうでもないことに気がつきます。

人間は実に強く、賢く、逞しく、そして美しいと思います。僕たちも食事を配りながら、心を動かされています。彼らが、深々と我々に下げるまなざしで、ぼくたちはまだ自分たちが至らない人間だと知らされます。毎日なぜか泣いています。

余震で夜中に幾度も目が覚めます。
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「緊急支援始まりました。」

2011/03/19
「緊急支援始まりました。」

teamSSER災害支援チーム先遣隊は、石巻市の石巻商業高校にてラリーのビバークを設営して、食事などのサービスを始めました。この避難所には女川の島嶼部から身ひとつで救出された人々300人が収容されています。これまで暖かいものも、ご飯も口に出来ていないようです。いよいよ支援チームの第2陣も今夜には到着予定で完璧な支援体制に入れます。

暖かいバックアップが届いていると聞き、このみんなの思いが被災地に届くように精一杯努力をいたします。町の中は、それは驚く光景です。テレビの報道とは、まったく感覚が違うことにも驚きます。

しかし緊急物資も届き始め、これで燃料も毛細血管まで行き渡れば、まずはわれわれの仕事は終わり、一般のボランティアなどの作業に移行するものと思われます。
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SSER災害支援チームの動き

2011/03/18
SSER災害支援チームの動き

SSER災害支援チームは震災後ただちに必要物資の調達、緊急車両登録等の準備を終え、昨夜宮城県災害対策課の要請を受け支援に向け行動を開始しました。

現在宮城県に向け移動中、今後の行動予定は県庁で保育園への支援物資を下した後、石巻市に寄りその後壊滅状態にある県北部沿岸地域に向かう模様です。

被災地では、多くのエントラントの生活を支える設備(調理器具、発電機、ガス、照明、テント等)や豊富な技術と経験を有するオフィシャルスタッフの活躍が期待されます。

今回のメンバーは、山田、厚主、佐藤、三ヶ尻、竹下の五名となっています。近日、現地より活動状況報告があると思われますが、支援部隊の活躍と安全を心から祈っております。

(レポート杉村晋吾)

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「今回の大震災について。」

2011/03/16
「今回の大震災について。」

わたしが大地震の報を受けたのは、ちょうどTDRの試走中のこと安土城跡の先に進んでいるころでした。信長が築いたこの新しい概念を持った巨城は、あまりにも短命に燃え落ちてしまいました。

わたしはクルマのテレビに映し出される被災状況の、あまりもの凄絶さに言葉を失いました。事実ではないかもしれない、と思うほどでした。それでも徐々に伝えられる被災状況は、ただならぬものでした。

被災された方々の、言葉にはならない恐怖、そしてかけがえの無い者を失った深い悲しみに、心より深くお見舞い申し上げます。

わたしたちは試走を取りやめ、急ぎ事務所に帰ることにしました。同乗していた杉村は自身の仕事である医療用酸素の供給のために、てきぱきと指示を出し事務所に緊急対策本部を設けるべく電話で指示を出していました。

高速道を西に進むと、対向車線には緊急出動する各県警や消防そして自衛隊の車列に何度も遭遇しました。日本の実力を見る思いでした。すれ違うたびに涙があふれてきたのは、なぜでしょう。

そして一刻も早く被災地に届いて欲しい、そのように心から祈りました。

杉村の話に戻ります。おそらく被災地の断続的な停電は、在宅酸素療法でぎりぎりの健康を維持していた患者さんたちを、非常に危機的な状況に追い込むはずです。

現実に報道では停電によって酸素の供給が絶たれて、死亡するケースが報道されはじめています。

彼は携帯用酸素ボンベの供給による対策を講じていました。SSERの車両や場合によってはオートバイの出動も検討しているようです。出来る限りの支援をしたいと思いました。

あの3月11日の午後より、5日も経ちました。本来でしたら少し状況も安定すべきところ、いまだに続く大きな余震に加え福島第一原発の状況は、全く予断を許しません。今日は雪も降っています。

海外の報道では、当初は日本の恐るべき底力を伝えていました。高いモラルと進んだ防災のシステムを繰り返し報道しています。日本人がこの非常時に他者を助けないなんてことはありません。そのモラルの高さを驚く感覚のほうがおかしいのです。

しかし一方ではなぜか記者会見の現場には海外のメディアの姿が見受けられません。それが原因か否かはわかりませんが、海外での論調は急に変わり始めています。「日本はだめじゃないのか?」「駐在員を国外退去させろ」そんな動きです。原発事故の報道は世界に向けてもしなければ、いたずらに不安を煽ります。なにがそうしているのでしょうか。

日本の報道がどうなのか?は常日頃のメディアの報道姿勢から判断するほかありませんし、政府の対応もしかりです。

私が思うことは、いま世界は日本を注視している。その一点です。日本人がこの大惨事をいかに克服するのか?

極めて困難な状況に置かれた被災者を前に、続く発言をするのははばかられますが、この大惨事こそは、日本が乗り越え新しい社会を築く未曾有のチャンスではないかと思います。求められるのは震災復興における大きな基本理念と、新しい社会構造の構築でしょう。大胆な概念が求められます。

東京の友人と電話で話しました。「東京は日本の中心のようですが、電力も食料もすべて東京の外に頼っていて、実は非常に脆い都市だということが露呈しました。派手なネオンのさまざまな商業施設。大量の原発に頼らなければ維持できないほどの電力消費をする都市で果たして良いのだろうか?何かむなしさを感じて日々に黒い不安が募っているんです。」と。

そんな話に、わたしは

「これは新しい日本を再生するために、与えられたチャンスかもしれませんよ。長引く不況や失業、川上のインフレと川下のデフレという相容れない過酷な経済環境。政治はこの事実の前に立ち尽くしてるし、経済界も同じでしょう。それならば、まるで大恐慌のあとのニューディール政策のように、この復興こそが世界に冠たる日本として、世界が認めるチャンスではないですか。」そんな話です。

被災地で避難している方々に不足しているものは、食料や燃料、毛布などの生活用品であることはそのとおりです。しかしもうひとつ決定的に不足してるのは、やはり「希望」ではないかと思います。

美しい日本を再生するためにも、この機会に行動し考え、みんなで構築していくことでしょう。なんでも供給過多にしてしまう日本から、多くのことを適度に「足るを知る」社会にしていきたいものです。

しかし今回の被災地への支援のありようも、またひとつの問題を提起しているかのようでもあります。わたしたちも、試されているように思えてしかたがありません。
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「Team SSER 出動いたします。」

2011/03/15
「Team SSER 出動いたします。」

現在のところ17日正午のタイミングで、被災地に向けた支援車両3台による第1陣を出動いたします。

今回は男性のメンバーのみで出動いたします。参加をご表明いただいた女性オフィシャルスタッフにはまことに申し訳ありません。確実な支援が継続的に行えるようになった段階で、交代要員をお願いすることがあります。

参加予定のメンバーには個別にお願いのメールをいたしません。この伝言をご覧いただいたら、直ちにsupport@sser.orgまでご連絡ください。
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「現在、待機中」

2011/03/14
「現在、待機中」

SSERでは出動準備を整えて、行政と連携をとり出動要請を待機しています。

多くの方から協力の申し出を受けており、みなさまからの篤い思いを、しっかりと受け止めております。

ただし当局からは、支援活動に関しては現場では救助活動も混乱しており拙速は避けるべし、という指示をいただいております。そうこうしている間にも被災者には、困難な状況が続いておると心配はされるのです。しかしわれわれのみの資材と装備で支援できる範囲は、きわめて小さくしかも継続して行うためには関連先との綿密な連携もまた必要になっております。

ただいま第1陣出動のための3トンの米をはじめ、大量の食材、燃料を調達中です。

テント、発電機、鍋や食器などはSSERの備蓄品で十分ですのでカミオンとマイクロバスに積載を終わらせました。

この件に関する要望と質問はメールでお寄せください。
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無題

2011/03/11
無題
このたびの東北地方太平洋地震の極めて大きな地震災害が起きました事に、心よりお見舞い申し上げます。

私共SSERも、この事態を受け直ちに試走をとりやめ、さまざまに緊急の支援の可能な体制をとることにいたしました。

今後も情報収集に努め、私共に可能な支援はないかを検討いたします。
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「明日から試走、ほんとだよ。」

2011/03/09
「明日から試走、ほんとだよ。」

どうも狼少年の傾向顕著な今年の試走。行く行くったって、ちゃんと行けてない。12日には高野山で「やきもち」を食べているからね。これほんと。

話は変わる。

ボクは石原知事はえらいと思う。老人の鑑だといってよい。老人はむかしからガミガミと、ボクタチを困らせるようなことばかり言っていた。しかし真理もそこにはあった。しかしその物言いから真理がぼやけて見えたのも事実だ。

そんで、こんなニュース

『石原都知事が核武装論」英紙報道 「中国に対抗」』2011年3月9日11時51分

英紙インディペンデントは8日、東京都の石原慎太郎知事が同紙とのインタビューで、中国の脅威に対抗するため、日本は核兵器をつくるべきだとの見解を述べたと報じた。

記事は石原氏が、日本は1年以内に核兵器を開発することができ、世界に力強いメッセージを送れるとの見方も示したとしている。

また、石原氏の言葉を引用して「隣国である中国、北朝鮮、ロシアは核兵器を持っている。同じ状況に置かれた国が世界にほかにあるのか?」「人々は(核開発の)費用のことなどを言うが、現実には外交交渉力は核兵器を意味する」と語ったと伝えた。

石原氏は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を以前から批判している。記事を書いたのは東京在住の英国のジャーナリスト。

なにがえらいかというと、核武装がどうのってことではない。問題を提起すること、それに猛烈な反対があることを知っていて発言する。差別発言もはばからない。

これは古くは「老害」の一種だったが、最近は老人も発言はおとなしい。

ボクも石原知事のような(方向性は違うけど)発言がしたい。ここのところ、ずいぶん丸くなったり、おとなしくなったりしていまいか?!なんか今朝も「オラー」のオーラが無くなったと言われた。オラー!!

今度、言ってはいけない事をテーマに飲み会をしよ!!

きょうの一枚

そういえばこんな表紙の一冊もありますねえ。「日本よ、再び」の背景にきのこ雲というのも、問題提起としては充分じゃない?議論と覚悟、今の日本が失ったものは、単純なものかもしれません。
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「江、次回は賤ヶ岳、ていえばTDR」

2011/03/07
「江、次回は賤ヶ岳、ていえばTDR」

どうもTDRは、「江」をフィーチャーした?と思えるほど。次回は賤ヶ岳の合戦だ。柴田勝家と秀吉の、ヘゲモニーを決定づける一戦だ。

そこは琵琶湖の北、余呉湖との間の標高400mばかりの小さな山。きっと見晴らしは良いんだろうから、今度のTDRの試走(今週末ね)行って見ることにするけど、あまりに大河ドラマかぶれの中年のおっさんみたい・・・自己嫌悪。

まるでボクも、あの中国人を笑う20年前にパリはサントノーレ通りを席巻した日本人のおばさんたち。・・・と同じじゃないのか??はっきり言って、いま日本に来ている中国人より、あの日本人のおばさんたちもっと激しかった。

そのくせボクタチとすれ違うと

「あら、今の人、日本人でしょ。イヤーねー、日本人ばっかりで。」

「早々、最近多いわね。」

「お前らじゃ、こらー!」

とボクは言いたい、けど言わないし、ヴィトンやマキシムなんか死んでも行かない。てか行けなかったけど。

でも考えてみて、あのころフランス人は、迎合しなかった。マヌカンが日本語を習う?そんなことはありえなかったし、日本語の表示なんて一切なかった。

それなのに今の日本は「熱烈光臨」とかってどこもかしこも。ニュースじゃ「どこそこの観光組合が、みんなで中国語の・・・」とかって。それじゃ、情けないよ。旅をする側がその行き先地の言葉を、カタコトででも使って・・・それが正しい海外の旅だと思うのですが、いかがか?怪しい店の周囲には怪しい日本語を使う客引きも居たけど、やっぱりそれらは、いかがわしい人たちに思えたもの。

すいません、あまりにもタイトルと離れすぎたので、修正。えっ、タイトルを変えれば良い?

でもまあ、四国の松山城は、賤ヶ岳七本槍の武功をあげた加藤嘉明の築城によるので、まあ完成を見ずに会津に転封されます。松山という地名も、この三河生まれの城主がつけたもので、その後は松平家が当主となり幕府の親藩として大政奉還までの235年続くのでした。素晴らしい城です。あまりにも戦闘機能が高すぎて、幕府の隠密が調査に来たとか。まあ城って、面白いものですね。

そんなこんなで、なんとなく賤ヶ岳の戦いは気になるところではありますが、まあ来週は現地とテレビの両方を見ますかね。
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「まことにお恥ずかしい話ですが・・・」

2011/03/04
「まことにお恥ずかしい話ですが・・・」

ボクともあろう人が(って、どんなやねん)知らなかったんです。なにを?

懐石って。

いつもいつも「懐石」って聞くたびに

「懐石の語源は何だろう」
とまでは思い当たるのですが、それを調べたことはありませんでした。ボクほどの研究熱心が(なんのよ?)ですよ。

さらにこれもその語源が気になっていた「松花堂弁当」これも、そのうち調べようと思って、もう30年。

みなさんも、そんな事ってありませんか?
でもいまどきは知恵袋とか、あって便利ですよね。

ボクはいま茶室の研究をしています。
人生に、もう一度なにかこう、内面を磨くというような行為がしたいと。

でもまあ、内面を磨くといっても口で言うほど簡単なことでじゃありません。増えに増えた体重さえ落とせないボクがですよ。と、せめて「茶の湯」の研究などをしておけば、仕事にも役立つかもしれないなんて雑な思い付きからかもしれませんが。

とあるサイトを読んでいると、ボクがいつか調べたいと思っていたいくつもが、茶の湯の話しの中にありました。

お話はこうです。

茶事では、お茶を頂く前に、食事が振る舞われます。これを懐石といっています。一汁三菜が基本ですが、豪華になり過ぎるきらいがあります。修業中の禅僧が、温石(おんじゃく:温めた石)を懐に入れて、空腹を我慢したそうですが、これを「会席」(料理の意)の文字に当てて、「懐石」としたもので、質素な食事が本来の意です。一汁一菜(御飯と味噌汁とおかず一品)でも十分です。お酒も出ます。懐石の文字が出てくるのは、南方録(1690頃)からで、しばらくは、会席と懐石が併用されました。懐石の文字が定着するのは、井伊直弼(宗観1815~1860)の頃だそうです。余談ですが、山上宗二(やまのうえそうじ1544~1590)は、客の心得として「一期に一度之参会之様に・・・」と言っています。これを直弼が「一期一会」と言い切りました。

料理屋の看板で、懐石料理というのを目にしますが、ほとんどが宴席料理で、懐石とはいえません。懐石では、最初に五穀豊饒に感謝して、御飯からいただきます。たいていの懐石料理屋では、最後に御飯が出てきます。ひと昔前の家庭料理は、懐石に近かったと思います。

まず一枚目のウロコが目から落ちていくのがわかりました。あっ、コンタクトレンズはしていません。座右の銘はって聞かれて「一期一会です」なんて、言わなくてよかったよ。さらに

松花堂(しょうかどう)弁当という弁当が、今は、何処に行ってもありますが、一般名詞化されていて、偽装には当たらないようです。これは、京都の石清水八幡宮の社僧、松花堂昭乗(しょうじょう1582~1639)(寛永の三筆の一人)が、道具箱にしていたものを吉兆の創業者、湯木貞一氏(1901~1997)が、弁当箱(湯木美術館所蔵)に応用したものです。本歌の道具箱は、京都府八幡市(やわたし)の松花堂庭園美術館にあります。ここに、京都吉兆が店を出していて、松花堂弁当(3,500円)を頂くことができます。松花堂庭園には、昭乗が晩年を過ごした二畳の草庵(茶室)が移築されています。食・住・祈の小さな庵は、昭乗を訪ねて来る人が多かったようです。

これはイメージどおりです。

きょうの一枚

京都大山崎にある妙喜庵。ここに千利休作と信じられる唯一の茶室「待庵」があります。国宝です。現存する日本最古の茶室であり、数奇屋建築の原型だとも言われるもので、建築を生業とする人のまあなんと言いましょうか・・・TDRの際に見よう、と思っているのですが。実は1ヶ月前からの予約が必要で、しかもにじり口から中を見るだけなのです。

天正10年、山崎の合戦の際に秀吉の陣中に建てられたものを移築したといわれています。ということでせめてお名前を、じゃなくてお写真を。あっ、大山崎の歴史資料館に実物大のレプリカが展示していますので、そちらなら大丈夫。(添付地図)

そういえば本日はTDRの情報もブログにUPしていますよ。
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「おまたせ!タクラマカン情報!UPしました。北海道4デイズも本日発表!!」

2011/03/03
「おまたせ!タクラマカン情報!UPしました。北海道4デイズも本日発表!!」

ブログには、恥ずかしげもなく40年も前の写真をUPしたボク。

今日は、というと。2007年「西安-パリ」の写真を。と、なににも使わなかった、いわゆる未発表の写真。

それらがわんさか!!数万カットあるんじゃない?!というくらいですね。中には素晴らしいものも沢山。

これを何とかしないと惜しい!!写真展でも開きますかね。なんて悩んでいたら、「レイドトレックタクラマカン2011」のインフォメーションが整いました、って。えっ「整いました」ってのもねえ。古くね?

そんなこんなで本日掲載することにしました。質問もバンバン受け付けますぞ。ポスターも入稿しちゃおう。

とまあ、いろいろ物議を醸しましたが、今年もシルクロードへ行く。てかライフワークのひとつです。2000年ころからこのサイトで、言い放ち続けているのですから。

て、ことで、これを機に前述の写真も少しずつ「OV写真館」で紹介していきましょうか。でも折を見てだから、あまり断言しないほうが身のためかも。

そしてチョモランマ日記も、ついにチョモランマBCに到達しました。

お知らせ

レイドトレック・タクラマカン2011の案内を掲載いたしました。

同時にA-TECクロスカントリーラリー北海道4デイズ2011、も本年の開催概要が本日発表、夕張の全日本エンデューロと日程が重なってしまいました。まことに調整力不足でお詫び申し上げます。毎年お世話になっている同主催団体にもあわせてお詫びいたします。ただこの日程以外には開催が出来ないという事情もありましたことを斟酌ください。

きょうの一枚

嘉峪関で。空と土の煉瓦で出来た歴史的な建造物。一気に時空を遡らせてくれる感がある。とにかく感性を全開にして。

祁連山脈が望める。6500mの峰が連なるシルクロードのオアシス都市に水を供給 する内陸河川の水源でもある。東西2000kmにも及ぶスケールは、なまなかなものではない。

夜光杯。ボクは、緑色の夜光杯を探しているのだが、見つからない。葡萄の美酒 夜光の杯 飲まんと・・・という高校の教科書にあった1篇の漢詩(涼州詞) に心奪われて、こんにちまで生きてきたといって良い。

2007年は山口さんがR1100GSで。チョモランマの時には僕の1200GS-Aに乗った。稀有な旅人ではあるが、いかんせん超がつくほどの偏食。

今回もベースにする敦煌山荘の夕景。旅の中で最も好きなホテルだ。まるでアガ デスのサハラホテルのよう。いや、ぜんぜんこちらのほうが綺麗のですが、僕の精神性からすると、というお話。

敦煌山荘にかけてある古代シルクロード図。これを見ると敦煌が大きな分岐だということがわかる。上のルート=天山南路で出発して、下のルート=西域南道を 伝って帰ってくるのだ。
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「そうだ、ゾーモットのことについて話そう。」

2011/03/02
「そうだ、ゾーモットのことについて話そう。」

90年代終盤、つまりラリーレイドモンゴルと呼んでいたころの話。

試走の様子をフジのテレビ番組にすべく、石原孝仁をチーフディレクターとするテレビクルーが同行していた。だから試走隊は大きな軍団になった。夜なんてテント村が出来る。そして新しいルートを開拓していた。

ゴビに伸びる薄いトレース。南へ南へと、国境に届きそうになるまでルートを伸ばしていた。赤茶けた大地が広がる。かなり困難なルートが設定されていった。そして遠くに不思議な木々が見えた。

「あれ、木?林?こんなところに?」

ボクはクルマを止めて(この頃はボクが運転していた)しばらく眺めていた。ルートはそこに寄らずに、真っ直ぐ南下しようと考えていた。

「ちょっと、あそこまで行って休もうよ。」

そう言うと、ホントに細いトレースをそちらに進めた。ナビは慌ててトリップメーターをニュートラルにした。

近づくにつれ、それは奇跡のように思えた。急に気温も下がってきたし、水の気配もある。まだ誰も知らない未知なる惑星に降り立った、そんな気がした。

「よし、来年はここをビバークにしよう。」

そう決めた。すぐに決められない事情はたくさんあった。輸送や補給の困難さ、今回の後半の行程のバランス、その年は全く違う計画だった。しかしそこを知ってしまったのは何かの偶然じゃないぞ。

それにそこまでのピストは、ハイスピードのゴビハイウェイと狭隘な谷の道と、涸れ川の砂。その変化も楽しい。そしてさらに南に下ると、不思議な巨大なひとつ岩の山、まるでエアーズロックだなあ!がある。そして恐竜の谷だ。

こうして、SSERのオアシス。聖地とも呼ぶ場所が出来た。以来、何度この地に足を運び留まったか。ガストン・ライエもやって来たし、2010年は休息日だった。今年もやはりこの地に行く。精神の休息のためにね。

きょうの一枚

2010年夏のゾーモットのビバーク。小さな畑、1件だけのゲル。少しだけ変わったけど15年の間、その変化なんて小さなものだ。木々は相変わらず、哲学的だ。

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「その通りです、仙波君。」

2011/03/01
「その通りです、仙波君。」

なにかとIT全盛期。SSERも海外のエントラントとのFace Bookによる、コミュニケーションを拡充させようと、今朝のことミーティングをしました。

ここのところ、いろいろな企業に、またはSSERにもITまかせによるCSの低下が見て取れます。いまや情報は量・質ともに互角。と言うのはこれまで情報の少なかった顧客のほうが、売り手をしのぐ情報を持つに至っているという事実です。売るために獲得する情報の量と質は、「買いたい」衝動を持つ消費者のそれを、越えることができなくなってしまったのです。

送り手、つまり販売者はモノの流通を司る、という位置だったのももはや風前の灯。モノの流通は、あまりにも自由気ままになってしまいました。

これは「高感度初心者」という言葉で、ネット社会の発生時点から見受けられ始めて極大化した概念でもあります。ビギナーが乗るバイク、なんてのはもう存在しません。免許を取ってすぐBMWR1200GS を買った、なんて話は枚挙に暇がありません。むしろベテランのおじ様たちが「セロー買ったよ」となっているのでありますね。ここに消費行動の大きな変化と、売る側の責任が見え隠れします。

一時、CRM(Customer Relationship Management)が叫ばれ、ITテクノロジーを駆使し顧客との良好な関係を築く!というコトが叫ばれてきました。

しかし、それもどうもなにか違う。パソコンの前に座っていれば仕事をしている気になるという陥穽に陥っている様な気がしてなりません。それは良質な営業の堕落でしょう。皆さん、パソコンの前から立上りましょう!!

営業とは、顧客の利益を最大化するマーケティングでなければなりません。これまでは売り手の利益を最優先に考え、付加価値だとかいう意味不明の価値イコール利益、みたいな考え方で進みすぎました。

ちょっと話は変わりますが、国も国民の利益を最大化する法整備をすべきですね。学生時代に起業したスギちゃんの常套句「いま、若い人が起業しようとしても法規制が多すぎる。IT関連以外は起業が困難な国になっている。」と言います。なるほど、その通りかもしれません。何が言いたいかというと、法規制によって参入障壁を高くし、胡坐をかき、営業技術や知識を磨いてこなかった。つまり護送船団方式は、それぞれの営業力を失わせたとも考えられます。それに人とのコミュニケーション能力の極端な低下。ナニが原因か!?とは言いませんが、誰しも察しの付く辺りだろうと思います。教育とかが大きいかもですね。

さて結論。営業力を身につけるとは、今の時代に最も必要なことで、IT技術力だけで起業をしても、デザインの能力だけで起業しても相当以上な実力があっても、仕事はやってきません。

身につけるべきは、顧客の息遣いや皮膚感覚を知る能力です。しかしまあ、電話代が安くなるとか、資産運用だとか、電気代がどーの、とかっていう電話営業は熱心なことですよね。熱心なものは怪しい!という風潮も出来上がってしまいました。正しくニーズを把握して、ミスマッチの無いようにすることが難しい。だから顧客との距離の詰まった、仙波君のいう営業が求められるのですね。

SSERももっと、フットワークを軽くしなければいかん!ということを書こうとしたらこんなに大層な長文になってしまいました。

タクラマカンのPVは、明日くらいには完成するのかな??

きょうの一枚

「コンセプトカーVWブリー」

ジュネーブショウでVWが発表したコンセプトカー「ブリー」あのVWバスのイメージを踏襲したEVカーだ。

85kWの出力と270Nmのトルクを発生する電動モーターで前輪を駆動して走行する。バッテリーは最大容量40kWhのリチウムイオン充電池。1回の充電での走行可能距離は300kmで、充電時間は1時間かからないと言う。最高速度は140km/h(電気的に制御してるらしい)で0-100km/h加速は11.5秒!!

利休よ、欲しくね?

さらにセンターコンソールにiPadの設置スペース、iPadによってBluetoothのハンズフリーフォンやナビゲーションシステムの操作を行うほか、iPadのアプリケーションの利用も可能。なお、コクピットのシステムはギターとアンプで有名な米フェンダー製となる。・・・てなコトがレポートされている。
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