1991年のパリダカの時のことです。フランスの田舎町で行われたプロローグランでスタートを待っていたら日本人の旅行者が声をかけてきました。お話を聞くとパリダカのファンで、日本から見学に来たとの事です。
その年は日野さんが初めて挑戦の時で、弊社ではマネージメントをさせて頂き、私はパジェロでの出場でした。何年か後に、ある模型の雑誌を見ていたら「パリダカのジオラマ」が特集されており、その中のページにガストンさんがパンクをして修理しているシーンが再現されていました。作者の名前も出ていたので、編集部に電話を入れて住所を聞き、サハラの砂をお送りしましたら、その彼はなんとあの時のプロローグに来ていた人でした。その後、彼の友人のジオラマ作りのグループと知り合いになり、毎年我が家で壮行会や報告会と言っては飲み会が始まったのです。
山田さんが「ガストンライエ・ミーティング」を主催していた時にガストンさんが帰りに我が家に宿泊しており、彼が尋ねて来て、そのジオラマを直接プレゼントをしたのです。ガストンさんは大喜びでした。
今回、テレビ出演の依頼があり、何とかジオラマで表現できないかと彼に相談したら、すぐに東急ハンズへ行き、材料を買って家まで飛んで来てくれました。明日の朝7時にはスタジオ入りなので、訳を話したら彼は自宅のアトリエに戻り、徹夜で作り朝の6時に届けてくれました。一回の短い打ち合わせで忠実に作ってくれ、驚きましたし、視聴者の皆さんからも、あれは分かりやすかったとお褒めの言葉を頂きました。
ありがたいことです。
「DAKAR 2009 と Rally MONGOLIA」
DAKAR 2009は舞台をアフリカ大陸から南アメリカの大地に移して開催されましたが、走り終わっての感想は山田さんが主催しているモンゴル・ラリーの方が1000倍楽しいと感じました。
自動車競争の発端は100年以上にもさかのぼります。その時代に行われていたのは今のラリーレイドそのものだったようです。その後、形を変えてサーキットが出来、ツーリングカーや、はてはF-1までに発展するのですが、テリー・サビーネが自動車競技の原点に戻したのだと思っています。
この競技は移動する楽しみ、現地の人との出会い、冒険やロマン、バイクや自動車でしか出来ない深い意味が込められていると思っています。現在サーキットで行われる一番長いレースはルマン・24時間ですが一周13,629kmを24時間で一番長く走った人が優勝を掴みます。スタート地点とゴール地点は同じ場所です。私はこの競技自体にロマンを感じません。〔ルマン24には何回か観戦に行き、マツダが優勝した年も現場に居ました〕
今回のDAKAR 2009 のコースはSSのスタートから有刺鉄線で囲まれた農道を走ります。ある日は狭いくねくねとした山道がスタートでゴールまで景色が変わりません。砂丘とあるのですが、アフリカのと違い、砂山で斜めにしかアプローチが取れないので、横転しているトラックが何台も出ていました。
私がスタックした第5ステージでは、時間内に着いたのは自動車30台位とカミオンが10台位だったそうです。照と私が通過した後で、第2チェクポイントでこの先は大変だからと参加者を迂回させたのです。翌日のステージは第2チェックポイントで終了、故障などで次のビークまでアシスタントルートで行く事も許されたのですが、そちらを選んだ選手は4輪は200時間、カミオンは100時間のペナルティが付きました。
ウエイポイントの設定にも無理がありました。照が言っています。「富士山の頂上のお鉢の真下に行けと言っているのと同じだ」と。
危ないだけで、景色を楽しむ暇はありませんし、ビバーク地は鉄道の操車場の跡で埃だらけで、整備は線路の上でやる日もありました。
それに比べて、モンゴル・ラリーのビバーク地の素晴らしさ、冒険とロマンたっぷりのコース設定、きめの細かいオーガナイズ、などなど、競技ですが楽しく過ごせます。
次回は体験ツアーも企画されているようで、こちらも魅力的です。
一段落してらモンゴルに向けての車両作りが楽しみです。競争相手の尾上さんは用意を始めています。マケナイゾー
著者紹介 菅原義正氏
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