長らくサボッていました。昨年の末から今年の初めに行われたアフリカエコレースに使ったジムニー64がやっと帰国しました。
改造した部分をノーマルに戻してから車検を取ります。
シートベルトは4点式からノーマルの3点式に変えなければいけません。納得できませんが
規則なのでしょうがないですね。
次回のアフリカエコレースはハイラックスでレースではなくレイド部門にエントリーしました。
その翌年はジムニーシエラで出たいと思ってます。
菅原 義正
長らくサボッていました。昨年の末から今年の初めに行われたアフリカエコレースに使ったジムニー64がやっと帰国しました。
改造した部分をノーマルに戻してから車検を取ります。
シートベルトは4点式からノーマルの3点式に変えなければいけません。納得できませんが
規則なのでしょうがないですね。
次回のアフリカエコレースはハイラックスでレースではなくレイド部門にエントリーしました。
その翌年はジムニーシエラで出たいと思ってます。
菅原 義正
本当は運転免許証を返納する歳になってるのに新たに牽引免許を取得しました。
理由はフランスからモナコまでジムニーをトレラーに乗せて牽引する為です。
何時もはフランスの友人が牽引免許を持っていて、彼にいつも頼んでいますが、万が一彼の都合がつかない時のために免許を取得しました。
試験場にある教習車はトレラー部分が短めに作ってあるのでバックの車庫入れ時には、すぐにくの字に曲がってしまい苦労しました。
菅原 義正
ラリーで昔は砂丘が来ると裾の方をかすめて通るコースを使っていたのですが、この頃はSSVクラスと言ってヤマハやカンナムやポラリスなど1000ccのターボ付きの軽量バギーの出現により、昔では考えられない難度の高いコースが作られています。
写真はアフリカエコレースで毎回出てくるメルズーガの砂丘ですが、次回はジムニーの660ccターボ付きでの出場を予定しているので、毎日グーグルアースや地図を広げて研究中です。
昔のダカールラリーでも良く使ってたのですが、参考にならない程難しいのです。
2ストでセルが付いて重量が75Kgで、セロー約半分の重量です。
このバイクをツーリングモデルに改造してみました。
タンクは長距離を走れるように7.5リッターの容量があるアルミで新造しました。
ステップの位置はセローを参考にして、前に3センチ、下に3センチずらしたらチェンジレバーはそのま使えましたが、ブレーキベダルはステップに近すぎるので前に長く伸ばしました。サイドスタンドは右に付いていて、使いずらいので左側に移設しました。
乗った感じは、まず軽さです。ステップを移動したので、安定感が増したように感じました。これからはスプロケットを変更する予定です。
まだまだ、やる事があり、楽しみです。
菅原 義正
先日、フランスの友人家族とボルドーの北にあるREという島でお家を借りてゆっくりしてきました。
30年前に作られたと言う立派な橋を渡って行き、淡路島より小さな島ですが、街並みが綺麗で、お家の雨戸はグリーンに塗らなけれはだめで、屋根瓦はスベインのような茶色でなければいけないそうです。
日本では考えられませんね。レンタル自転車屋さんが沢山あり、海岸に専用の道も用意されてました。
街の中心部にタンタンのお店があり入って見ました。フランスでただ一軒公認されたお店だそうです。
昔、コロンビアの友人兄弟がモンゴルラリーに来て完走して、帰りにベルギーによってタンタンの博物館が出来たので見学してから帰国すると言ってました。
写真の雨戸の色は色落ちしたのか、グレーぽいですね。
菅原 義正
先日、清里にある篠塚さんのペンションでアフリカ・エコ・レースに付いて、ゆっくりと泊りがけでお話ししてきました。
彼は昨年の10月に行われたエコレースにエントリーをしておりました。車両はいすゞでサービスはイベコのトラックを用意して、エントリーリストにも載っていたのですが、急に都合がつかなくなり
今年の3月のエコレース(本来は昨年も3月開催だったのですが、コロナの関係で10月に伸びました。)には同じ車で出場するそうです。私もジムニーJ64で出場しますので、今回のコースの難しさに話が集中しました。このラリーはモロッコの最初の難所であるメルズーガの砂丘超えが難しいのです。
篠塚さんは三菱のワークス時代にここを使ってダカールラリー前のテストをしていたので色々とご存知でしたが、2019年に彼が出た時は、スタックの連続で大変だったようです。
私は2020年に出て2021年はコロナで中止になり2022年に出たのですが、2020年の時より、コースが難しくなっておりました。バイクの性能やライダーの質も上がっており、年々、コースを難しくしているようです。昔のパリダカでは2輪部門に市販車が出て、完走しておりましたが、今では2輪部門は大型のバギーしか走れない状態で、SSVのような軽量な車両しか走れないのが現状なので、彼は重量の重い市販車だし、私は軽量にした車両ですがエンジンは660㏄なので、この砂漠をどう攻略するかの研究が続きました。
どうするかは秘密ですが、二人で方向を決めてきたのでお楽しみに…….
12月15日19時からエキップスガワラのYouTubeチャンネル にて、先日終了しましたアフリカエコレース2022ついての報告会をライブで開催すること となりました。
■エキップスガワラYouTubeチャンネル
配信日時:12月15日19時から
配信ページ:https://youtu.be/DFrlUulg6BI
※ 2022/12/14 URLが変更になりました。ご注意ください
10月16日にモナコを出て、380kmKM先のセッテ港からフェリーに乗り18日にモロッコのナドールに着き、そこからラリーが始まりました。
船上であったブリーフィングでは、40年ぶりの大雨が降ったので29日のSS1はキャンセルにするとの事でした。
2日目はあの有名なメルズーガで大きな砂丘が待っており、4輪で初めてのナビの増田まみちゃんは一生懸命頑張ってました。
私のヤマハYXZは1台だけの出場で、フロントウインドウは特別に付けてあるのですが走行中は埃が巻き込んできて大変です。
SSVクラスで出ていた選手でフルへイスのヘルメットの上の部分にホースでクリーナーを通して、綺麗な空気をモーターで強制的に送りこんでました。
これならヘルメット内は埃もなく、少しは涼しくなるでしょうが、視界が狭くなりますね。一番暑い日は50.5度もあったようです。
パンクは3回しましたが、ヤマハさんからこの車を開発した方が来てくれたおかげでメカトラブルは一切なしでゴール出来ました。
ゴールのラックロゼは増水して大くなり、前あったお茶さんは水没しており、湖の色もピンクが薄まり普通の湖になってました。
モンゴルからお手伝いに来てくれたバイラーさんはマイナス15度のウランバートルに帰って行きました。
来年は3月にあるので2月の航空券を予約したら7人待ちだそうです。
1枚目の写真:2022年の走りの写真
2枚目の写真:2022ゴール。主催者のシュレッサーさんがお祝いに来てくれました。
菅原 義正
配信日時: 10月4日(火) 19時から
配信ページ: https://www.youtube.com/watch?v=A3Y2-ksBAg0
配信内容:
アフリカエコレース2022が10月15日に開幕。ということで、10月5日にアフリカに向けて出発前に、菅原義正率いる「エキップスガワラ」のメンバーで決起集会ならぬ、出発前日のトークです!
始めて出た時のIDカードが出てきました。その時60歳だったので主催者の山田さんがゼッケン60番を付けてくれました。
私がラリーに出る事を知った社員が、親切心でハンドルの切れ角を少なくしてくれてたのですが、(当時ダカールに出るバイクのハンドルの切れ角を少なくしていました。)
最初のSSではコーナーがきつく、ハンドルが切れないので、横の斜面に落ちてしまいました。
オフィシャルはすぐ横にいるのですが、レギュレーションで手伝ってはいけない事になっていて、乗っていた車はホンダXR250だったので、一人で上げてみたのですが重くてかないません。
チームメイトが来たので、彼に手伝ってもらいコース上に上げたのですが、彼は勝負をしていたのに時間を無駄にしてでも私を助けてくれて、今でも忘れずに感謝しております。
「選手同士は助け合っても良い事になっております。」
それから、良い運動にもなると思いSSERのすべてのイベントに参加しております。当時は日石さんが大会のスポンサーさんで、リエゾンの途中の日石のスタンドに寄るとガソリン代は無料の所もありました。
初夏の四国の山はとてもきれいで、空気もきれいなので、何回も深呼吸をしながら走ってました。
リエゾンは止まらずに走る事にしていたので、SSのスタート地点に開始の3時間前に着いた事もありました。
あれから21年も経ってしまいました。月日の経つのは早いものですね。
菅原 義正
今から約50年前に、私はホンダ1300クーペでレースをしていました。
TMSC主催の富士1000キロに出場を決めたのですが、ドライバーは2名必要なので鈴鹿にあったRSC(今のHRC)に相談に行き、ワークスドライバーの 高武 冨久美選手をお借りして出場しました。
参加台数は70台位なのですが、出走は50台だけと決まっております。ポルシェカレラ6などやフェアレデイ2000やスカイライン2000などが沢山出ておりました。
予選でタイムの良い順から50台を選んだら、一番非力なT-1クラス(1300以下のツーリングカー)が4台だけ残りました。内訳はトヨタワークスのカローラ1台とバブリカ1台と日産のワークス(星野さんが乗ってました)のサニー1台と我々のホンダ1300クーペ1台だけが残りました。
コースは富士スピードウエイの逆回りで、台数が多いのでルマン式スタートでした。結果はなんと総合7位でクラス優勝でした。
その時の出場車両のレプリカを実車で作ってくれたのです。
有難いことです。
菅原 義正
10月にあるアフリカエコレースに向けて、走行テストにフランスに行ってました。
モトクロス場を借りて、走行テストは無事に終ったんですが、ウインカーやブレーキランプが点かなかったりで、ルマンの工場で作業をしてたのですが37.8度の熱が出て、友人にコロナの簡易テストキットを買って来てもらったら陽性でした。友人宅で3日静養したら平熱に戻り、検査をしたら陰性でした。日本で3回、予防接種を受けていたのが効いたようです。
帰国して4回目の注射は必要か、掛かりつけのお医者さんに相談したら実際にかかった方が抗体が強くなるので必要ないとの事でした。
写真は友人宅の庭にある、木の根の椅子で休んでいるところです。
菅原 義正
配信日時: 7月13日 19時から
配信ページ: https://www.youtube.com/watch?v=cQkc-ymeRHw
配信内容:
アフリカエコレース2023に向けて、フランスにてマシンテストを行ってきました。そしてル・マン24時間レースも観戦してきましたよ! テストの様子や今のフランスについて、報告します!
今度乗るYAMAHA YXZには、純正で売り出しているターボキットを組み込んでみたので、テストする事にしました。
場所は弊社の工場があるルマンから20キロ離れたモトクロス場を借り切ってのテストです。
YXZは公道を走れるナンバーがついているのですが、安全を考えてトレーラーに載せて運ぶことにしたのですが車幅が180cmもあり、特殊なトレーラーを用意したのですが、大きいので牽引免許が必要でした。たまたま知人が免許を持っていたので、お願いして来て頂きました。
最初はコースオーナーのおばちゃまがコース紹介の為、車で走って見せてくれるのですが、とても速くて、驚きです。後でわかったのですが、若いときにレースに出ていた人でした。
私はウオーミングアップをしっかりとして、走り出しましたが、ターボがしっかり効いていて直線の速さが段違いに早くなってました。3周ほどして止まって各部を点検したら、エキゾーストにオイルラインが接触している事が判り、これ以上やったら壊してしまうので、テストは終了です。次回は東京から断熱テープを沢山持ってきてエキパイなどに巻く予定です。
ちょうどルマン24 時間レースも始まりました。私が来た20年前とはコースの変更もあり、一番急コーナーだったアルナージュコーナーも直角ではなくなりました。
来年は100周年なので、楽しい催しが考えられているようです。
菅原 義正
私はパリダカに最初に出たのは、1982年の第5回大会で年は41歳でした。ゼッケンは36番。当時のレギュレーションでは、パリからマルセーユまでは友人がバイクの荷物を自動車に積んで運んでいい事になっておりましたが、そんな事はつゆ知らずにラリーに必要なすべての荷物とスペアータイヤ1本を背負って走りました。パリからマルセーユまでの1000Kmを12時間以内に走る事が約束されてます。
途中2回のSSがあるのですが、最初のSSでは荷物を全部降ろしてスタートを待っていたら、近くにいた選手が此処には戻って来ないので、荷物は持って走らないとだめだと言われ、慌てて荷物を積みなおしました。走っている写真には荷物を積んでおりません。2回目のSSはマルセーユ近くのニームと言う街の軍隊のテストコースでした。荷物が邪魔なのでニームの駅のコインロッカーに預けての走りです。この後が大変な事に無なるのです。ゴール地点は駅から何キロも先だったので、ニームの駅に戻る道が分かりません。近くの人にニームステーションは何処?と聞いても、チンプンカンプンです。後で分かるのですが駅はガレーと言うそうです。
やっと英語の分かるお姉さん(シビックに乗ってました)に案内されて駅にたどり着きましたが、コマ図とは合わないので無視して、まっすぐマルセーユ港まで行きました。
大変な冒険の扉を開いたもんだと思い、10年はやろうと心に決めて帰国しました。翌年はデリカをサポートカーにして、荷物は全部預ける事が出来ました。その翌年は縁があって俳優の夏木 陽介さんのパジェロのナビとして出場して、7年間はパジェロで出て、10年目に日野さんのカミオンに乗せてもらい、念願の10年は過ぎたのですが、カミオン(トラック)の素晴らしさにはまり、36年連続出場する事になりました。写真は35回目の時に写した写真です。37年目からはダカールラリーではなく、モナコをスタートしてモロッコ、モーリタニアを通り、セネガルのダカールにゴールするアフリカエコレースに出始めております。
菅原 義正
今年は4月に変更になり、コロナも落ち着いてくる頃だと思われるので楽しみですね。
前回から体に優しいベーター200アルブを使いましたが、更に使いやすい軽いバイクを製作中です。
まず、びっくりしたのはエンジンオイルを交換しようとアンダーガードを外したら写真のようにドレンボルトが2つもありました。どうしてあるのか今度ゆっくり調べてみます。
ライトまわりは写真のように軽量のヘッドランプにLEDのH4を入れて出来る限りステアリングヘッドに近い場所に付けて、更にその下にLEDランプを追加しました。マップホールダはNシステムを使いアルミ板でケースを作っていたのですが、それもやめて、直接取り付けてみました。
NシステムのラリーメーターとICOのメーターもステイは最小にして取り付けました。野口シートさんのシートの前側に付けるポケットはとても便利に使ってましたが、場所が無くなり、シートの後ろに付けました。
車は何とか完成したのですが、乗り手の方の調整が出来て無いので、これから頑張ります。
4月が待ち遠しいです。
菅原 義正
12月27日からルマンの工場で働き、1月3日から友人夫婦と17日まで旅行に行こうと予定してました。行く時の飛行機には全部で30人くらいしか乗ってませんでした。あれでは飛行機会社も大赤字ですね。元旦は友人のレストランでなぜか全部、日本食が出て来て大喜び、おでんや、めんたいこ、納豆もありました。ツールの町では日本食材料店があり、全部冷凍で手に入るそうです。
テレビではコロナ患者が一日50万人(人口は約7000万人)が掛かっているとの報道があり、旅行を取りやめて6日に羽田に着いたらPCR検査を受けて陰性でも、バスで横浜のホテルに連れていかれて、翌日から数えて6日間、部屋から一歩も出させてくれません。携帯の位置情報で一日2回、入国管理センターから電話がかかってきます。ホテルから解放されても8日間は自宅待機です。今は全ての束縛から解放されてホットしております。
良かったのは2日と3日はクレモンフェランに行き、ミィシュランの本社にある博物館に行ったのとル・プイの町の近くに泊まり、今年のISDEのフランス大会が開かれる場所の見学に行ってきました。
菅原 義正
2023年のアフリカエコレース用のJB64のジムニーにフロントデフロックを付けたので、テストに行って来ました。
4駆に入れて、ローで上がろうとしたのですが、上がりません。そこで、フロントデフロックを作動させたら、簡単に上がりました。
その上り坂は砂地で、いつもは4駆のローの2速では上がるのですが、今回は4駆のHIのローで上がってくれました。
普段は使いませんが、段差のある登り坂には効果があると思いました。
この装置は高圧小型コンプレッサーからデフにエアーを送る事で作動するので専用のコンプレッサーか付いてきます。作動中は絶えず、高圧エアーを送ってるようです。モンゴルラリー用のJB23にも付けてますが、まだ実戦では使ってないのでどちらも楽しみです。
菅原 義正
加齢と左足骨折の為、歩き方が不自然になって来たので、ナビの増田まみさんに「志水式整体」の志水先生を紹介して頂きました。
一か月に一回、見てもらっております。
効果はてきめんで、先日は歩くと左足指が5本とも痛くてたまらなくなり先生に見てもらったら、一発で治りました。不思議ですね。
足の握力も計って頂いたら14でした。まみちゃんは15です。負けました。
積極的に歩くことにしました。
菅原 義正
先日、大阪に行った帰りに偶然、高速道路の鈴鹿パーキングエリアに寄ったらゼッケン14番のホンダのF-1が展示してました。
この車は1967年9月10日にイタリアグランプリのモンツアーサーキットで鼻の差で勝った優勝車です。偶然にも私はこの時、ホンダさんのピットに入れてもらいこの瞬間を見ていました。あれから54年も経ったんですね。
中村監督他メカさん達はHONDAの青いつなぎを着てました。
優勝した瞬間に中村監督が私にピットの台の上に置いていたカメラを見て、「すぐにしまいなさい」と言われ何のことか分からずにいましたら、訳が分かりました。レースが終わったら観客席とサーキットの扉を開けるので、興奮した観客がサーキットになだれ込んできました。もちろん優勝したホンダのピットをめがけてです。日本では経験のしたことが無かったので、大変驚きました。
この7日前にはニールブルックリンクにおり、生沢選手がホンダS800でクラス優勝をしたのを見てたので、私にとっては1967年の9月は忘れられない月になりました。
菅原 義正
やっと、2023年のアフリカエコレース出場車両が出来上がりました。
テスト走行を土肥温泉まで160Km走ってきましたが、燃費は約14Km/Lでした。燃タンは80Lなので、1,120Kmの航続距離がありますが、砂漠の登りが続くと悪い時は5Km/Lになる事もあるので、注意が必要ですが、新しく作ったFIA公認のタンクには、残が10Lになるとブザー音で知らせてくれます。燃料計を見ている暇がない時には、便利な機構です。レギュレーションでは無給油で800Kmの走行が義務付けられています。
写真でもわかりますがFIAの規約を守ってロールバーを入れたので、スペースに余裕が無く、スペアータイヤを2本積んだら、他の荷物が入るスペースがありません。
スコップも必ず必要なので、どこに固定しようかと考え、バックドアーに決めました。
これからのやる事はフロントデフにデフロックを付けます。
良く皆様が見たことがあると思いますが、バイクが砂漠でスタックした時に、他の人が手伝ったときにフロントタイヤを手で回しすシーンを見た事があると思います。そんな訳で自動車にも必要な時があります。
もう少し、やることがあります。
菅原 義正
暑い日が続いてますね。
私は運動もかねて、トライアル・スクールに通い始めました。
50年前にトライアルをやっていましたが、今はサーカスのような競技になりあまり好きになれませんでした。昨年SSERの九州4DAYSにベーター200に乗って出たのですが、このバイクのシートを外すとトライアルバイクに変身します。
御殿場の工場付近をこのバイクで走っていたら、昔の事を思い出し、基本から先生について勉強しようと思い3か月前から教室に通い始めました。
最初はスタンデイングの練習です。うまくいきません。先生は9才から自転車の競技を始めたそうです。何十回も練習してやっと少しだけ、出来るようになりました。
これが出来ないと、先生が言ってる、次に進めません。
奥の深い競技にはまりそうです。運動と思いゆっくりとやることにします。
菅原 義正
新しいジムニー「JB64」がある程度、出来たのでナビの増田まみさんと砂浜の海岸で走行テストをしに出掛けました。
以前もモンゴルラリーに出る人たちと一緒に何回かテストをした場所ですが、何年か振りに行ったのですが、砂丘の高い部分が波で削られて、以前と全く様子が違ってました。
高い所から下に降りようと言う事になり、歩いて下見をして降りたのですが、久しぶりにボンネット付の車両だったので、真下の様子が分かりません。(レンジャーにはボンネットが無いので目の前の真下が見えます。)
この辺りだろうと、ハンドルを切ったら2メーター手前でした。近くに釣りをしている人が居て、降りるところから一部始終をみていたので、走って助手席のドアーを表から開けて、中にいる私の手を引っ張って助けてくれました。
こんな場所にはJAFは来てくれないし、思案していたら、モンゴルでチェックポイントをやってくれているオグショーの社長の小栗さんが近いので、彼に助けてもらう事になって、まみちゃんが電話してくれました。
一時間ほど待っていたら、新型ジムニーのシェラで飲み物や食料を持って、社長の小栗さんが来てくれましたが、砂浜に入る道を探すのに1時間くらいかかり、やっと起こしてくれました。
長い事、横になっていたのでシリンダーにオイルが入っているのでプラグを取り、セルを回してみたらオイルがかなり吹き出しました。そんな作業は先ほどドアーを開けてくれた若い釣り人の方が手際よく手伝ってくれました。
聞くと、ヤマハに勤めている人でした。
皆さんに助けられテストは中止にして帰路につきました。ロールバーは何処も曲がってなかったので、ロールバーの強度テストになりましたが、右サイドと屋根は交換になりそうです。
菅原 義正
JB64のジムニーですが、一人でコツコツとやって、やっとここまで来ました。一人でと言っても、ロールバーの製作や塗装は工場の隣の高杉君にお願いしてます。後は、6月末にイギリスにオーダーした変形のFAI公認の安全燃料タンクが完成するので、床下のノーマルタンクを外して付けるのですが、うまくいくか心配です。
どうにか走れる状態になったので、19日に砂浜に行って新しいナビの「増田 まみ」ちゃんとタイヤのエアー圧の管理や、砂に埋まった時の脱出の練習に行く予定です。
ジャッキはパンタ方式を使って、以前は油圧式を使ってました。上げる時も力がいらないのと降ろす時は油圧を抜くと一気に下がるので、時間の短縮になりますが、重量があるので困っていたら今は電動式の軽いのがあり、早速買って試したのですが、全然動きません。
モーターをばらしてみたら、モーターの中の配線のハンダ付けが一本外れてました。
表にはMade in Chinaと書いてました。あの国では検品をしないで出荷するのですね。不思議な国ですね。
今までのシートの使用期限は2022年でしたので、2023年の出場を予定しているので1年足りません。国内でも手に入るのですが、使用期限が5年と決められているので在庫をしている関係上、使用期限が短いので、イギリスの販売店から買いました。
それでも、生産が2021年なので有効期限は2026年までと記されております。取り付けには、横にもロールバーが付いてるので、ジムニーにはきつきつです。
FIAの規定では、ハンドルには、衝撃吸収のスポンジを付けなければなりません。写真の様にきれいに付いたのですが、クラクションのスイッチをダッシュボードに移動しました。そうする事によって、ナビの人も使えるので便利かもしれませんね。
改造の作業をしていると、昔の事がよみがえってきます。
ミニクーパーからホンダ1300クーペに乗り換えた時も大変でした。当時のホンダ1300クーペはフロントガラスは合わせガラスではなくて、強化ガラスで
した。国内のJAF公認レースにでる為には合わせガラスでないと車検に通りません。「今、販売されている車両は、全部フロントガラスは合わせガラスです。」そんな訳で、合わせガラスを作ってくれる所を探し、上の部分にブルーの色を入れてスペアーも入れて3枚作ってもらいました。
レース用のホイールもありませんでした。ホンダだけは特殊でPCDと言って、ホイールの取り付けボルトの穴位置が違っていて、日本では手に入らないので、アメリカから穴の無い、マグネシュウムホイールを買って、日本でホンダに合う穴をあけてもらい使ってました。前にも書いたと思うのですが、ジムニー660とジムニー1300シエラとホイールのPCDが違うので、ホイールの互換性が無かったのですが、JB64になってからは同じになったので、私のジムニーにもレギュレーションで最大15シンチと決められているのでシエラ用のホイルを履いてます。
後の大きな作業は80リッターのFIA基準の燃料タンクが出来るのを待って、ノーマルのタンクを外す作業があるのですが、難しそうです。
菅原 義正
FIAのレギュレーションか変わり、それに基づいた改造をすると大変です。T-3と言うカテゴリーでの参加を考えております。Aピラーまわりも約束事があり、写真のようになりました。
燃料も80Lは必要です。ノーマルの床下のタンク(40L)は外す必要があり、室内に規定のFIA公認の四角いタンクとスペアータイヤ2本を乗せるスペースが無いのでイギリスに異形のタンクを注文した次第です。
ドライバーが年寄で夜道に弱いのでフロントにはしっかりとした補助ランプを付けました。
車のデザインも決まり、お楽しみに。
(この車両は2023年のアフリカエコレース出場車です。)
2022年のアフリカエコレース出場車両は完全に出来上がってフランスの工場に保管中です。
菅原 義正
早いもので、2月も中旬になってしまいます。
2023年にアフラカエコレース出場予定のジムニーJB64ですが、改造に手間取っております。
新しいレギュレーションでメインロールバーはの外径40ミリから45ミリに変更になり、パイプの注文は1カ月も掛り、やっと出来て来たので、写真の通り、室内は丸裸状態です。糊付けのフロントガラスも外されました。
両ドアー、バックドアーとボンネットはグラスファイバー製が出来上がっております。
問題が発生です。T-3クラスで出るのですが、ホイールのサイズが15インチ以下になり、今のジムニーは16インチなので使えません。15インチのタイヤを付けると、地上高が25.4mm下がってしまいます。660ccのジムニーにとってはローギアードになるので最高速は下がりますが、中速では走りやすくなるはずです。
デフの位置も下がるので、岩場ではゆっくり行くしかないようです。
まだまだこれから試練が待ち受けてます。
私は2023年に出場予定のジムニーJB64を改造すべく1月2日から御殿場の工場に通ってます。
今は、バックドアーがファイバーで出来上がったので、ヒンジの軽量化をしております。出場予定のラリーはアフリカ・エコ・レースです。
皆さんの反対を押し切って1500のジムニーではなく660を選んだので、徹底的に軽量化をしないと、モロッコで最初に出てくる大きな砂丘越えが出来なくなる可能性があります。
ジムニーのバックドアーはスペアータイヤを外側に取り付ける為にとてもしっかりと出来てます。と言う事は重いと言う事になります。
そんな事もあってドアーヒンジもしっかりとしており、ファイバーの軽いドアーにはもっと軽量なヒンジが必要です。穴をあけて写真1のように軽量化をしたのですが、今年のダカールラリーを見ていて、もっとやる必要があると思い写真2のようにして、ボルトの頭もバイクで使っているボルトのようにドリルで穴を掘り、作り上げました。ボルトは2本で充分なので、これも軽量化です。ドアーダンパーも重いので、ボンネットを開いた時に使う、棒状に変えてあります。
純正の前後の軸重のバランスは50パーセントだそうです。私のはスペアータイヤ1本はドライバーとコ・ドライバーシートの後ろにあり、もう一本は後ろの室内に積む予定です。そうすると軸重バランスは前60パーセント、後ろ40パーセント位になります。
ハイラックスを見て下さい。昔は荷台に縦に2本から3本を積んでいましたが、今は座席の床下に平らに2本積んでます。重心を低くしてホイールベース内に収めてます。
アンダーガードも金属ではなく繊維上の板を使ってます。フロントエンジンなのでバランスは65-35位に見えますね。
菅原 義正
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
日本で、お正月を迎えるのは約40年ぶりでした。普段は12月5日頃、スタート地点に移動してクリスマスと正月は現地で迎えるのが主でしたが、昨年末は皆様に呼ばれ忘年会の連続でした。
ある日、ひどい下痢に襲われ、検温したら38度7分もあり、コロナになったと思い慌てて行きつけのお医者さんにいったら、細菌性胃腸炎との事、3日程家で安静にしておりました。やりかけの仕事も気になり、2日に御殿場の工場に向かい、ジムニーの作業を始めました。
ファイバー製のリアードアーも完成したのでテールライトの取り付けです。この四角いLEDランプはFIA公認品です。内側のランプの光が弱かったのでリレーを付けたら明るくなりました。純正の配線はLED化しているので細くストップランプの配線から引いたら、電流が足りなかったようでした。ボンネットピンを付けたり、まだやる事が沢山あります。
写真は特注の軽量のフアイバーバックドアーです。後ろに少し写っているのはモンゴルラリー用のJB23、もう一台のJB23はSHIBARERU-RALLY用に北海道に送ってあります。
御殿場でジムニー64の整備をしており、帰京する時に「そうだ、モンゴル用の23に乗って帰って、駆動系やエンジンを慣らそう」と思い、タイヤのアエー圧チェックとホイールのナットをトルクレンチでチェックしてガソリンスタンドで満タンにして、東京に向かいました。
久しぶりに動かすので東名高速で最初は80キロで少し走り、100キロにしてして30分位走ってから120キロで追い越し車線を走っていたら、急にエンジンの調子が悪くなり、左に寄り、停車をしたらエンジンが始動しません。
止まり方としては、ストンとエンジンが止まった訳ではなく、燃料が来なくなったようでした。
仕方無くJAFに電話をしたら、危ないのでガードレールの外側に出て待っててくれとの話でした。
三角板を取り出し、安全を確保しながら待つこと30分でJAFが来てくれました。東京から15キロ地点だったので、ドライバーの方にアピオに搬入して欲しいと話したら、彼もジムニーの23に乗ってるのでアピオの事を良く知っていて、仕事でアピオに行けるのはとても嬉しいと喜んでました。
その後、アピオの工場長に様子を聞いたら、クランクプーリーのナットが緩んでいたとの事、電気が飛んでないので、診断器で調べて見ても原因は分からないとの事でした。早速、エンジンのチューニングを依頼した会社に電話して、車両の引き取りと原因追及と修理をお願いしました。
数日後に修理が出来たとの事、新幹線に乗り、引き取りに行ったら、プーリーのナットにはネジロックを付けて締めなおしたのと、エンジンの点火タイミングのセンサーがだめになっていたので取り換えたとの事でした。
これが、モンゴルラリーの本番中だったら2年連続リタイヤになるところでした。
ジムニー64に一生懸命だったので、隣にあった23がやきもちを焼いたようです。
前号でお知らせしたジムニーのJB23をアピオさんから中古を頂き、2022年のアフリカエコレース用に改造していたのですが、2022年に使うなら新型のJB64が良いのではないかと思いAPIOの河野社長に相談したら、JB64の試乗車があるので使って下さいとの事、特別な値段で分けてもらうことが出来ました。
まずは内張り類を外してびっくりです。天井の内張りを外すと、両サイドの前から後ろまでエアーバックが入っていました。助手席、運転席、前列のシート左右にと計6ケのエアーバックが入っており、びっくりです。
競技に出るにはエアーバックとABSは外す事が必要なので、ABSの配線コンセントを外したら、JB23とは大きく違い、ハンドルのパワステは効かないし、スピードメーターも動きません。
新しいJB64にはヒルホールドコントロールと言って坂道発進時にブレーキペダルを離しても後ろに下がらない装置とか、色々と新しい安全装置やブレーキLSDトラクションコントロールと言って、4WDにした時にスタックしたら副変速機を4Lにすると、空転している車輪にブレーキがかかって反対の車輪に駆動をかける装置などが付いており、コンピーターで制御しているので、旧型のJB23のようにはいかないので困ってます。
この時期は何時もラリーレイドモンゴルに出場しているので、日本のこの時期の暑さを経験してなかったので、熱さと戦いながらの作業中です。
今年の九州3daysに使ったのはBETA ALP200でした。新しくお店をオープンした杉村君に頼んだのですが、九州には間に合わないと言われ、イタリアからエアー便で取ってもらいました。テストもせずに乗ったので、最初のSSでは大変です。チェンジペダルとブレーキペダルの位置が合わなくてコーナーの度にぎくしゃくです。
この車両の特徴はシートとタンクカバーを外すと、トライアル車になってしまい、と
ても軽量に作られており、更にエンジンはスズキのDR200のエンジンをつかっているので、消耗パーツには事欠かないのです。
私は4輪レースをやめてから、すぐにバイクのトライアルを友人たちと始めました。写真は今から約50年前に、友人達と作り上げたトライアル車です。ベースはホンダSL125ですが、良く見るとステップが後ろ上に変更してタイヤはトライアルタイヤが無かったので、モトクロスタイヤを履いてます。スプロケットは確か92丁のを作ってもらい、発電機の中に鉛を入れて、フライホイールを重くした感じにしたり、キックは邪魔なので、位置をずらしてます。エキゾーストとマフラーは純正は下にあったのを上に改造してますね。
この時、一緒に競技に出ていたホンダの稲田さんが、後日、日本で初めてのトライアル車のバイアルス125を作ったのです。トシ西山さんのお父様がトライアルが大好きで、彼の主催の競技会にも参加させてもらいました。お父様はMCFAJと言うバイクのクラブの会長さんでもありました。
話はそれましたが、今はシートを野口さんにお願いして、座りやすいシートに変更中です。乗るのは御殿場の近郊なので、シートの出来上がりが楽しみです。バイク好きの私がもうすぐ80歳です。このBETAで乗り納めになるとよいのですが?
菅原 義正
昨年のモンゴルラリーでは、2日目に2気筒になってしまい、リタイヤでしたが、今年用のエンジンが新しく組みあがって、御殿場の工場に納車されました。車検の時期にも重なったので、車検の用意をするのですが、これがかなり大変な改造が必要です。ドアーはファイバーで作られており、純正の鉄製と違うので取り換えなさいとの事。しかし室内はロールバーがしっかりと入っていて、サイドバーもあるのにノーマルに変えないといけないのです。一番、頭に来るのはFIA公認の4点式シートベルトを外して純正の3点式に交換する事です。F1にも使われている安全を保障されたシートベルトをわざわざ3点式に交換するのはふに落ちません。陸事は何も考えてないし、何も勉強していない証拠です。
車検も無事取れたのですが、エンジン屋さんから初期馴染みの慣らし運転を最初1000Kmしてくださいとの事です。今の世の中は在宅をして下さいと言われてますが、これは良いチャンスだと思い、御殿場から岩手県の一の関を往復して1000Kmの慣らしをしてきました。
もちろんマスクを何枚も持ち、手の消毒用にパーツクリーナーも持ってです。燃料は60リッタータンクなので満タンにして出ると、一の関で満タンにすると1000キロは走れるので、セルフスタンドだと誰にも会わずに居れるし、安全だと思い出発したのですが200キロ位走ったらインジケーターにエンジンのマークが点灯です。スズキのディーラーに行きテスターで調べてもらったら排気系からの信号が入ってるとの事、オイルと水をチェックして、信号を消してもらい3200円支払って一の関に向かうのですが、色々とチェックしながらの進行なので中々進みません。やむなく福島の駅前のホテルで一泊して、一の関に向かい600キロ近くなったので東京へ向かい自宅に19時に着き、1200キロを走行してきました。高速はガラガラでサービスエリアの食堂もガラガラで密なところは一つもありませんでした。燃費は15.4km/lでした。
気になったのは高速道路内の看板に○○サービスエリアは直進と言う標識がありました。直進しかできないのにどういう意味なんでしょうか? この先、道の駅とあり、近くに行くとそのインターを降りてすぐにあるとの事、分かりづらいし、高速道路上にある施設を表示すべきです。
モンゴルでは早くに国境封鎖と日本―モンゴル間の飛行機も停止させたのでコロナの影響はほとんどないようです。モンゴルラリーが開催できると良いですね。
菅原 義正
2月7日に日本を発って、弊社のルマン工場で今年、アフリカエコレースに出た車両の整備を行っております。
工場はとても広いので暖房用の燃料を注文したら、家の敷地の中に大型のタンクローリーが入って来て、800リッターの灯油が入りました。
朝と夕方は天気が悪いのですが、お昼になると太陽が出て、南側のガレージのドアーを開けると明るい日差しが入って来て、暖房を止めての作業をしております。
今回、車輛をラリー用に改造してくれた所は、造りはしっかりとしているのですが、レーシーな所を感じないので、軽量化の大改造をしております。ウインドーはネットなのですが開き方はガルウイング式なので鉄パイプの枠があり、開けた時に閉まらないようにダンパーまで付いてます。
全部外してネットだけにしたり、スペアータイヤの固定に時間がかかるので、時間のかからない固定方法とか、やる事がいっぱいです。
サービスもハイラックス一台だけだと、荷物が入りきれないので【他の選手の分も】来年は6輪駆動の大型のトラックを導入する事や、日本事務局のホームページも主催者のホームページと同時に和訳するシステムにするとか、色々と考えてます。
写真は改造中のYAMAHA YXZ 1000Rと風向きによってはサーキットから走っている車の排気音が聞こえてくる、世界最古のサーキットです。
乞うご期待下さい。
菅原 義正
アフリカエコレースは1月19日に12ステージを終えて、ダカールのラックロゼに到着しました。今年の最大の特徴はモーリタニアのティジカジャを通過するコースでした。
ダカールラリーの創始者が1984年にネマ、テイジカジャのコースを始めて造りましたが、コースが長すぎて、途中で一泊してテイジイカジャに着いた記憶があります。
当時のバイクのプライベート選手は寝袋も持って走っていました。今回もコースもティジカジャに行くコースとテイジイカジャを出るコースが長すぎて途中からキャンセルになりましたが、主催者はテリーサビーネに敬意を示して、このコースを作成した感じがしました。
久しぶりのアフリカ大陸でフェシフェシ【埃の道】の道だったり、小さな砂丘をいくつも越えたり、大きなドライレークをいくつも走ったりで、南米のラリーとは大きく違っており、大いに楽しむことができました。
添付の動画は最終ゴールのポデュウムで主催者のシュレッサーさんからハグをされてます。
隣は息子のアントニーさんです。
菅原 義正
10月の初めから1週間の予定でナビゲーターの羽村君とフランスへ行き、テスト走行をしてきました。
動画にあるようにオフロードコースを借り切って走ってきました。ナビの羽村君はトラックのナビゲーターを長くやってくれてたので目線の位置が低いので、最初は戸惑っていました。
このコースは三菱さんやトヨタ車体さんが使っていたようで、レストランの壁には、皆さんのサインが書かれておりました。
インプレッションですが、エンジンがまだ慣らし中なので、回転は6000回転くらいにしての走行ですが、結構、早いスピードで走ってくれました。
問題も起きて、製作している会社の社長と長い時間話し合いをしてました。それは純正のタイヤサイズは27インチですが、今回のテストでは30インチを履いており、砂丘でスタックして脱出する時にクラッチに負担が掛かるので、結局は29インチのタイヤで行くことに決めました。
日本からもうお一人YAMAHA YXZ1000Rで出る人も、この会社で製作をお願いしているので、その方と相談して動画にも出てくるメカさんにもラリーに同行してもらう事になりました。
3月から動き出して、12月13日には渡仏します。あっという間の10ケ月でした。
菅原 義正
3月25日にフランスに打ち合わせに行って、6ケ月を費やして、やっと完成しました。
乗員の乗る部分は純正のパイプを取り除き、サイズアップして強化したパイプに変更されてます。2019年モデルからラジエターはフロントからリアーに移されましたが私のは2018年モデルなので特別にリアーに熱効率の良い特注のラジエターを取り付けております。純正のタイヤは27インチですが2サイズ上げて30インチのタイヤを使い前輪と後輪は同じタイプにして互換性を良くしてます。スペアーも2ケ必要なので、左右に1ケづつ取り付けてあり、重心的には最適ですが乗り降りが苦しそうですね。
トラックと違ってスポンサーさんのステッカーを張るスペースが無いので弱ってます。純正にはフロントウインドーが付いて無いのですが、けっこう走行風を長い時間、受けてると疲れるので取り付ける事にしました。これから赤色のマッドフラップが付けられます。
10月6日に長年コンビを組んでくれた羽村君とフランスへ行き、シート合わせと、サスのセッテングに行ってきます。工場から10分いの所に日本のゴルフ場より広いオフロードコースがあります。日本では絶対に車検を取ってナンバーをくれない車両ですが、フランスでは問題なく公道を走れるナンバーを交付してくれます。これではモータースポーツが絶対に発展しない国ですね。
菅原 義正
今年の北4ではカップ(コンパス)走行が多く取り入れられて、慌ててコンパスをバイクに付けて北0と360 東90 南180 西270と車体に書き込んでいる選手を見かけました。我々が海外でやってるラリーの進行方向は全部このカップ走行なのです。
私のラリーメーターの一つは衛星から拾っているICOなので、時間、速度、スピード、進行方向のカップが出ますので、とても便利です。日本は長いトンネルが多いので、どうなるか見ていたら、トンネルの中では衛星をキャッチで出来ないので、表示は止まったままでトンネルを出ると動き出しましたが機械は直線でしか感知してないのでカーブで長くなった分だけ補正が必要ですね。
今回は道を間違えた場合に備えて座標が書かれていましたが、その座標に行くにはマップホールダーの右に付けたガーミンが無いとたどり着けません。ガーミンに座標を入力して、その場所に向かわせるようにする訳です。ラリーレイドモゴルに出た人は全員出来ますが、国内ではそのような機会が無いので最初は戸惑いますね。
左にあるのは非常用の完全防水のカーナビです。普段は外して後ろのバックに入れておき、必要な時にワンタッチで取り付けます。便利なのはオンコース上にガソリンスタンドが無い時に、これを使うと直ぐ近くのガソリンスタンドを見付ける事が出来ます。今は携帯でも出来ますね。フロント部分が重くなったのでフロントのスタックバーとメインキーのキーユニットを外し、軽量化をしました。このキーユニットがとても重いのです。燃料キャップも重いので外したいのですが。。。純正メーターは軽いのとトリップや燃料残量警告が分かったり、便利なので移設しました。
もうすぐモンゴルが始まりますね。とても楽しみです。
菅原 義正
AFRICA ECO RACE の看板が増えました。日本事務局のホームページ(www.africarace.jp)が出来てから、沢山の問い合わせを頂き嬉しい限りです。
ダカールが南米に移ってからも、フランスのルマンの工場を借りていたのも幸いして、12月15日から工場が動き出し、日本からの出場者の出発前の点検作業に利用して頂けるので借りていて良かったと思ってます。敷地の中にお家もあり、食事や宿泊も出来ます。
先日、AHEADに日本事務局の紹介記事を載せていただいたのでフランスの本部へAHEAD誌を送ったら、本部のホームページに紹介されてました。私のブログも更新しましたので見てください。
菅原 義正
4月にアフリカエコレースの主催者のシュレッサーさんを訪ねてフランスのカンヌに向かい、色々とお話ししてきました。
彼はテリー・サビーネの意思を大切にして、ダカールまでのラリーを大切に守ってくれてました。私の会社は以前、チュニジア・ラリーとファラオ・ラリーの日本事務局をやってましたが、共に政情不安で現在はラリー自体がやってない状況です。シュレッサーさんもその事を知っていて、アフリカエコレースの日本事務局をやってくれないかとのお話もあり、開設する事になったのです。
私はレンジャーのシートを若い人に譲ったので、何とかして、このラリーに出てみようと思い、今年出た篠塚さんに電話して色々と聞いてみました。
最初はジムニーの660ではどうかと聞いたら、やれない事は無いが、砂丘が多くてスタックをすると夜の走行になり、結構大変で篠塚さんもスタックしたのですが、その横を軽量なSXSがスイスイと行くので、やるのならSXSの方が良いよとのアドバイスを頂き、すぐに頭に浮かんだのが、3年前にラリーレイドモンゴルで走ったYAMAHA YXZ 1000Rでした。フランスに行った時にもこの車両をレース専用に改造している会社にも訪ねて行ってたので、そこで車両製作を依頼して出場する事にしました。
アフリカエコレースのホームページも出来ましたので、覗いてみて下さい。
このバイクは私が初めてダカールに出た年の1983年に生まれました。
もう36歳になったのですね。
最初の年にホンダさんに行って、ダカールに出たいのでXL400Rをお借りしたいと申し出たら、今のようにインターネットも無い時代でしたから、ラリーの雰囲気を写真で写して持ち帰るようにとのお達しでした。
そんな訳で、写真2の右側の写真には、こむそうさんのようにカメラを首から下げてます。パリ近郊で行われたプロローグのスタート順番待ちなのです。何も分からずに出ているので、スタート地点に戻ってくるのだと思い、荷物を全部降ろしていたら、他の選手からここには戻って来ないので、積んで走らないとだめだと言われ慌てて、積みなおしたのです。スペアータイヤも積んでます。
左の写真には荷物がありません。約1000キロ寝ないで走った先のニームと言う街の郊外にある軍の演習所でのSSです。スタート時間の少し前に駅の近所に着いたのでバイクを駅の構内に持ち込み、大きめのコインロッカーを見付けて、荷物を全部預けて身軽な恰好で走ったのは良いのですが、ゴール地点から駅までの道が分からずに困り果てました。近くの人にニームステーションはと尋ねても通じません。駅はフランス語でGare(ガール)と言う事が後で知るのですが、必死にステーションと言ってると英語が分かる親切な女性の方が私の車の後ろに付いてきなさいと言われ、やっと駅までたどり着き、荷物との再会が出来ました。
そんなこんなで、帰国後の成田空港にホンダの方が迎えに来てくれていて、言われた通りにフイルムをお渡ししたのですが、用途は言ってくれなくて2ケ後位に125R PARIS DAKAR が発売されたカタログに使って頂いたのです。
思い出にと10年前に中古車を手に入れて、塗装は粉黛塗装にして大切に4階の部屋まで上げて保管してたのですが、生まれ故郷に戻してあげようと思いホンダさんに連絡したら、コレクションホールで管理してくれる事になり、明後日、引き取りに来てくれるので、居間に移動して眺めています。
写真は現地の方が写して送ってくれました。
菅原 義正
次回大会の開催国で色々な噂が立っていたので、湯布院のラリーが終わって、羽田に着いて、その夜のエアーフランスでパリに飛び、アフリカエコレースを主催しているシュレッサーさんを訪ねて色々と聞いてきまた。彼はダカール・ラリーが南米に移った年から、モナコを出てフランスを走り、モロッコ、モーリタニアを通りダカールにゴールするラリーを行っております。今年は日本人で初めて篠塚 健次郎さんが参加しております。
シュレッサーさんや他の関係者が言うには次回の大会はサウジアラビア一か国で開催だと言ってました。「テリーサビーネはお墓の中で泣いてるね」とも話してました。
今年のダカールからペルー一か国で開催され、私自身納得できないままの参加で、やはり行って見ると、走る場所が限られているので、昨日通った道を逆に走ったりで、エンデューロレースのようで、ロマンは微塵も感じない競技に成り下がっていました。エコ・レースは名前のごとく、エントリーフィも安くして、運営も質素にして、その余ったお金で、アフリカに学校を建てたり、井戸を掘ったり地元に還元するのだと言ってました。バイク部門、クワド、SXS、自動車、トラックの部門と、競技とは関係ない旅行部門(競技区間とほとんど同じコースを)もあるようです。
来年は1月5日にモナコを出て、19日にダカールのラックロゼにゴールだそうです。
写真はシュレッサーさんのフオードGT前で
主催者のトラックの一部
今年のラリーレイドモンゴルにエントリーしているジムニーですが、昨年のラリー終了後からリアーデフのLSDから異音が出るようになったので、デフを外してアピオさんに修理に持ち込みました。工場長は一晩でLSDのクラッチをばらして新品のクラッチ板に交換してくれて、指定の専用オイルまで用意してくれてました。ありがたい事です。オイルの種類が違うだけで音が出たり出なかったりするそうです。
早速、御殿場の工場に持ち込み組み付けが終わり、ブレーキラインのエアー抜きの段階で、前もって買っておいた一人でエアー抜きができる工具を取り出してやってみるのですが、上手くいきません。エアーを使ってバキュウムでブレーキオイルを引くのですがどうしてもエアーが入ったオイルしか出て来ないので、隣の工場の高杉君に助けを求めたら、どうやらエアー抜きプラクグの緩めすぎでそこからエアーを吸うのだそうです。結局私がブレーキペダルをだぶって2人でやる事になってしまいました。
タイヤのエアー圧、エンジンオイル量、ホイールナットの締めの確認を済ませて、富士山のふもとのダート道に向かいました。
走行距離のメーターはRC-7と言ってバイク用のラリーコンピューターと衛星から拾うICOと純正のメーターを使っているので、工場を出る時に3ケ共、0にして出発です。この日は特別に天気が良くて写真のように富士山がとてもきれいな日で、娘に聞いたら東京から白い富士山が見えたと言ってました。
リアーデフからの異音も無く、水温、油温、全てが調子よく、3ケの距離計の誤差も少なく、テストは大成功でした。6月の船出までに義務付けられた用品や工具などを積み込む予定です。
もうすぐダカールの用意が始まります。もう始まってますが。
明日から湯布院です。
菅原 義正
「ホンダCB92」
上側のモデルはちょうど今から60年前の1959年に生産されたホンダCB92という125ccのバイクです。CBと言う名前が付いたのはこのバイクが初めてだそうです。
それまでの日本のオートバイは荷物を運ぶために作られており、このバイクを見た時にはレーサーぽくってすっかり魅了され、父にお願いして買ってもらうことになりました。
注文を入れたのは小樽のバイク屋さんですが、在庫は札幌にあり、販売会社の人が札幌から乗って来る途中で事故を起こしてしまい、そんな危ないバイクはだめだと言われ、下側にあるホンダCL71(250cc)なら良いと言われ買ってもらいました。
函館に親戚が住んでいたので、このバイクで行くのですが、舗装が少なくジャリ道がほとんどでした。
今は主要国道の舗装率は、ほぼ100パーセントなのに、オフロード向けのバイクを売ってるのは、何時も訴求が反対なんですね。自動車の4駆ブームもそうでした。
下のモデルは高校生の頃、自分で作ったモデルなのですがまだ未完成です。
タイヤは木を削り、スポークは荷札の針金でエンジンはセルロイドの下敷きを切って重ねて作り、フエンダーは厚紙でアップマフラーを作る段階で作業が止まったままで60年も経ってしまいました。
下も上も四角いヘッドランプで、フロントサスの方式は同じですがCBの前輪のブレーキはドラム式ですがダブルカムになっております。セルモーターとタンデムシートが初めて採用されました。
CL71のリアサスのカバーは四角いのがわかりますか? 本田宗一郎さんは神社仏閣を意識してデザインをされたようです。
コマ図にあるように砂丘地帯なので全部コンパスでの指示になっています。
それもアフリカと違い砂丘がねじれているので、トヨタ車体の三浦ドライバーもランクルで精いっぱいのコースだと話しておりました。私の車は32.71キロ地点でポイントを取ったとたんに、パワステが壊れてしまいました。
図にあるようにたまたまフラットな地点だったので、大事に至らなかったのですがそこからの脱出が大変でした。急いでチームの本部に衛星電話をするのですが、相変わらず通信状態が悪いのです。現在の居る緯度経度を説明するにも20分も掛かります。
パワステの高圧ホースからオイルが漏れたお話をするのですが、ジョイント部にオイルが付いてる話をするとジョイントのます締めをしてオイルを入れてエアー抜きをして走って下さいとの指示があり、その通りにしたのですが、ジョインではなくホースから漏れていたんですね。120気圧も掛かっているオイルなので、エンジンをかけたら持っていたオイルが全部出てしまい、予備に持っていたホースに付け替えてもオイルが無いのです。28年間やってますが初めての経験でした。サポートチームが部品を持って来てくれる事になったのですが、時間を短縮するためにパワステ無で200km走りました。
これで今年のラリーの精魂使い果たした感じがしました。
菅原 義正
2日目のSSの32km地点で、ハンドルが効かなくなり、色々とチェックしたらパワステホースの高圧側のホースからオイルが漏れていました。
そんな事が原因でCPを2ケも飛ばし、更に通過しなければならないポイントを40ケ所以上も不通過したので、リタイヤ扱いになりゼッケンはオレンジ色に変えられました。
今年から救済処置で休息日以降に走れるセミマラソンクラスが出来たのでそちらにエントリーです。
スタートの前日に人検があり、お医者さんの問診を受けさせられました。
このクラスは全車出走した後のスタートなので日が暮れるのが早くなり、夜の走行になるのですが、今度は運が悪く、砂あらしがあり視界が悪くてスピードが出せん。そんなこんなして居るうちに、コーション3のコマ図の場所に来てしまい、そこは砂丘の下りが1km続くと書いてありました。コーション3です。
桜井君に坂まで歩いて見てもらったのですが、ランプで照らしても真っ暗らで下は全然見えないとの事、時間は夜中の12 時を過ぎていたので、ビバークして明るくなってからその坂を下ることにしエマージエントシートに包まり明るくなるのを待ってから、1KMの坂を下りビバークに朝に着き、3時間ほど休んでスタートしたのですが、砂丘の真ん中でまた夜になり、キャンプに帰るテレビクルーに案内してもらいキャンプに戻ったのですが、あまりにも通過ポイントを拾ってないと言われ、今度は黄色いナンバーを付けられてアシスタントクラスに変更になりました。昨年も2日目でリタイヤ、今年も2日目でした。ゼッケンの色が3回も変わりました。
今回のラリーは舗装道路を明るい内に400kmリエゾンしてから300kmのSSがあったりで、SSが夜になりアフリカのと違って切り立った砂丘が多く、夜になると全く走れなくなり回も厳しい競技でした。
2号車は頑張ってくれて1万cc以下クラスの10連覇を達成してくれました。
写真はスミルビッチ氏。1985年に私は俳優の夏木陽介さんとパジェロでダカール出た年に彼は元サッカーの神様的存在のレイモン・コパさんとパジェロで出ていて、それ以来の友人です。彼の住宅の地下にエンジンを修理する部屋、車両を製作する部屋、板金塗装をする部屋を持ってます。フランスのシャルルドゴール空港の近くなのですが、羨ましい環境ですね。
最後になりましたがHINO TEAM SUGAWARAを応援して頂いた皆様に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
菅原 義正
SSERの忘年会に何かしなければと思い、黒ちゃんに電話したら終わりましたとの事。
日本が一日進んでいるのを忘れてました。
こちらは車両にメカさん達がゼッケンを張ってくれました。
2号車の照号は510番。1号車の私のカミオンは517番です。
1月4日に我々チームの車検があり、6日にはペルーの街を走るおひろめがあり、
7日から本格的な競技が始まります。
4日の19時からダカールレジェンドとルーキーの集まりがあるそうです。2号車の照とナビの羽村君はレジェンドで1号車の私はレジェンドでナビの桜井君はルーキーなので、我々チームの競技者は全員出席になります
応援お願いします。
菅原 義正
皆さま良いクリスマスを迎えられたと思います。私はと言うと25日は日本の元旦のようで、時差調整で寝ていたら強烈な花火の連射が夜中の12時過ぎまで続き、朝の6時まで寝れずに苦労しております。
昨日、後発の部隊が合流して、一陣はレンジャー2台を工場に運び込み、サービスの大型トラック2台が夜の7時過ぎに整備工場に運びこまれした。
いよいよ明日から最終調整に入るので、大忙しになります。
次回大会からレギュレーションの変更があり、SS中に故障したら、翌日の自分のスタート時間の30分間前に着いてればラリーを続行でたのですが、規則が緩くなり、トラックの最後のスタート時間の1時間以内に出走可能になりました。(ペナルティは付きます)
ラリー前半でリタイヤしても出走可能な車両になっていれば、休日日の後半にも出走できる事になりました。逆に言うと今回の大会は砂丘が多く100%ピアーなダカールラリーと言ってるからだと思われます。
菅原 義正
ラリーレイドモンゴルから帰って来たジムニーを洗車したり、少しずつ整備をしていたのですが、ナビのまるちゃんからの要望でナビ席の計器をバイクと同じ方が使いやすいとの話があり、そう言えば私も4輪で一人で出ていた時もバイク方式を使っていたので、彼女が慣れてる方が良いだろうと思い作りなおしてみました。
まるちゃんが近所に居ると打ち合わせをしやすいのですが、何せ熊本なので叶いません。電動式のマップホールダーを付けるのですが、助手席で揺られながらのスイッチ操作は大変なので、左手が安定するようにとバイクのハンドルの外径と同じアルミパイプを用意して、写真のようにグリップを付けてバイクと同じ方式です。
先日SSERの東京での発表会があり、まるちゃんも出席するのとの事、早速、御殿場の工場に来てもらい細かい位置合わせをすることが出来ました。
距離計は左が車輪の回転からので、右はGPSから拾ってます。更にマップケースの右には大型のガーミンが入ります。
足のステップも欲しいとの事、アルミのパンチ板で作ったら前方に物入が出来て一石二鳥です。ロールバーに付いてるヒューズボックスの配線は彼女が全部やってくれました。一番楽しい時間です。
菅原 義正